POP2*5

過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

川崎弘二(協力/大谷能生)『日本の電子音楽』(愛育社)

 このブログで私は、自分の趣味をただ開陳するようなレコード評や書評をやるつもりはない。すでに多くの書評サイトが存在し、私が恩恵を受けている立場だからだ。だが、本日発売されたこの本『日本の電子音楽』の場合、私には紹介する任があると思っている。本書は、本邦初の日本の電子音楽の歴史を綴った研究書である。
 実は拙者、川崎氏の存在を、以前私が週刊誌の編集者時代に長らく音楽欄で担当させていただいていた、音楽評論家の佐々木敦氏から伺っていた。本書のあとがきにも書かれているが、すでに6年も前の話だ。恥ずかしながら、本書の元本となった1999年に発行されたミニコミを私は見ていない。ただ、在野の研究家の方が、多くの歴史的証言者の取材をされていて、それを一冊の本にまとめるつもりであるということだけは聞いていたのだ。こうして私の手元に届けられた本書は、詳細な資料も含めた600ページ以上ある力作である。その些細な分析や端正な筆致に敬服するとともに、これを書き上げられた著者には尊敬の念を表したい。また、6年にわたってその完成を見届けられた、協力者である大谷能生氏や版元の担当者の方の姿勢にも敬服する。
 私はまだ、これから本書を読むという立場であるから、それ以上無責任なことを書いて、本書の価値を下げるようなことはしたくない。ただ、一編集者の端くれとして、目次や資料集の構成を眺めただけで、その誠実な取材姿勢が手に取るようにわかる。日本の電子音楽の歴史に関わってきた、時代の証言者へのインタビューで主要素が構成されているのだが、その人選は湯浅譲二高橋悠治小杉武久といったNHK電子音楽スタジオ出身のアカデミズム畑のお歴々に偏らず、タージ・マハル旅行団の長谷川時夫氏や永井清治氏、鈴木明男氏、藤本由起夫氏といったカウンター的な存在にも、きちんとページを割かれている。力作のディスクガイドには、『鉄腕アトム』の大野松雄氏の作品群にもきちんと触れられている。セクト主義が跋扈していた電子音楽の世界で、ずっと存在をないがしろにされてきた非アカデミズム寄りの大野氏も、本書の存在を聞けばきっと喜んでくれるだろう。また、先日ジェネオンから発売された『公式記録映画 日本万国博』のフッテージDVDボックスの長大なサウンドトラックから、該当曲をきちんと調べ上げてリスト化されていることに、私はどんな同業者よりも深く感動してしまった。
 この分野では唯一の書き手として知られていた、音楽評論家の秋山邦晴氏(本書のインタビューにも登場する高橋アキ氏は、秋山氏の夫人である)が逝去されて何年かが経つが、こうしてまとまった歴史書が読めるようになるとは、よもや思いもしなかった。もし、本書が97年の拙著の取材時に読めていたら、どんなに有り難かったことだろう。また、これが在野の研究者によって書かれ、しかも私よりずっと下の世代によるものだということに、私は今、興奮している。軽薄な例えで申し訳ないが、私にとっては、90年代初頭にフリッパーズ・ギターが颯爽と登場した時のような感慨がある。時代が面白くなってきた、そんな希望をひしひしと感じているのだ。
 『輝け60年代―草月アートセンターの全記録』『湯浅穣二の世界』といった資料や、NHK電子音楽スタジオのエンジニアだった佐藤茂氏の『音の始源を求めて』シリーズ、オメガポイントの「日本の電子音楽」シリーズなどのCDがリリースされ、現在、日本の電子音楽史に触れられる機会はぐっと増えた。私は日本の電子音楽史については、むしろ攪乱する側の人間ではあるから、こうした正史の研究が増強されていくことには、誰よりも期待している。ただ、こうした近年の動きに、ごくわずかでも拙著の影響があったとしたら、それはそれで素直に嬉しいと思う。
 本書でも、巻末のレコード紹介の項ではあるが、きちんと拙著を写真入りで紹介いただいている。98年に拙著が刊行されて以来、最初の体系的な本であったこともあり、いろいろと参考資料として使われる機会は多かったようだが、明らかに拙著を下敷きに作られたと思われるものであっても、クレジットで謝辞が触れらず、存在をないがしろにされる機会のほうが多かった(ex.『テクノ歌謡』本、某誌の連載「アルファの宴」etc)。それが、単なる資料としての記載であっても、本書や新書『YMOコンプレックス』などのように、きちんと拙著の存在をクレジットしていただけることには、著者として感動を禁じ得ない。
 やれ、電子音楽だテクノ・ミュージックだと言ってはいるが、私だって赤い血は流れているのだ。