POP2*5

過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

「ビデオスターの悲劇?」ニュー・ウェーヴonレーザーディスク

 先日、高橋幸宏アポロン時代のビデオのDVD復刻のお手伝いをさせていただいたことは別エントリーで書かせてもらったが、こうした復刻は実は幸せなパターンである。あの2タイトルはオリジナルの発売元であったアポロンの解散の前に、幸宏氏の事務所に権利委譲がなされたことで、よくあるマスター紛失などの難を逃れた。普通、ビデオソフトメーカーが倒産する際に、問題のある債権者の手に渡ると、それをDVD復刻したいメーカーがマスターの存在を突き止めることはできても、権利保有者がやたら法外な値段を請求するなど条件を汲んでくれないなどが理由で、復刻を断念せざるを得ないものが実に多いのだ。また、闇に葬りさられなくても、一時、経営不振で国際放映が手放した時期があったと思われる『小さなスーパーマンガンバロン』のように、写真もないぞんざいなパッケージ(写真を使うと肖像権侵害になるため。ビデオ化権は別扱い)でノイズだらけのフィルムのまま、駅のワゴンセールでVHS1本1000円とかの廉価シリーズで出されてしまうなど、酷い復刻で終わってしまうことも多かったりする。
 ニュー・ウェーヴもののCD復刻はすでに一通り終えた印象で、現在リイシューのニュースを聞くものは、たいていボーナストラック追加盤やニュー・リマスターといった二巡目にかかったものが中心である。それに比べると、これだけDVDが盛んにリリースされているご時世なのに、映像ソフトのDVD化はそれほど進んでいる印象はない。先日も書いたが、当時はビデオ・クルーを手配してプロショットで映像を残すには、ソフト発売を前提にして制作費を捻出するしかなく、ハードウエア機材のレンタル料も高く映像にはレコード制作の数倍も予算がかかってしまうため、よほどヴィジュアルイメージを重視するグループでもなければ、単独作品が作られることはなかったのだ。70年代末期にあれだけライヴ素材が残っているYMOなど、例外中の例外と言える。無論、ビデオクリップ(PV)はたくさん作られたものの、1曲数分という尺のために商品化されることは少なかった。そのままグループ解散や事務所倒産などの際に、マザーテープ(オープンリールや1インチのカセットなど)が紛失してしまったケースも多いらしい。いや、当時VHSやレーザーディスク化されているタイトルであっても、レコード会社内の映像事業部が流浪の民的な運命を辿っている会社が多かった。某T社の初期の音楽DVDなど、実はマザーテープが紛失していたために、レーザーディスクをマスターに商品化されたものが多く、「映像が酷すぎる」とたくさんのクレームが寄せられたのを覚えている人も多いだろう。
 もうひとつ、当時らしいややこしい商慣習として知られているのは、VHSとレーザーディスクが別々のメーカーから出ていたこと。これは、VHSを含む“テープ”とレーザーディスクを含む“記録ディスク”とが税率上、異なるメディアとして分類されており、ビデオメーカーが映像権利保有者とビデオ化契約を結んだ場合も、たいてい「テープメディアのみ」という条件が付いていたためである。レーザーディスクの開発元であったパイオニアの小会社「レーザーディスク社(現・ジェネオン・エンタテインメント)」は、スタート当初は潤沢な予算を持っており、一社でハリウッドの4大メジャー会社と契約して、鳴り物入りで登場した。大半のメジャーな映画は、他社はVHSで出している作品も、すべてパイオニアが自社で商品化していたのだ。しかも、VHSソフトが1本が2万円近くした時代に、レーザーディスクはその半額でソフトをリリース。ピックアップがビデオと違い非接触式だったために、半永久的に劣化がないというふれこみもユーザーの心をくすぐった。レーザーディスクが安く出せたのは、CDみたいにプレス式で量産ができるためだ。VHSソフトは標準速でプリントされるために、たいてい2時間の映画をプリント(ダビング)するのに2時間かかる。レーザーはマザーディスクを一回プレスするのに数秒かかるだけなので、時間あたりのコストがVHSより数倍安くあがったのである。
 レーザーディスクとVHSが別々の権利で扱われていたために、たいてい発売日も同じではなかったし、レーザーディスクでしか発売されなかったタイトルというのもある(マルコム・マクラレン『俺がマルコムだ』や、ZTTのコンピレーションなど)。特にレーザーディスク・ソフトに力を入れていたのがCBSソニーである。ここはパゾリーニやアントニオーニの復刻や坂本龍一のオリジナル・ソフトなど、およそ商業的ではないアート志向のカタログで異彩を放っていた。VHS対ベータ対決でベータが敗北してからは、レーザーディスク主体(VHSも出してはいた)でリリースしていたが、CBSソニーといってもレコード会社の社内映像事業部というよりは、ハードメーカーのソニーの社長室管轄のセクションだったようである。現在の伊藤八十八氏率いるスーパーオーディオCDSACD)事業部のように「採算度外視」で運営されており、権利処理も独自で、当時の制作部門が解散になった現在はその原盤権がさまざまに分散している。坂本龍一『メディアバーン・ライヴ』『TV WAR』『アデリック・ペンギン』などのように、DVD時代になってソニーで調査してみたものの、自社で復刻できないようなものがたくさんあった。
 ともあれ、ここにきてピンク・フロイドパルス』や、ジャパンのPV集のような、メジャーな名作タイトルがやっとDVD化されて、音楽ソフトも賑やかになってきた。だいたい、私らが青春期に夢中になったニュー・ウェーヴという音楽は、音楽と映像が拮抗していると言われたほど、映像ソフトが潤沢なジャンルだったのだ(『電子音楽 in the (lost)world』でも、アート・オブ・ノイズのライヴ、マルコム・マクラレン、ゴドレイ&クレームのLD作品『モンド・ヴィデオ』などの重要な映像作品も紹介しているので、ぜひご覧あれ)。
 米国のMTVが82年に開局して、その記念すべき1曲目に選ばれたのがザ・バグルズ「ラジオスターの悲劇」であった、というトリビアはよく知られているだろう。「ビデオがラジオスターを殺す」という歌詞のリフレインは、数百局もローカル局が存在し、それらがヒットチャートの鍵を握っているアメリカのラジオ社会に対するMTVの挑戦であった。当初は、PV主体の放送局など小さな流れに過ぎなかったのだ。しかも、MTVは運営者の意向で、スタート時には黒人グループのビデオを流さなかった。初めて流された黒人のPVは、マイケル・ジャクソン「今夜はビート・イット」だったと言われている。そんな白人主義だったMTVを一躍メジャーにしたのが、実はブリティッシュ・インベンションIIと呼ばれるイギリスのグループ勢だった。デュラン・デュラン、ABC、ネイキッド・アイズ、トーマス・ドルビーといったアーティストが次々PVで紹介され、82年ごろにはアメリカのチャートの半分がイギリス勢で占められるという現象が起こった。これを、ビートルズゾンビーズらが上陸して、60年代中期のアメリカのヒットチャートが英国勢によって占領されたブリティッシュ・インベンションになぞられて、メディアはその復活劇として彼らを紹介したのだ。これには複合的な理由がある。イギリスの国内マーケットはもともと日本よりも小さいほどで、ビートルズを始め大半が輸出産業として収益を得ており、ヨーロッパならドイツ、アメリカなどの商圏にいち早くリーチをかける慣例があった。前者については、ビートルズデヴィッド・ボウイピーター・ガブリエルらがドイツ語ヴァージョンを吹き込んでいることでも、その力の入れ方がわかるだろう。また、イギリスの音楽ビジネス自体が保守的で事業規模が小さいために、イギリス在住でありながら他国のレコード会社と契約するケースも多かった(ジャパンならドイツのアリオラハンザ、GIオレンジなら日本のCBSソニーなど)。この時期には、ネイキッド・アイズ、トーマス・ドルビー、XTCらのように、アメリカのエージェンシーと直接契約しているアーティストも多く、活動拠点をアメリカに置いているアーティストも普通にいたのだ。しかし住んでいるのは自国なわけで、渡航の問題があるために、ライヴなどが頻繁に行えないぶん、イギリス勢はPV制作に力を入れたわけである。収益の主体がライヴ・サーキットによって営まれていた、アメリカのアーティストとの最大の違いがそれ。MTVでアメリカとイギリスのアーティストのPVが並べて放送されたときに、イギリスのアーティストのPVのほうが面白いのは当然である。ハービー・ハンコックの「ロック・イット」のように、アメリカのアーティストのPVでも、面白い作品はたいていイギリスのPV監督(ゴドレイ&クレーム)が撮ったものだった、なんていうケースもざらだった。80年代中期にほぼ同時に生まれたチャリティ・ユニット、イギリスのバンド・エイドと、アメリカのUSA・フォー・アフリカのビジュアル映えの違いは、当時歴然として見えたものだ。
 しかし、私のようなビンボー人が、当時から映像ソフトの収集に力を入れられるわけはなかった。だが、それでもムーンライダーズ『ドリーム・マテリアライザー』、マルコム・マクラレン『俺がマルコムだ』など、将来LDプレイヤーを買った時に観ると決めて、レーザーディスクの盤だけ買ったりしていた(笑)。プレイヤーを持っている友達にVHSにダビングしてもらって、ちょびちょび観て楽しんでいたのだ。そのうち、ディスクばかりが10枚ぐらい溜まったころ、初めて中古の安売りでLDプレイヤーを買った。その後、DVDソフトがたくさん出始めるようになった5〜6年ぐらい前だろうか、ディスクユニオンやフジヤエービック、ブックオフなどに、それまでレアとされてきたレーザーディスクが二束三文で箱売りされる現象があり、私はその時期にたくさんのレーザーディスク盤を購入することとなった。ほんと、それまで1万円近くしたソフトが3枚1000円とかで売られていたのだ。おそらく、DVD化されるだろうから、その告知前に売っちゃえば高く売れるという魂胆で手放されたものだろう。ところが音楽DVDは、思ったほど復刻されなかったのだ。なにしろ、レーザーディスクの歴史は、製造中止まで20年に及ぶわけで、膨大なタイトルがリリースされている。特にニュー・ウェーヴなど、現在から観るとアイドル系やコマーシャルなグループと軽んじられる傾向があり、殿堂入りしているグループ以外の復刻は望めないものが多いだろう。そこで今回、まだ地方には残っていると思われる、ブックオフなどのLDコーナーで燻っているようなニュー・ウェーヴ系のレーザーディスクタイトルの中から、まだDVD化されていないものをまとめて紹介してみることにした。「レーザーディスクの再生機持ってないし……」という方も多いと思うが、ご安心を。ヤフーオークションなどを観てみれば、ソフトが1枚1000円とか並んでいるその横で、たいてのプレーヤーも3000円程度で出品されている。LDソフトなど10枚買っても金額はDVD1枚相当だし、プレイヤーと併せても十分元が取れるだろう。
 ただしレーザーディスクは、現在のDVDと少々扱いが異なる映像メディアである。今でも「レーザーディスクは手放せない」というオーディオ・ファンも多いと思うが、実際、DVDに比べて映像が綺麗なものが多いのは、スペックの違いによる。LDはあのLPサイズの30cmの盤面に、映像を無圧縮で収録しているのだ。だから、最短で30分、最長で60分しか記録できない。mpeg2の圧縮データで収録しているDVDなどと比較すると、特にアンダーな色の再現力の違いは歴然としており、『ブレード・ランナー』などの映画は、DVDだと夜が絵の具を塗ったような色になりとても観てられない。しかし、無圧縮のために、傷が入った箇所はその箇所にノイズが出る。しかも、プレス面のコーティングの僅かな隙間に空気が入ることで、記録面のアルミが酸化してしまうために、10年以上経つとメダカノイズというチリチリとした白色ノイズが発生してくる。DVDだと、ハードで解凍して再生する圧縮データ記録なので、傷や酸化が起こると、まるまるデータが読み込み不可になる。だから、どっちがよいという話ではないのだが、レーザーディスクだとなまじ再生だけはできてしまうために、僅かなノイズが載ってしまうことも気になってしまうのだ。
 この4月からはHD DVD、ブルーレイといった、DVDに変わる次世代ディスクへの本格切り替えがスタートする。このへん、デジタル地上波スタートと同じ、切り替え需要を目したメーカーの思惑だけで動いている世界だけに、消費者にとって必然性があるわけではない。まだ、映画も音楽もDVD復刻が完全に一巡したわけでもないのに、いずれメーカーも次世代ディスクに注力してかざる得なくなるだろう。おそらく、すでにDVDで手に入るようなメジャータイトルのHD DVD、ブルーレイ化が優先されることは必至。DVD化される機会を奪われたマイナータイトルなど、いよいよ復刻の可能性が閉ざされてしまうはずだ。10年後にやっとソフト化なんてことはあったとしても、私などすっかりジジイである。だから、当分観る機会が奪われてしまうレーザーディスク・ソフトを、今のうちにサルベージしておくのはいかがだろう。 



ネイキッド・アイズ『僕はこんなに』

当時、EMIグループが力を入れていたビデオ・シングル(3〜4曲入り)の一枚として、ミニLDで出たもの。トニー・マンスフィールドがプロデュースしていた男2人のデュオで、「プロミセス・プロミセス」が米国でチャートインを記録した。ヴォーカルが高岡健二似の二枚目で、ビジュアル映えもした。「灯りが消えるころ」は、小人が登場してくるテリー・ギリアム監督『バンデットQ』的世界に(ヒロインの女の子が可愛い)。バンド出演場面もあるが、USツアーをまわったトニマンの姿がないのが残念。「ヴォイス・イン・マイ・ヘッド」のジャポネスクな映像処理など、シュールな作品も多く、ニコラス・ローグ風という感じ。

チャイナ・クライシス『Show Biz Absurd』

当時はエレ・ポップ的に扱われていたが、楽曲がしょぼいエレ・ポップ勢に比べ、コード進行はAORやジャズ風でシックなイメージ。後にスティーリー・ダンウォルター・ベッカーにプロデュースを依頼した『未完成』で、英国流AOR路線が完成。そういえば『未完成』リリース時に、なんでドナルド・フェイゲンじゃなくてウォルター・ベッカーに頼んだんだろうと思ったのだが、ベッカーの初のソロが出た時にわかったが、パブリックなスティーリー・ダンの音って、フェイゲンじゃなくてベッカーの持ち味のよう。チャイナ・クライシスはエレ・ポップ好きに独占させとくのはもったいない、プリファブ・スプラウト、ディーコン・ブルー、マイクロ・ディズニーなどと並ぶ、スティーリー・ダン・フォローアーとして今でも愛着のあるバンドである。産業革命の記録フィルムを使った初期のヒット曲「ファイヤー&スティール」は、ジュリアン・テンプル的な正調イギリス風のPVに。

ヘヴン17『インダストリアル・レヴォリューション』

ヒューマン・リーグの分家組。ヴォーカルの長身のマーティン・ウエアは当然として、グレイグ・マーシュ、マーティン・ウエアの2人がまた生真面目なIBMの社員みたいなルックスなので、トレンチコートなどを着せると皆がジョセフ・コットンみたいで、PVもかなり映画っぽい。「テンプテーション」なんてドイツの表現主義風。監督は大半が名匠スティーヴ・バロン。彼が監督した処女映画『エレクトリック・ドリーム』(傑作!)にもヘヴン17は楽曲提供している。

トーマス・ドルビー『The Golden Age Of Video』

ミニLDやライヴなど、当初から映像ソフトをリリースしてきたドルビーの、EMI時代の集大成的PV集。「哀愁のエウローペ」から「ホット・ソース」までのPVに、坂本龍一とのデュオ「フィールド・ワーク」(これが唯一の商品化)、ジョージ・クリントン、リーナ・ラヴィッチとのユニット“ドルビーズ・キューブ”「キューブは貴方とともに」などのPVを加えて構成。監督は大半がドルビー自身。「ラジオ・サイレンス」には映像にリーナ・ラヴィッチがゲスト出演しているが、音は矢野顕子と共演したヴァージョンのほう。ウディ・アレン『スリーパー』みたいな「彼女はサイエンス」のPVには、実父である考古学者、マグナス・パイク博士が出演している。そういえば「ハイパーアクティヴ」のPVって、所ジョージ「すんごいですね」(PV監督は山本晋也)でパクって驚いたな。

トーマス・ドルビー『ライヴ・ワイアレス』

最初のビデオ作品で、イメージ映像、PVなどをミックスした架空のライヴ・フィルム。ドルビーはアクターと映写技師の二役で登場する。来日公演がなかったドルビーゆえ、これが唯一観れるライヴ映像素材で、メンバーもケヴィン・アームストロング、マシュー・セリグマン、サイモン・ハウスなど『地平球』を録音した同メンバーが脇を固める。『光と物体』リリース後のライヴなので曲数が足りない分、リーナ・ラヴィッチ・バンド時代の「ニュー・トイ」(ラヴィッチ本人が歌唱)や、ロー・ノイズ名義の「ジャングル・ライン」「アーバン・トライバル」(この2曲のヴァージョンはフォノシート化されている)、シングル「私がこわい」のB面「パペット・シアター」(フーディーニ「マジック・ワンズ」のアレンジ曲。ライヴ・ヴァージョンはフーディーニに準拠)など未発表曲でフォロー。ケヴィン・アームストロングのソロで発売されなかった「サムソンとデリア」は名曲なのに、演出用のつなぎでブツ切りになっているのが残念。

XTC『ルック・ルック』

バリー・アンドリュース在籍時の「ディス・イズ・ポップ」から「センシズ・ワーキング・オーバータイム」までの全PV集。クラシックVSパンクというコント仕立ての「リスペクタブル・ストリート」など、アンディの役者ぶりは見事なもの。初期メンバーのバリー・アンドリュースはアンディと互角の人気だったが、ティーティー・オルガンの暴力的なプレイの映像には圧倒される。個人的にはコリンがヴォーカルの「ライフ・ビギン・ザ・ホップ」「がんばれナイジェル」の時のサイド・ギターのアンディの暴れっぷりが好き。シングル曲ではないのにPVが作られた「オール・オブ・ア・サドゥン」は、キュアー「ボーイズ・ドント・クライ」やジョナサン・デミが監督したトーキング・ヘッズストップ・メイキング・センス』風のシルエット・ショーで、『ムーマー』のジャケット風にメンバーは妖精として登場する。海賊版として、デュークスのPVなども含む『ルック・ルック2』もある。

ラウンジ・リザーズ『87 TYO』

名作『ビッグ・ハート』が収録された翌年の、同じく日本公演を収録したもの。メンバーはドラムのダギー・ボーンからトニー・モレノに交代した以外は同じ編成で、ミックスも同じく小野誠彦。監督はムーンライダーズのADなども手掛けている時津義郎。ポニー・キャニオン移籍後にスタジオ版が録音された「ノー・ペイン・ノー・ケイクス」なども披露されている。とにかく、この時期はメインのルーリー兄弟よりも、マーク・リボーとエリック・サンコのセッションが手に汗握る。これは余談だが、ルーリー兄弟が抜けるとグループはジャズ・パッセンジャーズという名義になり、クレプスキュールから数々の名作を出している(どれも名盤!)。ラウンジからマーク・リボーが脱退した時、ラウンジのほうは解体したのだが、ジャズ・パッセンジャーズのほうはなんと、チボ・マットの本田ユカがサンプラーで加入して活動していたのだ。他のメンバーがばりばりのビバップを弾いているのに、一人だけアート・オブ・ノイズみたいなクラッシュ・ノイズを出している変な編成に。日本でもライヴ盤も出ているので、変態ジャズ好きには是非お薦め。

デペッシュ・モード『サム・グレート・ビデオ』

ヴィンス・クラーク在籍時の「アイ・キャント・ゲット・イナフ」から、シングル「イッツ・コールド・ア・ハート」までのPV集。デビュー曲「フォトグラフィック」のみ、商品化されたハンブルグでのライヴから収録している。「イッツ・コールド・ア・ハート」は、ニュー・オーダー「シェルショック」と同じく日本ロケ作品で、学生服やセーラー服の日本人が大勢出演。インパクト大なのは「ピープル・アー・ピープル」のロング・ヴァージョン。ハンマービートの曲に、モノクロ映像で工場の映像をサンプリング風に編集したもので、オーケストラ・ヒットの「ジャン!」という音もクラシックの映像を貼り合わせてダダ風に構成。彼らがガレス・ジョーンズにプロデュースを依頼したのは、友人だったブリクサノイバウテン)の紹介だったらしく、この時期は「シェイク・ザ・ディシーズ」などノイバウテン風に渋い映像の名作が多い。

トンプソン・ツインズ『ライヴ・サイド・キックス』

アレックス・サドキンがプロデュースして3人組になった『サイド・キックス』発表時のリヴァプール・ロイヤルコートでのライヴ。私はMTVで放送した分の海賊ビデオで初めて観て、そのショーマンぶりに感動したもの。トム・ベイリーは基本的にキーボード主体で、スタジオでの複雑なアンサンブルを2人のサポートとの組み合わせで見事に再現している。エンディングの「ラヴ・オン・ユア・サイド」の演出に登場してくる、マルチ・ストロボの装置がカッコイイ。トムがベース時に弾くプロフィット・ワンの腰のある音もお気に入り。

OMD『Live At The Theatre Royal Drury Lane』

ジャケットはピーター・サヴィルで『安息の館』直後のライヴ。OMDBBCからライヴ音源集も出ているが、当時のテクノポップ系グループの中でも珍しく、YMOと同じくテープを使っていないので、シークエンサーとのセッションなども緊張感がある。メンバーは2人時代だが、マルコム・ホルムズ、マーティン・クーパーという後の4人組時代のメンバーもサポート参加している。日本では『CNNデイウォッチ』の主題曲でおなじみだった代表曲「エノラゲイの悲劇」収録。ベースを弾きながら歌うポール・ハンフリーズ(声が裏返る方)のクネクネダンスが美味。VHS(PAL)のみだが、OMDはPV集も出ていて、こっちもなかなか面白い映像が多い。

OMD『クラッシュ・ザ・ムービー』

PV集もまともにリリースされていないのに、なぜか日本盤が出ていた『クラッシュ』のドキュメンタリー。イントロダクションとして、10本のPVをまとめた「OMDについて」という紹介フィルムが貴重。リハーサル、録音風景、PVの撮影場面などが素材として登場するが、ニュー・ウェーヴ系グループのレコーディング風景を捉えた映像はかなり珍しいと思う。インタビューでは、KKKをテーマに扱った理由など、意外な硬派ぶりも垣間見せる。あと、「クラッシュ」で使われているサンプル音は、来日時にテープに録音した日本のCMがネタだったのを公表している。詳細には触れてなかったが、たぶん「ヒミツ〜」はハインツ、「ウ〜ル」はベンベルグ、「アルタ〜」は『笑っていいとも』でおなじみアルタのCMからだと思う。まるで映画『ブレード・ランナー』の「わかもと」のCMみたい。

アーケイディア『アーケイディア』

デュラン・デュランのうち、パワー・ステーションのアンディとジョンが抜けた残りの3人がアーケイディアになる。パワステは先日リマスターされたDVD付きCDでPV集がオマケで復刻されたので、次はぜひこちらを。テーマをジャン・コクトーから拝借したりと、デュラン・デュランよりもややシックで、監督もラッセル・マルケイがウルトラヴォックス風に神話的に仕上げている。ちなみに、性格の大人しいロジャーは目立つのがいやという理由で、すべてのPVに参加していない。準メンバーでほとんどのギターを弾いている土屋昌巳もPVには出てこない。

プリファブ・スプラウト『ア・ライフ・オブ・サープライズ』

『ラングレー・パークからの挨拶状』から4曲入りのPV集が一度出ていたが、こちらは同名のベスト盤リリースの際に再編集盤として出たソニー時代のPV全集。アルバムとしては『スティーヴ・マックイーン』から『ヨルダン・ザ・カムバック』までと、その後のシングル2曲を収めている。やはりウェンディ在籍時のPVには華があり「アピタイト」「ホエン・ラヴズ・ブレイクス・ダウン」は何度観てもウットリする。ちなみに、「ホエン・ラヴズ」の音はトーマス・ドルビー版ではなく、キュアーのフィル・ソーナリー・ミックスのほう。

ニック・ヘイワード『Nick Heyward Part I』

ヘアカット100〜ソロまでのPVを集めたもので、レーザーディスクのみでリリース。「好き好きシャーツ」「渚のラブ・プラス・ワン」などのファンカ・ラティーナ時代の瑞々しさは観ているこっちが照れるほど、笑顔が決まっている。「夢見るサンディ」など、『風のミラクル』収録曲は何度聞いても素晴らしい。ちなみに『PartII』というのは出ていない。

モノクローム・セット『ディスティニー・コーリング』

ブラウン管から命名したグループであり、初期はトニー・ボッツという映像担当も在籍(ヒューマン・リーグみたい)。映像も潤沢にあったようで、先にリリースされていた『ピローズ&プレイヤーズ・ヴィデオ』との重複もない、当時のメンバー出演のショート・フィルムから構成されている、一応PV集。レスター・スクエア時代の「レスター・リップス・イン」はこれで初めて観た。ビドのソロ・シングルとしてエルから出た「リーチ・フォー・ユア・ガン」も、元々はモノクローム・セットで演奏していたのね。

