POP2*5

過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

『電子音楽 in the (lost)world』再び!(作者自身によるプロモーション)

電子音楽 In The(Lost)World

電子音楽 In The(Lost)World

 表題は拙者の近刊で、2005年に刊行された300ページ・オールカラーによる、シンセサイザーなど電子楽器、電子装置を使ったあらゆるレコードを網羅したディスクガイド。なぜいまさらその話を取り上げるかというと、刊行から約2年になるのだが、これがさっぱり売れてないのである。日本最古の現役映画評論家、双葉十三郎氏を気取って全原稿一人で執筆に挑戦したり、掲載ジャケット点数も1600作品という、紹介枚数はギネス級に匹敵するディスクガイドに仕上がっていると思うのだが、まあコンテンツが肉厚でもジャンルがニッチだからなあ……。やっぱ「クラフトワークディーヴォも出てこない電子音楽本」という、天の邪鬼なコンセプトが逆に徒になったのか(笑)。実は版元のアスペクトの倉庫にも在庫が残っていて、販売の方々からもブーブー言われており、このままでは断裁→絶版の憂き目にあうやもしれず。これが最後のチャンスとばかりに、ブログの来客の皆様に再度、恥をかなぐり捨てて著者自身がプロモーションすることにした。どうか、お付き合いくだされ。
 前著『電子音楽 in JAPAN』でも付録としてディスクガイドページを設けているが、読んだ友人から「神谷重徳の『ムー』と久世光彦のドラマ『ムー』のサントラを並べたのはギャグのつもりだろう。くだらない」と鋭い指摘を受けたことがある。が、慧眼である。私はこういう、しょーもない仕掛けが大好きなのだ。『電子音楽 in the (lost)world』もそういう著者が書いた本であるからして、盤のセレクトもかなり普通じゃないというか、ツウが唸る感じに微妙なサジ加減がなされている。シンセサイザー落語や講談のレコードを漏らさず取り上げたり、にっかつロマンポルノの女優、寺島まゆみの官能ポエムのレコード『ま・ゆ・み』(シンセは深町純)などをクソマジメに取り上げている電子音楽本というのは、この作者あってこの本という感じ。刊行当時の『サウンド&レコーディング・マガジン』の書評で、横川理彦氏に「日本のシンセサイザーのディスク紹介だけで100ページもある……」と紹介され、たぶん呆れさせつつも、それは褒め言葉なんだろうと好意的に解釈しているポジティヴ思考の持ち主だ。だが、ユーモアとマジメさというのは私にとって表裏一体。テクノポップ・ファンにわりと冷遇されている喜多郎姫神せんせいしょんなどのベストセラー作品の意義牲を、きちっと取り上げているディスクガイドは珍しいのではないかと思っている。有名すぎて逆に聴いている人は実際は少ないか知れない、喜多郎のデビュー作『天界』のマッドな感じはちょっと凄いよ(細野晴臣『コチンの月』を思わせる感じもあり)。姫神せんせいしょんを取り上げたことについては、後日、リーダーの星吉昭氏の自身のウェブで拙著を取り上げていただいたこともあった。その直後にお亡くなりになられたのが残念である。
 ともあれ、アカデミックな電子音楽と、後のテクノポップの名盤を一冊にドッキングするという、非常にわかりにくいコンセプトの本ゆえ、改めて章ごとに解説を加え、読むときの一助にしていただければと思っている。また、刊行後に奇跡的にCD化が実ったものもあるので、そのへんの情報もフォローしておこう。

1、アーリー・エレクトロニクス

電子音楽 in JAPAN』でも触れているが、1950年代にドイツが敗戦からの再建の願いを込めて、テレビ局にあった検波用のオシレーター(発振器)と、フォン・ブラウンV2ロケットなどとともにナチスが残した有意義な発明のひとつ、テープ・レコーダーを使った新しい芸術として誕生させたのが「電子音楽」。そして、その少し前に、20年代デュシャンらのシュールレアリズム思想を背景に、同じく現実音をアセテートのレコード・カッティング装置やテレコで合成することで、新しい音楽の創造を夢想したのが「ミュージック・コンクレート」。この2つが今日の電子音楽、サンプリング・ミュージックのルーツとされている。だが、現実に電子音による作曲を最初に試みたのは、アメリカの現代音楽のカリスマ、ジョン・ケージが先。彼はフィリップスのオーディオ・チェック用のサイン波が記録された78回転のディスクをスクラッチすることで、世界最初の電子音による作品を世に問うた。そんな無手勝流の電子音楽の歴史が、新大陸アメリカには刻まれている。遡れば19世紀末の、エジソンニコラ・テスラが一騎打ちする、発明狂時代にそのルーツあり。そんな、従来のアカデミックな電子音楽史で扱われてこなかった、さまざまな電子楽器による新しい概念の音楽創造の試みを、ざっくりとまとめてみたのがこの章。イタリアの未来派の記録レコード(後に坂本龍一がオペラ『LIFE』で同音源を引用)から、ルー・リード(ヴェルヴェッド・アンダー・グラウンド)『メタル・マシーン・ミュージック』、ゴドレイ&クレーム『ギズモ・ファンタジア』といった70年代の創作楽器の時代まで、歴史軸に幅を持たせて取り上げている。特筆すべきは、オランダのフィリップス物理研究所の研究員だったトーマス・ディセヴェルトの、全集のCD BOX化であろう(ぎりぎりリリースが間に合ったので、18ページにジャケ写真を掲載)。坂本龍一に通じるフランス近代音楽の流麗なコードワークと、マッドなリズムの混淆。ヤン富田テイ・トウワ砂原良徳らも魅せられた50年代の奇蹟のサウンドを、ぜひお試しいただきたい。テルミンのページで取り上げている、94年のサンダンス映画祭で上映されたドキュメンタリー『テルミン』は、執筆当時は米国版のVHSのみしかなかったが、後に劇場公開されて現在は日本語版のDVDも入手可能。この章はもともと、CD時代になって初めて公開された作品も多いのだが、刊行を前後して『Gullivers Travels』、ビル・ホルト『Dreamies』(未発表の楽章を追加して再発)、ジミー・ハスケル・アンド・ヒズ・オーケストラ『Count Down!』、ディーン・エリオット『Zounds! What Sounds!』、アンドレ・オデール『ジャズはジャズ』(紙ジャケの日本盤CDはアートワークは別ヴァージョン)、『Les Meledictus Sound』などがCD復刻されている。

