POP2*5

過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

失われし化石メディア、カセットテープの残した教訓

 過日、当時のスタッフが90年代初頭のフリッパーズ・ギターと彼らを取り巻く時代について記した、某ブログのことを紹介させていただいた。ひっそりと始まったと思っていたのは小生だけのようで、現在、某ジャンル別ランキングでは第2位という驚異のアクセス数を記録しているという(ちなみに第1位はオレンジレンジ関連)。8月25日の発売日を目前に、カウントダウンを迎えており、現在怒濤の更新が続いていて目が離せない。実は私、このブログを始めたのが縁で、先日、そのスタッフの方とお会いすることができたのだ。ええい、おわかりの方も多いだろうから書いちゃうけれど、当時のプロデューサーだったM氏である。山下達郎から、加藤和彦ヨーロッパ3部作、「い・け・な・いルージュマジック」にノンスタンダードレーベル、フリッパーズと、私の音楽遍歴は常にM氏の後ろ姿を追っかけてきたと言っても過言ではない。勝手ながら私だけ、氏を質問攻めにしながら、中学時代の自分に語って聞かせてやりたいほどの、幸せなひとときを過ごさせていただいた。さすが元戸田誠司氏のプロデューサーだけあって、ネット関連の事情に精通されており、ブリッパーズ・ブログを始めた理由などを聞くにつけ、流石ヒットメーカーは着眼点が違うと唸らせられた。某フリッパーズ・ブログも、次から次へと繰り出される当時の資料には刮目させられることばかりで、改めてスタッフやヴィジュアルチーム(コンテンポラリーの信藤三雄氏)が果たした役割が大きかったことを再確認した。CDの再発だけじゃわからない、写真と文字による歴史。ブログの重要性を再認識している今日このごろである。
 中でもフリッパーズ・ギターのデビュー前に作られた、カセットテープについては今や伝説となっている。実際はマスコミ関係者や友人配布用のものだったようで、三軒茶屋のフジヤマなどの自主制作の店でも見かけたことはなかったが、私がM氏と初めていっしょにお仕事をしたEXしかり(デモテープのラベルに書かれていたTAPE-Xから命名)、音楽界の伝説はいつも、一本のカセットテープから生まれてきたのだ。逆にデモテープを作らず、しょっぱなからプロ用のスタジオAで録音していたYMOなどは、いかに恵まれた環境にいたかがわかるだろう。
 カセットテープと言えば、実は私もかなりの物持ちなほうである。拙著『電子音楽 in the (lost)world』でも、この手のディスクガイドでは珍しく、ムーンライダーズ『マニア・マニエラ』や、VA『TRA』『東京1ダース』『GGPG』などのカセットテープ作品を取り上げている。電子音楽関連というルールで選んだものであるから、ジャンルを別とすればまだまだ紹介しきれないほどある。私の高校時代、坂本龍一『AVEC PIANO』(思索社)がヒットしたことが契機となり、本とカセットが合体した「カセットブック」がブームとして一世を風靡していたのだ。その後在籍した『宝島』でも、P-model『スキューバ』や、至福団、町田町蔵など、レコ倫のブラックリストにマークされているような過激なアーティストが、カセットメディアを利用してゲリラな形態で活動していた。テキストと音の組み合わせは、声明文を盛り込んだりといった、ミュージシャンのステートメントを表明するのに最適な形態だったのかも知れない。佐野元春VISITORS』だって、大胆なラップ・ミュージックへの転身は、その直前に小学館から出ていた実験的なカセットブック『エレクトリック・ガーデン』(後にCD化)があればこそだし。
 ただ今は、CDだDVDだのとニューメディアに押されぎみで、カセットテープは倉庫の奥に追いやられている状況だ。友達からも、捨てちゃえばいいじゃんとよく言われる。しかし、これらを私が捨てたら、いったい誰が後生に伝えることができるのか? レコードもレーザーディスクも、80年代中期の珍しいCDなども、半ば使命感を感じて保存している私。というのも、よくレコード会社からのCD復刻の際に「ジャケットを貸してくれ」と言われることが多いのだ。ご存じない方もおられるかも知れないが、レコード会社にオリジナルの盤が残っているケースはけっして多くはない。以前も紹介した、日比谷の国会図書館には戦後のレコードの8割が保存されているレコード資料室というのがあるのだが、ここでジャケットを撮影して、奥付に資料提供として同所の名前が入っている復刻CDも多い。だが、権利者の承認印が必要だったり、持ち出し禁止なので館内で撮影しなければならないなど、制限が多いために個人のコレクターから借りることのほうが今は多いかも知れない。以前は雑誌の懐メロ特集などで、中古レコードの老舗「えとせとら」のクレジットをよく見かけたが、出版社からの問い合わせが多すぎることを理由に、現在は買い取りorレンタル料支払いの形になっている。最近のディスクガイド本では、音楽評論家の立川直樹氏が私物のコレクションを寄贈して話題になった、金沢工業大学のレコードライブラリーから借りて撮影するケースも増えているらしい。
 ではなぜ、レコード会社には一切残っていないのか? これについては、複合的な理由がある。先日ビデオクリップ消失に関連して書いた「固定資産税」の対象となる問題で、廃盤タイトルを早期に処分するように命令が下るケースもある。あるいは、個人の私憤というのもあって、ある女性歌手の担当ディレクターが、喧嘩の末に移籍することとなり、それまで録っていたサウンドボード録音のライブやデモテープの一切合切を、個人の判断で処分したのを見たこともある。90年代に入ってからは、M&A(企業買収)による経営者交代が激しく、以前の事業計画が受け継がれないケースも多い。特にカタログの移動というのは素人にはわかりにくく、コロムビアミュージックエンタテインメントはすでにコロンビアのカタログを保有していないし(現在はソニー)、ビクターエンタテインメントだって、持ってるのは犬のニッパー君の肖像権だけで、同社のアイデンティティだったRCAビクターの膨大な洋楽カタログは、現在はBMGファンハウスに移っている。特にレコード会社は離職率が高い業界でもあるので、自社のカタログに通じている社員というのも少ないため、在野の研究家らが選曲などに関わるケースが増えてきているのはご存じだろう。放送局もしかり。例えばNHKで放送された『ヤングミュージックショー』などのライヴ音源も、権利上は第一放送権しか持っていないため、映像を自社倉庫で保存管理しても再使用できる保証はない。特にNHKはその意識が厳格なようで、放送後にさっさとテープを処分してしまうため、最近DVD化されている「少年ドラマシリーズ」などのソフト化も、大半が個人録画によるUマチック(1インチ幅のビデオカセット)素材や、海外支局に残されていたテープを元にしたものだったりするのだ。