スクリッティ・ポリッティスクリッティ・ポリッティ

美少年グリーン・ガートサイド率いる、英国ニュー・ウェーヴ最高峰的グループ。NYのパワー・ステーションで録音した「ウッド・ビーズ」から「パーフェクト・ウェイ」までの5曲のシングルと、US版の「ウッド・ビーズ」のPVの計6曲を収めている。ジャケットはヨゼフ・ボイスの引用など、いかにも美術学生風だったが、PVのほうは「ヒプノタイズ」がちょっと実験映画風(ウォーホル風?)なのと「アブソルート」にマーマレードを握りつぶすモロなボイス風映像があるだけで、ほかはいかにもアイドル風。フランスでロケされたらしい「ウッド・ビーズ」US版のモノクロ映像だけはかなりシックで見応えがある。ちなみに、スクポリはこの時期にヴァージンからツアーの要請があってリハーサルをやったのだが、あのサウンドを当時はライヴで再現することが難しく、正式なライヴというのは行われていない。ただ、TV出演はけっこうあって、海賊版のDVD-Rも出ており、フレッド・メイハー加入以前は「ウッド・ビーズ」のPVに出ているあの女性ドラマーなどがプレイしていたようだ。

オレンジ・ジュース『DADA with JUICE』

なぜかこっちのほうがヨゼフ・ボイス風ジャケット。ベスト盤リリース後で、エドウィン・コリンズとジェイク・メニーカの2人組のころ。ポール・ハード(ベース)、ジョン・ブリテン(サイド・ギター)がサポートする4人編成だが、演奏は安定していて見応えがある。冒頭曲の「サルモン・フィッシング・イン・ニューヨーク」のギターのカッティングやジェイクのコーラスなど渋くて痺れる。エドウィンは全編、プレスリーに見えるほど、ビデオ向きのフォトジェニックな存在だと思う。

ディーヴォ『The Complete Truth About De-Evolution』

レジデンツのエクスパンド・ブックなどを出していた米ヴォイジャー社から出たレーザーディスクのみのPV集。日本でも2つのヴァージョンのPV集が出ているが、『くいしんぼう万歳』まで収録しているのはこれだけ。ヴォイジャー社のソフトらしく、アナログ・トラックにマークとジェラルドの辛口コメンタリーが入っていたり、B面に当時の資料などを静止画で併録しているなど、レーザーディスク・ソフトの模範ともいえる出来。同タイトルのDVDが出ているのになぜこれを紹介するかというと、『シャウト』に入っていたジミ・ヘンドリックスのカヴァー「アールユー・エクスペリエンス」がジミの遺族の意向でDVD版から割愛されてしまったため。初期のCGで精子がニョロニョロ動く気持ち悪さで群を抜くPVなだけに、お蔵入りは惜しい。

『ZTT The Value Of Entertainment』

同名のイベントから、アート・オブ・ノイズプロパガンダ、アン・ピガール、元ピッグ・バッグ組が結成したインスティンクトのライヴを収めたもので、レーザーディスクのみでリリースされた。と言ってもこれ、ライヴ・オムニバスではなく、ZTTのスポークスマンだったポール・モーリィが進行役で登場してくる一種のドキュメンタリーで、曲はブツ切り。モーリィが構成した傑作ドキュメンタリー『ニュー・オーダー・ストーリー』や、マルコム・マクラレン『ロックン・ロール・スウィンドル』風に、モーリィ自身が観客に「ヴァリュー・エンタテインメントとは何か?」と問いかけるような、トリックスターを演じている。アート・オブ・ノイズだけはメンバーが移籍した後なので、ダンサーを舞台に上げ音だけを使用して、なぜ彼らがレーベルを去ったかについて自問したりする。そういえば、唯一商品化されていない「ビート・ボックス」の最初のPVも、全編、ポール・モーリィが登場しているインタビューものであった。収録素材のうち、ゲストでスティーヴ・ジャンセン(ジャパン)がドラムを叩いているプロパガンダのライヴのみ、彼らのDVD(PV集)に抜粋収録されているが、ブツ切りのままなので元素材は消失してしまったのだろう。

『Don't Watch That Watch This!』

こういう寄せ集めPV集のたぐいは、かなり二束三文で売られているのだが、けっこう侮れない。『ロック年鑑』に収録されているキング・クリムゾン「太陽と戦慄パートII」とか、クラフトワーク「クリング・クラング」とか、やはりDVD化されていないクリムゾン「ハートビート」のPVが入っているというのもあった。で、本作はポリグラム所属アーティストであるティアーズ・フォー・フィアーズ、ビッグ・カントリー、ブロンスキー・ビート、バナナラマスタイル・カウンシルなどの当時のヒット曲を集めたものだのだが、なんとフライング・リザーズのPVが入っているのだ。PVなんて作ってたのか! 曲は『TOP TEN』からの「ディジー・ミス・リジー」で、新任のサリー嬢とデヴィッド・カニンガムが出演。シングルのジャケットと同セットなので、同時収録されたもののよう。ちなみに、フライング・リザーズは「マネー」ヒット当時に英国だけでツアーをやっているのだが、メンバーはマイケル・ナイマン・バンドが兼任していたらしい。

暴論!「なぜ男達はかくもBOXセットをこよなく愛するのか?」

 この問題提起は、私が以前在籍していた週刊誌の連載陣であったライターのI嬢から投げかけられたものである。「なぜとは?」「女性はBOXセットが大好物ではないのか?」……。で、周辺聞き込み調査をしたところ、まわりの女性陣からも同様の回答が得られてしまった。どうやら、音楽好きの彼氏がいる女性にとってみれば、男のCD BOX好き趣味というのは鬱陶しいものらしい。飲み屋で延々「椎名林檎がいかに凄いか」を聞かされるときと、同じほど鬱陶しいというご意見もあった。けっこう値が貼るから、BOXセットの発売月にはデートを倹約させられることもあるらしい。「アタシを取るの? BOXを取るの?」ってぐらいに、概ねBOXセット集め趣味は疎ましいもののようだ。椎名林檎について熱弁されるぐらい鬱陶しい……つまり、BOXセットは男達につい哲学を語らせてしまうほどの魔力があるってことなのだ。
 渋谷系に関するエントリーでも書いたが、近年、圧倒的な知識を有する女性音楽ファンというのが増えたのは事実だと思うのだが、根本的に男女の性差で音楽の聴き方が違うのではないかと、思い当たることがよくある。「男は話をきかない。女は地図が読めない」とかいう本もベストセラーになったりしていたし。元々、脳の情報処理のフローが違うという説もある。
 例えば、“男聴き”のわかりいやすい例で言えば、裏ジャケの参加プレイヤーのクレジットを見て買うというパターンがある。私らフュージョン世代は、この典型だろう。無論これは、単なるブランド買いのスタープレイヤー信仰といった表面的な話じゃない。昔は、ヒット曲ならまだしも、マイナー系アーティストの新譜情報を得るには、雑誌を読むしか手段がなかった。しかも、店で試聴させてもらうのも、けっこう勇気がいった。だから、なけなしのお小遣いをはたいてその月の発売タイトルから1枚を買う時も、聞かずに買うわけだから、相当ギャンブル性が高かった。ハズレを買った月の後半は、それだけでブルーだった。で、それなりに知恵を巡らせて「失敗しない買い物術」を探求した結果、多くのリスナーが、“参加メン買い”というリスクヘッジ方法を編み出したのだ。『ミュージック・ライフ』にも、毎月、ギタリスト、ベーシスト、ドラマーなどのジャンル別の人気ランキングってのが載ってたのを覚えている御同輩もおられるだろう(なんで、ベーシスト・ランキングには毎回、山内テツが上位に入っていたのか謎だったが……)。今の若いリスナーにしてみれば、パート別で人気ランキングを取るという行為自体、理解を超えているかも知れぬ。でも、カリスマプレイヤーってのも確かにいたのだ。ウチの田舎に以前、本多俊之とバーニング・ウェイヴが来た時も、大半の客は、フューチャーリングで客演していた森園勝敏(元四人囃子)目的だったし。先日書いた、高橋幸宏氏の『サラヴァ!』に対するマスコミの無理解というのも、こうしたプレイヤー信仰の延長線上にあるもので、つまり「ドラマーなのに、なんでドラムテク披露じゃなくて歌ものなの?」という純粋な戸惑いから発せられたものだったと思う。いまどきは、コーネリアスみたいな一人バンドもずいぶん増えたし、ドラマーが歌もののソロを出したりすることは珍しくなくなったが、これは今日のレコーディング・システムが普及したおかげの話。YMO登場以前は、自分の頭の中にある理想のサウンドを実現するためには、名人と呼ばれるプレイヤーの手を借りねばならず、それが作品の品質にまで影響するような時代が、ずっと続いてきたのである。
 渋谷系ムーヴメントに、パンク登場と等しいほどの衝撃があったことは以前も書いた。それまで、音楽の聴き方はあくまで、「ミュージシャン→紹介者としてのジャーナリスト→リスナー」という一方通行でしかなかったし、音楽の進化の矢印は未来にのみ向いていた。ところがDJという存在が現れて、歴史やエリアをシャッフルして、驚くような組み合わせで、音楽の新たな楽しみ方を提示する秘術を編み出した。渋谷系アーティストというのは、こうした「楽器を弾かないクリエイター」の影響から、音楽の創作観を捉え直して、新たなクリエイト手法を生み出した作家群である。DJが選曲する曲というのも、これまでの名盤ガイドに載ってるような殿堂入り作品ばかりではなく、「3枚1000円」の安売りワゴンのLPの1曲からピックアップされたものもあった。また、組み合わせの妙が意外であればあるほど面白かった。パンク登場はフュージョンAORへの憎悪であり、マッドチェスターのマッチョ志向はそれ以前の文化系アノラックに対する肉体回帰であったりと、これまでのロックの進化史は、ほとんどが“親殺しの歴史”だったと言っていい。DJの存在は、親どころか皆殺しのようなもので、だからこそ親に反抗するだけのパンクより、過激な存在に映ったのかもしれない。あの時代に登場したDJは、レゲエのDJみたいに選曲すべてに「リスペクト」があったわけじゃないと思う。だからこそ、あんなに選曲が面白くなったんだろうと思うところがある。
 以前、音楽雑誌の『Techii』編集部にいた時のこと。毎月、女性ファンからの坂本龍一氏や高橋幸宏氏へのファンレターやペンパル募集、イラストなどがたくさん届いたが、例えば「私は幸宏さんの大ファンです!(略)今度、アルバムも聴いてみたいと思っています」という主旨の投稿が、意外なほど多かったことを記憶している。「アルバム聞いてないのに、大ファンて……」と、当時の私はそれを一蹴していたと思う。だが、対象への愛というのは、その馴れ初めが一番ドキドキすることを今の私は知っている。興味を持ったアーティストのすべてを知ってからじゃなきゃ、語っちゃいけないという原理主義は、やはり男特有のものかも知れない。「私、これ好きかも?」という聴き始めの思いも、やがて対象を知っていくごとに、「やっぱ、そんなに好きじゃないかも?」という思いに至ってしまう。そんなに掘っても掘っても魅惑が尽きない天才なんてそうそういないから。対象を知りすぎた時には、初期に感じた衝動のインパクトなんて忘れてしまってる。そんな、勉強に邁進して快楽をないがしろにしてきた過去があるから、今の私は、若葉マークのリスナーの声にできるだけ耳を傾けるようにしている。今の私はもっと直感を信じる。だから、逆に若葉マークのリスナーが、若いのにストーンズデリダラカンバウハウスだと、自分の発言をブランドで彩る時のウソも、直感で見破る。例えば近田春夫氏の『考えるヒット』のアプローチも、『気分は歌謡曲』時代の分析手法をくぐり抜けた後の、「脱分析」の地平で語っているからこそ価値があるんだと思う(あくまで考え方はってことで)。
 高校時代から友達にマイテープを作ってあげたりしていた自分のような人間にとって、選曲が職業として市民権を得るというのは痛快ではある(だから編集者になったんだと思うが)。しかし、エリアや時代の攪乱は、必ず歴史軽視を生む。パンクや渋谷系の生起をとことん考えていくには、やはりDJ的センスだけでは本質には迫れない、歴史観や親殺しの痛みのようなものに、気付かねばならないところがある。無論、90年代初頭は、過去の名作のヒエラルキーにつばを吐き、万物をカタログ化することがなによりパンクで痛快だったが、でも2006年にそれと同じことをやってちゃダメでしょ、やっぱり。それ、15年前の批評スタイルなんだからさ。自己愛の産物なのだろうけど、あまりに美化された「ネオアコカタログ」ばかりがあっても、居心地が悪く感じてしまうのは、そうした思いがあるからだ。
 で、男達がBOXセットにひた走る動機は、やはりそんな歴史軽視の時代にあって、体系立てて対象を理解したいという思いの現れなんだろう。20年ぐらい前までは、レコード店と言えばあくまでアイドル好きの10代の客が主役だった。ところが、90年代初頭にヴァージンメガストアが登場して、週末にネクタイ族がCDを10枚ぐらい積み上げてレジで精算する光景をよく見るようになった。こうした現象は、後に「大人買い」と呼ばれるようになったが、あれは昔買えなかった、レンタルで我慢していた青年期の自分への敵討ちのようなものなんだろう。そして、そんな中年購買者向けに価格設定されたのが、BOXセットだったのだ。イエスキング・クリムゾンビーチ・ボーイズといったパンフ付き豪華化粧箱入りのBOXセットの名作が、次々と登場した時は息を呑んだ。どれもこれも、安っぽいベスト盤とは桁違いの、グラミー賞狙いぐらい気張った考古学的価値をもったものばかり。値段が数万円というのは、それまで通販の全集にしか存在しない「商品としてありえない値段」とずっと言われてきたものだ。先ほどのDJとは別の新職業として、ライノレコードなどの仕事に触発された、分析、解析主体の選曲家や音楽歴史家という存在がやがて登場してくることになった。実際、私の友人たちのチーム「土龍団」のような、復刻ものの信頼のブランドもある。「ロックの考古学」と呼べるものであるから、未発表曲がどれだけフィーチャーされるかにも醍醐味があった。それを2〜3枚組程度のベスト盤に入れられると、ちょっとあざとい感じがある。だが、分厚い研究書にその発掘の詳細が書かれたBOX仕様によって、オーディエンス録音やチープなデモテープでも、原石の輝きを持たせることができた。
 そんな送り手側の変化だけでなく、リスナー側の歴史観の変遷というのもある。年を取っていくと、自分が青春を送った時代そのものを愛するようになるんだな。好きだったバンドだけじゃなくて、ライバルのバンドも含めて。それまでノーマークだったライバルバンドを知るきっかけとして、ベスト盤1枚じゃ申し訳ないから、本格的BOXセットをどーんと買って古くからのファンの気持ちで接してみる。すると、たいてい「いいじゃない」という発見があったりするのだ。
 だが、日本盤のBOXセットについては、少々ややこしい状況がある。海外のBOXは売り切りだから、大量に作って安く売るということができる。だが、日本では「再販価格維持商品」であるために、豪華化粧箱入りなどの商品は、返品時の破損が酷くなるため、回収後のリセールが難しく、できるだけ予約注文分のみで少なめに作るケースが多い。だから、BOXもけっこう値が張るものが多い。よほど量産できるものなら別だが、普通の人気のアーティストのBOXセットの場合、リスクヘッジのために予約注文のみで完売してしまうことがよくある。後から「いけね、今日発売日だった」と思ってレコード店に行っても、もうディスプレイは片づいており、あわててamazonにアクセスしてもすでに完売で、隣のマーケットプレイスにはデカデカと倍以上の値段での中古出品者が列をなしていたりする。あれもまた、その値段で買えればいいやって買っちゃう人が多いから廃れないんだと。かく言う私も実はその一人だったりして……(笑)。以前、ピンク・レディーのBOXセットが出た時に、発売日に店に行ったら「予約注文分で完売しちゃったので、展示分は1枚もないんです」と言われたという体験をして以降、ちょっと気になるものがあるとamazonで予約を入れて買うようになった。そのおかげで、聞かずに封そのままで置いてあるBOXがどれだけあることか(笑)。
 ともあれ、限定品だからいいところもある(ピチカート・ファイヴ小西康陽氏は、iTMSの「廃盤という概念がなくなる」という歓迎すべきコンセプトに対し、「人は廃盤がないとレコードを買わない」という超越論を残している)。中古レコード店でも、BOXセットのコーナーは宝探しの山って感じだし、次に行っても必ず買われちゃってるっていうほど、一期一会のものである。最近では落ち着いたが、一時は景気に任せて相当クレイジーな迷作級のBOXセットもたくさん出ていた。そこで今回、入手可能ものや、名作と言われるものを除いて、ウチにあるオモロなBOXセットをざっと紹介してみることにした。そこにしか入っていない曲の情報などは、それなりに役に立つものだろう。
 私はと言うと、CDのBOXへの偏愛は今は少々落ち着いた感じなのだが、現在進行形で増え続けているのは、DVD BOXのほうである。テープレコーダーに台詞を録音して何度も聞いた、昔大好きだった名作ドラマが、全話まとめて買えちゃったり所有できたりする感動。ちょっとした地方局(例えばサンテレビとかびわこテレビとか)を手に入れるぐらいの喜びだ。仕事で辛い思いをした時に、BOXを観て少年期に却ってリフレッシュできるのが、なによりの薬になったりする。「2〜3万円で買える家宝」と思えば、決して高い買い物じゃない。
 だから、男のこのビミョ〜なオトメ心、わかってちゃぶ台。



XTCトランジスター・ブラスト〜ザ・ベスト・オブ・ザ・BBCセッションズ』(ポニーキャニオン・インターナショナル)(98)

4枚組のうち、1、2はスタジオ・ライヴ集で、以前BBCレーベルから1枚もので出ていたのとは選曲違い。3、4がラジオ中継された、ロンドン・パリス・シアター(78、79年)と、ハマー・スミス・オデオン(80年)をそれぞれ収録。XTCは『イングリッシュ・セツルメント』直後のアメリカツアーで、アンディのステージフライト(ステージ恐怖症)からツアーを辞めてしまうが、本作には『スカイラーキング』『オレンジズ&レモンズ』時代のスタジオ・ライヴも入っている。スタジオ内という安全圏にいるからか、アンディの弾けっぷりは往時と変わらない。

XTC『Coat Of Many Cupboards』(Virgin)(02)

こちらはヴァージン音源を中心に、レアトラックスを中心に集めたBOX。CBS用として録音された「サイエンス・フリクション」のデモなどは衝撃的な音源。『ザ・ビッグ・エキスプレス』以降、リン・ドラムを導入してのアンディ・パートリッジのデモ作成は異常に完成度が高く、(録音は別として)ほとんどヴァージョンは完成版と甲乙付け難し。クレジットに載っていない隠れトラック曲もある。しかし、ポニーキャニオン移籍後に出た『ファジー・ヴォーブル』シリーズも含め、これだけデモやライヴが発掘されているのに、昔ビクターから出たピックアップ・シリーズに入っていた「セット・マイセルフ・オン・ファイアー」のライヴはなぜCD化されないのか?(有頂天「フーチュラ」はこれの影響大)。そういえば、XTCの初期のデモはブートレッグで10枚ぐらい音質のいいのがでているが、あれは喧嘩して分かれた初期のマネジャーが流したものらしい。

ビーチ・ボーイズ『カリフォルニアより愛を込めて』(東芝EMI

80年代末にLP BOXで出た7枚組のCD化。1〜6が「ココモ」までの全アルバム、シングルからの編集で、後の『ビーチ・ボーイズ・ボックス』のような未発表曲への配慮はゼロ(そういう時代の産物である)。7のみ、ブライアン・ウィルソン・プロダクションという珍しいプロデュース作品集で、入手困難なシングルも多かったから役に立った。特筆すべきは、『ペット・サウンズ』からの全曲が、国内オリジナル・リリース時のデュオフォニック・ステレオで収録されていること。ブライアンは幼児期の体罰で片耳が聞こえず、ステレオ時代になってもビーチ・ボーイズ作品はモノーラルで制作されていたため、オーディオを売りたいメーカーが、それを位相処理して疑似ステレオ化したものがLPとして売られていたのだ。この疑似ステレオが初体験だった世代にとっては、後のトゥルー・ステレオ版『ペット・サウンズ』は別物という印象がある。この疑似ステレオ・ミックスは、本作以降のベストやBOXには収録されていない。

『ZTT BOX』(ZTT)(02)

イギリスでプレス向けに限定発売されたもの。8枚組の新リマスターによるデジパック仕様。内容はボートラなしのアート・オブ・ノイズプロパガンダフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドのオリジナル復刻に、当時一般リリースされたフランキーのベスト、12inch集の編集盤2枚を加えたもの。プロパガンダ『Wishful Thinking』のリマスター盤のみ、単独発売されていないので本セットでしか聴けない。

ジェームズ・チャンス『Iresistible Impluse』(Tiger Style Records)(02)

現行BOXとは内容違いの、最初のCD化。チャンス〜ホワイト時代の全アルバムと、未発表ライヴで構成。

『Archives GRM』(INA-GRM)(04)

フランスの名門実験音楽スタジオ「INA」の30周年記念BOX。その前身に当たる、40年代末にフランス国営放送内にあったRTF実験音楽スタジオからのミュージック・コンクレート〜電子音楽の歴史を、5枚組のCDにまとめたもの。ジャズ畑のアンドレ・オデールがRTFで録音した「ジャズはジャズ」で幕をあける非アカデミズムへの受容性がフランス実験音楽の魅力で、ロバート・ワイアットまで収録している。ブーレーズの珍しいミュージック・コンクレート時代の習作「エチュード」、クセナキス「コンクレP・H」、ヴァレーズ「砂漠」ほか、メシアンシェフェール、リュク・フェラーリ、ベルナルド・パルベジアニなど、仏系作家を網羅。パッケージは地味だが、内容は楽しい。

オノ・ヨーコ『ONO BOX』(RYKO)

ザッパの復刻でおなじみライコの傑作BOX。『トゥー・ヴァージンズ』から『ダブル・ファンタジー』『ミルク・アンド・ハニー』などのジョン・レノンとの連名作品から、オノ・ヨーコの曲のみを抜粋してBOXを作るアイデアなど、誰が想像し得ようか。小泉今日子もカヴァーした「女性上位万歳」などのシングル曲のほか、『スター・ピース』までほぼ全曲を6枚組に収録。1はロンドン時代だが、クラプトンやリンゴ、クラウス・ヴァーマンが参加したジャムはまるでノー・ウェーヴ。おなじみの喘ぎ声や「レボリューションNo.9」みたいなミュージック・コンクレートも入っている。私は『レノン・ボックス』よりこっちのほうをよく聴く。

『Brain In A Box The Science Fiction Collection』(Rhino)(00)

玩具みたいな装丁から「キッズライノ?」と思われるだろうがさにあらず。CD5枚組で、SF映画音楽やSFにインスパイアされた名曲(ノベルティ含む)をテーマごとに集めたもの。1は映画音楽編で、『2001年宇宙の旅』『タイム・マシーン』(曲はラス・ガルシアなのだ)、『猿の惑星』や、初CD化のギル・メル『アンドロメダ…』などの電子音楽ゆかりの曲を網羅。2は『ミステリー・ゾーン』『アウター・リミッツ』『世にも不思議な物語』からイギリスの『ドクターWHO』『サンダーバード』まで集めたテレビ主題曲集。3は、ジミー・ハスケル『Brast Off!』(初CD化)やトルネードス「テルスター」、ロザー&ザ・ハンド・ピープル、ゼイ・マイト・ビー・ジャイアンツなどのSFマインドを持つロック・ポップス編。4はラウンジ編で、ディック・ハイマン、サンラー、レイモンド・スコット、ペリー&キングスレイ、フランク・コー、サミュアル・ホフマンなど、初CD化音源を大結集。5はノベルティ編で、ブキャナン&グッドマンやルイス・プリマからB-52'sなどの語り物を集めている。

ブライアン・イーノ『Vocal』『Instrumental』(Virgin)

イーノのボーカル曲、インストゥルメンタル曲をそれぞれ分けて、各3枚組でBOX化したもの。過渡期の『アナザー・グリーン・ワールド』などは、2つの傾向を真っ二つに分けて収録するという徹底したコンセプト主義で編集されている。シングル曲やプレス向けヴァージョンなどの珍しいヴァージョンも。加えて、デヴィッド・バーンとの『ブッシュ・オブ・ゴースツ』、ローデリウスメビウスクラスターといった連名作品からも抜粋されているのが嬉しい。

ネイキッド・シティ『Naked City』(TZADIK)

これは近作だが、ツァディックからのリリース点数が多すぎて逆に出てたのを知らない人もいたので念のため。ノンサッチ〜アヴァント〜トイズ・ファクトリーとレーベルを超えて集めた全曲集。「NYフラット・トップス・ボックス」のような重複曲は、流れがあるからそのままいじらず。5枚組のうち、『グランギニュール』のみボーナス音源として、マイク・パットンの歌唱ヴァージョンが初公開された。そういえば告知されているライヴのVol.2はいつ出るんだろう。それと、『ステップ・アクロス・ザ・ボーダー』もDVD化されたから、次はWOWOWで流れたNYライヴを商品化して欲しい。あれは凄い。

