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過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

教科書には載っていない「極私的A&R論」

A&R〈上〉 (新潮文庫)

A&R〈上〉 (新潮文庫)

A&R〈下〉 (新潮文庫)

A&R〈下〉 (新潮文庫)

 のっけからいきなりで恐縮だが、「A&R」とは何なのか? 90年代から日本のレコード会社で使われ始めたこの言葉については、私はずっと正体がつかめずにいて、会う人会う人に聞いて回ったことがあった。「あれだよ、アルパートとモスの頭文字だよ」って、冗談じゃなくて、本当に答えた人もいた(それはA&Mのことだろ)。編集部に来た若いプロモーターに聞いた時には、「逆にそれ、私も聞きたかったんです」と訪ねられてしまった。彼女も先輩に聞いてみたのだが、わからないと答えられてしまったそうだ。
 ああ、悩ましい「A&R」……。ホントにもう、すいたらしい。あなたってどんな方なの??? 
 業界部外者のクセに、それぐらい「A&R」のことばかりを考えている私。であれば折角だから、この数年間の日々の生活の中でツラツラと「A&R」について考えてみた極私論を、読者の皆さんに聞いてもらえればと思い筆をしたためてみた。ちなみにこれは、私が伝聞で聞いたものを想像力で埋めていった「極私論」であることを、お断りしておく。本来なら想像も入っているのでイニシャルトークにするのが相応しいと思うが、読者に届かなければ意味がないので、実名も混ぜて書いてみる。マイケル・ムーアのドキュメンタリーみたいな、虚々実々の入り交じったものということで、お読みいただければ幸いである。


(1)っていうか、「A&R」って何なわけ?

