POP2*5

過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

12月8日、POP2*0ナイト第1夜<洋楽ロック編>は、イベント版『音楽の正体』でありまする

 前回のエントリで告知させていただいた、青海・東京カルチャーカルチャーで12月8・9日に2デイズでお送りする拙者主催のイベント「POP2*0ナイト」のチケットが発売中である。詰め込みすぎで、まくし立てるように進行した前回のスタイルを反省し、その汚名挽回として、今回は曲をもっとじっくり、トークをもっとたっぷりに構成してお送りする2夜。もう一度、プレスリリースを掲載しておく。


「音で聴く『電子音楽 in JAPAN』」改め、『POP2*0ナイト』2夜連続企画第1弾
<ロック×電子音楽、華麗なる40年の電子ロック実験史を聴く〜ビートルズ「レボリューションNo.9」からトニー・マンスフィールドまで>



【日程】2007年12月8日(土曜日)
【場所】TOKYO CULTURE CULTURE(江東区青梅1丁目パレットタウンZepp Tokyo 2F)
【時間】Open 16:00/Start 17:00/End 21:00(予定)
【料金】前売り2000円/当日2300円(共に飲食代別)
[チケット情報]前売券はローソンチケットにて11/13発売(Lコード:31735)
http://www2.lawsonticket.com/
(内容)
満員打ち止めで幕を閉じた「音で聴く『電子音楽 in JAPAN』」のアンコール企画。駆け足で海外、日本の電子音楽史をレコードで振り返った同イベントには、まだ2/3の未使用トラックが存在した。12月 8日=ジョン・レノンの命日を追悼し、語れなかった黎明期のロック界における電子サウンドの実験を軸にして、もう一つの「電子音楽史」を語る試み。記念すべきメジャーにおけるモーグ使用第1号、モンキーズ『スター・コレクター』(67年)発表から今年でちょうど40周年。本邦未公開のBBCドキュメンタリーから、ジョージ・マーティン電子音楽実験の貴重なフィルム、ザ・フーピンク・フロイドから、映画音楽、コマーシャルなどポピュラー界での電子音楽使用例を残されたレアなレコードで聞く。とどめは主催者肝いりの、80年代電子ポップの至宝、トニー・マンスフィールドテレックス、レアトラック大特集!(予定)。今回は曲もじっくり、トークたっぷりでお送りする。

(出演)
田中雄二/ゲスト:津田大介(『だれが「音楽」を殺すのか?』著者)、ばるぼら(『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』著者) 
著書『電子音楽 in the (lost)world』ほか、『モンド・ミュージック』などアスペクト関連書の物販ブースを併設
※なお、都合によりイベントの撮影、録音はご遠慮下さいますようよろしくお願いします。

(関連ホームページ)
TOKYO CULTURE CULTURE
http://tcc.nifty.com
アスペクト
http://www.aspect.co.jp/



「音で聴く『電子音楽 in JAPAN』」改め、『POP2*0ナイト』2夜連続企画第2弾
<アイドル×電子音楽、21世紀型ポップスの未来を大予測!〜イエローマジック歌謡曲から初音ミク、パフュームまで>



【日程】2007年12月9日(日曜日)
【場所】TOKYO CULTURE CULTURE(江東区青梅1丁目パレットタウンZepp Tokyo 2F)
【時間】Open 16:00/Start 17:00/End 21:00(予定)
【料金】前売り2000円/当日2300円(共に飲食代別)
[チケット情報]前売券はローソンチケットにて11/13発売(Lコード:31877)
http://www2.lawsonticket.com/
(内容)
告知していながら「音で聴く『電子音楽 in JAPAN』」で時間切れでできなかった、主催者が監修を務めた歌謡テクノコンピ『イエローマジック歌謡曲』『テクノマジック歌謡曲』落選曲メドレーを筆頭に、アニメ特撮主題歌&劇伴の歴史など、「電子音楽×歌謡曲」の実験の歴史を音と解説で綴る<ポップス編>。先日の飛び入りゲストだった戸田誠司氏(元 Shi-Shonen、元フェアチャイルド)を今回はフルに迎え、歌謡テクノ愛好家のメンバー3人と熱いトークを繰り広げる。国産モーグ歌謡第1号「思い出は朝陽のように」(70年)に始まるシンセサイザー使用楽曲、前回の終幕を飾った「音で聴く初音ミクの歴史」拡張版やパフューム論まで、レコーディング・テクノロジーや電子楽器を軸にして、歌謡曲を語るイベントは初めての試みかも。秘蔵の人気編曲家のレアなソロアルバム特集なども(予定)。今回は曲もじっくり、トークたっぷりでお送りする。
(出演)
田中雄二/ゲスト:津田大介(『だれが「音楽」を殺すのか?』著者)、ばるぼら(『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』著者)、戸田誠司(元Shi-Shonen、フェアチャイルド
著書『電子音楽 in the (lost)world』ほか、『モンド・ミュージック』などアスペクト関連書の物販ブースを併設
※なお、都合によりイベントの撮影、録音はご遠慮下さいますようよろしくお願いします。

