POP2*5

過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

アニメ・ドラマ主題歌映像アンソロジーLD大特集

 先日、私の刑事ドラマ好きのエピソードを開陳した。オープニング映像で、各刑事のプロフィールが紹介される止め絵のシンクロに、映像の醍醐味を感じていたという話である。私のようなニュー・ウェーヴ世代というのは、思春期のMTV登場時の衝撃的な体験もあり、映像と音楽の融合といったテーマにひとかたならぬ感心を持つ者が多い。最近だと、VJ(ヴィデオ・ジョッキー)なる新職業が現れて、クラブ系のアーティストの映像サポートで活躍しているのを知っているが、私が陶酔しているのは単なるフリッカーとリズムのシンクロではなく、もっと“物語的”なものだ。クロード・ルルーシュ男と女』とか、リチャード・レスターのコメディみたいな、絵コンテできっちり演出されたシンクロ映像。ミーハーで申し訳ないが、デヴィッド・フィンチャーも大好きだし、初期の黎明期のMTV監督として一時代を気付いた、スティーヴ・バロンの監督第一作『エレクトリック・ドリーム』なんて何十回も観ているほどに入れあげている(DVDがなぜか出ないので、LDも2枚持ってる)。
 田舎に住んでいたので、雑誌以外で海外の最新トレンドを知るために、よく“水曜イレブン”(『11PM』の愛川欽也が司会の水曜日)をチェックしていたので、時代の最先端を行っていた実験映像作家については、かなり習熟していたと思う。昨年、イメージフォーラムからDVD BOXが出たズビグ・リプチンスキーなんかが、私らの世代のイコン的存在。自治体から予算をもらって、マサチューセッツ工科大学の高価なコンピュータを使って、ほとんど一発ギャグに違い映像をシコシコと何年もかけて作っているという職人の世界に、ひたすら憧れた。実際に入手するのはずいぶんたってからだが、パイオニアLDC(現・ジェネオンエンタテインメント)がレーザーディスクでビデオアート作品をたくさん出していて、それらを店で見つけると再生機もないのにシコシコ集めていた。ノーマン・マクラレン、ジョン・ウィットニー、オスカー・フィッシンガーなどのフィルム時代の名匠から、ロバート・エイブル、ジョン・サンボーンなんていう、ポスト・ナム・ジュン・パイク的なビデオアーティストの作品集が出ていて、それらを観るたびに、ほとんどYMOサウンドを聞くのと同じような“テクノロジー芸術”の陶酔感を味わっていた。今月号の『スタジオ・ボイス』誌でタイミングよくビデオアート特集をやっているが、宇川直宏氏がさかんに話題にしている「映像の魔術師」「アニメーション・アニメーション」なども同社のシリーズ。海外では教育機関向けにほそぼそとVHSで出されていた作品集を、世界初のビデオディスク・アンソロジーとしてまとめた日本だけの贅沢な企画だった。今でも映像系の専門学校などで、視聴覚室の貴重なコレクションとして大事に扱われているところも多いはず。当時のパイオニアLDCには、そうしたメセナのような売れないソフトに予算がかけられる環境があったようだ。その後、権利は消失してしまったと聞いていたものの、数年前にその路線が復活し、ノーマン・マクラレン久里洋二のDVD BOXを出してファンを狂気させた。「映像の魔術師」のラインナップのDVD復刻としては、別メーカーからだがチェールズ&レイ・イームズ(あの50'sチェアのイームズ夫妻のこと)の再編集版も出ているし、オスカー・フィッシンガーの未発表作品集も先日海外で発売されたばかり。ジャズや電子音楽などのヒップな音楽と映像のコラボレーションはけっして肩の凝らない楽しいものばかりで、興味をお持ちの方はぜひ体験してみていただきたい。そういえば以前、ジェネオンの担当者の方と電話で話す機会があって、ジョン・ホイットニーやオスカー・フィッシンガーもDVD化する予定があるかどうか聞いてみたのだが、現チームはどちらかというとイジートルンカなどのロシアやチェコの文芸アニメ寄りらしく、ビデオアート系作品にはあまり興味はないみたい。うう、悲しい。
 あと、アスミック・エースから出ているPV監督のコンピレーション「Directors Label」も類似企画として捨てがたい。おなじみのPVやCMなどの商業作品だけでなく、学生時代に撮った習作映画や出資者を募って作った個人的な短編作品も入っていて、これらがまた傑作揃い。スパイク・ジョーンズ、クリス・カニンガム、ミッシェル・ゴンドリーの3作家を紹介した第一弾は、元々初回限定のBOXがわずかしか作られていなかったために、発売日に品切れになって洋楽PVファンの間で「どこに行っても売ってない」と発狂させたエピソードもある(現在はバラで入手可能)。アントン・コービン、ステファン・セドゥナウィ、マーク・ロマネック、ジョナサン・グレイザー作品を納めた第2集は、90年代作品中心の若手で構成されているもの。唯一アントン・コービンは古株だが、ボーナストラックにパレ・シャンブルグ「HOCKEY」のPVがこっそり入っていたのには感激した(彼のデビュー作らしい)。
 で、そのへんのコレクションを開陳しようかなとも思ったのだが、ちょっと専門的過ぎてウケないかなと思い、もう一方で私が集めている、テレビアニメ、ドラマのオープニングを集めた映像コンピレーション盤をざっと紹介してみることにした。おそらく、私がMTVやビデオアートにハマった原体験には、幼少期に観た手塚治虫アニメの記憶があるからだ。虫プロの『ジャングル大帝』のオープニングの、今どきのCGのようなモーションカメラ風のダイナミックな動き。リスの大群が樹木を駆け回るシーンの、まるでディズニー・アニメのようなチマチマとしたトレース。本編は原作に比べて大して面白かった記憶はないのだが、このオープニング映像だけは所有したいとずっと思っていたので、レーザーディスクが出たときに発憤して購入したのを思い出す。
 レーザーディスク時代には、こうした主題歌を集めたコンピレーションが各社からリリースされていて、ちょっとしたブームだったと思う。しかし、その中心はアニメや特撮もので、残念ながら私の好きなドラマの主題曲を集めたようなもの(例えば刑事物、時代劇などのアンソロジーとか)は出ていた記憶がない。アニメの主題歌集が出しやすいのには理由があって、ほとんどの制作会社が楽曲の出版権を自社で保有しているからである。楽曲だけなら、日本テレビ音楽出版、フジパシフィック音楽出版など放送局系の出版社があるので、ドラマでもバップの『日本テレビドラマ主題歌集』のようなコンピレーション盤は出せるのだが、映像の権利を、東映、松竹、共同テレビなど別の著作権者が持っているために、ビデオソフト化するのは容易ではない。アニメは、映像の権利を持っている会社が楽曲の出版権も握っているので、映像と音楽をセットにしたパッケージが作りやすいのだ。
 テレビ作品の音楽の出版権については、以前、関係者からいろいろ話を聞いたことがある。例えば、ゴダイゴが主題歌を歌っている堺正章主演の『西遊記』の場合、その実質的なサウンドトラック盤であるゴダイゴMAGIC MONKEY』収録曲のうち、主題歌である「モンキー・マジック」「ガンダーラ」のみ、日本テレビ音楽出版が権利を持っている。これは局側が、番組のヒットとの相乗効果で主題歌が売れた場合に、局側にも収入が入ることを見越して、制作費を負担するするというパターンがあるからだ。だから、昔はそのへんシビアで、ドラマの主題歌がヒットしても、それが他局の作品のものならば、ライバル局の歌番組に出ることはなかったらしい。その曲がかかると番組宣伝になってしまうからというのが理由ではなく、単純に楽曲の使用料がライバル局に入るからである。しかし、このへんは『ちびまるこちゃん』のBBクイーンズや、『ウリナリ』の番組からでたポケット・ビスケッツなどがNHK紅白歌合戦に出たりして、最近はそこまでシリアスな状況ではないらしい。フジテレビの香取慎吾版の『西遊記』も、ずっと一切無視していたゴダイゴ「モンキー・マジック」(日本テレビ音楽出版)を、最後のマチャアキがカメオで登場するシーンにだけ、ちょろっとサービスでかけてたもんね。
 アニメ主題歌の場合は、局ではなく制作会社が持つことが多いため、かなり独立性が高い。東映東宝などの制作会社は、ほとんどが自前の音楽出版社を持っている。これには、手塚治虫が国産テレビアニメ第一号である『鉄腕アトム』を始めた時のスタイルが、いくばくか間接的に影響を及ぼしているといわれている。まだ「週一回放送のテレビアニメなど絶対に作れない」と言われていた時代に、手塚は『鉄腕アトム』でそれを初めて実現させた。その時、本来なら高額な制作費が必要と言われていたのに、相場の1/3と言われている1本あたり200万円を局からもらうだけで、『鉄腕アトム』制作にゴーサインを出した。その代わりに手塚は、残りの2/3を本業のマンガ家収入で得たポケットマネーを当てて、制作を続けたのである(この時、フジテレビからはもっと高額な提示があったという説もあるのだが、それをあえて断ったのは、ライバル会社がテレビアニメに参入できないようにするための牽制だったと言われている)。日本のテレビアニメの制作費が低いと言われているのは、この時の手塚がその額で引き受けてしまったからであると、批判する人が今でも多いらしい(確か、宮崎駿もインタビューでそう言っていた)。だが、実は手塚の中では、『鉄腕アトム』を海外にリセールして元を取るという腹案が最初からあったようで、半年後にNBCから『鉄腕アトム』を「ASTRO BOY」に改題してオンエアし、制作費の不足分を補って余りある収入を得ている。このように、ドラマなどに比べ制作費がかかるアニメの場合は、常に制作費の不足分を権利の二次使用などであてがうのが一般的らしい。例えば、当時アニメ主題歌の制作を一手に引き受けていた日本コロムビアの名物ディレクター、木村英俊氏の自叙伝『THEアニメ・ソングーヒットはこうして作られた』によると、アニメの制作費の不足分の補填としてもっぱら使われる収入のうち、キャラクター商品のマーチャンダイズ料に次いで、主題歌の出版収入が占める割合が大きかったんだとか。よく、アニメや特撮の主題歌の歌詞を、脚本家やプロデューサーが変名で手掛けることが多いのも、その印税を個人が受け取るのではなく、制作費に回すためといわれている。
 ま、そんな自社出版のおかげで、さまざまなスタイルの主題歌オムニバスが登場し、一時期、レーザーディスク市場を賑わせていた。中には、MTVもかくやと言う高度な編集技を聞かせたものもある。一部、DVD化されたものや、レンタルビデオでよく見つかるものもあるので、ぜひチェックしてみていただきたい。



虫プロベストセレクション』(創美企画)
虫プロベストセレクション』(Taxco)
虫プロTVアニメ主題歌大全集』(ビームエンタテインメント)
記念すべき国産テレビアニメ第一号となった『鉄腕アトム』は、原作者の手塚治虫自らが会社を興して制作。『虫プロベストセレクション』は、同社作品のオープニング、エンディングの主題歌を集めている。アトムの誕生は、そのまま国産テレビアニメの誕生と重なる感動の瞬間。本コンピでも主題歌の前に、あの有名なベートーベン「運命」を使ったアトム誕生場面が長めに織り込まれている。『ジャングル大帝』のオープニングは今観てもため息つく。プロデューサーの山本瑛一が書いた『虫プロ興亡史』というセミノンフィクションで知ったが、『ジャングル大帝』はテレビメーカーのサンヨーが提供の国産初のカラーアニメで、まだ渡航自由化以前でアフリカに関する資料がほとんどモノクロ写真しかなく、色彩考証はすべて想像だけで作られたという。よって、かなり原色主体のサイケな映像美になっている。『悟空の大冒険』のスピーディーなアクションは、ギャグの真髄って感じ。『電子音楽 in the (lost)world』にもちょっと書いたが、監督の杉井キサブローがパイロット版の音楽に諸井誠を起用した理由が、「7のバリエーション」などの前衛音楽を聴いてという話らしいから、もともとがヒップでゲバゲバなノリの作品なのだ。『リボンの騎士』は冨田勲の流麗なスコアにうっとりする。『さすらいの太陽』は筆者も夢中になった音楽業界根性もの。音楽はいずみたくで、主題歌の映像もカラオケみたいに文字がアニメで連続して流れる凝った作りに。『W3』は原作は大好きだったが、WOWOWでやってた時に観たら、最終回のあのタイムパラドックスネタが割愛されていたのには驚いた。あれって、やっぱり一般視聴者には難しすぎるってことなのかしら。本盤は全作品ではなくダイジェスト収録で(『ムーミン』などの有名作品が入ってない)、そのぶん主題歌以外に本編からの映像も一部使われており、虫プロ唯一の実写作品である『バンパイア』は、水谷豊の狼の変身シーン(ジョン・ランディス狼男アメリカン』を20年先言っている見事な映像)も併録されている。Taxco版は内容同じのジャケ違いによる再発版。『虫プロTVアニメ主題歌大全集』は、自社が権利所有する15作品のうち、当時存在が確認できたすべての主題歌のバリエーション映像を収めたというもの。『リボンの騎士』は初期のインスト版のほか、サファイヤの男時代版、女時代版両方が、『どろろ』は改題後の『どろろと百鬼丸』も入っている。ただし、現在はさらにバリエーションを追加した再編集版がDVDでリリースされている。

東映TVアニメ主題歌大全集1』『東映TVアニメ主題歌大全集2』(東映ビデオ)
各巻120というボリュームの、東映動画(現・東映アニメーション)ほか、東映系アニメ作品のオープニング、エンディングを集めたもの。『1』は63〜75年で『狼少年ケン』から『一休さん』まで、『2』は『大空魔竜ガイキング』から『わが青春のアルカディア』まで。『1』は、大川興業のネタでもおなじみ『狼少年ケン』や小林亜星作曲の『ハッスルパンチ』など、溌剌とした佳曲が多いのが嬉しくなる。『魔法使いサリー』の主題歌の最後のところで、番組ロゴの下のくるりとした弓の部分に、子供がぶら下がっている描写というのを、昔、山田邦子がコントのネタにしていたのを思い出した。『アパッチ野球軍』のオープニングの、まるでロバート・アルトマンばりのワンカメ移動には手に汗握る。『デビルマン』も回り込みとか使ってるし、けっこう当時のアニメのカメラワークって、現在のCGのセンスを先取りしていたんだな。『ドロロンえん魔くん』は番組は観てなかったけど。中山千夏の歌がかなりいい。『魔女っ子メグちゃん』の絵を描いている荒木伸吾という監督は美形モノで有名で、『あしたのジョー』とか『ベルサイユのばら』とかも手掛けていて、中学時代にクラスに熱心な女子のファンがいた。『2』の目玉は、今では観ることができない『キャンディキャンディ』。同シリーズは、ボーナストラックを追加してDVD化されているのだが、『キャンディ』などいくつかの作品が、現在は権利関係で割愛されているために、これでしか観れないものも多い。

東映TVドラマ主題歌大全集1』『東映TVドラマ主題歌大全集2』(東映ビデオ)
上記のドラマ版で、東映テレビ部の作品を集めたもの。おそらく唯一のドラマものの主題歌コンピレーションで、このほかだと、VHSで出ていた劇伴の大家、 渡辺岳夫の追悼で出た氏の作品集ぐらいしか私は知らない。『1』は59〜69年で『コロちゃんの冒険』から『花と狼』まで、『2』は70〜82年で『ゴールドアイ』から『こども傑作シリーズ』まで。『1』は私もほとんど記憶がない時代のものばかりだが、音声が消失してしまった作品も、資料価値的観点から無音のままで収録されている。増村保造『盲獣』主演の緑魔子の連ドラ『マコ!愛してるゥ』の映像が可愛くて、ピチカート・ファンとかにもウケそう。山下毅雄音楽の『一匹狼(ローン・ウルフ)』はひたすら渋い。『キーハンター』のオープニングのスブリット・スクリーンは、今観てもデ・パルマばりにカッコイイ。『2』は、天知茂『非常のライセンス』、『特捜最前線』のさまざまなヴァージョンに圧倒されるが、改めて思ったのは、私の刑事ドラマの好みって東映系じゃないんだな。小川真由美の『アイフル大作戦』『バーディ大作戦』は、映像がオシャレで実写版ルパンみたい。松田優作の『探偵物語』はなぜかオープニング「バッド・シティ」のみなのだが、その代わりに加山雄三の『探偵同盟』が入っている。これ、主題歌をヴァージンVS(「ロンリー・ローラー」)が歌ってたドラマで、フジテレビ系で局が違うのに、『探偵物語』の服部さん(成田三樹夫!)と松本さんがセミレギュラーで出てたんだよね。先日『青春の証明』『暗黒流砂』がDVDで出た森村誠一シリーズからは、『腐食の構造』『人間の証明』『野生の証明』が入っている。高木彬光シリーズの『白昼の死角』は、映画版もドラマ版も両方好き。有名な「光クラブ事件」がヒントになっているピカレスクロマンなのだが、ライヴドア騒動の際によく引き合い出され、『戦国自衛隊』みたいにリメイクされる話が『週刊新潮』に載ってたけど、あの話は続行しているのだろうか。『大激闘マッドポリス』『プロハンター』あたりになると、記憶もかなり鮮明になってくる。

東映TV特撮主題歌大全集1』(東映ビデオ)

これは子供向けの特撮番組のみをコンパイルしたもので、上記の『ドラマ』編との重複はない。59〜75年で『風小僧』から『アクマイザー3』まで。『テレビ探偵団』で常連のネタだった山城新伍白馬童子』、千葉真一『アラーの使者』などはこちらに収録されている。円谷プロウルトラマン』に替わって東映が制作した『キャプテンウルトラ』(小林稔侍!)の、冨田勲の前衛音楽と時代劇のような演出の組み合わせのキッチュさに酔いしれながら、『ジャイアントロボ』では箱形着ぐるみで重量感を演出するという、東映らしいオルタナな特撮史。『仮面ライダー』の主題歌は、藤岡弘版と藤浩一(子門真人)版の2種類を収録。『好き!すき!!魔女先生』のヒロインの女優って好きだったんだけど、当時、惨殺されたニュースを読んだ時はショックだったなあ。『キカイダー』とか『イナズマン』『がんばれロボコン』の、メカが組み込まれた番組ロゴの動きがロシア構成主義みたいでカッコイイねえ。『ロボット刑事』は、レギュラーに高品格が出ていて、子供向けとはいえ哀愁漂う渋い出来。『コンドールマン』は我が愛する鈴木邦彦作曲。シンセの使い方もかなりアヴァンギャルド

『日本アニメTV主題歌大全集1』(東映ビデオ)
自社シリーズが好調だったので、他社の作品集もということでリリースされた、日本アニメーション作品集。時代は75〜83年。ズイヨー映像『アルプスの少女ハイジ』の終了を受けて始まったカルピス劇場の『フランダースの犬』が第一作と、この中では歴史が浅い。『未来少年コナン』『あらいぐまラスカル』など、高品位な演出と作画で知られる同社だが、『ブロッカー軍団マシンブラスター』なんていう柄にもないロボットアニメなんかも作っていた。内容はかなりダサダサ。『はいからさんが通る』のオープニングのタイトルロゴの止め絵とか、このへんの芸風は『ちびまるこちゃん』あたりまで受け継がれる同社のシンボルみたいだな。極めつけは三善晃作曲『赤毛のアン』で、凄まじいアヴァンギャルドな音楽と映像。これって宮崎駿も関わってたんだよね。

エイケンTVアニメ主題歌大全集』(東映ビデオ)

鉄腕アトム』の虫プロと並んで、黎明期からテレビアニメを量産してきた同社は、拙著『電子音楽 in JAPAN』でも紹介している通り、日本で最初のCM制作会社「TCJ」の子会社「TCJ動画センター」が前身。アルファレコードとは兄弟関係にあたる、ヤナセグループのひとつ。第1作が『仙人部落』という小島功キャラクターデザインの大人のアニメで、そのへんにもモダンなセンスが伺える。『鉄人28号』『エイトマン』など、絵はシンプルだけど画面割りとかは精密で、今見ても全然ダサクないのが凄いな。『宇宙少年ソラン』というのは、『鉄腕アトム』みたいな万能ヒーローものなのだが、手塚ファンの間で有名な『W3』事件の、疑惑の作品としても有名(企画の剽窃に怒った手塚が、『W3』の連載を『少年マガジン』からライバル誌の『少年サンデー』に移してしまった有名な話)。『サスケ』『カムイ外伝』などの白土三平作品でも有名だが、ボーナストラックとして『忍者武芸帖』のパイロット版というのも入っている。『ばくはつ五郎』の牧歌的な味わいもナイス。『おんぶおばけ』の三保敬太郎の音楽って、モーグ使いまくりでかなりサイケだよね。

タツノコ傑作アニメ テーマコレクション』(Taxco)

創美企画の『虫プロベストセレクション』を復刻したTaxcoが、東映ビデオに負けじとコンパイルした、やはり著名な制作会社だったタツノコプロダクションの作品集。ただし、Taxcoのソフトは、オープニングだけ収録したものが多いので、資料として魅力に欠ける。第一作はもろアトムな『宇宙エース』。『マッハGoGoGo』は私の少年時代にクラスで断トツ人気のあったレースもので、マッハ号のプラモデルはガンプラばりにヒットした。象を飛び越えるシーンなど、カメラワークもかなりモダンで素晴らしい。ほか、『ハクション大魔王』『いなかっぺ大将』『科学忍者隊ガッチャマン』『新造人間キャシャーン』など、劇画とギャグという別線の作品が交互に登場。『タイムボカン』『ゴワッパー5ゴーダム』など、『機動戦士ガンダム』に受け継がれるメカ描写は、いまなお古びないのが凄いなあ。

『懐かし〜い TVアニメテーマコレクション』(Taxco)
かなり投げやりなタイトルだが、これは制作会社単位ではなく、ピー・プロ、第一企画、日本テレビ動画、NHKなど作品集の少ない会社のものをミックスしたもの。『黄金バット』『妖怪人間ベム』の第一企画は、当時日韓国交回復のために、いち早く韓国に外注して制作されたものとのことで、独特なエキゾティズムがある。『佐武と市捕物控』は、横溝正史シリーズみたいにローテーションで複数会社が共作していたもので、虫プロ、スタジオゼロ(藤子不二雄石ノ森章太郎らが発足)などが交代に作っていたという、過渡期らしい作品。ほか、大和和紀モンシェリCoCo』、『星の子チョビン』など、記憶の裂け目に入っていたような微妙な作品が大結集。

東京ムービーアニメ主題歌大全集 第1巻』『東京ムービーアニメ主題歌大全集 第2巻』(キョクイチ東京ムービー事業本部)
虫プロだと思われている方も多い、アトムと並ぶ黎明期の手塚アニメ『ビッグX』を制作していたこちらも老舗で、前身は人形劇の会社だったらしい。虫プロとはいろいろ因縁があったようで、虫プロ作品集には入っていない『ムーミン』がこちらには入ってたりする(確か原作者のトーベ・ヤンソンからクレームが付いて、途中から虫プロ制作に交代させられたのではなかったか?)。『パーマン』『オバケのQ太郎』などの初期の藤子アニメでも有名。だが、封印作品として有名な『オバQ』『ジャングル黒べえ』『ドラえもん』はここでも割愛されている。なぜか『新・オバケのQ太郎』だけは入っていて、モダンチョキチョキズもカヴァーしたあのファンキーな主題歌が楽しめるのはありがたい。ほか『第1巻』は、『ルパン三世』『侍ジャイアンツ』『ど根性ガエル』『エースをねらえ!』など私好みの作品が結集。『第2集』は、『はじめ人間ギャートルズ』『ガンバの冒険』『新・エースをねらえ!』『新・ルパン三世』『ベルサイユのばら』など。先日も紹介した『あしたのジョー2』のテレビゲーム風のオープニングって、やっぱりテクノ時代を意識した演出なのかな? 『鉄人28号』のリメイク版で、マライアの清水靖晃の音楽クレジットを観た時は興奮したなあ。

『ピー・プロ テーマ&変身コレクション』(創美企画)

虫プロみたいにアニメだけじゃなく、円谷プロ路線の特撮モノも並行して制作していたピー・プロは、先日別エントリーで書いた通り、『新世紀エヴァンゲリオン』の鷺巣詩朗氏の実父でマンガ家のうしおそうじが興した会社。作品数は多くはないため、このコンピレーション盤では、アニメ、特撮番組両方の主題歌のほかに、『スペクトルマン』『怪傑ライオン丸』『電人ザボーガー』などの変身シーンも巻末に収めていて、資料性が高い。アニメは『ハリスの旋風』(後に虫プロが『国松さまのお通りだい』としてリメイク)、『ちびっこ怪獣ヤダモン』など、マイナー作品が並ぶ。『ヤダモン』の音楽は宇野誠一郎氏で、オンド・マルトーノが使われているムーギーな曲に。あと、『豹マン(ヒョウマン)』『豹マンジャガーマン)』という、『ライオン丸』みたいな特撮モノが入っているのだが、こんなのやってたのかな?

