POP2*5

過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

「オッ!」と驚く歌謡曲、アニメ劇伴の正体。「80年代日本アレンジャー列伝」

 今から20年前、私の編集者としてのキャリアが『ニュータイプ』(角川書店)というアニメ雑誌から始まったことは以前にも触れた。元『美術手帳』の編集者が立ち上げた『ニュータイプ』はかなり個性的なアニメ雑誌だった。だが、黎明期のアニメ雑誌界はこれに限らず、ツルシカズヒコ氏が在籍していた『OUT』(みのり書房)、ヤクザ情報誌との出版社として有名だった徳間書店から出た『ニュータイプ』(前身は『テレビランド』)など、もともとどの雑誌もアニメ知識ゼロな編集屋が立ち上げたものばかりだったという。実はツルシ氏は、私を今の会社に迎えてくれた張本人であり、元々は『宇宙戦艦ヤマト』より野球が好きな、エッチな雑誌の編集者だった人である。みのり書房時代の武勇伝をよく聞かせてもらったのだが、中森明夫氏、赤田祐一氏といった、あの週刊誌で書いていた面々は、ツルシ氏が『OUT』編集者だった時代からの長いつきあいなのだ。ツルシ氏と同世代にあたる、大塚英志氏、竹熊健太郎氏らが書いているサブカルチャー回顧の原稿に、70年代末期に彼らがいたエロ雑誌業界が、そのまま日本のサブカルの源流になっていたという話が出てくる。いわばこれに似た流れが、ごく初期のアニメ雑誌界にもあったのだ。
 一時、『クイックジャパン』がやたら北山耕平氏のご機嫌取りをしていて、ポスト『宝島』でも襲名したいのかと思わせるほどサブカルづいていたころがあった。だが、私が『宝島』にいた時期の前後を振り返って思うに、日本ではハイカルチャースノビズムはその自虐観から早期に自滅していったように見えた。それより、『ふぁんろーど』という同人誌専門誌が一時『ニュータイプ』を脅かすほど部数を伸ばしたり、同人誌即売会電通並みの事業規模に育って、世界で認められる唯一の芸術としてアニメが認知されたり、あるいはサーヤ様のご希望で『アニメージュ』が皇室御用達誌として認定されたり(ちなみに、皇室御用達というのは同ジャンル誌は一つに限定される決まりがあるので、彼女は民間人になるまではライバル誌の『ニュータイプ』は読んでなかった理屈になる)、そっちのほうがよほどサブカルチャーとして、時代を大きく動かす力があったように思う。「いい歳をして……」というような世間からの冷たい眼差しを受けたりするルサンチマンも、カウンター意識としてのエネルギー源になっていたと思うし(むしろ、ロック文化は最初からモテたし、過保護にされていたように思う)。
 ただ、今のアニメ業界は完全に経済的優位に立つマスカルチャーだと思うから、すっかり“勝ち組”の様相である。私らのいる音楽業界とは比較にならないほど、皆がお金持ちになっていてうらやましい。そういえば、『クイックジャパン』ばかり責めて申し訳ないが、とっくにアニメが産業として隆盛した後の時代だってのに、彼らが一時「サブカルチャーとしてのアニメ」と言ってそれらを祭り上げていたのをよく見かけたが、「アニメはマスカルチャーだろ」と、そういった記述を見るたびに齟齬を感じたのを覚えている。
 で、そんな混沌とした時代に、私は初期の『ニュータイプ』で仕事をさせてもらったわけだが、そこで一つだけ、私の特殊な才能を認めてもらえることがあった。80年代中頃、私が信奉していたミュージシャンの多くが、アニメの劇伴の仕事をやっていたのである。劇場アニメ『王立宇宙軍 オネアミスの翼』の音楽を坂本龍一氏が手掛けたり、ニュー・ウェーヴ系ミュージシャンがアニメ作品の音楽に参加する、ジャンルの横断化が活発になり始めた時期だったのだ。現在も『ケロロ軍曹』を鈴木さえ子氏、『N・H・Kにようこそ!』をパール兄弟がやっていたりするが、そのような流れは、あの時代に生まれたものである。そして、おそらくその時期、私はアニメ雑誌の編集者として、劇伴作家にもっとも詳しい書き手ではなかったかと思う。
 私が物心付いたころのアニメ音楽と言えば、劇伴はほぼローテーションで専業作家が手掛けていたし、主題歌もささきいさお水木一郎堀江美都子といった日本コロムビアの文芸部所属歌手が毎シーズン、入れ替わりで受け持っていた。リメイク版『サイボーグ009』のように、平尾昌晃氏のようなポピュラー畑の人が受け持つことはあった。だが、平尾氏の「主題歌をゴダイゴタケカワユキヒデに歌わせたい」という希望があったのに、ディレクター判断で採用されなかったという話を聞いたことがある(代わりに歌ったのが、なんとスモーキー成田賢!)。タケカワ氏にはもう一つ面白い話があって、その後NHKでやった『キャプテン・フューチャー』というアニメの主題歌の時も、作曲者の大野雄二氏がタケカワ氏が歌うことを所望して彼のキーで録音までしたのに、別の歌手(「この木なんの木」のヒデ夕樹)に無断で変えられて番組がスタートしていたのだという。タケカワ氏は音楽業界一のマンガ好きなわけだし、このへん、アニメ音楽の世界の閉鎖性が垣間見れる話である。
 そんなアニメ主題歌の歴史の大きな転換点になったのが、業界では『うる星やつら』だったというのが定説となっている。これは「なんとかビーム」とか「××ちゃん」といった役名が歌詞に出てこない、初めての抽象的なアニメ主題歌だったのだ(いまでは普通だよね)。歌手はテアトル・エコーの劇団員で、NHKの「みんなのうた」で歌っていた松谷祐子で、作編曲は元フライング・ミミ・バンドの小林泉美氏である。小林氏は当時、高中バンドに所属しており高中氏の公私兼ねてのパートナーで、美人鍵盤奏者として有名だった。TPOの安西史孝氏がプログラミングでノークレジットで参加している主題歌「ラムのラブソング」は、ラテンとテクノの融合という、アニメ音楽としてはかなり斬新なものだったと私は思う(詳しくは『電子音楽 in JAPAN』参照)。