 だから私もできるだけ、要望をいただいた時に答えられるよう、不要になっても捨てずに取っておくことにしている。国会図書館ですら、どうもDJなどの不届きものが和製レアグルーヴのレコードなどを拝借しちゃったりするような、インデックスには載ってるのに探したけど盤は見つからないという憤慨ものの話もあるという。あと、以前『エレクトロ・ポップス・オン・ビートルズ'80』というシンセ作品がCD復刻された時のケースも酷かった。80年代当時、まだカラーコピーが普及していなかったため、工場から上がってきたばかりのLPの白盤に、ジャケット写真のモノクロA4コピーを貼り付けたものをサンプルとして配るケースがよくあった。CD再発担当者は、それを正規のジャケットと勘違いしたのか、丁寧に撮影したモノクロの汚いコピーがCDジャケットで再現されていたのを見て、私は戦慄を覚えたものだ。
 カセットテープと言えば、最近、巷のオーディオ・コンポからドルビー機能が消えつつある。今どきならドルビーを知らない世代もいるかもしれない。テープ録音時に発生する「シャー」というヒスノイズを軽減するために、録音時と再生時に周波数圧縮をかけるドルビーというレコーディング技術があり、その機能がたいていの家庭用のコンポなどに搭載された時代があったのだ。しかし現在、コンポのたぐいは大半が安価な中国製のOEMパーツに頼っており、ドルビーの普及していない中国製パーツゆえに、割愛されているコンポが大半だったりするのだ。過去に録った膨大なドルビー録音テープがあることを考えると、コスト優先ですべてが変わっていく現実にゾッとする部分がある。昨年には、ソニーがDATテープの生産終了を告知したが、いよいよテープメディア全体が風前の灯火に曝されているといった印象がある。
 脱線ついでに言うと、ステレオAMチューナーを搭載しているコンポもほとんどない。これは元々モトローラ社が開発した放送システムなのだが、郵政省の許認可事業であった日本の放送局は、AMとFMというように複数のメディアを一社が所有できないルールがあったため、時代に取り残されていたAM局が別メディアに移行できないことから、聴取率奪還のために苦し紛れで始めたのがAMステレオであった。「AMの音質でステレオって……」と訝がる声があっても、始まったのにはそういう政治的理由があったのだ。だが、いくつかの民放AM局が大金払って導入したものの、「ウチはFMステレオがあるのでAMにはいらね」とNHKが造反したものだから、以降後続する局がいなくなり、時代の遺物と化してしまった。日本の特殊な放送事情から生まれた技術だから、当然中国製のOEMパーツにはステレオAMチューナーは搭載されていない。結果、現在AM局はあいかわらずステレオ放送を続けていながら、リスナー環境はモノーラルに逆流しているという逆転構造があったりするのだ。
 カセットブックなどの出版社系タイトルの事情について書いた通りだが、レコード会社のソフトとしても、一時はカセットテープは大人気だった。車載オーディオがカセットしかなかった時代には、ドライブインのような郊外型の店の品揃えはカセットテープ中心だった。それなりに高級感を打ち出すべく、「メタルテープ」「ドルビー録音」を謳ったテープもあったし(ノーマル録音とドルビー録音の2タイプを出していたメーカーもあり、前者が2500円、後者が2700円と、ドルビー録音ソフトはパテント料支払いのため高かったの、覚えてる?)。それとヤング向けトリビアがひとつ。はっぴいえんどが、アルバムは自主制作のURCなのに、シングルはメジャーのキング(ベルウッド)とメディアによって発売元が違っていたという話はご存じだろう。実はレコードとカセットも、関税の掛け率や販路が違うなどの理由で、しばらく別々のメーカーから出ていた時代があったのだ。ポリドールやキャニオンなどのLP作品をカセットテープで出していたのがポニー。後にメディア一本化の時代になって、同社はキャニオンと合体して今のポニーキャニオンになった。映像ソフトも、契約書がニューメディアは別扱いだったため、VHSテープとレーザーディスクが別々のメーカーから出ていたって時代ってのもあったのよ。
 そんなテープ全盛時代に郷愁を覚えておられる世代の方々というのもいて、私の知り合いでメトロトロンレコードのA&RをやっているS氏などは、珍しいカセットテープソフトのコレクターである。以前は徳間ジャパンでムーンライダーズP-modelのディレクターをやっていた人だから、P-modelが出したカセットのみのアルバム『パースペクティヴII』なんてのは、絶対S氏のアイデアだったのではと思ったりして(笑)。モダンチョキチョキズ矢倉邦晃氏は8トラックカセットの収集家として有名だが、数年前に矢倉氏を取材したときに調べてみたら、まだ8トラックの再生機のほうは現役で製造されていたのを知ってビックラこいた。
 昨年、あふりらんぽが衝撃のメジャーデビューを果たしたが、ギューンカセットからキューンレコードに移籍という「ギューンからキューンへ」のダジャレコピーに笑かしてもらった。実を言うと、キューンレコードは業界で初めて、それまでカセットが中心だったサンプルをCDで配布し始めたメーカーで、言うなればこの構図は「カセットからCDへ」の転身でもあった。電気グルーヴなどを扱うオーディオにシビアなキューンらしい戦略だったが、やがて他社も追随して、業界全体のサンプルCDの受注が増えたために、カセットの1本あたりのコストのほうが高くなり、現在は大半のメーカーのサンプルがCDのみで配布されるようになっている(余談だが、紙ジャケも需要の逆転で、現在はプラケースより単価が安いんだそうな)。DTPソフトの登場で、サンプルCDもキレイにデザインしたもの増えてきた。しかし、以前のカセットテープ時代は、ディレクターの手書きのものなどもあって、個性的というか活気があり、HMVの「手書きPOP」じゃないが、逆に訴求力が感じさせるものも多かった。エピックソニーにいらしたプロモーターのF氏のように、担当していたキリング・タイムをなんとか売りたいからと、サンプルのみの未発表曲を入れるなどの、業界シンパを集めるための独自の工夫をされている方もいたのだ。つまりルール無用のなんでもありな時代の郷愁が、カセットテープにはギューっと詰まっているのである。
 最近はアナログからのCD復刻も一巡しちゃったようで、インディーズのブリッジから『TRA』のカセット作品がCDで復刻されるなど、カセットテープに注目が集まっている。また、伝説のイベント「浦和ロックセンター」のハルヲフォン、四人囃子のライブなど、カセット音源をベースにした意義あるソフト化も始まったばかり。デジタル技術の進歩によって、カセットテープ・マスターでも十分なクオリティに蘇生させることができるようになったのだ。読者の方々も、引っ越しなどの際に、家にあった聞かなくなったカセットテープがあっても、捨てずに取っておけばいつか役に立つことがあるかも知れないのだ。