サンダーバードヒストリー 栄光のITCタイトル集』(バンダイ
サンダーバード・ビデオ・リミックス』(創美企画)

こちらはイギリスのジェリー&シルビア・アンダーソン制作の人形劇、SFドラマの主題歌集で、AB面にそれぞれ、オリジナルの主題歌、日本版の主題歌を収録。『ジョー90』や上條恒彦の『スペース1999』など、私らが知っている主題歌が日本のオリジナル曲という作品もあるので、このファン泣かせな配慮がありがたい。但し、日本版オープニングは3作品が欠けるため、広川太一郎のナレーションによる名場面集が入っている。作品は『スーパーカー』『宇宙船XL5』『海底大戦争/スティングレイ』『サンダーバード』『キャプテンスカーレット』などのスーパー・マリオネーション(人形劇)時代から、後期の『プリズナーNo.6』『謎の円盤UFO』『スペース1999』というSFドラマまで。実は私、ITCにはほとんど思い入れがないのだが、バリー・グレイの大ファンで、ファンクラブのみで売られている『スーパーカー』『謎の円盤UFO』のサントラ盤を手に入れるためだけにITCのファンクラブに入ってるのだ。後者は、FABというハウスユニットが『サンダーバード』ほかのリミックスCDを出してヒットした時に、同社からでた映像リミックス盤だが、オリジナルの完成度の足下にも及ばない。

アニメサントラの意外な仕事発掘!「80年代アレンジャー外伝」その2


 週刊誌編集者時代には、ほぼ13年に渡ってカルチャー欄を担当していたが、最後の数年はほとんどデスク担当だったため、音楽、書籍、映画のページは若手編集者のやりたいようにやらせていた。しかし、これは世代の違いなのかもしれないが、20代後半の子たちって、PR担当からプレスシートをもらってそれをそのまま原稿化することに、抵抗がないもんなんだなー。紹介する作品のセレクトにしても「他誌ではやってないもの」「他誌にはない視点」を心がけるぐらいの矜持を持って欲しかったのだが、だいたいここ数年は、その月発売の作品というのを、他誌の情報ページとまるまる同じように構成してもOKという感じであった。ライターも「できるだけ若い人を自分で探してこい」「育てる苦労はあっても、その人が将来自分の武器になるから」と何度も諭したけれど、苦労はイヤなんだと。新デスク体勢になってこの秋からカルチャー欄を一新するらしいのだが、新連載が青山真治氏だって……。青山氏の連載って、これで何誌目になるんだ? そんなに人気者の連載をいまさらやって手柄にしたいのかと思うと、ちょっと前途が不安になってくる。グチっぽい話になって申し訳ない。そういう若手といっしょにいるわけだから、当然編集部で音楽の濃ゆい話などで盛り上がるなんてことは、これっぽちもなかった。唯一、自説を聞いてもらえたのはAVの話ぐらいだろう。だから私のことを、まず「AV好きの人」と認知している編集部の若手も多いのではないか。ここ数年、いままでハダカを一切やってこなかったことがウソのように、その週刊誌はエロエロ全開になってしまったが、私などは耐性があるので「業に入れば郷に従え」のつもりでやっていた。「AV業界が凄かった」という話も、実際は私の青春期の80年代の話だと思うから、現在はAV業界も、もっとマーケティング主体の既製品を作っているだけみたいな感じなのだろうけど。ではなぜ、私が「AV博士」と思われていたのかというと、これは私の性分というか、B型という血液型に由来するものなのだと思うが、音楽であれ映画であれAVであれ、どんなジャンルにしても、ちょっと首を突っ込むだけでは満足できず、とことん研究してしまうタチなのだ。
 この性分は、ある時代に於いては、週刊誌の仕事に大変に役にたった。現役時代、一月に一度のペースで10ページ程度の特集を長年担当していたのだが、そのテーマは社会学から政治、経済、ユースカルチャーと、ジャンルは多岐にわたった。できるだけ面白い、個性的な視点でやりたいと思っていた私は、私が提出した企画が通ると、まず徹底的に資料に目を通して取材に取りかかるようにしていた。その分野に強いといわれるライターと組む場合も、台頭に渡り歩けるぐらいの予習をして毎回臨んでいたつもりだ。編集者によっては、「素人なのでわかりやすく話してください」と対象者の前で開き直って、当たって砕けろで記事を取るやり方の人もいるかも知れない。だが私の場合、相手本意なんてうまくいかなかったらどうするんだという不安があるし、オドオドして取材対象者になめられたらおしまいと思っているところがある。学者や有識者なんて、実質的には「言葉の世界の人」ではないので、説明が決してうまいわけじゃない。同じテーマの質問を投げかけられても、毎回飽きずに同じことを繰り返し話しているだけだろう。「それはわかってますので、それ以上の話を聞かせてほしい」と臨むのならば、最低限の知識あってインタビューに向かうのが当然だと思っていた。だから、その2週間ぐらいの間の予習で、ある程度オーソリティーのようになって、それぞれのジャンルの特集に取り組んできた。だから、電子音楽のデの字もしらなかった門外漢の私が、『電子音楽 in JAPAN』などという長い歴史の本をいけしゃあしゃあと書いたりできるんだろう。
 そんなわけで、先日書かせていただいた歌謡曲、アニメ音楽の編曲家に関するエントリーも、にわか知識が長年にわたって累積されただけのものである。アイドル歌謡曲の全盛期なんて実は知らないし、アニメもレコードは持っていても、本編を見たことがないものが大半である。しかし、そのエントリーには多くの反響をいただいたようなので、私でも果たせることが何かあるかも知れない。そこで、調子に乗ってその第2弾ということで、今回はおなじみの有名作曲家、有名グループが、密かにやっていたアニメ仕事をまとめて紹介してみることにした。私のまわりは普通の音楽好きばかりだから、アニメを観る人間はほとんどいない。だから、こんな私でも、仲間内ではもっともアニメ音楽に詳しい存在である。そのくせ「実はこんなのがあるんだけど」と、有名な作曲家がやっているアニメのサントラを聴かせてみると、皆一様に「すげえじゃん、これ」って驚かれることが多い。アニメの音楽にしておくのはもったいないほど(失礼!)、自身のソロ作品ばりの愛情を注いで、根詰めて作ったものもたくさんあったりする。というか、私から見ると、職業音楽家にとってアニメ劇伴は、かなり自由度がある仕事だと思う。なおかつ固定ファンが付いているから、収入も安定するというような理想に近い環境がある。黒澤明キューブリックみたいな、変に音楽に一家言ある監督が実写映画には多いが、音楽監督とはよくモメると聞くし。「音楽は苦手」という人が多いアニメの監督のほうが、作曲家にお任せしてのびのびやらせてくれたりして、最終的にはより多くの収穫が得られることも多いだろう。
 普通、実写映画の音楽は、撮影が終わった後から作曲が始められることが多い(だから実写映画の音楽制作は常に時間がなく、あらゆるしわ寄せがそこにかかってくる)。ところが、アニメの場合は映像自体がいちばん遅れるような世界だから、吹き替えだってキューだけが書き込まれた仮フィルムで録っちゃうそうだし、音楽もシナリオと絵コンテだけで作曲してしまうことが多いらしい。例えば、安西史孝氏、天野正道氏が音楽を書いた劇場作品『オーディーン 光子帆船スターライト』などは、ほとんどフィルム未見の作業だったために、TPOのセカンド・アルバムのような完成度になってしまった……(笑)。私の知人で、『吹替洋画大事典』の共著者である新田隆男氏は、映画ライターの傍ら『うずまき』『エコエコアザラク』などの脚本も書いている。彼に聞いた話によると、実写映画の世界では、自由に書いた脚本の第一稿をプロデューサーに持って行くと、ロケやセットに金がかかりそうなところにチェックが入って、まず予算の都合から「これって別設定に置き換えられない?」というふうに改訂作業の指示が入るんだそう。そうすると、どうしても話のスケールが縮こまってしまいがち。「今どきなら全部CGでできるじゃん」と突っ込まれるかも知れないが、CGってあれ、全行程モーションカメラで撮ってからポストプロダクションで作る映像だから、似たようなロケ場所を見つけてきて撮るよりずっと金がかかるのだよ。そんな制約の多い実写映画に比べると、絵で描いちゃえばなんでも表現できるアニメは、脚本家にとって創造力をフルに発揮できる仕事らしい。そういう意味では、80年代後半からサンプリングや打ち込みのツールが普及して、オーケストラのフェイクが可能になってからは、音楽家にとってアニメ音楽の仕事がもっとも自由に表現できるジャンルと思うところがある。劇場映画だと、もっとオーセンティックな世界だから、生オケとか使う要請があったりして、音楽制作費もヒトケタぐらいあがりそうだし。
 80年代中期に私が在籍していた音楽雑誌『Techii』のころも、ミュージシャンの多くが、自身のアルバムの売り上げからの収入よりも、映像の仕事をよすがとして生活していたように思う。PSY・S松浦雅也氏は映画『スウィート・ホーム』の劇伴を担当。ピチカート・ファイヴも『カップルズ』で認知され、フジテレビの恋愛ドラマでバカラック風スコアを担当するようになった。我が師匠の戸田誠司も『スーパーマリオ』のイメージアルバムほか、ゲーム音楽のジャンルの職業作家として活躍していた。それに、元々ミュージシャンには映画好きやマンガ好きも多い。マンガ分野では、元ゴダイゴタケカワユキヒデ氏などは、創刊号からマンガ週刊誌を全誌欠番なしで保存しているという、マンガの大宅壮一文庫みたいな人である。『電子音楽 in JAPAN』にも登場いただいている安西史孝氏もかなりのマンガ通。たまたま所属していたキティグループのアニメ事業進出で『うる星やつら』をやることになり、一も二もなく参加したという原作の大ファンであった。だから『うる星やつら』の音楽は、いわゆるそれまでの大人の作家が手慰みでやるみたいなアニメ音楽の仕事より、ずっとアグレッシヴなものになっていると思う。小林泉美ヴァージンVS板倉文などの異色作家の起用も、実際はキティグループのお家事情とはいえ、いわゆる「子供向け音楽」という風に割り切って作らなかったことに、成功した理由がある。
 しかしだ。原作のファンでもあった私は、『うる星やつら』は最初からテレビアニメを見てはいたけれど、トータルに考えて失敗作だったんじゃないかと思う。あれは高橋留美子の原作とは別もの。高橋のギャグの良質なエッセンスをどっかで取り違えた、自称ギャグアニメになっていると思った。メガネという余計なキャラクターの独白とか、違う人が見ればあれも面白いんだろうか? ラムにまつわるエロい描写も、マリリン・モンローみたいな海外のセックスシンボルを茶化したものだったと思うので、「ラムちゃんに萌える」みたいな構造のマンガじゃなかったはずだし。高橋の原作の持つギャグの「タイム感」をまったく理解していない演出と思って、すぐに観るのを辞めてしまった。そういえば、『うる星やつら』のアニメ版と高橋留美子原作の齟齬について書かれたものって読んだことがないけれど、そう思う評論家っていないのだろうか? 実は『タイムボカン』シリーズのギャグも笑えない私なので(唯一『ゼンダマン』だけはなぜか笑えた。ブレ〜)、アニメ演出家でギャグがわかる人がいないんじゃないかと思ったほど。ところが、虫プロの『悟空の大冒険』のギャグとかは、ちゃんとマルクス・ブラザーズみたいな完成度になっているし。まあ、そんな『うる星やつら』体験もあったから、同世代の中ではわりとアニメには冷めていたほうなのだが、こと音楽についてだけは、知識が蓄積されて今に至るといたるといった具合。好きな音楽家が関わっているサントラはたぶん、アニメだけで500枚は手許にあると思う(映画、演劇を併せた、サウンドトラック蒐集のごく一部)。以前、現アプレ・ミディの橋本徹氏がオーガナイズしていたサバービア・スウィートが、イタリアのチネジャズを再評価した時、モリコーネなどに心酔する古参の映画音楽ファンから「本編を観ずに映画音楽を逡巡するなんて、画竜点睛を欠く行為」と批判されていたのを覚えている。あれはイタリアのプログラム・ピクチャーが容易に観れない(あるいは英語版が少ないので観ても筋書きがわからない)ことから、音楽だけでも楽しもうという運動だったと思うのだが、そういう意味では私のアニメ音楽鑑賞法は、サバービア流と言えるかも知れない。
 最近、菅野よう子(私は溝口肇夫人としてずっと認知していた)や元ティポグラフィカ今堀恒雄が、アニメ音楽の世界で活躍している話をよく耳にしていたが、鈴木さえ子ケロロ軍曹』、パール兄弟N・H・Kにようこそ』といった『Techii』周辺組の復活劇もあって、いよいよアニメ音楽が面白くなってきた。敬愛する上野耕路氏が手掛けた『ファンタジックチルドレン』の内容も素晴らしかったが、そのディレクターを担当していたのがなんと、以前から仕事ぶりをよく拝見していたビクターのS氏だった。今から20年前に、『ニュータイプ』編集部から『Techii』に移ったあたりのころ、同社の“ファンタスティックワールド”という、コミックのイメージアルバムをずっと手掛けてきた女性ディレクターである。シネマの松尾清憲をヴォーカルに迎えてムーンライダーズが制作した『綿の国星』から、ビクターにはイメージアルバムというユニークなジャンルの伝統があり、ムーンライダーズの熱心なファンだったS氏は、上野耕路鈴木さえ子、野見祐二といった『Techii』ゆかりのニュー・ウェーヴ系作曲家を積極的に器用して、少女マンガの傑作イメージアルバムを制作していた(ほとんど手元にあるので、後日紹介したい)。今でも彼女がビクターに籍を置き、テレビ作品を手掛けていることを『ファンタジックチルドレン』のクレジットで知って、懐かしい思いに駆られたものだ。
 先日のエントリーで触れたように、私が多くのアニメサントラをサルベージしてきた蒲田の「えとせとら」サウンドトラック店は、残念ながらなくなってしまった。しかし先日、中野ブロードウエイの「まんだらけ」の一コーナーから独立して、アニメ中古サントラCD店ができたという話もあるらしいので、私も今度チェックに行きたいと思っている。もし、以下紹介する作品に興味がある方がいたら、内容は保証するのでぜひ聞いていただければ嬉しく思う。


パール兄弟『N・H・Kにようこそ』(ビクターエンタテインメント

鈴木さえ子復活を手掛けたビクターが、今度はパール兄弟をリユニオンさせた。“勘当”されていた窪田晴男が前作『宇宙旅行』で帰還し、『真珠とモノクロ』というアンプラグド・ベストのようなDVDをリリースしたパール兄弟だったが、そこにオリジナルメンバーのバカボン鈴木が合流して3人編成に。主演の声優、牧野由依が歌う主題歌「ダークサイドについてきて」も彼らのプロデュースなので、オリジナルの新作と呼んで差し支えのないほど全面的に関わっている。サエキけんぞう氏は『王立宇宙軍オネアミスの翼』のイメージアルバムの作詞を、窪田氏は本編に楽曲提供をしているが、メンバーがアニメ音楽の仕事を本格的にやるのはコレが初めてだったというのは意外かも(そういえば、仲のよかった岡崎京子氏のイメージアルバムとかアニメってないはずだよね?)。往年のニュー・ウェーヴ打ち込み路線からぐっとヘヴィーなロック・バンドとして凱旋。次回は正式なオリジナル・アルバムと、ドラマーの松永俊弥の復帰が望まれる。ちなみに、主題歌「踊る赤ちゃん人間」を歌っている大槻ケンヂ橘高文彦筋肉少女帯も、三柴江戸蔵を加えたオリジナル・ラインナップで復活するらしい。

上野耕路ファンタジックチルドレン』(ビクター)

8 1/2ハルメンズゲルニカのキーボード奏者で、坂本龍一氏も一目置く稀代のスコアメーカーの初のアニメ劇伴。ディレクターは、以前から同社のコミック・イメージアルバムの制作で共同作業していたS氏。全編、上野耕路アンサンブル『Polustyle』などに通ずる前衛スコアで、コンパクトなオーケストラ編成による演奏で、上野はピアノとエレクトロニクスを担当している。「トーマ」「ワンダー」「ぼくらのワンダー」で聴けるコード展開の読めない曲調は、ショスタコーヴィチ「黄金時代」のよう。水彩画調らしい淡い映像を完全に食っていると思うほど、重厚な音楽が付けられている。お得意のストラヴィンスキー調で迫る「戦闘」は、アルファ時代の傑作ソロ『レゼヴォワール』に比肩する出来。「ソランとセス」で聴けるミニマルなトーンは、グリーナウエイ作品のマイケル・ナイマンのスコアを連想させる。

福田裕彦『11人いる!』(キティ)

ヤマハDX7の開発などに関わっていた時期に出た、おそらく初のアニメサントラ仕事。ヤマハポプコンの常連で、QuizとYOUという2つのフュージョンバンドを組んでいたが、後者でデビューした直後にバンドが解散。私は爆風スランプ「らくだ」の凄まじい弦アレンジとプログラミングで彼の存在を知った。萩尾望都の古典SFマンガの初アニメ化だが、福田は元々原作のファンだったらしく、その出会いのいきさつをライナーで自ら書いている。福田氏はそれまでに『国東物語』『燃えよカンフー』などの実写作品の音楽を手掛けており、ニーノ・ロータモリコーネに心酔する映画好き。特に『ウルトラQ』を座右の作品と呼んでいるほどで、SFマインドの翻案はお手の物といったところか。今作はいわゆる福田節というより、作品の詩情に併せたフランス近代風のピアノによる静かな曲が中心。だが、やはりDX系の打ち込みに収穫が多く、「危機」のFM音源のスリリングな弦楽はジェリー・ゴールドスミスもかくやの出来に。「収穫」は、宍戸留美に提供した打ち込みによるワルツ「おとこのこ」のオケを彷彿させるリリカルな曲。ほか、ゲストでショコラータのかの香織がコーラス参加している。

山川恵津子『レア・ガルフォース』(ソニーレコード)

おニャン子クラブ渡辺満里奈のソロなどを手掛けていた編曲家、山川恵津子の劇伴仕事のひとつ。東北新幹線解散以来、ソロを出していないため、数少ない彼女の個人趣味が伺える興味深い作品に。これはソニー制作のSFアニメのサウンドトラック。主演の声優のグループ、レアーズの歌と「COUNT DOWN ATTACK」「FLY ME AWAY」などの劇伴の半々で構成される。パワフルな打ち込みのビートに、鳥山雄司のギターが炸裂する、かなり男っぽい仕上がりで、打ち込み時代のハンズ・ジマー仕事を連想させるハリウッド・サスペンス調に。「FLY ME AWAY」は、不思議なコードワークのエスノ・アンビエント。コーラスは新居昭乃、プログラミングが黒石ひとみという、アニメゆかりの作家が裏方でサポート。これは余談だが、新居氏は私が『ニュータイプ』の取材で初めてインタビューしたシンガー。加藤和彦プロデュースでシングル・デビューしたのだが、元々その周辺組のサポート・ミュージシャン出身で、清水信之のソロ『リズム・ボクサー』のB面曲「デ・ジ・ブー」を歌っているMIKAN CHANGの正体が彼女だったのを、本人から聞いて知ってビックラこいた。

山川恵津子『3丁目のタマ/うちのタマ知りませんか?』(ソニーレコード)

ドラゴンヘッド』『スチームボーイ』などの音楽プロデューサーとして著名な百瀬慶一氏が、ソニーの社員時代に初めて手掛けたテレビアニメのプロデュース仕事。森達彦やパートナーだった大竹徹夫プログラミング時代の派手さはなく、元東北新幹線の鳴海寛がボッサ・ギターで全面参加する、小編成によるアンサンブルのライトな劇伴に。プログラミングは『カードキャプターさくら』の根岸貴幸氏。「ノラの孤独」でスティーヴィーを思わせるブルースハープが聞けたり、渡辺満里奈のオケみたいな「3丁目の昼下がり」など、かなり彼女のルーツが垣間見れる、転調を駆使したバカラック風の曲が並んでいる。

冨田恵一こどものおもちゃ(1)(2)』(ソニーレコード)

先日も書いた通り、Out To Lanchというモンド・ユニットでその存在を知った私は、その新しい才能を(冨田勲ヤン富田に続く)「第三のトミタ」と讃え、一時すごく入れあげていた。種ともこのツアーサポートで存在は知っていたが、作家として意識したのは、葉月里緒菜主演のドラマ『夢見るころをすぎても』のサントラが最初か。キリンジMISIA中島美嘉のアレンジで注目され、現在は「冨田ラボ」という実験的なユニットで活動中。しかし、以前のようなモンド趣味を封印してしまったのが本当に惜しい。本作は唯一のアニメ仕事で、計3枚出ているサントラのうち、(1)(2)が彼が手掛けているもの。監督から指示を受けたコンセプトは「サンバ調で」というものだったらしいが、他は基本的にOut To Lanchの路線そのものといった冨田ワールドに。以前書いた通り『奥様は魔女』の秀逸なパロディーが私を虜にした冨田氏だが、ここでも「SOMETHING WILL HAPPEN」で『鬼警部アイアンサイド』(クインシー・ジョーンズ)のテーマを見事に換骨奪胎。「LETTER FROM BABBIT」「IN THE MOND」はもろレイモンド・スコットだし、テクノガムランな「KECHA KECHA CATCHY」など、モンド音楽系への配慮は抜かりなし。その一方で、監督指定のラテン曲「KODOCHA MANBO」では、ラテン・プレイボーイズのチャド・ブレイク仕事みたいな現代性も獲得している。冨田ラボでも、アルバム名にロバート・ワイアットの曲を引用していたが、ここでも「MAN FROM UTOPIA」なんていうトッド・ラングレンをもじった曲もあって笑える。子供向けサントラにしておくのは惜しい。

安西史孝『URUSEI YATSURA Complete Box Disc 4』(キティ)

安西氏参加時代の『うる星やつら』のサントラは、映画版や未収録集を含む計4枚がリリースされているが、BOX収録の本CDは、その中から安西曲のみを抜粋しているもの。そもそも、元RCサクセション小川銀次率いるクロスウインドのディレクターだったH氏が、『うる星やつら』のA&Rにたまたま抜擢されたことから、メンバーの安西氏に依頼あったという偶然の産物。原作ファンでもあった氏が、自主制作ででも出せればということで作ってあったステレオ・ミックスを、アニメ人気の高まりから「ぜひサントラを」との声が集まり、急遽キャニオンからリリースすることになったもの。原作のドタバタ場面を、アメリカのアニメ風にリアライズするために参考にしたのが、ペリー&キングスレイだったという衝撃の事実もあり(『電子音楽 in JAPAN』参照)。ほか、ヴァンゲリスのパロディーや、ラロ・シフリン好きの安西氏らしいスパイ・サントラ風など、映画音楽のエッセンスが盛り込まれていて楽しい。初期のデヴァイスはローランドのシステム700とTR-808による軽いサウンドだが、後期はフェアライトCMIとリン・ドラムにグレードが上がるため、時期によっては音圧がずいぶん違う。ちなみに、安西氏のレコードデビューはアニメ『Dr.スランプ』のイメージアルバムで、映画『まことちゃん』の音楽をやった川上了(『ダッシュ勝平』)から誘いがあったというもの(安西氏は、楳図かずお率いるスーパーポリスのメンバーだったのだ)。

『オーディーン 光子帆船スターライト Vol.1、Vol.2』(日本コロムビア

宇宙戦艦ヤマト』の西崎義展プロデューサーが制作した劇場アニメ。音楽をラウドネス高崎晃羽田健太郎宮川泰、安西史孝+天野正道の2人組時代のTPOが担当している。拙著『電子音楽 in the (lost)world』で紹介しているのは、複数出ている関連アルバムのうち、TPOだけで1枚を構成しているもので、正式はサントラはこちらのほう。TPOはVol.1に「スクランブル」、Vol.2に「オーディーン星への想い」(曲はハネケン)それぞれ1曲づつ提供しているが、TPO盤とはテイクが異なる。ほか、安西氏によれば、本編にはソニーに無許可で『TPO1』の曲も使われているらしい。TPOの起用は『TPO1』を聴いて気に入った西崎プロデューサーの意向だったそうで、すでに進められていた音楽作業に後から参加したんだとか。羽田健太郎も、実は前田憲男グループのころにいち早くミニ・モーグを購入していたという実験録音好きで、彼の楽曲にもシモンズ・ドラムやシンセが効果的に使われている。

板倉文うる星やつら4 ラム・ザ・フォーエヴァー』(キティ)

小林泉美、安西史孝、天野正道という初期のメンツに変わって、同じくキティグループと縁が深かった元チャクラの板倉文が劇場第4作の音楽を担当。当時の板倉氏はすでにキリング・タイムを始動させており、Switchレーベルで「BOB」のレコーディングが進行中だったが、それがオクラ入りになったために、本作がキリング・タイムの初のレコード化になった(但し、キーボードはホッピー神山)。H氏から近藤由起夫氏に『うる星やつら』のA&Rが交代になって、そのタイミングで板倉氏にオファー。近藤氏は、後の「東京バナナボーイズ」でのCM、テレビ音楽仕事や、日本テレビの連続ドラマの音楽プロデューサーとしてのキャリアが有名だが、元々キティのディレクター出身で、名古屋にいた学生時代はチャクラのFCに入っていた根っからの板倉信者なのだ。冒頭曲「Out Of The Door」から、いきなりコード展開はフランク・ザッパ調。「水曜日の午後」の変なコードのボッサは、板倉氏も好きなワグネル・チゾを連想させる。全体は「桜の花びら」で聞けるようなシンフォニックが基調だが、板倉氏は弦楽スコアをクラウス・オガーマン(ジョビンやビル・エヴァンスの編曲家)などを聴くことで、ほとんど独学で学習したというから恐ろしい。ラスト7曲のタイトルなしの曲のうち、最終曲はチャクラ『南洋でヨイショ』みたいな、転調を多用する胸キュンポップ。ほか、『うる星やつら』には、元モップス星勝、小滝満(シネマ、ヴァリエテ、ヤプーズ)なども曲を提供している。

板倉文老人Z』(エピック・ソニー

ソニー出資の劇場アニメで、大友克洋が原作、江口寿史がキャラクターデザインを手掛けた話題作。たまたま、キリング・タイムのディレクターだった福岡知彦氏が担当になったことから、板倉氏が音楽、小川美潮氏が主題歌を歌うことになったというもので、ドアーズ好きの大友氏や江口氏の意向ではない。板倉氏は実質音楽プロデューサーという立場で、曲、演奏は市川準監督『会社物語』と同じく、キリング・タイムの面々が関わっている。板倉のペンによるイントロダクション曲では、沖縄のカチャーシ・リズムを取り入れており、後の喜納友子のプロデュース仕事を連想させる。元KAMIYAスタジオ出身で後期チャクラからのメンバーになった、Ma*To氏の曲もストラヴィンスキー風の見事な仕上がり。主題歌「走れ自転車」のサビのメロディーは、マテリアル「アップリヴァー」からの引用かな?

