POP2*5

過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

JASRAC DISCO(輸入版)のエントリへの反駁

 このブログへの批判エントリが「JASRAC DISCO(輸入版)」というブログに挙がっていた。内容はさておき、一つの典型的なパターンが見られる内容だったので、これについて解説しておくのは、それほど「無粋」ではないだろう。相手方のコメント欄に書こうと思って、10分ぐらいでえいやって書いてみたら、文量が多くて投稿できなかったんで(笑)。批評に関して興味のある方のみに、以下のエントリをお送りする。どうでもいいギャラリーはほっておいてほしい。


(原文はこちら↓)
>JASRAC DISCO(輸入版)


(以下、当方の反駁)
読みました。たぶん当方のブログのことだと思いますが。


>なんぼここまで執着してるのを観ると「おじさんも仲間に入れてほしいのに」
>的なルサンチマンにしか見えなくなってきた。


>と、異常に憤りをあの人に感じるという事は、
>かくゆう僕も同じ事を思っていたからでしょう。
>実際pixivにはクソッタレと思う事はいっぱいあるわけで。
「pixiv」を取り上げているのは、あくまでネタですよ。
SNSとして、これだけ参加者の欲望が歪に現れているメディアは珍しいから、
これをジャーナリスト精神から「取り上げいでか」と思ってしまう。
「異常な憤り」と書かれていますが、本人は「怒ってるわけじゃない」と何度も説明してます。
ロジックも理路整然としているし、これは怒りにまかせて書いた文章ではない。
むしろ「pixiv」に対する、的を得た論理的な批評がまったくないことのほうが異常なわけで。
だから、たまたま目について目立ってるだけだと思う。
自称「若い世代」がそういう批評に慣れてないだけでしょ。これだけ脊髄反射的な「感情的」な反発が多いのは。
だって「長文でトラバすれば読むよ」って言ってるのに、まったく論理的な反駁がない。
なのに捨て台詞で相手を罵倒するだけのコメが続けば、執拗にネタにし続けるでしょ、こっちは。
論理的な決着が済めばさっさと忘れちゃうのに、相手側がさも「自分たちのほうに真理がある」
と匂わせるだけで、説明してよと懇願しても、言語化できないのかドロンと消えてしまう。
この「ネタの宝庫ぶり」を普通ほっておくわけがない。「黙ってるのが大人」? バカバカしい。
延々これを続けさせているのは、ワタシの意思というよりも、一部の読者の反応ですよ。
「pixivにはクソッタレと思う事はいっぱいある」と言いながら、それを言語化しないのはなぜ?
だって草の根メディアであるブログってそういうもんじゃん。
なのに、まったく論理的批判も育たないうちに、孤軍奮闘している人のブログ捕まえて
「うんざり」だなんて、自分しか見えてない。これこそが感情論。
それにワタシは、ネタをマンガにするなど、エンタテインメント的な処理をして
なるべく不毛なだけの批判に終わらせないようにと考えて描いている。
「単なるルサンチマン」では普通ここまでしないってこと、見抜けないのかな?

