POP2*5

過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

NHKの新番組『ドクター・フー』とBBCラジオフォニック・ワークショップ


 今週月曜日(9月25日)から、NHKの衛星放送BS2で知る人ぞ知るイギリスのSFドラマ『ドクター・フー』が始まった。これは63年スタートの歴史ある長寿SFドラマで、現在まで26シリーズ、計700話が作られている。NHKで始まった新シリーズは、主人公ドクターが9代目。『日陰の二人』『アザーズ』などに出ている渋い脇役、クリストファー・エクルストンが務めている。相棒のローズのビリー・パイパーがいかにも英国風のハスっぱなブス可愛い感じで、全編コメディタッチで進行しながらも、タイムマシンものとしては『アウター・リミッツ』などの古典作品を彷彿させる、けっこうハードな作りなのだ。で、すでに4話が連続オンエアされ、来週から週一レギュラー放送となるのだが、これが期待を上回る面白さ! 『トワイライト・ゾーン』『アウター・リミッツ』と並ぶ古典の名作と言われながら、なぜ日本で紹介されてこなかったが謎である。英国の民放チャンネル4でオンエアされた『マックス・ヘッドルーム』など、英国製SFとして紹介されるドラマも過去にはあったが、おそらくSFなのにマックスのようなキャラクターが一切登場しない人間主体のドラマゆえ、子供ウケが難しそうという判断から敬遠されていたのかも知れないな。いずれにせよ、捻りのきいた脚本の展開がいかのも英国風なのだ。
 テレビ放送はおろか、ビデオも発売されたことがなかった『ドクター・フー』だが、サントラ収集家の間ではそれなりに知られていて、渋谷のサウンドトラック盤専門店すみやにも昔から『ドクター・フー』のコーナーがあった。電子音楽よろず収集家の私も、同番組のタイトルだけは別文脈からよく知っていた。実は『ドクター・フー』が日本での知名度がないためか、番組名を伏せて「BBC効果音集」という名義で、劇中で使用された素材から集めたSF編が1枚、ホラー編が2枚、過去にテイチクからレコード化されていたりする。その制作チームの名は、BBCラジオフォニック・ワークショップ。長らく私にとっても謎の存在だったが、25周年を記念したルポルタージュ本が英国で出版されたものを数年前に入手でき、ほぼ全貌を知ることができた。一昨年、日本でも翻訳された伝記『ポール・マッカートニーとアヴァンギャルド・ミュージック』でも、ビートルズが前衛音楽手法を取り入れたきっかけ的な存在として、かなりのボリュームを割いてBBCラジオフォニック・ワークショップが取り上げられている。実は、ジョージ・マーティンも同所で1枚、電子音楽の秀作的なシングルを制作しており、その音源や制作までのいきさつは、日本でも出た彼の4枚組のCD BOX『ジョージ・マーティン・ボックス・セット』でも紹介されていた。
 BBCラジオフォニック・ワークショップができたのは58年。40年代末にフランスのパリ放送局で新時代の芸術としてミュージック・コンクレートが生まれ、続いて50年代初頭にドイツのケルンにある北西ドイツ放送局から電子音楽の歴史がスタートする。続いて、世界で二番目の電子音楽スタジオとなったのが日本のNHK電子音楽スタジオで、同56年にはイタリアのミラノ放送局でもルチアーノ・ベリオらが第一歩を記した。同所は、いわばそれに次ぐ歴史を持つ機関なのだ。まだ珍しかったテープ・レコーダーを必要とする芸術だったため、いずれも放送局内に設備が作られ、使用済みの発振器やジャンク・パーツなどが使われた(コロムビアプリンストン電子音楽センターで有名なアメリカ、ユトレヒト大学が中心のオランダなどは、大学施設内で歴史が育まれた)。拙著『電子音楽 in JAPAN』の海外の章で、これらの生起について触れているので興味のある方はぜひ一読を。