(関連ホームページ)
TOKYO CULTURE CULTURE
http://tcc.nifty.com
アスペクト
http://www.aspect.co.jp/


 このうち、8日(土曜日)は、ロック・マテリアルと海外の映画音楽を中心に構成する、講義スタイルのもの。前回の「電子音楽の歴史」で紹介した、「電子音楽の始まり」→「テクノロジーの発展とともに進化した時代」→「当時ヒップだったジャズ分野とのミクスチャー」までの流れを受けて、その後、60年代末期から始まるロック界、映画音楽界における電子音楽サウンドの導入について、時間軸に沿ってエポックメイキング的な作品を紹介していく。拙著『電子音楽 in JAPAN』でも、このあたりはこまかな事例を挙げて文章で紹介しているが、実際のサウンドを聴きながら辿っていくとより理解も深まるだろう。
 話はかわるが、今から10年ほど前にフジテレビの深夜でやっていた『音楽の正体』という番組のことを覚えている方はおられるだろうか? 似たようなタイトルで時期によってさまざまなスタイルでやっていたと思うので、私自身の記憶も混じっていておぼろげなのだが、この番組は私が初めて見た、音とレコードジャケットを使ってロック/ポップスの歴史を講義する、カルチュアル・スタディー式の番組だった。皆さんもよくご存じの、フジテレビお得意の『カノッサの屈辱』のような講義パロディ形式で、「もし日本の大学にロック学科があったら?」を実践してみたような、ロックを真面目に学問するなんともオモロな番組だったのだ。例えば、私の家にもビデオが残っているものに、「ミュージック・コンクレート編」がある。フジテレビ深夜らしい軽チャー路線の大きな身振り手振りで、19世紀末のイタリアの未来派のノイズ楽器、イントナルモリあたりから、テープ・レコーダーの発明を経て、ビートルズレボリューションNo.9」、ピンク・フロイドアランのサイケデリック・ブレックファースト」あたりまでを、一気に30分で説明していくというもの。私の記憶では、別の回(確かコード進化がテーマ)では、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」あたりから始まるクラシックの全音階の導入が、シェーンベルクの12音音楽へと“進化”していき、最後はなんとユーミン松任谷由実)の「コバルト・アワー」につながっていくという、心憎いセンス。番組の構成をしていたのが、放送作家の渡邊健一氏という方で、私が週刊誌時代に担当した「小室哲哉の曲はなぜ売れるのか?」というテーマの特集のときにお会いすることができた。このときも、いわゆる音楽学者ではない柔軟性で、しかし楽器をやっていたらしく楽典には通じていて、見事な「論理的なハッタリ」をかましていただき、その仕上がりに大変満足したものである(このときの内容も、後日フジテレビの別の深夜番組で使われた)。番組は一部の音楽好きの間で評判を呼び、後にヤマハ音楽振興会から単行本にもなっている。もちろん小生も持っているし、その歴史書を見て初めて存在を知って買ったCDもある。しかし、番組を見ていたときのように、次々と曲を紹介しながら手品のように歴史を紡いでいくようなダイナミズムは、その本にはない。やっぱり、音楽の歴史は、音楽あってのものなのだ。今なら選りすぐりの回を傑作選かなにかでDVD復刻すればウケそうな気がするし、私のようにあの番組のファンで、DVD BOXになってくれたらもう一度見たいのにと思っている人も少なくないだろう。だが、ご存じのように過去作品のDVD復刻で、一番の実現性の壁になっているのが楽曲使用の著作権の問題。裏を返せば、ここがやり逃げスタイルのテレビ番組のうらやましいところ。放送局とJASRACグロスで契約しているために、テレビ番組では使用楽曲の制限がないので、ほぼ台本通りに大物アーティストの楽曲を使って歴史ストーリーを作ることができるのだ。実際は深夜帯の番組ゆえに、予算がない中で作られた苦肉の策の手法なのだろうが、ジャケットと音とナレーションだけでも十分、心ときめくエンターテイメントができるといういい実例だと思った。