清水靖晃『X』(ビクターエンタテインメント

実はアニメ仕事は、ビーイング時代に手掛けたリメイク版『鉄人28号』が最初。実質マライアの演奏だったが、レコード会社の契約の関係でギミックという覆面バンドによる参加になった(『電子音楽 in the (lost)world』参照)。本作は、ソロで契約していたビクターからの、久々のアニメ音楽のサウンドトラック。柳町光男監督映画の『チャイナ・シャドー』『恋するパオジャンフー』など、一連のサントラ仕事はどれも素晴らしいが、本作もなかなかの佳作。「バッハ組曲」でおなじみ、サキソフォネッツの編成で、打ち込みをベースにソロ・サックスを何十も重ね録りして構成されているもの。テクスチャーはノイズ主体で、全体的にはジョン・カーペンター監督の映画音楽みたい。世紀末の廃墟で繰り広げられる物語で、要所要所でフィーチャーされる雅楽の音が印象的。「Tradegy - Movement III」では、ラヴェルの「ボレロ」がライトモチーフとして登場している。監督は、『幻魔大戦』でキース・エマーソンを起用したりんたろう

近藤等則『東京SHADOW』(ポリスター

すいません。資料じっくり見るまでアニメのサントラと思っていたら、これラジオドラマだったのね。電撃文庫西谷史氏の原作小説を元にしたもので、エンディング曲は作者本人が作詞作曲。メンバーのクレジットはないが、基本は『レッド・スモーク』のような近藤単独のダビングによる編成で、「メギド」など一部に登場するディストーション・ギターのラウドな音は、IMAのレックか酒井泰三が弾いているんだと思う。「亡霊の街」のミュート・トランペットとエコーの交錯が見事な出来。ヒップホップ風なリズムトラックの「百鬼夜行」は、『東京ローズ』の「キマッタオレタチ」のメロディーを連想させる、変奏曲的なノリ。笙のようなミュート・トランペットの掠れた音のハーモナイズが、ひたすら渋い。なぜか主題歌を前川清ばりに、近藤氏がムーディーに歌っているところがかなり笑える。

荒木一郎あしたのジョー2』

これはテレビ版のサントラ。自らプロデュースしていた女優の桃井かおり『ちょっとマイウエイ』の音楽を手掛けるなど、日本テレビと縁が深かったころに、初のアニメ音楽として荒木が起用されたというもの。といっても曲のみで、編曲は元ワイルド・ワンズ、というかキャンディーズのバックバンドだったMMPの渡辺茂樹スペクトラム、AB'sの渡辺直樹の実兄)。MMP時代に通じるサンタナ風ファンクで、直前に公開された映画版『あしたのジョー』の、鈴木邦彦が書いた『ロッキー』(ビル・コンティ作曲。メイナード・ファーガソン死去。合掌)路線の続きを思わせる、ラテン・リズムが基調。丹下段平のテーマ「下町の達人」など、ムーギーなトラックもあり。注目すべきは後藤次利の編曲による、おぼたけしが歌う主題歌。「ピッピッ」というデジタル・カウンターリズムで始まるイントロで、映像もテレビゲームの画面で始まっており、意外なYMOとの同時代性を垣間見せる。毎週、冒頭の予告シーンでかかっていた「テンション2」に心が躍る。

細野晴臣監修『南の島の小さな飛行機 バーディー』(ヤマハミュージックコーポレーション)

NHK教育テレビのCGアニメ作品のサウンドトラック盤。矢野顕子の歌うエンディングのヘヴィーなレゲエ曲「フライ・ミー」を細野氏が編曲するというのがトピックだったが、その縁で矢野が所属するヤマハからサントラ盤がリリースされた。『風の谷のナウシカ』で宮崎駿と対面するも仕事は依頼されず、先日の細野フィルムワークスなるイベントでも、唯一「どうしても外して欲しい」という強い希望で『源氏物語』が割愛されるなど、細野氏にとって鬼門だったアニメ音楽。とはいえ、『銀河鉄道の夜』は屈指の名作に仕上がり、これを聞いた犬堂一心監督から映画『メゾン・ド・ヒミコ』の音楽を依頼されたわけだから、聴いてる人はちゃんと聴いているのだ。本作も『メゾン・ド・ヒミコ』同様に、若手世代の作家をコラボレートしたもので、コシミハル、木本靖夫、岡田崇氏を起用。岡田氏は、バカボンドc.p.a.というグループでデイジーワールドから作品集も出している本業はデザイナーで、拙著『電子音楽 in JAPAN』も彼の装丁。オールド・タイミーなアメリカのレコード収集家で、ここでもレイモンド・スコットなどを下敷きにしたラグタイム・ジャズを打ち込みで披露していて、スウィング・スロウのリユニオンみたいな音になっている。

キテレツ大百科 スーパーベスト』(コロムビアミュージックエンタテインメント

これは先日発売されたベストで、90分スペシャルの主題歌だった「キテレツ大百科」(堀江美都子)「コロ助まちをゆく」(山田恭子)が初収録。2曲とも細野晴臣作編曲で、これまでコロちゃんパックのカセットでしか聴けなかった曲の初ディスク化なのだ。前者は2ビートのラグタイム・ジャズ風。後者はホソノイドなビートが炸裂する、FOE最後期のようなサウンド

坂本龍一オネアミスの翼ーイメージスケッチ』『オネアミスの翼王立宇宙軍ーコンプリートコレクション』(ミディ)

バンダイが巨額を投入し、『新世紀エヴァンゲリオン』のガイナックスが制作した劇場アニメのデビュー作。坂本龍一の起用は大々的に報道された。本作は映画『子猫物語』に続く、坂本氏にとって劇場映画3作目で、『子猫物語』と同じく、上野耕路、野見祐二、窪田晴男ら若手作家が曲を持ち寄ったオムニバス形式になっている。このうち、上野、野見のコンビはそのまま、グラミー賞を取った『ラスト・エンペラー』のチームに参加することに。前者は「PROTOTYPE」というタイトルの4曲が並ぶ、最初に作られたトレイラーのようなラフスケッチ集で、後者はそれを元にした正式なサウンドトラック盤。左翼学生だったのに、昔から雑誌『丸』の熱心な愛読者で軍記物大好きだった坂本氏は、依頼を快諾し、わざわざ本編には登場しない国歌(「PROTOTYPE D」)まで作って自分で歌っているというほどの凝り方。「PROTOTYPE 」の4曲は、「A」が「メイン・テーマ」、「B」が「リイクニのテーマ」、「C」が窪田晴男編曲の「無駄」としてリサイクルされている。後者サントラに目を向けると、「国防総省」はフェアライトによる雅楽、「喧噪」はガムランと、舞踏家モリサ・ファンレイのために書いた『エスペラント』のようなワールド・ミュージック的世界を繰り広げており、舞台設定であるパラレルワールドの無国籍性を音楽で表現している。「最終段階」のイントロは、「フィールド・ワーク」のサンプルの流用か? 野見が手掛けた歌曲「アニャモ」がよくできており、おしゃれTVの「アジアの恋」みたいなオペラ風の曲を書くと、本領発揮するタイプみたい。ラスト曲「FADE」はテーマ曲をフュージョン風アレンジにしたもの。

平沢進『デトネーター・オーガン「誕生編」「追走編」「決戦編」』(ポリドール)

元『リメンバー』編集者だったディレクター、竹内修氏(後にスピッツを発掘)が担当だったポリドール時代は、P-model再結成や平沢ソロデビューなど話題満載の充実期であった。これもそんな脂ののりきっていたころの仕事。毎月1枚づつ計3枚のサントラが発売されたが、どれもストラヴィンスキー風の高度なシンフォニーで、これがスコア独学と聞いて信じられないほどの密度の濃さ。「PROPAGANDA of E.D.F.」ほか、上野耕路に迫る複雑なアレンジを聴かせる。主題歌「バンディリア旅行団」はソロ路線の、朗々と歌うフォルクローレ調の曲。最後期の主題歌「魂のふる里」はソロ『時空の水』からの流用で、同アルバム収録の「時空の水」のクラシック・ギター編曲によるインストも収録されている。スタッフでことぶき光、「山頂晴れて」では戸川純とデュエット、藤井ヤスチカ、友田真吾ら、P-model、ソロのサポートの面々もゲスト参加。本作で平沢氏の存在を初めて知った新世代も多いらしく、現在は今敏監督『先年女優』などで、アニメ音楽作家としての認知も高い。今敏監督は元パラシュートのギタリスト今剛氏(『クラッシャージョー』)の実弟なのだが、なぜか兄貴ではなく、平沢氏やムーンライダーズなど、異色の作家ばかりを起用している。実はこれ、今敏氏の高校の同級生が、現在平沢氏の事務所で制作を担当している高橋かしこ氏(元『よいこの歌謡曲』編集)で、その縁からの依頼だったらしい。

ヒカシュー超時空世紀オーガス02』(徳間ジャパン)

SHOGUNのケーシー・ランキンが主題歌を歌って人気を博した、テレビシリーズの正式な続編。『あっちの目こっちの目』で徳間ジャパンに在籍中、そのつながりからヒカシューに依頼された仕事だったが、主題歌もいつもの巻上公一節ゆえ、映像とのマッチングはいかがなものか? マンガ通だった井上誠氏が在籍時に、和田慎二原作『ピグマリオ』のイメージアルバム(巻上もコルネットで参加)を出しているものの、このころは井上氏は脱退後で、坂出雅海、つの犬、野本和浩、トルステン・ラッシュという編成。だが、第二の充実期と言えるころで、内容の密度の濃ゆいこと。「未開の回路」の土俗的なコーラスなんて芸能山城組みたい。全体的にヘヴィーな三田超人のギターが炸裂しており、トレヴァー・ラヴィンが手掛けたハリウッドのサスペンス映画の音楽のようである。曲は皆が持ち寄って構成されており、故・野本氏のクラリネットのダビングによる室内楽「極楽への階段」「満足な誤解」などを聴くとしんみりする。「口まで青い」は巻上ソロに通ずるヴォーカリゼーション。唯一のヒカシュー作曲名義の「疑惑」はおそらくフィルムを観ながら録られたジャムで、怪しげなテクスチャーとノイズによる、『死刑台のエレベーター』風のセッション。

今堀恒雄トライガン(1)(2)』『GUNGRAVE』『GUNGRAVE righthead 』『GUNGRAVE lefthead』(ビクターエンタテインメント

菅野よう子のレコーディングに参加する常連で、彼女のパーマネントなグループ“シートベルツ”にも加入している、元ティポグラフィカの超絶ギタリスト。全作ともウンベルティポのファンキーなジャズ路線をベースに、ザッパ風のコードワークで聴く者を魅了する。メンバーは元ティポグラフィカの同僚だった外山明渡辺貞夫グループ)、平ヶ倉良枝(オリジナル・ラヴ、はにわちゃん)ほか。おそらく映像を食ってしまってるじゃないかと思うほど、見事なキャバレー・ジャズの音にうっとりする。ビートもかなりマッシヴだし、リヴァーブを駆使した音響系のサウンドが繰り広げられており、ウンベルティポのオリジナル2枚と混ぜてかけてもわからないほどの完成度。

筒美京平サザエさん』(東芝EMI

ポピュラー作家のアニメ登用と言えば、この人がルーツだろう。『怪物くん』に続いての主題歌起用だが、『トリビアの泉』でも紹介されたように、エンディングテーマ「サザエさん一家」は1910フルーツガム・カンパニーの引用だし、挿入歌「レッツゴー・サザエさん」(加藤みどり)はイントロなんてロジャニコというかピチカート・ファイヴみたい。高橋和枝が吹き替えていた時代にはよく劇中で歌われていた「カツオくん(星を見上げて)」ほか、挿入曲はフォーク・クルセダーズ北山修が詞を書いていて、『サザエさん』が誕生したころのヒップな世相を伺わせる。現在シャンソン歌手である宇野ゆう子氏が『HEY!HEY!HEY!』に出演して主題歌を歌った際に、問い合わせが多かったことからシングルCDが出ているのだが、担当だった東芝のN氏(YMOの再発担当者だった人)は、その時このアルバムも復刻したかったらしい。だが、ジャケットの図版が使えないという問題があり、再発がお流れになったというから残念。

樋口康雄火の鳥2772 愛のコスモゾーン』(日本コロムビア

ピチカート・ファイヴ小西康陽氏がDJでシングル「I LOVE YOU」をよくプレイしていたことから評判を呼び、傑作アルバム『ABC』が復刻。渋谷系音楽ファンの間でピコこと樋口氏の人気が再燃したのには驚いた。NHKヤング101』のスイングアウト時代のキャリアを精算して、後にアメリカに留学しスコアを学習。帰国後は映画音楽家として再出発しており、本作は24時間テレビブレーメン4』に続く、手塚治虫アニメへの参加となったもの。モーリス・ジャールのような壮大なスコアを基調に、『火の鳥東宝映画版の主題曲を書いているミッシェル・ルグランに通じる流麗なストリングスによる、当時の国産映画音楽としては最高峰に入る完成度を誇る作品。ゲストでヴァイオリンを弾いている千住真理子は、なんと当時17歳! 実は晩年の手塚が敬愛しており、元々リメイク版『鉄腕アトム』(音楽は三枝成章)は樋口氏に依頼される予定だったとか。その時に主題歌用に書かれていた「地球の歌」は、その後トリビュート盤『ミュージックフォーアトム・エイジ』に収録されることとなった。

ジョン・ゾーン『シニカル・ヒステリー・アワー』(CBSソニー

玖保キリコ氏の原作をキティフィルムが劇場アニメ化。彼女自身、ピッキー・ピクニックのメンバーとしてクリス・カトラー(ヘンリー・カウ)と交流があったが、本作も知人でNYダウンタウン一派の司令塔、ジョン・ゾーンが音楽を担当している(そのお礼に、後にジョン『コブラ』のジャケットを玖保キリコが描いている)。参加メンバーは、クリスチャン・マークレイ(ターンテーブル)、ウェイン・ホロヴィッツサンプラー)、アート・リンゼイ、ピーター・シェラー、イクエ・モリ、ロバート・クワイン、マーク・リボーといった豪華な面々。スタイルはネイキッド・シティそのもので、シェリー・パーマー・スタジオでフィルムを上映しながら取られたジャム録音は、古いハワイアンのレコードのカットアップやマンガの効果音のサンプルを使った、ハードコアやスケーター・ミュージックに。ミックスはラウンジ・リザーズの一連作品や『コム・デ・ギャルソン』の音楽の小野誠彦氏。玖保キリコ本人が歌う「わたしのすきなもの」は、水滴などの効果音をサンプルした音響派のカントリーで、コーネリアスファンとかにもウケそう。ちなみに同路線として、デヴィッド・シアーが『トムとジェリー』『テックス・アヴェリー』の音楽を書いたスコット・ブラッドリーに捧げた「Cartoon For Scot Bradley」(『ショック集団』収録。リスペクト! サミュエル・フラー)があり、これも必聴なり。

『アレクサンダー“ザ・コンピレーション”』(メディア・ファクトリー)

同社はリクルートの出版部門だが、系列にミュージック・マインというケン・イシイ、ヨコタススムらをマネジメントするテクノのレーベルを持っており、本作は角川春樹制作のりんたろう監督のアニメ『アレクサンダー戦記』のイメージアルバムとして制作されたもの。ケン・イシイ、マスター・マインドといった所属アーティストのほか、リザード、屋敷ゴータ、細野晴臣佐久間正英東京スカパラダイスオーケストラ高浪敬太郎といった異色のメンバーが曲を書き下ろしている。リザードはモモヨ主導によるイレギュラーな打ち込み路線。細野「Porus」はここでしか聞けない、アフリカンな暴力的なビートとシンフォニーが交錯。高浪氏のインストは珍しいもので、リズム・ボックスを交えたアンビエントな内省的トラック。佐久間「Influx」は、自身がギターを弾いているハードコアな曲になっている。

アート・オブ・ノイズ『And What Have You Done With My Body,God?』(4CD BOX)とその他の関連盤

 シール、t.A.T.u.ほかを手掛けるイギリスの著名プロデューサー、トレヴァー・ホーンが、83年にアイランド傘下にレーベル「ZTT」を発足。そのカタログナンバー1番としてデビューを果たした、謎のグループだったアート・オブ・ノイズの、ZTT時代の全貌を公開した4枚組CD BOX『And What Have You Done With My Body,God?』が遂にリリースされた。構成は、当初予定されていた3CD+1DVD(全PVを収録)ではなく、4CDに変更。だが、主だったPVはすでに商品化されているので、CD1枚分の音源が加わったのはファンとしてありがたい。結果、彼らのデビュー・ミニ・アルバムであり、実はもっともファンが愛着を持つ一枚でありながら、正しいヴァージョンを入れた形でCD化されてこなかった『イントゥ・バトル』が、Disc4に初お目見えしている(但し“リマスターとして初収録”と記載。「ビート・ボックス」の初期ヴァージョンが密かにCD化されたことがあるという噂は本当だったのか?)。このDisc4のみ曲解説が省かれているため、おそらくDVDからの変更は、急遽起こったアクシデントだったのだろう。
 私が上京して初めて買ったレコードが、このアート・オブ・ノイズ『イントゥ・バトル』であった。後に、アイランドと契約していたポリスターから日本盤が出ることになるが、それより約半年前に輸入盤で入手したことになる。上京前に坂本龍一の『サウンドストリート』で曲がプレイされていたので、83年の初頭にはすでにディスクは出回っていたのかも知れない。初めて外盤専門店に行って、そこで買ったアルバムだったので、思い入れもひとしおであった。たまにDJを依頼されたりすることがあると、必ずこの冒頭の「バトル」〜「ビート・ボックス」をここぞというところでプレイしていた。伊福部昭のような重厚な新古典主義的なリズムで始まる「バトル」から、巨大ロボが鉄の全身を軋ませて歩くようなドカドカした「ビート・ボックス」につながる、敵機来襲みたいなストーリーを想起させるインパクト(陳腐な表現で申し訳ない……)。デビュー時は、トレヴァー・ホーンが関わっていること以外、一切のインフォメーションがされていなかったので、顔の見えない黒船上陸みたいなこのグループについて、「こいつらはどんな凶悪な連中なのだろう」といつもガクプルな気持ちで接していた。グループ名“騒音の芸術”は、20世紀初頭のイタリアの美術運動「未来派」の時代に書かれたルイジ・ルッソロの宣言文(詳しくは『電子音楽 in JAPAN』で読んでね)から引用。教会画のジャンヌ・ダルクの肖像をジャケットに用いた、やたらに意味深でコワモテなアートワーク。その音を聴いて、坂本龍一氏がトレヴァー・ホーンに直々にプロデュースを依頼した逸話もある通り、『未来派野郎』というアルバムも、いうなればアート・オブ・ノイズ登場の衝撃が産み落としたフォロアーのような存在なのだ。
 イタリアの「未来派」の発生は、ルッソロの宣言文(13年)に先駆けて書かれた、美術家のブルッテルラによる『未来派音楽宣言』(10年)という書物に端を発している。産業革命時代の余韻さめやらぬ中、「重工業時代」の到来を告げる20世紀初頭に誕生。工場が発していた耳障りな騒音を美的に捉えるというこの“未来派”の考え方は、メンバーをみればわかるように、音楽というよりは美術界で起こった革命である。後のフランス発祥のダダイズムなどに通ずる、素人が権威を掻き回す「反芸術主義」の先駆け的な動きだった。
 アート・オブ・ノイズはこの未来派の“騒音芸術”の概念を、まだ誕生したばかりだったサンプラー(フェアライトCMI)を駆使して現代に蘇らせるというコンセプトで登場。所属するレーベル名「ZTT」も未来派の書物から拾った、「Zang Tumb Tuum」という意味のない衝撃音の頭文字をとった、いかにもなダダなモチーフから取られていた。ところが、アート・オブ・ノイズのアルバム自体の音楽性はずっと高級で、教会音楽もかくやという荘厳な響き。デザインもユーモラスな未来派よりコワモテなゴシックな雰囲気であったため、その一点がずっとファンとして不思議に思っていたところだった。後にグループは、デビュー・アルバム『誰がアート・オブ・ノイズを…』リリース直後にZTTを脱退。当時クリサリスと販売契約していた新興レーベル、チャイナへと移籍する。なにしろそれまで日本のファンは、“アート・オブ・ノイズトレヴァー・ホーン単独グループ説”を本気で信じていたぐらいだから、その正体が実はアン・ダドリー、JJジャクザリュク、ゲイリー・ランガンという3人の覆面ミュージシャンだった、というのを後から知って面食らった。後に来日して中野サンプラザでライヴまでやっているが、アンは裏方にしては美形だし、JJ(ジョナサン)は水を得たようなギャグ・アクションでファンを湧かせるショーマンであった。作曲担当の2人は、英国のポピュラー音楽界では比較的少ないクラシック畑出身で、アンに至っては王立音楽院卒業というインテリである。チャイナ移籍後は、ZTT時代以上にポピュラーな音楽性をアピール。デュアン・エディが参加した「ピーター・ガン」でグラミー賞まで獲得していることでもわかるように、実は譜面もバリバリのプロフェッショナルな教養軍団だったのだ。グループのコンセプトやジャケットの惹句を考えたのは、演奏しないメンバーだったトレヴァーと音楽紙『NME』の辛口記者だったポール・モーリィ。だが、演奏は純粋な3人のスタッフワークによるもので、『誰がアート・オブ・ノイズを…』で聞ける豊かな音楽性は、彼ら3人の教養に裏打ちされた、プロフェッショナル・ワークの権化といってもいいものだった。
 その後、とりあえずの成功を獲得してグループは解散するが、各々が映画音楽の世界などに身を投じた後、2000年に古巣ZTTから突然の再結成。チャイナ移籍時に不仲説も伝わっていた、トレヴァーとアンが同席するリユニオンにはファンも一様にビックリさせたれた(JJ、ゲイリーは欠席。と言っても、オリジナル・グループではトレヴァーは楽器を弾いていないので、正しくは第二期というべきか)。新作『ドビュッシーの誘惑』は、アンの豊かなクラシックの教養と、ドラムン・ベースなどの新しい流行を取り入れたアルバムに仕上がっていたが、リリース時にそれ以上に私をときめかせたのは、ネット通販オンリーで付録に付けられた、ZTT時代の未発表曲を集めたボーナスCD-R『Bashful』であった。サーム・ウエストでの公開ライヴ時に記録された、ナレーション付きの最初の「ビート・ボックス」のジャムの、なんと初々しいこと。未発表曲である、スティーヴ・ライヒのピアノ・フェイズの影響を受けたような「Resonance」、ドラム音をコラージュしただけの「Memory Loss」など、ラフな思いつきのような曲も多く、出自は極めてダダ的なグループであったことがよくわかる。アート・オブ・ノイズが一貫して「ビート・ボックス」「クローズ(トゥ・ジ・エディット)」など、シンプルな3コード曲ばかりをリリースしていたのも、おそらくロックンロール・ルネッサンスである現代のダダ=パンク思想に共鳴してのことであろう。
 拙著『電子音楽 in JAPAN』で取り上げた、電子音楽の歴史の誕生シーンではないが、物事は最初に生まれる瞬間がいちばん面白い。『Bashful』で体験したプレ時代のアート・オブ・ノイズを、数時間に及ぶボリュームのBOXヴァージョンとして再体験できるというのだから、興奮しないはずがない。果たして、手元に届いた『And What Have You Done With My Body,God?』は、41曲が未発表曲というBOXの鑑と言える内容で、私の期待を裏切らなかった。同曲のヴァージョンがたくさん入っているので、普通のリスナーは水増し感を感じる人もいるかも知れないが、楽器や多重録音をやっている人間にとっては、マルチ・トラックをまさに目の前で操作しているかのような臨場感がある。例えれば、ビーチ・ボーイズによる分解写真のような『Smile Session』や、アルバム1枚「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」の十数テイクだけで構成される中期ビートルズ海賊盤を聴いているかのよう。8ビット時代のフェアライトCMIのサウンドが、今聴くとかなりショボく聞こえることは知ってはいたが(808STATEのイエスロンリー・ハート」リミックスCDにオケヒットのプレーンな音が入っているので聴いてみよう)、こうして些細なテイク違いを比較してみると、イーブンタイドのハーモナイザーによって、あのマッシヴな音が作られていたのだなという音響的な背景が、ドキュメンタリーのようによくわかる。いちいち、エコーを付け替えたテイクにナンバーを付けて並べている様は、マルセル・デュシャンモナリザの肖像に髭を書き加えたり剃らせたりして、それを堂々と一つ一つが作品だと言い放つ(『L.H.O.O.Q.』のことね)、あの正調ダダイズムのノリそのもの。
 そしてさらに、本BOXが私を感激させたのは、ベラボーに面白い曲解説である。先日の再結成には参加していなかったJJ、ゲイリー・ランガンを交えたオリジナル5人組の鼎談形式による全曲解説は、私の長年の謎を氷解してくれる実によくできたリポートになっている。マルコム・マクラレン『俺がマルコムだ!』でスタッフが結集したことから、グループが誕生したこと。「ビート・ボックス」のドラムの音は誰が叩いたものだったのか……などなど。
 入荷から一週間が経ち、どっかのブログでネイティヴの人が訳してくれないかなあと思っていたのだが、今のところそういう動きはなさそう。フランキーやシールそっちのけで、わざわざアート・オブ・ノイズの旧譜を再発するためだけにZTTと契約したソニーも、現在は販売権を保持していないらしいから、日本盤もきっと出ないだろう。そこで、雑な翻訳でとても褒められたものじゃないが、それなりにアルバム紹介の役目は果たせるだろうということで、『And What Have You Done With My Body,God?』の収録内容を、ざっくり紹介してみることにした。ブログなどを徘徊してみると、このBOXが初めてのアート・オブ・ノイズ体験という人も多いようだ。「なんでMr.マリックの音ってCD化されてないんだろう」という声もよく聴くので、そのへんのアフター・ストーリーも併せて紹介することにする。


