POP2*5

過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

テレビ映像の「二次使用」と著作権にまつわるエトセトラ

 さて、せっかくなので、7月27日に発売されたDVD『高橋幸宏ライブ 1983 ボーイズ ウィル ビー ボーイズ』に関連した、お勉強コラムを書いてみようと思う。今回のDVD化は既発ソフトの復刻なので直接は関係はないが、これが制作されたアポロンからのオリジナルリリース時に「おっ」を思わせたのは、テレビ放送映像を使用していた件である。気付かれない方もおられるかもしれないが、テレビ番組の放送素材を使用した音楽作品のビデオパッケージ化は、当時かなり珍しかったのだ。
 ほか幸宏氏関連で言うと、YMO散開後に出された『オレたちひょうきん族』『THE MANZAI』『夜のヒットスタジオ』などの素材を集めた『TV YMO』、同じくテレビ特番で放映された日本武道館公演の編集版『LIVE AT BODOKAN1980』(ともにアルファレコード)、深夜番組として放送されたサディスティック・ミカ・バンドの再結成公演を収録した『晴天 ライブイントーキョー1989』(東芝EMI)などがあるが、前者はフジテレビ映像事業部、後者はTBS映像事業部と各メーカーとのジョイント・ベンチャー商品で、おそらく(パッケージ作品として)共同著作扱いであるから、利益は分配ということで実現化したものだろう。その後、YMOYMO伝説』(アルファ・レコード)、『TECH NODON IN TOKYO DOME』(東芝EMI)などのNHKの放送素材を使ったものもリリースされているが、NHKエンタープライズなどの民間会社が立ち上がって映像アーカイヴの商品化を模索し始めた、いずれも90年代に入ってからのものである。
 幸宏氏もコメンタリーで「箱根自然公園の野外ステージのほうが好き」と語っている通り、サブ映像であるこちらのほうが映像自体の質は高い。こちらは収録もマルチカメラだし、予算のあるテレビ放送らしく空撮映像まである金のかけよう。ファンの立場からすれば「箱根自然公園のほうをメインにビデオ化すればよかったのに」という声が聞かれても不自然ではない。渋谷公会堂がほぼワンカメで撮られていることを考えると、おそらくNHK放送素材のみ、あるいはNHK放送素材メインでビデオ化することが当時は困難だったのではないかと思われる。推察できるのは、たぶん使用料の問題だろう。
 以下、あくまで一般論として、私の主観で書くことをお許し願いたい。私が別の仕事をしているときに、たまたま放送素材を二次使用したビデオ化商品の企画をする機会があり、この時、某放送局に問い合わせてみたのだ。窓口の方の説明では、すでにパッケージ販売に関連した二次使用には「お品書き」があって、たしか「1秒=5000円」というものであった。といっても、これはテレビドラマなどのDVD化が頻繁に行われるようになってからのもので、局の事業部が映像貸し出しについて、外部からの問い合わせがあった時に対応できるよう、共通のルール作りとして、最近になって整備されたものである。一般的な80年代初頭のテレビ局の事業部の状況で言えば、『ボーイズ ウィル ビー ボーイズ』当時はまだ、今のような厳密な価格設定はなかっただろうと思われる。むしろ、二次使用の渉外業務を扱う事業部よりも、当時は制作部のプロデューサーの権限が強かった時代。放送素材の使用に関する問い合わせは、すべて番組プロデューサーに一任されており、そのプロデューサーがイヤと言えば、いくら金を積まれて局が潤うことになろうとも、ビデオ化は「できないものはできない」という時代だったのだと思う。