>pixivはエロ絵ばっかりだ!って言ったって日本のオタク文化
>というか出版の文化だってネットの文化だって、
>色本とかポルノ画像の御陰で今の隆盛があるわけでしょう。
ワタシのブログでは基本的にポルノ表現を肯定しているから、この解釈は違う。
エロ絵がダメってわけじゃない。ワタシはR-18も解放してるし、「優秀な人も多い」とも書いている。
けど「節度を守ってこそポルノ」(大人のたしなみ)と言いたいだけで。
「pixiv」のようなメディアを手に入れたときに、日本人特有の付和雷同ぶりで
いつも「そればっかり」で溢れてしまうような現象が、無反省なまま行われていることに
当の本人はキモチワルイと思わないのかを問うている。どうみてもあれは異常でしょ。
各々が個人の好きなキャラを陵辱してるだけのつもりだろうけど、
あれは「他の人がやってるからオレもやっている」という、集団レイプみたいなもんだと思う。
それと、ワタシが初期に「pixiv」で無垢な投稿を続けていたときに、
イラスト表現の多様性というのを認めない連中が、「萌え度」の少ないワタシの絵を捕まえて、
「対象に対する愛がない」「あればもっと京アニの絵そのものになるはず」
みたいな偏向した酷評をされたことに対する、異議申し立てですよ。
「自分のほうが愛情がある」と言って、キャラを陵辱してるのには矛盾がないのかなと。
(キャラクターへ愛の姿勢については、極端な宮崎駿の例まで出して説明している)
ワタシのような業界人が、ポルノ表現に寛大な姿勢を見せるのは、芸術に理解あってのことですが、
一般人なら、「好きなキャラを陵辱する」ことを生理的に受け付けない人もいるのがフツー。
ワタシの絵に「愛が足りない」と一方的に批判してる人が、キャラを欲望の捌け口にして、
それを「愛の行為」だと自己正当化してることのほうがオカシイ。
それとブログでも書いてますが、「一定の尊敬から始まるコミュニケーションが基本」だと言うのに、
いきなり、相手を見下す発言から始まるのは、情緒的に未成熟だと思う。

>それを高みに立って否定するのは簡単な事だ。
>でもそれは最も無粋な事だと思うのです。


>たぶん、きっとそういう人は、活気のある若い人に会ってないんですね。
>ネット上の情報だけだと書いてる人の顔が見えない。
>あそこにあるものが総てに見えて、あの絵の向こうに居るものが
>人間に思えなくなってくるんじゃないだろうか。


>よく知らない周りを攻撃すれば自分のプライドなんて簡単に保てるけど
>やればやるほど、人間味からは離れていく。
こういう「決めつけ」こそが危ないと言ってるのに。ほとんど妄想レベルの、
ご都合主義的な切り捨てにしか見えない。
様々な人に会う仕事をしているから、どうみても後半の文章は的を得てるとは思えないし、
よほど人に会ってない人の「人に会ってる人観」で描かれた妄想文のように読める。
ワタシのブログを読んで、仲間には面白がってくれる人も多いんですが、
そういう人がカキコとかしないから、ネット上では見えないために「付和雷同」な人がそっちに流れないだけで。


一連の文章を読んで思ったのは、やっぱり自称「若い世代」という人々がいかに批評に慣れてないかですな。
この打たれ弱さは異常だと思う。ここまで理路整然と書かれたものを読んで、
「感情的な」「ルサンチマン」「年上だから」と言い訳していることが、
すでに文章をきちんと読解できてないことの証拠だから。


ワタシらの世代なんてカネがないので、近所のロック好きの兄ちゃんにLP一枚借りるために
どうでもいい説教を延々何時間も聞かされながら、レンタル料を払わない努力をしてきた。
感情的にムラっ気の多い、先輩のロック評論家の非論理的な説教に耐えて、
それでも得るモノがあると信じて、尊敬する先輩のいい部分だけを見ながら
文章術を鍛えていったという自負がある。あの「非合理」な青春もムダではないと言える。
そういう人との交流から、言葉による“批評”というコミュニケーションの重大さを学んだ。
そういうことを全否定して、そこから何が始まるんだろうと、文章を読んで思いました。
単なる「読解力のなさ」とか「甘え」の問題なんじゃないのかな?


(追記)

たぶん、きっとそういう人は、活気のある若い人に会ってないんですね。
ネット上の情報だけだと書いてる人の顔が見えない。
あそこにあるものが総てに見えて、あの絵の向こうに居るものが
人間に思えなくなってくるんじゃないだろうか。
少なくともワタシには、ワンパターンな萌え絵や陵辱絵を通して、
その向こうにある絵師に「人間らしさ」を感じることはできません。
「pixiv」がSNSであるという大前提をいまさら持ち出さなくてもいいと思うけど、
そういうことを期待して「表現」してるなら、ああいう風にはならないというのがワタシの持論かな。


「高みからモノを言っている」「頭ごなしに若者を批判してる」と書いてるけど、
どこにそんな一方向的な差別表現があるってわけ? それこそが偏見だよ。
高圧的な態度(一方的な短文トラバコメみたいな)と違って、きちんと論理性を積み上げて書いているのに、
そういう「誠意」をまったく文章からくみ取ろうとしていない。そっちのほうが不誠実だよ。