アート・オブ・ノイズ『And What Have You Done With My Body,God?』(ZTT)

 CD4枚組の縦型BOX。「神よ、貴方は私になにをさせたいの?」(意訳)という、これまた物々しいタイトルは、演奏しないメンバーでいわゆるコピー担当&スポークスマンである、ポール・モーリィの作。だが、今回のアートワークはオリジナル時のような意味不明な警告文の連続やコワモテな印象はなく、ブックレットもシンプルで読みやすいもの。41曲の未発表曲やデモ(わずか数曲、『Bashful』で紹介済みのタイトルもある)と、シングル、カセットオンリーのアルバム未収録曲で構成されている。Disc1は、トレヴァー・ホーンが経営していたスタジオ、サーム・ウェストでのジャムを克明に記録したデビュー前夜の集大成。Disc2は、代表曲「ビート・ボックス」「クローズ(トゥ・ジ・エディット)」の鬼のようなヴァリエーション集。Disc3は、ファースト・アルバム『誰がアート・オブ・ノイズを…』収録曲のオルタナティヴ・ヴァージョンをメインに、唯一の完全なる未発表曲「Oobly」を初公開。Disc4が、オリジナルな形では初CD化になるプレ・デビュー盤『イントゥ・バトル』全曲と、シングルB面曲、カセットオンリーのヴァージョンを集めている。先に触れたように、先行配信情報では、このDisc4の代わりにDVDが予定されており、それには未発表も含む全てのヴィデオ・クリップが入るというものだった。すでにPV入りの既発DVDがあるが、日本でもオンエアされたことがある、NYの路上で撮影されたポール・モーリィのナレーションで構成される初期「ビート・ボックス」(音は『イントゥ・バトル』ヴァージョン)などの未商品化のものもまだあるのだ。ほかは「ライヴ」「インタビュー」などが予定に記載されていたが、実際にはオリジナルのZTT時代にはライヴ映像はない(予定されていたBBC『TUBE』への出演は、突然のメンバー離脱でキャンセルされた)。リユニオン・ライヴ時に収録したインタビュー映像があるほか、未商品化の映像素材には、『ドビュッシーの誘惑』リリース時にマスコミ向けに配布された、英国俳優のジョン・ハート(『エレファント・マン』『1984』ほか)が出演しているPRヴィデオなどがある。
 Disc1の最初の目玉は、件のデモCD-R『Bashful』でも紹介されていた「ビート・ボックス」(One made Earler)という最初のヴァージョン。実質は即興的なジャムに近いもので、著名なデザイナー、ビル・ワトキンスらセレブを招いたサーム・ウェスト・スタジオでのオープンなパーティの時に披露されたものらしい。スタッフらしい男性のナレーションで曲が始まる構成は、新製品の発表会みたい。これが後の「ビート・ボックス」に完成していくのだが、ZTTを配給することになるアイランドのクリス・ブラックウェルにそのデモを聴かせたところ、「これに手を加える必要はない」と語った泣かせる逸話が紹介されており、まるでホワイト・ノイズのデビュー時のエピソードの再来みたい。JJによれば、正式にプロジェクトが生まれたのは、それに遡るマルコム・マクラレン『俺がマルコムだ!』の録音時に、プロデューサーのトレヴァー・ホーンの下、アン、JJ、ゲイリーが集まった時と語っている。アート・オブ・ノイズファンには、『マルコム』への全員参加は今では周知の話だが、デビュー当時はメンバー構成の一切が秘密にされていたため、改めてメンバー本人の口からその話が出てくるのには感慨深いものがある。傑作「バッファロー・ギャルズ」を収録した『俺がマルコムだ!』は、NYブロンクスで起こっていたヒップホップ・ムーブメントを最初に商業作品として記録したエポック的な作品。だが、後に本場NYから届いたリアルなヒップホップに比べると、英国経由ゆえにかなり独自の解釈が入った無国籍なものになっていた。ロンドンのスタジオマンが「想像でやってみたヒップホップ」だったから、あの面白サウンドになっていたんじゃと思っていたのだが、ライナーのよると当時マルコムが滞在していたNYに、わざわざメンバーは音ロケのために訪問していたんだとか。70へぇー。
 この時期の話は、コンセプターであるポール・モーリィの饒舌が楽しい。これまで一切ルーツは未公開だったが、アルヴィン・ルシア、ジョン・ケージスティーヴ・ライヒなどの現代音楽作品がきちんと下地にあったようだ。彼によれば『イントゥ・バトル』は、「フランク・ザッパ、カン、シュトックハウゼンブライアン・イーノピーター・サヴィル(のアートワーク)を合体させた」ものという解釈らしい。自分の立場についても、「ストーンズにおけるアンドリュー・ルーグ・オールダムピストルズにおけるマルコム・マクラレンのようなもの」と例えており、わかってらっしゃる。彼のトリックスターぶりは、彼が司会をするZTTレーベルのライヴショウを映像化した『ZTTショウ〜噂の個性派集団の全貌』や、構成を担当した『ニュー・オーダー・ストーリー』でも垣間見れる。特に後者は必見。
 あと、ブックレットには書かれていない、巻末に「Hidden Track」なる短いシークレット・トラックが入っているが、これは『誰がアート・オブ・ノイズを…』でもチラッとコラージュが登場する、清水靖晃『北京の秋』の音(素材をまるまる収録!)。実際にピアノをプレイしている坂本龍一氏も、YMOインタビュー集『OMOYDE』でこの話を語っていたが、きっと今回の収録も権利クリアランスしてないんだろうな……(笑)。
 Disc2では、初期のストラヴィンスキー型のサウンドの典型である「War」が、直接キューバ危機に影響されていることなどを開陳。『イントゥ・バトル』で、ジョン・アップルトンさながらにアンドリュー・シスターズをサンプリングした「ジ・アーミー・ナウ」の変奏曲とも言える、ネガティヴランドの引用で構築した「Damn It Wll!」などが初公開。ライナーによるとアンドリュー・シスターズの盗用について、“Sample Police”からクレームが入ったというエピソードも披露している。声紋で割り出すという噂の「サンプリングGメン」ってホントにいたんだなー。同種の試みとしては、ステッペン・ウルフ「ワイルドで行こう」を、リミックスするためにマルチの貸し出しをオファーして断られているんだそう。
 ここでの目玉は代表曲「クロース(ドゥ・ジ・エディット)」誕生秘話か。想像通り、トレヴァーのイエス「危機(Close To The Edge)」のアナライズによって生まれ、元々長尺だったものがリリース版に整理されて完成したものなんだそう。ダジャレの曲題はギャグ王らしい、JJが命名。あのアート・オブ・ノイズ名物のゲート・ドラムも、同じくイエスの当時のドラマー、アラン・ホワイトが叩いたものを加工した音だとか。サームで録音され、ちゃんとギャラも払ったと書かれている。冒頭の「In The Sommertime With My Love」というセリフは、ABC「ポイズン・アロウ」でマーティン・フライとデュエットを歌っている、女性歌手のカレン・クレイドン。それと、イントロの車のイグニッション音は、フォルクスワーゲン・ゴルフの音なんだって(写真まで載ってる)。
 こちらも代表曲である「モーメンツ・イン・ラヴ」も膨大なヴァリエーションには悶絶する。あの印象的な女性の声は、トレヴァー・ホーンがデビュー作を手掛けたダラーというグループのヴォーカル、テレサ・バザール。10cc「アイム・ノット・イン・ラヴ」を参照したという、後のゴドレイ&クレームとの邂逅を予感させる逸話も。ジャケット写真にも、テレサのモロ肌がパーツに使われているらしい。その上、ZTTは彼女をレーベルにスカウトしたのだが、アメリカ人のマネジャーに断られたというトホホな話もでてくる。
 後半に入っている“未発表シリーズその1”が、「The Angel Reel」の数曲。アート・オブ・ノイズの録音の大半はトレヴァー所有のサームで録られているが、これは例外的にエンジェル・スタジオで録られた録音物。内容はアンのヴィンテージ・オルガンの演奏で、バッハのコラールなどを引用している。ZTT時代に録られていたのにお蔵入りになっていたものだが、素材はチャイナ移籍後の『イン・ノー・センス? ナンセンス』収録の「プロムナード」で使用されているんだとか。
 Disc3は、『誰がアート・オブ・ノイズを…』を全曲別ヴァージョンで楽しめるという企画。ライナーの鼎談によると、『誰が』は当初、ラジオショーのような構成にする予定だったらしく、以前にメンバーが参加した『俺がマルコムだ!』の原題“Dack Rock”に引っかけて、「Goose Jazz」と付けるつもりだったらしい。デューク・エリントンガーシュインをカヴァーした清水靖晃『北京の秋』のモンタージュは、きっとそんな初期コンセプトの名残りなのだろうな。
 後半を占める“未発表シリーズその2”には、長年のファンも驚く事実が隠されていた。「The Ambassadors Real」という3曲は、『ZTTショウ〜噂の個性派集団の全貌』というレーザーディスクで出た85年のレーベルのショウケースライヴのために、アン、JJ、ゲイリーが録音した最後の作品。アンバザダーとは、その公演が行われた劇場名である。実際にその音が使われている『ZTTショウ』にはメンバー3人は出ておらず、ダンサーが曲に合わせて舞踏を披露するという構成になっていたのだが、本来はアート・オブ・ノイズが出演してライヴをやる予定だったという、衝撃の事実が。アンの証言によると、アンバサダー劇場のほか『トップ・オブ・ザ・ポップス』『TUBE』などに出演する予定もあったらしいが、アン、JJ、ゲイリー3人のメンバーの「デュラン・デュランFGTHのようになりたくない」という意向から、ライヴ活動がすべて反故にされたという。レーベル側の代表、ポールの発言を読むと「アート・オブ・ノイズはZTTにとってカウント・ベイシー楽団のようなもので、ソロイストを迎えて録音するための、トレヴァーのハウスグループだった。が、同時に3人のチームのものでもあった」と、どうも言い分がすっきりしない。以前、プロパガンダがZTT脱退について聞かれ、「レーベルの実質的タイクーンであったトレヴァー夫人に反発して、多くのスタッフがレーベルを離れた」と語っていたが、本作もZTTからのリリースであるから、その辺は語れない真実もあるってことかも。アンバサダー劇場用の曲は、代表的なナンバーをフェアライトCMIで再構築したものだが、その終幕を飾っているのが、ここでお披露目する予定だったという「Oobly」という初公開の新曲。ポール・マッカートニーのツアーメンバーで、ホットハウス・フラワーズなどのプロデューサーで知られるスティーヴ・リプソンがギターで参加している、珍しくファンキーな曲である。「アート・オブ・ノイズが初めてギターを導入した曲」というこの存在が、チャイナ移籍後のファンキーな変貌を暗示しているかのように思えて興味深い。


 さて、ここからはアート・オブ・ノイズ初心者のための、周辺盤ガイドである。85年に3人の実質的なメンバーが、フロントマンだったトレヴァー・ホーン、ポール・モーリィらZTTレーベルに対してクーデターを起こし、チャイナに移籍。有名なMr.マリックの登場曲である「レッグス」を収めた『イン・ヴィジブル・サイレンス』、続く『イン・ノー・センス? ナンセンス』『ビロウ・ザ・ウエスト』の3枚を出してグループは一時休止する。ところが、古巣ZTTからはオムニバスなどで在籍時の未発表曲が勝手にリリースされるは、チャイナからも『アンビエント・コレクション』『ザ・FON・ミキシーズ』『ザ・ドラム・アンド・ベース・コレクション』などのメンバー不在のリミックス盤が続けてリリースされるわで、新規のファンを「どれがオリジナル・アルバムなの?」と困惑させる、不親切きわまりない状況が続いている。特に経営の不安定なチャイナ期の作品は未だに入手困難。日本ではクリサリスと契約していた東芝EMIが配給していたが、後にチャイナがポニーキャニオンに移籍し、91年に日本でのみCD化されて以降、ずっと廃盤状態に。その一方で、ソニーがZTTと契約して、808STATEやシールなど一切かまわずアート・オブ・ノイズの既発音源(アルバム2枚だが、実質的には2つは同じようなもの)だけを出して契約満了という、これまた不完全燃焼な動きもあって謎を深めた。ソニーからのリユニオン盤『ドビュッシーの誘惑』の時は、先ほど書いたように当時演奏メンバーではなかったトレヴァーがプレイしているし、JJ、ゲイリーの代わりにロル・クレイム(10cc)が正式メンバー入りしているという、実質的には別グループ。ライヴでも「ビート・ボックス」などは、テープ再生でお茶を濁していた。

『IQ6 Zang Tumb Tuum Sampled』(ZTT)

アート・オブ・ノイズのレーベル離脱後、85年にリリースされた、ZTTの未発表曲中心のオムニバス。ほかは、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド、アン・ピガール、アンドリュー・ポッピー、プロパガンダに、元ピッグ・バッグ組の3人の新人、インスティンクトの曲を収録。アート・オブ・ノイズは3曲入っており、「Closing」は、「クローズ(トゥ・ジ・エディット)」をスクラッチや逆回転などで加工して、ポール・モーリィのナレーションを加えたもの。「Egypt」は、映像作品『ZTTショウ〜噂の個性派集団の全貌』から抜粋した、アンバサダー劇場での「モーメンツ・イン・ラヴ」を背景にしたポールのお喋り、「A Time For Fear(Who's Afraid)」も同じ、『ZTTショウ』からのカットアップによるコラージュで、ポールがオケをバックに映画『M★A★S★H』の主題歌「スーサイド・イズ・ペインレス」の一節を歌うという謎なトラックがイントロに付いている。

アート・オブ・ノイズ『イン・ヴィジブル・サイレンス』(東芝EMI

クリサリス傘下のチャイナに移籍してのセカンド。「クローズ」をメジャーアップデイトしたようなポップなシングル「レッグス」収録。古参ギタリスト、デュアン・エディをゲストに招いたヘンリー・マンシーニの「ピーターガン」のカヴァー(当時『ブルース・ブラザーズ』で使われていた有名曲)は、グラミー賞特別賞も受けており、初期からのファンは、そのメジャーに突き進む激変ぶりのおののいた。シングルカットされた「パラノイミア」には、当時人気だったイギリスのテレビドラマ『マックス・ヘッドルーム』の主人公役のマット・フューリーがゲスト出演。それが縁で、アメリカでリメイクされたテレビシリーズ版の主題曲をアート・オブ・ノイズが担当することに。つるべ打ちのごときタイアップ連発は、ブレインだったポール・モーリィ抜きでもグループは存続できることを証明したかったのか?

アート・オブ・ノイズ『In Visible Silence』(Polygram)
アート・オブ・ノイズ『リ・ワークス・オブ・アート・オブ・ノイズ』(東芝EMI

前者は『電子音楽 in the (lost)world』でもレーザーディスク版を紹介している、85年の英国ハマースミス・オデオンでの実況を収めた初の映像ソフト。テープを一切使わず、コーラス隊を従えてのオール生演奏。アンのピアノはチック・コリアみたいだし、JJのフェアライト2台使いも見事なパフォーマンス。お馴染みのゲート・ドラムの音は、AKAIのS900にサンプルしたものを、ドラマーがパッドで叩いて鳴らすという完全同期レスで、堂々たる生バンド編成になっている。日本、アメリカを除いてリリースされたために大半の映像がPALなのだが、本作は唯一NTSC映像で観れるカナダ版のVHS。ブックレットでは、アンがZTT脱退の理由を「匿名の存在でいたかったから」と語っていたのに、こちらのリリース時の資料には「トレヴァーと違うことをやり語ったからライヴをやった」と間逆の発言をしている。なぜかパッケージの推薦文を書いているのが、ソニーの創業者である井深大。後者は、同ライヴ音源が半分と、マックス・ヘッドルームと共演した「パラノイミア」のシングルなどアルバム未収録曲をまとめた来日記念盤。ライヴからは「レッグス」「パラノイミア」「作品III」「ハマースミス・トゥ・トキョー・アンド・バック」の4曲を収録。日本だけでCD化されたものゆえ、ただでさえ貴重なチャイナ期でもっともレアな一枚で、欧州のコレクターに会うと必ずこのCD持ってるかと聞かれるほど。

アート・オブ・ノイズ『イン・ノー・センス? ナンセンス』(東芝EMI
サーム・ウエストのエンジニアからキャリアを始め、ジョディ・ワトリー、スパンダー・バレーのプロデューサーとして成功したのを機に、ゲイリー・ランガンが脱退して、アン、JJの2人組に。前年の初のツアーでもゲイリーは唯一裏方でステージに顔を見せなかったので、2人組の印象は以前のままだったが、エンジニアの交代で出音はかなりイージーリスニング寄りになった。テレビシリーズの主題曲「ドラグネット」は、ダン・エイクロイド主演の映画リメイク用のカヴァーだが、ブラスなどの素材もお誂えもので、既成音楽を剽窃していたような初期のようなスリル感はすでにない。「ローラーI」は、ファット・ボーイズ主演映画『ディオーダリー』の主題曲。

アート・オブ・ノイズ『ビロウ・ザ・ウエスト』(東芝EMI

プロデューサーは2人に加えて、名匠テッド・ヘイトン。パルコのCMにも出演していたアフリカのシキシャ、マハテニ&マホテラ・クイーンズが参加した渋いシングル「YABO」で新局面を披露した。バスクリンのCMで使われた「ロビンソン・クルーソー」は、イギリスの有名なテレビシリーズのテーマ曲、「ジェームス・ボンドのテーマ」はお馴染み007の主題曲のカヴァーで、どちらも英国バンドらしい選曲だがほとんど捻りのないアレンジゆえに、ここで創作のピークは過ぎてしまったことを、ファンも一様に再認識した。

アート・オブ・ノイズアンビエント・コレクション』『ザ・FON・ミキシーズ』『ザ・ドラム・アンド・ベース・コレクション』(東芝EMI
グループ休止後にリリースされた、実質的にメンバーがどれだけ関わっているのかわからない、一応、オフィシャル扱いのリミックス盤3枚。このうち、『アンビエント・コレクション』は元キリング・ジョークのユースのプロデュース。ユースはジ・オーブ、THE KLFの結成のヒントにもなったアンビエントDJのはしりでもあり、そういう意味でアンビエント・ハウスの潮流は本作からという説もある。『ザ・FON・ミキシーズ』には、808STATEのグラハム・マッセイらが参加。ただし全作とも、仕上がりとしてはやや凡庸なり。

アート・オブ・ノイズ『The Best Of The Art Of Noise』(東芝EMI

トム・ジョーンズに歌わせたプリンス「キッス」のカヴァーをシングル用に録音した際に、記念して作られたシングル主体のベスト盤。同デザインで、ブルーとピンクのジャケットに分かれていて、同じ曲をそれぞれ、7インチ、12インチ・ヴァージョンで収めている。初回盤は、「クローズ」「ビート・ボックス」「モーメント・イン・ラヴ」などZTT時代の曲も混在していたが、後に契約問題で収録できなくなったため、早い時期にチャイナ音源だけで再構成した同ジャケットのものに差し替えられた。よって同タイトルで、4種類の構成のものが市場に出回っている。

アート・オブ・ノイズ『Bashful』(ZTT)

再結成盤『ドビュッシーの誘惑』リリース時に、アメリカのネット通販の老舗「CD NOW」が特典盤として付けた、12曲入りのボーナスCD-R(『ドビュッシーの誘惑』の量産盤に付いてきたボーナス盤『Seduction』と図版は同じだが、内容は別なので注意)。大半が初公開となる、未発表曲、デモテープで構成されている。サーム・ウエストでの最初のジャムの記録「ビート・ボックス」(One Made Earler)、リズム隊がリン・ドラムによる初期のスケッチ「Who's Afraid(of Scale)」、セキセイインコの声とイタリアのラジオ局の女性DJの声をコラージュした「Structure」など4CD BOXに収められたものあるが、もっともダダ風だった初期の習作群「Resonance」「Memoly Loss」「ビート・ボックス(Diverted)」などはなぜか収録されていない。

JJジャクザリュク『Art Of Sampling』(Hit Sound)

アート・オブ・ノイズでフェアライトによるサウンドメイクを担当していたJJによる、サンプリング素材集。あの有名な衝撃的なスネアや、オケヒット、ブラスヒット、ヴォイス、イグニッション音などを収録している。元はクラシックのクラリネット奏者だったが、フェアライトのオペレーターとしてイエスに参加して、リック・ウエイクマンのアシスタントに。基本的にユーモアの人で、フェアライトのスペックがII、IIIになっても、ずっと15Khzでサンプルし続ける、ロケンロール魂を垣間見せる存在だった。Hit Soundはライブラリー専科のメーカーで、このほか、屋敷ゴータ、コールドカット、ターミナルヘッド、デヴィッド・ラフィ(アズテック・カメラ)、ヴィンス・クラーク(デペッシュ・モード、イレイジャー)などのサンプル集もリリースしている。現在は、オケヒット「Thorn Orch」などの一部が、Best Surviceから出ているクラシック・シンセのライブラリー・プラグイン「Cult Sampler」でも聞ける。

アート・オブ・サイレンス『artofsilence.co.uk』(xiomattic)

グループ消滅後、JJが、元アート・オブ・ノイズのエンジニアで、ペットショップ・ボーイズのプロデュースなどを手掛けていたボブ・クラッシャーと結成したアンビエント・ユニット。基本はストイックなミニマル・ハウスだが、唯一「messenger of heaven」が、オケヒットなどを使ったアート・オブ・ノイズを思わせるポップ曲に。初回盤にはフロッピー・ディスクに、ビットレートを変換して「何でもアート・オブ・ノイズ化できちゃう」ミニ・フェアライトみたいなウィンドウズ用プログラムが収録されていた。

アン・ダドリー&ジャズ・コールマン『ヴィクトリアス・シティ』(ポニーキャニオン
アン・ダドリー『エンシャント&モダーン』(ポニーキャニオン

前者は、グループ消滅後の初のアンの署名作品で、『アンビエント・コレクション』の制作者だったユースと同じ、キリング・ジョーク出身のコールマンとのデュオ作品。エジプトの現地のミュージシャンを起用して録音されたクラシカルな逸品に。後者は初のソロ・アルバムで、オーケストラと教会コーラスによるシンフォニックな作品。一部、バッハ「プレリュード」などを引用している。アンはグループ後期から、『クライング・ゲーム』『ナイト・ムーブス』などの映画音楽スコアを担当し、フィル・コリンズ主演作『バスター』の音楽では、英国最優秀サウンドトラック賞を授与された。その後、トレヴァーとポールが発起人になった、アート・オブ・ノイズのリユニオンに唯一参加。なお、拙著『電子音楽 in the (lost)world』では、アート・オブ・ノイズ在籍時にイギリスのライブラリー会社のための彼女が制作した、フェアライトによる作品集などを数枚紹介しているので、ご興味のある方はぜひご覧あれ。

『The Abduction Of The Art Of Noise』(Karvavena Records)
『Mr.マリック 超魔術ブレイクス』(AVEX

アート・オブ・ノイズのカヴァー企画を洋邦それぞれから。前者は以前から噂されていた初のトリビュート盤で、808STATEのアンディ・べーカー率いるKompressor「モーメンツ・イン・ラヴ」、スキャナー「ドナ」などの、テクノ、エレクトロニカ系グループが総出演。Hexstatic「バックビート」はクラフトワークのサンプルを使ったオールドスクール風に。ボーナストラック扱いだが、ブレイク前のサーシャが96年に録音していた「ビート・ボックス」(Diversion2)なる、グラウンド・ビート・ヴァージョン(なぜかモノーラル)もかなりイカす。唯一、オリジナルメンバーとして、JJがアート・オブ・サイレンスとして「ビート・ボックス」をアンビエント風にカヴァー。告知されていたターミナルヘッド、ヴェルヴェッド・チェインは不参加だった。後者は、おそらくMr.マリックや手品ファンから「レッグス」のチャイナ音源が入手できないという声を受けて制作されたのであろう、「レッグス」のリミックス集。DJ TSUYOSHI、DJ SHINKAWAといったリミキサー参加による6ヴァージョンが収められているが、音源はチャイナのマルチを使うのではなく、譜面から起こした日本制作のオケがベース。この採譜のコード聞き取りがちょっと怪しくて、かなり安っぽく仕上がっている。一時にはMr.マリックもテレビ出演時にこのCDのヴァージョンを使っていたのに、現在はオリジナルに戻してしまった。なぜかご祝儀に「ビート・ボックス」もカヴァーしていて、これもかなりショボイ出来。

『トイズ(サウンドトラック)』(イーストウエスト・ジャパン)
インガ・フンペ「Riding Into Blue(Cowboy Song)」(WEA)