モノクローム・セット『ヴォリューム!ブリリアンス!コンストラスト!』(Akacci Sound Books)

チェリー・レッドから出たシングル&レアトラックスも、日本では最初は自主制作レーベルからカセットブックで発売された。ライヴなどを集めた合法海賊版のような構成だったため、LPでリリースされるよりずっと雰囲気だったかも。ブックレットの原稿は保科好宏氏。

ドクトル梅津バンド『1Q84』(ペヨトル工房

EP-4『リンガ・フランカ』などをリリースしていた同社からの、これもオリジナル作品。ドク梅バンドはすでにメジャーのロンドンから傑作『ダイナマイト』をリリースしており、本作は初期の路線だったインプロ色を打ち出したもの。プロデューサーの今野裕一氏が書いているように、都市の雑音をパッケージしたかったのであえてノイズ処理をしておらず、ライヴ盤としてはかなり音はよくない。だが、浅田彰氏の悪のりの原稿など、パンクなアジテーションとしてはこの形態は有効かも。

鈴木さえ子『PROFILE』(ミディ)

ファンクラブのみで配布されたもの。『毎日がクリスマスだったら……』から「Happy End」までの代表曲から半分と、ソニーウォークマン資生堂ヘアコロン、とらばーゆフマキラーベープなどのCM用の未リリース曲を半分とで構成。うち、日清チキンラーメンのみ、後にベストCDに収録された。当時のA&RだったT氏は、スチュワート&ガスキンやコーギスの復刻を同社で手掛けたほか、XTC好きが高じて、「スリー・ワイズ・メン」などのシングルをヴァージン特販部に申請して商品化の許可をもらい、1枚2000円のシングルCDで自主制作しちゃったという人。未発表曲収録への配慮は、そういうT氏の音楽マニアの姿勢そのものなのだ。

細野晴臣『花に水』(冬樹社)