『3×20(Colours)』(新星堂

これはみんなが持っていた、クレプスキュールの日本発売元だった新星堂から出たギターポップネオアコ系コンピレーションBOX。高価だった珍しいシングル曲も入ってCD3枚で5000円は破格だった。制作は英国のキャロライン・インターナショナル。バースデイ・パーティのミュート時代のシングル、ペイル・ファウンテンズ「ジャスト・ア・ガール」、ムード・シックス「アイ・ソー・ザ・ライト」(トッド・ラングレンのカヴァー)、ザ・ヒット・パレード「フォー・エヴァー」などのレアトラックのほか、シャック、ルイ・フィリップモーマス、EBTG、スミスなどを網羅。ロバート・ワイアット「メモリーズ・オブ・ユー」で終幕する構成に泣ける。

『The Early Gurus Of Electronic Music 1948〜1980 SPECIAL EDITION』(ellipsis arts……)

電子音楽 in the (lost)world』でも紹介している同コンピレーションBOXのDVD付きの再発盤。DVDもCD同様、アカデミズム〜ポピュラーを横断したセレクションで、クララ・ロックモア、ケージ、ライヒモートン・スボトニック、ホルガー・シューカイ、ベベ・バロン、レオン・テルミンクセナキス、ミルトン・バビット、ジョン・チョウニング、マックス・マシューズ、マザー・マラード、映画『モーグ』抜粋と、貴重な演奏、イメージ映像、インタビューが収録されている。現在はDVDのみ単独商品化。

テレックス『Belgium ...One Point』(Team for Action)(93)

78〜86年までのオリジナル・アルバムとそのシングル・ヴァージョン、B面曲を集めたBOX。国ごとに別編集で出た『Sex』『Birds And Bees』は重複曲を外して1枚に、『Neurovision』はミックスも違う英語版、仏語版ともに収録(仏語版にはリオのナレーション入り)。ちなみに、表題は悪名高きユーロヴィジョンコンテストに彼らが出演して最低点を取ったときの「ベルギー選手、1点」というウグイス嬢の台詞から取られたもので、わざわざその声を1曲として本編に収録している。『Windeful World』からのシングルば別ミックスが多いのだが、『Loony Tunes』との1枚化のためにこれらは割愛されている。ちなみに、リリース時期からお察しの方もおられるかも知れないが、私がプロデュースした『イズ・リリース・ユーモア?』からも収録したいとオファーがあったのだが、こちらのリリースが先になることがわかっていたため、レコード会社判断で収録されなかった。

ジェリーフィッシュジェリーフィッシュ・ファンクラブ』(Not Lame)(02)

ジェリーフィッシュのヴァージンから出た正規リリース音源以外の、アルバム全曲分のデモ、ライヴを収めた画期的4枚組BOX。1は『ベリーバトゥン』デモ、2は同ライヴ、3は『こぼれたミルクでなかないで』デモ、4が同ライヴで構成。『こぼれた』のデモは、日本独自企画でリリースされたマキシなどでも紹介されていたもの。マイ・ブラッディ・バレンタインのパロディー曲で、キーが違う「All Is Forgiven」は、何度聞いてもデモのほうに軍配が上がる。ウィスパーカード風の発売時のラジオ向けナレーションまで入っていて、彼らがいかにアイドルとしても人気があったかを再認識。4にはピンク・レディー「SOS」カヴァーが2ヴァージョン入っているが、解説文にも書かれているこの後者の演奏が披露された日本のバラエティ番組というのは、ダウンタウン『ごっつうえぇ感じ』のこと。

バート・バカラック『The Look Of Love The Burt Bacharach Collection』(Rhino)(98)

なぜか日本盤が出なかった、レーベルを超えて集めたオリジナル歌手音源による3枚組のバカラック・ソングブック。パトリック・ミリガン選曲。

バート・バカラック『Something Big』(A&M

ソロ名義で出たA&M音源をコンプリートに集めたもの。今年すべてが単独でCD化されたが、『イン・コンサート』や後期のアルバムはこれが初CD化だった。実は隠れファンも多いキャップ時代の唯一のアルバム(ジミー・ペイジジョン・ポール・ジョーンズが参加していて、ちょっとガレージ風演奏)もまるまる収録。

ゾンビーズ『Zombie Heaven』(Big Beat)

日本では人気があるため、様々な編集版がこれまでも出ていたが、これが真打ち。『ビギン・ヒア』とシングルを集めた1、『オデッセイ&オラクルズ』と後期の未発表アルバム音源の2、デモ&リハーサルの3、BBCライヴから抜粋した4で構成。BBCライヴは、以前アナログで出たものがCD化されたが、なぜか盤起こしだったので、オリジナル・マスターからのディスク化には喜んだ。

シド・バレット『Crazy Diamond』(EMI)(93)

合掌。表題は脱退後のピンク・フロイドが歌ったヒット曲で、ダイアモンドとはシドのこと。オリジナル・アルバム2枚に、発掘音源集『オペル』を併せた3枚組。オフィシャル盤なのに、聞いていてブートレグのような後ろめたさに襲われる魔のBOX。

ピーター・セラーズ『A Celebration Of Sellers』(EMI)(93)

映画『ピーター・セラーズの愛し方』や『ピンク・パンサー』シリーズのDVD復刻で近年再評価されるセラーズの、レコード・アーティスト時代の音源をまとめた4枚組。ビートルズ以前のジョージ・マーティン制作のギミック・レコードの世界が堪能できる。ヒットしたソフィア・ローレンとの『Peter And Sohia』、シングルで出たビートルズのカヴァーといったアルバム未収録曲はもちろんのこと、ホリーズとのデュオ「アフター・ザ・フォックス」(『紳士泥棒ゴールデン作戦』)など、他社音源も網羅。

トーキング・ヘッズ『Once In A Lifetime』(EMI)

最近、ジェリー・ハリスンが5.1chサラウンドミックスを手掛けた全フル・アルバムBOXが出たばかりだが、そのわずか1年前にこっそり出ていた3枚組のBOX。シングル、アウトテイクなども、現在は全曲が最新BOXに含まれるためインパクト薄なのだが、ボーナスディスクとして、過去にLDで出ていたPV集『ストーリーテリングジャイアント』がDVDで付いていたのがお得だった。

ニュー・オーダー『Retro』(London)(02)

ワーナーから日本盤も出ていた、4枚組のベストの英国初回盤。予約者のみ、もう1枚ディスクが付いており、「テンプテーション98」や「パーフェクト・キッス」のジョナサン・デミ監督のPVヴァージョンなどが収録されている。

『Hanna-Barbera's Pic-A Nic Basket Of Cartoon Classics』(Rhino

単独リリースされていた、『原始家族』でおなじみハンナ=バーベラのキッズライノからのサントラ関連盤をワンセットにBOX化。『Hanna-Barbera Classics Volume 2』のみ本BOX用に制作されたもので、単独商品化されていない。SE集は、コント御用達の1枚だが、別編集の4万円ぐらいの高価なプロユース版もある。

サンダーバード秘密基地セット』(バンダイビジュアル

オリジナル吹き替えではなく、このために再録された3話分のステレオ・ラジオドラマと、それに使われた新録のBGM集に、今井科学のプラモデルのCM映像を収録したCDVを加えたBOX。BGMは、バリー・グレイのオリジナル・サントラが発掘される前の商品化だったので、スコア版とはいえ貴重だった。湯浅徹氏のスコア採録による新録の主題歌は、テレビ東京オンエア分で使用されたもので、オリジナル・カラオケも収録。のちにBGM集のみが、単独リリースされた。

冨田勲ジャングル大帝』(バンダイ・ミュージック)(99)

バンダイがレコード・ビジネスに参入した時期に、「エモーション・コレクターズThe Original Masterシリーズ第一弾」として出された4枚組の劇伴集。虫プロの倉庫から全52話分、100本の6ミリテープが発見され、それを編集した初商品化。だが、作曲家に無許可での販売であったためクレームが付き、初回分のみで店頭回収されたらしい。業界紙などにも告知された第二弾『リボンの騎士』BOXも中止された。ただしこの本作、モノーラルのオリジナルテープを、わざわざ位相処理した疑似ステレオで収録しており、これが品質的に粗悪なもので、ずっと聴いていると酔いが回ってくる。同社はほか、手塚プロ倉庫から発見されたテープ素材から『24時間テレビ手塚アニメ』のオムニバスも出しているのだが、こちらもトミー・スナイダー『ザ・マリン・エクスプレス』などの曲を日本コロムビアからマスターテープを取り寄せず、保存用の孫コピーを商品化したために、悪評噴飯ものであった。

『TVタイムマシーン』(東芝EMI)(00)

泉麻人みうらじゅん解説による通販限定商品。山下毅雄『クイズ・タイムショック』『時間ですよ』や『ゲバゲバ90分』『ムー』『カリキュラマシーン』『徹子の部屋』(なんと作曲はいずみたく)、『デンセンマンの電線音頭』『笑点』など、懐かしTV系BOXと言えばアニメ特撮ものが多かった中で、一般作を中心に編んだものはありがたかった。未レコード化作品は、モノーラルのオリジナル音源を収録。だが、単独リリースものも増えたため、ここでしか聴けないものはない。『ちょっとマイウエイ』『熱中時代刑事編』『西遊記』など、なぜか日本テレビ系作品が多め。ハンナ・バーベラ・アニメの日本語版主題歌が入ってたりするのは、選曲者のN氏が過去に手掛けた同オムニバスからの再録である。ほか、「やつらの足音のバラード」(『はじめ人間ギャートルズ』)『走れ!ケー100』(にしきのあきら)、『水もれ甲介』(石立鉄男)など、復刻される機会が少ないCBSソニー音源が多めなのがありがたい。

『J-Rock 80's』(東芝EMI)(97)

通販限定商品で、選曲・監修は『音楽と人』編集長時代の市川哲史氏。ブックレットには、大槻ケンヂ氏、『宝島』編集長だった関川誠氏との鼎談を収録。YMOから幕を開ける80年代のロック史をまとめた8枚組だが、メジャー音源からの編集でありながら、リアル・フィッシュ、デル・ジベット、ピンナップス、ノーコメンツ、グンジョーガクレヨン、INU突然段ボールなどのマイナーバンドを大結集。アルファ〜YENレーベルをまとめた1でも、「War Heads」「スポーツ・マン」「前兆」とYMO3人のソロを並べる配慮ぶり。ルースターズなら「CMC」、P-modelは「Perspective」という、らしい選曲が頼もしい。未CD化音源として、一風堂見岳章ソロ・シングル「君は完璧さ」、モモヨ「モスラの歌」、Shi-Shonen「今天好」などを収録。今は入手困難な坂本龍一「フォトムジーク」が選ばれているのもありがたいだろう。

矢野顕子『やのミュージック』(やのミュージック)(88)

今月、3枚組(+DVDのPV集)のベストが出る矢野顕子だが、彼女の曲は事務所のやのミュージックが全原盤を所有。本作は日本フォノグラム時代の5タイトルの紙ジャケBOXで、当時のディレクターだった三浦光紀氏が徳間ジャパンから復刻する前に、矢野顕子ファンクラブのみでCD販売された。アートディレクションは、通販商品だった『ブローチ』と同じく立花ハジメ。シングルのみだったアグネス・チャンのカヴァー「妖精の詩」、「Hello There」などを収録したボーナス・ディスクには、ミディ時代の「在広東少年」「あしたこそあなた」も収録されている。

『50thアニヴァーサリー・ゴジラサウンドトラック・パーフェクト・コレクション BOX3』(東宝ミュージック)(05)

通販オンリーの『ゴジラ』コンプリートBOXの第3弾。以前、ユーメックスから出ていた1作=1枚と同じ構成だが、ボーナス曲やシングル曲も加えた最終ヴァージョンになっている。この時期になると、ゴジラが善玉になってドラマも子供向けになるが、音楽は伊福部昭のオリジナルから離れてアップ・トゥ・デイトな傾向が表れており、『ゴジラ対メカゴジラ』のビッグ・バンド×沖縄音階という佐藤勝のアイデアは、未だに私を魅了する。また、私の敬愛する傍流音楽家真鍋理一郎ゴジラ対ヘドラ』『ゴジラ対メガロ』などのサイケデリックサウンド時代も本ボックスに集中。BOXは各巻に、東宝レコード時代の『ゴジラ』1〜3の完全復刻盤がそれぞれに1枚づつボーナスディスクが付いているが、こちらはレコード化に際し微妙なエコー処理が施されており、オリジナルLP世代の私らにはこのCD化はありがたかった(キングからCD化された東宝レコード復刻は『1』のみ)。

渡辺香津美『Better Days Years』(コロムビアミュージックエンタテインメント

ベターデイズ時代の8枚のリマスター盤に、初CD化の『ヴィレッジ・イン・バブルス』が加わった9枚組BOXで8400円の流血価格。とにかく香津美氏の作曲能力を高く評価している私には、何年かに一度お世話になっている原点のようなもの。アルファ時代のもなにげに全部CD化されていて、一応持っていたりする。

サディスティック・ミカ・バンドサディスティック・ミカ・バンドCD BOX』(東芝EMI

初CD化BOX。4枚のオリジナルに、ファーストに初回限定で付属していた「レコーディング・データ」と、解散後のベスト『ベスト・メニュー!』に入っていた「ハイ・ベイビー」「お花見ブギ」「マダマダ・サンバ」の共立講堂ライヴを集めたシングルCDが付属。

ゴダイゴ『15th Anniversary Godiego Box』(日本コロムビア

未だにCD復刻にレコード会社が消極的なゴダイゴの音源をまとめて聴ける名作BOX。監修は私の『宝島』時代の先輩だった元『ロック・ステディ』編集長だった市川清師氏と、中村俊夫氏の2人。ブックレットのタケ、ミッキー対談や、シングル、参加盤を含むオールカラーのジャケット・ギャラリーが貴重。全10枚組のうち、1〜4が全作品のヒストリー。5が日本語ヴァージョン集(やっぱ、これを一番よく聴く)。『CMソング・グラフィティ』のVol.1、2から抜粋したCM編、『マジック・カプセル』〜『インターミッション』から集めたライヴ編、『いろはのい』『ハウス』『男たちの旅路』『遙かなる走路』などのミッキー吉野グループも含む映像音楽編、メンバーソロ編、「テイキング・オフ」(『銀河鉄道999』)やトミー・スナイダー歌唱「水滸伝のテーマ」「ザ・マリン・エクスプレス」などのB面曲を集めたレアトラック編で構成。ちなみに、リリース当時「あれ? あの曲が抜けてる」と思っていたタケカワユキヒデキャプテン・フューチャー」と『カレイド・スコープ』は、現在無事CD化されている。

大瀧詠一『ナイアガラCD BOOK I』『ナイアガラBLACK BOOK』(CBSソニー

前者は8枚組、後者は4枚組のナイアガラレーベルの完全復刻企画。同デザインのLP BOXの復刻かと思いきや、編集やミックスが所々変えてある。後者の内容を説明しておくと、シリア・ポール『夢であえたら』、大瀧詠一『Debut』、『レッツ・オンド・アゲインSpecial』、多羅尾伴内楽団の編集盤。ご存じの方も多いと思うが、前者収録のシュガー・ベイブは、『ア・ロング・ヴァケーション』の名匠・吉田保のリミックス版(単独リリースもされた)で、これは山下達郎氏の判断で現在は封印されているため復刻の可能性は薄い。ほか、有名なウォークマン・コンサートからの「指切り」(初期ナンバーを『ア・ロング・ヴァケーション』のゴージャスな編曲で再演)は貴重なり。大瀧詠一さくらももこと共同出資したレコード会社「ダブル・オー」から本BOXが復刻される話もあったが流れてしまった。しかし、復刻されてもまた編集を変えるだろうから、生涯手放せないだろう。

『J-ロックの細道 日本ロックの軌跡〜70年代名盤セレクション』(ポニーキャニオン)(02)

湯浅学監修の10枚組、通販限定商品。はっぴいえんど四人囃子頭脳警察〜ジャックスから、スペクトラムあたりまで網羅した、これこそ欲しかったロック専科CD BOX。チャーなら「スモーキー」、かまやつひろしなら「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」、鈴木茂「100ワットの恋人」はハックルバック・ヴァージョンと、選曲も独自。ごまのはえ、布谷文夫、もんたよしのり、ファーラウトなどの唯一のシングル、四人囃子「レディ・ヴァイオレッタ」もシングル・ヴァージョンなど、テイク選びも抜かりなし。

『怪獣王 日本SF・幻想映画音楽集』(キング)(93)

ゴジラガメラ大巨獣ガッパ大魔神など、映画会社を超えて集めた、日本のSF映画サウンドトラックをCD9枚組でまとめたもの。『ゴジラVSキングギドラ』の伊福部昭のレコーディング風景を収めたミニ・レーザーディスクがオマケで付いた。SF映画といってもかなり広義で集めており、『クレージーだよ奇想天外』『コント55号宇宙大冒険』などの珍音源から、『江戸川乱歩 恐怖奇形人間』『ノストラダムスの大予言』などの封印作品も。時代劇ホラーだけで1枚というヴォリュームに圧倒される。深町純火の鳥』、ゴダイゴ『ハウス』など、未だにCD化されておらず、本BOXでしか聴けない音源も多い。

東宝チャンピオンまつり』(バップ)(01)

善玉ゴジラ時代の『オール怪獣大進撃』に始まり、『惑星大戦争』で終わる、夏休み、春休みに公開された子供向け東宝SF映画のみを集めたコンセプチュアルなBOX。ブックレットには、オリジナル音源のジャケ写を取りこぼしなく収録するなど、尋常じゃない出来。冨田勲ノストラダムスの大予言』は、本編がお蔵入りなのに、こちらはステレオの東宝レコード版、モノーラルのバップ版両方を完全収録。『ブルークリスマス』は、佐藤勝全集CDに抜粋収録されていたが、キャニオンから出ていた正規サントラにかなりのヴォリュームを追加。ここでも『血を吸う』シリーズ、『狼の紋章』など、真鍋理一郎が大々的にフィーチャーされていて、ファンの私も狂喜乱舞。大野松雄電子音楽を担当した『惑星大戦争』も、ビクター版が廃盤になってしまったので、収録に喜ぶ人も多かったはず。

四人囃子『フロム・ザ・ヴォルツ』(ピー・エス・シー)

岡井大二氏が初期にプロデュースしていたL-Rの縁などがあり、プロデュースはポリスター牧村憲一氏。メンバー秘蔵音源や、ファンからインターネットで集めた貴重なオーディエンス録音から集めた、全曲初商品化音源の5枚組。MZA有明の再結成ライヴも、商品化された『フルハウス・マチネ』とは別日から選ばれている。写真はディスク・ユニオン限定仕様の+1枚付きで、フランク・ザッパピンク・フロイド「シンバライン」の別テイクなどのカヴァー曲を収録。

はっぴいえんど『HAPPY END』(ZOOM)

URC、ベルウッドからのオリジナル3枚と『ライヴ はっぴいえんど』を含む4枚組で構成される初のBOXセット。なぜかインディーのZOOMからリリースされた。ところがこれ、『風街ろまん』『HAPPY END』はなんとマルチからリミックスされており、当時のファンからは賛否両論が出たという曰く付きのもの。エイベックスからの復刻でもスルーされているので、復刻の可能性も薄いと思われる。

『特撮・ヒーロー主題歌大全集』(コロムビアファミリークラブ)

キング、ビクター、テイチク、東芝などのライバル社から朝日ソノラマまで、各社のオリジナル音源を集めることを主眼に編集された10枚組の初のBOX(シリーズにアニメ編もある)。ゴダイゴ『小さなスーパーマンガンバロン』は入手困難なLPから3曲を収録。大場久美子の『コメットさん』など、ポピュラー系歌手の主題歌を収録しているのも特徴。『電子戦隊デンジマン』で終わる構成が、テクノポップ世代のハートをつかむ。

『Legends The Fusion Box』(日本音楽教育センター)

なんと、日本のフュージョンのみで構成された10枚組。選曲はディスクガイドなども出しているJフュージョン研究の第一人者、熊谷美広氏。渡辺貞夫松岡直也増尾好秋といった重鎮から、渡辺香津美松原正樹鈴木茂清水靖晃高中正義深町純大村憲司本多俊之鳥山雄司など、既発音源とはいえズラッと並ぶと壮観である。珍しい音源としては、村上秀一大村憲司プロデュースで出したテクノ曲「Latin Stuff」、成田忍が在籍していた99.99、沢井原児&ベーコンエッグ、羅麗若、ペッカー「KYLYN」あたりか。歴史の後半あたりになると、坂本龍一千のナイフ』、Wha-ha-ha、カラード・ミュージック、土方隆行、マライアに、YMOまできちっと抑えている。ブックレットのカシオペア対談も貴重。

P-model『太陽系亜種音』(ケイオスユニオン)

ファンクラブのみで発売された、ワーナー・パイオニア、ジャパン、アルファ、ポリドール、マグネット、コロムビア全時代の音源を集めた16枚組のBOX。『パースペクティヴII』『不許可曲集』などのカセット音源、「ソリッド・エアー・ダンス・ヴァージョン」に始まるフォノシート・シリーズ、「ヘヴナイザーのための例題」なる実験インスト、カセットマガジン『ヒルダ#3』からの「フィッシュソング」「七節男」の別ヴァージョンと、貴重な音源がてんこ盛り。『スキューバ』はカセット版、CD版、リサイクル版すべてがこれで揃う。凍結前の最終メンバーによるライヴも貴重。初回限定としてもう一枚CDがボーナスで付いており、田井中ソロなどが収録されている。そういえば、ヒカシューもCD BOXを出すという噂があったのだが、あれはどうなったのだろう?


太田裕美太田裕美の軌跡〜first Quaeter〜』(ソニー・レコード)(99)

椎名林檎と言えば、私の中では太田裕美にそっくりなイメージがある。でもその話をしても、誰もピンとこないというのは何故だろう。本作はデビュー25周年記念に出た6枚組BOX。ブックレットも、筒美京平のインタビューが載っていたのが、当時はかなり貴重だった。ご主人の福岡知彦氏がディレクターを務めた、板倉文参加の『I Do.You Do』『TAMATEBAKO』からの曲は、CD初収録。現在はアルバムすべてCD化済みだが、同じく板倉文+Bananaによる最終マキシ・シングル「雨の音が聞こえる」の3曲は本作でしか聴けない。ムーンライダーズの「サントリーワインレゼルブ」、くじら「ランドリー」の別バージョン、作曲者の板倉文氏の反対があってリリースされなかった、マライアの演奏によるフュージョン風の「葉桜のハイウエイ」「ステイションTOステイション」などが初公開された。

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『CADMUS le robot de l'espace』(Philips

ガリバー旅行記』などのラジオドラマを出している、フィリップスのカラー絵本着き10inchお話レコードの一枚。脚本はジャン・ジャック・オリヴァー、構成は『フィフィ大空をゆく』(65)などを手掛けている監督のアンリ・ガリュエル。音響構成をなんと、ディズニーランド「エレクトリカル・パレード」のテーマでおなじみジャン・ジャック・ペリーが担当している。米国移住前の仕事ゆえ、使用楽器は自国の電子楽器のルーツ、オンディオライン。だが、ワープ航法音、空中浮遊音などのSEから、サスペンス調のサウンドトラックまで、チープな音でも構成によってスリリングになることを証明している。声優陣は、ルシアン・ナットに、『悪魔のような女』の名脇役、ジャン・プロシャールほか。


ジャン・ジャック・ペリー『Prelude Au Sommeil』(Procédés Dormiphone)
Jean J.Perry/Prelude Au Sommeil

電子音楽 in the (lost)world』でも、米国移住前の『Musique Electronique Du Cosmos』などのオンディオライン時代のライブラリー盤を紹介しているが、これは刊行後に見つかった、同じく仏時代のディスク。「睡眠のための前奏曲」というタイトルでわかるようにミューザック使用を目的とした“睡眠のための音楽”で、AB面とも25分の長尺のニューエイジアンビエントが展開されている。ドローンによる絹ごし豆腐のような音はビロードのような繊細な煌めき。中間部にはファニーな映画のサウンドトラックのようなフレーズも登場する。



『奥斯卞電子琴音楽 第九集 大江東去』(Jiafeng Records Ltd.)(64)

台湾産のモーグ・ミュージック盤。表題曲は大衆歌謡作家、蘇東坡のペンによるもので、同曲を含む国内国外の映画音楽を集めて、バンドアンサンブル+ハモンドシンセサイザーで構成している。「クワイ河のマーチ(桂河大橋)」はムーギーなファンク、「雨にぬれても(虎豹小覇王)」は雨音をシミュレーションした可愛い演出やリリカルなメロディーの佳曲、「避暑地の出来事(畸戀)」はしっかりとしたリズムボックスサウンドで、かなりテレックスに迫る完成度。全編にミュート・トランペットを模したメロディーが被さり、ファニーな仕上がりの印象を残す。64年製造となっているが、シンセ誕生以前ゆえにクレジットはかなり怪しい。


ニュー・ソニック・アンサンブル 『カーペンターズ・イン・ニュー・サウンド』(CBSソニー)(74)
New Sonic Ensemble/Carpentars In New Sounds

同社の新感覚派のためのイージーリスニングを目指す、ニュー・ソニックシリーズの第1弾。カーペンターズの代表曲を、歌謡曲畑の編曲家・高田弘と、矢島賢夫人のオルガニスト田代ユリが編曲。『電子音楽 in JAPAN』でもインタビューを取り上げている、シンセ音楽評論家の和田則彦がマニュピレーターとして参加している、おそらく唯一のレコードである。楽器はミニ・コルグ700S、ローランドSH1000、SH3を使用。主たるアンサンブルには、ヤマハのエレクトーンSX-42が活躍している。「愛のプレリュード」「愛は夢の中に」「雨の日は月曜日は」など、実はアメリカでもモーグ・カヴァー盤の多いロジャー・ニコルズ作品が多めに選曲されているのが嬉しい。



エリック・シデイ『Musique Electronique』(Inter Art Music)(60)
Eric Sidey/Musique Electronique

モーグシンセサイザーのプロトタイプを購入した2人目の顧客として知られるTV、CM音楽家、シデイの英国時代の作品。30年代に実験音楽を始めた人で、ここでもオンド・マルトーノなどの黎明期の電子楽器を使ったポップな展開のミュージック・コンクレート曲を披露している。本作は78回転の10inchで、各曲が1分程度のライブラリー盤。「Sliding Thirds」パーカッションのループ・テープにブラスが交錯する渋い前衛曲。「Announcing」はオンド・マルトーノによるミニマルなフレーズに導かれ、黒澤映画のサスペンス曲風のリズムが展開する。「Space Agitato」はジョン・ケージの影響を受けたプリペアード・ピアノによる未来派風の曲。終幕を飾る「Mood Six」は驚くほどメロディーが伊福部昭しているのだが、ひょっとしてシデイは日本映画通だったのか?