最後に番外編として、トレヴァー・ホーン作品を2つ。前者はバリー・レヴィンソン監督のロビン・ウィリアムズ主演による極悪な映画『トイズ』のサウンドトラック盤。フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドの人気凋落後、ZTTには一時閉社の危機が訪れるが、808STATE、シール、ウェンディ&リサなどを迎えて再建。そのころに制作された作品で、ZTTの新旧メンバーが参加している。主要スコアは、元バグルズのスタッフだったハンズ・ジマーで、現在はアン・ダドリーと並んでハリウッドのセレブになってしまった。ほか、旧友で『俺はマルコムだ!』に参加していたメンバーで、唯一アート・オブ・ノイズ不参加だったトーマス・ドルビー「ミラー・ソング」なんていう珍曲も。フランキーの旧作「ウエルカム・トゥ・プレジャー・ドーム」も採用されているが、アート・オブ・ノイズをもじってか“Into Battle Mix”名義になっている。後者はご存じ、ドイツのパレ・シャンブルグ周辺組で、「これが人生だ」でお馴染みフンペ・フンペの妹のほう。本作はトレヴァー・ホーン制作の最初のソロ・アルバム『Planet OZ』からのシングルカットで、この時期、シールなどシリアスな作品が多かったトレヴァー作品の中で唯一、サンプラーなどを駆使した笑える曲に仕上がっている。トーマス・ドルビーが手掛けたプリファブ・スプラウト「フェローン・ヤング」、トニー・マンスフィールド・プロデュースによるイップ・イップ・コヨーテ「Pioneer Girl」に匹敵する、サンプリングを駆使した電脳カントリーに。

さらばディスク時代part2 華やかだったCDシングル文化を追悼する

 先日のエントリーで、80年代初頭に登場したばかりのころの黎明期のCD(CDDA)の歴史を紹介した。レコード業界から消費者の意識が離れるきっかけを招いたと言われるCCCDコピーコントロールCD)も、原理的にはCD(CDDA)と同じもので、PC用のCDドライブのみに悪さをするようにエラー信号がランダムにたくさん書き込まれていただけ。ところがCD専用再生機である、オーディオメーカー製のラジカセ、コンポ、カーオーディオのたぐいも、OEMパーツとして中国ほかの大量生産品である安価なPC用のCDドライブを流用していたりしたために、PCへのコピーどころか「CD専用プレイヤーでも再生できない」という由々しき自体を招いてしまった。
 CDを開発したのは、それ以前にカセットテープを普及させた実績のあるオランダのフィリップスと、日本のソニーである。『電子音楽 in JAPAN』でもエピソードを紹介しているが、CD収録時間を60分に考えていたのフィリップスの考えを蹴って、CBSソニーの社長で音楽家でもあった大賀典雄氏が「ベートーベン「第九」をフルサイズで収録したい」と熱望して、標準74分に設定したという逸話は広く知られているだろう。だが、そもそもPCM技術は、東芝日本コロムビアなどが先駆者であり、ソニーが取り組む以前から開発されていたものだった。70年代末期、YMOの記事などが頻繁に取り上げられていた時代のオーディオ系の雑誌には、よく「レコードに代わる未来のメディア」というタイトルで、“DAD”(デジタル・オーディオ・ディスク)という名前で紹介されていた。以前書いたように、当時はカセットテープのソフトもドルビー録音とノーマル録音の2種類が違う値段で売られていたり、映像ディスクもLD(パイオニア)とVHD(ビクター)とが競合していたり、映像ソフト自体も同一作品をVHS、ベータ、LDで別々のメーカーが勝手にデザインを替えて出していたりと、メーカーごとに無手勝流のビジネスを展開していたから、私などは消えてしまったDAD規格のように、CDも早々になくなるのではないかと思っていた。ところが25年の風雪に耐え、CDが今日に生き残っているということには、驚きを禁じ得ない。おそらく、iPodなどのデジタル・オーディオとの親和性から、しばらくは今後もCD(CDDA)は現役メディアとして延命していくことになるであろう。
 日本で最初にリリースされたCDは、開発元のソニーの所属アーティストだった松田聖子大瀧詠一である。当時は値段も3500円と高かった。その後、ソニー発のデジタル・サウンド時代の旗手として、CDでデビューを果たした最初のアーティストが、最近、コーネリアスのラジオ番組などで再注目されている、安西史孝氏のいたTPOである(『電子音楽 in JAPAN』参照)。他社がCDに追随するのには少し時間がかかったが、はやりデジタル・オーディオに関しては業界でリーダーシップをとっていた日本コロムビアが、早々と参戦していたのを覚えている。海外では、先日のエントリーで書いたように、フィリップス系列のフォノグラムがいち早く対応しており、パレ・シャンブルグの3枚目やトーマス・フェルマンが主宰していたオムニバス“チュートニック・ビート”のように、80年代中盤にすでにCD化されていたタイトルも同社には結構多い。
 CDも今のように安定路線になるまで、各メーカーはその技術を応用した、様々なバリエーション規格を頻繁に発表していた。主なもので言えば「CDV」「VCD」「CDシングル」などがある。「CDV」は、12センチのCD盤の片面がCDとLDの記録面に分かれており、映像が1曲、音楽が3〜4曲入るようになっていたという、映像と音声の折衷ソフト。LD面はレーザーディスク・プレーヤーと互換性があった。うちにもユニコーン「大迷惑」、宍戸留美「Panic in may room」などのCDVがあるが、当時日本でも面白いPVがぽつぽつと登場し始めたころだったので、それなりに存在意義はあったようだ。スタンプのケヴ・ホッパーのソロなんかも出ていたりするのだが、残された記録も少ないために、その全貌は私にもつかめないでいたりする。「VCD」は、パソコン用として浸透していたmpeg1ファイルを収録した、映像と音楽をフルサイズで収めた映像メディア(DVDはmpeg2)。LD、CD(CDDA)、CDVなどの初期のデジタル・メディアはデータ無圧縮で収録していたが、「VCD」やMDではデータを圧縮して収録できるようになったため、小さなディスクに長時間のソースの収録が可能になった。CDサイズに、映像と音声がフルに60分近く収録できるのは驚異であった。これは主にパソコンでの再生を目的としていたメディアで、レーザーディスク・プレイヤーなどとの互換性はなく、専用プレーヤーも大手から発売されたものの、日本では普及しなかった。しかし、その利便性からアジア全域で爆発的に普及することとなり、向こうではテレビをつないで再生するVCD再生機能のついたラジカセやコンポがずいぶん普及している。国内ではソフト化されていない日本のドラマや映画などが、アジアのみでVCD化されているケースも多い。また、アダルト系のタイトルが特に普及しており、日本でもKUKIなどのメーカーが一時リリースしていた(KUKIは創業者が寺山修司天井桟敷のスタッフだった人なので、こうしたニューメディアへの取り組みが常に早かったのだ)。「VCD」はmpeg1圧縮という汎用記録方式なので、現在でも海外製のDVDプレーヤーなどには、これを再生できる機能を持たせたものは多い。そして3つ目が、その中でもっとも普及した、今回のエントリーの主役である「CDシングル」である。
 もう現物を知らないという世代もいると思うので、一応、スペックを説明しておく。サイズは12センチのレギュラーCDより少し小さい8センチのディスクで、記録はCDやLDと同じ無圧縮方式。時間にして最大20分の記録ができた。サイズが小さいのが売りではあったものの、店などで扱うのに万引き対策などの観点で扱いづらい面があったため、少し大きめの短冊形の縦長で販売し、買った後に余白のプラスチックをパキッと割って、折りたたんで8センチにして収納するという形式が取られていた。以前、テレビのバラエティ番組で、和田アキ子がCDを買うたびに、いちいちケースを割って紙とディスクだけを引き出して聴いていると語っていたが、あれは和田がCDシングルで見た行為を混同していたためだろう。余白部分を割るというのは、初期のCDシングルのデザインがアナログシングルの正方形のジャケットを流用していたためで、下の部分の余白になにも印刷がない無地のものも多かった。それが、だんだん縦長のCDシングル独自のデザインになっていき、やがてアナログ・シングルが消えていくという顛末を辿る。購入者の間でもプラスチックを割るという行為には抵抗があったし、ケースを割ると中古盤店などで引き取ってもらえないなど実際はハンディもあったため、たいていの中古品店では、今でも販売時の短冊形のままで流通している。
 「CDシングル」と謳っているわけで、これは17センチのアナログ・シングルに替わるものとして開発されたものだった。実はこの時期、アルバムのCD化はすでに浸透しており、オリコンチャートなどで見ると、アルバムチャートはCD中心なのに、シングルチャートはアナログというかなり歪な状況があったのだ。だが、アルバム以上にアナログ・シングルには長い歴史がある。CDシングルへのシフトは容易ではないと思われていたので、当初はCDシングルのみのさまざまな付加価値が付いていた。収録時間が20分という、容量も通常のシングルの倍。値段も同時発売の800円のアナログ・シングルと差別化するために、1枚が1000円というのが平均価格だった。値段がアルバムの1/3もするというのは、たった1曲を聴きたい人にとってみれば、今のiTMSのシングル曲価格=200円(平均)と比較すると、かなり割高感がある。だから、トイズ・ファクトリーのエルレーベルのCD再発シリーズのような、マキシ・シングル、ミニ・アルバム用のディスクとして重宝されたこともあった。あるいは、カラオケブームの黎明期でもあり、先に普及していたカセット・シングルが2曲のオリジナル・カラオケを併録していたのを真似て、たいていのアイドルのCDシングルはカラオケを含む4曲入りで売られていた。私のような編曲家マニアにとっては、オリジナル・カラオケの商品化は、バックトラックの研究に大いに参考になった。中には、忌野清志郎坂本龍一「い・け・な・いルージュマジック」のように、オリジナル・リリース時には未発表だったカラオケが、CDシングル化で初めて公開されたものもあった。私が選曲した「歌謡テクノ」のコンピレーション『テクノマジック歌謡曲』に収録している、芳賀ゆい「星空のパスポート」も、編曲者である小西康陽氏のピチカート・ファイヴ「ベイビー・ポータブル・ロック」と同じように、CDシングルのほうには、ダブ・マスターXこと宮崎泉のダブ・ミックスが、シークレット・トラックとしてまるまる20分収録されていたりする。
 このCDシングル規格は、日本のソニーがオリジナルに開発したもの。一時期、英国のヴァージン・グループが採用して、ジャパン、XTCなどのミニ・アルバムを小さな8センチの紙ジャケで出していたことはあるが、全世界的にはほとんど普及しなかった。後にグリコの食玩でCDシングルがもてはやされたのでわかると思うが、あのチマチマとしたミニチュアサイズが、いかにも日本人向けだったのだろう。それに、アメリカではすでにシングル文化というものが終焉に向かいつつあったことも理由にある。90年代初頭、すでに時代の潮流とかけ離れてきたという判断から、ビルボード誌がシングルチャートを撤回している。アメリカのレコードビジネスの規範となっていたヒットチャート文化が、誕生から約半世紀がたち、ひとつの時代の終わりを告げていたのだ。これは、ハウス、テクノなどのダンス・ミュージック志向のグループが、アルバム主体で作品を発表しており、シングルを切らなかったためである。ラジオでは従来通り、アルバムから人気曲を紹介するという流れがあったため、その後ビルボード誌ではシングルチャートに変わるものとして、オンエア頻度で人気を集計するパワープレイチャートを誕生させた。数百というラジオ局が存在し、今でもランキングに強い影響力を持っているラジオ中心社会であるアメリカならでは。このあたり、先日の米タワーレコードの2度目の倒産にも、遠く関係している要因のような気もする。
 日本では、アナログ・シングルからの入れ替えに成功した「CDシングル」だったが、小室哲哉全盛のころの90年代初頭、12センチCDに入れた“マキシ・シングル”として単独曲がリリースされるようになる。当初は、シングル曲とそのリミックス・ヴァージョンを、CDシングル、12センチCDそれぞれに入れ、2種類で発表していたアーティストもいたので、オリコンチャート上では、2つは別々の曲として集計されていたりしたのだが、やがてシングル曲の中心がレギュラーCDサイズ(マキシ・シングル)のほうに統一されていった。これは、「パソコン・ソフトの箱がなぜ大きいのか?」の理由と同じで、レコード店店頭で並べた時に、ジャケットのサイズがそのまま広告として機能するからである。やがて、CDシングル自体が業界から忘れられることとなった。外資系大型CD店などでは、扱いづらいことからかなり早い時期に一切の取り扱いをやめたところまであったのだ。その後、ボアダムズや、最近出たコーネリアス「music」のように、盤面に60分近くまるまる1曲を収録したマキシ・シングルも登場。それまでも、シュトックハウゼンなどの現代音楽の世界では、まるまる1曲で一つの作品というアルバムがあったわけだから、ここですでにアルバム、シングルの概念が崩れていたのである。
 現在、日本でもシングル・チャートは、形式としては一応残ってはいるものの、すでにビルボードがシングルチャートを撤回した時と同じように形骸化している。おまけに、オリコンチャートにしても、POS集計でランキングしている新興の調査会社プラネッツにしても、タワー、HMV、ヴァージンなどの大型CD店の売り上げデータを提供してもらえずに集計しているわけだから、すでにランキング文化というもの自体が役割を終えてしまったと言えるかもしれない。
 以前のエントリーで私は、都内の多くの中古レコード店から、アナログ盤が消えつつあることを書いた。90年代中頃の数寄屋橋のハンターの倒産は、その象徴的な事件だったと思う。なにしろ、あのフリッパーズ・ギターの2人も、マニアの道は「ハンターに始まりハンターに終わる」と語っていたぐらいで。私も、渋谷にレア盤を並べるセレクトショップ系のネオアコ中古店ができる前から、その筋のマニア盤を集めていた口なので、業界人からの流出品も多いハンターには大変お世話になった。だが、ハンター後期のころですら、アナログ・プレーヤーのない家庭はすでに多かったように思う。こうして経済効率優先の社会の中で、アナログ盤はメディアとしての役割を終えてしまったのである。そして、CDシングルもある時期、「固定資産税」の問題などもあって、ごっそり処分されてしまったと聞いており、現在では都内の中古CD店でもほとんど見なくなってしまった。フロントローディング式のパソコン用のドライブでは、すでに8センチCDを飲み込んでも再生できないものも多いらしい(このへん、日本だけで普及したAMステレオと同じで、安価なアジア製のOEMパーツを使っていることが理由)。そもそも、CDシングルって当初から対応していないプレーヤーも多く、8センチの外枠にアダプターを付けてレギュラーCDのようにして再生していたこともあったぐらいで、元々ハードメーカーにとって鬼っ子のような存在だったんだろう。
 企画モノ好きな私も、一時、中古盤店で大安売りしていたCDシングルの宝探しに夢中になっていた。シングルのみの別ミックスもあって、意外な戦利品も数多く見つかったが、現在はその多くは、アルバムのCD再発のタイミングでボーナストラックとして収録されている。だが、賞味期限がその一瞬という、リリース自体が一発ギャグみたいな、今後絶対復刻されないだろうと思う愛すべき企画ものも多かった。そこで今回は、そんな中から一部ではあるが、面白そうなCDシングル作品をまとめて紹介してみることにした。



「THE SHOPPING SPREE」シリーズ(バップ)

これはみんな集めてたと思う、トイズ・ファクトリーがまだバップのレーベルだった時代に出ていた、エル復刻シリーズ。初期の10インチやマキシ・シングルをそのままCDシングルで復刻したもので、一枚1200円と高価ではあったが、日本のみのCD化という貴重なものだった。後期のエルって、クレプスキュールみたいな普通のイージーリスニング志向になるので、初期の傑作のCD化には喜んだもの。キング・オブ・ルクセンブルグ、バッド・ドリーム・ファンシー・ドレス、アンソニー・アドヴァーズ、ハンキー・ドリー、ビド、モーマスルイ・フィリップ、ゴル・ガッパス、ジ・アンダー・ニースほか20枚近くがある。このうち、ビドの2枚はモノクローム・セットのコンピ『ヴォリューム・コントラスト・ブリリアンス』の日本盤に追加収録。他の曲も、マイク・オールウエイが立ち上げた新レーベル“リッチモンド”から出た、各アーティストのベストに主要曲はほぼ収められている。

忌野清志郎坂本龍一「い・け・な・いルージュマジック」(ポリドール)

オリジナル発売はロンドンレコードだが、倒産後にカタログはポリドール(現・ユニバーサル)に引き取られ、92年に突如CDシングルで再発。オリジナル・リリース時には未発表だった、2曲のオリジナル・カラオケが初収録された。「明・る・い・よ」はカラオケだけで聴くと、「両眼微笑」の変奏曲みたい。

山下達郎「パレード」+シュガー・ベイブ「DOWNTOWN」(イーストウエスト・ジャパン)

ナイアガラトライアングルVOL.1』収録の達郎の名曲が突如、フジテレビ系『ポンキッキーズ』の主題歌に。再発なのにオリコンのアルバムチャートで1位を取ったシュガー・ベイブ『ソングス』の再発と前後して、70年代の達郎サウンドの再評価現象が起こり、突発的にリリースされたもの。「パレード」は92年版リミックス、「DOWNTOWN」はシングル・ヴァージョン。現在は確か、どちらもCDにボーナストラックで収録されていたはず。

ブライアン・フェリー「TOKYO JOE」(東芝EMI

キムタク主演の傑作ドラマ『ギフト』主題歌に、なぜか突然同曲が器用され、なんと来日まで実現。これは主題歌としてリリースされたCDシングルの復刻で、貴重なカラオケ・ヴァージョンも収録。ブライアン・フェリーのオリジナルカラオケが入手できる時代がくるなんて……。

コニーちゃん「バブルバスガール」(ポニーキャニオン
はのあきwithウゴウゴくんとルーガちゃん「ショガクセ〜イズデッド」(ポニーキャニオン
前者が『ポンキッキーズ』挿入歌、後者が『ウゴウゴルーガ』主題歌。『ピタゴラスイッチ』など子供番組の音楽が先鋭的だという事実は現在でも変わらずだが、こちらも前者はカジ・ヒデキ、後者はピエール瀧、CHOKKAKU(プリンストンガ名義)が手掛けている。こうした企画ものは、お宝音源が多いのに復刻されることが少ない。SF作家でもある野田昌弘が企画した、日本版「セサミストリート」として始まった『ひらけポンキッキ』も、本家がジャクソン5などを使っていたように、初期からプラスチックス、ペリー&キングスレイなどを使っていたことで有名。テレビ朝日系『ピッカピカ音楽館』も、挿入歌の制作を現在のコーネリアスの事務所である3Dが担当していたので、岡井大二(天沼デン助)、はにわちゃん(ヴォーカルは三橋美香子)、成田忍(アーバン・ダンス)、やの雪などが手掛けていたりする。

ManaKana+TARAKO水谷優子「じゃがバタコーンさん」(日本コロムビア
カヒミ・カリィ「ハミングがきこえる」(ポリスター

ともに『ちびまるこちゃん』主題歌で、コーネリアスこと小山田圭吾プロデュース(カラオケ・ヴァージョンはCDシングルのみ)。『ちびまるこちゃん』は当初こそ音楽はビーイング一派だったが、西城秀樹起用あたりから原作者さくらももこ氏のご主人だった宮永正隆氏が音楽プロデューサーとして関わり始め、映画版のサントラには大瀧詠一細野晴臣曲を使用。イメージアルバムには、清水一登などを作編曲で起用していた。その後、宮永氏は、大瀧詠一さくらももこと共同出資でダブルオー・レコードも設立し、渡辺満里奈のシングルなどもリリース。最近は『ビートルズ大学』の著書でも知られている。

キリング・タイム「BOB」(エピック・ソニー
HANIWA「新大魔人」(ソニーレコード)

前者は板倉文率いる、日本のザッパ・バンドの名作12インチの復刻。現在はAMJから、12センチ盤でリマスター復刻されているが、それまでは幻のCDと言われていた。後者ははにわちゃんのヴォーカルが女優の池田有希子に交代し、HANIWA名義になった『ハッピー・ピープル』時代に出たアルバム未収録曲。

HIROMITSU「たどりついたら雨降りだけじゃなかった」(ポニーキャニオン
先日フィーチャーできなかった、鈴木ヒロミツの最新シングル。プロデュースはブラザー・コーンバブルガムブラザーズ)。モップス時代の「たどりついたらいつも雨ふり」のアンサーソングで、カップリングには「たどりついたら」の新ヴァージョンを収録! しかし、凄まじい最悪コンディションのヴォーカルはあい変わらず。「たどりついたら」は同じころ、山崎ハコもシングルでカヴァーしていて、こっちは名演に仕上がっていた。

スパンクハッピー「空飛ぶ花嫁」「CHOCOLATE FAOLK SONG」(東芝EMI

菊池成孔氏のアイドル時代(?)。日本コロムビアからデビューしたソロ・シンガー、原みどりのバックバンドがパーマネントなグループに発展し、東芝EMIに移籍してデビュー。シングルはいずれもアルバム未収録。当時のメンバーは、原みどりとパートナーだった菊池氏に、モーニング娘。の「真夏の光線」などを手掛けているキーボーディスト、河野伸の3人。実は同じころ、ティポグラフィカのキーボーディスト、水上聡氏が東京少年に加入してメジャー進出しており、スパンクスはそれと並ぶティポグラフィカ第二のメジャー進出ユニットという風に私は捉えていた。河野氏のアルバムのアレンジは今聴いても凄い。その後、原みどり、河野氏が抜けたのにスパンクスが継続したのには驚いた。

ブリッジ「夢見るシャンソン人形」(ポリスター
ナイス・ミュージック「LITTLE CHANSON DOLL」(ビクター)
三菱自動車のCMソングで、フランス・ギャルのヒット曲「夢見るシャンソン人形」を、渋谷系代表のブリッジ(カジヒデキ在籍)とテクノ代表のナイス・ミュージックが競作カヴァーするという企画。どちらもシングル・オンリーで、カップリングは未発表曲。2グループとも実力派で、甲乙付けがたい仕上がりに「日本の音楽業界の未来は明るい」と、頼もしく思ったもの。

モーニング娘。愛の種」(Spree Record)
初期の『ASAYAN』時代から見ていた元モー娘。ファンなので、これは必須でしょう。結局、東京での即売は中止されたのだが、当時ワンナップ(ゼティマの前身)にいた友達におねだりしてこれをもらった。佐々木敦氏、湯浅学氏とは一時雑誌の取材でモーニング娘。論を闘わせたこともあった。懐かしいなあ。本作のみ、曲はつんくではなく、詞はサエキけんぞう氏、曲は桜井鉄太郎氏が担当。桜井氏は『電子音楽 in JAPAN』でも書いている通り、元清水信之のマネジャーであるからして、テクノなアイドル・ポップをやらせれば見事なものである。

カントリー娘。「北海道シャララ」(Potato)
モー娘。の妹ユニットの、北海道限定シングル。当初は3人組だったが、このころは戸田鈴音ソロになっていた。カップリングのスウェーディッシュ・ポップ風のヴァージョンが素晴らしい。

山根栄子VS GIRL GIRL GIRL「ベイビー・ブリッジ」(東芝EMI
Girl Girl Girl Homme「弾丸を噛め」(キティ)

FM横浜の同名のラジオ番組のために、小西康陽ピチカート・ファイヴ)、窪田晴男パール兄弟)、桜井鉄太郎で結成されたスーパーグループが“Girl Girl Girl ”。放送音源は、リミックスされたものが共同プロデュース・レーベル「ワイルドジャンボ」(徳間ジャパン)から複数出ているが、こうした単発企画が別の会社からもリリースされていた(いずれもアルバム未収録)。前者はバック・コーラスの重鎮だった、山根栄子のボーカルを、3人が各々リミックスした3ヴァージョンを収録。実は山根栄子は、私の中学時代の同級生の実姉なのだ。後者が桜井鉄太郎ヴォーカルによる名曲。別ヴァージョンが、マキシ・シングルでもリリースされた。

The Three Wise Men「Thanks For Christomas」(ヴァージン・ジャパン特販)
The Colonel「Too Many Cooks In The KLitchen」(ヴァージン・ジャパン特販)

これは珍しい、XTCの変名バンドが出していたシングル2枚の世界初CD化。鈴木さえ子立花ハジメの担当だったミディのA&RのT氏が大のXTCファンで、のわんとヴァージンから正式に販売ライセンスを取り、自己資金でCD化したもの。各2000円で売られたが、話題性から無事完売した。但し、現在はXTCのレア・トラックス集『Rag & Bone Buffet』に収録済み。T氏はデイヴ・スチュワート、コーギスの再発を手掛けた人でもあり、現在は山下達郎のFC会報誌の編集でもおなじみ。

TMN vs 電気GROOVE「RHYTHM RED BEAT BLACK」(エピック・ソニー
瀧勝「人生」(トレフォート)
子門'z「トランジスタ・ラジオ」(キューン・ソニー
電気グルーヴガリガリ君」(赤城食品)

電気グルーヴ関連のアルバム未収録曲を4つ。一つ目は、記念すべき彼らのデビュー曲で、なんと当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった小室哲哉氏からオファーを受けた、カップリング企画。TMNのお洒落なオリジナル曲を、辛辣な歌詞とサンプリングでトホホに改作している。「人生」はピエール瀧の演歌路線の初のソロ。発売元のトレフォートは「RHYTHM RED BEAT BLACK」の歌詞にも出てくるが、ソニーグループが初めて都内ではなく横浜拠点に作った、現在のキューン・レコードの前身。「トランジスタ・ラジオ」は3人の変名で、子門真人の物真似で歌うRCサクセションのカヴァー。「ガリガリ君」は、アルバム収録曲を赤城食品の社員が聴いていて、プレゼント用に制作をオファーされたもので、CMでは使われていない。

冨田勲新日本紀行 冨田勲の音楽」(BMGビクター)

冨田のシンセサイザー時代以前に書かれた、NHK大河ドラマや手塚アニメの音楽を、大友直人指揮、東京交響楽団で演奏した同名のアルバムからのシングルカット。「青い地球は誰のもの」のカラオケはアルバム未収録。

エキセントリック少年ボウイオールスターズ「エキセントリック少年ボウイ」(イーストウエスト・ジャパン)
日陰の忍者勝彦オールスターズ「日陰の忍者勝彦」(イーストウエスト・ジャパン)
消防車(ソバンチャ)「オジャパメン」(ポリスター