2、ミュージック・コンクレート

40年代にシュールレリズム芸術の聖地、フランスで産声を上げたのが、自然界に存在するあらゆる音をテープ上で合成して“作曲”を試みる「ミュージック・コンクレート」。ドイツの電子音楽に先駆ける概念ゆえ、同時代にレコード化された作品は決して多くはないが、歴史を振り返る上で、主な作品をレコードとアーカイヴCDからとりあげてみた。1998年にミュージック・コンクレート生誕50周年を記念して数々のコンピ盤もリリースされているが、ピエール・ブーレーズが監督を務める国立の音楽機関IRCAMの作品群でわかるように、現代の末裔のスタイルは電子音とサンプリングが入り交じったもの。今日、エレクトロニカと総称されている作品も、フランス伝統のミュージック・コンクレートのジャンルとして同国では扱われているのに、フランスらしい矜持を感じる。この中では、ピエール・アンリの作品をまとめた4つのCD BOXが入手しやすい。ピエール・シェフェールのカートン入りCD BOXは稀少だったが、ジャケットを改めたジュエル・ケース入りの3枚組としてINA GRMから復刻されている。

3、海外の電子音楽

海外には、すでにアカデミックな分野に限定した電子音楽のディスクガイドは数々存在していたため、本書では50〜60年代の黎明期にスポットを当て、珍しいレコード時代の作品を中心に編んでいる。よって、カールハインツ・シュトックハウゼンジョン・ケージなどのディスコグラフィは、専門書に譲って、アメリ電子音楽の始祖であるオットー・ルーニング&ウラジミール・ウサチェフスキー、ゴードン・ムンマ、モートン・サボトニック、ジョン・アップルトン、ヘンリー・ジェイコブス、ヘンク・バディングスなどの傍流系をきちんと取り上げてみた。コロムビアプリンストン電子音楽センターのみ、作家別ではなく重要キーワードとしてクローズアップ。放送局設備を利用していたヨーロッパや日本と異なり、アメリカの電子音楽研究は主に大学内で行われているものが多く、こうしたアカデミズムの歴史からドロップアウトする形で、後のシンセサイザーの章で取り上げている『スイッチト・オン・バッハ』のウォルター・カーロス、映画『地獄の黙示録』のパトリック・グリースンなどの作家が登場してくる自由度がアメリカにはある。ミルトン・バビット『Ensembles For Synthesizer』、マックス・ニューハウス『Electronics & Percussion』は日本のソニー・クラシカルからCD復刻。J.D.ロブ『Electric Music From Razor Blades To Moog』、ヒュー・ル・ケイン『Pionieer In Electronic Music Design』、ヘンリ・ジェイコブス『Radio Programme』、ドッグ・ステイダー『Omniphony』などが、その後CD化されている。ヘンク・バディングス『ヴァイオリンと二つのためのサウンド・トラックのためのカプリチオ』はペリー&キングスレイを思わせるポップな組曲だが、これもBastaから出ているオランダの電子音楽集『Popular Electronics』というCD BOXでまとめて聴ける。

4、コンピュータ・ミュージック

現代では音楽制作にコンピュータは不可欠なものだが、ポピュラー音楽の世界でコンピュータ(シークエンサー)が使われ始めたのも、YMOのデビュー作あたりの77〜78年からと歴史は浅い。本章で扱っているのは主に現代音楽の世界におけるコンピュータ作曲の作品群で、57年にイリノイ大学の数学者、レヤーレン・ヒラー、レナード・アイザクソンらによる弦楽四重奏曲イリヤック組曲』を嚆矢とする。そこで試みられたのは、ヨーロッパのトレンドだった12音音楽の作曲のための演算装置としてのコンピュータ利用だった。だが、後にプロセッサの高性能化に併せ、コンピュータ自体をオシレータとして用いる、今日のサンプリング(PCM)のルーツ的な発明が、ニューヨークのベル研究所から誕生。この章では、作曲とシークエンスにコンピュータを用いる前者の流れと、コンピュータをオシレータとして用いる後者の2つの流れの両方を扱ってみた。レヤーレン・ヒラーの作品集には、85年のつくば科学万博のために書かれた「Expo '85 For Multiple Synthesizer」なども含まれているが、コンピュータ音楽の始祖として本章には欠かせない人物ゆえ、「エキジビジョン」の章ではなく、便宜的にここに組み込んでいる。私がレーベルから直接購入し、長いお手紙をいただいたりした、ジェームス・テニー『Selected Workd 1961-1969』は、デッドストックCDを日本のタワー・レコードが発掘できたおかげで、今日では入手しやすくなった。YMO「来るべきもの」のルーツとも言える「For Ann (Rising)」の荘厳な無限音階をぜひ堪能あれ。逆に、本書リリース時には初心者にも入手しやすかったイヤニス・クセナキス『Electro-Acoustic Music』は、廃盤のため現在ではウン万円の値段になってるんだとか。ゆえに現代音楽のCDは、タッチ&バイの世界なのだ。