『The Greater Antilles Sampler』(Antilles)(76)

アイランド、ヴァージンなど英国のアーティストを積極的に紹介していたアメリカのレーベル、アンティレスのコンピレーション盤。ニック・ドレイクスティーヴ・ウィンウッドグリムスなどのポップ系から、ジョン・ケージ(イーノプロデュースの「Experiencec #1」)、ドン・チェリー・トリオ、フリップ/イーノ、喜多嶋修(「弁財天」)など22曲を収録している。このうち、デヴィッド・ヴォーハウスのホワイト・ノイズ「Love Without Sound」のみ、なんとアルバムと別ヴァージョン。モノーラル・ミックスゆえ、シングル用として制作されていた発掘音源か? ちなみに、ホワイト・ノイズは第2作以降はシンフォニックな編成に変わるが、『An Electric Storm』時代のリズミックなサウンドは、大半がBBCラジオフォニック・ワークショップのデリア・ダービシャーの仕事だった模様。


失われし化石メディア、カセットテープの残した教訓

 過日、当時のスタッフが90年代初頭のフリッパーズ・ギターと彼らを取り巻く時代について記した、某ブログのことを紹介させていただいた。ひっそりと始まったと思っていたのは小生だけのようで、現在、某ジャンル別ランキングでは第2位という驚異のアクセス数を記録しているという(ちなみに第1位はオレンジレンジ関連)。8月25日の発売日を目前に、カウントダウンを迎えており、現在怒濤の更新が続いていて目が離せない。実は私、このブログを始めたのが縁で、先日、そのスタッフの方とお会いすることができたのだ。ええい、おわかりの方も多いだろうから書いちゃうけれど、当時のプロデューサーだったM氏である。山下達郎から、加藤和彦ヨーロッパ3部作、「い・け・な・いルージュマジック」にノンスタンダードレーベル、フリッパーズと、私の音楽遍歴は常にM氏の後ろ姿を追っかけてきたと言っても過言ではない。勝手ながら私だけ、氏を質問攻めにしながら、中学時代の自分に語って聞かせてやりたいほどの、幸せなひとときを過ごさせていただいた。さすが元戸田誠司氏のプロデューサーだけあって、ネット関連の事情に精通されており、ブリッパーズ・ブログを始めた理由などを聞くにつけ、流石ヒットメーカーは着眼点が違うと唸らせられた。某フリッパーズ・ブログも、次から次へと繰り出される当時の資料には刮目させられることばかりで、改めてスタッフやヴィジュアルチーム(コンテンポラリーの信藤三雄氏)が果たした役割が大きかったことを再確認した。CDの再発だけじゃわからない、写真と文字による歴史。ブログの重要性を再認識している今日このごろである。
 中でもフリッパーズ・ギターのデビュー前に作られた、カセットテープについては今や伝説となっている。実際はマスコミ関係者や友人配布用のものだったようで、三軒茶屋のフジヤマなどの自主制作の店でも見かけたことはなかったが、私がM氏と初めていっしょにお仕事をしたEXしかり(デモテープのラベルに書かれていたTAPE-Xから命名)、音楽界の伝説はいつも、一本のカセットテープから生まれてきたのだ。逆にデモテープを作らず、しょっぱなからプロ用のスタジオAで録音していたYMOなどは、いかに恵まれた環境にいたかがわかるだろう。
 カセットテープと言えば、実は私もかなりの物持ちなほうである。拙著『電子音楽 in the (lost)world』でも、この手のディスクガイドでは珍しく、ムーンライダーズ『マニア・マニエラ』や、VA『TRA』『東京1ダース』『GGPG』などのカセットテープ作品を取り上げている。電子音楽関連というルールで選んだものであるから、ジャンルを別とすればまだまだ紹介しきれないほどある。私の高校時代、坂本龍一『AVEC PIANO』(思索社)がヒットしたことが契機となり、本とカセットが合体した「カセットブック」がブームとして一世を風靡していたのだ。その後在籍した『宝島』でも、P-model『スキューバ』や、至福団、町田町蔵など、レコ倫のブラックリストにマークされているような過激なアーティストが、カセットメディアを利用してゲリラな形態で活動していた。テキストと音の組み合わせは、声明文を盛り込んだりといった、ミュージシャンのステートメントを表明するのに最適な形態だったのかも知れない。佐野元春VISITORS』だって、大胆なラップ・ミュージックへの転身は、その直前に小学館から出ていた実験的なカセットブック『エレクトリック・ガーデン』(後にCD化)があればこそだし。
 ただ今は、CDだDVDだのとニューメディアに押されぎみで、カセットテープは倉庫の奥に追いやられている状況だ。友達からも、捨てちゃえばいいじゃんとよく言われる。しかし、これらを私が捨てたら、いったい誰が後生に伝えることができるのか? レコードもレーザーディスクも、80年代中期の珍しいCDなども、半ば使命感を感じて保存している私。というのも、よくレコード会社からのCD復刻の際に「ジャケットを貸してくれ」と言われることが多いのだ。ご存じない方もおられるかも知れないが、レコード会社にオリジナルの盤が残っているケースはけっして多くはない。以前も紹介した、日比谷の国会図書館には戦後のレコードの8割が保存されているレコード資料室というのがあるのだが、ここでジャケットを撮影して、奥付に資料提供として同所の名前が入っている復刻CDも多い。だが、権利者の承認印が必要だったり、持ち出し禁止なので館内で撮影しなければならないなど、制限が多いために個人のコレクターから借りることのほうが今は多いかも知れない。以前は雑誌の懐メロ特集などで、中古レコードの老舗「えとせとら」のクレジットをよく見かけたが、出版社からの問い合わせが多すぎることを理由に、現在は買い取りorレンタル料支払いの形になっている。最近のディスクガイド本では、音楽評論家の立川直樹氏が私物のコレクションを寄贈して話題になった、金沢工業大学のレコードライブラリーから借りて撮影するケースも増えているらしい。
 ではなぜ、レコード会社には一切残っていないのか? これについては、複合的な理由がある。先日ビデオクリップ消失に関連して書いた「固定資産税」の対象となる問題で、廃盤タイトルを早期に処分するように命令が下るケースもある。あるいは、個人の私憤というのもあって、ある女性歌手の担当ディレクターが、喧嘩の末に移籍することとなり、それまで録っていたサウンドボード録音のライブやデモテープの一切合切を、個人の判断で処分したのを見たこともある。90年代に入ってからは、M&A(企業買収)による経営者交代が激しく、以前の事業計画が受け継がれないケースも多い。特にカタログの移動というのは素人にはわかりにくく、コロムビアミュージックエンタテインメントはすでにコロンビアのカタログを保有していないし(現在はソニー)、ビクターエンタテインメントだって、持ってるのは犬のニッパー君の肖像権だけで、同社のアイデンティティだったRCAビクターの膨大な洋楽カタログは、現在はBMGファンハウスに移っている。特にレコード会社は離職率が高い業界でもあるので、自社のカタログに通じている社員というのも少ないため、在野の研究家らが選曲などに関わるケースが増えてきているのはご存じだろう。放送局もしかり。例えばNHKで放送された『ヤングミュージックショー』などのライヴ音源も、権利上は第一放送権しか持っていないため、映像を自社倉庫で保存管理しても再使用できる保証はない。特にNHKはその意識が厳格なようで、放送後にさっさとテープを処分してしまうため、最近DVD化されている「少年ドラマシリーズ」などのソフト化も、大半が個人録画によるUマチック(1インチ幅のビデオカセット)素材や、海外支局に残されていたテープを元にしたものだったりするのだ。
 だから私もできるだけ、要望をいただいた時に答えられるよう、不要になっても捨てずに取っておくことにしている。国会図書館ですら、どうもDJなどの不届きものが和製レアグルーヴのレコードなどを拝借しちゃったりするような、インデックスには載ってるのに探したけど盤は見つからないという憤慨ものの話もあるという。あと、以前『エレクトロ・ポップス・オン・ビートルズ'80』というシンセ作品がCD復刻された時のケースも酷かった。80年代当時、まだカラーコピーが普及していなかったため、工場から上がってきたばかりのLPの白盤に、ジャケット写真のモノクロA4コピーを貼り付けたものをサンプルとして配るケースがよくあった。CD再発担当者は、それを正規のジャケットと勘違いしたのか、丁寧に撮影したモノクロの汚いコピーがCDジャケットで再現されていたのを見て、私は戦慄を覚えたものだ。
 カセットテープと言えば、最近、巷のオーディオ・コンポからドルビー機能が消えつつある。今どきならドルビーを知らない世代もいるかもしれない。テープ録音時に発生する「シャー」というヒスノイズを軽減するために、録音時と再生時に周波数圧縮をかけるドルビーというレコーディング技術があり、その機能がたいていの家庭用のコンポなどに搭載された時代があったのだ。しかし現在、コンポのたぐいは大半が安価な中国製のOEMパーツに頼っており、ドルビーの普及していない中国製パーツゆえに、割愛されているコンポが大半だったりするのだ。過去に録った膨大なドルビー録音テープがあることを考えると、コスト優先ですべてが変わっていく現実にゾッとする部分がある。昨年には、ソニーがDATテープの生産終了を告知したが、いよいよテープメディア全体が風前の灯火に曝されているといった印象がある。
 脱線ついでに言うと、ステレオAMチューナーを搭載しているコンポもほとんどない。これは元々モトローラ社が開発した放送システムなのだが、郵政省の許認可事業であった日本の放送局は、AMとFMというように複数のメディアを一社が所有できないルールがあったため、時代に取り残されていたAM局が別メディアに移行できないことから、聴取率奪還のために苦し紛れで始めたのがAMステレオであった。「AMの音質でステレオって……」と訝がる声があっても、始まったのにはそういう政治的理由があったのだ。だが、いくつかの民放AM局が大金払って導入したものの、「ウチはFMステレオがあるのでAMにはいらね」とNHKが造反したものだから、以降後続する局がいなくなり、時代の遺物と化してしまった。日本の特殊な放送事情から生まれた技術だから、当然中国製のOEMパーツにはステレオAMチューナーは搭載されていない。結果、現在AM局はあいかわらずステレオ放送を続けていながら、リスナー環境はモノーラルに逆流しているという逆転構造があったりするのだ。
 カセットブックなどの出版社系タイトルの事情について書いた通りだが、レコード会社のソフトとしても、一時はカセットテープは大人気だった。車載オーディオがカセットしかなかった時代には、ドライブインのような郊外型の店の品揃えはカセットテープ中心だった。それなりに高級感を打ち出すべく、「メタルテープ」「ドルビー録音」を謳ったテープもあったし(ノーマル録音とドルビー録音の2タイプを出していたメーカーもあり、前者が2500円、後者が2700円と、ドルビー録音ソフトはパテント料支払いのため高かったの、覚えてる?)。それとヤング向けトリビアがひとつ。はっぴいえんどが、アルバムは自主制作のURCなのに、シングルはメジャーのキング(ベルウッド)とメディアによって発売元が違っていたという話はご存じだろう。実はレコードとカセットも、関税の掛け率や販路が違うなどの理由で、しばらく別々のメーカーから出ていた時代があったのだ。ポリドールやキャニオンなどのLP作品をカセットテープで出していたのがポニー。後にメディア一本化の時代になって、同社はキャニオンと合体して今のポニーキャニオンになった。映像ソフトも、契約書がニューメディアは別扱いだったため、VHSテープとレーザーディスクが別々のメーカーから出ていたって時代ってのもあったのよ。
 そんなテープ全盛時代に郷愁を覚えておられる世代の方々というのもいて、私の知り合いでメトロトロンレコードのA&RをやっているS氏などは、珍しいカセットテープソフトのコレクターである。以前は徳間ジャパンでムーンライダーズP-modelのディレクターをやっていた人だから、P-modelが出したカセットのみのアルバム『パースペクティヴII』なんてのは、絶対S氏のアイデアだったのではと思ったりして(笑)。モダンチョキチョキズ矢倉邦晃氏は8トラックカセットの収集家として有名だが、数年前に矢倉氏を取材したときに調べてみたら、まだ8トラックの再生機のほうは現役で製造されていたのを知ってビックラこいた。
 昨年、あふりらんぽが衝撃のメジャーデビューを果たしたが、ギューンカセットからキューンレコードに移籍という「ギューンからキューンへ」のダジャレコピーに笑かしてもらった。実を言うと、キューンレコードは業界で初めて、それまでカセットが中心だったサンプルをCDで配布し始めたメーカーで、言うなればこの構図は「カセットからCDへ」の転身でもあった。電気グルーヴなどを扱うオーディオにシビアなキューンらしい戦略だったが、やがて他社も追随して、業界全体のサンプルCDの受注が増えたために、カセットの1本あたりのコストのほうが高くなり、現在は大半のメーカーのサンプルがCDのみで配布されるようになっている(余談だが、紙ジャケも需要の逆転で、現在はプラケースより単価が安いんだそうな)。DTPソフトの登場で、サンプルCDもキレイにデザインしたもの増えてきた。しかし、以前のカセットテープ時代は、ディレクターの手書きのものなどもあって、個性的というか活気があり、HMVの「手書きPOP」じゃないが、逆に訴求力が感じさせるものも多かった。エピックソニーにいらしたプロモーターのF氏のように、担当していたキリング・タイムをなんとか売りたいからと、サンプルのみの未発表曲を入れるなどの、業界シンパを集めるための独自の工夫をされている方もいたのだ。つまりルール無用のなんでもありな時代の郷愁が、カセットテープにはギューっと詰まっているのである。
 最近はアナログからのCD復刻も一巡しちゃったようで、インディーズのブリッジから『TRA』のカセット作品がCDで復刻されるなど、カセットテープに注目が集まっている。また、伝説のイベント「浦和ロックセンター」のハルヲフォン、四人囃子のライブなど、カセット音源をベースにした意義あるソフト化も始まったばかり。デジタル技術の進歩によって、カセットテープ・マスターでも十分なクオリティに蘇生させることができるようになったのだ。読者の方々も、引っ越しなどの際に、家にあった聞かなくなったカセットテープがあっても、捨てずに取っておけばいつか役に立つことがあるかも知れないのだ。



モノクローム・セット『ヴォリューム!ブリリアンス!コンストラスト!』(Akacci Sound Books)

チェリー・レッドから出たシングル&レアトラックスも、日本では最初は自主制作レーベルからカセットブックで発売された。ライヴなどを集めた合法海賊版のような構成だったため、LPでリリースされるよりずっと雰囲気だったかも。ブックレットの原稿は保科好宏氏。

ドクトル梅津バンド『1Q84』(ペヨトル工房

EP-4『リンガ・フランカ』などをリリースしていた同社からの、これもオリジナル作品。ドク梅バンドはすでにメジャーのロンドンから傑作『ダイナマイト』をリリースしており、本作は初期の路線だったインプロ色を打ち出したもの。プロデューサーの今野裕一氏が書いているように、都市の雑音をパッケージしたかったのであえてノイズ処理をしておらず、ライヴ盤としてはかなり音はよくない。だが、浅田彰氏の悪のりの原稿など、パンクなアジテーションとしてはこの形態は有効かも。

鈴木さえ子『PROFILE』(ミディ)

ファンクラブのみで配布されたもの。『毎日がクリスマスだったら……』から「Happy End」までの代表曲から半分と、ソニーウォークマン資生堂ヘアコロン、とらばーゆフマキラーベープなどのCM用の未リリース曲を半分とで構成。うち、日清チキンラーメンのみ、後にベストCDに収録された。当時のA&RだったT氏は、スチュワート&ガスキンやコーギスの復刻を同社で手掛けたほか、XTC好きが高じて、「スリー・ワイズ・メン」などのシングルをヴァージン特販部に申請して商品化の許可をもらい、1枚2000円のシングルCDで自主制作しちゃったという人。未発表曲収録への配慮は、そういうT氏の音楽マニアの姿勢そのものなのだ。

細野晴臣『花に水』(冬樹社)

ムーンライダーズのお蔵入り作品だった『マニア・マニエラ』が、同社からカセットブックで発売された時の衝撃的はすごかった。これもまた、カセットテープのゲリラ性を物語っているだろう。本作はそれに先行して出されていた同社SEEDシリーズの第1弾。空間プロデューサーだった秋山道男氏から依頼を受け、「無印良品」の店内音楽用として細野氏が制作したアンビエント・ミュージックを収録したもの。ノンスタンダードから出た『コインシデンタル・ミュージック』に抄録された後、他の歴代の無印良品BGMを併せたオムニバスとして、「無印良品」でCD復刻されたものが一時期販売されていた。冬樹社のシリーズからは、先日CD化された矢口博康の『観光地楽団』などが出ており、矢野顕子「ラーメンたべたい」のアンサーソングで、鈴木さえ子が歌う「ラーメンたべたいな」などを収録。

『東京ミーティング1984』(冬樹社)

近藤等則氏率いるIMAから派生したプロジェクトによる、豪華メンバーによる85年の渋谷ライヴ・イン公演の記録。ヘンリー・カイザー、坂本龍一渡辺香津美ビル・ラズウェル仙波清彦らが、様々な順列組み合わせでインプロヴィゼーションを展開する。音はインストだが、多弁家ばかりゆえブックレットの対談は賑やかで、楽屋の雰囲気が伝わってくる。

ゴードン・ムンマ『GORDON MUMMA』(Slowscan)

カセットテープのみで刊行していた同社の現代音楽シリーズのVol.9号はムンマの特集。現在はCDが数枚出ているが、当時はムンマの音源は貴重だった。限定500部のうち、拙者が持っているのは406番。ミニブックには彼のディスコグラフィを掲載しており、「Note Pieces And Decimal Passacaglis」など、珍しいライヴ音源も入っている。

ディス・ヒート『Live』(Independance)

80年に録音されたライヴ音源が、86年に初の公式リリース。現在はCD化済みだが、当時は特殊ケース入りのカセットで発売された。コントーションズやラウンジ・リザーズなど、解散後にライヴ音源が発掘された他のアヴァンギャルド系グループいずれも、最初のリリースはカセットテープであった。

プロパガンダ『Do Well』(ZTT)

ZTTレーベルはフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドの様々なヴァージョンを連発した12inch攻勢で有名だが、本作は「不思議の国のデュエル」のシングル素材などを再編集した、カセットテープのみでリリースされた英国限定のミニ・アルバム。大半の12inchヴァージョンがすでにCDにまとめられたので、残す音源はこれのみ。「The First Cut」「Wonder」「Bejewelled」ほか5曲を収録。

Mint-Lee『ブルースでなく』(京浜兄弟社)

コンスタンスタワーズ、スペースポンチの鍵盤奏者、岡村みどり氏の集大成的な作品集。まとまったものはこのカセットのみ。82〜93年の代表曲を集めており、スペースポンチ「レイミントスコット」「金河系」などは、岡村氏のオリジナル打ち込みヴァージョンで収録。エレクトーン・プログレ3部作「きずねこ」「あんこ屋くる」「みかん屋くる」が胸に染みる。ほか、マニュアル・オブ・エラーズ所属作家の作品集CDでも収録曲の別ヴァージョンが聴ける。

中野照夫「中野照夫デモ・テープ」(私家版)

LONG VACATION在籍時に配布された、中野テルヲ氏のオーディションテープ。後のファーストアルバム『User Unknown』に収録されたジョン・レノン「イマジン」のカヴァー(ヴァージョン違い)のほか、P-model時代に書いた未発表曲「Monsters A Go Go」をアレンジしたインスト、アポロンから出ていた劇団健康のCDからの抜粋曲など5曲を収録。特筆すべきは、三浦俊一と組んでいたSONIC SKYの未発表曲が入っていることで、後にLONG VACATIONでも取り上げる「LEGS」は、ハードロック風のこちらのほうが完成度が高い。

オーガニゼーション『Sounds In Space』(Trigger label)

トランソニック・レーベルの前身「Torigger」から93年に出た、永田一直氏(ファンタスティック・エクスプロージョン)率いるオーガニゼーションの最初の作品集。パッケージデザインは常盤響ソフト・マシーン「Soft Space」、『超時空コロダスタン旅行記』に収録されていたテストパターンの「Hope」のカヴァーを収録。後者は、電気グルーヴ加入直後の砂原良徳が参加。

『Welcome To The Niagara World』(ナイアガラ)

大瀧詠一関連はさまざまなプロモーション・ツールが存在すると思うが、拙者が持ってるのはこれだけ。大瀧詠一「恋の汽車ポッポ・第二部」から、「君は天然色」などのソニー時代のソロ、シュガー・ベイブ、布谷文夫「ナイアガラ音頭」、金沢明子イエローサブマリン音頭」、小泉今日子「怪盗ルビイ」、渡辺満里奈「うれしい予感」まで、レコード会社、シンガーの枠を超えた大瀧詠一作品57曲を細かくメドレー編集したダイジェスト仕様になっている。

ピチカート・ファイヴ「超音速のピチカート・ファイヴ」(セヴン・ゴッズ/日本コロムビア

プロモーション用の配布カセット。『女性上位時代』以前に同社でリリースされたミニ・アルバム3枚のうち、本作のみが4曲ともリリースされたものとミックスが違う。一応、ラフミックスとなっているが、完成版には入っていないフレーズなども飛び出す楽しさ。

女性上位時代S『ライヴ用カラオケ』(私家版)

拙者が主宰した『史上最大のテクノポップDJパーティー』のクラブチッタ公演で、出演をお願いした小西康陽氏率いる女性上位時代Sのステージマネジャーのようなことを急遽兼任することとなり、メンバーにカラオケや歌詞カードを配布する役回りなどを体験したのだが、これはその時にメンバーに配布するために作ったカラオケ集。マン・フレッドマン「5-4-3-2-1」のジグ・ジグ・スパトニック風カヴァーや、プラスチックスを換骨奪胎したようなアレンジの山本リンダ「ミニミニデート」など、全曲とも未リリース曲。FM横浜の番組『ガール・ガール・ガール』のために制作されたものが原型で、実際に私が青山のラント・スタジオに赴き、O氏(別の名は桜井鉄太郎氏)から直接DATの受け取りなども自らが行った。

ピカソ『Presents For Lovers』(キティ)

同社が力を入れていた『めぞん一刻』の主題歌などを歌っていた3人組の、プロモーション・オンリーのカセット・アルバム。ホリーズ「バス・ストップ」など全曲カヴァーを取り上げているが、きちんとしたプロ・レコーディングによるもので、これが業界配布のみとは贅沢な企画。あるいは、カヴァー集だと印税収入が期待できないため、お蔵入りになったものか、あるいはあくまで創作のためのスケッチなのか。シリーズ企画らしく、写真はそのVol.2のもの。

フィルムス・赤城忠治『1981-1985』(私家版)

本人からいただいた、フィルムス時代の未発表曲集。「ガール」のみ日本コロムビアからのリリース音源と同じ。赤城忠治名義の2曲「もう大丈夫さ」「まるでコメディアン」は、片岡鶴太郎のアルバム用に書かれたデモ。「5月の街角」「ビュー・ファインダー・イン・トーキョー」はコロムビア最後期のデモだが、鈴木智文の加入でトニー・マンスフィールド路線にアレンジが激変している(つまり、初期ポータブル・ロックの音)。その後85年にYENレーベルに移籍するものの、諸事情があって発売は未遂に。レコーディングはストップしてしまい、鈴木さえ子氏が叩いたリズム・トラックのみが残されているそうだが、録音する予定だった「モーフの冒険」「君が見たい」「雪が降った日」のデモテープは完成していたことがここで確認できる。

ティポグラフィカTipographica』(Sistema Inc.)