 実はこの番組、それまで「ロック嫌い」だった私が、ロックを聴くようになったきっかけの一つでもある。65年生まれの私は、反抗期がちょうどパンク〜ニュー・ウェーヴの全盛期に当たり、80年代後半に向けてスタジオ・テクノロジーが急速な進化を遂げる時代に、リアルタイムに音楽知識を蓄えていった世代。いっさい過去の歴史的名盤を聴かなくても、毎月発売される新譜、新人アーティストに心ときめかせドキドクワクワクしていられた世代なのだ。ブリティッシュ・ロックの神髄とも言えるXTCがマイフェバリットだったので、「XTC聴いてるからビートルズいらね」と、ある時期まで本気で思っていたぐらい(笑)。ところが、85年のスクリッティ・ポリッティ登場あたりから、白人ロックが低迷して黒人ラップなどが台頭してくると、「ロックの進化」の矢印が見えにくくなってくる。ロックであれSF映画であれ、新作に必ず備わっている新機能にサムシング・ニューを感じて聴いてきた私にとっても、あのころは失速を感じる迷走期であった。そんな折り、かつてロックが、クラシックが、ジャズが、ニュー・ウェーヴ以上にニューなウェーヴだった時代を紹介していたのが、同番組だった。そこで私は過去の歴史物語をサウンドで学習し、私の立ち位置というものをハッキリと自覚することができたのだ。「オールドを知ってこそのニュー」であり、現在がすぐさま過去になってしまうロックのスピード感を、過去を学習しながら体感することができた。
 勘の鋭い方はお察しのことと思うが、私が先日やったイベントは、この『音楽の正体』をイベントの形で実践してみたものなのだ。おそらく、こうしたフォームで楽曲をふんだんに使って講義ができるのは、テレビ番組や一部の学校の授業ぐらいなものだろう。それぞれ、とても恐れ多くて私にゃ近づけない世界だが、在野の研究家には在野らしいバイタリティがあるってもの。そこで、普段はフリーなトークイベントが多い同会場で、なんちゃって電子音楽ゼミナールをやってみたのが、あのイベントだったのである。
 65年にロバート・モーグシンセサイザーを誕生させるまで、彼はジョン・ケージなどのアシスタントなどを務め、現代音楽作家のために機材開発に従事していた。例えば、ドイツ、日本、イタリアなどの電子音楽先進国では、放送局内に電子音楽スタジオが作られ、それぞれスタジオを運営する音楽監督の美学に則って、歴史が紡がれてきた。しかし、国営放送がないアメリカの電子音楽史は、機材や環境設備を提供するのは放送局ではなく大学であった。したがって、大学の数だけ電子音楽の流派があり、もともと個人主義的な作家を育む素地があったのだ。ロバート・モーグシンセサイザーを発明したのは、そうした現代音楽作家が、自宅にいながら電子音楽の小規模実験ができるように、コンパクトなスタジオ・システムとして発想したのがそもそもの発端である。その「現代音楽作家のため」の装置を、ポピュラー作家たちが使い始めたところから、『スイッチト・オン・バッハ』に始まるモーグシンセサイザー・レコードの歴史がスタートするのだ。アポロ計画に向けて技術者育成を推奨してきたアメリカは、ロシアとの冷戦雪解けに向けて、60年代末期ごろより宇宙開発競争から撤退。そのため職を失った多くのエンジニアが、コンピュータや計算機、電子楽器などのベンチャー会社を興すことになる。そんな中に、モーグ、アープなどの黎明期のシンセサイザー・ブランドがあったのだ。また、ベトナム戦争特需によって、トランジスタなどのサープラス部品が、安価で手に入る環境にあったのも、アメリカならでは。こうした恵まれた状況が、特に60年代末期、電子楽器の進化に於いてアメリカが世界をリードする要因にもなった。
 モーグシンセサイザーは、65年の誕生からしばらくオーダーメイドで作られ、やがて60年代末より900シリーズと呼ばれる大型の「モーグIII」シリーズをハイエンド機として量産。70年に初めて小型のミニ・モーグを発売し、オーナー(ユーザー)を増やしていく。この時期の普及の過程は、71年の前後に大きく分けることができる。今では電子楽器の代名詞となったシンセサイザーだが、アメリカの国際楽器見本市NAMMショーに初めて登場したのが、誕生から6年もたった71年のこと。ジャズ作曲家であるディック・ハイマンをデモンストレーターに迎えた、小型機ミニ・モーグを紹介するためだった。つまり、それまでモーグシンセサイザーは「楽器」ではなく、富裕層の作曲家、レコード会社、スタジオ、放送局を顧客に、プロユースの「音響機器」として売られてきたのである。