5、海外のサウンドトラック

映画大好きの拙者の本領発揮。サウンドトラック盤蒐集の趣味がこんなところで役に立つとは。ここでは、『モンド・ミュージック』のヤン富田氏の電子音楽講座でも取り上げられている、ルイス&ベベ・バロン『禁断の惑星』に始まるハリウッド〜ヨーロッパの電子音楽スコアの歴史をダイジェストしてみた。その歴史はドイツの電子音楽の正史よりも古く、映画の都フランスでは20世紀初頭の黎明期の電子楽器オンド・マルトーノが、ハリウッドでは産声を上げたばかりだった40年代のSF映画やスリラーのスコアにテルミンが使われ、電子音がファンタジー映画の演出に一役買っていた。ミクラス・ローザ『白い恐怖』など、ここでもヒッチコック作品が重要な位置を占めているが、「アーリー・エレクトロニクス」の章で紹介しているドイツのオスカー・サラも、トラウトニウムの冷たい電子音による『鳥』のサスペンス・スコア(バーナード・ハーマンと連名)で著名な存在だ。フランツ・ワックスマンからヴァンゲリスまで、ページ数の関係で50年の歴史をざっと洗うにとどめておいたのだが、それでも佐藤允彦が映画PR用に作った『メテオ』のシングル、全編の音楽を東海林修シンセサイザー・スコアに差し替えて本邦上映されたジョン・カーペンター監督『ハロウィン』の日本のみのサウンドトラック盤など、当時の映画文化の爛熟ぶりを伝えるちょっとユニークなものは意識的に取り上げた。このうち、バーナード・ハーマン地球が静止する日』、ジョン・サイモンがプロデュースした珍盤『You Are What Tou Eat』(日本のみ紙ジャケ化)、『白昼の幻想』、ウェンディ・カーロス『トロン』、エンニオ・モリコーネ『地獄の貴婦人』(別ジャケット)、キース・エマーソン『ナイトホークス』(海賊版くさいけど)などが後年CD復刻された。特に近年は映画生誕100周年の影響もあって、貴重な映像の復刻が盛んなのは嬉しい限りだが、筆者未見だった『アウター・リミッツ』は全作品がDVD BOX化。自慢の2枚組のサントラ盤を本章で紹介している、カナダの映像作家ノーマン・マクラレンについては、日本のジェネオンから出た3枚組BOXに刺激を受けてか、今年フランスで7枚組のDVD BOXがリリースするに至り、さすがの私もビックラこいた(もちろん入手済み)。『シャイニング』の項で指摘している、映画本編で使われなかった幻のウェンディ・カーロスの未使用スコアにまつわる拙者の推理は当たっていたようで、その後、カーロス自身のレーベルから出た『Rediscovering Lost Scores』という2枚のCDシリーズで残りのトラックは日の目をみた。フランソワ・ド・ルーベに至っては、その後に正式な電子音楽作品集としてVol.1、Vol.2が発売されており、ここでもステファン・ルルージュの監修仕事が光る。ちなみにステファンは、濱田高志氏の友人でもある。

6、エキジビジョン

章タイトルがやや無理矢理っぽいが、日本の電子音楽の発展史において、NHK放送プログラムや万博といった、国家がパトロンを務めたイベントが重要な役割を果たしてきたことから、ここではオリンピック、万国博覧会などの行事もののレコードを集めてみた。実は著作権の扱いの複雑なものが多く、大半が会場内でのみ売られていた非売品レコードで、今日CDで復刻するのが難しい音源が多い。だが、万博研究家でもあるジェネオン森遊机氏の長年の尽力によって、東宝映画『日本万国博』の素材となった膨大な音声アーカイヴがなんとDVD BOX化。当時の万博会場で流されていた電子音楽の片鱗に触れることができるようになった。『電子音楽 in JAPAN』取材中には夢にも思わなかった復刻の実現に、小生は感動を禁じ得ない。ここでも、ごく一部CD復刻されているものもあり、大阪万博武満徹、イアニス・クセナキス『スペース・シアターEXPO'70鉄鋼館の記録』はジャケット改訂でタワー・レコードから再CD化、冨田勲『EXPO'70東芝IHI館』は盤起こしになるが『喫茶ロック エキスポアンドソフトロック編』にその冒頭部分を収録、つくば万博のキャンペーン・ソングだったTPO「HOSHIMARUアッ!」は拙者が選曲したオムニバス『テクノマジック歌謡曲』で初CD化。坂本龍一『TV WAR』は晴れてDVDに、同じく教授が手掛けた住友館「空に会おうよ」はミディから出たCM作品集に収録された。

7、日本のサウンドトラック

拙著『電子音楽 in JAPAN』のストーリーの中核をなしているのが、冨田勲宇野誠一郎といった作曲家らによる、70年代初頭のテレビ、映画界の劇伴に於ける電子装置の実験の数々。ここではそんな映像音楽のサウンドトラックで電子音が旺盛に使われていたケースに着目し、テレビ、映画のサントラ盤を集めてみた。実は資料として、正式な日本の映画音楽を体系的にまとめたものは、下巻が未完のまま著者が逝去してしまった、秋山邦晴『日本の映画音楽史』ぐらいしかないため、拙者の歴史観もあくまで個人的なもので心許ない。このあたりは、ぜひ濱田高志氏による本格的な歴史書の執筆に期待したいところ。ここでは、小学館からのCD全集が無事完結した武満徹の、小林正樹勅使河原宏作品における使用例などをとっかかりに、大野松雄が電子音で日本のSFサウンドの原型を作った『鉄腕アトム』に始まる、冨田勲宇野誠一郎作品を含む虫プロ・アニメの音楽、『仮面ライダー』などの特撮ドラマの時代を飾った、渡辺宙明、菊地俊輔のスリラー・スコア、『西遊記』『水滸伝』などでロック×シンセ・サウンドの融合を試みたゴダイゴの足跡などを駆け足で紹介している。いまだ復刻にはさまざまな障害が伴う、武満と並ぶもう一方の雄、黛敏郎については、東宝ミュージックが原盤を持っている『黛敏郎の世界』がポリスターでCD復刻。ワーナーでCD復刻されて以来、ずっと入手困難だった『鉄腕アトム 音の世界』は、そのダイジェストに東宝映画『惑星大戦争』のサウンドエフェクト音などをコンパイルした形で、拙者がライナーを担当したキングレコードのシリーズ『大野松雄の音響世界』(全3巻)にまとめられた。実はリメイク版の『鉄腕アトム』、『鉄人28号』もひっそりとCD化を果たしているのだが、前者には某大物ロック・バンドのヴォーカルH氏が下積み時代に“アトラス寺西”名義で歌った、貴重なトラックが収録されている(知人のF氏情報)。最初のCD化(ただし編集ヴァージョン)が少部数だったためレア化していた、松武秀樹がプログラミングで参加している『電子戦隊デンジマン』も、ライナーノーツなどは割愛されたがフルサイズでの復刻は先日が初めて。大野雄二&ギャラクシー『キャプテン・フューチャー』のLPは、ヒデ夕木が歌った第一シーズンのシングル音源などと併せて2枚組の豪華CD復刻に。ミッキー吉野グループ『小さなスーパーマン ガンバロン』、佐藤勝『ブルークリスマス』などの音源は、特撮番組、東宝まんがまつりなどのコンピレーションBOXで各々取り上げられ、主題歌以下、本編の音楽も抄録されている。