 「A&R」という言葉は、「アーティスト&レパートリー」。つまり、“演者”と“作品”をつなぐ役割というのが語源である。勘のいい方ならおわかりだろうと思うが、NYのブリル・ビルディングに店を連ねていた音楽出版社群、ティン・パン・アレーのビジネス・スタイルがルーツとされている。真に表現力のあるシンガーと、ルックスや性格は地味だけど才能がある作詞家・作曲家をつなぐ存在として、「A&R」の役割は昔から存在していた。日本の歴史では、「歌謡界→ニュー・ミュージック、ロック」という、「作家+演者の時代→自作自演の時代」の順番で登場してくるため、逆なので理解しにくいのだが、アメリカでは、前世紀からの演者による自作自演の時代がずっと続いてきたのに対し、シンガーと作家という、別の才能を組み合わせることによって、より強力な作品が生まれる可能性を追求する新しいスタイルとして、この第三者である「A&R」氏が登場したという流れがある。役割はつまり監督……ディレクターである。アメリカのレコード業界における「A&R」氏の日常については、ビル・フラナガンの名著『A&R』(新潮文庫/上下巻)があるので、これで勉強ができると思う。
 日本でも最近、名刺に「A&R」と肩書きが書かれた人に会うことがあるが、業務内容を聞いてみると、たいていがディレクター職である。だから、「A&R=ディレクター」と思って話をすればだいたい通じるだろう。だが、日本におけるディレクターの仕事自体が、アメリカのディレクターと業務内容がまったく違うので、話はややこしい。普通、映画業界などで使われているプロデューサーとディレクターの役割は、前者が「金集め」で後者が「現場監督」である。ところが日本レコード会社を見てみると。社員であるディレクターが予算を捻出して、プロデューサーが現場でスタジオの指揮をしているという真逆な構図になっている。昔、ビクターにフライングドッグというレーベルがあり、ムーンライダーズ鈴木慶一氏がそこでハルメンズ野宮真貴などの制作に関わっていたことがあるのだが、その時の肩書きは“ディレクター”であった。これは、映画好きの慶一氏らしい発想で、本来の意味に戻して、金工面をしてくれるレコード会社の担当をプロデューサーと呼び、慶一氏自身はディレクターの肩書きの下で、スタジオでの陣頭指揮を執っていたのだ。しかし現在は、ハルメンズなどの仕事における慶一氏の役割を説明するのに、ややこしいのでプロデューサーとして説明されるようになっている。
 先ほど、「ディレクター=A&R」と説明してみたが、実はこれは厳密な意味では間違っている。アメリカのショービズ界でも、レコード会社側にいてアーティストとの窓口を務めるというのは変わらない。しかし、この「A&R」氏が、外部のディレクター、プロデューサーに発注する役割という位置づけなのである。経営者陣に企画を通して予算を捻出するまでが「A&R」の仕事で、その予算をディレクター、プロデューサーに渡してレコード制作してもらい、その売り上げから数十%のレコード会社の取り分を回収するのが役割である。これはハリウッドの映画業界と同じ、プロデューサーもディレクターも作品ごとに雇われるという図式である。フリーランスのプロデューサーがワーナーやフォックスなどの配給会社に企画を持ち込み、予算を確保したら、プロデューサーが人選してディレクターに発注する。この場合、出資者に対する売り上げ責任を持つという意味で、プロデューサーは金勘定をする役回りであるのは確かなのだが、金を出す立場ではないのだ。このあたり、プロデューサーが社員で金を捻出する立場である日本の映画業界も、ハリウッドの構図と違っているために、よけいに話がややこしくなる。
