イエロー・マジック・オーケストラ『イエロー・マジック・オーケストラ』(アスペクト)
細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏の3人が、YMO時代を振り返る初のロング・インタビュー集。YMOの全アルバムが2002年に、ソニー・ミュージックハウス(現・ソニー・ミュージックダイレクト)から紙ジャケットで復刻されたが、その際に『電子音楽 in JAPAN』を読んだディレクター氏から声をかけていただき、拙者が3人分をインタビューしてライナーノーツに掲載した、各メンバー10時間近くに及ぶ原稿を単行本化したものである。
これにはちょっと複雑な経緯がある。99年にアルファレコードの販売権が東芝EMIに期間限定移譲されたタイミングで、その時の監修者だった細野晴臣氏のインタビューを依頼され、拙者はハリー&マック『ルイジアナ珍道中』のレコーディング中だったサンフランシスコに赴いてインタビュー。それは99年、アートワークをテイ・トウワ氏が監修したリイシュー時にライナーノーツに掲載された。01年にアルファレコードの販売権がソニー・グループに移譲されるが、その翌年に同社の復刻セクションとして独立したソニー・ミュージックハウスで、坂本龍一氏監修によるYMO全アルバムのリイシューが行われることとなり、その際にも依頼いただいて、坂本氏をニューヨークに訪ねて15時間近くのインタビューを行っている。この作業過程で、「東芝時代の細野氏のインタビューが読めなくなるのは惜しい」という声が多くあり、それではと拙者が提案してリミックス原稿として再度、収録するという話になった(東芝とソニーではリリース形態が異なり、東芝では『マルティプライズ』、『浮気なぼくらインストゥルメンタル』『テクノドン』が含まれていたため、それ用のインタビューが別々に行われていたものを、ソニー版ではエピソードを振り分けて収録。また、東芝版でカットされたエピソードを拙者の懇願で復活させた部分があったため、これを“ディレクターズ・カット”と呼んでいた)。そこに、「であれば幸宏氏のインタビューも読みたい」というリクエストが出てきて、多忙な幸宏氏のスケジュールを割いていただき、DVD『Visual YMO :the Best』副音声収録の直後に、全10タイトル分のロング・インタビューを行ったというものである。これで各アルバムに、3人のインタビューが掲載されるという、ソニーのリイシューは贅沢なものになった。
ライナーノーツには、各アルバムごとに3人分のインタビューを掲載していたが、ここではそれを3人別々に分けて、時系列にそって並べ替えている。一部の方はご存じかと思うが、ソニーからの復刻の際に、同じくメンバーごとにインタビューを並べた『OMOYDE』という非売品の販促物を作っており、いうなればそれの一般書籍化と言えるものだ。だが、『OMOYDE』に併録された、ファーストのレコーディング・スタジオを訪ねた北中正和氏の『ミュージック・マガジン』のレポート、海外プレス用の英字資料、『ビックリハウス』に連載されていた3人直筆による「黄色魔術楽団症候群」は、無料の販促物ということで許可を得たものだったため、こちらには再掲載されていない。元々それらは、ライナーノーツ入稿終了後に、ソニーから「YMOで販促物として何か本を作りたい」という提案があり(東芝時代にも『MOMYAGE』というミニ写真集を作ったのだ)、私がアイデアだけを提供したというもの。新規で入れるコンテンツがなかったため、再録に相応しいものとして上記のものを挙げ、それをソニーのスタッフがまとめたものが『OMOYDE』となった。今回は私に追加作業の余裕があったので、本文の頻出用語の「キーワード解説文」すべてを書き、誤植だらけだった『OMOYDE』の「年表」を改訂、さらに「メンバー3人による全曲解説」を拙者が構成して収めている。「全曲解説」は、YMOの活動当時のオフィシャルな出版物『sútra 2000-20』、『国際画報』(ともにアルファレコード)、『テクノポリス』(富士フイルム)に、私が取材原稿化したベストアルバム『YMO GO HOME!』、『ONE MORE YMO』(東芝EMI)と、坂本氏自筆によるベスト『UC YMO』(ソニー・ミュージックハウス)に掲載されたメンバーのコメントを、曲ごとに再構成したものである。オークションでも万単位で取引されているオフィシャル出版物はおろか、東芝時代の『YMO GO HOME!』、『ONE MORE YMO』もすでに入手困難。いずれも『OMOYDE』未収録のもので、事務所の協力で初掲載が叶った。リリース順に並べられた各曲にメンバーが曲解説している図式は壮観で、インタビュー・パートと比肩する有意義な企画となった。
さらに、『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』『パブリック・プレッシャー』のジャケット・デザイン、細野晴臣『地平線の階段』(八曜社)、『sútra 2000-20』やYMOのチケット、ポスターの図案を手掛けていた巨匠デザイナー、羽良多平吉氏がアートワークを担当。口絵には、羽良多氏によるYMO写真素材のリミックスアートが掲載される予定である(筆者未見)。