ムーンライダーズのお蔵入り作品だった『マニア・マニエラ』が、同社からカセットブックで発売された時の衝撃的はすごかった。これもまた、カセットテープのゲリラ性を物語っているだろう。本作はそれに先行して出されていた同社SEEDシリーズの第1弾。空間プロデューサーだった秋山道男氏から依頼を受け、「無印良品」の店内音楽用として細野氏が制作したアンビエント・ミュージックを収録したもの。ノンスタンダードから出た『コインシデンタル・ミュージック』に抄録された後、他の歴代の無印良品BGMを併せたオムニバスとして、「無印良品」でCD復刻されたものが一時期販売されていた。冬樹社のシリーズからは、先日CD化された矢口博康の『観光地楽団』などが出ており、矢野顕子「ラーメンたべたい」のアンサーソングで、鈴木さえ子が歌う「ラーメンたべたいな」などを収録。

『東京ミーティング1984』(冬樹社)

近藤等則氏率いるIMAから派生したプロジェクトによる、豪華メンバーによる85年の渋谷ライヴ・イン公演の記録。ヘンリー・カイザー、坂本龍一渡辺香津美ビル・ラズウェル仙波清彦らが、様々な順列組み合わせでインプロヴィゼーションを展開する。音はインストだが、多弁家ばかりゆえブックレットの対談は賑やかで、楽屋の雰囲気が伝わってくる。

ゴードン・ムンマ『GORDON MUMMA』(Slowscan)

カセットテープのみで刊行していた同社の現代音楽シリーズのVol.9号はムンマの特集。現在はCDが数枚出ているが、当時はムンマの音源は貴重だった。限定500部のうち、拙者が持っているのは406番。ミニブックには彼のディスコグラフィを掲載しており、「Note Pieces And Decimal Passacaglis」など、珍しいライヴ音源も入っている。

ディス・ヒート『Live』(Independance)

80年に録音されたライヴ音源が、86年に初の公式リリース。現在はCD化済みだが、当時は特殊ケース入りのカセットで発売された。コントーションズやラウンジ・リザーズなど、解散後にライヴ音源が発掘された他のアヴァンギャルド系グループいずれも、最初のリリースはカセットテープであった。

プロパガンダ『Do Well』(ZTT)

ZTTレーベルはフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドの様々なヴァージョンを連発した12inch攻勢で有名だが、本作は「不思議の国のデュエル」のシングル素材などを再編集した、カセットテープのみでリリースされた英国限定のミニ・アルバム。大半の12inchヴァージョンがすでにCDにまとめられたので、残す音源はこれのみ。「The First Cut」「Wonder」「Bejewelled」ほか5曲を収録。

Mint-Lee『ブルースでなく』(京浜兄弟社)

コンスタンスタワーズ、スペースポンチの鍵盤奏者、岡村みどり氏の集大成的な作品集。まとまったものはこのカセットのみ。82〜93年の代表曲を集めており、スペースポンチ「レイミントスコット」「金河系」などは、岡村氏のオリジナル打ち込みヴァージョンで収録。エレクトーン・プログレ3部作「きずねこ」「あんこ屋くる」「みかん屋くる」が胸に染みる。ほか、マニュアル・オブ・エラーズ所属作家の作品集CDでも収録曲の別ヴァージョンが聴ける。

中野照夫「中野照夫デモ・テープ」(私家版)

LONG VACATION在籍時に配布された、中野テルヲ氏のオーディションテープ。後のファーストアルバム『User Unknown』に収録されたジョン・レノン「イマジン」のカヴァー(ヴァージョン違い)のほか、P-model時代に書いた未発表曲「Monsters A Go Go」をアレンジしたインスト、アポロンから出ていた劇団健康のCDからの抜粋曲など5曲を収録。特筆すべきは、三浦俊一と組んでいたSONIC SKYの未発表曲が入っていることで、後にLONG VACATIONでも取り上げる「LEGS」は、ハードロック風のこちらのほうが完成度が高い。

オーガニゼーション『Sounds In Space』(Trigger label)

トランソニック・レーベルの前身「Torigger」から93年に出た、永田一直氏(ファンタスティック・エクスプロージョン)率いるオーガニゼーションの最初の作品集。パッケージデザインは常盤響ソフト・マシーン「Soft Space」、『超時空コロダスタン旅行記』に収録されていたテストパターンの「Hope」のカヴァーを収録。後者は、電気グルーヴ加入直後の砂原良徳が参加。

『Welcome To The Niagara World』(ナイアガラ)

大瀧詠一関連はさまざまなプロモーション・ツールが存在すると思うが、拙者が持ってるのはこれだけ。大瀧詠一「恋の汽車ポッポ・第二部」から、「君は天然色」などのソニー時代のソロ、シュガー・ベイブ、布谷文夫「ナイアガラ音頭」、金沢明子イエローサブマリン音頭」、小泉今日子「怪盗ルビイ」、渡辺満里奈「うれしい予感」まで、レコード会社、シンガーの枠を超えた大瀧詠一作品57曲を細かくメドレー編集したダイジェスト仕様になっている。

ピチカート・ファイヴ「超音速のピチカート・ファイヴ」(セヴン・ゴッズ/日本コロムビア

プロモーション用の配布カセット。『女性上位時代』以前に同社でリリースされたミニ・アルバム3枚のうち、本作のみが4曲ともリリースされたものとミックスが違う。一応、ラフミックスとなっているが、完成版には入っていないフレーズなども飛び出す楽しさ。

