POP2*5

過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

Perfumeブームの示すもの。「歌謡テクノ」の進化の先は?(冬休み補修ヴァージョン)

Cubase 4

Cubase 4

 注文してあったシークエンサー・ソフト「Cubase4」のアップグレード・ヴァージョンが、私の手続き上の勘違いミスのために未だに届かず。がっかりしながらも、抑えきれない衝動があって、旧ヴァージョンの「CubaseSX3」を現行ノートPCに入れて、無理矢理動かしている。デュアルCPUに対応していないために、画面もプラグインの動作もガクガクだが、それでも2Gもあるから旧式のデスクトップより遙かに軽い。相変わらずのPerfumeマイブームにDTM熱を焚きつけられた格好なのだが、実際に「ファンデーション」、「ポリリズム」などの音色やコード、ベースラインを解析してみると、この10年の打ち込みポップスの進化のポイントがおぼろげだが見えてくる。生まれて初めてハウスみたいなキック四つ打ちでシークエンスを組んでみたけど、なんか精神的に解放されるものがあるな(笑)。その光景だけとれば「いまさらオヤジバンドでも組むつもりか?」とつっこまれそうだが、そうではない。
 かつて、慶応大学で美術史を専攻していた学生だった、音楽は独学の冨田勲は「なぜ音楽家になったのか?」と聞かれたとき、「音楽家になりたかったんじゃなくて、“音楽の秘密”を知りたくて音楽家になった」と答えていた。戦後すぐに進駐軍放送で、ストラヴィンスキー春の祭典」を初めて聞いたときの衝撃が、彼にアメリカから譜面を取り寄せさせるほどの情熱を掻き立て、作曲家・冨田勲を誕生させるきっかけとなったという有名なエピソードである。私は音楽家ではないが、音楽雑文ライターの中では比較的珍しい楽器、スコア好きだ。恥ずかしくて人には聞かせられないが、それなりに作曲・編曲経験もある。曲を聴けば、鍵盤やフレットの配置から、そのメロディーが手癖で書かれたものかそうでないかぐらいは大体わかる。そして、こうした「Cubase」のような音楽ツールと戯れることが、しばしば私に音楽ノンフィクションを書かせるときの一助となってきたところがあるのだ。
 友人の津田大介氏、ばるぼら氏ら、私より下の世代と付き合うのはなによりの刺激になっているが、こと音楽の話題になると3人とも生粋の音楽好きであるから、その話題は10年後のシーンを予測するような、いきおいSFチックなものになる。いや、iTSの「DRM廃止」やビットレート向上、「YouTube」「ニコニコ動画」などのアングラな動きがプロモーションツールとして機能してしまう現在の風景こそが、私には「SF的体験」そのものだ。そんな日々の中で、私の音楽的好奇心を満たしてくれるのは、すでに雑誌や単行本ではなく、むしろネット・ニュースや掲示板だったりすることに、「編集者」の私は少し寂しい思いに駆られることがある。
 先日、Perfume関連記事を調べていたときに、私より少し上の世代である田中宗一郎氏、野田努氏という、『スヌーザー』と『remix』という信頼にたる2大雑誌の編集長による「年末対談企画」を某誌で読んだ。メイン記事である「今年の音楽シーン総括」については、きちんとそれらを聴いてきていない私には語る資格はない。「Perfume的なるもの」については、2人はPerfume自体の是非論ではなく「それをありがたがる風潮」そのものを断罪していた(これはお約束なんでしょうね)。つい1ヶ月前まで私もそういう偏見に満ちていたから、とても人のことは責められない。「だいたい『QJ』やALL ABOUTなんかが毎回いやらしく青田買いするから、こっちは聞かず嫌いになるんだよ」とか「『QJ』はだいたい朗読少女蛍が一押しだったんじゃないのかよ(←いつの話だ)」とか文句言って、2人に論調を併せてみたりして……(笑)。