 日本でシンセサイザーという新楽器の存在を知らしめたのは、ほとんどの場合、イギリスのプログレッシヴ・ロックのグループの使用楽器としてだった。キース・エマーソンリック・ウェイクマンらのサウンドが、新楽器=シンセサイザーの音として定着していったのだが、実はそれらはNAMMショーに「楽器」として国際舞台に登場して以降の話。アメリカでは、この沈黙の6年間の間に、知られざるユニークな歴史が生まれていたのだ。アメリカの音楽資料に「メジャーで初めてモーグシンセサイザーを使ったレコード」として記録されているのが、なんとモンキーズスター・コレクター』(67年)。使われたのは、ドラマーのミッキー・ドレンツの所有していた「モーグIII」であり、これはいわば成功したタレントの成金趣味のようなものであった(日本でも最初期のシンクラヴィアのオーナーに、千昌夫がいたのを覚えてる?)。それに続いて、ビーチ・ボーイズ、ゲイリー・アッシャーのサジタリウスなど、西海岸のミュージシャンがいち早く使い出した歴史がある。そこには『地獄の黙示録』、『ボディ・スナッチャーズ』など映画音響で知られる、ビーバー&クラウゼというユニット(楽器レンタル&オペレーター集団)の存在があった。技術者としての彼らの足跡を辿っていくと、ロジャー・コーマンAPIなどとも深い関わりがあったりして、なかなか興味深い。とにかくこの時期に、ヴァン・ダイク・パークスからジョン・サイモン、ザ・バーズ、メイソン・ウィリアムズなどの先鋭的なアーティストが、こぞってこの新楽器に飛びついていたのだ。近年になってボーナストラックなどで聴けるようになったこれらの録音は、とにかくすこぶるオモロイものばかり。今回の講義でも、特にこの最初期のいくつかのレコードをまとめて紹介するつもりだが、ビギナーズ・ラックというか、新楽器を入手した高揚感というか、70年代後期に向けた普及期の10年を通して見ても、もっとも溌剌としたサウンドが聴けるのがこの時期なのだ。
 ビートルズも成功者らしく、解散前にモーグシンセサイザーをスタジオに導入していたグループだが、これはジョージ・ハリスンがジャッキー・ロマックスのプロデュースでアメリカに訪れた際に、シタールのようなノリで現地で購入したモーグIII-P。これを使って、『レット・イット・ビー』、『アビイ・ロード』などの一部のダビングや、ジョージ自身のソロ『電子音楽の世界』などが録音されている。だが、アメリカのように技術に精通したオペレーターはほとんどおらず(数少ない例としてマンフレッド・マンのマイク・ヴィッカーズがいるが、当時はEL&Pのスタッフであった)、なにしろマジック・アレックスごときの三流発明家に騙されてしまうほど、電気に疎いウブなグループでもあったビートルズ。イギリスでの成果は、その後のプログレッシヴ・ロック登場まで待たねばならない。
 しかし、イギリスにはまた別の歴史もある。先日のイベントでもちょろっと紹介した、国営放送BBC内にあった「BBCラジオフォニック・ワークショップ」の存在である。西ドイツ、日本と違い、現代音楽作品ではなく放送向けのジングルを作るために、多くのジャズ音楽家を招いて歴史がスタートしたここは、珍しい「ポップな電子音楽」を数多く生み出していた工房だった。しかも、ヨーロッパなどの男性優位主義的だった多くの電子音楽スタジオと違い、さすが女王陛下の国らしく、デリア・ダービシャー、マドレーナ・ファガンディーニら発想の柔軟な女性作家を多く有していたのが特徴的。ミュージック・コンクレートの技術を使いながら、後のシンセサイザー音楽のようなポップ志向をすでに発揮していた。ここの作品が、BBCの4つの局の放送ジングルとして50年代末期より使われ始め、ビートルズら世代の子守歌として流れていたのである。当時、「レヴォリューションNo.9」など、ビートルズが用いていた現代音楽手法は、日本でも知られていたジョン・ケージシュトックハウゼンの影響と伝えられていた。だが、後にBBCラジオフォニック・ワークショップの存在を知り、むしろここで作られたポップな実験サウンドが、幼少期の彼らの創造性を育んだのではと小生は思っている。実際、ポール・マッカートニーの伝記によると、ポールやストーンズブライアン・ジョーンズらがここに来訪しており、ジョージ・マーティンはレイ・カソードという名義の実験的な電子音楽風ソロ・シングルを同所に残していたりする(今回のイベントでじっくり取り上げる予定)。