 じゃあ「A&R」の仕事って何さ? と訝しく思うだろう。本来の意味での「A&R」は、マネーメイクのできるアーティストを見つけ、優秀な現場監督に発注して音を作らせて、プロモーションのプロに宣伝を任せて儲けを出させるまでの、その全体を見渡すための存在である。また厳密な意味では、「A&R」は出資者の身分なのに、制作現場には立ち入ることができないようになっており(そういう契約書を結ぶ場合もある)、プロデューサーやディレクターからは「ちゃんと儲けさせてあげるから、一切干渉しないでね」と突っぱねられる立場でもあるのだ。日本のディレクターみたいに、新人バンドの教育など基本的にしない。ロッテンマイヤー夫人みたいな優秀な教育者(トレーナー)をバンドに付けるまでが役割で、その月謝をただ払い続けるという地味な役割なのだ。だからこそ、金の回収に関しては、プロデューサーやバンドなどの外部の者に対して、冷徹になり切れるというわけである。
 日本もそうだが、レコーディングの予算でいちばん金を食うのは、実はスタジオ代とゲストのセッションマンの人件費である。バンドやプロデューサー、ディレクターは成功報酬だから、それまでは無賃で働けばいいのだが、スタジオやセッションマンには、キャッシュを渡さないと仕事をしてもらえない。この時、アドヴァンス(前金)として金庫から金を引っ張ってきてキャッシュを工面してあげるという、ファイナンシャル・バックグラウンドの役割が、レコード会社の大きな存在意義であり、その社内での交渉役が「A&R」になるわけである。今ではプロ・トゥールズなどのハード・ディスクレコーダーで、自宅でもプロクオリティの環境が手に入るようになった。しかし、少なくともYMOの時代までは、高価なレコーディング装置があるスタジオで録音するしか方法はなく、都内の一等地にあったスタジオの使用料は、諸外国に比べて高かった。そのために、前金をレコード会社に出してもらい、その代わりに、後々いちばん金を生む原盤権を、アーティストはレコード会社に差し出してきたのである。最近は原盤をアーティスト本人が持つことが増えてきたが、それはスタジオが廉価に使えるようになった環境のおかげで、それ以前には選択肢として、原盤を差し出すしかプロ環境でレコーディングする方法がなかったのだ。
 また、レコーディング時にスタジオ・ミュージシャンを手配する、インペグという仕事があるのはご存じだろう。語源は「Inspection(調査)」で、いわゆる人材派遣業である。プロデューサーからの「こういうタイプのギタリストいない?」という依頼を受けて、契約ミュージシャンから相応しいタイプを見つけてきて派遣するのが“表”の仕事。だが、彼らセッションマンへのギャラは、本来のレコード会社の経理業務では支払いがずっと先であるため、インペグがその日の仕事に対して、手数料を引いてキャッシュで先に支払うという、建て替え業の役割も兼ねてきたという“裏”の面もある。こうした、プロデューサーやディレクターといった役割以外の人々の、その月の生活費や家賃などを工面してきたのが、レコード会社やインペグなどのシステムだったのだ。
 「A&R」を取り巻くシステムの中の位置づけで言えば、プロモーターも外部の人間となる。レコード会社が用意した宣伝予算を、アーティストのエージェント(宣伝代理人)に渡して、金の使い道はとりあえず不問とするので、売り上げを達成するように働きかけるという役割である。この時の関係は、「A&R」→エージェント→アーティストの個人マネジメント→アーティストという流れになっており、間にいるエージェントは、レコード会社、アーティスト側双方が潤うように売り上げを作るために、テレビ、ビルボード広告、雑誌などの宣伝媒体に、ありとあらゆる政治力を発揮してPRにいそしむのだ。そのために使う宣伝予算の内訳については、いちいち稟議など通さずグロスで預かり、移動のタクシー代からなにから一切合切をそこから捻出する。また、宣伝のスペシャリストとして、かなりのボリュームの成功報酬を受け取れるというほど、確固たる立場を持っているのだ。大リーグ選手の代理人と同じで、レコード会社に対しての契約金交渉、ギャラ交渉をする役割でもあるので、日本におけるアーティストの事務所の役割と被るのであるが、向こうでは事務所はあくまでアーティスト個人のスケジュール管理をする立場。ビジネス交渉の場に立たないというのは、ユニオンが強い欧米のショービズの世界らしい、セクト主義があるからだと思われる。


