POP2*5

過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

緊急追求企画!? 本当に出るのか? 単行本『イエロー・マジック・オーケストラ』(アスペクト)


(上記写真は帯付きヴァージョン。拙者が勝手に合成したものなのでご容赦下され)
 話は、以前から当ブログで紹介している、YMO初の公式インタビュー単行本『イエロー・マジック・オーケストラ』のことである。スタッフとして関わった拙者が最後の校了紙に赤字を入れて戻したのがすでに10月初旬のこと。ネット書店などでも情報が錯綜し、内容も不確定なまま現在にいたるていたらくで、出版を楽しみにしていただいているファンの方々にはご迷惑かけっぱなしで、頭が下がる思いである。拙者は予定通り担当パートを入稿した身分ゆえ、弁明する役回りではないが、こうしてブログなどやってる立場ではあるから、わかる範囲で状況をご報告する義理はあると思っている。YMOの初期のアートワークを担当していた巨匠、羽良多平吉大先生が久々にYMO関連書籍の装丁を担当するということで、師匠の意気込みもすごくて、非常に手間のかかった本になることは誰もが予想していた。なにしろ私、週刊誌時代に巨匠と一回仕事をしたことがあるのだが、そのときもおもいっきしスケジュールをぶっちぎられてしまい、週刊誌なのにどうなるのかとハラハラし通しだったので(笑)。昨年末に別件で担当者と電話で話をしたときには、非常に入手困難な用紙を印刷に使うために、その数の確保に手間がかかっているという話もチラ聞きしていた。「おお、往年のWXY節健在か!」と、それを聞いて大いに期待。まあ、あんときも『WXY』は結局出なかったわけだが……(笑)。いずれにせよ、久々の力作がお目見えするとあって、そこは焦らず、書店に並ぶ日を大人しく待ちましょうと腹をくくっていたわけである。そこへ先週の土曜日、担当者からやっと吉報が!「なんとか今から入れられそうです。お疲れ様です……バタッ(死ぬ音)」。何があったかはあえて聞かない。とりあえずは、最後の最大の難関の問題はクリアした模様で、近々お目見えすることはまちがいなさそうだ。私にとっちゃ、入稿してから2年も身ごもったままの宿便企画。誰よりもこの発売の報を、すっきりとした気分で迎えられそうである。版元によって印刷スケジュールは異なるので、私のあてずっぽうで不用意な発言はできないが、1月末ぐらいにはなんとか書店に並ぶのではないだろうか。こっから先は私の任ではないので、版元の販売部からネット書店などに通達される、決定日のリリースが出るのをお待ちいただきたい。
 で、聞いてみたらやっぱり、スケジュールがずっと不確定だったために、プロモーションなどが後手後手に回っていた模様。版元であるアスペクトのサイトにはもうすぐ正式なアナウンスが載るのだろうが、通常2ヶ月前にはコンタクトを取るのが常識と言われている、月刊誌の書評ページなどへのジャストな発売日掲載は間に合わないだろう。なので、ここをご覧いただいている中に少しはおられるであろうマスコミや書評サイトの方で、「プロモーションやったるでえ」という気前のいい方がいらっしゃいましたら、ぜひアスペクトの『イエロー・マジック・オーケストラ』担当者のほうに、コンタクトを取ってやっていただければ幸いである。ホント、書記係の私が言うのもなんですが、面白いインタビュー本になっていると思うので。