メンバー3人が10時間におよぶインタビューを通して、YMOについて語っているものとしては唯一のもの。『TECHNODON(テクノドン)』(小学館)は編者の後藤繁雄氏の一人称で構成されるルポルタージュ形式の本だったため、いわばこれが初めての、メンバー公認インタビュー集となる。以前のエントリーで紹介した通り、細野氏はサンフランシスコ、坂本氏はニューヨーク、高橋氏は東京と取材場所も3都市にまたがるもので、おのずとインタビューの話題も、2回のワールド・ツアーの総括やアルファレコードの海外進出時の舞台裏のエピソードなどを交えた、国際色のあるものとなった。拙者は単なる記録者として関わっただけだが(著者はイエロー・マジック・オーケストラ)、拙著『電子音楽 in JAPAN』で類推して書いたエピソードなどについて、本人から明解な回答が得られたことなど個人的にも大いに収穫があった。海外の音楽シーンとの連鎖や当時の日本の経済状況について、かなり具体的に踏み込んで聞いていることなどが特徴的。これまでのファン視点で編まれたYMO本とは、まったく異なるものとして読んでいただけるだろうと自負している。
追加原稿を入稿したのは一昨年の冬なので、『電子音楽 in the (lost)world』よりも先に脱稿していたもの。発売が伸びたのはあくまで版元の事情だが、期せずして細野氏の久々の著書『アンビエント・ドライヴァー』(中央公論新社)とリリース時期が重なったのが運命的である。収録されている『テクノドン』期の細野氏と坂本氏の発言に見る、アンビエント・ミュージックについての解釈の差異については、『アンビエント・ドライヴァー』で書かれたエピソードと補完し合う関係になっている部分もあって興味深い。
一部のウェブサイトには、『OMOYDE』の書籍化について“アルファ商法”と呼んで非難しているものもあるようだが、これは該当しない。そもそも“アルファ商法”というのは、「アーティストに無許可で未発表音源をリリースする」ということでしょう。拙者がリイシューのスタッフとして関わるのは東芝EMIからだが、東芝以降すべてのリリースがメンバー監修となっており、よって“アルファ商法”時代のスタッフは外されている(同時期に出た、東芝EMIからの複数のDVDタイトル、ビクターのリミックスは元スタッフの仕事。当時販売権を持っていた東芝EMIのYMO担当ディレクターに無許可で行われていたため、このとき問題になっている)。販売権がソニーに移ってからも同様で、すべてメンバー監修の下、同社のスタッフで行われている。今回の書籍化の際も、改めてメンバーに再確認作業を行ってもらい、事実誤認などについてきちんと訂正も行われているのでご安心を。
『OMOYDE』は、YMOリイシュー時に添付されたシールを5枚集めればもらえるプレゼント企画だったが、これの印刷部数は数千部というわずかなもの。インタビュアーとしては充実したものになったと自負していたのだが、YMOのCD化はソニーに至るまでに何度かにわたって行われていたため、もっとも読んでもらいたいと思っていたYMOリアルタイム世代のほとんどが、すでに全アルバムをCDで持っているという状況があった。そのため、ソニー版リイシューに掲載された新規インタビューの存在を知らなかった人も多かったよう。また、わざわざプレゼント応募のためにCDを買い直していただいたり、『OMOYDE』をオークションで手に入れたという人もいたというから、それではあまりに申し訳ない。そこで、すでにCDをお持ちの方でもお求めいただけるものとして、一般書籍化が企画されたという経緯があるのだ(これにはソニー・ミュージックダイレクトの寛大な理解がある。改めて感謝)。ただし、『OMOYDE』をそのまま復刻するのではあまりに芸がないので、私の希望でファンだった初期YMOのデザイナー、羽良多氏に『OMOYDE』をリミックスしてもらおうと提案。それが今回の書籍『イエロー・マジック・オーケストラ』になったというもの。
インタビュアーである拙者が一般誌の編集者ということもあり、ワールド・ツアーで体感した文化格差、現代美術の影響、サンプリング技術による「音の植民地化」の命題など、社会意識について踏み込んでいるが、いずれの具象も彼らの音楽の変遷に大きな影を落としていることがわかっていただけると思う。また、YMOファンのライターに、意外にも「電子楽器に興味がないという人が多い」という話は以前別エントリーで書いたが、ここではMC-8からMC-4への次世代コンピュータへの移行、プロフィット5、TR-808導入、サンプラーの実現といったデヴァイスの変革が、実は各アルバムの音の変化に大きく関わっていることに初めて踏み込んでいる。データの記憶媒体にカセット・テープを使っていたMC-8の時代、「『ライディーン』なら3分、『テクノポリス』なら5分のテープロード時間が必要だった」ために、1回目のワールドツアーではやむなくギターソロを引き延ばしたなどの裏話は、YMO時代のテクノロジー環境が、いかに過渡期的であったかを物語っている貴重なもの。このへんはYMOファンならずとも、80年代初頭の音楽シーンの状況に興味のある方ならば、面白く読んでいただけるだろう。
拙著『電子音楽 in JAPAN』では、主に「演出上の理由」から、82年以降のYMOの軌跡を扱っていない。そのぶんここでインタビュアー(拙者)は、『浮気なぼくら』『同インストゥルメンタル』『サーヴィス』『アフター・サーヴィス』の散開までの経緯について、かなり恐れ多い質問をしているのだが、メンバーの回答は明晰である。これまでのYMO本ではなぜか誰も言及してこなかった、初期からのファンにはずっと謎だった散開ツアー時の「ファシズムのイメージの引用」についても、メンバー皆が当時から違和感を感じていたことを告白している。結果、メンバー3人の発言によって、当時細野氏が語っていた「YMOという第四の人格」が浮き彫りにされることとなった。その正体は何だったのか? 各自で本書をあたって推理してみていただきたい。
本書『イエロー・マジック・オーケストラ』は、アスペクトから、10月24日に発売される予定。
写真はゲラチェック作業中の曲解説ページ。