POP2*5

過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

『レコードコレクターズ』連載「アルファの宴」について記す。

 すでに一週間以上が経つというのに、またイベント後日談ネタになってすまぬ。先日、12月8日、9日に行われた拙者取材のイベント「POP2*0ナイト」には、会場に多くの業界関係者、ミュージシャンの方にわざわざご来場いただいた。当然のようにこちらはお名前を存じ上げているのに、なかなか縁がなくてお会いできなかった方に会えたのも幸運である。15年前に拙者がやっていた渋谷インクスティックDJバーのシリーズの時もそう思ったが、イベントのいいところは、普段の仕事で会えない、価値観を共有できる人と出会う機会が必ずあること。15年前はインターネットもなかったし。むろん、パソコン通信はあったけど、それをやっているという時点ですでにデジタルエリートのみが篩にかけられており、私のような人間はすでにそこにおらず(笑)。原稿執筆作業も、こうしてブログを更新するのも、けっこう孤独な作業なので、人との出会いによって救われる部分は多いのだよ。単行本を担当させていただいたエガちゃん流に言えば、「1クールのブログより1回のイベント」なのだ。
 「見苦しいほど愛されたい」は、私が敬愛するみうらじゅん氏の残した名言だが、先日みっともなく吐露してしまったオヤジのPerfume熱も、こうして一方的に書いてるだけだとブレーキのかけ方もわからず暴走するばかり。そういう意味では、ああいう公の場で自分の勘違いを諭してもらったり、事情通氏の意見をじかに聞かせてもらうだけでも、いくらか平常心が保てる感じ。つっこみたいヤングの気持ちは、実は痛いほどわかってる(笑)。普段はクールを気取っていても、こうしたあてのない感情の暴走はあるのだと許してほしい。「シュトックハウゼンが好きといっといて、その口でPerfumeが好きとはどういうことだ!」なんて責めないで欲しい(笑)。実際、そうした“萌え”の感情は、私の思いとうらはらに、歳を取るごとに年々薄まってきている感じが一方にはある。歳を取って知恵を付けると、初めて出会った衝撃に対して経験則で対応できる賢さも身につくが、そのぶんなかなか物事に純粋に感動することが少なくなってきた。正直、Perfume熱も、日々の退屈から逃れたいための自己暗示なのかも知れぬ。しかしだから私は、同世代の「見苦しい暴走」をできるだけ全面的に応援したい。数年前、歌舞伎町の酒場でよく見られた「椎名林檎がいかに素晴らしいか」を熱く説く中年サラリーマン諸氏の光景にも、頼もしさを感じたものだ。同じPerfumeファンなんだから、ファンの主役である若者諸氏も「しょうがないなあ」程度に優しく接してちゃぶだい。
 おそらく皆より一世代上の我々世代になると、バンド、楽器関係で学生時代に知り合った友人と、社会人になって数年後に再会した時などに、「まだロックなんて聴いてるの?」なんてよく言われたものだ。会社の上司に仕込まれて「最近、演歌のよさがわかるようになった」なんてことを、あたかも“大人の勲章”のように誇らしげに語る同級生もいた。実際、つい十数年前までCD登場以前の日本の音楽産業は、ロックのレコードを買う10代が支えていて、「ロックはいずれ卒業するもの」と思われていたのだ。ベビーシッターに子供を預けて、40代の夫婦がストーンズのコンサートにデートに出かけるような文化は、日本にはなかった。これは、アイドルポップスもしかり。ヤングの貴方だって、今より体力も精神力も衰えた10年後に「初音ミク」や「ニコニコ動画」を観て、この見苦しい中年アイドルヲタ連中みたく、感情を高ぶらせることができるかわかんないのだよ。だって、「もうニコ動卒業した」と宣言して生きるほうがラクだもの。