しかし、その信頼にたる2大音楽ライターのスペシャルな対談であっても、あれだけ言葉を駆使したところで、音楽シーンの現在を正確に語れていないという印象を強く持ってしまった。今春、アークティック・モンキーズの大ブレイクに関連して、本業で音楽流通について調べ物をすることがあり、レコード産業に於けるメジャーとインディーの線引きについて、大きな地殻変動が起こっているのを実感することがあった。東芝EMIの大リストラや東芝資本の撤退、HMVのジャパン・ブランチのセルアウトなども、時代背景としてこれに大きく関わっている。「Perfumeブーム」どころか、断罪すべき音楽業界の問題は山積み。いまどき、こうした音楽シーンを支える構造についての理解がなければ、いくら音楽愛やジャンルについての知識があっても、音楽を語れないどころか、音楽を語っちゃいけないんじゃないかと思ったほどだ。2人は著名人だから、対談企画は気が進まぬまま「おつとめ」でやったというところだろうけど、筆力で今のポストを築いてきた2人の頂上対談が、いまどき、抽象論のみで音楽シーンを総括しようという光景には、いらだちを感じるところがあったのは事実である。
 そもそも、「ロックを聴いて衝撃を受けた>思わずギターを手にした」のではなく、「ロックを聴いて衝撃を受けた>ロッキング・オンの編集者になった」みたいな音楽ファンを、どっか信用していないところが私にはある。なぜ、音楽にそこまで影響を受けた人が、楽器を弾きたい衝動に駆られないのかは、正直未だに疑問。たとえロッキング・オンの編集者になって、ミュージシャンと酒飲み友達になっても、やはり「音楽」が2人を結びつけているものである限り、楽器やスコアに興味がない人には所詮ミュージシャンと編集者の関係は超えられないんじゃないかと思う(友達になることが目的ならば問題ないけど)。一見、オタマジャクシや音楽制作環境についてミクロに考えることは、社会、経済などのマクロ的視点とは正反対にあるように見えるかもしれない。だが、プロ・トゥールズ環境の利便性が、日本に於けるスタジオの存在意義や原盤所有の問題の大きな揺さぶりとなっていることぐらいは、DTMをやってみればイヤというほど感じさせるし。ACIDAbleton Liveなどのフレーズ・シークエンサーの登場には、パンク以来の音楽制作手法として衝撃を受けたが、この“魔のツール”には、これまであった「音楽の商品性」やレコード会社を取り巻く経済活動と相容れない部分も含まれていることについて、考えさせられるところがある。結局、楽器やオタマジャクシについて思いをはせることが、そのまま社会、経済について考える契機になるという話。その一方で、スコアや音楽環境をうんぬんせずに、できた作品を聴いて「言葉で音楽を語れる」などと信じている音楽ライターの抽象的な言葉が、むなしく鳴り響いていることの無効性というか……(私はその一点に於いて、音楽ライターである自分の立場はいつも謙虚でいたいと考えている。だから、どんなおろかでハレンチであっても、私はミュージシャンという「音楽を作る人々」への尊敬は揺るがない)。
 話は変わるが、下北沢の著名なライヴハウス、ZOO〜スリッツの時代を綴った『ライフ・アット・スリッツ』は、私は出る前から楽しみにしていた本だった。しかし、読み終わった私のこの本への評価は少し厳しい。この本には主体となる書き手や物語がなく、全編インタビュー構成が取られている。これでは、昔怪しげな放送作家が即席で作っただけの自称ノンフィクション『Jラップ以前』とかいう本と同じ轍を踏んでるだけだと思う。確かに、ノンフィクションを書いていると、しばしば行き詰まることが多い。相反する「事実の証言」をいくつか聞き出した時に、裏取りなどができない状況の中で、どれが正しいかの見極められないことは頻繁にある。しかし、「ノンフィクションを書く態度」というのは、そこから自分のストーリーを選び取ることだ。多視点は肝心だが、どれがその幹となるものなのかを、読者に放り出してちゃしょうがない。それを放棄していることが、この本の価値を半分にしていると私には思える。ノンフィクションを書く労力は、しょうもないテープ起こしの苦労レヴェルも含めて、本当に辛い。だからこそ、反面教師たる『Jラップ以前』みたいな、「コメントが発せられた時代背景は、各自で調べて欲しい」なんてバカ本の真似をして欲しくなかった気分がある。