 近年、地上波の視聴率低下から放送局の売り上げの柱である広告収入が伸び悩んでおり、その補填として映画制作やイベント、自社番組のDVD化などを扱う事業部が、放送局の新しいマネーメイクスターになりつつある。そんな時代の趨勢から、二次使用に関する取り決めが“ガラスばり”になったという経緯があるのだ。この事業部というのは、レコード会社の特販部(お店のPRのためのオリジナルコンピCD制作の受注、全集ものなどの通販限定商品、演歌好きの社長が吹き込んだ自主制作のレコードのプレスetcなどを扱う)のようなもので、例えば『NHK人間大学』をビデオ化した宮崎駿の「ジブリ学術ライブラリー」や、オフ・コースのファンクラブが主体となってNHK『若い広場』をDVD化したケースなどは、こうした事業部の放送素材の二次使用の“オープン化”によって実現したものである。
 また、これは余談だが、従来は他局の過去の映像素材を別の局がバラエティ番組などで使いたい場合などに、わざわざプロデューサー氏にお伺いを立てるなどの手順が必要だった。ところが、最近では名作ドラマのDVD化などが浸透した結果、局から直接映像を借りるのではなく、DVD化されたメーカーから映像を借りることで、ライバル局同士での番組素材の貸し借りが頻繁に行われるようになってきた。おそらく、他局への貸し出しにも先ほどのような「秒あたりいくら」という金額はあるはずだが、「DVD発売中のテロップを入れて宣伝してくれるのであれば」という条件付きで、好条件で使えるケースもあるそうだし、また局側も宣伝活動のために、貸し出しの可否をビデオメーカーに一任しているケースもあると聞く。便利な時代になったものである。
 さて、先ほど某放送局の「お品書き」が「1秒=5000円」と書いたが、なぜそれが「売り上げの何パーセント」ではなく、「秒あたりいくら」になっているかには私にも心当たりがある。以前、CD-ROMを制作する仕事があり、その時に楽曲使用に関する問い合わせを某著作権管理会社にしたことがあるのだ。
 今と状況は違うかもしれないので、あくまで10年前はこうだったという前提で読んで欲しいのだが、その著作権管理会社では、当時「音楽部」「映画部」とで業務内容が分かれており、CD-ROMなどの管轄は、暫定的に「映画部」が窓口になっていた。で、端的にいうと、「音楽部」で扱っている、CD収録のための著作権使用料は「全体の売り上げの何パーセント」で、劇場映画やビデオ、DVDなどを扱う「映画部」の著作権使用料がやはり「秒あたりいくら」だったのである。この時、私は疑問に思ったのだ。CDのように「売り上げの何パーセント」ならば、売れなかったときは著作権使用料も少なくなるわけだがら、制作者が赤字を被ることはない。だが「秒あたりいくら」だと、作品のヒットの有無や公開規模が違っても、払う金額は一律だから、もしヒットしなくて売り上げが予算を達成できなかった場合、著作権使用料の支払いのために赤字になってしまうのである。例えば、先の「1秒=5000円」という金額は結構高めに設定されていると思うのだが、これで使いたいカットの秒数から計算してリクープラインを設定すると、かなりの枚数をプレスしないと売り上げが作れないということに気付く。つまりそれが、テレビ映像の二次使用の商品化の妨げになってきたのだろう。ビートルズの楽曲使用料が高いのはよく知られていると思うが、これも公開規模にかかわらず金額が一律で設定されているから。以前、ビデオメーカーの知人がビートルズ曲を題名にした某映画作品のビデオのPR業務を行っていた時、たった1曲のビートルズの使用料が、その映画の制作費の数十パーセントを占めていたと言っていたのに驚いたことがある。還元すれば、ビートルズで商売がしたければ、それだけの金額を用意しなさいってことなのだ。