(2)さくらレコードについて

 表記はこれで合ってるかは覚えていない。この名前をご存じの方がどれぐらいいるのだろう? 私がこの名前を知っているのは、出版界にいた友人が、当時このプロジェクトに参加していたためである。これは、現在mF247を主宰している、元ソニー・ミュージックエンタテインメント代表取締役であった丸山茂雄氏が、日本で初めて本格的な「A&R」システムを取り入れたレコード会社を作ろうとして立ち上げたプロジェクトであった。
 丸山茂雄氏については、すでに数々の資料があるのでここでは説明をしない。お会いしたこともある。なにしろ、90年代中期のテクノ系イベントなどに行くと、経営のトップである立ち場なのに、いつも会場で唯一の白髪の年配者としておられたのだ。私らの世代にとっては、78年にできたエピック・ソニー(現・エピックレコード)の設立者としての華々しい功績がある。プレステを世に出した、ソニー・コンピュータエンタテインメントも丸山氏が作った会社だ。最後にはグループの代表取締役になったが、元々は社内における風雲児というか反逆児というか、カウンター的な存在として知られていた。なにしろ、アンチ(ANTI)+ソニーSONY)という意味で、アンティノスなんていうレコード会社をソニー・グループ内に作っちゃうような茶目っ気のある人なのだ。
 その丸山氏が、編集者であった私の友人のような外部の人間を巻き込んでそれをやろうとしたのは、レコード業界のシステム自体を大改革したいという思いがあったんだろう。最初の形態として聞いていたのは、本当にアメリカのレコード会社のように、社内にはA&Rだけを置き、外部のディレクター、プロデューサー、プロモーター(宣伝代理会社)と組んでプロジェクトごとに組織するという構想であった。これには、いくつかのメリットがある。
 まず、ディレクター、プロデューサーなどの専門職の強化である。プロジェクトの成功の是非に対して、責任が明確になることで、彼らの対社会的な地位を確保できる狙いがある。日本では「芸術追求」と「売り上げ追求」という、本来なら相反する立場のものを社員一人で背負い込み、どこか矛盾を抱えたままダッチロールしているようなところがあった。しかも、「成功すれば私の手柄、失敗すればあいつのせい」という風に、責任の所在が見えにくかったのだ。それに白黒つけるには、外部のディレクターやプロデューサーと組む形で、ガラス張りにしていくしかない。これまでも社員がヒットを出せば給料も売り上げに乗じて保証はされてきたが、その多寡など微々たるものだった。成功報酬を条件に迎えることは、制作者を鼓舞する効果もあるはずだ。
 また、「ロックはユース・カルチャーである」という考え方を踏まえた部分もある思う。社内の権力者に取り入ったり、とりあえずの実績を作らなくても、突出した才能があれば専門職で自分の身を立てることはできる。しかも若さだって、ミュージシャンやファンに近しい存在であるという意味では、音楽制作者にとっては武器になる。本来、社員であるならば負の要素であるこれらの条件を、立場を明確化するフリーランスとして立たせることで、プラスに転じさせる狙いがあったのだろう。ていうか、40歳以上の制作者がゾロゾロいて、ヤング向けの商品を作るという構図にも、そろそろ無理が出てきたと思われていたのかもしれない。
 プロモーターを社外に置いて、彼らに宣伝を一任するアイデアは、当時の私には新鮮に映ったものだ。日本のレコード会社ではずっと、新入社員に対して「ロックの知識の多寡」を問わない立場を取ってきた。ヘタに音楽好きなやつが入ると、好きなことに夢中になって通常業務が疎かになってしまうだろうという考え方が、しばらくの間業界を支配していたと思う。だから、ロックが好きな制作志望がいても、わざと演歌のセクションや地方の営業所など、苦手な分野に配置させたりする人事が行われてきた歴史があり、しかもそれを一種の“美徳”としてきたようなところがある。無論、夢見がちな制作者志望が、レコード店の営業で現実を叩き付けられ、人間的に成長するという部分はあるだろう。しかし、その現実を受け入れられず、業界を後にした可能性の卵だって同じ数だけいたはずだ。そのへん、アメリカのエージェンシーとの関係はハッキリしている。例えば、アーティストの新譜発売のプランニング会議で、PR会社の人間を集めてプレゼンをさせた場合に、いちばんその分野に詳しい人間がその仕事を得られるような構造になっている。なぜなら、商品への理解が、正しい宣伝方法を導くことを深く理解しているからだ。