今堀恒雄氏、菊池成孔氏らが在籍していた、「日本のザッパ・バンド」のオーディション・テープ。ティポは個人的にファンで何度もライヴに足を運んでおり、岸野雄一氏からいただいた初期のライヴ・テープなども持っているが、デビュー以降はどんどん今堀氏による打ち込み色が強くなってしまうため、充実期ははやりデビュー前という印象がある。これは「そして最期の船は行く」「裸のランチ」(いずれもヴァージョン違い)など、収録曲から推察するにポニーキャニオン契約前夜に作られたものらしい。ちなみにSistemaは、高橋幸宏氏の事務所オフィス・インテンツィオのインペグ部門。

京浜兄弟社PRESENTS『Snack O Tracks』(京浜兄弟社)

岸野雄一氏率いる京浜兄弟社の唯一のコンピレーション『近い虚しく』と、ウルトラ・ヴァイブの前身ソリッド・レーベルから出た岸野プロデュース作品である加藤賢崇氏のソロ『若さ、ひとりじめ』などのアウトテイクを集めた未発表曲集。タイトルは、ビーチ・ボーイズのオリジナル・カラオケ集『スタック・オー・トラックス』のもじり。A面は、今堀恒雄氏とフレッド・フリスによる「Drive」、コンスタンスタワーズ「それはカナヅチで直せ」(Ozasiki Mix)、オーガニゼーション「ブルマーク」(Demo)、エキスポ「猿の惑星6」(Blue Sky Mix)などの別ヴァージョンを集成。B面は岸野監督の『野球刑事ジャイガー3・野球死すべし』や『パンツの穴』などの映画のサウンドトラック曲などを収録している。

キリング・タイム『Bill』(エピック・ソニー

ラストアルバムのプロモーション・カセットだが、B面にはNHK衛星放送でもオンエアされた、渋谷シアター・コクーン公演から「Blivits」〜「Bob」の必殺メドレーを収録。ご希望の方にはビデオも進呈しますとの記述が。

海援隊『ベスト&ベスト』(ポリドール)

現在のように原盤の貸し借りが自由にできなかった時代は、レコード会社移籍時に、過去の代表曲をリレコーディングするケースも多かった。これはポリドール時代のカセットのみのベストだが、エレック時代の「荒野より」「思えば遠くへ来たもんだ」、テイチク時代の「あんたが大将」「竜馬かく語りき」などを再録音している。ところが、おそらく演奏は当時のライヴでバックをやっていた和田アキラ率いるフュージョン・バンド・プリズムで、オリジナルより演奏がカッコよくなってしまっている(笑)。解散後に出たCD2枚組ベストで、3社のオリジナル音源結集が実現してしまったため、CD化の運命を奪われて歴史に埋もれてしまった貴重なヴァージョンに。

Wizardly Tour Of Hosono Box 1969-2000』(Daisyworld*discs)

デイジーワールドのリワインド配給時代に作られたボックスのプロモーション用に制作された、細野晴臣氏とマネジャーの東氏のコント入りのダイジェスト。確か予約者限定でアナログ盤としてプレゼントされたものと同一音源だと思うが、雑誌社にはカセットで、関係者にはCDで配布された(拙宅にはるのは、カセットとCDのみ)。

『音版ビックリハウス 逆噴射症候群』(アルファ)

YMOがマンガ連載を持っていた、パルコ出版のパロディー雑誌『ビックリハウス』のカセット企画。細野晴臣氏、坂本龍一氏ほかYENレーベル所属メンバーがジングルやコントに参加しており、ヒカシュー巻上公一ムーンライダーズなどの雑誌ゆかりのミュージシャンも顔を並べている。オーディオ・ドラマでは、アマチュア時代の常盤響氏、大槻ケンヂ氏などの名前を発見できるのが驚き! YEN BOX発売時にCD化されているが、実はこれ、収録曲だった秋山道男作詞、細野晴臣作曲、伊武雅刀歌唱の「テクノ艶歌 飯場の恋の物語」がレコ倫からクレームが付き、発売日に回収。同曲を細野ソロ「夢見る約束」と差し替えて、「改訂版」として再発売されており、CD化されたのはそちらの「改訂版」のほうなのだ。こちらは回収されたヴァージョンで、クレーム内容から判断すると、復刻は永遠にないと思われる。

直枝政弘『愛ゆえに、鉄』『あなただけは』(Bumblebee Records)

前者は、カーネーションの直枝氏がブラウン・ライスをバックに制作した初のソロ・アルバムのリリース時の購入特典で、「月にかかる息」「Buffalo」収録。後者は映画のサントラ『マンホール』リリース時のもので、「あなただけは」のカラオケや収録曲のデモヴァージョンを集めている。拙者は持っていないが、カーネーションのデモや前身の耳鼻咽喉科のころの音はライヴ会場でカセット販売されていた。

ナイス・ミュージック『Very Best Of The Nice Music』(私家版)『DEMO』(ビクター)

ビクターからデビューした、ネオアコの心を持ったテクノユニット2人組、ナイスのデモテープ集。当時メンバーと仲良くしてもらっていて、本人からいただいた。前者は「Nice Music's Theme」「Panorama」などの、デビュー前のデモヴァージョンを収録。後者は4作目の『POP RATIO』のころのデモテープを集めたもの。元々メンバーがスタジオのエンジニアと音楽専門学校の講師だったため、アマチュア時代からデモの完成度は高かった。

ティン・パン・アレイ『In China Town 1976.5.8』(私家版)

細野ソロ『泰安洋行』リリース時の横浜中華街ライヴのテープ。「モノーラルしか存在しない」と言われてきたが、出所は秘匿だが、ちゃんとマスタリングされたステレオ・ヴァージョンが存在していた。

『Casio RZ-1 Sound Collection』(Casio)

世界初のPCMドラム・マシン「LINN LM-1」は、TOTOのスティーヴ・ポーカロが叩いた音源を使っていたことが密かに知られているが、同じようにカシオのRZ-1も、当時同社とスポンサー契約をしていた高橋幸宏が叩いた音源を使用している。とはいえ、そのレコーディングを担当した飯尾芳史氏によると、RZ-1のスペックがまだ未熟で、『Once A Fool』時の幸宏ドラム・サウンドを織り込むことはほとんど無理。そういう状況の下で格闘しながら、作られていったハードだったらしい。RZ-1は2音のみサンプリングも可能だったため、本テープのような音源がカセットで用意されていた。いかにもYMO風のサンプル素材が貴重。

『The Compact Organization Compilation By Tot Taylor』(ソニー・ミュージックエンタテインメント

トット・テイラーの新レーベル「サウンドケーキ」とソニーが契約した際に、コンパクト・オーガニゼーションの旧譜も同社から発売されることとなり、新旧の代表的な音源を集めて、トット自身によるインタビュー解説を加えて編集されたもの。ヴァーナ・リント、サウンド・バリア、マリ・ウィルソン、フロイドほかのシングル曲を収録。ソニーからはマリ・ウィルソンの『ショー・ピープル』の初のオリジナル復刻、日本限定のリミックスCDなど、驚きのアイテムがたくさん出たが、早くに関係が悪化。完成していたヴァーナ・リントの第3作がリリースされなかったのが悲しかった。ちなみにソニー洋楽は、同様の本人インタビューを挿入したベスト編集のプロモーション・ツールをよく制作しており、ほか拙宅にはプリファブ・スプラウトなどもある。

よしもとよしとも『ヨシトモバンドDEMO』(私家版)

「日本のモノクローム・セット」と言われたナゴムのバンド、ミシンのオリジナル・メンバーだった、マンガ家のよしもとよしとも氏から、私が『宝島』の連載担当だった時代にいただいたもので、『ぴあ』の編集者らと結成した新バンドのデモ。これを含め2本がある。サウンドは本人曰くベルベッド・アンダーグラウンドを狙ったもの。

スチャダラパー『ついている男 後者ーTHE LATERー』(キューン・ソニー

コーネリアスがセカンドリリース時に「Moon Walk」のカセットシングルをリリースし、オリコンのカセットランキング(演歌中心)で初のチャート第1位を記録したエピソードはファンの間で有名だろう。だが、実はカセットチャートへのアプローチはスチャダラのほうが先だった。値段はなんと200円と、ポケット・ビスケッツの半額以下。


フリッパーズ・ギター『Camera Talk Live』(ポリスター

シングル「Camera!Camera!Camera!」のプロモーション用に制作された、『カメラトーク』発売後にFM横浜で収録された同ライヴ音源を収録したもの。ごく僅かのCDが制作されたが、雑誌媒体などにはカセットで配布された。曲は1枚目、2枚目からの抜粋と、デビュー前からやっていたヘアカット100「好き好きシャーツ」のカヴァーを収録。後にグループ解散後、『オン・プレジャー・ベント ~続・カラー・ミー・ポップ 』の表題で編集版がCDで一般発売された。

立花ハジメ藤原ヒロシ『Video Drug 3&4』(アスク講談社東芝EMI

アスク講談社からVHS、レーザーディスクで発売されていたドラッグ・ビデオのサウンドトラックをダイジェスト収録したもの。だが結局、サントラ盤は発売されていない(CDが出ているのは、1のVideo Rodeoのみ)。A面が3の立花ハジメ氏による「Fantasy」、B面が4の藤原ヒロシ氏による「Sexy Nature」から使用曲を抜粋。前者は立花氏のディレクションによるものだが、サウンドヤン富田氏が制作しており、ペリー&キングスレイ、エレクトロソニックスなどに通じるムーギーなポップ感覚に痺れる。

スーザン+オーガニゼーション「サマルカンド大通り/Screamerほか」(私家版)

史上最大のテクノポップDJパーティー』で、スーザンの復活ライヴを企画した際に、サウンド・プロデュースをお願いした永田一直氏(exファンタスティック・エクスプロージョン)に制作してもらった、スーザンの2曲のカラオケと、ほかオーガニゼーションのソロ3曲を収録したテープ。オリジナル活動期はEX+岡田徹氏がバックメンバーで、バンド編成だったためにアルバム曲はかなり編曲されて演奏していたようだが、オーガニゼーションに依頼するに当たって、YMOに近いゴージャスなアレンジでということでお願いしたもの。

木元通子『木元つうデモ』『木元つーこ声資料』(私家版)

『イン・コンサート』で「体育祭」を歌っている、はにわちゃんの最終ヴォーカリストだった木元通子嬢のデモテープ2種。本人と交流があったことからいただいたのだが、自作曲ははにわちゃんとは一転して、ちょっとケイト・ブッシュ風の多重録音に。一部、歌詞がまだできておらず、アカペラ・ヴァージョンも含まれる。

『Virgin Records U.K. international Conference 19th-24th july 1994』(東芝EMI

これは内覧用の音資料で、期日ごとに区切って発行されるヴァージンレーベルの所属アーティストの最新音源集。ブライアン・フェリー、マッシヴ・アタックボーイ・ジョージなどの新曲が入っており、ここから会議などを経て日本発売やシングルカットが決定されるという貴重な音資料である。実は本テープにはなんと、契約拘束のために活動できなかった時期のXTCのデモ「River Of Orchids」が収録されているのだ。同曲は後にリミックスされたものが、ポニーキャニオン・インターナショナルから出た『アップル・ヴィーナスVol.1』に収録された。

ヤン富田「Telex Remix」(アルファ/私家版)

拙者がプロデュースを務めさせもらった、ベルギーのテクノポップバンド「テレックス」のリミックス盤に参加していただいたヤン富田氏のリミックスの完パケテープ。本人直筆によるもので、内容の完成度の高さには今でも唸らされる。タイトルは「Pea-Pea Ga-Gabble Mix For Astro-Ager(Not For Teen-Ager But For Long Ranger As Well」と長いもので、本編も16分近くの長編に。THE KLFのようなサウンド・スケープと電子音、シュガー吉永氏(バッファロー・ドーター)参加による アコースティックなサウンドが絶妙にマッチング。

エレクトロニック・システム『Dancing on The Moon』(私家版)

テレックスのダン・ラックスマンが70年代から使用していたソロ・ユニットの未発表音源。アルファで『イズ・リリース・ア・ユーモア?』を制作している時に、新作を作ったので出しませんかと話が本人から来て、送られてきたのが本作。名義は70年代からのものだが、サラ・マンディアーノでいっしょに仕事をしていた編曲家、ジャン・クロードとのユニットということになっている。フェアライトCMI時代で、音は『LOONY TUNES』路線のテレックスの世界とほぼ同じ。だが結局、検討会議中にアルファが倒産してしまったため発売は未遂に。本国でもリリースはされていないと思われる。

おニャン子クラブ『Non-Stop Onyanko』(ポニー)

キャニオン、ポリドールなどのレコードをカセットで販売していたポニーからのおニャン子クラブのベスト。なのだが、本作は楽屋でのメンバーのおしゃべりなどをサンプリングし、元あんぜんバンドの長沢ヒロが制作したノンストップのメガミックス。「渚の『……』」(うしろゆびさされ組)、『冬のオペラグラス』(新田恵利)などのヒット曲も、過激なサンプリングビートによるイントロが加わっておりド迫力。後にキャニオンと合体してポニーキャニオンに社名変更された際、こっそりCD化もされた。

The SuzukiThe Suzuki Live 2』(Tapetron)

カセットテープ・コレクターのS氏主宰のメトロトロンレコードらしく、本作は傘下の「Tapetron」のカタログとしてドロップされた、『The Suzuki』用の非売品の購入特典。青山陽一氏らが参加する編成で、「Night Waker」「I Don't Want To Talk About It」2曲のライヴ音源を収録。当時、ディスクユニオンとメトロトロンは関係が深かったため、ムーンライダーズ関係の新作にはたいていテープ特典が付いてきた。

P-model『音楽産業廃棄物〜P-model Or Die』(マグネット)

マグネット(旧S-KENスタジオ)から発売された『音楽産業廃棄物』のダイジェストカセット。「Waste Cabaret」「Heaven 2000」の2曲のみ、間に合わなかったためか、リリース版とは異なるラフ・ミックス・ヴァージョンで収録されている。

『ラジオ・スネークマンショー Vol.01〜03』(ワーナーミュージック・ジャパン

小林克也伊武雅刀桑原茂一という黄金のトライアングル時代の、ラジオ関東TBS時代の秘蔵テープによる9Wリリース計画が発表された時に、雑誌用のプロモーションとして完成済みのVol.01〜03のダイジェスト版として制作されたもの。だが、製品版は発売当日に回収されている。そういえば、週刊誌で話題になった椎名林檎の回収されたアドヴァンス・カセットも昔は持ってたな(歌詞にヒトラーが出てきてクレームが付いたというもの)。

坂本龍一『Beauty Remix』(ソニー

これのみカセットテープではなくDATテープ。ソニー・ミュージックエンタテインメントではなく、ヴァージンレコード・アメリカの原盤をライセンスして、本社のソニーが制作したもの。日本では東芝から出たヴァージン移籍第一弾『Beauty』のリミックス・ヴァージョン集で、DATのハード購入者に特典としてプレゼントされたものらしい。


 ……最後にこぼれ話をひとつ。カセットテープの開発元はオランダの著名な大手電機メーカー「フィリップス」。だが発表されたばかりの60年代末は、まだオープンリールのテレコが主流で、テープ幅が半分以下のカセットなど「使い物にならない」と存在を一蹴されていた。フィリップスはそこで開発費回収などをあきらめてカセットテープをライセンスフリーにしてしまう。それが契機となってだんだん使われ始め、ポピュラーなテープ型メディアとしてもっとも成功したものとして、その後定着していったという背景がある。フィリップスは社内に「フィリップス物理研究所」などの研究所を持っており、ここが閉鎖的だった西ドイツ放送局に変わって60〜70年代にヨーロッパの電子音楽文化の拠点となるなど、元々文化支援の意識の高いメーカーだった。
 例えばメディアのパテント料といえば、ベータ対VHS戦争などが記憶に新しい。自社の技術をデフォルトとして採用してもらえば、その後他社がその形態でソフトを出すごとに、何もしなくてもライセンス収入が入ってくるわけだから、誰もが特許権を得て金持ちになりたいと考えるのは道理。ところが、フィリップスはその一切の権利を放棄することでカセットテープの普及を実現したわけだ。同社はその後、今度はソニーコンパクト・ディスクを共同開発し、デファクト戦争には最終的に勝利することとなる(この時ソニー&フィリップス陣営に敗北したのが、元々PCM技術をいち早く研究に着手していた東芝の技術者たちで、DVDで再び復讐を遂げることとなる同社の開発部のスローガンが「打倒ソニー」だったと『DIME』誌で読んだ)。これは余談だが、ベータ対VHS戦争を描いた映画『陽はまたのぼる』では、最終的に西田敏行らVHSを開発したビクターが、シェア1:9から逆転してベータ陣営を打ち負かして終わっていた。ところが現実は、VHSの製造パーツ技術のうち200もの特許を持っていたのが、ベータ開発中に特許申請していたソニー。シェアはVHSが勝利したが、VHSテープが売れるごとにソニーに特許料が入るという、そこには捻れた逆転的勝利があったのではと指摘される声もある。うーむ。ドクター中松の「フロッピーディスクの発明」というのも、彼が児童向けフォノシートプレーヤーを開発した時の回転軸の技術特許がたまたまフロッピーの技術に抵触していたために、彼に支払い義務が生じたというだけの話なのだが(フロッピーディスクを発明したという発言はだから半分はウソ)、20人以上支払先があったらしい、フロッピーディスクのパーツの特許受取人の一人に過ぎなかったのに、あれだけの金持ちになってるわけだから、特許権がいかにオイシイ商売かってことなんである、結局は。
 VHS対ベータ戦争で懲りていないメーカーらによって、最近もまた“ポストDVDメディア”を巡って、「ブルーレイ」陣営と「HD DVD」陣営とが、お互い一歩も譲らない硬直状態に陥っている。けれども、ちょっとでも消費者のことを考えてくれれば、フィリップス社が仕掛けたカセットテープのように、メディアとして素晴らしい一生をまっとうできると思うんだけどな。

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ヴィンセント・プライス『Witchecraft〜Magic An Adventure In Demonology』(69)(Capitol)
Vincent Price/Witchecraft〜Magic An Adventure In Demonology

エドガー・アラン・ポーの『アッシャー家の惨劇』ほか、FOXのホラー映画で一時代を築いた名優、ヴィンセント・プライスの語りによる2枚組の朗読レコード。悪魔研究のテキストの講義という設定で、ストーリーテラー役のプライスが進行役を務め、魔女役の声優によるダイアローグと電子音響による演出で聞く者を戦慄させる。ロンドン生まれのイエール大卒のインテリゆえ、プライスの英国なまりの朗読がシックな雰囲気。全編に凄まじい電子ノイズがコラージュされているが、音響構成はUCLA大学で教鞭を執っていた、同電子音楽スタジオのダグラス・リーディーが務めている。初の商業仕事がこれで、リーディは本作をきっかけにクリスマス向けのモーグ・レコードなどを手掛けることに。有名なBBCラジオフォニック・ワークショップが制作した怪談レコードに匹敵する出来。後のゴブリンらによって極められる、電子音によるホラー演出のルーツはここにありという感じ。



マーティン・モンシェール『Dela Musique & Des Secrets Pour Enchanter Vos Plantes』(78)(Tchou)
Martin Monesier/Dela Musique & Des Secrets Pour Enchanter Vos Plantes

サボテンや観葉植物など、植物の成長に音楽が影響するという実験は昔からあり、電子音楽作家のモート・ガーソン『Plantasia』ほかレコードも多様にあるが、本作は欧州のライブラリー作家として著名なロジェ・ロジェが音楽を制作したフランス産の植物のためのBGM。アシスタントは盟友、ニノ・ノルディーニ。A面はオーケストラから始まり、電子音によるバロックインド音楽風のエスニック、ショパン風と変幻自在なモンタージュで構成。一転してB面は、長編のニューエイジ風の仕上がりで、フランス近代音楽風のメロディーも飛び出す品の良さを伺わせる。



『The Witch's Vacation』(73)(Scholastic)
日本ではソニーマガジンズが紹介している『クリフォード』シリーズで有名な絵本作家、ノーマン・ブリッドウェル原作による、2色刷り絵本+7inchシングルのセット。プロデュース&監督はドン・モルナー、TV版『M★A★S★H』に出演していた女優インディラ・ダンクスがストーリーテラー役を務め、彼女の朗読による6分半のオーディオ・ドラマを収録している。『奥様は魔女』の音楽を電子化したような、カートゥーン・ミュージックのような激しいコラージュはなんと、ディメンション5で子供向け電子音楽の数々を手掛けるブルース・ハーク。ニュージャージーにある同社の出版物には、この他にもハーク作品があるらしい。A面は左トラックに音声、右トラックにページめくりのシグナルを収録。B面は同素材のモノーラル版。


『Electronic Music』(Pathways To Music)

西ドイツのピエール・シェフェールの著名な講義レコードなど、電子音楽史をハイライトで構成した盤は欧州には数々あるが、これはフォークウェイズの『Sounds Of New Music』などに連なる、アメリカから見た電子音楽史のドキュメンタリー・レコード。プロデューサーはニック・ロッジ、トム・ディクソンのナレーションで綴るヒストリーを軸に、歴史的な音源が紹介されている。A面は、電子音楽前史にあたるジョージ・アンタイルのプロペラエンジンを使った名演「バレエ・メカニック」から始まり、シュトックハウゼンより先にウサチェフスキー&ルーニングの「TAPE RECORDER MUSIC」が紹介される独自な構成がいかにもアメリカ産。シェフェール「汽車のエチュード」、シュトックハウゼン「習作I」などの既成曲のほか、オンド・マルトーノのノイズ発声の実演や、ピアノのスピード変調による音の変化などのチュートリアル素材も収めている。B面はワイヤー・レコーダーに始まる録音史で、プリンストン大学の有名なテープ・ミュージック・コンサートがハイライト。シンセサイザー時代まで扱っているのが珍しく、ロバート・モーグの装置によるサイン波の発生、モートン・サボトニックによるブックラ曲で幕を閉じる構成になっている。



オスカー・サラ『Electronic Virtuosity By Osker Sala』(Selected Sound)
Osker Sala/Electronic Virtuosity By Osker Sala

ヘンズ・ファンク作品などを紹介しているドイツはハンブルグのライブラリー会社からの、ヒッチコックの映画『鳥』の音響担当でおなじみ、オスカー・サラの珍しい単独アルバム。フリードリッヒ・トラウトヴァインが30年代に発明し、ナチの要請でテレフンケンが開発援助した、ドイツ産の電子楽器「トラウトニウム」による名演集。サラ名義のアルバムは、師匠のヒンデミット曲を取り上げたものが多いが、本作はすべてオリジナル。A面は「Resonances」、B面は「Suite For Mixture-Trautonium And Electronic Percussion」の2つの組曲で構成されており、後者はチープな電子音によるリズム・アンサンブルが非凡な出来。A面(組曲)の終幕を飾る「Ostinato」のストリングスの模写が素晴らしく、まるでゴドレイ&クレーム『ギズモ・ファンタジア』みたい。



クリストファー・ライト『One-Man Band』(85)(Kicking Mule Records Inc.)
Christopher Light/One-Man Band

これは珍しい、アップルIIのみによる民謡音楽集のレコード。アップルII+D/Aコンバータを基幹システムに、「Electric Diet」「A.L.F」などの演奏及び音色作成のソフトウエアが使用されている。A面はアメリカ曲、B面はアイルランドスコットランドの名曲で構成。フィドルの模写によるラグタイム音楽や、ホワイト・ノイズによるドラム・ロールの再現など、なかなか芸が細かいが、コンピュータ・ジェネレート音によるノンエコーの音は、8ビット時代ゆえ、ファミコンのPSG音源のようなチープさ。有名な「勇敢なるスコットランド」のバグパイプ模写など、倍音構成は見事だが、全体的にはコミックな仕上がりでノベルティ音楽風の雰囲気。



『マジック・ランタン・サイクル・ケネス・アンガー作品集(完全版)』(86)(アスミック)
Kenneth Anger Complete Collection Magick Lantern Cycle
電子音楽 in the (lost)world』のP68ページ4段目の作品は、実は解説文と写真が合っておらず、改めて訂正のためにこちらに正解の写真を載せておく(ちなみにP68の写真は『囚われの女』のサントラ盤)。ケネス・アンガーは30年生まれのアメリカの実験映像作家だが、フランスで地下出版した『ハリウッド・バビロン』の編集者として悪名を轟かす。表題作を始め、現存する彼の実験的な短編映画9作品を収めたレーザーディスクが本作だが、ハイライトはミック・ジャガーが所有するモーグシンセサイザーで自ら演奏した、全編電子音のサウンドトラックが聴ける11分の短編『我が悪魔の兄弟の呪文』(69年)だろう。同時期にアメリカでモーグを購入しているジョージ・ハリスン電子音楽の世界』と対称的な、デタラメなホワイト・ノイズと暴力的なモジュレーション音の応酬に。ほか未収録だが、ケネス・アンガー作品にはハリー・パーチが音楽を務めた短編もあるらしい。