 あれは、元ポリドールのディレクターでATGとも関わりがある多賀英典が、キティ・フィルムという、角川春樹事務所みたいな独立系映像制作会社を作ったことから始まっている。儲かりそうな新事業として目を付けたアニメ制作に、キティレーベルの自社アーティスト(安西史孝、ヴァージンVS板倉文etc)を大量に登用した結果が、あの『うる星やつら』の革新的な音楽へと結実したのだ。その衝撃は、私らよりむしろアニメ業界のほうにあったようで、日本コロムビア学芸部の天下だった時代が、この作品の登場で崩れてしまったというほどだったらしい。ところが、ビクターや日本コロムビアといった古参会社が、今度はこぞって小林泉美氏に仕事を依頼するようになる。もともとそういう畑の人ではないので、『うる星やつら』にちょろっと関わって、小林氏本人はホルガー・ヒラーと結婚してイギリスに移り住んでしまう。このへん、現在の「なんでも菅野よう子」というのと構造が似ていて、アニメ業界に音楽がわかる人が本当に少ないんだと思う(菅野氏は優れた作曲家なのだが、けっこう引用も大胆だから、発注する側のディレクターの音楽知識によって仕事内容に差が出るタイプだと思う)。
 私が『ニュータイプ』から音楽雑誌『テッチー』に移っても、やはりニュー・ウェーヴ系作家のアニメへの起用は活発だった。実際、本人名義のレコードよりずっとアニメのサントラのほうが売れているなんてケースもざらにあった。後にピチカート・ファイヴの小西氏に聞いた話なのだが、一生懸命ピチカートをやっても、レディメイドでは売り上げ的に『ルパン三世』のリミックス版が何倍も稼いでいて、本当に虚しくなると語っていたのを思い出す。だから、自身のアルバムが売れなかったあの時代に、皆がそれでも作曲家として生活できたのは、アニメ音楽の仕事のおかげだったと本当に思う。当時、ビクターにはS氏というディレクターがいて、彼女がムーンライダーズのファンだったことから、コミックのイメージ・アルバムというのにライダーズ周辺のメンバーを多く起用し、面白いレコードを作っていた。このイメージ・アルバムというのは、テレビアニメと違ってスポンサー筋の制約もなく、本当に自由な実験ができたという。ライダーズ周辺のメンバーに本当のマンガ好きが多かったこともあり、自身のアルバム並みに心血を注いだ作品もあって、「子供向け」と思われていたアニメやマンガの音楽の質的向上に貢献していたことを頼もしく思ったものだ。
 音楽業界は80年代末にバブル期を迎え、やがて小室哲哉全盛時代になると年間でミリオンセラーが22枚も出る時代に突入する。その上り坂にいたころ、ビジネス誌などで音楽産業がクローズアップされることが多くなった。『DIME』に連載していた、ノンフィクションライターの武田徹氏の「ロックの経済学」などは、その定番的な連載として知られているだろう。私は『テッチー』時代に、好きなミュージシャンのレコードがなぜそんなに売れないのかということを痛切に感じていたので、常にそういう音楽産業の経済的な話題には耳を傾けてきたつもりだ。ところが、その連載でインタビューの対象として出てくるのが、いつも作詞家やディレクターだった。ディレクターというのは、注文書に書くコピーを書いたりする役回り。だから「言葉の世界」の人だけが、それらの記事では主役だったのだ。しかし、レコーディング現場へ何度も足を運んでいた私から見れば、あの時代に音楽を面白くしていた主役たちは、音楽プロデューサー、編曲家、プログラマーらのほうであった。つまり、「音符の世界」の人々が、最前線の音楽の流行を作っていた。彼らが何時間もかけて試行錯誤しながら作ったスネア・ドラムの音ひとつの違いが、ラジオでかかった時に楽曲の品質を決定づけてしまう。そんな音響をめぐるシビアな現場のドラマを、私は数多く見てきたのだ。いわゆる“パクリ”の話にしても、あの時代、面白い海外の音楽があると「誰がいち早くパクるか?」でしのぎを削るような世界があったと思う。ジャネット・ジャクソン『ナスティ』のリヴァーブは、どうなっているのかなどが、常にスタジオ現場でのエキサイティングな討論会のテーマだった。この場合の“パクリ”という言葉の微妙なニュアンスが、現在の読者に伝わるかどうか不安ではある。ポータブル・ロックにおけるスクリッティ・ポリッティへの傾倒だとか、パール兄弟ヨーコ分解」のプリファブ・スプラウト風のコーラスなど、未知の音響を作品に取り入れていくことに、ファンもいっしょになってエキサイトできた時代があったのだ。そんなスタジオで日々感じていた「ヒット作が生まれる現場」の息吹を、作詞家やディレクターや話だけで無理矢理まとめていた「ロックの経済学」は、これっぽちも伝えてはいなかった。70年代の阿久悠氏の時代のマーケティング理論やプロモーション残酷物語を今更持ち出して、ウォークマン登場以降の80年代のヒットポップスの流行を語るというアナクロ観には、正直ウンザリしていた。
 「音楽と笑い」というテーマも、これに少し関連していると思う。YMOの非凡さやチャレンジ精神には、シリアスな批評性とともに笑いの精神があった。以降、YMOに影響を受けた打ち込みバンドはたくさん現れたが、彼らに欠けているのが「笑いの精神」だと思った。例えば、私の言う「音楽の笑い」というのは、電気グルーヴのような歌詞にギャグがある作品のことを言ってるわけじゃない。それなら、音楽である必要はない。ひとつの比喩なのだが、オタマジャクシの配列が笑いを誘うとか、音符が笑っているというような音楽というのもあるのだ。これは楽器をやらない人にはわからないニュアンスを含んでいるものだと思う。まあ、そのように、音楽の流行や笑いの精神は、簡単に「言葉」で理解できるものではないっていう話である。