8、アドヴァタイジング

次章「海外のシンセサイザー音楽」に組み込んでいる放送局ジングル用のライブラリー・ディスク同様、全貌が知らされていないのが、テレビ・コマーシャル音楽の世界。「アーリー・エレクトロニクス」の章で紹介している、レイモンド・スコットのCM音楽を集めた『Manhattan Reserch Inc.』で聴ける音源でわかるように、潤沢な予算で作られ、かつ新しモノ好きのクライアントを魅了していたコマーシャル音楽が、ポピュラー音楽の世界で電子サウンド普及に一役買っていたのは歴史的事実である。BBCラジオフォニック・ワークショップのエントリーで記したように、ビートルズピンク・フロイドがいち早く電子音楽的試みにトライしたルーツにあったのも、子供時代にブラウン管を通して聴いた同スタジオ制作の面白い創作ジングルの数々。レイモンド・スコットも後にビリー・ゴーディに招かれ、モータウンの技術職として77年に逝去するまで働いており、レコード盤では知ることができない電子音楽とロック、ポップスとのミッシングリンクがここにある。わずか1ページと心許ないが、ここではそんなコマーシャル音楽をまとめた、当時の非売品レコードを取り上げてみた。どれもが当時流行だったソフト・ロックサイケデリック電子音楽を融合したスバラシイ音ばかりで、「海外のシンセサイザー音楽」の章で取り上げている商業リリース盤など比較にもならない、完成度の高いこちらのほうが入手困難なのはどうしたものか。このうち、ギミック・サウンドで定評のあったコマンドから出ていたザ・ヘラーズ『Singers...Talkers...Players...Swingers...& Doers』のみ、のわんと先日CD化を果たしている(その話で先日、『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』の著者、はるぼら氏と盛り上がる)。ザ・ヘラーズについては、その活動母体だったヘラーズ・コーポレーション(ヘラーズ・アド・エージェンシーの表記はまちがい。失敬)の足跡を記録したレコードを2枚入手したので、いつかどこかで紹介できると嬉しく思っている。

9、日本の電子音楽

拙著『電子音楽 in JAPAN』でその誕生〜黎明期の歴史を綴っている、NHK電子音楽スタジオで生み出された、初期の電子音楽作品群。ドイツが敗戦から再建の願いを込めて、未来芸術のひとつだった電子音楽にいち早く取り組んでいたのは知られるところで、同じく太平洋戦争で同盟国(敗戦国)だった日本、イタリアも、世界に先駆けて電子音楽に着手している。だが、ドイツの電子音楽の手法が、各国からの留学生によってイタリア、オランダなどに持ち帰られ、それが正統に継承されたヨーロッパ諸国と異なり、日本では電子音楽の現場を知っているのはせいぜい留学経験のあった諸井誠ぐらいで、エンジニアも作曲家も無手勝流で歴史を紡いできた。よって、大阪万博に向かう60年代末の日本の電子音楽は、世界でも類を見ない独自性を獲得していた。それらの作品は、NHKという放送局で作られる特性上、毎年秋の芸術祭の時期の特番で放送されるだけ(NHKには第一次放送権しかない)なため、後進が耳にする機会はかなり限られていたが、それでも秋山邦晴監修によるビクターの『日本の電子音楽』『日本の電子音楽'69』など、数少ない傑作コンピレーション盤が存在する。NHK電子音楽スタジオの初期のエンジニアだった塩谷宏(冨田勲に、モーグシンセサイザーの結線の手ほどきをした人でもある)が、晩年に大阪芸大で教鞭を執っていたころの教え子らによる、サウンドスリーから発売されている『音の始源を求めて』シリーズ(現在4巻まで、タワーレコード、オメガサウンドなどで取り扱い中)は、その伝統を継承する名企画。こうした、わずかではあるが日本の電子音楽の歴史を記録したディスクを集めたのがこの章。実はNHK電子音楽スタジオで作られた作品は、当時作曲家自らの手で私家版としてレコード化されているものも多いのだが、非売品ゆえ入手困難で本書でもフォローできてはいない。その後、市井の研究者、川崎弘二氏による労作『日本の電子音楽』でかなりの数のプライベート盤をフォローされているので、詳しくはそちらを読まれることをお薦めする。『電子音楽 in JAPAN』執筆時の取材で、NHK電子音楽スタジオの作品リストの現代音楽のお歴々の名前の中に、ジャズ作曲家の三保敬太郎(『11PM』の主題曲で有名)の名前を発見。それを起点に、当時NHKで仕事をしていた冨田勲宇野誠一郎らの電子音楽的試みがあったことを、拙著ではストーリー仕立てで紹介している。実は当時、チャーリー・パーカーが12音音楽的なソロを披露したり、武満徹がジャズの影響を公言するなど、現代音楽と前衛ジャズは近しい位置にあった。そこでこの章では、高橋悠治によるポピュラー作品群や佐藤允彦富樫雅彦フリー・ジャズ系のミュージシャンの作品にまで幅を広げて取り上げてみた。このあたりも近年、CD復刻が盛んな分野であり、小杉武久のソロやタージ・マハル旅行団の3作品は、Pヴァインやメトロトロンの芝省三氏のレーベルから紙ジャケで復刻。大野松雄の唯一のソロ『そこに宇宙の果てを見た!?』は拙者も参加したキングレコードの作品集に完全収録。同スタッフによる、坂本龍一+土取利行がコジマ録音に残した『ディスアポイントメント・ハテルマ』も紙ジャケ復刻にこぎ着けた。高橋悠治の一連の作品は、CD版はずっと入手困難だったが、先日コロムビアミュージックエンタテインメントから全紙ジャケでリマスター再発。三善晃『音楽詩劇 オンディーヌ』も現在は廃盤だが、別ジャケで一度CD化されている。

