POP2*5

過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

ガールズバンドの世界

 『けいおん!』が地上波のTBS深夜でも始まって、観れるときだけチェックしてるんのだが、普段アニメをほとんど観ないこともあって、これまで映画、ドラマなど様々な「音楽作品」を観てきた立場から、思うことがいろいろ浮かんでしまう。で、その感想を方々で書いたりしてるんだけど、ファンの言い分はだいたい同じなんだな。「規定通り」「見抜けないヤツがバカ」「(音楽は)ブースターロケットの運命」というやつ。原作人気に便乗ってわけじゃないみたいだし、素材の欠落部分をなんとか補って「新しいタイプの音楽アニメ」に仕上げようというスタッフの熱意がインタビューなどを読んでわかるだけに、この「最前列のファン」というのの言い分には呆れるばかり。だいいちスタッフが可哀想。「音楽に関心がない」というのは「pi●iv」でも同じようで、先日のエントリで書いた通り、ここ最近の『けいおん!』ネタ投稿を観ると、キャラクターの楽器演奏場面などはほとんどない。大半が水着や全裸で4人がイチャイチャみたいなものばっか。ニュートラルな見方をすれば「音楽で遊べる」せっかくの機会だと思うのに、よほど音楽ネタは「pi●iv」ユーザーにとってテーマとして遠いものみたい。なんでもかんでも最終的に「水着」「4人がイチャイチャ」に落ち着くというのにも鼻白むけど、それを「規定通り」と言い訳する了見の狭さには救えないものを感じるけどね。余計なお世話か。
 しかしながら、主題歌のオリコンチャート入りが追い風になった部分もあるようで、音楽CDのリリース計画を見ていると、各キャラクター別のソロデビューなんてのが控えていて、単なる集団バンドアイドルものに向かいつつある予感も。むろん、テコ入れ要請とか、外圧もあるんだろうけどさ。元々同じ上野樹里主演でTBS金曜ドラマで決まっていた『のだめカンタービレ』が、共演者の事務所の意向による「主題歌にジャニーズを使う」に原作者側が反発してドラマ化がご破算となり、「アイドル曲を使わない」という意向を汲んだフジテレビが誘致して、ストイックに主題曲からすべてクラシック曲だけでドラマ化してうまくいったケースもあるんでね。番組開始時の「翼をください」(村井邦彦作曲)あたりから始まる渋い選曲プランでやり続けることで、何か別の光明を見いだせたんじゃないかなとも思うんだけど……。
 といっても、「ガールズバンドもの」というテーマ自体が、そもそもクリエイターにとって難物である。「京アニの女性スタッフが中心になって企画した」ということで期待値が上がった部分は大きくて、これが男性スタッフ中心でアニメ化されたんなら、もっと迷走していたかも知れないから。ワタシ自身も趣味レベルだが、習作の映画シナリオを何本か書いており、「女の子がバンドする」という設定を素材にストーリー化したこともある。しかし、これが結構ムズカシイ。過去のガールズバンド、スリッツやレインコーツ、GO-GO'S、少年ナイフSHOW-YAプリンセスプリンセスなどなど、インタビューを読んでけっこう研究したこともあるけれど、バンド経験が少なからずある自分であっても「ガールズバンドの生理」というのはわからづらい。そもそも成功しているガールズバンドの大半が、男バンドと競ってコンテストではい上がってきたという時点で、根性とか挫折とか立身出世とか、すでに男バンドのようなメンタリティで動いてるから、あまり参考にならなかったりする。
 高校のブラスバンド部を舞台にした映画『スウィングガールズ』で矢口史靖監督は、女性だけで構成される主人公たちのブラスバンド部に、あえてキーボードだけ男性メンバーを入れることで物語を展開させていた。音楽などの芸術にまつわる成長譚というのは、スポ根のように勝ち負けが明確な世界ではないために、抽象化しやすく独りよがりになってしまうもの。そこで『スウィングガールズ』では、ゴールに設定されている山場のコンテストともうひとつ、理詰めで動く男をそこに置いて、社会的な達成度というのを見えやすくしていた。それが「音楽映画は当たらない」という映画業界のセオリーを覆す、誰でも楽しめるヒット音楽映画になった要因の一つだと思う。