 『テッチー』を辞めた私は、その後『momoco』というアイドル誌に移るのだが、ここでも私はユニークな体験をした。私が『テッチー』時代に信奉していた戸田誠司氏が、フェアチャイルドを結成してよりメジャーな世界に進出していったように、アイドル歌謡曲の世界がどん欲にニュー・ウェーヴ的手法を取り入れて、シーンを面白くしていたのだ。仕事で初めて行った渋谷公会堂ゆうゆ(岩井由紀子)のコンサートのバック・メンバーが、どっかで見た顔だなあと思ったら、ほとんどがビブラトーンズの残党だったことがわかって驚いたり。今でこそ『イエローマジック歌謡曲』なんていうコンピレーションを作らせてもらっているが、昔の私はもっとシリアスだったので芸能界への関心はそれほどでもなく、実は『momoco』時代から遡って集め始めたみたいなところがあるのだ。特に、おニャン子クラブ真璃子などを手掛けていた作編曲家の山川恵津子氏にはのめり込んだ。スウィング・アウト・シスターやマリ・ウィルソンなどの、アルバムに入っている渋いネタを、見事に換骨奪胎して眩しいポップスに再構成していた。おニャン子系だと、一般的には後藤次利氏の仕事が確信犯的な引用で知られており、うしろゆびさされ組のアルバムなどで、リオ「モナリザ」なんていう渋い引用もあったりする。一方では、ポータブル・ロックスクリッティ・ポリッティの再現なども見事だと関心したが、こうした男性編曲家らの引用技はどこか技術止まりな印象があり、この女性作家は完全に血肉化しているというような驚きがあった。同じころ、てつ100%のセカンドアルバムを気に入って、当時連載していたパソコン誌『ポプコム』のレコード評で「ピチカート・ファイヴへの大阪からの返答」と私は紹介した。『カップルズ』と同時代感覚で、あの時代のウェルメイドなサウンドを再現して、バート・バカラックの編曲術を見事に取り入れていたこのアルバムの女性編曲家が、後の菅野よう子氏であった。
 アイドル歌謡を聞き始めたころから、私は当時のバンドブームに背を向けて、そういったガジェット的な音楽にいっそうのめり込んだ。以降しばらく、私のヒーローはアーティストではなく、アレンジャーなどの職業作家になった。モーニング娘。だって「真夏の光線」というシングルで、つんくの所望した「『キャンディ・キャンディ』みたいなイントロ」のチェンバロリアライズしたのは、元スパンク・ハッピーの河野伸氏の手腕である。世間は、ただ打ち込みを使っていれば「テクノの末裔」だとざっくりと分類していたけれど、打ち込みサウンドなど表面的な話でしかない。初期YMOのゴージャスな転調やオーケストレーションなどの伝統を受け継いでいるごく一部の作家の作品のみが、私の心を動かした。
 中古レコード店に行くとまず「企画もの」「効果音」といった傍流コーナーから漁り始める私の趣向は、そのころから始まったものだ。「モーグによる映画音楽」「シンセサイザー落語」などの蒐集は17年近くになるのだが、その辺のカルト作品を1600枚ほど解説付きで紹介したのが、ディスクガイドである拙著『電子音楽 in the (lost)world』である。しかし、電子音楽縛りというテーマもあったため、紹介できなかった戦利品のレコードはもっとたくさんある。そこで、このエントリーでは、歌謡曲のアレンジャーやアニメの音楽などで知られる作編曲家が、こっそり個人名義で出していたレコード、CDを紹介してみることにした(アニメは多すぎるので、残り半分は次回の「アニメ特集」に)。
 拙著『電子音楽 in JAPAN 』の中で、80年代初頭にYMOのメンバーとともにアイドル歌謡曲を面白くした作編曲家として、清水信之氏を紹介している。そのインタビューの中で、「その才能を、例えば自分のバンドで役立てようと思わなかったのか?」という私の質問に、彼はノーと答えた。80年代は、アーティストとしてメディアに露出したり、ライヴで自曲を再現したりすることが煩わしいと思うほど、スタジオワークが面白かったと清水氏は言う。DX-7の登場でS/N比のよいリアルなローズ・ピアノの音が出現した時、サンプリング・マシンが初めて登場した時、サンプリングがそれまでの1秒からメモリが増えて2秒になった時……その都度、ハードウエアの進化に創作意欲を掻き立てられてきたのだという。こうしたスタジオ状況の変化は、一般的なヒット曲ではあまり見えてこないものだ。せいぜい、『テクノデリック』あたりまでのYMOが、技術と音楽のせめぎ合いをファンに見せてくれたぐらいだ。
 そういう意味で、清水信之氏のソロ『エニシング・ゴーズ』は、スタジオワークの現場を捉えたドキュメンタリー作品のようなところがある。というのも、作編曲家が出しているソロ・アルバムのたぐいというのは、ダイナミックレンジの高いハイカッティング・ディスクを売りにしたものなど、オーディオ・チェック機能などを盛り込んだ企画物が多いのだ。それは、ソニーSACDのセクションのような、技術普及の大義名分を持つ「採算度外視」の世界。売り上げを気にせず音の実験に取り組める、レコード会社で唯一の場所である。だから、潤沢な予算をかけて作られたゴージャズな音楽としてリリースされた作品も多い。ところが、中古レコード店の覗くとそれらのお宝が「企画もの」のコーナーに存在しているという、奇妙なパラドックスがある。だから、私は「企画もの」レコード集めが辞められないのだ。