BBC Radiophonic Music

BBC Radiophonic Music

 BBCが自社に電子音楽スタジオを設け、ジングルを量産していたのには、演奏家ユニオンの権限が強く、レコード音源の放送使用に制限があったイギリスらしい背景がある。これに加えて、アメリカの初期の電子サウンドに比べ、ビートルズらの音の実験がよりユニークなものになっているのは、そうした情報、スタッフの欠落が、彼らをタフにさせたのかもしれない。また、初期のアメリカの電子音楽周辺が、ドラッグ・カルチャーと深く結びついていたのに対し、当時まだドラッグが入手しにくかったイギリスのミュージシャンたちの場合、スタジオワークによってLSDの酩酊感をサウンドで表現していたのではないかと思うところがある。
 12月8日はちょうどジョン・レノンが銃弾に倒れた命日。たまたま12月に空いていた日程がイベントと重なったことから、ビートルズらロックの先達に敬意を表して、この日はロック特集でまとめてみることにした。実はこれ、店長さんから「毎年、その日はジョン・レノンの曲をかけて追悼している」という話を受けて思いついたもの。おそらく同日には、全国各所のイベント、テレビのワイドショーなどでも「イマジン」ほかジョン・レノンの代表曲が山ほど流れることだろう。だから、せめてここぐらい「レヴォリューションNo.9」でジョンを追悼する珍奇なイベントがあってもよいでしょ(笑)。
 ジョン&ヨーコの手による我流ミュージック・コンクレート「レヴォリューションNo.9」、ジョージ・ハリスン電子音楽の世界』などのザップル路線、ジョージ・マーティン電子音楽シングル、ポール・マッカートニーがフライング・リザーズに挑戦した『マッカートニーII』など、普通のビートルズ・イベントではかからないアナザー・ワークを中心に構成。ビートルズ曲を取り上げたモーグ・レコードは世界に数多く存在するが、リンゴ・スターの曲だけを取り上げたモーグ盤なる珍品がかかったりするのは、ここだけではないだろうか(笑)。
 翌日曜日の「邦楽ポップス編」はフリートーク中心になるだろうが、こちらはぐっとお勉強モードで、前回の続きをお送りするつもり。私が『音楽の正体』を通して遅まきながらロックの面白さに目覚めたように、ぜひ“ロック嫌い”の皆々様に足を運んでいただきたい。ついでなら2日連チャンでチケット買っていただきたい……。ビートルズビーチ・ボーイズフランク・ザッパ、西海岸&東海岸のサイケバンドなど、選りすぐりの面白電子音楽サウンドをコンパクトに体験できる貴重な機会。最初にも書いたように、曲が使えない書籍やウェブコラムでは発揮できない、イベントでしか味わえないパフォーマンスになるものと自負している。前回同様、曲がかかるごとに収録アルバムもちゃんとスクリーンに表示されるので、1曲でも貴兄のお眼鏡に叶うものがあれば、イベント帰りに新橋のHMVに立ち寄ってCD購入に役立てていただければ本望である。
 次回のエントリでは、この回の後半でやるつもりのトニー・マンスフィールドのミニ特集をお送りする予定。チケットは先着順なので、売り切れる前に、ちょっとでも面白そうと思ったらぜひ購入いただけるとありがたい。