 で、BBCラジオフォニック・ワークショップが唯一特殊なのは、他国のほとんどが現代音楽の一ジャンルとして、電子音楽の歴史をスタートさせた(あの「ピーピー、ガーガー」でおなじみのシリアスな音楽)のに対し、同所は最初からポピュラー音楽のために設立された背景があるのだ。以前、ライブラリー音楽について書いたエントリでも触れたが、イギリスでは演奏家ユニオンの権限が強いために、一定の生演奏枠を確保するために、ラジオ、テレビで既成のレコードの使用を半分以下に抑える法律があった。日本では流行の洋楽曲などがよく使われているテストパターン放送(今の若い人は知らないかな?「歌う天気予報」みたいな、早朝や深夜のつなぎの調整用のイメージ番組)でも、イギリスのBBCではわざわざ録り下ろしの曲が使われていた。これらは近年になって『BBCテストカード・ミュージック』というタイトルでCDにもなっている(電子音楽の大家、エリック・シデイなどが曲を提供しており、まあライブラリー・レコードと同義ってところかな)。そういった背景があり、BBCラジオフォニック・ワークショップは、BBCの4局や海外支局から依頼を受けてオリジナルなジングルやBGMを制作する機関という、明確な商業利用を目的として誕生したものなのだ。
 作曲家、技術者を集め、ロンドンのメイダ・ヴィルのBBC音楽スタジオ内に58年に誕生。設立時のメンバーは、ディック・ミルズ、ジョン・ベイカー、デヴィッド・ケインなどいずれもジャズ編曲家である。ミルズは英国文化ファンには知られている、スパイク・ミリガンやピーター・セラーズを輩出したラジオ・コメディ番組『The Goon Show』の音楽を手掛けていた人物。ここに、元はBBC音楽スタジオのマネジャーとして入局した女性作曲家、デリア・ダービシャーらが加わって、まったくの無手勝流で歴史をスタートさせた。装置は、わずかな発振器、ノイズを発する電気部品、廃品などの素材だけで、これをフィルターで変調させたりテープ編集によって音楽化するというスタイル。63年にここが制作した、ロン・ゲイナーの譜面を電子音でリアライズした『ドクター・フー』のテーマが大ヒットを記録し、BBCに巨大な利益をもたらした。これを手掛けたのがデリア・ダービシャーである。元々はケンブリッジ大学で学ぶ数学者だったが、音楽の教養も高く、ルチアーノ・ベリオの英国講演のアシスタントを務めたこともある才媛。『ドクター・フー』のヒットで同所は注目される存在となり、ポール・マッカートニーや生前のブライアン・ジョーンズローリング・ストーンズ)が見学に来たこともあるらしい。その中にいたのが、ビートルズの制作者だったジョージ・マーティン。同所がEMIのアビー・ロード・スタジオと近所だったこともあって交流を深め、マーティンの初めてのシングル「タイム・ビート」がここで制作されている。名義は“レイ・カソード”という変名で、その正体は彼と同スタジオの女性作曲家、マドレーナ・ファガンディーニビートルズ以前に、ピーター・セラーズのコメディ・レコードを制作していたマーティンにとって効果音編集はお家芸。ここで得た技術を用いて、この時期にいくつかのユーモラスなコンクレート風のレコードを制作している。
 実はこうしたBBCラジオフォニック・ワークショップの歴史は、『ドクター・フー』同様、長らく日本で紹介されることがなかった。が、イギリスではキッズから若者までを巻き込む大衆支持を得ていたのだ。ビートルズアイ・アム・ザ・ウォルラス」「レボリューションNo.9」のコラージュや、ピンク・フロイドマネー」で使われたレジスターのサンプル音などのコンクレート風の前衛手法について、発表当時はドイツのシュトックハウゼンジョン・ケージからの影響が憶測されていたが、むしろ幼少期からテレビ、ラジオを通して子守歌として聴いて育った、BBCラジオフォニック・ワークショップの電子サウンドの影響とみるほうが正しいだろう。サイケ、プログレ・ファンの間で人気のグループ、ホワイト・ノイズの首謀者デヴィッド・ヴォーハウスもここのパートタイム・スタッフで、『ドクター・フー』にも参加。名作『An Electric Storm』以外にも、ホワイト・ハウス名義で 5枚、個人名義でライブラリー用として10枚近くのレコードを発表している(詳しくは拙著『電子音楽 in the (lost)world』参照)。処女作『An Electric Storm』以外はわりと凡庸なシンセ・ニューエイジなのだが、実は第1作でペリー&キングスレイ(ディズニーランドの「エレクトリカル・パレード」の音楽で有名な制作チーム)のカットアップなど、ギミックを駆使したトラックを制作していたのはヴォーハウスではなく、匿名で参加している同スタジオのデリア嬢なのだ。