 一方、ほぼ同時期に公開された『リンダリンダリンダ』は、四国の学園祭を舞台にした即席ガールズロック・バンドが奮闘するストーリーなのだが、山下敦弘監督はちょうど『スウィングガールズ』の方法論と真逆のカタチで、いかにも男性社会的な達成目標を明確に設定せず(あるけどゆるゆるなのだ)、すべてを女の子の感情だけで展開していくストーリーにした。映画の冒頭、学園祭を記録するホームビデオの映像から物語は始まるが、全編がそんなボンクラな感じで、映画はまったりと進行していく。なにしろ山下監督と言えば「日本のアキ・カリウスマキ」ですから(笑)。むしろハイライトの壇上よりも、風呂上がりに弟に疎まれながら、パジャマ姿で練習しているプロセスを丹念に描いて、新味のあるバンドものに仕上がっていた。むろんこれでカタルシスを感じれるかは個人次第。だが、スポ根モノの転じなくとも、「音楽する楽しみ」を丁寧に描写することでヒット音楽映画が作れるという心強い味方になったし、一人一人の性格描写という部分では、遙かに『スウィング・ガールズ』よりも先に進んでいた。京アニが『けいおん!』のアニメ化を企画した背景には、この作品の成功例がけっこう影響しているのではと、第一話なんかを見てて感じる。矢口史靖山下敦弘の両監督ともワタシは昔から応援しているのだが、より音楽に近いところで仕事している立場でいうならば、やはり『リンダリンダリンダ』のような映画のほうに、作り手の「音楽への愛」を強く感じる。実際にバンドを経験して辛酸をなめたことがある人ならば、2つはただ方法論の違う映画というのではなく、後者のほうのみにある種の「痛さ」を感じて、気が気でいられないようになるところがあるから。
 男バンドの場合は、男が社会性の強い生き物ということもあるので、甲子園を目指すようなストーリーにすればまず間違いない。大目標に向かって、特攻隊のように突撃して「神風を起こす」というヒロイックなパターンの黄金律がすでにある。また、バンドものの定番的として、例えば「インディーズと芸能界」の二項対立という設定がある。松本隆の小説『微熱少年』を例に出すと、舞台設定になっているのは60年代末のビートルズ旋風が吹き荒れている時代。衝撃的なビートルズ体験からバンドを結成した主人公たちの成長を縦軸にとり、ライバルとの諍いや恋愛的な葛藤が横軸としてそこに絡んでいくのが骨子のストーリー。やがて、先輩バンドが次々と「業界に魂を売って」GS(グループサウンズ)に鞍替えして芸能事務所からデビューしたり、優秀なメンバーの引き抜きなどの挫折があったりして、社会との軋轢に傷つきながら、それでも主人公らは音楽性をねじ曲げることなく成長していく。そんな主人公のバンドの行く末を、エイプリル・フールはっぴいえんどに重ねて想像しながら読むのが醍醐味であった。
 さらに今では、バンドものももう少し成熟してきていて、「GSとして芸能界デビューしたバンド」の側である、ライバルのほうを主役にしたストーリーも用意されている。「音楽への愛」を見失わない実家通いのお坊ちゃんバンドよりも、地方から上京し、生活や成功と引き替えに音楽性をねじ曲げたり付き合っていた女と別れたりするこっちのほうが、栄光と挫折の陰影は深いから。そういえばシンコー・ミュージックから出ている雑誌『ROCKS OFF』のチューリップ特集は面白いよ。70年代に『ミュージック・ライフ』に掲載された大瀧詠一財津和夫の対談の再録が載ってるんだが、財津和夫大瀧詠一に「仕事をしてるように見えないはっぴいえんどの人たちは、生活の糧をどうやっているのか?」と説教してるシーンがある(笑)。財津和夫はチューリップのデビューの際に、メンバーの家族に「彼らが路頭に迷わせることは絶対しない」と誓って、運命を預かる気持ちで上京を決意したという。チューリップのファーストはまるでビートルズなのに、やがてフォーク的なサウンドに転じていくのには、おそらくそういうような理由があったんだろう。はっぴいえんどは(大瀧詠一を除いて)、東京育ちのお坊ちゃんバンドだから。音楽性は歌謡曲チックになったとしても、GSに身売りした人たちのほうが、よほどロックバンドらしい流転の仕方をしてたりする。しかしながら、それは勝敗をクライマックスにおいたスポ根に通じる「普遍のドラマ」であって、この例をもってして「音楽テーマ作品としての深み」と言い切れないところもあるんだけどね。