ダウンタウン関連から3枚。「エキセントリック少年ボウイ」は『ごっつええ感じ』から派生したグループだったが、これがヒットしたことで吉本とフジテレビが揉めたことを理由に、吉本単独グループとして結成されたのが日陰の忍者勝彦オールスターズ。こちらはフジテレビの協力が得られなかったので、ヒットした記憶がない。『HEY×3』には出ていたのだろうか? 「オジャパメン」はなぜか韓国のオリジナルのCDのほうを持っていた。あのネタは、現在『トリビアの泉』の構成作家でもある 三木聡氏が舞台でやっていたのを、ダウンタウンがテレビで採用したんだよね。

IZUMIN「コラムで行こう!」(東芝EMI
ザ・ブロンソンズ「マンダム〜男の世界 大脱走'95」(東芝EMI
ともにみうらじゅん氏のプロデュース作品で、A&Rはみうら氏に心酔する元YMO再発ディレクター、N氏仕事。前者は泉麻人アイドル化計画として制作されたもので、作曲を担当しているテクノ系クリエイター、サワサキ ヨシヒロはなんと元みうら事務所の電話番。後者は、マンダムのCMソング「男の世界」と映画『大脱走』のエルマー・バーンスタインの主題歌を、宍戸留美でおなじみ福田裕彦氏がアレンジしたもの。ザ・ブロンソンズはみうら氏と田口トモロヲ氏とのユニットで、スチャダラパーらがゲスト参加するアルバムも出ている。

高野寛田島貴男「Winter's Tale」(東芝EMI

同世代の2大名ソングライターがたまたま同社に籍を置いていたことから、サッポロビールのCMソングとして共作されたもの。こういう企画はアンソロジーものなどでも再収録されることが少ないので、CDシングルの存在は貴重である。

Pizzicato Five/Keigo Oyamada「"the first cut is deepest" ep」(日本コロムビア

小山田圭吾プロデュースのピチカート・ファイヴのアルバム『ボサ・ノヴァ2001』のトレイラー・ディスク。「マジック・カーペット・ライド」「我が名はグルーヴィー」などのラジオ・エディット、別ミックス、アカペラ、声のメッセージなどを収録したもの。

本多俊之ラジオクラブ「ヨコハマドラゴンサンバ」「GOOD EVENING」(東芝EMI

元バーニングウェーヴのサックス奏者、本多俊之小川美潮(チャクラ)、東原力哉(ナニワ・エキスプレス)、鳴瀬喜博と結成したグループ。前者は89年の横浜博覧会のイメージソングで、久々の美潮節炸裂のポップ・チューン(アルバム未収録なのが惜しい名曲)。後者はテレビ朝日系『ニュース・ステーション』のテーマ曲だった。

さらばディスク時代。黎明期のCD(CDDA)に思いを馳せる

 今年の初め、週刊誌でハードウエア紹介ページのデスク担当だった私らにとって、W杯と並んで大きな話題だったのが春のソニーのゲーム機「PS3プレイステーション3)」発売の話題だった。私は一切ゲームはやらないし、私のまわりでもゲーム離れはけっこう進んでいる。それでもこのニューハードが待望されたのは、現行のDVDに替わる次世代メディアと言われるBD(ブルーレイ・ディスク)が再生できる機能が付いていたから。かつてDVDの普及時には、いち早くDVD再生機能をオマケに盛り込んだPS2が一役買ったと言われている。PS3は、高価なハードゆえ普及は決してスムースにはいかないまでも、BD専用プレーヤーをわざわざ買うよりはぐっと身近な選択になるだろう。ゲームをやらない人でも、「映画に飽きた時にゲームができるほうがいい」からと、専用プレイヤーよりPS3を選択する可能性もあるだろうし。
 ところが、ご存じの通りモトローラ社に発注した専用CPUの生産体制の問題で、発売が初冬に延期になってしまった。かなりギリギリでの発表だったので各編集部でもそのニュースに驚ろかされた人は多かったが、もっとも困惑したのは、それを当て込んで制作を勧めていた映像ソフト・メーカーだろう。次世代ソフト第一号を謳っていたポニーキャニオンの花火のハイビジョンディスクも、すでに「初のBDソフトリリース」と大きく広告を打っていた。しかし、PS3発売延期のニュースが発表されるやいなや、ツタヤの店頭POPなどが一斉に「初のHD DVDリリース」とコピーを入れ替えていたのを覚えている。てっきりポニキャニはBD一本なのかと思っていたら、宣伝はしていなかったがHD DVDでも制作していたのだ。花火のハイビジョンディスクが、BDソフトとして宣伝されていたのは、すでに初春の段階で「PS3が発売されたら、完全にBD陣営の勝利」と業界筋では思われていたからである。もともと、一方のHD DVDは旧来のDVDとの生産ラインの互換性を重視して作られたメディアだったため、BDより容量が小さく、ハイビジョン映像で2時間以上のソースを入れるのに、二層を使用する必要があるギリギリのスペックだった。その点、後発だったBDは片面一層で2時間のハイビジョン映像をフル収録できることが大きな武器だった。だから、PS3発売延期のニュースを聞いて、突然色めきだったのは、すっかり敗戦処理ムードだったHD DVD陣営。初冬のPS3発売までに、是が非でもHD DVDを普及させようと戦術を進めているらしい。実は、ビデオテープのメディア対決で知られるベータ対VHS戦争も、技術的にはあきらかにベータのほうが優勢であり、直前までそれぞれの陣営が、ベータ:VHS=9:1という状況があったのに関わらず、ギリギリの大逆転でVHSが勝利したということが実際にあったのである。
 ところで、ソニーPS3に期待をかけていたのは、BDだけではない。PS3には、現行のCD(CDDA)に替わる次世代音楽ディスクと言われる、同じく自社開発技術であったSACDスーパーオーディオCD)の再生機能も搭載されているのだ。CDをパソコンでコピーする問題が話題になったころ、業界がCCCDコピーコントロールCD)というディスクを採用していた時期があったのを覚えているだろう。それが音質劣化や再生エラーなども問題を引き起こしたことから、消費者離れが進み、売り上げ低下という由々しき状況にレコード業界を陥れることになったと言われている。結局、先陣を切っていたソニー、エイベックスがいち早くCCCDから撤退したことで、CCCDはすでに過去のメディアになったのだ(EMIグループのみが続行)。
 CDに替わる次世代ディスクと言われていた、SACDやDVD AUDIOという規格がある。DVDと同じマクロ技術によってとりあえずの堅牢性は保たれており、CDのように普通にパソコンへのコピーができないしくみになっているものだ。無論、iPodなどを普及を考えれば、「パソコンへのコピーができないディスク」というもの自体の存在が問われる部分はあるが、CDに無理矢理プロテクト信号を入れたCCCDに比べれば、初期から堅牢性を視野に設計されているSACDやDVD AUDIOを採択すれば、売り上げ減の理由になっているコピー問題は、とりあえず回避できるはずだ。
 ところが現在、CCCD撤退から2年が経とうとしているが、レコード業界がリリース続けているのは、古い技術でしかない従来のCD(CDDA)である。CDではコピーを回避できないのはご存じだろう。コピー問題の解決策があるわけでもないのに、なぜ未だにCDで出し続けているのか? その理由は、次世代ディスクであるSACD、DVD AUDIOの技術がすっかり古くなってしまったため。実は、レコード業界がCCCDを採択した時に、すでにSACD、DVD AUDIOの技術は完成していたのだ。しかし、レコード会社が新譜のリリースを、従来のCDから「次世代ディスクのみでリリース」にシフトした場合、かならずハード普及過渡期の問題から月当たりの売り上げが一時的に減少するのは避けられない。従来のコンポと互換性がなく、専用プレーヤーが必要だったSACD、DVD AUDIOが選択されなかったのがそれが最大の理由だ。そこでレコード業界は、普通のCDプレーヤーと互換性があるCCCDという新方式を、選択しちゃったのである。CCCD採択によって、消費者とレコード会社の間でトラブルが起こり、CCCD撤廃という顛末にいたるまでの間に、SACD、DVD AUDIOなどの技術がすっかり古い時代のものになってしまったのだ。
 次世代メディア移行期というのは、「ハードが先か? ソフトが先か?」それが大きな問いかけになる。かつて、PS2登場時には、とりあえずオマケで付いていたDVD再生機能が、レンタルDVDなどの市場を広げることに貢献した。「その夢をもう一度」ということで、ソフトメーカーはPS3発売にチャンスをかけていたのである。だが、PS3が初冬に発売されたとしても、今さらSACDが普及するとはとても思えない。すでに、iTMSのようなネット配信のほうに、レコード産業の未来は大きく寄りかかりつつある。今秋からは、無線LANも転送速度54Mバイトなんて高速通信を実現するらしいし、WiMXという次世代高速無線は、移動体で15Mバイトという高い転送速度を謳っている。すでに、ノンパッケージのほうが、ディスク→プレイヤーのデータ転送速度を超えようとする勢いなのだ。SACD、DVD AUDIOについては、以前別エントリーで書いたように、CDと同じ「再販価格維持商品」で扱われることがすでに決まっている。定価販売ゆえ、従来の16ビット録音のCD(CDDA)との差別化のために、価格帯も少し高く設定してある。いずれも、レコード会社の思惑で決められたことで、そこには消費者の気持ちが投影されているわけではない。しかも、SACD、DVD AUDIOいずれが選択されても、より高容量が求められるスペック進化の問題から、わりとすぐに次次世代ディスクへのシフトが要求されることになるだろう。つまり、いまレコード業界は、次世代ディスクへのシフトについては、まるで希望のない状況に立たされているのである。
 私が発行人を務めた『Digi@SPA!』で、「インターネットTVが地上波に入れ替わる時代」をテーマにした特集を組んだ。ここでも、すでに地上波の大半がそのように作られているハイビジョン映像のソフト化について、BD、HD DVDのどちらが普及するかについて、事情通氏3人の鼎談企画で質問を振ってみたのだ。するといずれの見解も同じで、やはり高速通信時代の到来を目前にして、すでにディスクの時代が終わりつつあるのではないかとの結論に達した。容量の多いBDにしたところで、ハイビジョン映像が片面一層で2時間ギリギリしか入らない。どのディスクを選んでも、すぐに次世代規格に入れ替わる必要が出てくるのであれば、映像配信がもっともリスクが少ないだろうという話だった。便利なYouTubeのFLVの低解像度映像も、すでに始まっているアダルトのハイビジョン放送も、インフラは同じインターネットである。使い勝手のよいiPodのMP3やMMC音源と、一方の24ビットのSACD、DVD AUDIOと、音楽ソフトもローエンド、ハイエンドの二極分化が進んでいるが、いずれどちらかに統一されるのではなく、ノンパッケージ化によってダブルスタンダード時代になっていくというのが3者の見解であった。これには私もすっかり納得させられた。
 ネット配信の概念が話題に上り始めたころ、反対派からよく言われていたのは「人には物欲があるからディスクは消えない」というものだった。確かに、私自身を振り返っても、何かを所有するために対価を払っているという意識は強い。CDもプレスコストは数円に過ぎないわけだから、実際はデータにお金を払っているという解釈が正しいのだが、それでも物質の形をしているから、モノを買うという理屈で動いている。しかし、私の友人にはすでにその利便性に魅了されて、10万円以上の金をiTMSにつぎ込んでいる人が大勢いる。彼らに言わせれば、けっして所有欲がなくなったわけではなく、「物質所有欲」の代わりに、「データ所有欲」のようなもので満たされているのではというのである。いずれにせよ、なんらかの形で所有欲を満たしてさえしまえば、それがディスクだろうがデータだろうがかまわないように人間はできているのだ。
 とは言え、レコード産業を支えてきたのはソフトコンテンツ業者である当のレコード会社だけではなく、日本全土に発売日に商品を届ける、流通業者の力が大きかった。ネット配信普及によって、流通業者の商売が立ちゆかなくなるようにはならないよう、今後もディスクの形での商品リリースを続けていくことになるだろう。それは、流通業者と一蓮托生であるレコード会社自身の思惑でもある。そんな中で、現状でもっとも平和的な解決法として知られているのは、普及しているCDを継続し、コピーによる被害を「心の問題」として消費者に訴えかける、クリエイティヴ・コモンズという概念である。ピーター・ガブリエルはニュー・アルバムで、アルバム中2曲だけを、友人にデータ配布してもよいという制限を設けて、すでに普及しているネット配信時代のルールと協調することを提案している。
 思えば、CCCDを選択したときのレコード会社には、それが「再生エラー率0.04%」(プレーヤー100台につき、4台で再生できない理屈)と発表されたとしても、それで困る消費者のことなど一切頭になかっただろう。あの時に、もっと「心の問題」として消費者に向き合っていれば、たとえ今と同じCDを継続していたとしても、ここまで業界全体の売り上げ減はシビアにはならなかったかも知れない。「心の問題」というのは、「コピーすることによってミュージシャンの収入が奪われる」という社会問題への理解である。ここに立ち返らなければ、どんな堅牢なメディアが今度登場しても、プロテクト外しの輩とのいたちごっこは繰り返されるだけだろう。この辺、学校に子供を預ける親の責任意識に似たところがある。学校で教育できることなどたかが知れており、結局は親が「コピーはよくない」ということを教えていかないといけないのである。
 現状から思うに、しばらくは音楽メディアの中心はCD(CDDA)でリリースされていくだろう。先日の、東芝EMIが社員の4割(200人)をリストラしたというニュースなどを聞くと、現状ではメディア入れ替え時に生じるたった数ヶ月の売り上げ減でさえ、屋台骨にひびが入るほどのダメージになるのかも知れない。しかしだ。そもそも私たちがアナログ・レコードからCDに買い換えたのは、どんなタイミングだったかを思い出して欲しい。私の場合、80年代中頃から「CDのみでリリース」というアルバムを、再生機もないくせにとりあえず買うというところからCDとのつきあいがスタートした。それが10枚ぐらいたまったころだろうか。中古で安いCDプレーヤーを見つけ、初めてそれらのCDを再生できる環境を構築した。それまで3年ぐらいは、そのCDはただ持っているだけの存在だったのだ。「ハードが先か? ソフトが先か?」けっしてハードフェチでもなんでもない、私に置き換えて考えてみると、もしCDから何らかの次世代ディスクに切り替える必要があるのなら、やはりそれは「ディスク優先」でキラーコンテンツを次世代メディアのみで投入し、無理矢理普及させて行くしかないのではと思っている。
 80年代初頭の黎明期に出たCDというのは、現在ちょっと替わった位置づけにある。拙著『電子音楽 in the (lost)world』でも、TPO『TOP1』やアート・オブ・ノイズ『リワークス・オブ・アート・オブ・ノイズ』などのその時期のディスクを数多く紹介しているが、なぜかこのころにいち早くCDで出たものだけは、その後再発されたものが少ないんである。初期のCDはまだ技術的に過渡期にあったといわれることが多い。実は、アナログ・レコード時代のマスターをそのまま流用しているディスクというのも数多くあったのだ。これは技術系のエンジニアに聞いた話だが、アナログ・レコードというのは特性上、10回もトレースするとハイ(高音域)が落ちる傾向があるために、その10回トレース後にバランスのいい音質にするために、多少ハイを上げ気味にしてマスタリングする慣習があったらしい。だから、初期の共通マスターを使っていたCDが、よく「キンキンな音に聞こえる」と言われるのはそのためらしい。
 CD黎明期は各社の力の入れ方も尋常じゃなく、けっこう力を入れているソフトが多いのにもかかわらず、リマスターする機会もないまま、今に至るものが多いのが残念である。そこで今回、私の所有している80年代初頭に出ていた、いまだ復刻する機会を失っているディスクというのを、主だったものだけ紹介することにした。今どき、iPodなどで聞いても音量も小さいし、音が痩せていて、とても長く聞いてられなかったりする。しかし、それらの楽曲を聴いていると、最初にCDプレーヤーでかけた時の「シャリーン」というデジタルの音を初体験した時の感動が、鮮烈に思い出されるのだ。



デイヴ・スチュワート&バーバラ・ガスキン『Up From The Dark』(Ryko)

私が生まれて初めて買ったCDがこれ。ナショナル・ヘルスにいた鍵盤奏者、デイヴ・スチュワートユーリズミックスじゃないほう)が、自らのレーベル“ブロークン”から出していた佳作シングルを初めてアルバム化したもの。初めて聞いたのは、たぶんFM東京の『トランスミッションバリケード』だったと思う。ここに入っている「ディファレント・ワールド」のことを知っていたことが、『Techii』編集長に気に入られて編集部に招かれた決め手だった。

デイヴ・スチュワート&バーバラ・ガスキン「ディファレント・ワールド+ライプチッヒ」(ミディ)
日本でのみCD化された、スチュワート&ガスキンの12インチ2枚のカップリング。これが出た時の感動ったらなかった。前者は12インチ・ヴァージョンこそが完成品。後者はアンディ・パートリッジがプロデュースしたトーマス・ドルビーのデビュー・シングルのカヴァー。同社の「12×2シリーズ」には、ほか坂本龍一「フィールド・ワーク+ステッピン・イントゥ・エイジア」「オネアミスの翼イメージ・スケッチ」などがある。


ムーンライダーズ『マニア・マニエラ』(ジャパンレコード)
スチュワート&ガスキンに続いて中古で買った2枚目のCDがこれ。当時は国内版CDは3500円と値段が高かった。内容は現行版と同じだが、ジャケットのみ異なる。ほか、当時買ったCDには、パール兄弟の12インチを集めた編集盤『パール&スノウ』などがあった。

『URGH! A Music War』(A&M
日本でも劇場公開された、ニュー・ウェーヴ・バンドのライヴ映像を集めたオムニバス映画のサウンドトラック。ポリス、OMDXTCオインゴ・ボインゴクラウス・ノミディーヴォ、エコー&ザ・バニーメン、ペル・ウブ、マガジン、ゲイリー・ニューマン、ジョーン・ジェットなどを収録。どのヴァージョンもこれでしか聞けない。VHSソフトも持っているが、当時は来日自体が珍しかったので、これらのニュー・ウェーヴ組の動く映像は貴重であった。2枚組のアナログ盤より曲数は少ないのだが、当時は矢野顕子『ごはんができたよ』、YMO『アフター・サービス』など、2枚組のアナログを1枚もののCDにする際に、曲数を削るというケースがけっこうあったのだ。これはスタジオ・アルタの上階にあったシスコで購入。当時、CDを一番積極的に入れていたのがシスコで、後にCD専門店のほうがフリスコという名前に替わった。まだ珍しかったムタンチスのCDをごっそり手に入れたり、シスコには大変お世話になった。音楽ライターの除川哲郎氏が店員をやってたんだよな。

コールドカット『What's That Noise?』(Tommy Boy)
デビュー作にして名作。アルバムにプラス、初回盤に付いていたボーナス・ディスク分を加えてCD化された。これがCD化されていたことを知らない人もけっこう多い。復刻されないのはサンプリングの問題と言われているのだが本当だろうか。『ダウンタウンガキの使いやあらへんで』のジングル、登場曲はすべて本作から使われている。

ヴォイシャス・ピンク「8:15 To Nowhere/The Spaceship Is over There」(LD Records)
ヴォーカル・グループなのに、なぜこのインスト2曲だけがオフィシャルにCD化されたのがは謎。トニー・マンスフィールドのプロデュース組で、フェアライトCMIによる過剰なオケはすべてトニー単独仕事。よってトニマンのソロ・シングルみたいなものと言ってよし。

ビル・ネルソン『Duplex』(Cocteau)
ビル・ネルソンが主宰するフランスのレーベルからの、初のベスト盤。「Vocal CD」「Instrumental CD」の2枚で構成されており、シングルのみだったScala名義の曲も入っている。フランス盤で出た、高橋幸宏の「Strange Thing Happen」の12インチのB面に入っていた「Metaphisical Jearks」もなぜか入っており、CDで聞けるのは本作のみ。この前後にビル・ネルソン作品は、ヴォーカル作のみだけでなく膨大なインスト・アルバムもまとめてCD化されている。

スカーラ「Secret Ceremony」(Cocteau)
ビル・ネルソンのユニットで、イギリスのチャンネル4の番組のためのサウンドトラック。私が生まれて初めて外盤で買った8cmシングルがこれ。12インチ盤とジャケットが異なる。

『A Tribute To Thelonious Monk』(キャニオン)
NYダウンタウン系の著名プロデューサー、ハル・ウィルナーが名作『アマルコルド・ニーノ・ロータ』の次に制作したセロニアス・モンクのカヴァー集。ブルース・ファーラー、NRBQドナルド・フェイゲン、マーク・ビンガム、ワズ(ノット・ワズ)、ジョー・ジャクソントッド・ラングレンなど蒼々たるメンツが参加。これもアナログ2枚分のうち、主要曲だけ抜粋でCD化された。当時は日本だけでCD化され、ハル・ウィルナー作品の中でもっとも稀少なCDと言われてきたが、最近海外で復刻されたらしい(こちらも曲順が違うだけで、曲数は過去のCDと同じ)。

佐久間正英『Lisa』(Pan East)
プラスチックス佐久間正英の初のソロ・アルバム。小野誠彦のプロデュースで、彼のソロ、橋本一子ソロ、細野晴臣選曲のエリック・サティ・ピアノ作品集などとまとめてCDで出ていたものだが、私が所有しているのがビクター盤ではなく、イギリス盤。

パレ・シャンブルグ『Parlez-Vous Schaumburg?』(mercury)
最近、1、2枚目がCD復刻されたが、これのみオリジナル時以降復刻されていない第3作。ホルガー・ヒラーが抜け、トーマス・フェルマンがメインの時代なので世間的には評価が低いが、プロデュースがデペッシュ・モードを手掛けたガレス・ジョーンズで、フェアライト主体のポストモダンな音響構成は本作のみの魅力。共同プロデューサーはインガ・フンペで、彼女のダバダバ・コーラスとインダストリアルな音の組み合わせの違和感がキッチュなり。ジャケットは、アナログ初回盤、通常盤とすべて異なる。ホッピー神山氏、小西康陽氏など、ジャーマン系ヲタ以外では「パレシャンといえば3枚目」という評価をする人も多い。

フンペ・フンペ『Careless love』(Warner)
パレシャンのコーラス嬢である、インガ・フンペ、アネテ・フンペ姉妹の2枚のアルバムをまとめたベスト盤。現在は両方ともCD化されたのでこれのみの音源はない。フンペ姉妹のソロやシングルもけっこう当時CD化されていて(私の手元にもCDが6〜7種類ある)、ドイツのCD普及は早かったようだ。

『ボロブドゥール』(キング)
ご存じ、フリッパーズ・ギターを英国でデビューさせたインディーレーベル、ラディダのコンピレーションが日本でのみCD化。ヘヴンリー、ヒット・パレード、ジョン・カニンガムらが参加するオムニバスだが、所属レコード会社との契約問題で、アナログに入っていたフリッパーズ「フレンズ・アゲイン」(ロング・ヴァージョン)はCD化に際し、残念ながら割愛された。マイク・オールウェイのエルのコンピレーション『amen』も、国内版がCD化された時、ビデオから起こしたフリッパーズのエレキ・インストが割愛されていたんだよな。とは言え、本作の聞き所はヒット・パレード「I Get So Sentimental」のキャス・キャロルが歌うヴァージョン。ビニール・ジャパンから出た最初のアルバムに入っている打ち込みヴァージョンの100倍いいっす。

クリス・イエーツ『ア・デイ・イン・ベッツ』(ビクター)
クレプスキュールから出たプレジャー・グラウンドの3枚のシングルは、ビーチ・ボーイズのフェイクとしてルイ・フィリップ以上の完成度を感じさせる、私の宝物だった。その正体はクリス・イエーツのソロで、本名に改めて日本でのみアルバムがリリース。後に別ジャケットでイギリスでもアナログで出た。プレジャー・グラウンド時代の「ウエイト」など数曲は、そのままのヴァージョンで再録。シングル以外のアルバム用録り下ろしはけっこう凡庸な出来でガッカリだった。