 実際、30代中盤ぐらいに揃って結婚や仕事上の挫折を契機に「新譜を買わなくなった」元音楽好きが私の周りにはたくさんいる。なんとか「演歌のよさなんかわかってたまるか!」と20代をやり過ごせた最終ランナーの方々も、このへんが臨界点のようだ。イベントやるまでPerfumeを全然知らなかった私も、同じようなもん。それほど、好奇心のアンテナを持続させていくのは、お金もいるけど体力もいるのだ。13年もの長い間若い読者向けの週刊誌で、もっともヤング読者の矢面に立つカルチャー欄を担当していた私がいうんだから。
 さて、そんなわけで「POP2*0ナイト」会場で、世代を問わずいろんな拙著やブログの読者の方々にお会いする機会があったのだが、そこでお約束のように必ず聞かれる質問があった。「『レコードコレクターズ』の連載「アルファの宴」についてどう思ってるの?」というやつだ。フントにもー。質問者が聞きたい答えは決まっていて、それを私に確認したいだけだと思うが(笑)、基本的に同じですよ、読者の方々が思っていることと。その連載がどんな内容のものなのかは、興味あれば各自調べていただくことにして、ここでは詳しく書かない。なので、ここから下は興味のある方だけ読んで欲しい。


 以前も書いたとおり、私は『レコードコレクターズ』の愛読者で、数年来毎月買っている。だから当然、この連載は第1回から知っていた。最初に思ったのは、「あれ? アルファの連載なのに、なぜ書き手が土龍団のメンバーじゃないんだろう」という、レココレ読者なら誰しも思うことだ。日本のソフトロック史について、あの時代に孤独に賢明に取材・研究を続けていた人は彼らしかいなかった。それは誰よりも私がよく知っている。それを差し置いて、別の方が同テーマで書かれることが、長年のレココレ一読者としてかなり意外だった。というか「できるの? それ?」といった感じ。
 拙著のノンフィクション『電子音楽 in JAPAN』でも、5分の1を占めるYMOの関連する記事のために、当時のアルファレコード関係者に取材して、社史に近いものをまとめている。実際、社長の村井邦彦氏の取材現場には、当時土龍団として活動していた2人にも同行してもらっていたぐらいだ。『電子音楽 in JAPAN』のうち、アルファ関連の記述については、彼らの助けなくてはありえなかった。その取材で聞いたアルファレコード史は私の好奇心を満たすもので、単行本のテーマから外れるためにやむなく割愛したネタも半分近くあるぐらい、私はこの時期に集中的にアルファ史を調査している。一時帰国されていた村井氏とも長時間に及ぶ取材時間を過ごすことができた。そこで知り得たアルファ前史、Aスタジオ誕生のいきさつなど、元はかなりバラバラなコンテクストとして伺ったエピソードを、読みやすく「エイヤッ」という感じでコンパクトにまとめたのが、『電子音楽 in JAPAN』の村井氏、YMO史のパートになっている。その「バラバラなコンテクスト」として聞いた話が、私が無理矢理まとめたエピソード配分そのままに、この連載に収められているのを見て私は仰天した。しかも、出典として拙著の名前がないのである。その後、連載何回目かで「赤い鳥」に関するパートがあり、それが私の友人の書いたものを下敷きにしていることが一目瞭然だったので、これにはさすがに頭に来て拙ブログでもやんわりとそれを書いた。おそらく、熱心な村井ファン、アルファファンも多い『レコードコレクターズ』だから、読者のどなたかが意見したのだろう。その連載にはいつからか、それまでなかった「関係者の取材に基づく連載です」という注意書きが、後から付くようになった。