乾裕樹&TAO『砂丘』(ワーナー・パイオニア

 後に平野悠氏のカリオカに参加する前に出していた、唯一のソロ・アルバム。アニメ関係の人には同社から後にデビューした『銀河漂流バイファム』の同名のグループと勘違いされることが多いが、こちらのTAOは本多俊之村上秀一、上原裕(エキゾティックス)、今剛(パラシュート、アラゴン)らのセッション名義。曲題は「ソーラー・プレクス」「ガーネット・ポイント」「ムーン・ウォッチャー」などSFマインド溢れるもので、全編ヴォコーダーで歌う未来風の演出が美味。まるで環境音楽風なジャケットだが、実際には表題はSF古典『砂の惑星』からインスパイアされたと解釈すべきだろう。ローズ、プロフィットなどの厚めのシンセ・ダビングで構成。一部、冨田風なドビュッシーの引用なども聴ける。

東北新幹線『THRU TRAFFIC』(日本フォノグラム)

ギタリストの鳴海寛と結成した2人組で、編曲家の山川恵津子のアーティスト時代の唯一の作品。ヤマハのコッキーポップ出身で、南佳孝とラジのデュオみたいなAORな路線に。だが、実は2人ともアレンジャー志向のようで、日本語の歌詞さえなければ、スティーヴィー・ワンダージョージ・デュークデヴィッド・フォスターに迫る洋楽並みの完成度を持つアルバムである。所属事務所だったヤマハも、彼らをどう売っていけばいいのかわからない様が、ジャケットやアーティスト写真から見て取れる。「Up and Down」などの山川ヴォーカル曲は、そのまま渡辺満里奈の5年後のアルバムに入っていておかしくない出来。ゲストで後藤次利が参加しているが、グループ解散後、山川はそのまま後藤のグループに加入(ツアーは何度も観たが、当時の彼女はスキンヘッドであった)。その縁で、おニャン子グラブの作品に関わることになる。

YOU『ピッキー・スリッカー』(日本コロムビア

名門ベターデイズからの新人で、ディスコ・フュージョン系グループの81年の作品。「ゴジラ・フェーエヴァー」などの企画ものでレコードも出している新鋭ギタリスト、斉藤英夫と弟でドラマーの亮が中心のグループなのだが、他のメンバーがなんと、生福や宍戸留美のプロデュースでおなじみ福田裕彦と、メッケン(キリング・タイム、コーネリアス)。福田氏はQuizと掛け持ちで参加していたらしい。メッケンはピンナップボーイみたいに可愛い長髪時代なのだが、サウンドはすでにゴリゴリのチョッパーを体得している。