『パフォーマンス/青春の罠』(70)(ワーナー・パイオニア
Performance

こちらもミック・ジャガー関連のモーグ盤。ニコラス・ローグ監督のミック主演による本作でも、ジャック・ニッチェが音楽を務めたサントラに、ミック所有のモーグ・モジュールが使用されている。ランディ・ニューマンライ・クーダー、ゴスペルなどのアーシーな音と、モーグの電子音のコラージュが異色にして美味。ジョージ・ハリスンのようにビートルズ全作品で使い回さず、ほぼこれ一作で使い切っているミックの姿勢に天晴れ。サーフ&ロッドの編曲家として名を挙げたジャック・ニッチェだが、本作以外にも、ウィリアム・フリードキン監督の『エクソシスト』でも、グラスハープによる音響系のサントラを提供している。



コカ・コーラCMソング集1962〜89』(05)(ジェネオン
Commercial Songs1962-89

大瀧詠一三ツ矢サイダーのCMなど、日本のCM音楽界で一時代を築いた音楽プロデューサー大森昭男率いる「ONアソシエイツ」が手掛けた、歴代のコカ・コーラCM曲を集めたもの。アメリカでもコカ・コーラCM集は出ているが、歴代曲の大半がCM用に録り下ろしによる贅沢なシリーズで(マイケル・ジャクソン「ビリー・ジーン」、トンプソン・ツインズ「テイク・ミー・アップ」などが同カラオケで歌詞違いで聴ける)、母国の伝統を受け継ぎ、ここに収録されている曲もすべてがCM用の特別録音。テクノポップ関連では、『アマチュア・アカデミー』期のムーンライダーズ曲「Coke Is It!」(84年)収録。続編の『コカ・コーラCMソング集Super More』(06年)には、坂本龍一編曲による南佳孝「クレッセント・ナイト」のアレンジを使用したヴァージョンや、久保田真琴今井裕(イミテーション)によるサンディーソロ曲などを収録。なお、「ONアソシエイツ」制作音源を収録したCDには、ほか大瀧詠一『ナイアガラCMスペシャル』、坂本龍一『CM/TV』、FCのみの発売だが『山下達郎CM全集 Vol.1、Vol.2』などがある。



黛敏郎リズムくんメロディーちゃんこども音楽教室』(71)(講談社キングレコード

「ミュージックコンクレートのための作品 XYZ」(ミュージック・コンクレート)、「7のヴァリエーション」(電子音楽)など、日本の実験音楽の始祖として知られる黛敏郎が監修した、LP10枚組の児童向け教育レコード。川崎洋谷川俊太郎らを構成者に、黛自身がナビゲーター役をつとめ、岸田今日子中村メイコらが演ずる子供たちに音楽の素晴らしさを説いていく。日本万国博の興奮さめやらぬ時期の企画ゆえか、冒頭の第1部「耳をすまして」でのっけから武満徹「水の曲」、エドガー・ヴァレーズ「イオニザシオン」、ルロイ・アンダーソン「タイプライター」などを抜粋して講義。時報やエレクトロニクス、水流音などを掛け合わせた、黛「音を素材としたミュージック・コンクレート」は本作のためのオリジナル曲。第12部「電子音によるこどものためのダイス・ファンタジー」は、ジョン・ケージ「易の音楽」のような、付録のサイコロを使った自動作曲のための講座で(なんという前衛ぶり!)、電子音とホワイトノイズを素材に、エコー処理したドラッギーな音響構成にウットリする出来。ほか、同社の小泉文夫コレクションを抜粋した第10部「世界の音楽めぐり」、スリーグレイセス「明治チョコレート」などのCM音楽など、子供に独占させとくのはもったいないほどのアカデミズムへの配慮に思わず唸る。



東京オリンピックNHK放送より》』(65)(日本コロムビア
TOKYO 1964
64年の10月10日〜24日に開催された、東京オリンピックNHK放送に残された実況音声を5枚組のLPにまとめたボックスセット。『電子音楽 in the (lost)world』では、開会式でかかった黛敏郎電子音楽「オリンピック・カンパノロジー」が収録されているのはカルピス・フォノシートのみと記載していたが、刊行後に本ボックスの存在を確認した。NHKの鈴木文也のナレーションのバックに、梵鐘をコラージュした轟音、低周波ノイズの唸りなどが会場全体に流され、その前衛的な演出に世界の観客が戦慄したという貴重なドキュメント。「オリンピック・カンパノロジー」は、NHK電子音楽スタジオの技師だった塩谷宏の作品集CDでも聴けるが、音の届く距離や反響制分などから逆算して作られた同曲は、エコーをともなったこのテイクが完成型。古関裕而「オリンピック・マーチ」や陸上自衛隊音楽隊の演奏など、いずれもフルサイズで収録しているのがありがたい。


東京オリンピック』(65)(キングレコード
TOKYO OLYMPIC

本作は実況レコードではなく、前年に行われた東京オリンピックの模様を収録した同名の東宝映画のためのサウンドトラック盤。市川崑が監督した本編も前衛的演出で賛否両論を巻き起こしたが、サントラ本体もかなり異色。同開会式のために「オリンピック・カンパノロジー」を提供した、黛敏郎による書き下ろしのオーケストラ曲で構成されているのだが、なんと、レコード自体は実況録音を素材につかったミュージック・コンクレート作品になっている。モノーラルの元素材を電気的にモディファイし、冒頭からバレーボールの歓声やアタック音などをステレオ・アクションで構成。寺山修司「ボクサー」やゴダール「ヌーヴェル・バーグ」などを連想させるソニック・コラージュの秀作として、いま改めて評価すべき一枚。

家政婦は見たPart3「細野晴臣氏の黒歴史? FOEを検証する」

Making of NON-STANDARD MUSIC

Making of NON-STANDARD MUSIC

 今年の初め、スペースシャワーTVのほうから依頼を受けて、日本のテクノポップ史をクロニクル形式で構成した2時間のテレビ番組の選曲を担当させていただいた。以前、『史上最大のテクノポップDJパーティー』というイベントを主宰していた時、ビデオが流せるようにプロジェクターを置いてお客が車座になってそれを囲み、懐かしいフィルムコンサートみたいに、80年代当時の様々なグループのビデオを延々2時間半も観るという“番外編”的な試みを一回だけやったことがある。クラブ文化の隆盛前夜で、そういう試みが珍しかったのもあって、各レコード会社から「建前はPRということでね」ということで許可をもらって、非公式にビデオを貸していただくことができたのだ。ビデオ鑑賞会などアナクロの極致的なイベントだとは思ったが、今のように過去映像がDVD化される機会などが少ない時代だったから、お客にはずいぶん喜ばれた。今のYouTubeではないが、いくつかテレビ映像を勝手に使わせてもらったりして、Shi-Shonenの「嗚呼、上々」とか『鶴ちゃんのイチゴチャンネル』に出た時の「瞳はサンセットグロウ」(片岡鶴太郎が、南流石が振り付けた福原まり嬢の動きを面白がってイジっていた)、フジテレビの深夜番組『面白予約SHOW』で流れたコシミハル「イマージュ」、沙羅「サテライトIO」、有頂天「べにくじら」など、ここでしか観れないものもずいぶんフィーチャーできたと思う。中でも出色だった映像は、テイチクのノンスタンダード立ち上げの時に、映画館でかけるために制作された、ジョン・カーペンター遊星からの物体X』とケン・ラッセルアルタード・ステーツ』を掛け合わせたような、細野晴臣S-F-X』のPR用の短編映画だ。お金を使ったフィルム撮影ということもあり、ノンスタ立ち上げ時の勢いがひしひしと感じられる。実はテイチク時代には、FOEのビデオというのは割と多めに作られていて、ノンスタ作品が一斉にCD再発化された時に購買特典で付いてきた、初期のプロモ集に入っていた「ストレンジ・ラヴ」以外にも、日本武道館公演を素材にした「DANCE HALL」など、複数のビデオクリップがあったのだ(某局で観たことがある)。
 スペースシャワーの選曲仕事の時は、エクセルでリストを作って、昔借りたものなどを思い出しながら、各社に調査を依頼しておいた。ところが、90年代初頭のイベントをやったころにはまだ残っていた80年代のテクノポップ系グループのビデオは、かなりのものが廃棄されていたのだ。一風堂「MAGIC VOX」のように、BBCの年間リクエスト4位に入ったMTV史に残る貴重な作品も残ってなかった。以前も別エントリーで書いたが、おそらく固定資産税の対象となるために、契約終了のアーティストの関連物は、商品化されたもの以外は廃棄することを経理などから要請されるためであろう(実は、出版社も事情は同じなのだ)。テイチクにあったFOEの映像は、PVはおろか、数年前にプレゼントで出していたはずの『S-F-X』の短編映像すら今は残っていないと言われたのはショックであった。つくづく思ったのだ、FOEって不憫な存在だなあと。
 現在、細野晴臣氏のビブリオグラフィー関連物については、はっぴいえんど時代から支持する多くのジャーナリストらの協力によって、かなりのものが手に入るようになった。ティン・パン・アレイの中華街ライヴなど、CDで聴けるようになるとはよもや思わなかっただろう。だが、そんな細野ヒストリーの中でも、FOEにスポットを当てたものを読んだことはほとんどない。実際、有名な「滑って転んで」(「COME☆BACK」)の歌詞に象徴されるように、細野氏の骨折事故という“天啓”によって解散させられたようなグループだったので、総括が難しい存在ではある。だが当時、雑誌編集者として音楽業界に入ったばかりだった私は、「細野晴臣が、YMO散開後に結成した初のグループ」というFOEのキャッチフレーズには、いやがおうにも期待させられた。事実、ジャケットに映るレーベルの象徴だった緑色のオブジェ、グロビュールは“ビッグバン後の星の胞子”と説明されており、「ビッグバン=YMO解散」後の“再生のシンボル”として捉えていた私などは、FOEに「テクノポップの再生」の希望を託したものである。
 FOEについては、実は資料らしいものがほとんど残されていない。日本武道館公演の豪華パンフレットや、浅田彰+大原まりこが執筆した『FOE MANUAL』なる単行本も出版されてはいるが、これらは音楽を説明するための機能を果たしたものではない。後者は「ホール・アース・カタログ」のパロディのような装丁だったが、私のような音楽バカで生真面目な性格の人間からすると、その内容はまるで「ファンを煙に巻いてるんじゃないの?」という印象すらもったほど。メンバーが積極的にグループを語った発言も当時から読んだこともなく、再発CDのライナーノーツでも、事実関係をつまびらかにするのが限界だったようだ。ただ、私はそのころ、まるで細野晴臣FC会報のような『Techii』という雑誌にいたので、発言をひとつひとつ聞き漏らさないようにしていたつもりで、活動期のFOEについては、いくらか自分流に解説することができるのではと思っている。以下、あくまで目撃者の一人だった私の主観からこう見えた、という断り書きをして、FOEのヒストリーを書いてみたい。音楽雑誌の細野特集でもし100ページ使えたとしても、FOEに割けるのなんて数ページだろうから、こういうミニマムなネタこそブログの本領発揮ということで、お付き合いいただけると嬉しく思う。ていうか、自分らの世代がやらなくて誰がやるってーの(笑)。
 85年にノンスタンダード/モナドが立ち上がった時の話は、まだ業界にはいなかったので、音楽雑誌や週刊誌で取り上げられた記事で知っている程度だ。有名なテイチクの社長が「細野を呼べ」と語ったというエピソードも、広く喧伝されていたから、音楽に興味のない会社の先輩なども知っていたぐらい。“商業レーベル”のノンスタンダードと、“非商業レーベル”のモナドという二枚看板でレーベルを運営していくという話が、最初から組み込まれていたのかは定かではない。最初にその話を聞いたときは、YEN時代のYEN(レギュラー)とテストパターンやインテリアを輩出した「YEN MEDIUM」のような、上下関係としてそれは意識していたような気がする。モナドも当初、ノマド(ややこし)というレーベル名だったはずで、イーノのアンビエント・レーベルみたいに環境ビデオや出版物も扱う中で、レコードも出すということだったから、あくまでノンスタありきで、モナドは特殊商品専科のサブ・レーベルという位置づけと捉えるのは、レコード会社の経営上の扱いとしては間違ってなかっただろう。
 実は立ち上げ時、ノンスタンダード/モナドは「細野晴臣の新レーベル」という形でマスコミには取り上げられていた。だがそのころはまだ、自身が立ち上げたアルファレコードのYENレーベルのプロデューサー契約は残っており、ノンスタ立ち上げの後からも、『ビデオ・ゲーム・ミュージック』や『YEN卒業アルバム』など細野氏が関わったタイトルがリリースされている。ノンスタンダード/モナドとの契約は、あとから知ったのだが、YEN時代と違って、一アーティスト、またはパート・プロデューサーという立場だったようで、レーベル全体の責任者ではなかったようだ。YENはアルファレコードの社員A&Rによる社内レーベルだったが、ノンスタンダード/モナドはテイチク内に制作を置かず、エイベックスとデイジーワールドのように、販売はテイチクが行い、GEOという会社が外部A&Rとして制作を受け持つという関係だった。GEOには、YMOのマネジャーで有名だったI氏などが在籍していた。「演歌のテイチク」にポピュラー音楽制作の受容度があったとも思えないし、成り立ち自体がテイチク社長管轄の特殊なプロジェクトだったので、この時代に外部A&Rのシステムを取り入れていたのは、かなり珍しいケースだったと言えるかも知れない。だからこそ、ノンスタンダード/モナドはその後、日本の商慣習との軋轢に苦しむことにもなるのだが……。
 これはあくまで当時の私から観たイメージだが、細野氏がYENを抜けてテイチクに移籍したのは、あくまでモナドをやりたかったからではないかと思っている。社外A&Rという存在は今でもそうだが、レコード会社不干渉がルールなので、実験的な試みにもトライできる環境があり、売り上げさえ出してくれれば何をやってもいいことになっている。YENレーベル後期に、おそらく細野氏が悩まされてきたのは、なにより成果主義を求められる社内レーベルだったからではないかと思う。配給はテイチクがするが制作環境はこちらで用意できる新レーベルの条件は、当時の細野氏には魅力的に映っただろう。だから、おそらく細野氏にとっての本線はむしろモナドにあり、そのモナドでの活動の自由度を確保するために、ノンスタンダードのほうをヒットレーベルに育てて、安定的な運営を目指したのではないだろうか。また、当初はワールド・スタンダードもカタログ上はモナドのアーティストとして紹介されており、そのほかビデオ映像作家などをアーティストとして迎える予定もあった。この辺はブライアン・イーノのオブスキュアなど、わりと風通しのいい海外の自主制作レーベルがヒントになっていたと思うが、その後、ビデオなどのリリース計画は立ち消えになってしまい、ワルスタもノンスタに移籍することになって、モナドに残されたカタログはすべて細野自身のソロ作品という結果となった。後期FOEが、細野ソロから離れプロジェクト色をより強めていくことを考えると、モナド=細野氏、ノンスタンダード=それ以外、というぐらい、細野氏のやりたかった仕事の成果が、モナドに集約されているのだ。実際、モナド作品の完成度の高さは、ノンスタンダードの成果を超えていると私などは思っている。
 ちなみに、ノンスタンダードの命名理由は「標準化されていない大衆音楽」というもの。還元すれば、つまり歌謡界、芸能界の外部からアプローチして、ヒットメイクを試みるという狙いだろう。これはあくまで参照例としてだが、当時、BOφWYのように「テレビに一切出ない」手法でファンを集めるような新しい成功パターンが出始めたころで、そのような芸能界に属さない“非主流”なやり方(YMOは芸能界に属して存在していた)で、レコードのマスセールスを実現できるのではないかという期待を込めた、これもまた実験的なレーベルではなかったかと解釈している。だから、BOφWYとも親交が深かった、ルックスのよいアーバン・ダンスのような、本来の細野趣味からは離れた異色な存在をノンスタンダードは受容できたのではないかと思うのだ。
 であるからこそ、細野がノンスタンダードから出した作品については、レコード会社のルールを厳守していた。最初の作品「Making of NON-STANDARD MUSIC 」(但し、モナドとのスプリット)、『S-F-X』などは、異常なほど短期間に制作されている。実は、レコード会社で新譜を出す際に、いちばん最初に決定する要素というのが、社内稟議にかけて了承を得た後の「発売日」。レコーディングほかすべての行程は、そこから逆算してスケジュールが組み立てられるのが慣例だ。だから、自然な摂理に適った「新曲ができたから」→「レコードを出しましょう」という風なプロセスでレコードが作られることは通常ありえないという、いびつな構造がそこにはあるのだ。おそらく短期間に次々と制作してリリースしたのも、先に作られたスケジュールを履行してどんどん作品を作る形でしか、理想的な制作環境を確保できなかったのではないかと思う。
 FOEの音楽性については、YMO結成時に存在していたマーティン・デニーのようなモチーフが、広く知られているわけではない。ただごく初期のみ、インタビューなどでリファレンスを公開していた。ザ・システムのデヴィッド・フランクは、ハイエナジー寄りの軽薄なイメージもあったりするプロデューサー。だが当時は、スクリッティ・ポリッティがパワーステーションで録音した「ウッド・ビーズ」や、デヴィッド・パーマーがABCを抜けて結成したパーソン・トゥ・パーソン「High Time」などに手を貸しており、グリーンら当のメンバーよりも、細野氏は制作にクレジットされていた彼の存在に着目していた。それとニュー・オーダーシンディ・ローパーなどのリミックスを手掛けていたイタロ・ハウスの名匠、アーサー・べーカーの影響も色濃い。実際、アーサー・べーカーが手掛けたフェイス・トゥ・フェイス「Under The Gun」(テレビ朝日のMTVではよく掛かっていたのに、なぜか日本発売されなかった)の12inchに収録されたラテン・ラスカルズのリミックスは、「ボディ・スナッチャーズ」のリミックス・ヴァージョンに多大な影響を与えたことが伺える。また、後期FOEにメンバーとして正式に迎えられる、元ラウンジ・リザーズのアントン・フィアーにも着目していたが、但し彼のドラミングにではなく、リズム・マシンのパターンの打ち込みの非凡さを高く評価していたようだ。てことはさしずめ、ザ・ゴールデン・パロミノスのファーストあたりであろうか。
 同じころ、アルバム『業界くん物語』で、ヤン富田氏のプロデュースによる日本初のヒップホップ曲が誕生したり、近田春夫氏がシックスティ内に日本初のラップ・レーベル「BPM」を立ち上げるなど、Jラップ誕生の動きなどもあったため、FOEも和製ヒップホップ・グループのひとつとして捉えられていた。だが、近田春夫氏、いとうせいこう氏らが、ヒップホップの実践において、かつての「日本語ロック論争」のように言葉の扱いの問題を重要視し、16ビートに載せるライムなどのフロー研究に執着していたのに対し、FOEは「ボディ・スナッチャーズ」を始めとして、アクセントに「Thing」「Watch Out」など英単語を置いて、ちょっとズルして日本語によるヒップホップを実践していた。だから、むしろこの時期は、言葉よりも音ありき。快楽主義的なデジタル・ビートがモチーフとして大きく、FOEにおける16ビート、32ビートの追求は、理屈や言葉を超えたスピードのみを志向していたように思う。「OTT(オーバー・ザ・トップ)」というのは、いわばYMO結成時に語っていた「エントロピー」の概念の発展形。コンピュータを使うプロセス自体に魅了されていた初期YMOのころのように、スタジオワークの作業の中から何か新しいものが生まれてくるという狙い以外は、明確に目指すサウンドがあったわけではないようだ。あの過剰な32ビートを、細野氏が当時「抗ストレス音楽」と呼んでいたのは、おそらく“インターチェンジ効果”(高速から一般道に降りた時に、風景が止まって見える現象)のような効果を例えてのこと。それほど当時の細野氏の日々の生活が、目まぐるしいジャンキーのような状況に置かれていたのかも知れない。またその時期というのは、坂本龍一氏のプロデュース作や、ジェリーフィッシュにリミックスを頼む話もあった高橋幸宏氏の『Wild & Moody』など、YMOの他メンバーもこぞって、ヒップホップ的サウンドに接近していた。しかし、細野氏の 16ビート探求はMC-4を自身で打ち込む中から自然発生的に生まれたテーマで、他メンバーのような海外のヒップホップシーンの翻案といった、外部のダイレクトな影響からではなく、もっと魑魅魍魎としたものだったのではないかと思う。
 だが、そんな私の仮説上では扱いにくい『FRIEND OR FOE?』というアルバムがある。細野晴臣ソロではなく、正式なFOE名義の最初のアルバムだが、かなり歌詞もシリアスな作品で、ここでの音楽の扱いはやや投げやりというか、『S-F-X』ほど手放しで楽しめるものではない。むしろ、元インテリアズの野中英紀氏をパートナーに迎えた理由にも繋がるが、「音楽よりスローガン」という逆転したアルバムになっていると思う。FOE日本武道館のパンフレットを読むとわかるが、2人の間に音楽的な礎があったわけでなく、ただ「敵か味方か?(Friends or FOE?)」という声明だけが、2人を結びつけていたという。いわば本作こそ、彼ら流のステートメントを載せたラップ・アルバムなのだ
 ちなみに「敵か味方か?」というのは、英国のパンクや、NYのヒップホップの曲の中で、対象として歌われる政治家や王族のような“敵の存在”が、日本の社会では見えにくくなってきているという、当時の細野氏の発言に繋がるものだ。その地球規模のグローバルな視点が、野中氏と“共闘”することになった最大の理由のように思う。それ以前は、YMOワールド・ツアーへの失望から、とことんドメスティックに内向して、松田聖子を始めとする和製ポップスの質的貢献をした細野氏だったのだが、この時期はむしろ海外と繋がることを志向しており、後のジェームズ・ブラウンやNYダウンタウンのネットワークだけでなく、ニュージーランドサウンド・テロリスト、ジム・フィータスらとも交流していたほど。一件つながりが見えにくい野中氏をパートナーに選んだのも、彼の留学経験などを評価した、言葉やコミュニケーションの作法の問題からではないだろうか。
 後に近田春夫氏からラブコールを受け、彼のBPMレーベルから「COME☆BACK」を出しているFOEだが、なぜ和製ヒップホップの運動に同調しなかったかについては、「日本には海外のような、カウンターとしてのストリートの音楽など存在しない」という、当時の細野氏の発言が暗示していると思う。近田氏にも「Hoo! Ei! Ho!」という同モチーフのラップ曲があるが、86年の新風営法施行によって、ディスコなどで夜遊びをしていたミュージシャンたちが皆、家に閉じ困られるという状況があった。だから日本に於いては、新しい音楽はストリートには存在せず、むしろ自宅録音をしているヲタクな連中から新しい音楽が出てくるはずだ、というのが細野氏の当時の主張であった。格差社会、階級社会が明確に見えにくい日本では、敵の存在を認識するのが難しく、パンクやヒップホップのようなカウンター的な動きが起こりにくい。そこで細野氏は、「敵か味方か?」という価値観の共有を問うことで、敵の存在をあぶり出そうしたのである。動機付けは細野氏には珍しく、極めてパンクだったりするのだ。
 細野氏が当時、「今はホーム・レコーディングしか信じられない」と語っていたが、その背景には、85年に行われた筑波科学万博への失望の念がある。YMOの初期のころ、「テクノロジー崇拝」の一翼を担っていたことについて、活動期から猜疑心はあったと語っていたが、YMOが社会参加をする際に、かならずパートナーとして手を差し出してくる相手というのが、スローガンを高らかに謳い上げる日本の企業であった。テクノロジーの可能性を誰よりも信じるミュージシャンだったが、筑波万博の狂騒など、結局はただの企業パビリオンの陣取り合戦に過ぎないと、細野氏は論破していた(一方で、筑波万博に多大な貢献をしている、坂本龍一氏とは対照的)。それはかつて、大阪万博を真っ向から批判した、高橋悠治氏の声明に似たものを感じさせる。高橋氏も、国家予算で音楽を作るNHK電子音楽スタジオのようなパトロン文化から早くに離脱し、モーグなどの小型シンセサイザーのシステムで70年代から創作に取り組んでいた。この時期、細野のシステムも『フィルハーモニー』のころよりさらにミニマム化し、レコーディング・スタジオも「LDK」より、六本木WAVEの上階にあったビデオ映像用のMAスタジオだった「SEDIC」主体に変わっている。また機材も、高価だったプロフィット5や装甲車のようなボディだったイミュレーターから、カシオのミニ鍵盤付きのCZ-101のような民生機が中心になっていた。「エコーはヨーロッパの歴史そのもの」と語っていた細野だが、ノンエコーを極めていたこのころの音は、坂本龍一氏が『NEO GEO』で実践していたようなサンプリング手法と、間逆のやり方で“脱領域化”を実践していたと思えるのだが、うがちすぎか?
 さて、当初からFOEは12inch(当時はその折衝案として、ミニ・アルバムの形態が取られていた)主体で活動するグループと説明されており、それを細野氏は「FOEの活動というのはドキュメンタリーであり、ニュースである」からと語っていた。だから12inch攻勢というのは、刷りだしの新聞の号外のような即時性を求めた、FOEというグループの活動を成り立たせるための必須条件でもあったのだが(この辺は、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドのころのZTTレーベルと通じるかも)、実際は日本の商慣習にそぐわないということから、早期にアルバムや7inchシングルへのシフトが要請されている。『SEX,ENERGY&STAR』に細野氏が関わった曲が少ないのは、それがミニ・アルバムから制作が始まって途中でフル・アルバムへと変更されたため。「Sex Machine」の7inch Mixも細野氏の仕事ではない。ラスト・アルバム『SEX,ENERGY&STAR』では、一切関わっていない曲もあったりして(表題も細野氏命名に非ず。これは珍しいかも?)、実態が取材レポートなどのニュースとして紹介されればされるほど、FOEは実態が見えにくくなっていくというアンビバレンツな存在だった。そういう意味では、最後のシングルが、細野氏がFOEを休止した理由をラップで綴る「COME☆BACK」だったというのも運命的だろう。
 ただ、細野氏以外が時期によってイニシアチブを取ることもあった、開かれたグループであったことが、別の面でFOEの魅力にもなっていた。特に私にとって印象深かったのは、後にフェンス・オブ・ディフェンスで再登場する、ベーシストの西村昌敏氏を途中から迎えたことだろう。時期的にはたぶんTMネットワークのサポートをやっていたころだと思うが、西村氏は元々、長戸大幸氏率いるビーイング所属アーティストで、マライアや清水信之氏などのように、スタジオ・ミュージシャンとして活動してきた、ノンスタ周辺では異色のプロフィール。ビーイング時代の仕事では、同社に所属していたアイドルの太田貴子が、声優として出演していた『クリーミー・マミ』というアニメの主題歌でジョルジオ・モローダー・サウンドを実践したり、デビューに1億円をかけたユニット、少女隊の12inch「Forever」のヒップホップ・ミックスなどを手掛けたりして、一部の歌謡曲ファンを唸らせていた。実は後者の少女隊は、当初はマテリアルのビル・ラズウェルに本当に依頼する話もあったらしいのだが、それは果たせなかったものの、西村氏の手掛けた12inch Mixは、あの時期の和製ヒップホップとしてはかなりの完成度を持っていたと思う。西村氏の合流はおそらく、細野氏がだんだん離れていった最後期のFOEに於いて、パートナーだった野中氏にとって心強い存在だったと思う。また、アントン・フィアやアイーヴ・ディエンといったNYダウンタウン周辺のプレイヤー、ジェームズ・ブラウンのような大物から、小林克也氏やスパッツ・アタック(ディーヴォのPVに出ているダンサーで、一時はMELONのメンバーとして日本在住)のような異業種のクリエイターまで参加させて、FOEビル・ラズウェルのマテリアルのようにアメーバ状に変異していった。このあたり、実は横尾忠則氏を迎える計画があったとか、メンバーが「100人になるかも知れなかった」と語っていた、YMOの原型イメージを反映させていた面もあったのかも知れない。
 FOEは、テイチクから離れて近田春夫BPMレーベルから出した最後のシングル、「COME☆BACK」の歌詞で触れられている通り、『SEX,ENERGY&STAR』のミックスが終了した直後、雪道で滑って骨折し、入院を余儀なくされたことから、グループ自体が消滅している。ただ、アルバム完成後の取材時にすでに各雑誌で語っていたように、レコーディング直前に行われた日本武道館でのジェームズ・ブラウン公演の前座で、客からのブーイングを受けたことが、解散の直接のトリガーになっていることは否めないだろう。これまでもグループをいくつも結成しては解散の苦労を味わってきた細野だったが、だからFOEはある種“天啓”によって終わらされされたグループなのだ。日本武道館公演の顛末を語ったときの、「FOEを終える、まあきっかけになったかな」という発言は、失望というよりも、ピリオドを粛々と受け入れるという、クールな佇まいを伺わせるものだ。また、ご存じの方もおられると思うが、日本武道館ジェームズ・ブラウンの楽屋で、細野氏は忌野清志郎氏と初対面を果たしており、忌野氏をジェームズ・ブラウンに引き合わせたのが縁で、後にHIS(細野晴臣、忌野清志郎、坂本冬美)結成に発展していくのだから、何が幸いするかはわからないものだ。
 最後にーー。細野氏は当初、モナドをやりたくてテイチクに移ったのではと私は書いた。が、結果、モナドは当初発表されていたような映像作品、出版などの他事業に進出することはなく、純粋な“商業レコード”のレーベルとして、ノンスタンダードの商品と同じように扱われていった。今の時代から思えば、モナドのようなコンセプトを実践するなら、インターネットの通信販売などの販路を使った限定商品として、“非商業レーベル”として運営するスタイルが模索できたと思う。だが、当時はまだ既成の流通網が音楽シーンを支配しており、市場にとってこの2つは、毛色がただ違うだけの「細野晴臣のレーベル」という意味で、ほとんど同じように扱われていたはず。映画のサウンドトラックだった『パラダイス・ビュー』のようなマス向けにアピールする作品もモナドで扱われていたし、CM音楽集『コインシデンタル・ミュージック』に至っては、明らかに細野氏のポップサイドに配慮した選曲がなされている(事実、これがいちばん売れた)。
 YEN時代には、「YEN MEDIUM」作品を新しい時代の音楽に相応しく2200円というチャレンジ価格で出したり、ゲルニカ『改造への躍動』のように4chのカセット音源をあえて商業リリースしたこともあったが、モナドに於いては、むしろノンスタと同じような「商品」としての有り様が求められていたように思う。モナド=細野氏、ノンスタンダード=それ以外、と私は書いたが、“商業レーベル”“非商業レーベル”とくっきり分けられるほど、2つは表裏の関係にはならなかった。つまりそれほど、ノンスタンダードが受け入れられなかったのだ。しかし、初期作品である『S-F-X』の終幕に、すでにモナドとの混合が見受けられるように、当初から2つは、ブライアン・イーノのようなきっちりと分かれたコンセプト・レーベルにはならなかったんじゃないかと思う。イーノは『No New York』のように、本当に不干渉という非プロデュース=プロデュースを実践してしまうクールなビジネスマン。そうしたイーノの偉業に触発されつつも、やっぱり細野氏が関わると、ノンスタ作品もモナド作品も相似形を描いて、いわゆる「ポップな普遍性を獲得してしまう」というところが、テイチク時代の細野作品の魅力だったりすると思うのだが、いかがだろうか。