女性上位時代S『ライヴ用カラオケ』(私家版)

拙者が主宰した『史上最大のテクノポップDJパーティー』のクラブチッタ公演で、出演をお願いした小西康陽氏率いる女性上位時代Sのステージマネジャーのようなことを急遽兼任することとなり、メンバーにカラオケや歌詞カードを配布する役回りなどを体験したのだが、これはその時にメンバーに配布するために作ったカラオケ集。マン・フレッドマン「5-4-3-2-1」のジグ・ジグ・スパトニック風カヴァーや、プラスチックスを換骨奪胎したようなアレンジの山本リンダ「ミニミニデート」など、全曲とも未リリース曲。FM横浜の番組『ガール・ガール・ガール』のために制作されたものが原型で、実際に私が青山のラント・スタジオに赴き、O氏(別の名は桜井鉄太郎氏)から直接DATの受け取りなども自らが行った。

ピカソ『Presents For Lovers』(キティ)

同社が力を入れていた『めぞん一刻』の主題歌などを歌っていた3人組の、プロモーション・オンリーのカセット・アルバム。ホリーズ「バス・ストップ」など全曲カヴァーを取り上げているが、きちんとしたプロ・レコーディングによるもので、これが業界配布のみとは贅沢な企画。あるいは、カヴァー集だと印税収入が期待できないため、お蔵入りになったものか、あるいはあくまで創作のためのスケッチなのか。シリーズ企画らしく、写真はそのVol.2のもの。

フィルムス・赤城忠治『1981-1985』(私家版)

本人からいただいた、フィルムス時代の未発表曲集。「ガール」のみ日本コロムビアからのリリース音源と同じ。赤城忠治名義の2曲「もう大丈夫さ」「まるでコメディアン」は、片岡鶴太郎のアルバム用に書かれたデモ。「5月の街角」「ビュー・ファインダー・イン・トーキョー」はコロムビア最後期のデモだが、鈴木智文の加入でトニー・マンスフィールド路線にアレンジが激変している(つまり、初期ポータブル・ロックの音)。その後85年にYENレーベルに移籍するものの、諸事情があって発売は未遂に。レコーディングはストップしてしまい、鈴木さえ子氏が叩いたリズム・トラックのみが残されているそうだが、録音する予定だった「モーフの冒険」「君が見たい」「雪が降った日」のデモテープは完成していたことがここで確認できる。

ティポグラフィカTipographica』(Sistema Inc.)

今堀恒雄氏、菊池成孔氏らが在籍していた、「日本のザッパ・バンド」のオーディション・テープ。ティポは個人的にファンで何度もライヴに足を運んでおり、岸野雄一氏からいただいた初期のライヴ・テープなども持っているが、デビュー以降はどんどん今堀氏による打ち込み色が強くなってしまうため、充実期ははやりデビュー前という印象がある。これは「そして最期の船は行く」「裸のランチ」(いずれもヴァージョン違い)など、収録曲から推察するにポニーキャニオン契約前夜に作られたものらしい。ちなみにSistemaは、高橋幸宏氏の事務所オフィス・インテンツィオのインペグ部門。

京浜兄弟社PRESENTS『Snack O Tracks』(京浜兄弟社)

岸野雄一氏率いる京浜兄弟社の唯一のコンピレーション『近い虚しく』と、ウルトラ・ヴァイブの前身ソリッド・レーベルから出た岸野プロデュース作品である加藤賢崇氏のソロ『若さ、ひとりじめ』などのアウトテイクを集めた未発表曲集。タイトルは、ビーチ・ボーイズのオリジナル・カラオケ集『スタック・オー・トラックス』のもじり。A面は、今堀恒雄氏とフレッド・フリスによる「Drive」、コンスタンスタワーズ「それはカナヅチで直せ」(Ozasiki Mix)、オーガニゼーション「ブルマーク」(Demo)、エキスポ「猿の惑星6」(Blue Sky Mix)などの別ヴァージョンを集成。B面は岸野監督の『野球刑事ジャイガー3・野球死すべし』や『パンツの穴』などの映画のサウンドトラック曲などを収録している。

キリング・タイム『Bill』(エピック・ソニー

ラストアルバムのプロモーション・カセットだが、B面にはNHK衛星放送でもオンエアされた、渋谷シアター・コクーン公演から「Blivits」〜「Bob」の必殺メドレーを収録。ご希望の方にはビデオも進呈しますとの記述が。

海援隊『ベスト&ベスト』(ポリドール)

現在のように原盤の貸し借りが自由にできなかった時代は、レコード会社移籍時に、過去の代表曲をリレコーディングするケースも多かった。これはポリドール時代のカセットのみのベストだが、エレック時代の「荒野より」「思えば遠くへ来たもんだ」、テイチク時代の「あんたが大将」「竜馬かく語りき」などを再録音している。ところが、おそらく演奏は当時のライヴでバックをやっていた和田アキラ率いるフュージョン・バンド・プリズムで、オリジナルより演奏がカッコよくなってしまっている(笑)。解散後に出たCD2枚組ベストで、3社のオリジナル音源結集が実現してしまったため、CD化の運命を奪われて歴史に埋もれてしまった貴重なヴァージョンに。

Wizardly Tour Of Hosono Box 1969-2000』(Daisyworld*discs)