生福『内容の無い音楽会』(CBSソニー

はにわちゃん、宍戸留美など、ソニーの傍流セクションが凄まじく過激なポップスを連発していた時代の、もっとも徒花的な作品。作曲家の生方則孝福田裕彦の2人組で、DX-7のROMや、ファミコンのカートリッジなど、音楽に限定しない活動を繰り広げていたグループ。本作はチェンバロの冒頭曲に導かれて、中津産業大学風の講師が登場して音楽の進化を説明するという、『タモリ2』みたいなハナモゲラなアルバム。「軍隊行進曲」をスペース・サーカス風のフュージョンに、モーツアルトをパンクに、吉田拓郎をヒップホップに、「戦場のメリークリスマス」を音頭風にと、とにかく思いつくままに編曲実験を展開する。このうち架空のアイドル歌手、岡井ワンナ(たぶん、ゲストの岡井大二の名前もじり)が歌う「酸素でルルル」がアイドルパロディとして見事な完成度に。ところが同曲は、後に伊集院光がデビューさせた架空のアイドル、芳賀ゆいのデビュー曲として歌詞を替えて「星空のパスポート」(詞は奥田民生、編曲は小西康陽、歌ははにわちゃんの柴崎ゆかり)としてリサイクルされるという、奇妙な顛末を辿っている。

富樫春生『チョコレート』(CBSソニー

近藤等則IMA、後藤次利バンドなどで知られるキーボード奏者の初のソロ。彼のトレードマークでもあるDX7登場前の作品ゆえ、まだ良質なフュージョンといった印象。佐藤允彦のメディカル・シュガー・バンク、浪速エキスプレスなどと並ぶ、ソニー伊藤八十八セクションからの期待の新鋭として紹介された。メンバーは、清水靖晃土方隆行山木秀夫(マライア)、矢島賢(ライト・ハウス・プロジェクト)、森園勝敏四人囃子、プリズム)ほか。ヴォコーダーで自ら歌う「パッキン・パンク・シティ」などテクノポップ的なアプローチも伺えるが、プログラミングが浦田恵司氏と聞いて納得。スペース・サーカス、クロスウインドなどに近い世代観を感じる。

中村哲&スプラッシュ『SPLAASH』(ビクター)

四人囃子のキーボード奏者だが、サックスも兼任。本作は清水信之らが鍵盤を担当しており、サックス・ソロによるインストが主体に。スプラッシュはセッション・グループで、清水信之大村憲司、渡辺建、ペッカーというパーソネル。当時、プリズムでフュージョン路線にいた元同僚の森園勝敏がゲスト参加しており、「ワン・オブ・ア・カインド」という8分の長尺曲は、構成の複雑なプログレフュージョンといった趣き。「恋するキャリオカ」などのラテン曲もあるが、イージーリスニング志向にしてはコード展開はかなり変態チックかも。

国本佳宏『ブレインボックス美術館』(The Qunimo Tones)

サザンオールスターズ「艶色ナイトクラブ」でシンセを担当し、準メンバー的扱いで紹介されていた青学のベターデイズ出身の鍵盤奏者。実は、8 1/2の後身である久保田真吾のプライスに上野耕路の後任として加入し、高橋幸宏プロデュースでデビューする予定もあった。戸川純玉姫様」「母子受精」などの複雑なアレンジでも知られる。本作はプライベート・レーベルから出た、「架空の美術館」というコンセプト・アルバム。「入場口」で始まり「退場口」で終わる、冨田勲も取り上げたムソルグスキー展覧会の絵』のような構成に。ファニーなテクノポップもあれば、coba風のフレンチ・ボッサ「シトロンヴェールさん、こんにちわ!」などもある、全編楽しいインスト集。

ザ・ウィンド『ダンディ・ステアリング』(日本コロムビア

鈴木茂『サンセット・ヒルズ・ホテル』と同じ、日本コロムビア内の日立提供“インターフェイス”レーベルからの企画もの。首謀者はギタリストの鳥山雄司で、ちょうど中山美穂「ウィッチーズ」などを手掛けていた時期であり、デヴィッド・ギャムソン風の複雑で高品位なR&Bサウンドを展開しているのに驚く。環境映像のBGM目的ゆえ、全体の路線は、シャカタク風のフュージョンやボッサ風味。「夕凪ハイウエイ」などの打ち込み曲は、エピックのソロ『トランスフュージョン』の延長戦に。「Dancing Sea」のみ、山川恵津子作編曲で、ほとんど彼女のソロ作品。

久米大作&セラ『9ピクチャーカーズ』(キング)

元スクエア、はにわちゃんのキーボード奏者で、名ナレーターの久米明の御子息。というより、久保田早紀の旦那と言ったほうが早いか。セラ名義のソロ2作目だが、前作『シネマ・エキゾティカ』が映画音楽カヴァー集だったのに対し、こちらはオリジナル曲中心。「エキゾ路線のアート・オブ・ノイズ」と表現したい、見事なコード展開の打ち込みの密な世界と、「ヨーロッパの音の旅」といった風情のお洒落なボッサやフレンチのモンタージュで構成される。仙波清彦、メッケンに、はにわオールスターズで共演したデビュー前のcoba(小林靖宏)というメンバーに加え、ヴォーカルが元ピチカート・ファイヴ佐々木麻美子。このメンバーでわかるように、「Tango Mania」ほか数曲はまるでフリッパーズ・ギター『カメラ・トーク』のカラオケ集みたいに聞こえる面白盤。