『電子音楽 in the (lost)world』(ボーナス・トラック)

 先日、依頼を受けて多くの原稿を書きながら、編者と齟齬があり、私のビブリオグラフィーから消してしまったディスクガイドの話を紹介した。とにかく、集団で本を作るのは難しい。私は普段の本業の仕事で、それを痛いほどわかっているつもりだから、そういう自覚のない編者と仕事をすると、本当に苦労する。不運な事故は必ず起こる。必ず起こることを知ってるから、私はその後をどう処理するかでしか、その人の編集能力というのを評価できない。「不運が理由だから、起こったものはしょうがない」と申し開きされても、「ふ〜ん(不運)」としか答えられないのだ。結果、私としては何ひとつの教訓を得られないまま、ただ本が出ただけで編者との関係は途絶えてしまった。
 拙著『電子音楽 in the (lost)world』は、そんな私を不憫に思って、現在の版元が出版をOKしていただいた企画だ。とにかく、集団でモノを作ることの不毛さを体験したばかりだったので、一人で書きたいというのは、わりと早い時期から固まっていた。『電子音楽 in JAPAN』のインタビューで、東祥孝氏が「五つの赤い風船」を脱退してシンセサイザー作家になった理由として、「大勢で作ると、毎回、いちばんテンションの低い人に併せなければならない」と発言しているのであるが、それは私が感じたあの時の気分そのままである。
 こうしたディスクガイド本を作る時、複数のライターが関わってどうやって自分の持ち分を決めているのか、ライターを志望されている方がおられれば、興味のある話だろう。例えば、私が『ピコ・エンターテイメント』という雑誌でディスクガイドを書かせていただいた時は、私は若輩ライターとしての編集寄りの参加であった。「テクノポップ本」ということで言えば、いつも取り合うのはクラフトワークディーヴォである。本当にみんな大好きなんである。だから、興味のない私は、のびのびとOMDやニュー・ミュージックやテレックスなど、引き取り手がないものを任せていただいた。ソニー・マガジンズの社員だった杉田元一氏はニュー・オーダー研究の第一人者であったし、メイン編集の広瀬充氏は元P-modelのマネジャー出身であるから、浅草ロック系は十八番である。キャラがハッキリと立っている人が参加している時は、ほぼ満場一致でその人に決まる。その判断はたいてい吉と出るものだ。私はライター氏の十八番ネタが毎回少しづつ創意工夫で面白くなっていくのが好きだから、わりと悪ノリしてお願いすることが多い。『ピコ・エンターテイメント』の場合は、YMOディスコグラフィ特集も含め、わりとバランスよくできているのではないかと思う。
 某テクノポップ本も、最初はプロのライターが中心になって参加するだろうと聞いていたので、尊敬する先達ライターの原稿と並んで掲載されることのスリルを楽しみにしていたが、結果としては、S氏や、ベテランバイヤー兼ライターのN氏など、私より上の世代の書かれた「ううん、やはり読ませるな〜」という原稿は一握りであった。途中それについては質問してみたが、いわゆるロック専門の手練れの原稿だと詰まらないから、アマチュアっぽいのは狙いだったそうだ。ふむ……有名な例えで「素人が作ったパソコンマニュアルは読みやすい(※)」というウソがあるんだが、そういう慣用表現はご存じないのか。
 それと、私が毎回悩まされるのは、参加ライターの書けるジャンルの多寡についてである。好きなモノが限定されるキャパの狭いライターと、好奇心旺盛なキャパの広いライターがいっしょにリスト作りに参加すると、中間に立つ編者がバランスを取れない人だと、たいていオイシイものがキャパの狭いライターのほうに渡り、キャパの広いライターが余り物を書かされるという貧乏くじを引くことになる。私は一応、テクノポップ系ライターの末席を汚すものとしては、一通り知って書くというのを信条にしているところがあるので、急場しのぎに依頼された未知のものであっても、その期間に勉強して書くようにしている。だから、この手のリスト決めの時に、心ない選者によっていつも悲しい思いをする。この時も、YMOなど主要アーティストが全部一人のライターに回っており、私はまるで引き立て役のような気分を味わっていた。それが、あまり感心する書き手ではなかったので、意見して競作の形を取らせていただいた。ムーンライダーズやリオなども、別の方が一人で書かれる予定だったのだが、私にも書かせてとお願いして、書きたくないほうのディスクでもいいのでと少し譲ってもらった。原稿のうまいライターとの競作はとても刺激があるので、私もエキサイトするほうなのだが、そうじゃないときは、本が上がった後に思うことはいつも同じで、もっと強く意見しなかった自分に反省する。
 ディスクガイド本である『電子音楽 in the (lost)world』は、実はその時に作られたデータメモが一部流用されている。一応、すべての原稿に手を入れて書き直ししているので、あまりにもモロな流用感はないはずだ。私とてディスクガイド本好きの代表であるから、読者の乙女心はわかっているつもりだ。ただし、タイトル選びもまんまだと大人げないので、一応、流用しないものを決めてオミットしたりはしている。『電子音楽 in the (lost)world』で、「海外のテクノポップ」のカテゴリーをごっそり割愛したのも、発売時期がそれほど離れているわけではないのでという、そういう配慮が実はある。だから、「海外のテクノポップ」についての原稿をサルベージしてあげられなかったのは、生みの親として申し訳ない。もうひとつ、その本では「歌謡テクノ」について一任して書かせてもらっていたが、これを『電子音楽 in the (lost)world』のカテゴリーに入れるべきかどうか最後まで迷っていたものの、ちょうどタイミングよくソニー・ミュージックダイレクトの「歌謡テクノ」企画(その後『イエローマジック歌謡曲』『テクノマジック歌謡曲』となる)が動き出したので、そちらのライナーノーツのほうで思いの丈を発揮して書かせていただいた。実はソニーの2wと、『電子音楽 in the(lost)world』と、まだ日の目を見ていない『OMOYDE』の追加原稿は、締め切りが同じで、拙者はヒーヒーいいながらなんとか入稿を終えるという感じであったのだ。
 その本の中で「日本のテクノポップ」の項目において、私が関わったものはかなりのボリュームがあったのだが、やはり再度掲載ディスクを選ぶにあたって、配慮していくつかのタイトルを差し替えた。結果、「日本のテクノポップ」「歌謡テクノ」「海外のテクノポップ」の3ジャンルともに、やむを得ず『電子音楽 in the (lost)world』に収録できないものが生まれることになった。今回、先日のエントリーを読まれた方から、「その本ってどこで売っていますか?」という問い合わせをいただいたので、現在はすでに流通が一段落付いたのだろう。そこで、せっかくだから『電子音楽 in the (lost)world』や『イエローマジック歌謡曲』『テクノマジック歌謡曲』を買っていただいた方に、ボーナストラックとして残りの原稿を読んでもらえればと思い、ここに再掲載することにした。
 私の原稿が無料開放されたところで、他の書き手の方もいて成り立っている本であるから、甚大な被害があるわけでもないだろう。面白く読んでもらえれば、それがなにより筆者の励みになると思っている。
 
注※……エンジニアなど玄人の原稿は理屈っぽくて読みにくいから、素人の目線で書くと読みやすいマニュアルができるという考え方。しかし、全体像を理解せずに書いたものが多ため、それはエピソード集でしかなく、あらゆる事故を想定していないため論理は穴だらけで、結果マニュアルの体をないしていない。これに対する処し方は「素人が時間をかけてマスターし終わった後、素人のつもりでかく」しかなく、結局は玄人の知識が書き手に要求されるという話。

■日本のテクノポップ

本多俊之『ナイトソングス』(東芝EMI

映像作家・飯村隆彦の同名レーザーディスク用に書き下ろした、デューク・エリントンのカヴァー集。ウェザー・リポートに対抗してと思いきや、内容は過激なジャズ・ダブで、『テクノデリック』や立花ハジメソロに近い、マシーン・ビートによる“現代版ジャズ解釈”を披露している。「A列車で行こう」などは、もろ“レプリカントD.E.”ってな感じ。後藤次利プロデュースの『モダン』から本作までのソロは、KYLYNの同僚、清水靖晃の作品に通じる実験精神が濃厚だ。

糸井重里『ペンギニズム』(エピック・ソニー

TOKIO」の作詞で注目されたコピーライター時代に「近田春夫郷ひろみなら、こっちはジュリーで」とばかりに制作された、唯一のヴォーカル・アルバム。名不条理エッセイとの関連盤だが、南佳孝『摩天楼のヒロイン』のような、こちらはハードボイルド路線。ムーンライダーズをバックにしたA面がニュー・ウェーヴ。ビートルズ風のB面では、珍しい3人組時代のEXの演奏が聴ける。矢野顕子提供曲は本人が後にカヴァー。有頂天「君はガンなのだ」は本作のボツ曲だった。

フォー・ナイン『モア・オブ99.99』(キングレコード

アーバン・ダンスの成田忍、4-D〜P-モデルの横川理彦がプロデビューを飾ったバンドの2nd。元アイン・ソフのKey、服部ませいのユニットだが、プログレではなく高品位なフュージョンで、キングのレーベルもネクサスではなくエレクトリック・バードから。浪速エキスプレスと並ぶ関西フュージョンの気鋭集団だったが、本作でニュー・ウェーヴ化。サヴィヌル風のオリエンタルなシンセ・サウンドがカラフルだが、成田のギターはロバート・フリップ風に変貌している。

ムーンライダーズヌーヴェル・ヴァーグ』(クラウン)

訳すれば“ニューウェーヴ宣言”とも読めるが、ジャケットもサウンドもまるでカフェ・ジャックス。だが、録音の途中に鈴木慶一クラフトワーク体験があり、ぎりぎり1曲間に合った「いとこ同士」で、松武秀樹のMC-8と初のセッションを果たす。『アウトバーン』を参考に書かれた同曲も、まだ未消化でスパークスみたい。YMO結成を前後して、細野が運命的に参加しているのが興味深いが、担当はシンセではなくなぜかスティール・パン。本作から全曲慶一ヴォーカルに。

チーボー『パラダイス・ロスト』(SMS)

後期はインスト主体だったイミテーションに対し、彼女の歌をメインにした解散後の初のソロ。今井裕窪田晴男による東京サイドが半分と、残りはトット・テイラーを起用したロンドン録音。タイトルの「失楽園」のコンセプトやバーバレラ風のアートワークは、本作のキーマンであるリザードのモモヨによる。人造オッパイや妊婦写真などスキャンダラスな印象が強かったゆえ、ミカの再来とも呼ばれたが、それに応え「タイムマシンにおねがい」をカバーしたのが話題に。

マライア『究極の愛』(日本コロムビア)

『愛究』が『究愛』に。『IQ179』収録の「LIZARD」をプロトタイプに発展させたシングル「マージナル・ラブ」で激変。“和製TOTO”と呼ばれたスタジオ集団だったマライアが、清水ソロの路線に導かれ、ジャズ、ハード・プログレと変貌した果てにたどり着いたポストモダンな世界がこれ。金属的なギターや山木秀夫のパフパフ・ドラムなど、小野誠彦の空間処理がロンドン・ニュー・ウェーヴに肉薄するソリッドな音。白い粉にカミソリのアブないジャケットが当時は怖かった。

VA『別天地』(エピック・ソニー

元々はディレクター福岡知彦が新人発掘レーベルとして発想するも、諸事情で1枚のみ残された5人の作家のショウケースがこれ。板倉文小西康陽、重藤功(デイト・オブ・バース)、バナナ、和久井光司が2曲づつ提供しているが、小西やデイト・オブ・バースがブレイクするのはずっと後。MELONの中西俊夫を迎えた小西曲はなんとラップ。バナナの初ソロなど聴き所多しだが、ベスト盤の表題曲にもなったデイト・オブ・バース「キング・オブ・ワルツ」がハイライトか。

F.O.E『FRIEND OR FOE』(テイチク)

前作のO.T.T.路線は、「YMO以来のグループ」=F.O.Eの結成へ。といっても実態はなく、ここでは細野と元インテリアの野中英紀の2人の“運動体”。「味方か? 敵か?」というのは、価値観の共有の可否の意味らしく、野中との結びつきも問題意識からであって、音楽的な礎はない。よって半分の曲が宣言文で、そのためにヒップホップという様式が選ばれたと理解するのが正しい。充実期にあった一方のモナドに対し、こちらはジム・フィータスばりのテロリズム路線に。

ビブラトーンズ『バイブラ・ロック』(日本コロムビア

ファンクバンド人種熱に近田春夫がKeyで加入。「近田メインの商業仕事はビブラ名義で」のルールでスタート。前作はポリス風のシャープなサウンドで『電撃的東京』の続編的サイバー歌謡だったが、キーマン窪田晴男の脱退を契機に、珍しい“野蛮化”の道を行く。歌詞の「はやさ」をアイヤッサーと読み替える土俗祝祭感覚。岡崎京子東京ガールズブラボー』のテーマ曲ともいうべき「区役所」ほか、日常をSF的に捉える近田のディック的視線が見事。大人の不良の音楽。

VA『若いこだま』(トリオ)

坂本龍一『デモテープ1』など、当時の“テクノの末裔”らの音楽性のレベルの高さには驚いたが、インディの流通システムの脆弱だった日本では、UKギターポップの黎明期のような“記録”も少なく、一瞬の煌めきとともに消えたバンドも多い。本作はそんな「時代」を切り取った、久保田真琴監修による新人オムニバス。音はチェリーレッドなど海外のポストパンク世代との共鳴を感じさせるもので、デビュー前のワルスタ、ヤン富田、ケニー井上、カトラ・トゥラーナらが参加。

VA『明るい音楽計画』(ユピテル

スネークマンショーの二番煎じ企画だった前作『家族計画』が好評だったため、同社のMENU、原マスミらが総出演で作られた“音楽編”。コントと音楽は厳密に線引きされておらず、「一人シンセ落語」みたいな友田真吾(Shi-Shonen)のソロなど、ハナモゲラなノリの音楽ギャグ(またはギャグ音楽)で構成される。MENUの星渉のソロ、RAのサンプリングコラージュなども面白いが、白眉はキリング・タイムの変名バンドで、童謡をマサカーが演奏したみたいな変態ワールド。

小林泉美『ココナッツ・ハイ』(キティ)

マライアの前身、フライング・ミミ・バンドでも活動していた実力派。実はプロフェット5の最初期のオーナーで、トーマス・ドルビーらへのシンパシーを公言していた才女。『うる星やつら』で注目された後の待望の初ソロだが、ラテンとテクノの組み合わせは、坂本龍一『サマー・ナーヴス』女性版という感じ。「リン・ドラムを海外で衝動買いした」の逸話に象徴される、インスピレーション先行型の独特なテクノ観が新しい。なんと、後にホルガー・ヒラーと結婚して渡英。

■歌謡テクノ編

つるたろー(片岡鶴太郎)『キスヲ、モットキスヲ』(ディスコメイト)

演奏はイミテーション。全編トーキング・ヘッズ風だが、鶴太郎の歌が上手いんで大沢誉志幸ばりの完成度に。モモヨが参加、赤城忠治がフィルムスの未発表曲「さよならロマンス」ほか3曲を提供。小森和子の物真似も笑える。

藤真利子『狂躁曲』(テイチク)

個性派女優だが『マニア・マニエラ』にも参加するライダーズ一派。白井良明岡田徹が編曲のキーになり、『マニエラ』風のアヴァンギャルド路線に。ジュリー提供の「薔薇」は名曲。辻井喬堤清二)詞参加など'80年代ノリ。

高見知佳「怒濤の恋愛」(日本コロムビア

戸川純作詞だがソロとは同名異曲。矢野顕子の曲を、日本コロムビア時代のShi-Shonenの戸田誠司がアレンジしている。「ド、ド、ド、ド、怒濤の恋愛」というスクラッチサウンドに腰が抜けた。B面は太田裕美の裏名曲のカバー。

安野とも子「LA MUSIQUE EXOTIQUE」(キャニオン)

秋山道男詞・細野晴臣曲のデビュー12inchは、エキゾティカなSEや仏語の詞の印象もあって、初期YMOに通ずるエレガンス。仲條正義ADのため、ほとんどノンスタ作品ノリ。同メンバーによる別シングル「Mysterieux」もある。

杏里『哀しみの孔雀』(フォーライフ

3rdは突如、鈴木慶一Proでムーンライダーズが全面参加した欧州路線。アルバムが出なかった'81年だけに濃厚なライダーズ仕事ぶりで、ほとんど『青空百景』。比賀江隆男曲「セシルカット」は後にヤプーズがカバー。

少女隊『FROM S(SPECIAL)』(ワーナー・パイオニア

西村昌敏(麻聡)がやった「Forever」も凄かったが、本作が決定版。細野晴臣コシミハル、西村起用でほとんどF.O.Eのアルバムと化す。細野曲はなんと「メイキング・オブ・ノンスタンダード」をリサイクル。LPは内容別モノ。

松金よね子「一ツ星家のウルトラ婆さん」(バップ)

同アニメの声優だった松金が歌う主題歌。沢田研二曲、後藤次利編曲で『鞍馬天狗』路線の格好良さ。松武秀樹の濃密な音は「あららこらら」に匹敵。作詞の高平哲郎には、大野方栄「変人よ我に帰れ」なる殺人テクノもある。

ツービート「俺は絶対テクニシャン」(ビクター)

『東京ワッショイ』の遠藤賢司の曲をダディ竹千代と東京おとぼけキャッツが演奏。元ネタは「ラジオスターの悲劇」か? ギターシンセの名手、編曲の浦山秀彦がステージでシンドラムを蹴り鳴らす“テクノの珍解釈”には唸った。

倉田まり子「恋はAmiAmi」(キングレコード

テレックスが手掛けたリオ『美少女』の同名曲を忠実にカバー。康珍化が詞を付け、松武秀樹『デジタル・ムーン』の石田勝範が編曲。編み機のCMに本人が登場し、振り付きで「アミ、アミ、アミ」と歌っていたのも懐かしい。

わらべ「めだかの兄妹」(フォーライフ

番組でかかっていた原曲は童謡風だったが、それを坂本龍一がアカデミックに再編曲。B面「春風の郵便屋さん」も、ドナルド・フェイゲンばりのジャジーな分数コードの応酬が気持ちいい。次作「時計をとめて」は松武秀樹編曲。

小泉今日子「まっ赤な女の子」(ビクター)

聖子のエピゴーネンから脱却するのはこのころから。筒美京平の曲で、ボコーダープラスチックス風のピコピコサウンドは、佐久間正英本人の編曲。Keyで茂木由多加も参加。ほか、細野、近田春夫など、関与した作家は多し。

平山美紀「マンダリン・パレス」(ワーナー・パイオニア

ビブラトーンズと組んだ『鬼ヶ島』の前に出ていたミュンヘンサウンドもの。ディスコを探究していた時期の筒美京平編曲で、ジョルジオ風のシンセを披露しているのは若き日の坂本龍一。ソリーナの音やコード編曲が初期YMO風。