デイジーワールドのリワインド配給時代に作られたボックスのプロモーション用に制作された、細野晴臣氏とマネジャーの東氏のコント入りのダイジェスト。確か予約者限定でアナログ盤としてプレゼントされたものと同一音源だと思うが、雑誌社にはカセットで、関係者にはCDで配布された(拙宅にはるのは、カセットとCDのみ)。

『音版ビックリハウス 逆噴射症候群』(アルファ)

YMOがマンガ連載を持っていた、パルコ出版のパロディー雑誌『ビックリハウス』のカセット企画。細野晴臣氏、坂本龍一氏ほかYENレーベル所属メンバーがジングルやコントに参加しており、ヒカシュー巻上公一ムーンライダーズなどの雑誌ゆかりのミュージシャンも顔を並べている。オーディオ・ドラマでは、アマチュア時代の常盤響氏、大槻ケンヂ氏などの名前を発見できるのが驚き! YEN BOX発売時にCD化されているが、実はこれ、収録曲だった秋山道男作詞、細野晴臣作曲、伊武雅刀歌唱の「テクノ艶歌 飯場の恋の物語」がレコ倫からクレームが付き、発売日に回収。同曲を細野ソロ「夢見る約束」と差し替えて、「改訂版」として再発売されており、CD化されたのはそちらの「改訂版」のほうなのだ。こちらは回収されたヴァージョンで、クレーム内容から判断すると、復刻は永遠にないと思われる。

直枝政弘『愛ゆえに、鉄』『あなただけは』(Bumblebee Records)

前者は、カーネーションの直枝氏がブラウン・ライスをバックに制作した初のソロ・アルバムのリリース時の購入特典で、「月にかかる息」「Buffalo」収録。後者は映画のサントラ『マンホール』リリース時のもので、「あなただけは」のカラオケや収録曲のデモヴァージョンを集めている。拙者は持っていないが、カーネーションのデモや前身の耳鼻咽喉科のころの音はライヴ会場でカセット販売されていた。

ナイス・ミュージック『Very Best Of The Nice Music』(私家版)『DEMO』(ビクター)

ビクターからデビューした、ネオアコの心を持ったテクノユニット2人組、ナイスのデモテープ集。当時メンバーと仲良くしてもらっていて、本人からいただいた。前者は「Nice Music's Theme」「Panorama」などの、デビュー前のデモヴァージョンを収録。後者は4作目の『POP RATIO』のころのデモテープを集めたもの。元々メンバーがスタジオのエンジニアと音楽専門学校の講師だったため、アマチュア時代からデモの完成度は高かった。

ティン・パン・アレイ『In China Town 1976.5.8』(私家版)

細野ソロ『泰安洋行』リリース時の横浜中華街ライヴのテープ。「モノーラルしか存在しない」と言われてきたが、出所は秘匿だが、ちゃんとマスタリングされたステレオ・ヴァージョンが存在していた。

『Casio RZ-1 Sound Collection』(Casio)

世界初のPCMドラム・マシン「LINN LM-1」は、TOTOのスティーヴ・ポーカロが叩いた音源を使っていたことが密かに知られているが、同じようにカシオのRZ-1も、当時同社とスポンサー契約をしていた高橋幸宏が叩いた音源を使用している。とはいえ、そのレコーディングを担当した飯尾芳史氏によると、RZ-1のスペックがまだ未熟で、『Once A Fool』時の幸宏ドラム・サウンドを織り込むことはほとんど無理。そういう状況の下で格闘しながら、作られていったハードだったらしい。RZ-1は2音のみサンプリングも可能だったため、本テープのような音源がカセットで用意されていた。いかにもYMO風のサンプル素材が貴重。

『The Compact Organization Compilation By Tot Taylor』(ソニー・ミュージックエンタテインメント

トット・テイラーの新レーベル「サウンドケーキ」とソニーが契約した際に、コンパクト・オーガニゼーションの旧譜も同社から発売されることとなり、新旧の代表的な音源を集めて、トット自身によるインタビュー解説を加えて編集されたもの。ヴァーナ・リント、サウンド・バリア、マリ・ウィルソン、フロイドほかのシングル曲を収録。ソニーからはマリ・ウィルソンの『ショー・ピープル』の初のオリジナル復刻、日本限定のリミックスCDなど、驚きのアイテムがたくさん出たが、早くに関係が悪化。完成していたヴァーナ・リントの第3作がリリースされなかったのが悲しかった。ちなみにソニー洋楽は、同様の本人インタビューを挿入したベスト編集のプロモーション・ツールをよく制作しており、ほか拙宅にはプリファブ・スプラウトなどもある。

よしもとよしとも『ヨシトモバンドDEMO』(私家版)

「日本のモノクローム・セット」と言われたナゴムのバンド、ミシンのオリジナル・メンバーだった、マンガ家のよしもとよしとも氏から、私が『宝島』の連載担当だった時代にいただいたもので、『ぴあ』の編集者らと結成した新バンドのデモ。これを含め2本がある。サウンドは本人曰くベルベッド・アンダーグラウンドを狙ったもの。