10、海外のシンセサイザー音楽

ここではウォルター・カーロス『スイッチト・オン・バッハ』を嚆矢とする、モーグ、アープ、EMSなどを使用した世界のシンセサイザーのレコードを、可能な限り各国のコレクター氏の協力で集め、75ページ近くのボリュームでまとめたもの。カーロス以下、ジャン・ジャック・ペリー、ガーション・キングスレイ、ブルース・ハークなど主要作家については、ディスクをまとめて作家別のプロフィールを紹介している。『スイッチト・オン・バッハ』がクラシック・レコードとしては異例の100万枚ヒットを記録したことから、各レコード会社や録音スタジオがモーグのモジュールをこぞって購入(日本でも青山ビクター・スタジオが導入)。当時の流行歌を、楽団とチープなシンセ・サウンドでカヴァーした企画モノのレコードが山ほど作られた。この章で現在、もっとも音楽通の間で評価が高いのは、ディズニーランドの「エレクトリカル・パレードのテーマ」の原曲を手掛けた、ジャン・ジャック・ペリーとガーション・キングスレイのコンビの仕事だろう。日本では現アプレ・ミディの橋本徹氏が、サヴァービア・スィート時代にヴァンガードの契約先だったキングレコードから世界初のCD復刻を実現。山本ムーグ氏(バッファロー・ドーター)のアートワーク、監修の下、拙者もちょろっと関わらせていただいた。立花ハジメヤン富田氏も謝辞を寄せているキング盤は廃盤になったが、この日本盤が世界的再評価の火を付ける格好となり、現在は輸入盤のほうで入手し易くなった。もうひとつ、日本では以前から有名だったのが、電気グルーヴのカヴァーで知られるホットバターの「ポップコーン」。ノベルティ・レコードとして世界で100万枚のヒットとなったが、実はこれもガーション・キングスレイの作品。ホットバターが取り上げる前に作曲者自らのモーグ・ヴァージョンが存在しており、70年にその国内リリースを手掛けたのが後にアルファレコードを設立する村井邦彦氏だったという意外な歴史もある。この章についても、近年、CD復刻が盛んで、以下、主なものだけあげておく。カーロスの全作品は自身のレーベルから全CD化。デビュー作から「ブランデンブルグ協奏曲」までのバッハ作品は、CD BOXにまとめられた。ペリー&キングスレイは、オリジナルの2作および各ソロのCD化が一巡を終えた感じだが、非売品だったモンパルナス2000のライブラリー音源(なぜか『ウルトラマンA』や石立鉄男ドラマの劇中で多用されている)まで手を付けられており、現在まで2枚のコンピレーションCDが発売されている。ロン・ギーシン(ex.ピンク・フロイド)やデヴィッド・ヴォーハウス(ホワイト・ノイズ)がイギリスのKPMに残した非売品音源も、KPMのアーカイヴCDやサブライセンスのコンピ盤などに抜粋して復刻。ブルース・ハークはその半生がドキュメンタリー映画にもなり(DVDで入手可能)、『Bite』までの全作品が日本でのみCD化された。ギル・トライザルのカントリー・モーグ・シリーズも紙ジャケ復刻は日本のみの快挙。ベルギーのダン・ラックスマンが残した、テレックス結成前の青写真的アルバム『Disco Machine』(ジ・エレクトロニック・システム)のデジパック復刻には驚いた。ロシアのエドゥワルド・アルテミエフの音源は、子息のアルテミー・アルテミエフが主宰するエレクトロショック・レーベルに原盤が集められ、入手は容易ではないがかなりの作品がCDで聴けるようになった。ホットバターは2 in 1のベスト盤で全作品を網羅。ディック・ハイマンは、『21世紀の旅路』が輸入盤で、メリー・メイヨーとの『ムーン・ガス』が日本盤で入手可能になった。ジョン・キーティングは『Space Experience』シリーズの1、2が2 in 1でCD化。ジャック・クラフトとラリー・アレクサンダー『シンセサイザー1812年”』はヘタレな別ジャケットによる地味なCD化だったので、復刻に気付かなかった人も多いかも。フランク・ザッパなどとの親交から、サイケ・ファンに名の知れたヴァイヴ奏者、エミル・リチャーズの2作品も日本でのみ復刻。マーティン・デニー翁が自らモーグに挑戦した、YMOの出現を予告している名盤『エキゾティック・ムーグ』は「クワイエット・ヴィレッジ」1曲のみ、ヤン富田氏監修の最初のコンパイル『ベリー・ベスト・オブ・マーティン・デニー』に収録されているが、現在は入手困難かも。ほか、ジョン・アンドリュース・タータグリア『Tartaglian Theorem』、ロジャー・パウエル『Cosmic Furnace』、スザンヌ・チアニ『セブン・ウェイブス』(ジャケ少々改訂)、ティム・クラーク『The Last Question』(但しマスター紛失のため、アンドロイド・シスターズの購入特典として盤起こしCD化)、オッコ『Sitar & Electronics』、ギル・メル『Tome VI』(日本のタワー・レコードが自主復刻)などがCD化されている。

11、デモンストレーション

電子音楽 in JAPAN』では、日本で最初のモーグIII-Pのオーナーとなった冨田勲が、71年にそれを輸入するまでに巻き込まれた有名な「羽田税関事件」などのトラブルについて紹介しているが、冨田氏の回顧インタビューで驚かされたのが、当時のシンセサイザーにはマニュアルというものが存在しなかったこと。付いているのはペラペラの機材説明書のみで、冨田氏はモジュラー・シンセサイザーのあの複雑な操作方法を、ほとんど独学で体得していったという、実に空怖ろしいエピソードがある。なにしろ発明者のロバート・モーグさえ、シンセサイザーの可能性のすべてを知り尽くしていたわけではなく、無限の組み合わせで生まれるサウンドのバリエーションの秘術を一冊のマニュアルにまとめるには、シンセサイザーはまだ技術者にとって未知な部分が大きかったのだ。しかし、未体験の楽器ゆえに初心者にセールスする武器として、必ずレコードやフォノシートなどの音のサンプルが提供された。この章は、モーグ、アープなど、オーナーに配布された非売品のレコードの数々をまとめたもの。モーグ盤にはウォルター・カーロス、アープ盤にはロジャー・パウエルといった著名アーティストが音源を提供しており、その大半が未発表曲というお宝音源集でもある。こうしたサウンドチュートリアルシンセサイザーに限らず、ミュージック・コンクレート入門、電子オルガン、ベル研究所の人声合成のレポート報告など、さまざまな分野で利用されていたようで、ナレーションを交えたデモンストレーション盤の世界も実に多彩。この章の紹介作品は性格上、CD復刻の機会には恵まれていないが、ベル研究所が発表した『The Science Of Sound』のみ名門フォークウェイズのカタログに今でも掲載されており、ジャケットはペラのモノクロコピーのみだが、オーダーメイドでCD-Rが注文可能だ。