ひょうきんディレクターズ「ひょうきんパラダイス」(キャニオン)

YMOもよく出演していた『オレたちひょうきん族』のスタッフ哀歌。大谷和夫のチープ狙いのサウンドが今聴くと逆に新鮮。SHOGUNでもP-ファンクのシンセワークを研究していた、大谷のテクノ編曲は今一度再評価されるべき。

村越裕子「京都の恋」(テイチク)

三原順子がプロデュースした新人。ベンチャーズ『カメレオン』への返答か、あの名曲が和風テクノ編曲で蘇った。山田邦子「アンアン小唄」も凄かったアヴァンギャルド矢野誠の編曲は、YMOとは別次元の極みがある。

中森明菜「禁句」(ワーナー・パイオニア

同コンペに提出してボツになったのが、YMO「過激な淑女」という逸話は有名。当時の細野晴臣のマイナー路線は、ウルトラヴォックスの影響によるもので、ほかに藤村美樹「夢◆恋◆人」などがある。共同編曲の萩田光雄も名職人。

沢田研二「晴れのちBLUE BOY」(ポリドール)

TOKIO」はまだカーズ風なので、真打ちはこれ。詞は銀色夏生、ジャングル風の編曲は大村雅朗という、太田裕美組が参加。白井良明編曲「6番目のユウウツ」の「ペールギュント」の引用など、当時のジュリーは過激だった。

ブレッド&バター「特別な気持ちで」(ファンハウス)

スティーヴィー・ワンダー「心の愛」の原曲がこれ。YMO結成時に録音されオクラになった細野編曲が、6年後に発掘され、ヴォーカル再録音でリリース。もろ幸宏+坂本の一発録り風なシンセ・サウンドが今聴くとスリリング。

■海外のテクノポップ

トーチ・ソング『エクジビットA』

マドンナを始め、ブラー、ベックと数々のVIPのお墨付きを戴くグラミー賞プロデューサー、ウィリアム・オービットの下積み時代。本作は1stからの抜粋と未発表曲によるベスト盤。ローリー・メイヤーのヴォーカルの中近東風アクセントが面白く、4AD・ミーツ・ニュー・オーダーという感じ。「パーフェクト・キス」に匹敵するマジカル・チューン「ドント・ルック・ナウ」は不朽の名曲。血の通わぬスティーヴ・ウィンウッドのカヴァーに、都会的なスマートさがある。

ヴァイシャス・ピンク『Vicious Pink』

名盤VA『TOKYO MOBILE MUSIC』のレーベルからデビューした、ジョシー・ウォルデン、ブライアン・モスという長身女短身男2人組。グループ名をこれに改め、トニー・マンスフィールドの薫陶を受けてからは、彼のフェアライトCMIの実験場として、数々のポップ・シングルを共作した。本作はカナダのみ発売のアルバム。トニマン節炸裂で、最新技術グラニュラー・シンセシスなどを駆使した「火の玉ロック」のカヴァーなど、ネイキッド・アイズと並べて評したい面白さ。

スタンプ『A FIERCE PANCAKE』

名盤『C-86』から飛び出した、キャプテン・ビーフハートの末裔バンド。裏XTCと呼ばれた初期のバンド・スタイルから、メジャー移籍の本作でホルガー・ヒラーにプロデュースを依頼。摩訶不思議な変態ポップの至宝を生み出した。まるでオカルト映画なミュージカル・ソーを弾いているのが、ベース&スティック担当のケヴ・ホッパー(exハイラマズ)。サウンドはヘヴィーだが、どこかにやけた味わいは、ネイキッド・シティーに通じるカートゥーン・センスを感じる。

ラー・バンド『Past,Present & Future』

元アップルの音楽監督で、『小さな恋のメロディ』の音楽などで知られるリチャード・A・ヒューソンが、'70年代末期に始めた「英国初のワンマン・プロジェクト」。曲によってはシャカタク風だが、テクノ・ミーツ・フュージョンの良作として、DJに愛され続けている。奥方をヴォーカルに迎えた「Clouds Across The Moon」は、砂原良徳から杉作J太郎まで、数々のフォロアーがカヴァー。本作は初のシングルスで、Ver自体が異なる数多あるベストの中でも屈指の出来。

アンディ・パートリッジ『テイク・アウェイ』

『GO+』の試みに味をしめ、XTCのマルチテープを素材に果敢なダブ処理を施した初のソロ。例えば「がんばれナイジェル」の回転数を半分に落として「ニュー・ブルーム」に改作するといった、原形をとどめない再構成ぶりに驚かされた。本作のヒットで英国産ダブに皆が注目。未来派の引用やポップアートなジャケットなどは、美術学生だったアンディのダダアート趣味の片鱗。ECMジャズ風や偽アフリカなど、のちのホモ・サファリの原型も見られる。

XTC『ホワイト・ミュージック』

ピストルズに続くヴァージン発パンク第2弾」としてデビュー。アルバム名や「ディス・イズ・ポップ」など標語のような曲題は、美術学生らしいアンディのアート趣味。今はギターバンドとして知られるXTCも、初期はキーボードをアクセントにしたひねくれポップで、スクイーズらと並んでテクノポップの変種として紹介されていた。金属的なプロデュースはジョン・レッキー。バリー・アンドリュースのクラスター奏法など、現代音楽への精通も伺わせた。

XTC『GO2』

ツアーで多忙な中で、シングル曲がなく、初めてバリーが書いた曲も出来は凡庸で、アンディ自身も失敗作と認める2nd。とはいえ、ディーヴォに肉薄する「メカニック・ダンシング」の人力テクノ路線など、聴き所は多い。ジャケットはヒプノシスのボツ作品、題名はツトム・ヤマシタのもじりなど、時代遅れのプログレの再利用などはダムドの屈折感にも通ずる。初回1.5万枚には、同素材を改作した『GO+』なるメタリックなダブ・シングル付き。本作を最後にバリーは脱退。

XTC『ドラムス&ワイヤーズ』

バリー脱退後、トーマス・ドルビーも立候補していた話は有名だが、結局G兼Keyのデイヴ・グレゴリーを迎え、ギターバンドとして強化する選択肢を選んだXTC。ロボットリズムは「ヘリコプター」のみで、すでに弦のアンサンブルと空間処理という『セツルメント』に至る文法を確立している。プロデュースは『ブラック・シー』の名匠、スティーヴ・リリーホワイトYMOがゲート・リヴァーブ導入のヒントを得たことを思えば、XTCの変貌はテクノポップの一歩先を行っていた。

ザ・バグルズ『ラジオスターの悲劇(プラスティックの中の未来)』

表題曲はテクノポップ史最大のヒット曲で、MTVの開局1曲目がこれだったのも運命的。トレヴァー・ホーンジェフリー・ダウンズという英国ポップの2大要人のデビュー作だが、2人の出自はプログレで、シングルに比べアルバムはかなりシンフォニックな構成。「思い出のエルストリー」は有名な英国の撮影所のことだが、あの時代にしてビデオというよりフィルム的な質感があった。テクノポップ化は一時の気の迷いとばかりに、2人はこの後、なんとイエスに加入。

トーマス・ドルビー『光と物体』

ウディ・アレン『スリーパー』のような「彼女はサイエンス」がMTVで大ヒット。PVにも出演している考古学者の父に持ち、幼少期はボヘミアンのような生活を送っていたトーマスは、書く曲もアラブ風からジャズ・モードまで、かなり個性的。16歳でシンセを使い始め、自らエンジニアも務める才人だが、ダニエル・ミラーから矢野顕子まで、個性派ゲストをとりまとめるプロデューサー気質はここでも発揮されている。P-ファンクがルーツと語る、リズムの解釈が非凡。

トーマス・ドルビー『地平球』

マシュー・セリグマン、ケヴィン・アームストロングら英国ポップ要人とのトリオを基本形に、ベルギーのテレックスのスタジオで録音された2nd。アデル・ベルティの参加には驚いた。密室的な実験性は薄れたが、フラクタルを凝視するような自然科学への好奇心を感じるサウンドは彼ならでは。マシューのベースはもろジャコパスで、本作のオーガニックな質感は、後のプリファブ・スプラウトのプロデュースで開花する。ダン・ヒックス「私がこわい」のカバーがユニーク。

フライング・リザーズ『ミュージック・ファクトリー』

首謀者は美術学校に通うダダイストの青年、デヴィッド・カニンガム。精肉場にテレコを持ち込み、シンセを通した段ボール箱を叩いて録音した「サマータイム・ブルース」でデビュー。お経のような素人ヴォーカルが恐ろしく、笑いのユーモアがパンクより過激であることを証明した。録音中に起るミスタッチを積極的に採り入れる「エラー・システム」の概念などは、イーノのポーツマス楽団的。わずか6ポンドで制作した「マネー」のカバーが、全英5位のヒットになった。

フライング・リザーズ『フォース・ウォール』

冒頭曲で、J・S・バッハの「朝起き鳥」を引用するセンス。1stのデボラ嬢から、NYのパンクバンド、スナッチのパティ・パラダインにヴォーカルが交代するが、脱力ぶりは変わらず。前作に加え、カニンガムの指導者マイケル・ナイマンやピーター・ゴードン、なんとロバート・フリップが参加してフリッパートロニクスを弾いている。ジャケのアフリカ絵画の印象か、テイストはイーノ『ブッシュ・オブ・ゴースト』に近い。「A-トレイン」などは中期YMOと合わせ鏡のよう。

ゴドレー&クレイム『フリーズ・フレイム』

元10CCの2人が、新楽器ギズモの完成でスピンアウト。中学の美術室で出会った運命から、後にPV監督として大成するが、よって音楽活動も映像追求型。「アイ・ビディ〜」のハーモナイザーによる声のトリックは、まるで音のSFX。'80年代クリムゾンやポリスなど、新世代の影響下にあるのは一目瞭然で、ここには第3のメンバー的存在だった、フィル・マンザネラの尽力がある。シングル化された「ニューヨークのイギリス人」は、ザッパ・ミーツ・ガーシュイン風。

ゴドレー&クレイム『イズミズム』

前作の音の実験路線から、こちらはメッセージ性を打ち出し、タイトルも「主義至上主義」。だが、後のサンシティへの協力や『グッバイ・ブルー・スカイ』の環境破壊反対に至る社会理念が、音楽を犠牲にしてるように思う印象も。モータウン風PVが笑える「ウェディング・ベル」以外は、ギズモの音すらしない、レジデンツみたいなモコモコした音の世界。後に本作はコラージュの名手ルー・ビーチがジャケを改め、ラップ曲「スナック・アタック」を表題にして米リリース。

カジャ・グーグー『君はTOO SHY』

前身アート・ヌーヴォーはジャズもどきのバンドだったそうで、そこにデュラン・デュランニック・ローズの画策で、クリス・ハミル(リマール)を合体させて結成。ベースのニック・ベッグスが弾くのはスティック(!)で、ウェザー・リポートのようなエキゾチックな曲を書くなと思ってたら、現在はECMで弾く本格派に。一時の気の迷いとはいえ本作の出来は素晴らしく、初めて聴いたPPGのシンセワークの面白さには仰け反った。後にリマールが脱退し、ファンク指向に。

OMD『安息の館』

前作の世界的ヒットで成功のキップを入手。メロトロンを導入して、デビュー以前の本来のコラージュ感覚を復活させた本作は、あきらかに10CC『サウンドトラックス』の影響下にある。「アイム・ノット・イン・ラブ」へのオマージュともとれる「愛のスヴェーニア」の、少年唱歌隊のような歌に惹き込まれた。英題とピーター・サヴィルのデザインのマッチングは見事で、クールな表題曲(インスト)のミュージック・コンクレート風な仕上がりは、次作の予告編のよう。

スクリッティ・ポリッティ『ソングス・トゥ・リメンバー』

トーキング・ヘッズ風のリズムにシルクのようなグリーンの声がよくハマる。R&Bやファンクをベースにした初期はテクノポップに非ずだが、カンに心酔していた急進的学生だったグリーン・ガートサイドらしく、「スウィーテスト・ガール」のシングルで、ロバート・ワイアット翁をゲストに招く通人ぶり。ヒューマン・リーグのジョー・カリスが一時在籍するなど、メンバーは初期から流動的で、そこにレーベルメイトだったデヴィッド・ギャムソンが加入して、次作で激変。

スクリッティ・ポリッティ『キューピッド&サイケ』

P-ファンクのジェシカ・クリーヴスなどを手掛けていたギャムソンと共謀し、NYのパワーステーションで録音された「ウッド・ビーズ」は衝撃的だった。ヒップホップの消化ぶりも、ジャケのヨゼフ・ボイスの引用センスと同様にスマート。フェアライトCMIのページRの見本のような「ヒプノタイズ」で、マサカーのフレッド・メイハーが加入。その縁でか、ロバート・クワインマーカス・ミラーなどNY地下人脈が参加している。筆者にとってテクノポップの到達点はここ。

ヴァーナ・リント『シヴァー』

なんと名門リンツ・チョコレートのご令嬢。「スウェーデンの女スパイ」というふれ込みは半分本当で、元々諜報機関で働いており、6カ国語もペラペラ、ブリックス・モノの広告のモデルにも出演する才女だった。盟友トット・テイラーを編曲に招いた本作は、早すぎたスウェーディッシュ・ポップの名盤。ラロ・シフリン風のデビュー曲「アテンション・ストックホルム」では、調書を読み上げるモノローグのアイデアなどが、ピチカート・ファイヴに多大な影響を与えた。

ヴァーナ・リント『プレイ/レコード』

スウェーデンのアバのスタジオで録音された前作から一転、3週間の休暇でロンドン旅行中に、即席で作られた2ndがこれ。ジャケットの印象もあり音は陽性で、B-52's風のツイスト曲「アド・イット・アップ!」のキュートさにノックアウトされた。OLの余暇の趣味としては高級で、イミュレーターの一筆書き的なコラージュにもダダ的なセンスが見られる。人工甘味料的な「ワイルド・ストロベリー」はシングル向き。随所に表れるジャズ・イディオムの引用もデア・プラン風。

テレックス『テクノ革命』

'70年代初期にモーグ盤をヒットさせていたエンジニアのダン、編曲のマルクも仏音楽界で長いキャリアを持つ人で、そこに建築家のミッシェルが加わって結成という流れがYMO的。MC-4にモーグIIIと機材も共通で、マーティン・デニーを電子化した曲もある。“ベルギーのクラフトワーク”的存在だが、「モスコウ・ディスコウ」も『ヨーロッパ特急』のローカル線。1stはクラフトワークと同じ8ch録音で、「パクモヴァスト」で聴けるソロはジャズの香りもあってお洒落。

テレックス『ニューロヴィジョン』

ユーロヴィジョンコンテスト出場で不名誉なワースト4位に。その恨みか、NEU(病的)と付けた皮肉なタイトル。とはいえ初期の傑作ともいえる完成度で、スライ「ダンス・トゥ・ザ・ミュージック」のメンバー紹介のアイデアなどは白眉。アン・スティール「マイ・タイム」ほか同時代曲のカバーを取り上げるのがテレックスの謎だが、各々が本業を持つ彼らにとっては、それも日曜大工的な楽しみか。英・仏語版の2種類があり、仏語版のみ案内嬢としてフランスのリオが登場。

テレックス『SEX』

タイトルはメンバーではなく、全詞を手掛けるスパークスのセンス。リオ『美少女』のカナダ版制作で知り合ったメイル兄弟に、英語圏進出の目論見もあってか、全詞を依頼して作られた英語アルバム。初の24ch録音で、シンクラヴィア導入や専用スタジオの完成で厚みのある音に。英国では4曲のみ重複の『Birds & Bees』としてリリースされるが、その中の「ラムール・トゥジュール」をコシミハルがカバー。その録音で、以前からファンだった細野晴臣との念願の共演を果たす。

リオ『アムール・トゥジュール』

1曲のみ参加でテレックスが離れるが、詞はジャック・デュヴァル、プロデュースはシャンソンの貴公子、アラン・シャンフォーと浅からぬ縁のメンバーが協力。アランは当時、『錻力の太鼓』のようなソロを出しており、おそらく本作も同様、シンセパートはMのウォリー・バダロウによるものと思われる。前作より生バンド風の仕上がりだが、「ジッパ・ドゥー・ワー」のブラスバンドのコラージュや、ノー・ウェーヴ風ギターなど、ここでもフェアライトCMIのプログラミングが活躍。

ジー・メルシエ・デクルー『プレス・カラー』

キッド・クレオールを輩出したNYのZEレコードの歌姫。創設者の一人、ミッシェル・エステバンのパートナー的存在で、女優、詩人、画家の顔を持ち、パティ・スミスと親交を持つ。ノー・ウェーヴ系でもポップ寄りで、ジャズの引用ぶりなどはローラ・ロジックのNY版といったところ。クセになるハイトーンなVoに、当時坪田直子ファンだった筆者は萌えた。なお、日本ではここからラロ・シフリンのカバー「スパイ大作戦」(インスト)がシングルカットされたのが謎だった。

ジー・メルシエ・デクルー『マンボ・ナッソー』

エステバンがZEを離れて設立したITレコードからで、当時話題の地、ナッソーのコンパスポイントで録音された。フェイク・ジャズから一転して、プロのミュージシャンがバッキング。クール&ザ・ギャングのカバー「ファンキー・スタッフ」のキメキメの編曲に舌を巻いた。keyでMのウォリー・バダロウが参加しており、ニーノ・ロータをカバーした小品で、テクノポップ風アレンジを披露。「ビム・バム・ブム」を予告編に、次作はアフリカ録音に至る。以降の作品もすべて傑作。

ネイキッド・アイズ『僕はこんなに』

ニュー・ミュージック解散後、トニー・マンスフィールドがもっとも心血を注ぎ、プロデュースのみならずUSツアーにも同行した、ロブ・フィッシャー(key)とピート・バーン(Vo)の2人組ユニット。バカラックのカバーや「プロミセス・プロミセス」の題名拝借など、'60年代メロディー志向で、そこがビートルズをカバーするトニーと波長が合った理由か。先に米国で成功するが、トニーも本作の成功を足掛かりに、トレバー・ホーンと並ぶ人気プロデューサーとして飛躍。

ノエル『危ないダンシング』

プロデュースはスパークスのロン&ラッセル・メイル兄弟。ジョルジオと組んだ『No1. IN HEAVEN』と同路線の音で、構成も同様にノンストップのメドレー形式。彼女の正体は不明だが、詞もスパークスらしく「アイ・ウォント・ア・マン」と性表現も露骨で、当時はドラッグ・クィーンのはしり的に雑誌で紹介されていた。表題曲とそのインストが並列に収録されているのに水増し感を感じるが、当時はDJが2枚がけでプレイするように、こうしたお遊びのトラックが用意されていた。

フンペ・フンペ『これが人生だ』

パレ・シャンブルグのコーラス嬢、フンペ姉妹のデビュー作で、「ヤマハ、三菱、トヨタ、スズキ」と日本の企業名を並べ“これが人生だ”と歌う表題曲がヒット。欧州一日本人商社マンが多いドイツならではだが、吉祥寺に住んでいたゲストのサイモン・ジェフスの入れ知恵との説も。実はノイエ・ドィッチェ・ヴェレ時代からのベテランで、本作は名匠コニー・プランク、ローマ・ボランの両面プロデュース。MIXのガレス・ジョーンズの硬質な音に、彼女らのファニーな声がマッチ。

VA『ブリュッセルから愛を込めて』

欧州の中心に位置する、文化交流地点ベルギー発、クレプスキュールの作品集。ファクトリーと兄弟関係にあり、後年、NYのアヴァン系作家の出先機関の機能も果たした重要なレーベル。本作も実は英国作家が中心で、ドゥルッティ・コラムの最初期の録音も含むポストパンク時代の息吹きを、ロンドンから離れた地で記録したもの。ジョン・フォックス、トーマス・ドルビーらポップ組と同格で、マイケル・ナイマンら現代音楽作家の室内楽曲が並ぶ構成がお洒落で新しかった。

VA『ヤング・パーソンズ・ガイド・トゥ・コンパクト・オーガニゼーション』

ピンクの箱入りで登場した、トット・テイラー監修のオムニバス第1弾。ゴージャスなサウンドもすべてDX7や小編成コンボの多重録音で、制作費はパンク並みでもメジャーと比肩するプロダクツが作れることを証明した。シェイク/シェイクはエンジニア、シンシア・スコットは彫刻家と、実は皆、正体は本業を持つパートタイマーで、レーベルごっこの楽しさがカタログの充実に結びついた希有なケース。アコースティック曲まですべてに、テクノのDIY精神が息づいている。

アン・スティール『ANN STEEL』

ディーヴォ風のジャンプスーツの衣装で歌う、イタリアのアイドル。宙づりのジャケのトリック写真などもいい味。テレックスがユーロヴィジョン・コンテストで共演し、後にカバーした「マイ・タイム」のオリジナル歌手で、こちらもスパークス風16ビート・シーケンスの楽しい仕上がり。「恋はアミアミ」に激似なカマトトポップもあり、リオ『美少女』のイタリア版といったところ? ジノ・ソッチョらを例に“イタリアテクノ起源説”を語る際に重要な意味を持つ一枚。

X-TEENS『ラヴ・アンド・ポリティクス』

基本はパブロックだが「キーボードとギターがまるでディーヴォ」な、パンク胎動期を真空パックしたようなノースカロライナのバンド。ザッパ、イーノがヒーローというテディ(Key)の飄々としたプレイが白眉。コンピュータ担当の第5のメンバーがいたりとYMO風なのが笑えるが、R.E.M.で知られるドン・ディクソンがプロデュースする音は、どれも素晴らしい。日本でも出た3rdが本作で、アコースティック・ファンク路線は、初期のトーキング・ヘッズを思わせる初々しさ。

キャプテン・センシブル『ウーマン・アンド・キャプテン・ファースト』

ダムドのレイモンド・バーンズのソロで、トニー・マンスフィールドのプロデュース。ここからミュージカル『南太平洋』の挿入歌「ハッピー・トーク」カバーが全英1位に。人懐っこいキャプテンの曲を、『ワープ』の手法でクールにアレンジするトニーの手腕は、人工甘味料ポップとでもいえる絶妙な味わい。「ブレンダ・パート1」の間奏で『アウトバーン』風のアレンジを施したり、「マーサ・ザ・マウス」は電脳フォーク風だったり、アイデアと編曲の溶け合いぶりが見事。

キャプテン・センシブル『POWER OF LOVE』

ハッピー・トーク」の成功もあって、トニーは当時の最先鋭機フェアライトCMIを購入。前作の悪ノリ路線はそのままに、出たとこ勝負な実験精神がビギナーズラックを呼んだか、奇跡のような仕上がりの1枚に。『ワープ』の続編的ファンキーなストローク曲が聴ける、プリンス風のひしゃげたファンク「STOP THE WORLD」など、トニーとの共作曲も増え、まるでダブルキャストのよう。初期ピンク・フロイドのカバーも含む、テクノ・サイケデリアなアルバム構成も見事。

マテリアル『メモリー・サーヴス』

首謀者は無名時代のビル・ラズウェル。ノー・ウェーヴと同世代組だが、P-ファンクの影響をベースにしながら、グループ名をフルクサスから拝借するアート感覚も。ルーツのわからぬフレッド・メイハーの重厚ドラム、ドイツの電子音楽の影響と語るマイケル・バインホーンの奇妙なシンセワークとのトリオが基本形だが、次作以降はアメーバ状に変異していく。悪名高きジョルジオ・ゴメルスキーのクレジットもあって、イタリア系マフィアな臭いがするのもまた魅力。

デイヴ・スチュワート&バーバラ・ガスキン『シングルス』

カンタベリー系の天才鍵盤奏者だが、参加していたブラッフォードがクリムゾン再編のため解体。そんな中、突如モータウンのカバー「恋にしくじったら」をリリースして驚かせた。そこから命名したブロークンレコードから、A面カバー/B面自作曲のシングルシリーズをスタート。パートナーを務めたのが元スパイロ・ジャイラのバーバラ嬢だった。トーマス・ドルビーやXTCを取り上げるセンスが、英国ポップファンの琴線を直撃。アカデミックなコードワークは未だに新鮮だ。

ニュー・オーダー「ブルー・マンデー」

イアン・カーティスの死を知らされた月曜日の憂鬱が主題。ここで聴けるクラフトワークの影響も、故イアンの置きみやげ。「ありえねー」って感じのキック連打から始まる、素人の手探り感まるだしのデジタル・ビートが、世界で100万枚売るヒットに結実。歌詞に漂う“死の匂い”からドアーズとの近似が語られるが、サウンドモリコーネの西部劇のディスコ版で、ある意味マテリアル「夕陽のガンマン」よりそれっぽい。次作ではイタロ・ハウスへの傾倒をより深めていく。

イップ・イップ・コヨーテ「PIONEER GIRL」

IRSからデビューしたロカビリー組を、トニマンが過剰にプロデュース。プリファブ「フェローン・ヤング」風のバンジョーフィドルをサンプルした電脳版C&Wで、牛の鳴き声やジューズ・ハープまで登場。12inch版が絶品。

(了)