スチャダラパー『ついている男 後者ーTHE LATERー』(キューン・ソニー

コーネリアスがセカンドリリース時に「Moon Walk」のカセットシングルをリリースし、オリコンのカセットランキング(演歌中心)で初のチャート第1位を記録したエピソードはファンの間で有名だろう。だが、実はカセットチャートへのアプローチはスチャダラのほうが先だった。値段はなんと200円と、ポケット・ビスケッツの半額以下。


フリッパーズ・ギター『Camera Talk Live』(ポリスター

シングル「Camera!Camera!Camera!」のプロモーション用に制作された、『カメラトーク』発売後にFM横浜で収録された同ライヴ音源を収録したもの。ごく僅かのCDが制作されたが、雑誌媒体などにはカセットで配布された。曲は1枚目、2枚目からの抜粋と、デビュー前からやっていたヘアカット100「好き好きシャーツ」のカヴァーを収録。後にグループ解散後、『オン・プレジャー・ベント ~続・カラー・ミー・ポップ 』の表題で編集版がCDで一般発売された。

立花ハジメ藤原ヒロシ『Video Drug 3&4』(アスク講談社東芝EMI

アスク講談社からVHS、レーザーディスクで発売されていたドラッグ・ビデオのサウンドトラックをダイジェスト収録したもの。だが結局、サントラ盤は発売されていない(CDが出ているのは、1のVideo Rodeoのみ)。A面が3の立花ハジメ氏による「Fantasy」、B面が4の藤原ヒロシ氏による「Sexy Nature」から使用曲を抜粋。前者は立花氏のディレクションによるものだが、サウンドヤン富田氏が制作しており、ペリー&キングスレイ、エレクトロソニックスなどに通じるムーギーなポップ感覚に痺れる。

スーザン+オーガニゼーション「サマルカンド大通り/Screamerほか」(私家版)

史上最大のテクノポップDJパーティー』で、スーザンの復活ライヴを企画した際に、サウンド・プロデュースをお願いした永田一直氏(exファンタスティック・エクスプロージョン)に制作してもらった、スーザンの2曲のカラオケと、ほかオーガニゼーションのソロ3曲を収録したテープ。オリジナル活動期はEX+岡田徹氏がバックメンバーで、バンド編成だったためにアルバム曲はかなり編曲されて演奏していたようだが、オーガニゼーションに依頼するに当たって、YMOに近いゴージャスなアレンジでということでお願いしたもの。

木元通子『木元つうデモ』『木元つーこ声資料』(私家版)

『イン・コンサート』で「体育祭」を歌っている、はにわちゃんの最終ヴォーカリストだった木元通子嬢のデモテープ2種。本人と交流があったことからいただいたのだが、自作曲ははにわちゃんとは一転して、ちょっとケイト・ブッシュ風の多重録音に。一部、歌詞がまだできておらず、アカペラ・ヴァージョンも含まれる。

『Virgin Records U.K. international Conference 19th-24th july 1994』(東芝EMI

これは内覧用の音資料で、期日ごとに区切って発行されるヴァージンレーベルの所属アーティストの最新音源集。ブライアン・フェリー、マッシヴ・アタックボーイ・ジョージなどの新曲が入っており、ここから会議などを経て日本発売やシングルカットが決定されるという貴重な音資料である。実は本テープにはなんと、契約拘束のために活動できなかった時期のXTCのデモ「River Of Orchids」が収録されているのだ。同曲は後にリミックスされたものが、ポニーキャニオン・インターナショナルから出た『アップル・ヴィーナスVol.1』に収録された。

ヤン富田「Telex Remix」(アルファ/私家版)

拙者がプロデュースを務めさせもらった、ベルギーのテクノポップバンド「テレックス」のリミックス盤に参加していただいたヤン富田氏のリミックスの完パケテープ。本人直筆によるもので、内容の完成度の高さには今でも唸らされる。タイトルは「Pea-Pea Ga-Gabble Mix For Astro-Ager(Not For Teen-Ager But For Long Ranger As Well」と長いもので、本編も16分近くの長編に。THE KLFのようなサウンド・スケープと電子音、シュガー吉永氏(バッファロー・ドーター)参加による アコースティックなサウンドが絶妙にマッチング。

エレクトロニック・システム『Dancing on The Moon』(私家版)

テレックスのダン・ラックスマンが70年代から使用していたソロ・ユニットの未発表音源。アルファで『イズ・リリース・ア・ユーモア?』を制作している時に、新作を作ったので出しませんかと話が本人から来て、送られてきたのが本作。名義は70年代からのものだが、サラ・マンディアーノでいっしょに仕事をしていた編曲家、ジャン・クロードとのユニットということになっている。フェアライトCMI時代で、音は『LOONY TUNES』路線のテレックスの世界とほぼ同じ。だが結局、検討会議中にアルファが倒産してしまったため発売は未遂に。本国でもリリースはされていないと思われる。

おニャン子クラブ『Non-Stop Onyanko』(ポニー)

キャニオン、ポリドールなどのレコードをカセットで販売していたポニーからのおニャン子クラブのベスト。なのだが、本作は楽屋でのメンバーのおしゃべりなどをサンプリングし、元あんぜんバンドの長沢ヒロが制作したノンストップのメガミックス。「渚の『……』」(うしろゆびさされ組)、『冬のオペラグラス』(新田恵利)などのヒット曲も、過激なサンプリングビートによるイントロが加わっておりド迫力。後にキャニオンと合体してポニーキャニオンに社名変更された際、こっそりCD化もされた。