 BBCラジオフォニック・ワークショップはその後、70年に誕生したイギリス初のシンセ・メーカーEMSの大型装置シンティ100(通称デラウエア)が導入され、アープ・オデッセイなどのシンセ類を中心に、ライヴ録音が可能に。そこから、70年にテープ編集マンとして入局したパディ・キングスランドなどが育ち、シンセ・レコード制作者として著名な才能が巣立っていく。だが、BBCが経営の立て直しのために会計士を会長に招いた際に、音楽部門の縮小化を通達。73年にベイカー、デリアらが離脱して、彼らはその後、ライブラリー盤のクリエイターとしてキャリアを再スタートさせることとなった。イギリス産の企画もののシンセ・レコードの大半が、実は同所で薫陶を受けたクリエイターによるものだったりするのだ。だが、ごく普通のスタジオと変わらない存在となったBBCラジオフォニック・ワークショップは、その役目を終え、97年に歴史の幕を閉じている。
 同スタジオはずっと謎の存在だったものの、それでもシンセ・レコード収集家の間で有名な、いくつかの作品集をリリースしている。初の作品集『The BBC Radiophonic Workshop』は、10周年記念として68年に発表。ベイカー「Christmas Commercial」はレジスターの音がリズムを刻む素晴らしくポップなジャズ曲で、あきらかにピンク・フロイド「マネー」のヒントはここにある。デリア「Door To Door」は、ホラー風だったアンリ「Variation For A Door And A Sign」同様のドアの軋みの音を使って、絶妙なポップ曲に。時報のピッピッの音が途中でメロディで奏で出す「Time To Go 」など、デリアの曲はアニメ的描写力に優れたものが多く感心する。いずれも、アメリカのペリー&キングスレイ、フランスのロジェ・ロジェのような楽しい電子音楽ばかりなのだ。しかも、BBCラジオフォニック・ワークショップ最大の特徴は、女性作家が多いことだろう。50〜60年代、象牙の塔と呼ばれた時代の各国の電子音楽スタジオは、気難しい現代音楽家によって占拠されており、冨田勲宇野誠一郎といったポピュラー音楽家に排他的だったという証言もある。ほとんど各国とも、女人禁制といった雰囲気だったらしい。『ドクター・フー』のテーマ曲を作ったデリア、前出「タイム・ビート」のマドレーナなど、同所の出世作はいずれも女性作家によるもの。デリアは写真で見ればわかるようにルックスもけっこう美人で、後のアート・オブ・ノイズのアン・ダドリーの存在と重ね合わせることもできるだろう。世界で活躍する数少ない女性シンセスト、ルース・ホワイト、スザンヌ・チアニらの作品にも秀作が多く、冨田勲に通ずる印象派風の伝統は、むしろ女性作家に受け継がれている印象がある。実は、ウォルターからウェンディに性転換したカーロスだけでなく、名前は出せないが電子音楽作曲家には少なからず同性愛者がおり、そうした“女性的な感性”が歴史を作ってきたとも言える部分があるのだ。
 実はNHKで『ドクター・フー』が始まるのとタイミングよく、BBC-4で放送された『The Alchemist Of Sound』なる、BBCラジオフォニック・ワークショップのドキュメンタリー番組がある。昨年、ロバート・モーグの伝記映画が公開されたが、当時の映像素材が少ないために、フィーチャーされるのはあまり価値のないテクノ以降のミュージシャンの話ばかり。名作『テルミン』などに比べて、お世辞にも面白い映画ではなかった。BBCラジオフォニック・ワークショップは60年代末のサイケデリック・エラのころ、時代の花形らしく広報番組用に数多くのフィルムを残しており、中にはデリアやベイカーがアナウンサーを相手に、音作りをレクチャーする映像まである。このドキュメンタリーは全編にわたって珍しい映像を配したもの。私は英国の友人の協力で見せてもらうことができたが、日本では知名度のなさが理由でおそらく放送されることがないと思うので、ここで画面写真などを使って番組の内容をざっと紹介してみたいと思う。