 『レコードコレクターズ』誌は、「日本の音楽メディア」に対する一つの批評として存在しているようなところがあり、音楽学者さながらに海外の文献などに、きちんと敬意を表していた雑誌である。ネットのようにヴァーチャルに存在する文献であっても、そのURLを記事に必ず添えるほど徹底していた。私の先輩ライターO氏がチャクラの再発の原稿を同誌に寄せた時も、私がマスターベーション的にやっていただけのホームページに載せていた「板倉文インタビュー」の出典を、わざわざ数行を割いて載せていただいたこともある。あまり経済的に豊かでない日本の音楽ジャーナリズムは、こうしたいたわりの精神による情報共有でなりたっている。拙著『電子音楽 in JAPAN』の巻末にも、先達に敬意を表し、多くの出典を長々と明記している。実際に文章そのものを引用したものもあれば、プロットのヒントになっただけの文献もある。むろん「アルファの宴」の執筆者の書かれた本も数冊すべて載せている。それが私にとって参考になったかならないとか、そういうレヴェルの話ではない。同じようなテーマについて触れているものは、同業研究者への愛情表現として、ライバルの好き嫌いに関係なく載せている。それは、業界のルールでもある。過去文献については、それを肯定する文であれ批判する文であれ、引用する場合に出典を明記することによって「オリジナル著作者の許諾を取らなくてもいい」という不文律がある。だから、『レコードコレクターズ』において、これほど長く引用じみた記述がありながら、一切の出典明記がないことが、まず意外だった。
 そんな連載開始してしばらく後、同誌から私に初めて、高橋幸宏特集のコラムの執筆依頼があった。『レコードコレクターズ』でYMO関連、電子音楽関連の特集は過去に何回か組まれているが、一度も小生に依頼があったことはない。拙著を書評で取り上げてもらったこともあるが、兄弟誌『ミュージック・マガジン』も含めて、あまり好意的とは言えないものばかりだったし。特にYMO関連特集は、レココレにはいつも決まって書くライター諸氏がいたので、私に依頼したこと自体が意外に映ったのだ。高橋幸宏特集というのは、拙ブログでも以前紹介している、アルファ時代のソロアルバム、およびDVD復刻のタイミングに絡めたもので、小生はソニーから公式に仕事を受け、前者のライナー、後者の副音声の構成をやっている立場。以前、レココレで書いていた先輩ライターから、ミュージック・マガジン社は「ライナー書いている関係者にはレビューや記事は頼まない」という不文律があると聞いたことがあった。それで、私にはレココレからYMO関係の依頼はいただけないのかなと思って、寂しいけれど納得はしていたのだ(レココレでもっぱらYMO特集を書いていたライター諸氏は、私が東芝ソニーYMO復刻に関わる以前に、アルファ主導でYMO復刻をやっていた時期に関わっていた人々である)。担当の佐藤さんに「ソニーのオフィシャルの仕事をしてますけど、MM社的に問題ないんでしょうか?」と聞くと、レビューじゃないから大丈夫との返事。「なぜ突然、私に?」という問いかけには、編集部判断ではなく「アルファの宴」を書いている、その特集のメイン執筆者の強い推薦があったとの答えがあったのだ。あれれれ? 私は先のような印象があったので、拙著憎しの感情があって、出典を隠蔽されていたんだと思っていたので。その後、私が構成した高橋幸宏ソロDVDの副音声のスタジオ収録日に、録音が終わった私と入れ替わりに、その御仁はスタジオにレココレの取材のために訪れていたらしい。このときを含め、私はこの人に一度も会ったことはない。高橋幸宏特集への執筆依頼については、結局、私なりにレココレへの敬意を表して、スペシャルな分析を盛り込んだものを書いて提出したつもりだ。
 毎月『レコードコレクターズ』誌を購読している立場だし、私は『電子音楽 in JAPAN』の巻末に書いているように、同テーマに取り組まれている研究者には最大限の敬意を表している。当然「アルファの宴」も当初は毎回目を通していたが、いつしかまったく読まずに素通りするようになった。ライバル感情ではない。ノンフィクションとしてこの人には力量がないと思ったから。私はライターとしては素人、セミプロだが、編集者としては20年のキャリアがあるプロを自任している。だから、先の引用の定義のような、社会的規範の中で仕事している。