The SuzukiThe Suzuki Live 2』(Tapetron)

カセットテープ・コレクターのS氏主宰のメトロトロンレコードらしく、本作は傘下の「Tapetron」のカタログとしてドロップされた、『The Suzuki』用の非売品の購入特典。青山陽一氏らが参加する編成で、「Night Waker」「I Don't Want To Talk About It」2曲のライヴ音源を収録。当時、ディスクユニオンとメトロトロンは関係が深かったため、ムーンライダーズ関係の新作にはたいていテープ特典が付いてきた。

P-model『音楽産業廃棄物〜P-model Or Die』(マグネット)

マグネット(旧S-KENスタジオ)から発売された『音楽産業廃棄物』のダイジェストカセット。「Waste Cabaret」「Heaven 2000」の2曲のみ、間に合わなかったためか、リリース版とは異なるラフ・ミックス・ヴァージョンで収録されている。

『ラジオ・スネークマンショー Vol.01〜03』(ワーナーミュージック・ジャパン

小林克也伊武雅刀桑原茂一という黄金のトライアングル時代の、ラジオ関東TBS時代の秘蔵テープによる9Wリリース計画が発表された時に、雑誌用のプロモーションとして完成済みのVol.01〜03のダイジェスト版として制作されたもの。だが、製品版は発売当日に回収されている。そういえば、週刊誌で話題になった椎名林檎の回収されたアドヴァンス・カセットも昔は持ってたな(歌詞にヒトラーが出てきてクレームが付いたというもの)。

坂本龍一『Beauty Remix』(ソニー

これのみカセットテープではなくDATテープ。ソニー・ミュージックエンタテインメントではなく、ヴァージンレコード・アメリカの原盤をライセンスして、本社のソニーが制作したもの。日本では東芝から出たヴァージン移籍第一弾『Beauty』のリミックス・ヴァージョン集で、DATのハード購入者に特典としてプレゼントされたものらしい。


 ……最後にこぼれ話をひとつ。カセットテープの開発元はオランダの著名な大手電機メーカー「フィリップス」。だが発表されたばかりの60年代末は、まだオープンリールのテレコが主流で、テープ幅が半分以下のカセットなど「使い物にならない」と存在を一蹴されていた。フィリップスはそこで開発費回収などをあきらめてカセットテープをライセンスフリーにしてしまう。それが契機となってだんだん使われ始め、ポピュラーなテープ型メディアとしてもっとも成功したものとして、その後定着していったという背景がある。フィリップスは社内に「フィリップス物理研究所」などの研究所を持っており、ここが閉鎖的だった西ドイツ放送局に変わって60〜70年代にヨーロッパの電子音楽文化の拠点となるなど、元々文化支援の意識の高いメーカーだった。
 例えばメディアのパテント料といえば、ベータ対VHS戦争などが記憶に新しい。自社の技術をデフォルトとして採用してもらえば、その後他社がその形態でソフトを出すごとに、何もしなくてもライセンス収入が入ってくるわけだから、誰もが特許権を得て金持ちになりたいと考えるのは道理。ところが、フィリップスはその一切の権利を放棄することでカセットテープの普及を実現したわけだ。同社はその後、今度はソニーコンパクト・ディスクを共同開発し、デファクト戦争には最終的に勝利することとなる(この時ソニー&フィリップス陣営に敗北したのが、元々PCM技術をいち早く研究に着手していた東芝の技術者たちで、DVDで再び復讐を遂げることとなる同社の開発部のスローガンが「打倒ソニー」だったと『DIME』誌で読んだ)。これは余談だが、ベータ対VHS戦争を描いた映画『陽はまたのぼる』では、最終的に西田敏行らVHSを開発したビクターが、シェア1:9から逆転してベータ陣営を打ち負かして終わっていた。ところが現実は、VHSの製造パーツ技術のうち200もの特許を持っていたのが、ベータ開発中に特許申請していたソニー。シェアはVHSが勝利したが、VHSテープが売れるごとにソニーに特許料が入るという、そこには捻れた逆転的勝利があったのではと指摘される声もある。うーむ。ドクター中松の「フロッピーディスクの発明」というのも、彼が児童向けフォノシートプレーヤーを開発した時の回転軸の技術特許がたまたまフロッピーの技術に抵触していたために、彼に支払い義務が生じたというだけの話なのだが(フロッピーディスクを発明したという発言はだから半分はウソ)、20人以上支払先があったらしい、フロッピーディスクのパーツの特許受取人の一人に過ぎなかったのに、あれだけの金持ちになってるわけだから、特許権がいかにオイシイ商売かってことなんである、結局は。
 VHS対ベータ戦争で懲りていないメーカーらによって、最近もまた“ポストDVDメディア”を巡って、「ブルーレイ」陣営と「HD DVD」陣営とが、お互い一歩も譲らない硬直状態に陥っている。けれども、ちょっとでも消費者のことを考えてくれれば、フィリップス社が仕掛けたカセットテープのように、メディアとして素晴らしい一生をまっとうできると思うんだけどな。