12、スポークン・ワード

本書のまえがきで、拙者の同年代の人々が、70年代にレコード店によくあった「SL、効果音、シンセサイザー」というぞんざいな仕切盤の中で、冨田勲YMO(私の郷里は田舎だったので、これマジ)の音楽に出合ったというエピソードを紹介している。ロックでもない、ポップスでもない、かといって全部が全部プログレでもない、当時のシンセサイザーを使ったレコードは、一種の企画ものとして長年の間流通していた歴史があった。よく、はっぴいえんど〜ティン・パン・アレイ時代からの細野ファンの先達が、その流れで買ったYMOのファースト・アルバムを聴いて「なんじゃこの企画モノは」と落胆したというエピソードを耳にするが、当時の光景を覚えている私には、それも無理からぬことと思う。下の世代のファンは、神格化された殿堂入りバンドとしてのYMOから、帰納法的にルーツを辿る人が大半だと思うが、私が最初にYMOに魅せられた79年ごろ、あの伝説的なグリーク・シアターのライヴをレコード店頭のビデオで見た後でさえ、何をしでかすかわからない危なっかしい、正体不明のいかがわしいバンドとして目に映ったものである。実際、シンセサイザーサウンドは「味の素のようなもの」とも呼ばれ、冨田勲が『月の光』〜『惑星』の一連の名作を連発している充実期でさえ、アカデミズムは彼を企画モノ作家として長らく扱ってきたのだ。実際、理系少年だった私がこの分野にのめり込んだのも、純粋な音楽として魅せられたのではなく、映画やノベルティ音楽の回路を経由してのこと。そんな後ろめたさはあったものの、しかし今では映画『ALWAYS 三丁目の夕日』のように、昭和時代にあの仕切盤の下で名作と出合ってきた思い出に郷愁を感じるほどだ。中にはインチキクサイUFOのドキュメンタリー盤や、とてもYMOには及ばない安っすいクラフトワークもどきも無論あるにはあった。魔が差してそういう盤を買ってしまった月の後半は気分はずっとブルーであった。そんな駄盤の歴史さえ、今ではいとおしい。そんな罪作りな企画盤の数々を生み出していたのは、レコード会社の中でも閑職と言われた、当時の学芸部や文芸部。ほとんど一発ギャグというか、まるでみうらじゅんテイストな企画盤のほうが多かったが、MIDIがない時代にスタッフが零細な予算で徹夜して作ったものだから、それでも一分の魂はある。この章は、そんな学芸部、文芸部マインドを感じる、音のドキュメンタリー、語り物などで電子音が効果的に使われているケースを集めてみた。トム・クルーズやシルベスタ・スタローンも入信するカルト教壇、サイエントロジーの入門レコード(なんと名匠ポール・ヴィーヴァーがスタジオ提供)から、セックス教義で知られ、70年代は『平凡パンチ』周辺でモテモテだったラジニーシ導師のコンセプト・アルバム、「もしシンセサイザーとセックスしたら?」をテーマにした『The Sounds Of Love...A To Zzzz』など、泡沫的なアイデアの数々に呆れること必至である。しかしながら、三遊亭円丈桂文珍の「シンセサイザー落語」(蕎麦をすする場面などに、PSY・S松浦雅也氏や平沢進氏らがホワイト・ノイズの音を被せる力業に涙……)や、小池一雄原作の『子連れ狼』を「浪曲電子音楽」(モーグ演奏は佐藤允彦)でドラマ化した盤など、ポッド・キャスティング時代の今だからこそ再評価される未来的芸術も。そんな泡沫盤ばかりなので当然、CD復刻されるケースには恵まれていないが、湯浅学氏、田口史人氏、永田一直氏といった心あるコンパイラーの尽力によって、先の桂文珍シンセサイザー落語を収録した『落語現在派宣言』、ミッキー吉野グループ『残・曾根崎心中●花柳幻舟』、『衝撃のUFO』(但し、マスター紛失により盤起こし)などのCD化が叶った。エド・ウッドの再評価の影響もあってか、フォレスト・アッカーマン『Music For Robots』までが現在はCDで手に入る時代に(とは言え、渋谷すみやぐらいでしか見たことないが……)。