文章の善し悪しについても、それなりに一家言ある。ないしろ毎日のように、ジャンルも音楽に限らず、ライターという職業の人と会っている。そんな私から見て、その連載はあまりに出来が酷く、これを載せている『レコードコレクターズ』編集部の見識を疑うほどのものだった。その後、ソニー一風堂を復刻した際に、別の雑誌『ストレンジ・デイズ』誌から依頼を受けて私は原稿を書いているが、『レコードコレクターズ』のほうは、ソニーが公式にやとった監修者であるこの方が、自分で宣伝原稿を書いていて、さらに度肝の抜かれた。私はそれを見て「レココレはどうしたんだ? 批評性というものはなくなったのか?」と思ったほどだ。
 これまで会った人に、「「アルファの宴」についてどう思う?」と聞かれることは多かったが、連載中には言及は差し控えていた。この度、ここにそれを記したのは「POP2*0ナイト」で知り合った方々の誘導もむろんあるが、その連載が今月号で終わったからだ。
 この連載の最終回は、以前からそういう指摘があったからなのか、4ページのうち1ページ半近くが出典明記に当てられていた。それ以外の記述についても、連載の最終回の体裁ではなく、普通は単行本化の後に書き加えられる、あとがきのような個人的な謝辞に終始していた。私も音楽雑誌読者歴は長い方だと思うが、こんな連載の最終回は見たことがない。一言で言えば、読者無視も甚だしく、これではあまりにみっともない。むろん著者と編集部の間に何があったのかは知るよしもない。ただ一点書いておきたいのは、1ページ半にわたる出典明記の中に、友人が書いた「赤い鳥」の出典はあったが、拙著『電子音楽 in JAPAN』、『電子音楽 in the (lost)world』、私がインタビュアーを務めた『イエロー・マジック・オーケストラ』の3冊はなぜか記されてなかったこと。あれれれ? 高橋幸宏特集の依頼があった時の、執筆者の「推薦」とは一体なんだったのだろう?
 また、以前同誌の連載「レコード紳士録」に拙者が登場した時に、『レコードコレクターズ』編集部の方にはお会いしており、拙著を紹介いただいたこともあるから存在を知らないとは言わせない。これは決しておごるつもりではないが、私なりに近年、YMO活字文化については、これまでのジャーナリストのだらしない部分を是正してきたつもりがある。執筆者から上がってきた原稿の出典明記リストの中に、私の本だけが書かれていないことに、公正を期すべき編集者の人は、何も思わなかったのだろうか? 私は本業が編集者であるから、どういうプロセスで雑誌や単行本が作られているかはよく知っている。おためごかしは私には通用しない。編集者には年齢の上下もない。優秀かそうでないか、倫理観があるかないか、それだけだ。例え死刑囚や極悪犯罪者の著書を作ることがあっても、その出版自体は守られるべきと考え、それを社会的啓蒙書にだってできる力が編集者にはあると思っている。それが許されるのは「出版倫理」をきちんと持っているから。そういう意味で、この最終回の行いについては、執筆者というより編集部の責任というべきなのだろう。私はこの著者にまるで関心がないし、努力しても文章がうまくなるタイプには思えない。むしろ、ごまかしのようなテクニックが散見されるほどで、これは文章というだけでなく、拙著にヒントを得たとおぼしき、この方のあまり誉められるべきではない数々の奇書の刊行スタイルにも表れていると思う。
 『レコードコレクターズ』誌を発行しているミュージック・マガジン社には、以前にも同じような印象を持ったことがある。拙著『電子音楽 in JAPAN』の最初のヴァージョンが刊行された時に、『ミュージック・マガジン』の書評ページに於いて、かなり手痛い酷評を書かれたことがあるのだ。「誤植云々」は、普通書評で書かれるべきことではないとは思うが、700ページもある本を自分の力量も鑑みず出しているのだから、批判されるのは致し方ない。しかし、最初のヴァージョンで、シンセサイザー・メーカーの老舗であるMOOGを、「ムーグ」と表記していたことについて、その書評子から不買運動に近い感情的な書き方がされていたことには我慢ならなかった。