 ところで、もうひとつそれ絡みで私から紹介したいものがある。『イエロー・マジック・オーケストラ』に掲載されたメンバーのインタビューを読めば、70年代末の保守的な日本の音楽シーンの中で、彼らがデビューしたアルファレコードが、いかに先鋭的であり、かつ特殊な会社であったかを知ることとなるだろう。インタビューの大まかな流れは、拙著『電子音楽 in JAPAN』の3章分100ページにわたるYMOヒストリー(ただし拙著では『テクノデリック』まで)を土台にしたもの。そこでは、まとまった書籍としては初めて、アルファレコードの設立までの歴史をこまかく紹介している。経営面に関しては社長の村井邦彦氏、エンジニアリングに関してはチーフ技術者だった小池光夫氏への長時間インタビューを試みており、このときに伺ったとびきりユニークなエピソードは、『プロジェクトX』好きの私をいたく興奮させた。『電子音楽 in JAPAN』の序章は、YMOがデビューする10年前、大阪万博が開催された70年に、村井邦彦氏が手掛けた日本で最初のシンセサイザーのレコードのエピソードで幕を開ける。このプロットのヒントをいただいたのが、巻末に謝辞を載せている、当時は3人組だった土龍団のメンバーだった。私の古い友人である映画音楽家ゲイリー芦屋氏、ムード音楽通でユニークな音楽ライターとして知られる吉田明裕氏、手塚治虫を敬愛するマンガ家で、『ミシェル・ルグラン風のささやき』(音楽之友社刊)などの著書を持つ音楽プロデューサーの濱田高志氏がメンバー。現在は袂を分かち、土龍団の屋号は吉田氏が一人で継承しているが、和製ソフトロック紹介など、かつての土龍団のトレードマーク的な仕事は、現在は濱田氏の個人仕事として受け継がれている。ビクターエンタテインメントソニー・ミュージックダイレクト、ウルトラヴァイブなどからリリースされている「TV AGE」シリーズ(最新作は『あの日の教室~さわやか3組 NHK子ども番組テーマ集』)は、『レコードコレクターズ』誌の濱田氏の連載と連動した入魂企画だ。初期メンバーだったゲイリー氏が私と同い年で、残り2人は少し年下なのに、洋楽、邦楽問わない皆さんのその博識ぶりには、いつも敬服されられた。そんな彼らの名を一躍世に知らしめたのが、レコード会社別にリリースされた、日本初の本格和製ソフトロック・コンピ『ソフトロック・ドライヴィン』シリーズ。大半が廃盤になった今も、ネットオークションなどで高価で取引されている人気盤なのをご存じの方もいるだろう。このシリーズが昨年めでたく濱田氏のプロジェクトとして復活し、ビクターエンタテインメント編に続いて、ソニー編、アルファレコード編(発売はソニー編とも、ソニー・ミュージックダイレクト)の2枚がドロップされたばかり。ソフトロック好きを自任していたが邦楽ロックには疎かった私は、この名企画によって、60〜70年代にいかに先鋭的なシーンが日本に存在していたかを知ることとなった。その衝撃のいくばくかが、私に『電子音楽 in JAPAN』を書かせた原動力になっている。そしてそのとき、村井邦彦氏への取材に同行してくれたのも、ゲイリー氏、濱田氏である。彼らがいなければ、たぶんあの本はああいうセンセーショナルなものにはならなかったと思うほどだ。