 では、なぜ「映画部」では、著作権使用料を、公開規模や動員などではなく使用時間で換算するのか。これについては、あくまで私の想像でお話する。映画を買い付けて全国の劇場にかける場合、同時公開ならばその館数だけのフィルムのデュープ(複製)を作るのが、まず標準パターンとしよう。この場合、デュープのためには1本あたり数百万とかなりのコストがかかる。最近は買い付け料(独占配給契約)だけでもずいぶん金がかかるから、経費節約したい場合は、このデュープ本数を抑えて、公開時期をずらして“巡回興行”というやり方もある。結果、前者と後者でトータルの売り上げがほぼ同じになった場合なら、デュープ本数の少ない後者のほうがより安くあがることがおわかりになるだろう。CDであれば、プレス枚数や売り上げ枚数から売り上げ金額が換算できるので、それを根拠に「売り上げの何パーセント」というのを弾き出せばいい。だが、映画興業の世界はどこか“蛇の道は蛇”というか、公開規模や動員数などがあいまいで、厳密な売り上げの根拠にできないところがある。先ほどのCDのプレス枚数に相当するのは、せいぜいフィルムのデュープの本数ぐらいなのだ。ところが、このデュープ本数が、先ほど説明したとおり配給会社によって考え方が異なり、動員数や公開規模に関係なく任意で決められるため、金額設定の根拠になりえない。ゆえに従来から使われてきた、公開規模や動員に関係なく、一律で「秒あたりいくら」という計算法を使い続けてきたようなのである。
 では、映画と同じ映像ではありながら、プレス枚数がCDのように割り出せるビデオやDVDまで、どうして「秒あたりいくら」という計算になるのか。これについては、過去に関係者に聞いてみたことがあるが、明確に納得できる説明を聞いたことがない。ほぼ各社とも、慣例としてそれが履行されているだけというのが現状であった。ただ、類推できる最大の理由としては、ビデオやDVDには時間制限がなく、CDのように74分という最大収録時間がないということ。映像ソフトは、長いものなら2時間といった尺の作品もざらにある。使用料が「売り上げの何パーセント」であれば、曲を使いたいだけ使って、尺を3時間、4時間と増やすことで、使用料の支払金額を相対的に低くすることが、ビデオやDVDなどのパッケージ商品ではできてしまうのだ。
 私がCD-ROMの件で申請した時に言われたのもそのことで、CD-ROMなどにmpegデータで映像や音楽を入れる場合など、CD-ROMには640Mバイトという容量の限界がありながら、mpegデータのビットレートを落としちゃえば何時間でも収録は可能ではある。そうした前例がないケースについては、慎重に対処すべきという保守的な考え方があり、「秒あたりいくら」という「映画」と同じ計算式を暫定的に使っている、という説明だったように思う。
 また当時、CD-ROMなどの楽曲使用のルールについて、ややピリピリムードだったのは、実はRという新興出版社が出していた『Z』というCD付き雑誌を扱ったケースが、原因になっていたようだ。
 この出版社は、就職情報、不動産情報などの雑誌を扱っており、広告主に営業していわゆる求人情報、物件紹介などを集めてメインページを構成するという、“広告依存雑誌”の先駆け的会社であった。その構造がもっともわかりやすい例に、某“肉体労働系求人誌”がある。“肉体労働系求人誌”と言われても、進んで汚れ仕事に就きたい若者はいまどき少なく、読者にそのような雑誌のニーズがあるとは思えないのだが、人材がなかなか定着しないといわれるクライアント筋には、いくらでも求人広告を出したいというニーズがある。雑誌の広告料が、刷り部数に乗じて価格が上がるように設定されているのはご存じだろう。極論すれば、部数を多く刷って求人広告を集めさえすれば、発売後にそれが売れなくて、半分近くが廃棄されても、十分売り上げが成り立つのである。この考え方は、同社の刊行雑誌に一貫して導入されているものだ。例えば、同社から新刊情報誌が創刊された時も、主たる売り上げを期待されていたのは、各出版社からの新刊の広告出稿だった。出版社の宣伝費など雀の涙であるから、出稿する出版社なんていないでしょと最初は思われていたのだが、同誌の読書好きの読者への影響力などが広まっていった結果、現在では安定した出版社からの広告出稿が得られているという現状がある。