 前書きにある通り、往事のスリッツの狂騒を知っている人からすれば、映画『24アワー・パーティー・ピープル』で描かれた「ファクトリーの物語」を自分に重ね合わせたくなる衝動もわかる。しかし、ファクトリーは「音楽を作る場」であり、「経済活動の場」だった。DJ的視点を発見することで、音楽の聴き方が大きく変わったという意味で、私はあの時代のクラブ文化の多大な恩恵を受けていると自任しているが、「当時、私がこれこれのレコードをかけた」「私が一番それをかけたのが早かった」という証言は、音楽を作る行為に比べてあまりに軽く響く。ZOO〜スリッツがあった下北沢というエリアは、関西ロックシーンの東京上陸の拠点となった場所で、日本のロック文化を語るには欠かせないLOFTの歴史とも大きく関わっている。下北沢の音楽史は調べていけば結構シンプルだと思うし、比較的文献も残っているから、彼らの証言に音楽的な価値を持たせるためには、下北という街との対比で、スリッツについて語ることが重要ではなかったのか? あるいは、下北沢の不動産史をこの本できちんと物差しに据えていないことが、ただの音楽マニア向けの読み物にしているところがある。それが、この本を要約したとき「もう、あんな時代は二度と来ない」というノスタルジーだけで完結してしまうような、虚しさを感じさせる原因になっている。いまさら当時を体験できない、'80年代に猛烈に憧れる若いサブカル世代への贈り物としては、これではあまりに酷だ。
 活字音楽ジャーナリズムへの失望は、日々大きくなるばかり。先日のミュージック・マガジン社批判のようなエントリは、そういう気分から発せられたところがある。あれをアップしてから数日経つけれど、ひょっとしてあるかもと思っていた編集部、あるいは当事者からのクレームは来ていない。所詮、一介の音楽ライターのブログの戯れ言だと片付けられたということなのかな。標的にされている人は編集部にとって大事な音楽ライターだろうし、音楽ライターにとっては自分を採用してくれた編集部が非難されているってことなんだろうに、パートナーの名誉を守ろうという理性すら動かないということには少々呆れる。だがその一方で、著名人を含む多くの読者からメールをいただき、その問題意識は多くの音楽ファンが共有していたものだったことを知って、私は少し安堵した。実際、好きだった雑誌だから「もっとよくなって欲しい」という思いから、勇気振り絞って猫に鈴を付けに行ったってところがあるから。しかし、フリッパーズ・ギターをやったら売れたからって、好きでもないのにその手の特集を頻繁に取り上げ、編集後記で「あくまで自分のスタンスは」だのといいわけしている高橋修の煮え切らない文章にはうんざりするな。この「まず最初にいいわけから」というスタンス、誰かに似てるんだよね(笑)。
 話を音楽制作環境の現状に戻そう。MIDIによるシーケンスがPC上でできるようになり、その後オーディオ処理がPC内で完結できるようなシステムが生まれてから、すでに何フェイズかが経っている。拙著『電子音楽 in JAPAN』の最終章を書いていた2001年ごろというのは、ちょうどPCによるテープレス・レコーディングが一般化しつつあるころだった。プロ・トゥールスで使われているような、アプリ動作のみメインCPUが司り、音声録音やプラグイン処理を別の専用CPU(PCIボード)が負担するという方式を「DSP」と呼ぶが、現在はネイティヴ型で知られている「Cubase」も、併行してプロ・スタジオ用として「DSP」方式が出るなんてアナウンスがまだされていたころである(その後、メインCPUの処理能力向上が追い越して、「DSP」処理型のDTMソフトは過去の遺物となった)。