ソフトロック・ドライヴィン*美しい誤解

ソフトロック・ドライヴィン*美しい誤解

ソフトロック・ドライヴィン*美しい星

ソフトロック・ドライヴィン*美しい星

ソフトロック・ドライヴィン ビクター編 ~空と海とわたし

ソフトロック・ドライヴィン ビクター編 ~空と海とわたし

 昨年末、NHKのBS特番のフォーク・ロック電話リクエストの番組で、これまで何度か番組で紹介されながら、たまたま私が観るタイミングを逸していた、赤い鳥の当時のステージを観ることができた。赤い鳥は設立早々のアルファレコードが売り出した、和製コーラスグループ。女性2人と残りは男性3人という構成で、解散後に彼らは、紙ふうせんハイ・ファイ・セットという2つの対称的なグループへと分裂する(ちなみに、ハイ・ファイ・セット細野晴臣氏が命名)。ある世代には、関西の同和地区で歌い継がれる名曲「竹田の子守唄」をクローズアップしたグループとして知られており、あるいは日韓共催のサッカーの年は、イメージソングとして使われた「翼をください」(村井邦彦作曲)を歌ったオリジナル・グループとしても注目された。だが、それは彼らの活動のごく一面でしかない。伝承唄を取り上げる研究肌の志向性は、アメリカのフォーク・グループに倣う正統なスタイルであり、洋楽通でもあった彼ら。同時代にキング・クリムゾンやフェアポート・コンヴェンションなどに傾倒し、ステージではフィフス・ディメンションの「ビートでジャンプ!」を持ち歌にしていた、早すぎたソフトロック・グループなのである。アルファレコードの歴史は、村井邦彦氏が地元大阪に渡り、何度も断られながら彼らを口説いてメジャーデビューさせるところから、本格的にスタートしている。BS特番で流れたのは、ファンにはおなじみらしい、テレビ神奈川の番組『ライブインパルス』出演時の「翼をください」の映像。当時は大村憲司、ポンタこと村上秀一が正式メンバーとして所属しており、レコード・ヴァージョンにくらべずっとヘヴィな演奏を聴かせていた(ヤッちゃんのピアノのミスタッチもご愛敬)。はずかしながら私、動く赤い鳥を観たのは初めてなのだが、ヴォーカルの潤子さん(山本潤子)の若き日の美しい立ち姿にウットリしてしまった(さっきもテレビ東京吉川忠英の特番にも出ていたね)。買ってきた『赤い鳥コンプリート・コレクション』のブックレットのインタビューがまた刮目すべきもので(監修は土龍団)、このところずっと家では赤い鳥ばかり聴いている。迷走期に作られたといわれる『祈り』のアシッド・サイケな感じとか、『溶け出したガラス箱』に匹敵する出来で、今聴いてもブッ飛ぶぞ。
 『ソフトロック・ドライヴィン』については、私は教わることばかりで、紹介者として私が口添えできるような蘊蓄はなにもない。とにかく彼らがイントロデュースする綺羅星のごとき和製ソフトロックの名曲群を、ぜひともピチカート・ファイヴフリッパーズ・ギターあたりを支持する若い音楽ファンに聴いていただきたい。先日出たばかりの初のソニー編『美しい誤解』、アルファレコード編の改訂版『美しい星』は、私も年末からずっと愛聴させてもらっている。「どれも甲乙付けがたいんですけどね……」と語る濱田氏には申し訳ないが、この2つを続けて聴いてみても、アルファレコード編のほうの出来が凄すぎて較べものにならず、いかに当時のアルファレーベルのサウンドが新しかったかを改めて思い知らされた。赤い鳥の代表作「美しい星」「窓に明かりがともる時(BETWEEN THE LINES)」も収録されているので、和製ソフトロック入門者にも最適の一枚となるだろう。
 最後に一言だけ。大変な苦労を伴ったことも聞いている、10年来の土龍団のメンバーの活動ぶりを知る立場としては、今日、赤い鳥やガロの充実したコンプリートBOXが普通に買えるような時代になったのは、9割方は彼らの尽力によるものだと私は思っている(むろん、ウルトラヴァイブの高護氏らシンパの力添えも大きいが)。同世代の誰もがまったく見向きもしないころから、歌謡界という大海の埋もれた和製ソフトロックの名曲を、アルバムの一枚一枚を念入りに聴き込みながら、砂金拾いのごとき入念さで見事な秀作コンピレーションとしてドロップしてきた。あの小西康陽氏もリスペクトする、樋口康雄ことピコの「I LOVE YOU」を発掘したのも、そもそもが彼らである。単なる選曲ごっこに終わらず、資料作成にも手抜かりのない考古学スタイルの仕事は、往年のライノレコードと比肩すべきもの。また、私のような性格がズボラで雑な人間にはとてもマネできない、先達の作曲家の方々へのリスペクトの姿勢も讃えるべき彼らの美点である。濱田氏が監修したアルファレコードの歴史は、BSフジのテレビ番組にもなっており、現在は『HIT SONG MAKERS』というDVDボックスにまとめられているので、ぜひご覧いただきたい。

 ところが最近、某音楽雑誌でアルファレコードの歴史をテーマにした連載を始めたライター氏がおり、出典明記や謝辞も一切せずに、多くのプロットを土龍団の仕事から拝借していたりする非礼ぶりで、ファンや同業者を呆れさせている(拙著からのイタダキも多い)。濱田氏は優しいので別に構わないからと言ってはいるが、これまでの氏の仕事を見届けてきたファンの一人としては、ルール無用の行いに正直言葉もでない。
 しかしアルファレコードの社史はいずれ、書かれるべき人によって編まれるだろうから、安心していただきたい。拙者も非力ながら、その節には惜しみない協力をするつもりである。