初期のエントリに書いてるけど、「pi●iv」にいる底辺絵師の人に向かってエールを送ってきたつもり。
「イラスト表現の多様性を認めず、日本人の付和雷同性のネガも自覚せず
“数こそが正義”とのたまう、“萌マンセーの多数派軍”の言うことなんか気にするな」ってね。
そういうことを言う大人もいないし、だからあえて連投してるってのに、
なんでこっちが「差別主義」「頭が硬い」「保守的」って話になるのか、見当違いも甚だしい。

どんなクソだろうがなんだろうが、「上手くなりたい」のがあって
「ただ絵が下手な人」の非難なんて、一切したことないのに、意見誘導も酷すぎる。
絵がうまくなるコツをワタシなりに言えるとすれば、それこそ「客観性」だと思う。
好きなキャラ模写で画力がアップするときの精神的な取り組み方にしても、ストイシズムだと思うな。
バカみたいに毎度毎度キャラにアイドルポーズさせて、ハダカにして陵辱したところで、
それで皆が絵がうまくなるなんて主張信じられない。そういう「応用力の効かない」ものを画力とは言わないよ。


(後記)


ビートたけしがツービートで登場したとき、「赤信号みんなで渡れば怖くない」とか
世間の常識をひっくり返す行為から、相当批判されたと聞いたけれど
それでも当時はたけしを「日本のレニー・ブルース」と擁護する知識人もいたし、
辛口エンタテインメントという表現があるってことに、メディアはもっと自覚的だった。
少なくとも「悪口のほうが正論より面白い」というようなノリは、ナンシー関さんが生きてたころまではあったと思う。
ところが、それと入れ替わりにネットの時代に突入すると、とたんにこうした本音が疎まれるようになった。
安易な正義感や被害者意識で、辛口批評自体を抹殺しようという勢いは凄すぎる。
しかも、どれも「非論理的」でアラが酷すぎるし、こちらよりよっぽど「感情的」。
本来なら、このJASRAC DISCOさんが脳みそを使ってやるべきは、「萌えの有用性」を説くことであって、
「萌え批判を批判する」ことじゃないと思うんだけど。相手の言葉尻捕まえて、本論からどんどん遠ざかってる。
近年、視聴者のクレームに怯えて、テレビがどんどんつまらなくなってることを
かつてのテレビ世代の一人として憂いているけれど(それでもかなり観る方だと思うけど)、
こういう若い人たちのわかったような「正論」が、世の中をずいぶんつまらなくしてるってこと
本人たちが少しでも気づいたり考えたりしたことがあるのかなと思う。


「萌え」も大いに結構だけどさ。その快楽至上主義を、大の大人まで認めなきゃイケナイって主張はどうもね。
「それは甘えだ」って厳しく教育されてきた世代なもんで、こればっかしは抜けないよ、一生。


(その後の話)


この後、本人からメールが来ました。朦朧として書いたもので消すつもりだったとのこと。
「萌えの有用性」については書く心得があるそうなので、興味のある方は訪ねてみては。
こうした誠意ある対応があればまだ救われますが、otsuneFTTH、kanoseの三羽ガラスは、
このブログのアンチコメの所に住み着いては、こそこそと悪口を書いて溜飲下げてるのがどうもね(笑)。
kanose(加野瀬)って人は週刊誌時代に後輩を通して仕事依頼したことあるけど、
そういう陰口ばかり方々に書き散らすのって、「プロの書き手」として恥ずかしくないのかねえ。
あといちばんくだらないのが、「バカのパフォーマンス」で紹介したki3tanとかいうやつ。
オレに睨まれると怖いもんだから、似たような萌えアンチのエントリをわざわざ見つけきて、
相手は何も言わないことをいいことに、それをマークしてこっちの悪口書いてやんの。
人間としてグズというか、ヘタレっぷりが笑えるよ、まったく(やれやれ)。
揃いも揃って、いい大人がやることじゃないんじゃないの? 恥ずかしくないのかね。