まだ「a-DAT」(VHSテープを使うマルチトラックレコーダー)が稼働しているスタジオも多くあったし、現在のようなシステムを受け入れる以前の過渡期のことだったと思う。それは「アナデジ人間」だった私にとっても同じ。ポピュラー電子音楽のパイオニア矢野誠氏の取材で聞いた、早い段階で「電子音楽の制作プロセスは、ある種の倦怠に行き着くことに気づいた」という証言は、機械と人間の格闘という電子音楽史に於いて重要な発言だと思ったし、「一人で音楽を作れる」という理想が、ややもするとクリエイターのエゴに陥るのでは? という警告をYMOの最終章にむりやり盛り込んでいたりするのも、暗にそれに対する私の受け入れがたさのメッセージだったりする。『電子音楽 in JAPAN』がタイトルとは裏腹に、沢木耕太郎的なメランコリックな読み物になっているのは、記録者である私の性分なのだろう。
 実際は2001年の増補版刊行時に、90年代以降に登場するテクノ世代までをフィーチャーするという計画もあった。しかし、彼らポストテクノ世代が音楽を作ることの動機について、正直図りかねていた私は、それにはもう少し時間が必要だという結論に達し、結局、演奏家出身で早くにコンピュータに理解を示していた3人、安西史孝氏、松浦雅也氏、戸田誠司氏らが登場する80年代中盤までで、『電子音楽 in JAPAN』の歴史を閉じている。「90年代以降の歴史は、私には書けない」という印象は、刊行後もずっと変わらなかったし、それを支えている技術的なスペックは16ビット→24ビット→32ビットと未だに進化の途上にあるものの、サンプラー登場以降、(一部グラニュラー・シンセシスなどの例外を除き)概念としての新しいテクノロジーは生まれていないと思う。おそらく、この後のストーリーとして、テイ・トウワ氏や電気グルーヴ石野卓球氏、砂原良徳氏ら、テクノ、ハウス、ラウンジ以降のミュージシャンの章を作るとしたら、ハードウエアの進化史だけでは解決できないところが多く、もう少し「心の問題」に踏み込まねばならないだろう。
 だが、Perfumeの音楽プロデューサーでありcapsuleというグループを率いるクリエイター、中田ヤスタカ氏のサウンドに感じた圧倒的な印象は、続きのストーリーを書きたいと思わせるほど、十分なインパクトを持つものだった。先日、capsuleだけでなく、彼がプロデュースや曲提供している近作をどっとまとめて買ってきて聴いてみたのだが、この物量はハンパじゃない。また、Perfumeのエントリで、わかりやすい特徴として挙げられる「Auto-Tuneベタがけみたいな、ヴォーカルの過度なモディファイ」について、従来ヴォーカルの個性を重んじてきた日本ではありえないと私は書いたが、実はこれってPerfumeに限らず、中田プロデュース全作品でも行使されているんだよね(笑)。この「迷いがない感じ」に、私はクラクラする。おそらく物心ついたときから、環境は全部ソフトシンセで内部完結してたという世代だからこそ、「心の問題」をすっとばして、音楽を組み立てる構造についても、新しい地平に立てるのではという幻想を抱かせる。打ち込み音楽界に於いて「ポスト小西康陽的」な存在として君臨していることからも、かつて小西康陽的センスを持つ新世代としてメディアに登場したばかりの、まだ21、22歳と若かったフリッパーズ・ギターの存在とダブって見えるところがある。フリッパーズとの関連で言えば、とにかくオシャレでイケメンということだけで、恐れおののくに十分な要素だと思う。そんな御仁が、MIDIのパラメータをすべて知り尽くしたようなテクニックを駆使して自らプログラミングを行い、あるいはファミコン世代らしく、PSG音源のように音階、リズム、音色が同一プログラム上で組まれてモーフィングしていくような、曲とサウンドの一体感を生み出していることにワクワクするのだ。


(……と、ここまでで予定していたプロットの半分までしか書けずに時間オーバー。続きは帰郷してから書くことにします)