同スタジオのお歴々が語る貴重な証言。ロジャー・リブ、マーク・エアーズ、ブライアン・ホジソン、デスモンド・ブリスコウ、ディック・ミルズ、マドレーナ・ファガンディーニ、マルコム・クラークなど。コメントにスクラッチやテープ変調が入るお遊びも。


オリジナルのモノクロ時代の『ドクター・フー』始め、日本では放送されていない歴代のBBCドラマのオープニングもまとめて紹介している。ジョン・ベーカーが音楽を付けた『Factor』は黎明期のコンピュータ・グラフィックス映像。子供番組『Bleep & Booster』は英国版『宇宙人ピピ』といったところか。パディ・キングスランドの音楽による『The Hitch Hikers Guide To The Galaxy』は後期のヒット作で、日本でも輸入盤で早くからBGM集が入手できた。


スタジオ装置の風景。初期は数台のテープ・レコーダーと、発振器、ノイズ・ジェネレーター、スクラップ、パーカッションなどで制作されていた。まだマルチトラック・レコーダーがない時代に、どうやってシーケンス・リズムを同期させていたのかが謎だったが、なんとデリア・ダービシャーがテープ操作の名人で、複数台のテープ・レコーダーを再生しながら、DJみたいにテンポ合わせしてシンクロさせていくのである。天晴れ!

初期スタジオの最大の功労者だったデリア・ダービシャー、ジョン・ベイカーはすでに鬼籍に入っており、当時の貴重なインタビュー映像でカヴァーしている。ここで使われているベイカーの数曲は、これまで発表されたコンピレーション盤のいずれでも紹介されてないもので、ビバップ風のジャズとメロディアスな電子音を組み合わせたヒップでグルーヴィなもの。どれもカッコよくて失神しそう!

「The Enigma Of Ray Cathode」という章では、知る人ぞ知るジョージ・マーティンが同所で制作したシングルの制作秘話を公開。クールなメガネのマドレーナ・ファガンディーニも、楽しそうに思い出話を語る。サイケデリック・エラのビートルズ信者でもある小生にも、美味しい話がいっぱい聞ける。

70年にイギリス初のシンセ・メーカーEMSが誕生。ピンク・フロイドが『狂気』で使っているのもこれで、自国産のシンセ・ブランドの登場から、イギリスの電子音楽の歴史は急速に発展していく。同年スタジオに導入されたのが、EMSのシンティ100やレギュラーのEMS、AKS、アープ・オデッセイなど。シンセ時代に活躍するパディ・キングスランドは、離脱後も数多くの企画者のシンセサイザー・レコードを出している著名な存在。最晩年には、オーストラリア製の世界初のサンプラー、フェアライトCMIが導入されるが、よって80年代初頭のBBCのジングルは、ほぼ全編がフェアライトに傾倒して、まるですべてがトリッキーなアート・オブ・ノイズみたいな曲になる。かなりオモロイ。

BBCの映像アーカイヴは凄まじく貴重なものばかり。他国の作家の映像も残しており、アメリカ製のドキュメンタリーでは見ることができないアメリカの作家の映像も多い。ここでも、RCAミュージック・シンセサイザーを操作するミルトン・バビット、モーグIIIとガーション・キングスレイ、性転換前の珍しいウォルター・カーロスの動く映像などが登場する。

拙著『電子音楽 in the (lost)world』でも紹介している、BBCラジオフォニック・ワークショップのレコードから一部抜粋。『ドクター・フー』は26シリーズにも及ぶため、メロディをその時代の最新の意匠でアレンジした様々なヴァージョンが制作されている(25周年記念盤でまとめて聴ける)。初期の作品集はCD化されており、amazonでも購入できるのでぜひ一聴をお薦めする。デリア、ベイカーのメロディアスな電子音は、シンプルながら冨田勲的な絵心を感じるポップな作品ばかり。もっとも最近になってリリースされたのが未発表曲集の『The Tomorrow People』で、デリアやデヴィッド・ヴォーハウスも参加するBBCの初期番組のサウンドトラック。実はこれ、イギリスの大手ライブラリー会社「スタンダード」から出ていた音源集と同じ内容で、どうやら同番組がソースだった模様。デリアはヴォーハウスらと違い、BBC離脱後は本名を表向きには出しておらず、ライブラリー盤ではルッセという名前を使っていた。