鈴木さえ子レアトラックス

「ケロロ軍曹」オリジナルサウンドケロック

「ケロロ軍曹」オリジナルサウンドケロック

 昨日のエントリーで、鈴木さえ子が音楽を手掛けている『ケロロ軍曹』の音楽について少し触れた。これはほぼ十数年ぶりになる彼女のカムバック作品で、CDの帯にも「鈴木さえ子」の名前がデカデカと謳われているという異例の扱いになっていた。87年の市川準監督の映画『ノーライフキング』に、女優として出演し音楽を手掛けたことで、一般の新聞でも注目され始めていた彼女だったが、その作品を最後に半引退生活に。そのことを、ファンとしてずっと気がかりに思っていた。おそらく、その後の唯一の話題らしい話題は、アンビエント・ハウスが流行していたころに参加した『ラヴァーズ・ハワイ』というインスト・アルバム2枚ぐらい。だが、これがまた機能性重視の無個性な世界で、鈴木さえ子らしさは皆無だったと言っていい。前作のサントラ『ノーライフキング・ノ・ミュージック』で、それまでのサウンドから一転した実験音楽を展開し、ファンを煙に巻いた彼女だっただけに、よけいにその実像が見えなくなることに不安を感じた。
 中学時代以来、ずっと坂本龍一を信奉してきた私だが、私の心の琴線に触れる要素に、彼のルーツだったフランス近代音楽のエッセンスにあったということを、後に様々な音楽聞いていく中で知ることとなった。そういう意味で、フランス近代音楽のスタイルを継承し、それをテクノロジー音楽に結びつけていた鈴木さえ子の音楽性は、私のもっとも好むところであった。しかし、シネマ、フィルムスなどの過去の参加バンドのプロフィールを見てみても、彼女が主体的にソングライターとして関わっていた時代はない。しかも、それ以前はメデューサというかなり芸能チックなグループにいたらしい。ソロデビューのきっかけも、同社(ディアハート)所属の大貫妙子のバックでドラムを叩いていたことかららしいのだが、それがなぜヴォーカルもののソロでデビューすることになったのかにも、ずいぶん飛躍がある。
 ディアハート〜ミディ時代の4枚のうち、3枚目までが鈴木慶一がプロデュースで関わっているもの。サウンドが激変したインスト主体の『ノーライフキング』のサントラには、慶一氏は参加していない。ごく初期のインタビューで、デビュー作『毎日がクリスマスだったら……』は当初サイコ・パーチズ(鈴木=パーチと、さえ子=PSYCHOのもじり)という、鈴木慶一氏とのユニットアルバムになるはずだったと答えていたが、今から思えば、3枚目までのアルバムは、鈴木さえ子個人のアルバムというよりサイコ・パーチズのアルバムだったと思う。慶一氏はそれまでにも、ポータブル・ロックハルメンズなどのプロデュースを手掛けているが、鈴木さえ子作品の関わり方は少し異なっていたという。結婚後であるから、パートナーという意味では他作品と異なるのは当然だが、特徴的だったのは、彼女はポスト・テクノ世代の中では珍しくシンセサイザーなどの機械関係が不得手だったということ。ピアノによる作曲やドラム、マリンバ演奏のほかは、音作りのほとんどを実質的には慶一氏が手掛けており、その分担から当初ユニットという解釈で進められていたらしい。それが彼女のソロ名義になったのは、それを商品として捉えてみた、慶一氏の判断だったのだと思う。
 私はトニー・マンスフィールドの熱狂的ファンなのだが、80年代中期からトニーに明らかなスランプ期が訪れ、一時はジャン・ポール・ゴルチエのハウス・アルバムを手掛けるなど、完全に職業アレンジャーに失墜していた時期があった。しかし、往時のファンは数多くいて、私も敬愛する太田裕美のディレクター、福岡知彦氏が遊佐未森を手掛けていた時に、プロデューサーの外間隆史(元フィルムス)のアイデアで、トニーを2曲に起用したことがあるのだ。その時聞いた話だと、トニーのサウンドの激変は、彼のトレードマークであったフェアライトCMIがスクラップになってしまったことに一因があったようだ。遊佐未森のアルバムは、往時のトニー・サウンドを期待するファンを喜ばせるものに仕上がっていたが、それは実際、外間氏のスタジオでのコントロールに負うところが大きかったらしい。テクノロジーに依存する音楽というのは、その楽器の寿命というのに、かくも左右されるものなのか。カムバックして来日まで果たしたスクリッティ・ポリッティの新譜を聴いてみても、あの『キューピッド&サイケ』のサウンドには遠く及ばない。フェアライトという楽器の魔法に支えられていたことを再認識するだけで、それがこのテクノロジー万能の時代にあって再現できないということに、絶望的な気持ちになる。そういう意味で、『ケロロ軍曹』は、ディレクターやサウンド・メーカーのTOMISIROらによるサポートによる、“鈴木さえ子再結成”のような仕事になっていると思う。慶一氏との蜜月時代の傑作群に通ずる、彼女のブライトサイドを見事に引き出している。
 『ノーライフキング・ノ・ミュージック』のころのインタビューで、前3作との音の激変について、インタビュアーがきちんと問いただした記事がなかったことに当時不満を感じていた。だが、彼女にとっては、こうした大胆なインスト路線への変貌は元から想定内だったらしい。いわゆるローラ・ニーロキャロル・キングに憧れてデビューするような、日本の他の女性シンガーとは大きく違うのだ。ゴドレイ&クレーム、トッド・ラングレンフランク・ザッパなどが好きだと公言する人である。おそらく、彼女の可愛い声をフィーチャーしたラヴリーな路線は、レコード会社やプロデューサーの意向だったのではと思う。ヴォーカル曲を書いたのは、そのころに愛聴していたというニック・ヘイワード『風のミラクル』に影響。とすれば『風のミラクル』と出会わなければヴォーカル曲を書かなかったかも知れないし、基本的に彼女はアート・オブ・ノイズのアン・ダドリーのような職人系作曲家に近い資質の持ち主だと思うところがある。だからこそ、ゴドクレやザッパのような好みもきちんと取り入れ、ヴォーカル曲をチャームに仕上げた、初期の3枚のアルバムをサポートした慶一氏の手腕は、改めて敬服に値するものだ。もし別のレコード会社の別のプロデューサーと出会っていたら、案外彼女は普通のニューミュージック系シンガーとして、他の作曲家の曲を歌わされたりするような、別の道を歩んでいたのかも知れない。
 昨日のエントリーにも書いたが、山川恵津子尾崎亜美太田裕美など、女性アーティストでグッと来るサウンドを体得している才能に、私はめっぽう弱い。一時の椎名林檎にも、それを感じていたことがある。だから、Shi-Shonen時代の福原まりや、鈴木さえ子が同時期に登場してきた時には、かなり心が躍ったのを覚えている。しかし、『緑の法則』あたりから、不思議な感覚に感じることがあった。アンディ・パートリッジ(XTC)も夢中にした傑作『緑の法則』は、慶一氏やプログラマーの藤井丈司氏の仕事としてもピークと言えるサウンドに仕上がっている。だがアンバランスなほどに、歌詞がダークなのである。元々心霊体験も多く、ホラーやスプラッタに傾倒していたとは言え、会社やプロデューサーが演出していた「美人で明るいポップ・クリエイター」というイメージと、そのギャップが目立つことが気がかりだった。おそらく、他社のディレクターなら、歌詞を書き直せとでも言われるようなタイプの内省的な詞のように思える。だが、メロディー、声のほかは、完全に慶一氏のプロデュースによる「パブリックイメージとして作られた鈴木さえ子」のようなところがあり、そのギリギリにグロテスクな詞こそが、彼女の本質として主張したい部分だったのかも知れない。その後に出した「ハッピーエンド」というポップなシングルは、彼女が初めてヒットを意識して書いた曲。ところが、それが収録されたアルバム『スタジオ・ロマンティスト』時のインタビューでは、この曲を書いたことを後悔していると語っていた。たしかに、調性を逸脱したアンディ・パートリッジのソロが出てくるアルバム・ミックスのデストロイな仕上がりは、まるで曲自体を断罪しているように聞こえるところがある。
 『ノーライフキング』で監督の市川準が、常連の板倉文にではなく、主演でもあった鈴木さえ子に音楽を依頼したのは、単純にテクノロジー・ポップに関わっていた彼女のプロフィールによるものだったのだろう(当時の板倉氏は、キリング・タイムで反打ち込み路線を求道していた)。だが、普通の映画音楽家ならば、原作に描かれたファミコンのPSG音源などを利用にして、ファンファーレなどを多用したもっと楽しい音楽を書いていたかも知れない。『ノーライフキング・ノ・ミュージック』は、いわゆる普通のサウンドトラック盤と比較しても、極端にファンサービスのないクールな作品である。これをリリースしたのは、彼女というよりレコード会社の判断なのだろう。ただ、そのミニマルな音楽によって『ノーライフキング』は、市川準映画としてかなり異色な呪術的な魅力を醸し出すことになった。これはきっと、市川監督の引き出しというよりは、『血を吸うカメラ』やジャーロなどのヨーロッパのホラー映画に傾倒する、鈴木さえ子の提供したモチーフに負っている部分が大きいと思う。
 ともあれ、彼女を『ケロロ軍曹』で知り、遡って現役時代のアルバムを発見する若いファンも多いらしい。アン・ダドリーじゃないが、アート・オブ・ノイズが本当に再結成してしまったみたいに、この次は前衛サウンドの路線でも復活を果たしてほしいと切に思う。そういえば、アン・ダドリーが初期に数多くのマテリアルを残したアート・オブ・ノイズの初期作品BOXも近々リリースされるんだとか。実はディアハート〜ミディ時代に、彼女は数多くの映画やCM音楽を手掛けていることが知られているが、いっそせっかくだから、そのころの音も先日のシネマのデモテープ復刻みたいに商品化してもらえたら嬉しいな。
 というわけで、今回はそんな商業リリースされていなかった鈴木さえ子作品を、以下主だったものだけ取り上げてみた(『ラヴァーズ・ハワイ』『トッドは真実のスーパースター』を覗く)。なお、彼女の作品について書かれた読み物は本当に少ないと思うのだが、拙著『電子音楽 in the (lost)world』では、レギュラー作品について、かなりそのへんを掘り下げて書いてみたつもりである。興味のある方はぜひ一読を。



『SANSUI PURESOUND CD』(東芝EMI

山水電気のコンポのオマケに付けられた非売品の試聴用CDで、鈴木さえ子がトータル・プロデュース。小林克也のナレーションでPINK「YOUNG GENIUS」、日向敏文「サラの犯罪」、ザ・ナンバーワンバンド「鉄人ターザンの嘆き」、鳥山雄司などの曲を紹介する構成だが、1曲だけ本人のヴォーカルによる新曲「CD DRIVER」が収録されている。ほか、ラテン風のテーマ、サティ風のピアノ曲など、5種類のつなぎのジングルも書き下ろし。

『活力(エナジー・リラクゼーション)』(東芝EMI

「沈静」「ストレス」「不眠」「疲労」など、テーマ別にリリースされていた、同社のミューザックCDの一枚。半分が鈴木さえ子、半分がイノヤマランド(ヒカシューの井上誠、山下康のグループ)が担当しており、4曲のオリジナルが収録されている。「SONATINE」「ピッピの大冒険」はフランス近代音楽風のピアノ曲、「バスのマドンナ」は「夏休みが待ち遠しい」の変奏曲風。「AFTER DREAM」は『スタジオ・ロマンティック』収録曲のインスト・ヴァージョン(テイクも異なる)。後にジャケを改めて再発されている。

『JUNK POP No.2』(TDKコア)

高橋幸宏の実兄、信之氏が経営するCM音楽制作会社、スーパー・ミューザックが制作したCM音楽作品集の第2弾。KYON(ボガンボス)、徳武弘文、岡田徹など、ムーンライダーズ周辺のクリエイターの未発表曲が収められている。このうち、「タカラCANチューハイ&タカラCANチューハイアークティカ」は、鈴木さえ子、慶一、岡田徹が書いた曲をまとめて組曲化したもの。ワールド・ミュージックやサーフ音楽、ロシア民謡などをテクノロジーで再現したような、プログレッシヴな構成になっている。岡田徹PS2、アシックスなどのCM曲9連発も本作の聞き所。

『カナディアンワールド〜赤毛のアンのふるさと』(東芝EMI

新潮社から出ていた原作をモチーフにした、『赤毛のアン』のイメージアルバム。ディレクターは東芝時代にYMOの復刻を手掛けた西秀一郎氏。このうち「森の信号」が、鈴木さえ子作曲、福田裕彦編曲、野宮真貴ヴォーカルというポップ・チューンに仕上がっている。石嶋由美子の作詞作曲で福岡裕彦が編曲し、作者本人が歌う「心を野バラやきんぽうげでかざる」という、まるで宍戸留美なトラックもあり。ほか、ゼルダのサヨコ、声優の岩男潤子(元セイントフォー)、ブライアン・ウィルソンそっくりの謎のアーティスト、Brian Peckらが参加。

斉藤ネコカルテット『FRENDLY GAMES』(ポリドール特販)

キリング・タイムの斉藤ネコが率いる弦楽四重奏団の初のソロ。ネコカルがお手伝いしていたアーティストから1曲づつ曲を提供してもらったオムニバスで、このうち、近藤達郎が書いたCM曲「リゲインNo.1」がブレイクしたことから、本盤は自主制作でありながら小ヒットを記録。このうち、鈴木さえ子は「産業革命」というバラネスク・カルテット風の前衛曲を提供している。ほか、鈴木慶一麒麟等が歩いている」、矢野顕子「GO AHEAD,MY FRIEND」、板倉文「KIKORI」、清水一登「WALTZ #4」などを収録。現在はジャケットをイラストに改めたものが、ライヴ会場で入手できる。

映画『ノーライフキング』(キティビデオ)

実は上記の斉藤ネコ氏は、映画『ノーライフキング』で役者デビューを飾っており、本編でも鈴木さえ子と共演を果たしていたりする。今はなきアルゴ・プロジェクト作品で、未DVD化。CGデザインは元ラジカルTVの原田大三郎が担当していたが、当時としてもテクノロジー考証はかなり独自の解釈が入っており、独特のパラレルワールド感があった。

「オッ!」と驚く歌謡曲、アニメ劇伴の正体。「80年代日本アレンジャー列伝」

 今から20年前、私の編集者としてのキャリアが『ニュータイプ』(角川書店)というアニメ雑誌から始まったことは以前にも触れた。元『美術手帳』の編集者が立ち上げた『ニュータイプ』はかなり個性的なアニメ雑誌だった。だが、黎明期のアニメ雑誌界はこれに限らず、ツルシカズヒコ氏が在籍していた『OUT』(みのり書房)、ヤクザ情報誌との出版社として有名だった徳間書店から出た『ニュータイプ』(前身は『テレビランド』)など、もともとどの雑誌もアニメ知識ゼロな編集屋が立ち上げたものばかりだったという。実はツルシ氏は、私を今の会社に迎えてくれた張本人であり、元々は『宇宙戦艦ヤマト』より野球が好きな、エッチな雑誌の編集者だった人である。みのり書房時代の武勇伝をよく聞かせてもらったのだが、中森明夫氏、赤田祐一氏といった、あの週刊誌で書いていた面々は、ツルシ氏が『OUT』編集者だった時代からの長いつきあいなのだ。ツルシ氏と同世代にあたる、大塚英志氏、竹熊健太郎氏らが書いているサブカルチャー回顧の原稿に、70年代末期に彼らがいたエロ雑誌業界が、そのまま日本のサブカルの源流になっていたという話が出てくる。いわばこれに似た流れが、ごく初期のアニメ雑誌界にもあったのだ。
 一時、『クイックジャパン』がやたら北山耕平氏のご機嫌取りをしていて、ポスト『宝島』でも襲名したいのかと思わせるほどサブカルづいていたころがあった。だが、私が『宝島』にいた時期の前後を振り返って思うに、日本ではハイカルチャースノビズムはその自虐観から早期に自滅していったように見えた。それより、『ふぁんろーど』という同人誌専門誌が一時『ニュータイプ』を脅かすほど部数を伸ばしたり、同人誌即売会電通並みの事業規模に育って、世界で認められる唯一の芸術としてアニメが認知されたり、あるいはサーヤ様のご希望で『アニメージュ』が皇室御用達誌として認定されたり(ちなみに、皇室御用達というのは同ジャンル誌は一つに限定される決まりがあるので、彼女は民間人になるまではライバル誌の『ニュータイプ』は読んでなかった理屈になる)、そっちのほうがよほどサブカルチャーとして、時代を大きく動かす力があったように思う。「いい歳をして……」というような世間からの冷たい眼差しを受けたりするルサンチマンも、カウンター意識としてのエネルギー源になっていたと思うし(むしろ、ロック文化は最初からモテたし、過保護にされていたように思う)。
 ただ、今のアニメ業界は完全に経済的優位に立つマスカルチャーだと思うから、すっかり“勝ち組”の様相である。私らのいる音楽業界とは比較にならないほど、皆がお金持ちになっていてうらやましい。そういえば、『クイックジャパン』ばかり責めて申し訳ないが、とっくにアニメが産業として隆盛した後の時代だってのに、彼らが一時「サブカルチャーとしてのアニメ」と言ってそれらを祭り上げていたのをよく見かけたが、「アニメはマスカルチャーだろ」と、そういった記述を見るたびに齟齬を感じたのを覚えている。
 で、そんな混沌とした時代に、私は初期の『ニュータイプ』で仕事をさせてもらったわけだが、そこで一つだけ、私の特殊な才能を認めてもらえることがあった。80年代中頃、私が信奉していたミュージシャンの多くが、アニメの劇伴の仕事をやっていたのである。劇場アニメ『王立宇宙軍 オネアミスの翼』の音楽を坂本龍一氏が手掛けたり、ニュー・ウェーヴ系ミュージシャンがアニメ作品の音楽に参加する、ジャンルの横断化が活発になり始めた時期だったのだ。現在も『ケロロ軍曹』を鈴木さえ子氏、『N・H・Kにようこそ!』をパール兄弟がやっていたりするが、そのような流れは、あの時代に生まれたものである。そして、おそらくその時期、私はアニメ雑誌の編集者として、劇伴作家にもっとも詳しい書き手ではなかったかと思う。
 私が物心付いたころのアニメ音楽と言えば、劇伴はほぼローテーションで専業作家が手掛けていたし、主題歌もささきいさお水木一郎堀江美都子といった日本コロムビアの文芸部所属歌手が毎シーズン、入れ替わりで受け持っていた。リメイク版『サイボーグ009』のように、平尾昌晃氏のようなポピュラー畑の人が受け持つことはあった。だが、平尾氏の「主題歌をゴダイゴタケカワユキヒデに歌わせたい」という希望があったのに、ディレクター判断で採用されなかったという話を聞いたことがある(代わりに歌ったのが、なんとスモーキー成田賢!)。タケカワ氏にはもう一つ面白い話があって、その後NHKでやった『キャプテン・フューチャー』というアニメの主題歌の時も、作曲者の大野雄二氏がタケカワ氏が歌うことを所望して彼のキーで録音までしたのに、別の歌手(「この木なんの木」のヒデ夕樹)に無断で変えられて番組がスタートしていたのだという。タケカワ氏は音楽業界一のマンガ好きなわけだし、このへん、アニメ音楽の世界の閉鎖性が垣間見れる話である。
 そんなアニメ主題歌の歴史の大きな転換点になったのが、業界では『うる星やつら』だったというのが定説となっている。これは「なんとかビーム」とか「××ちゃん」といった役名が歌詞に出てこない、初めての抽象的なアニメ主題歌だったのだ(いまでは普通だよね)。歌手はテアトル・エコーの劇団員で、NHKの「みんなのうた」で歌っていた松谷祐子で、作編曲は元フライング・ミミ・バンドの小林泉美氏である。小林氏は当時、高中バンドに所属しており高中氏の公私兼ねてのパートナーで、美人鍵盤奏者として有名だった。TPOの安西史孝氏がプログラミングでノークレジットで参加している主題歌「ラムのラブソング」は、ラテンとテクノの融合という、アニメ音楽としてはかなり斬新なものだったと私は思う(詳しくは『電子音楽 in JAPAN』参照)。
 あれは、元ポリドールのディレクターでATGとも関わりがある多賀英典が、キティ・フィルムという、角川春樹事務所みたいな独立系映像制作会社を作ったことから始まっている。儲かりそうな新事業として目を付けたアニメ制作に、キティレーベルの自社アーティスト(安西史孝、ヴァージンVS板倉文etc)を大量に登用した結果が、あの『うる星やつら』の革新的な音楽へと結実したのだ。その衝撃は、私らよりむしろアニメ業界のほうにあったようで、日本コロムビア学芸部の天下だった時代が、この作品の登場で崩れてしまったというほどだったらしい。ところが、ビクターや日本コロムビアといった古参会社が、今度はこぞって小林泉美氏に仕事を依頼するようになる。もともとそういう畑の人ではないので、『うる星やつら』にちょろっと関わって、小林氏本人はホルガー・ヒラーと結婚してイギリスに移り住んでしまう。このへん、現在の「なんでも菅野よう子」というのと構造が似ていて、アニメ業界に音楽がわかる人が本当に少ないんだと思う(菅野氏は優れた作曲家なのだが、けっこう引用も大胆だから、発注する側のディレクターの音楽知識によって仕事内容に差が出るタイプだと思う)。
 私が『ニュータイプ』から音楽雑誌『テッチー』に移っても、やはりニュー・ウェーヴ系作家のアニメへの起用は活発だった。実際、本人名義のレコードよりずっとアニメのサントラのほうが売れているなんてケースもざらにあった。後にピチカート・ファイヴの小西氏に聞いた話なのだが、一生懸命ピチカートをやっても、レディメイドでは売り上げ的に『ルパン三世』のリミックス版が何倍も稼いでいて、本当に虚しくなると語っていたのを思い出す。だから、自身のアルバムが売れなかったあの時代に、皆がそれでも作曲家として生活できたのは、アニメ音楽の仕事のおかげだったと本当に思う。当時、ビクターにはS氏というディレクターがいて、彼女がムーンライダーズのファンだったことから、コミックのイメージ・アルバムというのにライダーズ周辺のメンバーを多く起用し、面白いレコードを作っていた。このイメージ・アルバムというのは、テレビアニメと違ってスポンサー筋の制約もなく、本当に自由な実験ができたという。ライダーズ周辺のメンバーに本当のマンガ好きが多かったこともあり、自身のアルバム並みに心血を注いだ作品もあって、「子供向け」と思われていたアニメやマンガの音楽の質的向上に貢献していたことを頼もしく思ったものだ。
 音楽業界は80年代末にバブル期を迎え、やがて小室哲哉全盛時代になると年間でミリオンセラーが22枚も出る時代に突入する。その上り坂にいたころ、ビジネス誌などで音楽産業がクローズアップされることが多くなった。『DIME』に連載していた、ノンフィクションライターの武田徹氏の「ロックの経済学」などは、その定番的な連載として知られているだろう。私は『テッチー』時代に、好きなミュージシャンのレコードがなぜそんなに売れないのかということを痛切に感じていたので、常にそういう音楽産業の経済的な話題には耳を傾けてきたつもりだ。ところが、その連載でインタビューの対象として出てくるのが、いつも作詞家やディレクターだった。ディレクターというのは、注文書に書くコピーを書いたりする役回り。だから「言葉の世界」の人だけが、それらの記事では主役だったのだ。しかし、レコーディング現場へ何度も足を運んでいた私から見れば、あの時代に音楽を面白くしていた主役たちは、音楽プロデューサー、編曲家、プログラマーらのほうであった。つまり、「音符の世界」の人々が、最前線の音楽の流行を作っていた。彼らが何時間もかけて試行錯誤しながら作ったスネア・ドラムの音ひとつの違いが、ラジオでかかった時に楽曲の品質を決定づけてしまう。そんな音響をめぐるシビアな現場のドラマを、私は数多く見てきたのだ。いわゆる“パクリ”の話にしても、あの時代、面白い海外の音楽があると「誰がいち早くパクるか?」でしのぎを削るような世界があったと思う。ジャネット・ジャクソン『ナスティ』のリヴァーブは、どうなっているのかなどが、常にスタジオ現場でのエキサイティングな討論会のテーマだった。この場合の“パクリ”という言葉の微妙なニュアンスが、現在の読者に伝わるかどうか不安ではある。ポータブル・ロックにおけるスクリッティ・ポリッティへの傾倒だとか、パール兄弟ヨーコ分解」のプリファブ・スプラウト風のコーラスなど、未知の音響を作品に取り入れていくことに、ファンもいっしょになってエキサイトできた時代があったのだ。そんなスタジオで日々感じていた「ヒット作が生まれる現場」の息吹を、作詞家やディレクターや話だけで無理矢理まとめていた「ロックの経済学」は、これっぽちも伝えてはいなかった。70年代の阿久悠氏の時代のマーケティング理論やプロモーション残酷物語を今更持ち出して、ウォークマン登場以降の80年代のヒットポップスの流行を語るというアナクロ観には、正直ウンザリしていた。
 「音楽と笑い」というテーマも、これに少し関連していると思う。YMOの非凡さやチャレンジ精神には、シリアスな批評性とともに笑いの精神があった。以降、YMOに影響を受けた打ち込みバンドはたくさん現れたが、彼らに欠けているのが「笑いの精神」だと思った。例えば、私の言う「音楽の笑い」というのは、電気グルーヴのような歌詞にギャグがある作品のことを言ってるわけじゃない。それなら、音楽である必要はない。ひとつの比喩なのだが、オタマジャクシの配列が笑いを誘うとか、音符が笑っているというような音楽というのもあるのだ。これは楽器をやらない人にはわからないニュアンスを含んでいるものだと思う。まあ、そのように、音楽の流行や笑いの精神は、簡単に「言葉」で理解できるものではないっていう話である。
 『テッチー』を辞めた私は、その後『momoco』というアイドル誌に移るのだが、ここでも私はユニークな体験をした。私が『テッチー』時代に信奉していた戸田誠司氏が、フェアチャイルドを結成してよりメジャーな世界に進出していったように、アイドル歌謡曲の世界がどん欲にニュー・ウェーヴ的手法を取り入れて、シーンを面白くしていたのだ。仕事で初めて行った渋谷公会堂ゆうゆ(岩井由紀子)のコンサートのバック・メンバーが、どっかで見た顔だなあと思ったら、ほとんどがビブラトーンズの残党だったことがわかって驚いたり。今でこそ『イエローマジック歌謡曲』なんていうコンピレーションを作らせてもらっているが、昔の私はもっとシリアスだったので芸能界への関心はそれほどでもなく、実は『momoco』時代から遡って集め始めたみたいなところがあるのだ。特に、おニャン子クラブ真璃子などを手掛けていた作編曲家の山川恵津子氏にはのめり込んだ。スウィング・アウト・シスターやマリ・ウィルソンなどの、アルバムに入っている渋いネタを、見事に換骨奪胎して眩しいポップスに再構成していた。おニャン子系だと、一般的には後藤次利氏の仕事が確信犯的な引用で知られており、うしろゆびさされ組のアルバムなどで、リオ「モナリザ」なんていう渋い引用もあったりする。一方では、ポータブル・ロックスクリッティ・ポリッティの再現なども見事だと関心したが、こうした男性編曲家らの引用技はどこか技術止まりな印象があり、この女性作家は完全に血肉化しているというような驚きがあった。同じころ、てつ100%のセカンドアルバムを気に入って、当時連載していたパソコン誌『ポプコム』のレコード評で「ピチカート・ファイヴへの大阪からの返答」と私は紹介した。『カップルズ』と同時代感覚で、あの時代のウェルメイドなサウンドを再現して、バート・バカラックの編曲術を見事に取り入れていたこのアルバムの女性編曲家が、後の菅野よう子氏であった。
 アイドル歌謡を聞き始めたころから、私は当時のバンドブームに背を向けて、そういったガジェット的な音楽にいっそうのめり込んだ。以降しばらく、私のヒーローはアーティストではなく、アレンジャーなどの職業作家になった。モーニング娘。だって「真夏の光線」というシングルで、つんくの所望した「『キャンディ・キャンディ』みたいなイントロ」のチェンバロリアライズしたのは、元スパンク・ハッピーの河野伸氏の手腕である。世間は、ただ打ち込みを使っていれば「テクノの末裔」だとざっくりと分類していたけれど、打ち込みサウンドなど表面的な話でしかない。初期YMOのゴージャスな転調やオーケストレーションなどの伝統を受け継いでいるごく一部の作家の作品のみが、私の心を動かした。
 中古レコード店に行くとまず「企画もの」「効果音」といった傍流コーナーから漁り始める私の趣向は、そのころから始まったものだ。「モーグによる映画音楽」「シンセサイザー落語」などの蒐集は17年近くになるのだが、その辺のカルト作品を1600枚ほど解説付きで紹介したのが、ディスクガイドである拙著『電子音楽 in the (lost)world』である。しかし、電子音楽縛りというテーマもあったため、紹介できなかった戦利品のレコードはもっとたくさんある。そこで、このエントリーでは、歌謡曲のアレンジャーやアニメの音楽などで知られる作編曲家が、こっそり個人名義で出していたレコード、CDを紹介してみることにした(アニメは多すぎるので、残り半分は次回の「アニメ特集」に)。
 拙著『電子音楽 in JAPAN 』の中で、80年代初頭にYMOのメンバーとともにアイドル歌謡曲を面白くした作編曲家として、清水信之氏を紹介している。そのインタビューの中で、「その才能を、例えば自分のバンドで役立てようと思わなかったのか?」という私の質問に、彼はノーと答えた。80年代は、アーティストとしてメディアに露出したり、ライヴで自曲を再現したりすることが煩わしいと思うほど、スタジオワークが面白かったと清水氏は言う。DX-7の登場でS/N比のよいリアルなローズ・ピアノの音が出現した時、サンプリング・マシンが初めて登場した時、サンプリングがそれまでの1秒からメモリが増えて2秒になった時……その都度、ハードウエアの進化に創作意欲を掻き立てられてきたのだという。こうしたスタジオ状況の変化は、一般的なヒット曲ではあまり見えてこないものだ。せいぜい、『テクノデリック』あたりまでのYMOが、技術と音楽のせめぎ合いをファンに見せてくれたぐらいだ。
 そういう意味で、清水信之氏のソロ『エニシング・ゴーズ』は、スタジオワークの現場を捉えたドキュメンタリー作品のようなところがある。というのも、作編曲家が出しているソロ・アルバムのたぐいというのは、ダイナミックレンジの高いハイカッティング・ディスクを売りにしたものなど、オーディオ・チェック機能などを盛り込んだ企画物が多いのだ。それは、ソニーSACDのセクションのような、技術普及の大義名分を持つ「採算度外視」の世界。売り上げを気にせず音の実験に取り組める、レコード会社で唯一の場所である。だから、潤沢な予算をかけて作られたゴージャズな音楽としてリリースされた作品も多い。ところが、中古レコード店の覗くとそれらのお宝が「企画もの」のコーナーに存在しているという、奇妙なパラドックスがある。だから、私は「企画もの」レコード集めが辞められないのだ。