 オールドのシンセファンはご存じだと思うが「ムーグ」という表記は、ヤマハが輸入代理店だった時代に公式に使われていたもので、『ミュージック・トレード』などの問屋業界誌にもそう記述されている。発明者がオランダ系アメリカ人であり、MOOGを「モーグ」と発音して欲しいと主張していたのは知っている。しかし、ノンフィクションに於ける固有名詞の扱いは、一定のルールに基づいていており、私は最初のヴァージョンでは、その“公式文書”に倣い「ムーグ」と書いた。これには、ヤマハが代理店だった時代に、発明者であったモーグ博士をクーデターで追い出した当時のMOOG社の経営陣の意向など、不幸な歴史的な背景があったのかもしれないが、判断は読者にお任せする。しかし、日本の特許庁に残されている「商標登録」には、楽器項目に「ムーグ」はあっても「モーグ」は存在しなかったのである(※)。
 というか、そもそも「商標登録」の場合、例えば「ソニー」というブランドがそれを申請する場合に、似せた名前が悪用されないように「サニー」「スニー」などもまとめて登録するというような慣例まであり、その場合に「ソニー」「サニー」「スニー」のどれが正しいかを商標登録上定める法律はないのだ。私は後日、『ミュージック・マガジン』に書かれていたその件について、別件でその執筆者を問いただしたことがあるが、不明瞭な答えに終始していた(「もう不確かな記述で営業妨害めいたことしないで欲しい」と本人に約束してもらったので、ここにはその詳細は書かない)。
 ただ一つ、その書評がライターから上がってきた時に、それだけのことを『ミュージック・マガジン』編集部は確認すらしなかったのか? と思い、絶望的な気分になったことを覚えている。「あの書評は酷すぎ。訴えるべき」という仲間の声もたくさんあったが、ライターと編集者の関係を誰よりもよく知ってるのが私だ。あの原稿を通したのは、執筆者ではなく、編集部の判断である。『ミュージック・マガジン』はその後も、小生が監修した『イエローマジック歌謡曲』『テクノマジック歌謡曲』のレビュー(といっても広告バーターのタイアップ)の際にも、編集長の高橋修から「上から目線」の読んでいて不快な原稿を書かれたことがある。この人に何を言ってもしかたがないと、改めて思ったほど。ていうか、私はこの人たちが、私と同業の「編集者」だとはとても思えない。「音楽雑誌には倫理なんかいらない」とでも、本気で思ってるとしたら、それは相当お目出たいと思う。
 あとから知人に聞いたので、私は実際の文面にお目にかかってはいないが、「アルファの宴」執筆者は、以前、同業の方が書かれた『YMOコンプレックス』という本を、同社の雑誌の書評欄で酷評していたことがあるらしい。『YMO〜』という書名のついた本は、おおむねその2人が出してたと思うから、2人はライバル関係と言ってもいいと思うが、普通そんなライバル的書き手に書評なんて発注するわけ? ていうか、ライターが依頼されたとしても、そんな意味深なテーマの仕事受けるか? 頭がおかしいと思うのは私だけなのか?(笑)


 かなり辛辣な文章になってしまったが、これはすべて事実である。多くの方に見る機会があるブログという媒体だから、あえて記した。もし音楽ジャーナリズムの現在に関心がある方がおられたら、このテーマについて是非一度、議論してみてほしい。その起こったことの是非の判断は、読者にすべてお任せする。


※現在は「ムーグ」および「モーグ」「MOOG」の商標が登録されており、「ムーグ・(ミュージック・)インコーポレーテッド」が権利者となっている。「商標登録」の英文登録について拙者の記述に間違いがあり、ご指摘をいただきましたので一部訂正しました。謹んでお詫びいたします。