13、日本のシンセサイザー音楽

『スイッチト・オン・バッハ』が日本に紹介されたのは、全米発売の翌69年のこと。前年に資本自由化第一号として、日本のソニーと米国のコロンビア・レコードの合弁会社として発足した、CBSソニーの初期カタログとして大々的に話題を呼び、翌年の大阪万博でもアメリカ館ほか会場内で未来空間を音で演出していた。おそらく、日本の純粋なシンセサイザーの多重録音第一号は、70年にミニ・モーグを個人購入したジャズ・ピアニスト、佐藤允彦モーグシンセサイザーによる日本のメロディー』(71年)だろう。翌年には、一連のカーロス作品をリリースしていたCBSソニーが自社制作によるシンセサイザー盤に着手。ドイツでアープ2600を購入して帰国した沖浩一氏(スカパラの沖佑市氏の実父)の作品と、モーグIIIーPの日本のオーナー第一号、冨田勲氏が74年の『月の光』に先駆けて制作したプレスリーのカヴァー集という、2枚の国産スイッチト・オン・シリーズが同社のカタログに残されてる。ここではそんな、冨田勲を筆頭とする国内のシンセストの作品を、国会図書館の資料を洗いざらいに調べてまとめてみた。松武秀樹氏が冨田スタジオの助手だった逸話は有名だが、YMO前夜までに30枚近くのアルバムを残しており、その大半をここで紹介することができたのは快挙である。また、名もなきシンセサイザー盤のスタッフには、アルバイトで関わった坂本龍一氏や佐久間正英氏、平沢進氏などのクレジットもあり、後のブレイクを予感させる「青の時代」の仕事として、今日意味を持つ盤も。こうした企画盤は現在、作家本人の意向もあって歴史のトランクポケットに封印されているものも多く、CD復刻できないものも多いが、一応数少ないケースを記しておく。冨田勲の『月の光』前夜の「習作“愛”コンポジション」は学校教材向けCDに収録。だが、傑作として知られる「沈める寺」(ローディのCMヴァージョン)を収録した2枚組『冨田勲の世界』は、今回のコンプリートCD BOXに収録されなかったのが惜しい。松武秀樹が冨田スタジオ時代に関わった最初の仕事、竜崎孝路とロック・サクセッション『モーグサウンド・ナウ/虹をわたって』と、松武主宰のMAC時代の作品『幻想曲“星への願い”』『江戸 EDO』は知人の音楽ライター、湯浅学氏の酔狂によってCD化された。YMOファンには「もっともYMOサウンドが近い松武作品」として知られる、松武秀樹&K・I・カプセル『007デジタル・ムーン』と、フォーライフに残した2枚の『スペース・ファンタジー』シリーズ(渡辺香津美の「マーメイド・ブールヴァード」収録!)とも、編集盤としてCDにコンパイル。バッハ・リヴォリューションのオリジナル2作品や、難波弘之のソロは、プログレ専科の『ストレンジ・デイズ』誌が復刻を手掛けている。平沢進氏のプレP-model的仕事として有名な、長州力のテーマ「パワー・ホール」(現在は長州小力のテーマとしても有名)も、何度かのオムニバス収録を重ねており、CD音源を探すのは容易いだろう。多作だがCD化には恵まれていない東海林修作品は、映画『さよなら銀河鉄道999』の2枚組LPが一度曲を割愛して1枚モノでCDされた前科はあったものの、現在はサントラ+シンセイサイザー盤の全音源を収めたCD BOXが発売されている。宇野誠一郎が参加した“ソフト・ロックmeets電子サウンド”な黎明期の作品『21世紀のこどもの歌』は、濱田高志氏が念願の10年越しのCD復刻を実現。拙者もつたないながら、ライナーノーツ解説を書かせていただいた。佐久間正英プラスチックス解散後の初のソロ『Lisa』は、84年にLPと同時にCDも出ているオーディオ・チェック向け作品だが、後にイギリスのPAN EASTから遅れて英国発売されており、こちらのCDのほうがやや入手しやすいかも。ともに子供番組の挿入歌だったシングル、ペグモ「SOSペンペンコンピュータ」、酒井司優子「コンピュータおばあちゃん」は、拙者が選曲・監修した『テクノマジック歌謡曲』『イエローマジック歌謡曲』に収録された。長い間、権利関係が複雑で復刻できなかったツトム・ヤマシタ作品も、現在は全タイトルがCDで入手可。急逝した茂木由多加は、ソロ第一作『デジタル・ミステリー・ツアー』のみ、四人囃子全タイトルのCD復刻の際にユニバーサルのハガクレ・レーベルで紙ジャケ復刻されている。筒美京平が覆面でリリースした、Dr.ドラゴン時代の2つのシンセサイザー使用盤は、ビクター盤が濱田高志氏、東芝EMI盤が湯浅学氏と田口史人氏によってともに復刻。キングレコードに残した清水信之の初期作品『エレクトロ・ポップス・オン・ビートルズ'80』、スピニッヂ・パワー『ポパイ・ザ・セーラー・マン』、ソロ『コーナー・トップ』はすべてCD化されているが、『エレクトロ〜』の悲惨な復刻については別エントリーを参照されたし。久石譲のデビュー作、ワンダー・シティ・オーケストラ『インフォメーション』は、ジブリ・ブームの折に全作品CD化によって復刻が叶った。森下登喜彦がモーグIIIで水木しげる世界をリアライズした『妖怪幻想/水木しげる』の湯浅・田口両氏による復刻CDは、現在では入手が少々難しいかも。YMO結成時にニアミスした、元ハックル・バックの佐藤博が残したシンセサイザー使用盤『オリエント』は、今度まとめてCD化されるという話を聞いた。YMOファンには、細野、坂本のプレテクノ期の習作ソロがそれぞれ収録されていることで知られていた、日立提供のオムニバス『ハイフォニック・ハイフォニック』は、それぞれ別々のコンピレーションで音源の初CD化を果たした後、現在はオリジナルな形で復刻されている。

14、日本のテクノポップ

テクノポップ」という言葉は日本が発祥で、「YMOの世界進出」とともに海外に輸出され、クラフトワーク、ザ・バグルズなどが曲名に採用する国際語となる。だが本書では、この手のディスクガイドで必須とも言うべき、定番のクラフトワークディーヴォなどの「海外のテクノポップ」の項を一切割愛した。それぞれがプログレ、パンクなどの歴史の中に存在する作品を、勝手に日本人がテクノポップと冠した作品が多いため、その定義づけを逡巡する時間もなかったことから、筆者の判断でそういう構成を取っている。そのぶん「日本のテクノポップ」に関しては、フォローすべく緻密に章立てをし、YMOプラスチックスヒカシューP-modelヴァージンVS、サロン・ミュージック、8 1/2ハルメンズ(少年ホームランズ)、一風堂ピチカート・ファイヴ、Shi-Shonen、PSY・S、アーバン・ダンスなど、プレテクノ期にリリースされた稀少盤まで含めて、各グループの歴史を検証してみた。とにかくYMOのカタログだけでも、シングル・ヴァージョンやらメンバー各ソロまでを網羅した上、その説明のしつこさは保証付き。この章については、多くのファンを抱えるジャンルゆえにCD復刻はすでに何巡かを終えた段階だと思うが、加藤和彦YMO三部作、スーザン、一風堂、Shi-Shonen「憧れのヒコーキ時代」『Do Do Do』、アーバン・ダンス『セラミック・ダンサー』、ワールド・スタンダード『ダブル・ハッピネス』といった未CD化ミニ・アルバムなど後手に回っていたカタログも、00年代に入って無事初CD化を果たしている(念願の有頂天のシングルスも3月発売決定とか)。だが、なんと言っても驚かされたのはカセット・マガジンTRAの一連の音源(中西俊夫『HOME WORKS』、ショコラータ『ショコラータ・スペシャル』など)まで復刻されたこと。復刻元のブリッジは、90年代のYMO復刻を手掛けていた元アルファのT氏、ミディ・レコードの元A&Rで元YMOのマネジャーでもあったI氏らが立ち上げたレコード会社である。これに加え、私の『宝島』編集者時代に名物プロモーターとして名を馳せた、元徳間ジャパンのI氏が独立して立ち上げた個性派レーベル「いぬん堂」の復刻プロジェクトも、最近は賑やかな話題を提供している。