窪田晴男プロデュース『東京的Vol.1』(ミディ)

元ビブラトーンズ、パール兄弟のギタリスト。日本コロムビアからの本格ソロ『フライング・ニュー・エイジアン』を出す前に、坂本龍一のツアーサポートなどで縁のあったミディから出ていた、6人の旬のクリエイターとの2曲づつ録音した実験的オムニバス。元ビブラトーンズの近田春夫かの香織(ショコラータ)の「メカニカ」「夜毎夫人」は、小泉今日子『koizumi in the House』ばりのハウス・チューン。横山英規(ショコラータ、PINK)は、ノー・ウェーヴ風のアヴァンなインストに。当時私が注目していた三宅純が編曲した、S-KEN歌唱の「あの虎を見よ」のネオ・ジャポネスクなテイストには痺れた。清水ミチコに提供した「冬のゆううつ」のセルフカヴァーには、なんとP.P.アーノルドがゲスト参加していて驚き。

straight 2 heaven『straight 2 heaven』(徳間ジャパン)

テレビの劇伴などで知られるベーシスト、長谷部徹(スクエアのドラマーは同名異人)のソロ・ユニット。ドラムン・ベース主体のハイパーな打ち込みサウンドで、テイストはアート・オブ・ノイズか、坂本龍一『ハート・ビート』に近い路線。常盤貴子が脱いでいることから封印されてしまったらしい、ドラマ『悪魔のキッス』の劇中音楽を聴いたのが初体験で、その一作で私は、彼の名前を脳裏に焼き付けてしまった。『北京原人』『ママチャリ刑事』『ディア・ウーマン』など、どのサントラも面白いが、唯一のソロである本作が『悪魔のキッス』のサントラにもっとも近い。プロデュースは窪田晴男

三宅純『星の玉の緒』(ソニーレコード)

12インチ専科として誕生したスウィッチ・レーベル解散のドタバタの時期に、唯一のCD作品として出た三宅氏の『永遠の掌』は素晴らしい作品だった(後にアゲント・コンシピオから再発された)。初期作品はNY帰りのフュージョン系のトランペット奏者でしかなかったが、マッキントッシュの打ち込みを自身が手掛けるようになってからは、まるでアート・オブ・ノイズな実験的な音に変貌。本作は『サタデーナイトライヴ』の音楽監督、というよりは『アマルコルド・ニーノ・ロータ』の名匠、ハル・ウィルナーがプロデュース。NY録音には、マーク・リボー(ラウンジ・リザーズ、ジャズ・パッセンジャーズ)、ピーター・シェラー(アンビシャス・ラヴァーズ)、アンソニー・コールマンなどのダウンタウン人脈が総出演。ボーカルはおなじみジミー村川(マライア)。宮沢りえ資生堂のCMでかかっていた冒頭曲「Ma Puce」は、とにかく有無を言わせぬカッコよさ。こんな音楽が作れる人になりたい。beamsからソロを出したりしているが、大阪のSLCから出ている2枚のCM音楽集が初心者にはお勧め。

久石譲『Curved Music』(ポリドール)

映画音楽家の佐藤勝の門下生で、北野武宮崎駿作品の映画音楽でおなじみ。だが、元々は音楽大学時代はクセナキスなどの前衛音楽をやっていた人で、ジャパンレコードからクラフトワークみたいなソロ『infoemation』(鈴木さえ子、岩崎工ほかが参加)でデビュー。これはフェアライトCMI導入後の、個人名義での初のアルバム。マツダ資生堂キヤノンコニカ、日清などのCM曲を集めたもので、タイトルもその頭文字から付けられた。「Out of Town」のテクノポップ展開や、まんまフェアライトを入手してアート・オブ・ノイズをやっている「Syntax Error II」など、この時期は、『未来派野郎』を出していたころの坂本龍一の音楽性に非常に近い位置にいた。ライヒ風のミニマル曲はさすが大学仕込み。渡辺等、金子飛鳥鈴木智文ら、テクノポップ勢で固めたゲスト陣の中に、宇多田ヒカルの親父が入っているのが異色。

小林泉美『'iK.i'』(キティ)

同社から出ていた『ココナッツ・ハイ』などのそれまでのラテン路線を一蹴。当時の旦那、ホルガー・ヒラーがプロデュースした悪夢のようなソロ。「マイム、マイム」をアカペラで展開する「On (B,C)」から始まり、オパス4の弦楽四重奏クロノス・カルテットばりの前衛曲に。ハリウッド・ビヨンド、スタンプなどで見せた変態プロデュースは本人の持ち味でもあるようで、以降もドラマ劇伴『女医』などで、同様な実験的路線を展開していく。ホルガーにミミを紹介したのは。当時カセットマガジン『TRA』を運営していた式田純(ザ・スリル)。「infant sorrow」の詩吟とストラヴィンスキーの混合は、そのまんま和製ホルガー・ヒラーという感じ。