乾裕樹&TAO『砂丘』(ワーナー・パイオニア

 後に平野悠氏のカリオカに参加する前に出していた、唯一のソロ・アルバム。アニメ関係の人には同社から後にデビューした『銀河漂流バイファム』の同名のグループと勘違いされることが多いが、こちらのTAOは本多俊之村上秀一、上原裕(エキゾティックス)、今剛(パラシュート、アラゴン)らのセッション名義。曲題は「ソーラー・プレクス」「ガーネット・ポイント」「ムーン・ウォッチャー」などSFマインド溢れるもので、全編ヴォコーダーで歌う未来風の演出が美味。まるで環境音楽風なジャケットだが、実際には表題はSF古典『砂の惑星』からインスパイアされたと解釈すべきだろう。ローズ、プロフィットなどの厚めのシンセ・ダビングで構成。一部、冨田風なドビュッシーの引用なども聴ける。

東北新幹線『THRU TRAFFIC』(日本フォノグラム)

ギタリストの鳴海寛と結成した2人組で、編曲家の山川恵津子のアーティスト時代の唯一の作品。ヤマハのコッキーポップ出身で、南佳孝とラジのデュオみたいなAORな路線に。だが、実は2人ともアレンジャー志向のようで、日本語の歌詞さえなければ、スティーヴィー・ワンダージョージ・デュークデヴィッド・フォスターに迫る洋楽並みの完成度を持つアルバムである。所属事務所だったヤマハも、彼らをどう売っていけばいいのかわからない様が、ジャケットやアーティスト写真から見て取れる。「Up and Down」などの山川ヴォーカル曲は、そのまま渡辺満里奈の5年後のアルバムに入っていておかしくない出来。ゲストで後藤次利が参加しているが、グループ解散後、山川はそのまま後藤のグループに加入(ツアーは何度も観たが、当時の彼女はスキンヘッドであった)。その縁で、おニャン子グラブの作品に関わることになる。

YOU『ピッキー・スリッカー』(日本コロムビア

名門ベターデイズからの新人で、ディスコ・フュージョン系グループの81年の作品。「ゴジラ・フェーエヴァー」などの企画ものでレコードも出している新鋭ギタリスト、斉藤英夫と弟でドラマーの亮が中心のグループなのだが、他のメンバーがなんと、生福や宍戸留美のプロデュースでおなじみ福田裕彦と、メッケン(キリング・タイム、コーネリアス)。福田氏はQuizと掛け持ちで参加していたらしい。メッケンはピンナップボーイみたいに可愛い長髪時代なのだが、サウンドはすでにゴリゴリのチョッパーを体得している。

生福『内容の無い音楽会』(CBSソニー

はにわちゃん、宍戸留美など、ソニーの傍流セクションが凄まじく過激なポップスを連発していた時代の、もっとも徒花的な作品。作曲家の生方則孝福田裕彦の2人組で、DX-7のROMや、ファミコンのカートリッジなど、音楽に限定しない活動を繰り広げていたグループ。本作はチェンバロの冒頭曲に導かれて、中津産業大学風の講師が登場して音楽の進化を説明するという、『タモリ2』みたいなハナモゲラなアルバム。「軍隊行進曲」をスペース・サーカス風のフュージョンに、モーツアルトをパンクに、吉田拓郎をヒップホップに、「戦場のメリークリスマス」を音頭風にと、とにかく思いつくままに編曲実験を展開する。このうち架空のアイドル歌手、岡井ワンナ(たぶん、ゲストの岡井大二の名前もじり)が歌う「酸素でルルル」がアイドルパロディとして見事な完成度に。ところが同曲は、後に伊集院光がデビューさせた架空のアイドル、芳賀ゆいのデビュー曲として歌詞を替えて「星空のパスポート」(詞は奥田民生、編曲は小西康陽、歌ははにわちゃんの柴崎ゆかり)としてリサイクルされるという、奇妙な顛末を辿っている。

富樫春生『チョコレート』(CBSソニー

近藤等則IMA、後藤次利バンドなどで知られるキーボード奏者の初のソロ。彼のトレードマークでもあるDX7登場前の作品ゆえ、まだ良質なフュージョンといった印象。佐藤允彦のメディカル・シュガー・バンク、浪速エキスプレスなどと並ぶ、ソニー伊藤八十八セクションからの期待の新鋭として紹介された。メンバーは、清水靖晃土方隆行山木秀夫(マライア)、矢島賢(ライト・ハウス・プロジェクト)、森園勝敏四人囃子、プリズム)ほか。ヴォコーダーで自ら歌う「パッキン・パンク・シティ」などテクノポップ的なアプローチも伺えるが、プログラミングが浦田恵司氏と聞いて納得。スペース・サーカス、クロスウインドなどに近い世代観を感じる。

中村哲&スプラッシュ『SPLAASH』(ビクター)

四人囃子のキーボード奏者だが、サックスも兼任。本作は清水信之らが鍵盤を担当しており、サックス・ソロによるインストが主体に。スプラッシュはセッション・グループで、清水信之大村憲司、渡辺建、ペッカーというパーソネル。当時、プリズムでフュージョン路線にいた元同僚の森園勝敏がゲスト参加しており、「ワン・オブ・ア・カインド」という8分の長尺曲は、構成の複雑なプログレフュージョンといった趣き。「恋するキャリオカ」などのラテン曲もあるが、イージーリスニング志向にしてはコード展開はかなり変態チックかも。

国本佳宏『ブレインボックス美術館』(The Qunimo Tones)

サザンオールスターズ「艶色ナイトクラブ」でシンセを担当し、準メンバー的扱いで紹介されていた青学のベターデイズ出身の鍵盤奏者。実は、8 1/2の後身である久保田真吾のプライスに上野耕路の後任として加入し、高橋幸宏プロデュースでデビューする予定もあった。戸川純玉姫様」「母子受精」などの複雑なアレンジでも知られる。本作はプライベート・レーベルから出た、「架空の美術館」というコンセプト・アルバム。「入場口」で始まり「退場口」で終わる、冨田勲も取り上げたムソルグスキー展覧会の絵』のような構成に。ファニーなテクノポップもあれば、coba風のフレンチ・ボッサ「シトロンヴェールさん、こんにちわ!」などもある、全編楽しいインスト集。

ザ・ウィンド『ダンディ・ステアリング』(日本コロムビア

鈴木茂『サンセット・ヒルズ・ホテル』と同じ、日本コロムビア内の日立提供“インターフェイス”レーベルからの企画もの。首謀者はギタリストの鳥山雄司で、ちょうど中山美穂「ウィッチーズ」などを手掛けていた時期であり、デヴィッド・ギャムソン風の複雑で高品位なR&Bサウンドを展開しているのに驚く。環境映像のBGM目的ゆえ、全体の路線は、シャカタク風のフュージョンやボッサ風味。「夕凪ハイウエイ」などの打ち込み曲は、エピックのソロ『トランスフュージョン』の延長戦に。「Dancing Sea」のみ、山川恵津子作編曲で、ほとんど彼女のソロ作品。

久米大作&セラ『9ピクチャーカーズ』(キング)

元スクエア、はにわちゃんのキーボード奏者で、名ナレーターの久米明の御子息。というより、久保田早紀の旦那と言ったほうが早いか。セラ名義のソロ2作目だが、前作『シネマ・エキゾティカ』が映画音楽カヴァー集だったのに対し、こちらはオリジナル曲中心。「エキゾ路線のアート・オブ・ノイズ」と表現したい、見事なコード展開の打ち込みの密な世界と、「ヨーロッパの音の旅」といった風情のお洒落なボッサやフレンチのモンタージュで構成される。仙波清彦、メッケンに、はにわオールスターズで共演したデビュー前のcoba(小林靖宏)というメンバーに加え、ヴォーカルが元ピチカート・ファイヴ佐々木麻美子。このメンバーでわかるように、「Tango Mania」ほか数曲はまるでフリッパーズ・ギター『カメラ・トーク』のカラオケ集みたいに聞こえる面白盤。

窪田晴男プロデュース『東京的Vol.1』(ミディ)

元ビブラトーンズ、パール兄弟のギタリスト。日本コロムビアからの本格ソロ『フライング・ニュー・エイジアン』を出す前に、坂本龍一のツアーサポートなどで縁のあったミディから出ていた、6人の旬のクリエイターとの2曲づつ録音した実験的オムニバス。元ビブラトーンズの近田春夫かの香織(ショコラータ)の「メカニカ」「夜毎夫人」は、小泉今日子『koizumi in the House』ばりのハウス・チューン。横山英規(ショコラータ、PINK)は、ノー・ウェーヴ風のアヴァンなインストに。当時私が注目していた三宅純が編曲した、S-KEN歌唱の「あの虎を見よ」のネオ・ジャポネスクなテイストには痺れた。清水ミチコに提供した「冬のゆううつ」のセルフカヴァーには、なんとP.P.アーノルドがゲスト参加していて驚き。

straight 2 heaven『straight 2 heaven』(徳間ジャパン)

テレビの劇伴などで知られるベーシスト、長谷部徹(スクエアのドラマーは同名異人)のソロ・ユニット。ドラムン・ベース主体のハイパーな打ち込みサウンドで、テイストはアート・オブ・ノイズか、坂本龍一『ハート・ビート』に近い路線。常盤貴子が脱いでいることから封印されてしまったらしい、ドラマ『悪魔のキッス』の劇中音楽を聴いたのが初体験で、その一作で私は、彼の名前を脳裏に焼き付けてしまった。『北京原人』『ママチャリ刑事』『ディア・ウーマン』など、どのサントラも面白いが、唯一のソロである本作が『悪魔のキッス』のサントラにもっとも近い。プロデュースは窪田晴男

三宅純『星の玉の緒』(ソニーレコード)

12インチ専科として誕生したスウィッチ・レーベル解散のドタバタの時期に、唯一のCD作品として出た三宅氏の『永遠の掌』は素晴らしい作品だった(後にアゲント・コンシピオから再発された)。初期作品はNY帰りのフュージョン系のトランペット奏者でしかなかったが、マッキントッシュの打ち込みを自身が手掛けるようになってからは、まるでアート・オブ・ノイズな実験的な音に変貌。本作は『サタデーナイトライヴ』の音楽監督、というよりは『アマルコルド・ニーノ・ロータ』の名匠、ハル・ウィルナーがプロデュース。NY録音には、マーク・リボー(ラウンジ・リザーズ、ジャズ・パッセンジャーズ)、ピーター・シェラー(アンビシャス・ラヴァーズ)、アンソニー・コールマンなどのダウンタウン人脈が総出演。ボーカルはおなじみジミー村川(マライア)。宮沢りえ資生堂のCMでかかっていた冒頭曲「Ma Puce」は、とにかく有無を言わせぬカッコよさ。こんな音楽が作れる人になりたい。beamsからソロを出したりしているが、大阪のSLCから出ている2枚のCM音楽集が初心者にはお勧め。

久石譲『Curved Music』(ポリドール)

映画音楽家の佐藤勝の門下生で、北野武宮崎駿作品の映画音楽でおなじみ。だが、元々は音楽大学時代はクセナキスなどの前衛音楽をやっていた人で、ジャパンレコードからクラフトワークみたいなソロ『infoemation』(鈴木さえ子、岩崎工ほかが参加)でデビュー。これはフェアライトCMI導入後の、個人名義での初のアルバム。マツダ資生堂キヤノンコニカ、日清などのCM曲を集めたもので、タイトルもその頭文字から付けられた。「Out of Town」のテクノポップ展開や、まんまフェアライトを入手してアート・オブ・ノイズをやっている「Syntax Error II」など、この時期は、『未来派野郎』を出していたころの坂本龍一の音楽性に非常に近い位置にいた。ライヒ風のミニマル曲はさすが大学仕込み。渡辺等、金子飛鳥鈴木智文ら、テクノポップ勢で固めたゲスト陣の中に、宇多田ヒカルの親父が入っているのが異色。

小林泉美『'iK.i'』(キティ)

同社から出ていた『ココナッツ・ハイ』などのそれまでのラテン路線を一蹴。当時の旦那、ホルガー・ヒラーがプロデュースした悪夢のようなソロ。「マイム、マイム」をアカペラで展開する「On (B,C)」から始まり、オパス4の弦楽四重奏クロノス・カルテットばりの前衛曲に。ハリウッド・ビヨンド、スタンプなどで見せた変態プロデュースは本人の持ち味でもあるようで、以降もドラマ劇伴『女医』などで、同様な実験的路線を展開していく。ホルガーにミミを紹介したのは。当時カセットマガジン『TRA』を運営していた式田純(ザ・スリル)。「infant sorrow」の詩吟とストラヴィンスキーの混合は、そのまんま和製ホルガー・ヒラーという感じ。

本多俊之サウンド・シアター』(CBSソニー

『モダーン』『サキソフォン・ミュージック』など、KYLYN時代の同僚だった清水靖晃と同様に、実験的なサウンドに傾倒していたころの作品。映画『ひとひらの雪』などのサントラやCM曲を集めた『デイ・ドリーム』、デューク・エリントンの曲を立花ハジメ風に脱構築した『ナイト・ソングス』など、CDのみでアルバムを量産していた80年代中期に、なぜか1作だけソニーに残されたのがこの映画音楽カヴァー集。『不思議な国のアリス』『男と女』『モア(世界残酷物語)』『ムーンリバー』『ひまわり』などの有名映画音楽を、サックスなしの打ち込みサウンドで、聞きやすいイージーリスニングでまとめている。プログラミングはソロ同様、鳥山敬治。トニー・マンスフィールドみたいな水滴クラップなど、イミュレーターの使い方がポストモダンでお洒落。

鈴木慶一プロデュース『ファスト・プライズ』(ポニーキャニオン

ご存じムーンライダーズ鈴木慶一のソロで、この名義はクラウン時代に出した『サイエンス・フィクション』に続く2作目。この後、ソニーから出るゲーム音楽集『マザー』が3作目に当たり、いわゆるコンセプト・アルバムで、他人ボーカル作品にこの名義が使われている。資生堂の「TECH21」という商品のイメージキャラクターだった、バイク・ドライバーの平忠彦のイメージアルバムだが、白井良明、渡辺等、鈴木智文らを招いた、かなり実験的なサウンドの作品集。「Area Code 001」は、直枝政太郎と鈴木博文政風会の曲。バイク音をサンプリングした「Number One」のカッコよさ。「The Boy On A Moter Cycle」はまるで鈴木さえ子のインストみたい。

今堀恒雄ウンベルティポ』(sistema)

ティポグラフィカの超絶ギタリストで、一昨年岸野雄一氏のレーベルからもミニ・アルバムを出している今堀常雄のソロ・ユニットの最初の作品。当時、ティポが所属していた、高橋幸宏氏の事務所、オフィス・インテンツィオのインペグ部門だったsistemaからリリース。1曲目「UBT4」は、スティーヴ・ヴァイ風のラウドな曲で驚かされたが、第一作目ゆえティポグラフィカと異なるアピールが目的だったようで、次作ではまたザッパ節が復活。その代わりに、ヴァイ路線は『ガングレイブ』『トレイガン』などのアニメ・サントラで展開されていく。菊池成孔氏がサックスで参加する「UBT3」はデートコース・ペンタゴン・ロイヤル・ガーデンのようなジャム曲に。菅野よう子が『カウボーイ・ビバップ』の劇中バンドとして登場させた、架空のバンド“シートベルツ”にも参加している。

千住明『ピードモント・パーク』(創美企画)

バイオリニストの千住真理子実弟東京芸大大学院卒業というプロフィールと、オリエンタルな旋律をフランス近代音楽的に展開するスタイルから、デビュー時には「ポスト坂本龍一」としてよく取り上げられていた。本作以降は生のストリングスを使うようになるが、この時期はシンセ打ち込みの達人技を披露しており、『Beauty』のころの坂本龍一氏にかなり近いテイストを感じさせる。今は映画音楽界の大物だが、デビュー時はなんと、アイドルの高橋由美子のアルバムで正調アイドル風編曲を見事にこなしたり、「歌謡テクノ」的な才能も伺わせていた。中国の鼓弓が旋律を奏でる「Feast」や「オスティナート」などのヴォイシングは、まんま坂本風。

笹路正徳ヘルター・スケルター』(徳間音工)

マライアのキーボード奏者で、ユニコーンプリンセス・プリンセスのプロデューサーだった笹路のソロ2作目。前作『ホット・テイスト・ジャム』はCTI風のフュージョンだったが、同年発売でありながら、本作はマライアの変貌に併せてハード・プログレ路線に様変わりしている。村田有美と織田哲郎のヴォーカルもかなりヘヴィー。土方隆行、渡辺モリオ、高水健二、山木秀夫らマライアのメンバーが脇を固め、キメキメのプログレ・インストを展開している。

萩田光雄『シークレット・ライフ』(東芝EMI

太田裕美の編曲などで知られる萩田だが、細野晴臣と共同編曲した「風の谷のナウシカ」や南野陽子はいからさんが通る」などでは、YMOの神髄に迫る打ち込み編曲にも対応。もともと音楽は独学で、ヤマハの社員から編曲家になった変わり種。唯一のソロ・アルバムである本作では、羽田健太郎のミニ・モーグを導入しての実験的な録音のイージーリスニングを披露している。『ヘアー』の「アクエリアス」のモーグ・カヴァーは、海外の同路線のシンセ・レコードに肉薄。「マティルダ」ではホワイト・ノイズのSEによる過激な演出も。基本はディスコ・フュージョン路線。

石田勝範『ボディー・トーク』(ビクター)

松武秀樹ロジック・システム『ヴィーナス』や『007ムーンレイカー』などで編曲を務めていた、シンセ・ダビングに理解のあるベテラン編曲家のおそらく唯一のソロ・アルバム(先日、別ジャケットでCD化されたのはこれの復刻だと思う)。ソニー東芝に対抗してビクターが始めたオーディオ・チェック企画“サウンド・グランプリ・シリーズ”の1枚で、エルトン・ジョン「悲しみのバラード」、フランシス・レイ「カトリーヌのテーマ」、バカラックアルフィー」などのカヴァー曲を取り上げている。直居隆雄、羽田健太郎、山川恵子など、セッション・メンバーは歌謡曲のスタジオワークでおなじみの面々。表題のジョージ・ベンソンのカヴァー曲は、ムーギーなシンセポップ。

鷺巣詩郎ウィズ・サムシングスペシャル『EYES』(徳間音工)

國學院大學のコンテスト荒らしバンドだったサムシング・スペシャルのリーダー格、鷺巣の初のソロ(現在は詩朗表記)。須貝恵子がヴォーカルを務める半分は歌もので、盟友だった同じく他校のフュージョン番長、笹路正徳もキーボードで参加している。ただ、須貝のヴォーカルが素人のニュー・ミュージック風なのが残念。次作はジョン・ジェイムス・スタンレーのヴォーカルを迎えたデュオ・アルバムだが、こちらは久米大作青山純伊東たけし(スクエア)、ケーシー・ランキン(SHOGUN)、マイク・ダン(パラシュート)らプロががっちり脇を固め、ELOやエアプレイに肉薄する完成度を極めている。

『トウキョウ・インディペンデント・スタジオズ』(Pi Records)

リットーミュージックのレーベルから出た『サウンド&レコーディング・マガジン』との連動企画で、都内の個性派スタジオとその関連アーティストの作品をオムニバスでまとめたもの。監修は元アルファレコードのエンジニアで、シンクシンクインテグラルの主宰者である寺田康彦氏。ピチカート・ファイヴの事務所が経営するグレイティスト・ヒッツ・スタジオ、高橋幸宏の拠点だったコンシピオ・スタジオ、淡海悟郎のトーンマイスター、CMJK(元電気グルーヴ)のホワイトベーススタジオ、寺田のシンクシンクスタジオなどが、楽曲を提供している。このうち、TANGOSの角田敦と共同経営していた、リンキィ・ディンク・スタジオの冨田恵一の“アウト・トゥ・ランチ”名義のインストを聞いて、私はノックアウト。前年の95年に亡くなったエリザベス・モンゴメリー追悼曲で、『奥様は魔女』の音楽を見事にパロディ化している。“アウト・トゥ・ランチ”はナイス・ミュージックのアルバムにも編曲参加しており、エスキベルの高度なパロディなどを披露していて見事なものだったが、冨田ラボ以降はこうしたノベルティ色を封印してしまったのが残念である。

『プロ・ファイル11プロデューサーズ Vol.1』(東芝EMI

東芝資本のインディーズ、ポルス・プエストが東芝に吸収されてできた“スウィート・スプエスト”レーベルから出た、こちらも編曲家のショウケース的企画。冨田恵一堀江博久(ニール&イライザ、コーネリアス)、江口信夫、石川鉄男、福富幸宏、細海魚、外間隆史(フィルムス)、田中知之(ファンタスティック・プラスチック・マシーン)といったプロデューサーが、キリンジを始めとする若手グループ、シンガーとコラボレートしている。福富氏はCalinのヴォーカルで、シーナ&ザ・ロケッツ「ユー・メイ・ドリーム」をカリプソ風にカヴァー。田中氏はインスタント・シトロンの片岡知子氏と、なんとNRBQのラリー・アダムスをヴォーカルに招いて、アーチーズ「シュガー・シュガー」をボッサ風に取り上げている。全曲、オモロな録り下ろし作品集。

Studio Lab『FLOCKS』(ハンマー)

これは、ムーンライダーズ・オフィスから独立してできたプログラマー集団、ハンマーの社長である森達彦をプロデューサーに、同スタジオ周辺の若手ミュージシャンとコラボレートしたオムニバス。森氏はライダーズ『アマチュア・アカデミー』のプログラマーとして参加した後、山川恵津子編曲などで見事なシンセワークを披露しており、日本で一番トニー・マンスフィールドに近い生理を持つクリエイターだと私は思っていた。ハンマーは、デペッシュ・モード『コンストラクション・タイム・アゲイン』のジャケットから連想して付けられた名前で、ギャングウエイを日本に紹介するために作られたレーベル。同じノア渋谷の建物にあった関係から、カヒミ・カリイほかクルーエル・レーベルの全作品でエンジニアを担当しており、本作も、Yoshie(平ヶ倉良枝)、PATE、上田ケンジ(ピローズ)といった渋谷系周辺アーティストが中心に収録されている。すでに2枚ソロが出ていたu.l.tは、森氏が率いる女性ボーカルによるキャンディ・ポップ。ハンマーの理解者の一人である、英国のデヴィッド・モーション(ギャングウエイ、ストロベリー・スイッチブレイドのプロデューサ−)の血統が息づいており、打ち込みとネオアコの幸せな結婚が本作の裏テーマになっている。