 この「A&R」のシステムは、アーティスト側にとってもメリットが大きい。トータルの売り上げからは、制作者に何%ずつかの配当が行っちゃうわけだが、アーティストへの支払いもこれでガラス張りになるのだ。実際、稼ぎ頭のミュージシャンに、売り上げがどれぐらい自分に還元しているかを、これまでのレコード会社は伝えてこなかった。
 これまでのレコード会社では、稼ぎ頭のミュージシャンの売り上げは、そのまま本人に還元するわけではなく、新人などの新規投資のほうに回される構造があった(この新規投資には、稼いだ本人の意向も反映されない)。なぜなら、新人の売り込みにはとにかくお金がかかるからだ。よくテレビのバラエティなどで、アイドルの月給が数万円という話を聞くことがあると思う。ミュージシャンの事務所にいた友人に聞いたことがあるのだが、本当に事務所にはお金がなく、不眠不休の社員には最低給料を保証しても、ミュージシャン本人には印税が入るまで数万円の給料を払うだけでやっとなのである。歌番組に出演するのに、アーティスト本人はギャラなしという場合も多い。ゴールデン・タイムの番組に出れれば、宣伝費に換算すれば莫大な費用対効果があり、レコード会社に取ってみれば棚ぼたな話。だから、当人はタダ働きとしても、バックバンドなどはレコード会社持ちでもいいから、宣伝予算からギャラを捻出してでも、喜んでテレビに出ていたのである。雑誌のインタビューにしてもギャラなどPRで相殺がほとんどだから、新人みたいに仕事がないタレントは、金を稼ぐ手段がほとんどないのである。とはいえ、売れて市民権を得るまでには、とにかく露出していく継続力が必要である。この売れるまでの一切合切の金の工面を、自社の稼ぎ頭のヒットメーカーの売り上げからいただいて、新人に投資してきたのである。会社にしてみれば、いつまでも稼ぎ頭に屋台骨を支えてもらうわけにはいかない。ましてやユースカルチャーであるロックの世界なら、ライバルに出し抜かれないためにも、先行投資の手は抜けないのである。
 ミュージシャン自身もまた、自己をプロデュースする立場である意味では、制作者と変わらない。だから自身が商品であるミュージシャンも、参加者の一人としての立場を明確にすることで、商品性を追求できるし、なおかつ自らを奮い立たせる効果もあるだろう。実はこれ、丸山氏が小室哲哉氏と関わりが深いことも影響していると思われる。
 TMネットワーク時代からつきあいの長かった小室哲哉氏は、当時、すでにヒット・プロデューサーでもあったので、自分の収入が新人に投資されるなら、自分の意向を反映したいというのもあっただろう。また、それ以前に、あれだけ稼いでいた売り上げが、きちんと自分に反映されていないことへの不満はきっとあったと思う。 「A&R」システムの最大のメリットが、本人への売り上げの還元がガラス張りになっていること。新人に投資したければ、その売り上げを軍資金にして、今度は出資者として新人発掘ゲームに参加すればいいのだ。彼がエイベックスという新興会社に移籍したのは、エイベックスには歴史がない代わりに、アーティスト本人への売り上げの還元率が高かったからといわれている。無論、振興会社なので環境が維持できる保証はないが、当たれば大きいことは明白だ。おそらく2000年前後の、大物ミュージシャンの度重なるエイベックスの移籍もまた、そうした中堅以上のアーティストの利益保証という担保があったのではないかと思っている。