 『Z』というCD付き雑誌もまた、おそらくCDのディスクの74分という“土地”を使って、そこに「音声CM入れませんか?」という広告収入目的で創刊されたのだと思われる。発売されたばかりの新譜の音をここに入れられれば、“音の出る雑誌”の魅力を読者にもアピールできるだろう。同誌は当初、ラジオCMなどど同じように、クライアントからの出稿だけで運営できると思っていたようだ。だが、従来から「CD付き書籍」というものは存在しており、それらのケースで当てはめてみると、CD収録曲には「著作権使用料」と「原盤使用料」の支払いが必要になるのだ。ゆえに、クライアントから「音声CM」の素材を預かっても、使用楽曲については別途、出版社に支払い義務が発生してしまう。この時、事務処理は中間にある著作権管理会社が行うのが原則であり、ここをスルーして、レコード会社と出版社が、特例的な楽曲使用のための交渉をすることができないルールになっている。そこで、この雑誌ではなんとか制作費を抑えるために、「原盤使用料」についてはレコード会社の「PRのための貸し出し」という理解をもらって支払い免除にしてもらい、普通に雑誌に歌詞や譜面を掲載するのと同じように、「著作権使用料」のみを払うという形で創刊にこぎ着けたと聞いている。
 だが、創刊当初はCD収録曲も数曲と少なく、パーソナリティのおしゃべりなどが目立った同誌だが、巻数を重ねていくごとに、収録曲がどんどん増えていったのだ。先ほどいったように「原盤使用料」はPRと相殺だからコストはかからない。その上、「著作権使用料」については、1曲の使用料は<全体の売り上げ÷曲数>で導き出されるために、何曲収録してもトータル額は一律なため(使用料はアルバム全体との相対で決まるので、10曲入りと20曲入りのCDだと、後者は1曲あたり前者の半分の支払いで済むのだ)、読者が喜ぶのであれば、マスター取り寄せの手間などたかが知れていることだろうから、多くの曲を入れた方がアピールできると考えるのは道理だからだ。単なるオムニバスCDではないので、1曲まるまる収録する必要もないし、むしろ楽曲のハイライトを数多く入れた方が、全体の構成も派手になるだろう。
 しかし、著作権管理会社にとっては1曲あたりの事務処理の手間はどんな場合でも同じだから、売り上げトータルは同じなのに、曲数が増えたために事務処理だけが煩雑になることになってしまったのである。この例が、著作権管理会社内で、「ニューメディアについての扱いを慎重化すべきである」というムードを作るきっかけになったということは、業界筋ではよく知られている。
 少し脱線してしまったが、まあそういった背景があって、ニューメディアなどが普及していくにあたり、映像や楽曲使用のルールを明文化しようという機運が高まり、現在のような各テレビ局の事業部の「お品書き」が整備されていった現状があるのだ。一般的に、二次使用素材を使った商品化というものに、さまざまな障害がついて回るということだけは、おわかりいただけただろう。
 で、改めて思うのは、アルファレコードにおける創業者の村井邦彦氏の先見の明についてである。ビデオ商品化を特に予定していたわけでなかったのに関わらず、予算を捻出し、最初のYMOのワールドツアーを現地のクルーを雇ってマルチカメラで記録していたのは、当時としては異例中の異例なこと。その素材は、後の映像ソフト時代になって、今やアルファ(現著作者はアルファ・ミュージック)の商品カタログの主力商品として利益を生み出し続けている。売り上げの100%を自社に還元できる、自社著作物としてそれを扱えることのメリットは大きい。
 他のグループでも、同時代に作られたPVなどの素材が後から見つかって、DVDなどで商品化されたりするケースは最近は増えてきてはいるが、ワンカメで撮られた記録映像などチープ映像なものが実は多い。だからこそ、いかにYMO関連の映像素材が、きちんとお金をかけて作られていたかということに、改めて深い感動をおぼえるのだ。