 アニメ『けいおん!』が、『リンダリンダリンダ』のように地方都市を舞台に設定し、日常生活のディテールをきちんと描いたことで、描写の難しいガールズバンドのストーリーを一般視聴者にわかるように提示したことは見事だと思う。原作のとっちらかった設定(そう見える)をうまく肉付けして、普遍的な成長譚として見れるものに仕上げている力業には敬服する。ただ、期待して見てしまうと、あまりにバンドものとして抜け落ちているものが多いことに困惑してしまうところが多い。上條淳士TO-Y』とか、これまでも「いかにダサくない音楽ものが作れるか」をテーマに、様々なマンガ家やアニメ作家が取り組んできた歴史もあるというのに、そういう葛藤の歴史とは無縁なように見える。実際、ワタシだけでなく、友人でバンドをやっている女性に聞いても、『けいおん!』は「まったくガールズバンドが描けていない」と苦言を呈しているし。これを観ながら思うのは、やっぱり力のある京アニの女性スタッフメインで作ったとしても「ガールズバンドを表現するのは難しい」ということ。これにつきる。具体例を出して説明したいんだが、難しい。そもそも、なんの身構えもなく、たまたま「女の子がたくさん出る」というだけで企画が通り、たまたま当たってしまったというだけのような気もするので、一つ一つを取り上げて逡巡するものではない気もするし。結局、同じ顔した髪の毛の色違いの女の子が数だけたくさん出てれば、音楽だろうがなんだろうがいまどきアニメはOKってことなのかね。
 ガールズバンドに関しては「判断保留」(笑)なワタシであるが、男性グループの中で“紅一点”として活躍する女性ミュージシャンについては、よい例を聞かれればいくらでも上げられる。それぐらいワタシは“紅一点”バンドが好きである。トーキング・ヘッズのティナ・ウェイマス、ニュー・オーダーのジリアン・ギルバードなど、男女雇用機会均等法時代の旗手であるニュー・ウェーヴなバンドには好サンプルも多く、彼女らを受け入れたバンドにジェントルな印象をもたらすことに貢献している。ロックスターはいつの時代も、ツアーなどで地方行脚するときにグルーピーとの交流がついて回るもの。こうしたロックバンド特有の「課外活動」にも、男女混成バンドの場合はバイアスがかかる部分があるようで、基本的に女性メンバーのケアを優先してツアー先で荒れることもなく、その分の有り余るエネルギーが音楽をクリエイトするほうに注がれるという、バンドへの音楽的信頼度を高めることになっている。そして実際、ロックバンドとして男社会で逞しく生きる彼女たちのガンバリは凄い。当初はコンセプト先行気味だったトーキング・ヘッズのファンクネスにしても、ベースのティナが形作っているところが大きいし、ニュー・オーダーのトレードマークであるエレクトロニクス処理も、作曲面をリードするフロントの2人よりも、“ジ・アザー・トゥー”を自称するジリアンとパートナーのスティーヴンがグルーヴの要をになっているし。
 先日紹介した新生ジェフ・ベック・グループの場合も、わずか21歳でグループに加入した女性ベーシスト、タル・ウィルケンフェルドがもたらした効果が大きい。なにしろ、VHS時代から映像ソフトを出したがらなかったベックに、初の映像ソフト『ライヴ・アット・ロニー・スコッツ・クラブ』を出させたという功績は偉大だ。誰よりもタルちゃんの演奏を映像に収めたいと思ったのは、ジェフ・ベック自身だと思うから。神経質なファンが集まるベックのステージで、彼女だけが天真爛漫に笑っている。それに影響されてか、ジェフも他のプレイヤーも皆明るい。テクニック的にはまだまだという意見もあるが、なにしろベースを始めてまだ3年。それで、このマーカス・ミラーのような堂々たるプレイは見事だと思う。むろん美人っていうこともあるんだろうが、ベックとは40歳も離れた爺さんと孫ほど年が違うわけだから、「ジェフ・ベックが立場を利用してタルちゃんに悪さするはずないだろう」と安心して観れるところあるし(笑)。下心抜きでベックの音楽性を刺激したプレイヤーとして、彼女を評価してあげていいんだと思う。ていうか、音楽なんてそんな、人との出会いに触発されて生まれるものだからね。ミーハー万歳。





なんとインディーなのに高予算でPVまで作っちゃった、X-Teens「Change Gotta Come」。



 X-Teensのキティ嬢にひっかけて、今日の猫動画。スパンキング猫第二弾。まるで打楽器(笑)。



 これって猫の性感帯がお尻にあるかららしい。最近は動物愛護の観点からメスの避妊をしない飼い主の方もおられて、発情期にはこうしてお尻を叩いて処理してあげるとか。嫉妬してる下のおねだり猫がカワイイ。