本多俊之サウンド・シアター』(CBSソニー

『モダーン』『サキソフォン・ミュージック』など、KYLYN時代の同僚だった清水靖晃と同様に、実験的なサウンドに傾倒していたころの作品。映画『ひとひらの雪』などのサントラやCM曲を集めた『デイ・ドリーム』、デューク・エリントンの曲を立花ハジメ風に脱構築した『ナイト・ソングス』など、CDのみでアルバムを量産していた80年代中期に、なぜか1作だけソニーに残されたのがこの映画音楽カヴァー集。『不思議な国のアリス』『男と女』『モア(世界残酷物語)』『ムーンリバー』『ひまわり』などの有名映画音楽を、サックスなしの打ち込みサウンドで、聞きやすいイージーリスニングでまとめている。プログラミングはソロ同様、鳥山敬治。トニー・マンスフィールドみたいな水滴クラップなど、イミュレーターの使い方がポストモダンでお洒落。

鈴木慶一プロデュース『ファスト・プライズ』(ポニーキャニオン

ご存じムーンライダーズ鈴木慶一のソロで、この名義はクラウン時代に出した『サイエンス・フィクション』に続く2作目。この後、ソニーから出るゲーム音楽集『マザー』が3作目に当たり、いわゆるコンセプト・アルバムで、他人ボーカル作品にこの名義が使われている。資生堂の「TECH21」という商品のイメージキャラクターだった、バイク・ドライバーの平忠彦のイメージアルバムだが、白井良明、渡辺等、鈴木智文らを招いた、かなり実験的なサウンドの作品集。「Area Code 001」は、直枝政太郎と鈴木博文政風会の曲。バイク音をサンプリングした「Number One」のカッコよさ。「The Boy On A Moter Cycle」はまるで鈴木さえ子のインストみたい。

今堀恒雄ウンベルティポ』(sistema)

ティポグラフィカの超絶ギタリストで、一昨年岸野雄一氏のレーベルからもミニ・アルバムを出している今堀常雄のソロ・ユニットの最初の作品。当時、ティポが所属していた、高橋幸宏氏の事務所、オフィス・インテンツィオのインペグ部門だったsistemaからリリース。1曲目「UBT4」は、スティーヴ・ヴァイ風のラウドな曲で驚かされたが、第一作目ゆえティポグラフィカと異なるアピールが目的だったようで、次作ではまたザッパ節が復活。その代わりに、ヴァイ路線は『ガングレイブ』『トレイガン』などのアニメ・サントラで展開されていく。菊池成孔氏がサックスで参加する「UBT3」はデートコース・ペンタゴン・ロイヤル・ガーデンのようなジャム曲に。菅野よう子が『カウボーイ・ビバップ』の劇中バンドとして登場させた、架空のバンド“シートベルツ”にも参加している。

千住明『ピードモント・パーク』(創美企画)

バイオリニストの千住真理子実弟東京芸大大学院卒業というプロフィールと、オリエンタルな旋律をフランス近代音楽的に展開するスタイルから、デビュー時には「ポスト坂本龍一」としてよく取り上げられていた。本作以降は生のストリングスを使うようになるが、この時期はシンセ打ち込みの達人技を披露しており、『Beauty』のころの坂本龍一氏にかなり近いテイストを感じさせる。今は映画音楽界の大物だが、デビュー時はなんと、アイドルの高橋由美子のアルバムで正調アイドル風編曲を見事にこなしたり、「歌謡テクノ」的な才能も伺わせていた。中国の鼓弓が旋律を奏でる「Feast」や「オスティナート」などのヴォイシングは、まんま坂本風。

笹路正徳ヘルター・スケルター』(徳間音工)

マライアのキーボード奏者で、ユニコーンプリンセス・プリンセスのプロデューサーだった笹路のソロ2作目。前作『ホット・テイスト・ジャム』はCTI風のフュージョンだったが、同年発売でありながら、本作はマライアの変貌に併せてハード・プログレ路線に様変わりしている。村田有美と織田哲郎のヴォーカルもかなりヘヴィー。土方隆行、渡辺モリオ、高水健二、山木秀夫らマライアのメンバーが脇を固め、キメキメのプログレ・インストを展開している。

萩田光雄『シークレット・ライフ』(東芝EMI

太田裕美の編曲などで知られる萩田だが、細野晴臣と共同編曲した「風の谷のナウシカ」や南野陽子はいからさんが通る」などでは、YMOの神髄に迫る打ち込み編曲にも対応。もともと音楽は独学で、ヤマハの社員から編曲家になった変わり種。唯一のソロ・アルバムである本作では、羽田健太郎のミニ・モーグを導入しての実験的な録音のイージーリスニングを披露している。『ヘアー』の「アクエリアス」のモーグ・カヴァーは、海外の同路線のシンセ・レコードに肉薄。「マティルダ」ではホワイト・ノイズのSEによる過激な演出も。基本はディスコ・フュージョン路線。

石田勝範『ボディー・トーク』(ビクター)