15、ジ・アート・オブ・サンプリング

ロバート・モーグ博士が60年代に創造した、あらゆる楽器、自然音を模写できるシンセサイザーは、四半世紀にわたって「未来の楽器」として最前線のポジションに鎮座ましましていた。だが、その表現の限界に誰もが気付き始めていた80年代初頭、当時のPCM技術の粋を集めて作られたサンプラーがオーストラリアから登場。「現実音すべてに音階を付けて演奏できる」この新技術を前にして、万能楽器と呼ばれたアナログ・シンセサイザーの最大のアイデンティティは、一瞬にして過去のものになった。自然音をマイクで取り込み、デジタルの符号として記録するPCMの技術は、今日のプロ・トゥールスなどのレコーディング環境の根幹をなしているもの。だが、当時はメモリがまだ高価だったため、サンプラー一号機だったフェアライトCMIもサンプリング分解能=8ビットという脆弱なスペックでありながら、日本円にして1200万円もする高級楽器であった。むろん、後のヒップホップでおなじみとなるブレイクビーツのように、一小節のフレーズをまるまるサンプルすることなど、夢のまた夢。それでも、81年に「七面鳥をどうやって弾きますか?」という華々しい惹句とともに楽器業界に現れた米国初のサンプラーE-muエミュレーターを始めとするこの新楽器は、65年のシンセサイザー登場以来のインパクトを持って音楽業界に受け入れられた。多くのミュージシャンの創造性を刺激することとなったが、その最たる存在は、YMOの『テクノデリック』とトレヴァー・ホーンのグループ、アート・オブ・ノイズの初期のアルバムだろう。この章では、それがまだ特別な存在だった80年代初頭に、自然音を音楽に取り込むというサンプリング技術そのものをコンセプトに据えた傑作アルバムの数々を集めている。特に拙者肝いりのアート・オブ・ノイズについては、前哨戦として手掛けたマルコム・マクラレン、イエスの諸作からレーザーディスク、ライブラリー・ディスクまでを網羅。他のディスクガイドなら「新しい音楽はすべてテクノポップ」とぞんざいに定義してきた、M、フライング・リザーズ、ゴドレイ&クレーム、OMDなどのカタログも、サンプリング登場以前以後に区分して、そのサンプラー使用第一作のみをクローズアップしている。実はこの本の最終章となるこのカテゴリー。歴史がもっとも新しいものでありながら、CD黎明期の歴史とともに時代の徒花と化しており、実はもっともCD復刻で顧みられていない時代でもある。ザ・バグルズ『Adventure In Modern Recording』は日本でのみ2度CD化、アート・オブ・ノイズのデビュー作『イン・トゥ・バトル』は先日のCD BOXで全音源の初CD化が叶ったばかり。ヒット曲「レッグス」を含むチャイナ期のカタログがずっと入手困難であることは、先日のエントリーで触れた通り。ロビン・スコットがYMO『テクノデリック』の影響を受け、高橋幸宏をゲストに迎えて制作した『Famous Last Words』は、ジャケを改訂してCD化されている。ルパート・ハイン『イミュニティ』も過去2回CD化されているが、一度もオリジナル・ジャケットで復刻されたことがない変わり種。OMD『ダズル・シップス』も、なぜか現行CD版ジャケのお粗末なことこの上ない。ホルガー・ヒラーの傑作初期2作は英ミュートで2 in 1でCD化されたことはあるものの、音源違い、ジャケット違い(なんとデザイナーは「空耳アワー」の安斎肇氏)の日本盤は未CD化のままである。ジャーマン・ニュー・ウェーヴ・バブルの追い風もあってか、A.K.クロゾフスキー+ピロレーター『Home Taping is Killing Music』の国内CD化には驚かされたが、ポップス好きの私の愛聴盤であるピロレーター『トラウムランド』、パレ・シャンブルグ『Parlez-Vous Schaumburg?』などの80年代中期作品は、カリスマ度が低いせいか各々一度CD化されたっきり。トニー・マンスフィールドのニュー・ミュージック『ワープ』の初CD化は、日本のみの快挙である(ボーナス曲のアプルーバルとライナーは拙者が担当)。最終ページは、拙者も敬愛する「日本のアート・オブ・ノイズ」ことTPOの作品群で1ページを構成。コーネリアスの番組『中目黒ラジオ』で紹介され、近年再評価の高まっている「Sundog」を収録した名盤『TPO1』のリマスター復刻を、私は誰よりも切に願っている。


 以上、全章を駆け足で紹介してみたわけだが、話が長すぎだっつーの! だが、そんな目いっぱい情報を詰め込んだ一冊であるから、ぜひご購入いただいた後、チマチマと時間をかけて楽しんでいただければと思っている。一応、同じ版元ということもあり、例の『イエロー・マジック・オーケストラ』刊行時に、併せて再出荷されると聞いているが、果たしてその話を信じていいものかどうか……(笑)。また以前のエントリーで書いている通り、大型CD店流通分の初回配本分には、ヤン富田氏の作品を収録した非売品のCDとDVDが付いている。まだ初回配本分は都内には若干残っているようで、シュリンクされていて間に何か付録クサイものが挟まっている感じを察したら、きっとそれは特典付きかもしれない!(保証できないので、店員さんに一応、確認してみてね)「『イエロー・マジック・オーケストラ』が出たときに、また改めて」とは言わず、本エントリーを読んで面白そうと思った方は、ぜひ一刻でも早くお求め下され。