松武秀樹ロジック・システム『ヴィーナス』や『007ムーンレイカー』などで編曲を務めていた、シンセ・ダビングに理解のあるベテラン編曲家のおそらく唯一のソロ・アルバム(先日、別ジャケットでCD化されたのはこれの復刻だと思う)。ソニー東芝に対抗してビクターが始めたオーディオ・チェック企画“サウンド・グランプリ・シリーズ”の1枚で、エルトン・ジョン「悲しみのバラード」、フランシス・レイ「カトリーヌのテーマ」、バカラックアルフィー」などのカヴァー曲を取り上げている。直居隆雄、羽田健太郎、山川恵子など、セッション・メンバーは歌謡曲のスタジオワークでおなじみの面々。表題のジョージ・ベンソンのカヴァー曲は、ムーギーなシンセポップ。

鷺巣詩郎ウィズ・サムシングスペシャル『EYES』(徳間音工)

國學院大學のコンテスト荒らしバンドだったサムシング・スペシャルのリーダー格、鷺巣の初のソロ(現在は詩朗表記)。須貝恵子がヴォーカルを務める半分は歌もので、盟友だった同じく他校のフュージョン番長、笹路正徳もキーボードで参加している。ただ、須貝のヴォーカルが素人のニュー・ミュージック風なのが残念。次作はジョン・ジェイムス・スタンレーのヴォーカルを迎えたデュオ・アルバムだが、こちらは久米大作青山純伊東たけし(スクエア)、ケーシー・ランキン(SHOGUN)、マイク・ダン(パラシュート)らプロががっちり脇を固め、ELOやエアプレイに肉薄する完成度を極めている。

『トウキョウ・インディペンデント・スタジオズ』(Pi Records)

リットーミュージックのレーベルから出た『サウンド&レコーディング・マガジン』との連動企画で、都内の個性派スタジオとその関連アーティストの作品をオムニバスでまとめたもの。監修は元アルファレコードのエンジニアで、シンクシンクインテグラルの主宰者である寺田康彦氏。ピチカート・ファイヴの事務所が経営するグレイティスト・ヒッツ・スタジオ、高橋幸宏の拠点だったコンシピオ・スタジオ、淡海悟郎のトーンマイスター、CMJK(元電気グルーヴ)のホワイトベーススタジオ、寺田のシンクシンクスタジオなどが、楽曲を提供している。このうち、TANGOSの角田敦と共同経営していた、リンキィ・ディンク・スタジオの冨田恵一の“アウト・トゥ・ランチ”名義のインストを聞いて、私はノックアウト。前年の95年に亡くなったエリザベス・モンゴメリー追悼曲で、『奥様は魔女』の音楽を見事にパロディ化している。“アウト・トゥ・ランチ”はナイス・ミュージックのアルバムにも編曲参加しており、エスキベルの高度なパロディなどを披露していて見事なものだったが、冨田ラボ以降はこうしたノベルティ色を封印してしまったのが残念である。

『プロ・ファイル11プロデューサーズ Vol.1』(東芝EMI

東芝資本のインディーズ、ポルス・プエストが東芝に吸収されてできた“スウィート・スプエスト”レーベルから出た、こちらも編曲家のショウケース的企画。冨田恵一堀江博久(ニール&イライザ、コーネリアス)、江口信夫、石川鉄男、福富幸宏、細海魚、外間隆史(フィルムス)、田中知之(ファンタスティック・プラスチック・マシーン)といったプロデューサーが、キリンジを始めとする若手グループ、シンガーとコラボレートしている。福富氏はCalinのヴォーカルで、シーナ&ザ・ロケッツ「ユー・メイ・ドリーム」をカリプソ風にカヴァー。田中氏はインスタント・シトロンの片岡知子氏と、なんとNRBQのラリー・アダムスをヴォーカルに招いて、アーチーズ「シュガー・シュガー」をボッサ風に取り上げている。全曲、オモロな録り下ろし作品集。

Studio Lab『FLOCKS』(ハンマー)

これは、ムーンライダーズ・オフィスから独立してできたプログラマー集団、ハンマーの社長である森達彦をプロデューサーに、同スタジオ周辺の若手ミュージシャンとコラボレートしたオムニバス。森氏はライダーズ『アマチュア・アカデミー』のプログラマーとして参加した後、山川恵津子編曲などで見事なシンセワークを披露しており、日本で一番トニー・マンスフィールドに近い生理を持つクリエイターだと私は思っていた。ハンマーは、デペッシュ・モード『コンストラクション・タイム・アゲイン』のジャケットから連想して付けられた名前で、ギャングウエイを日本に紹介するために作られたレーベル。同じノア渋谷の建物にあった関係から、カヒミ・カリイほかクルーエル・レーベルの全作品でエンジニアを担当しており、本作も、Yoshie(平ヶ倉良枝)、PATE、上田ケンジ(ピローズ)といった渋谷系周辺アーティストが中心に収録されている。すでに2枚ソロが出ていたu.l.tは、森氏が率いる女性ボーカルによるキャンディ・ポップ。ハンマーの理解者の一人である、英国のデヴィッド・モーション(ギャングウエイ、ストロベリー・スイッチブレイドのプロデューサ−)の血統が息づいており、打ち込みとネオアコの幸せな結婚が本作の裏テーマになっている。