(3)スタッフの専門性とは何か?

 「A&R」の目的として、ディレクター、プロデューサーの自立を促すと書いたが、その専門性の強化というのはどういう意味だろうか。
 日本では、ディレクターの仕事を説明するのに、売り上げよりもまず「アーティストを育てる」ことが目的と言われてきた。ライヴハウスに足繁く通って金の卵を発見し、契約書を交わし、ルーズな性格を兄弟のように叱咤したり、作品作りのアドバイスのためにロックの名盤を聴かせてやるような、人間教育をディレクターがずっと行ってきたのだ。これは日本の音楽業界の美徳でもあり、同時にウィークポイントでもある。アーティストとの契約は、最初から3年などの期限が設定されており、売り上げが作れなければ最初からオサラバする運命にある。アーティストなど、スポーツ選手並みに命は短い。ましてやユース・カルチャーとしてのロックは、究極的に言えば短命であるからこそ美しい。その期限付きの期間を、対人間として接してしまうために、ドライなビジネスマンになりきれないところがどこかあるのだ。海外では、アーティストはエージェント(代理人)と契約し、レコード会社との渉外はエージェントが受け持ち、面倒なギャラ交渉などもすべてエージェントが行う。カリスマ級のエージェントになると、成功報酬が50%なんてケースもあるらしいが、彼らは1億円の契約金を2億円につり上げる交渉力を持っているから、1億円をもらえさえすればアーティストにとっては問題じゃない。それと、エージェントとは一生付き合うような長期契約を結ぶため、レコード会社の移籍などにまつわる“メンタルケア”の問題が発生しないのだ。
 これはあくまで参考例としての話だが、ワーナー・ミュージックの代表取締役に、SMEレコード出身の吉田敬氏が十数人ごぼう抜きで迎えられた時、業界紙で「ケミストリー、中島美嘉も移籍必至か?」と書かれていたのを覚えている方も多いだろう。このニュース見出しは、レコード会社と契約している意識よりも、アーティストはディレクター個人と契約しているような意識が強い、日本の音楽業界特有の構造を表していると思う。高い給料でヘッドハントされる制作者にとっては、それは担当アーティストを成功させた手腕が評価されたと喜ぶべきところだが、スカウトするレコード会社側にしてみれば、大物アーティストがくっついてくるのなら、社員の給料が少し高くなるのなど安いもの……そういう穿った見方もできてしまうわけだ。結局それは、けして制作者の手腕が正しく評価されているわけではないのだ。
 数年前に、80年代洋楽のコンピレーションや癒し系のオムニバスが100万枚のヒットを記録したことがあった。W社のカタログ班でそれを担当していた友人は、そのヒットで同年の会長賞をもらったというほど会社に利益をもたらした。不景気を背景にして、ブランド力のある有名アーティストのみに売り上げが集中し(宇多田ヒカル800万枚なんて、ピンク・フロイド級である)、新人は軒並み不発という状況が未だに続いている。そんな中で、元手のかからないコンピレーション盤がヒットした事実は、各社にカタログ狂騒劇を促した。それまで学芸部という社内で閑職と言われたセクションが、突然「ストラテジック(戦略的)」部門として再編され、一転してカタログに力を入れ始めたのは、新人のような先行投資がいらないからだ。カタログビジネスが富を産むという手法は、これまで「新人を育てることこそ美徳」とされてきたレコード会社で疎かにされてきた部分でもあるので、歴史軽視を覆すことになれば実りはある。しかし、カタログは所詮カタログ。人間を育てる苦労を学ぶことはそこではできないのだ。
 して、さくらレコードはどうなったか? 実は、その当初の計画はやはり性急すぎて、日本の商慣習に合わないことから店ざらしにされてしまった。これは私の判断だが、結局、彼らの「A&R」ビジネスを支えるのに必要不可欠なな、フリーランスのディレクター、プロデューサー、音楽専門の宣伝エージェンシーなどが、そもそも日本にはいないのである。これまで、日本の音楽業界がそれを育ててこなかったことが最大の要因だ。また「シナリオや企画書があれば、無担保でも銀行からお金が借りれる」というアメリカのフリーランスの制作者のような環境は、日本の経済システムを考えるとありえにくい(みずほインベストメントなどごく一部に文化支援はあるが)。もっとも現実性があるかなと思っていたのは、広告代理店(エージェンシー)に宣伝活動を一任するアイデアだったが、こちらも早期に難しいという結論に至ったようだ。私もPR代理店の知り合いを何人も知っているが、商品知識を持ってプレゼンを勝ち取っていくような志の高いPRマンなんてほとんどいない。そのへんは、旧来の社内プロモーターのように、例え宣伝スキルがなくっても「音楽が好き」という思いがないと、プロモーションなど上手く回ってはいかないのだ。いや、本来なら、音楽が好きじゃなくても、市場の法則性などをシビアに見据えて、レコードだろうが本だろうがヒットに結びつけていくのがエージェントの仕事だろう。だが、そういうプロフェッショナルな自立性を求めるのは無理だと、彼らを見ていて私は思う。
 さくらレコードはスタート後、しばらくは予定通り制作のみを行い、宣伝部隊を系列のソニーグループに外注する形を取ってはいたが、やはり立ちゆかなくなってプロモーターを社内に抱える形になった。現在のアンティノス・レコードである。当初はアンティノス・ミュージックなどの別組織を作り、そこにソニーグループ各社から独立心の高いプロデューサー、ディレクターを成功報酬制で募って、フリーランス梁山泊にしようと計画されていたようだ。実際、ソニーグループ以外の仕事までこなしていたほど自由度が高くて驚いたが、やはりクラブ・ミュージックなどの小さなマーケットに異変をもたらしたに過ぎなかった。
 無論、さくらレコード計画発足から10年以上が経ち、自立したプロデューサーが今は数多く登場している。THE BOOMの事務所、ファイヴ・ディーの佐藤剛氏などは、「CCCD論争」などの問題が起こった時に、制作者として率先してアーティスト・サイドの意見を代弁していた。個人のアティチュードを明確に持つことで、多くのミュージシャンから信頼を得ている新しいタイプの人材だろう。日本のレコード会社は電機メーカーを親会社に持つ会社が多く(アメリカは放送局が母体が多い)、社内の人間が「CCCD論争」などのハードウエア問題について、個人の価値観で発言することを疎まれる傾向があるのだ。
 しかし今は、そんな優秀な制作者たちにとっても、ファイナンシャル・バックグラウンドとしてのメジャーな会社は必要ないのだ。プロ・トゥールズなどの録音環境が廉価で手に入るようになり、原盤制作費など自前で用意できるようになった。プロデューサー、ディレクターも、自社で制作して流通に載せたほうが、自由でありかつ儲かることに気付いてしまった。山崎まさよしスガシカオらの事務所オフィスオーガスタがユニバーサルと合弁で発足したオーガスタレーベルや、ヤマハ音楽振興会アルフィー中島みゆきらを自社に呼び寄せてヤマハ・ミュージックコーポレーションを立ち上げるなど、近年、アーティスト事務所のレコード・ビジネス参入が活発なのは知られるところだ。
 68年に発足したCBSソニーは、それまでの芸能界に君臨していた、ナベプロなどの芸能事務所が原盤を持つヒエラルキーに対抗して、新人を育てることを信条とし、レコード会社が自社で原盤を持つスタイルを確立した会社である。そんなソニーグループの時代が、ここでひとつピリオドを打たれたということなのだろう。


(4)レコード業界のあしたはどっちだ?

 「A&R」システムの導入は、一つの理想の追求であった。しかし、それが達成されていたとしたら、今の音楽産業がもっとよくなっていただろうか? 実は「A&R」システムには、ひとつの大きな問題があると思っていた。ミュージシャンのみならず、スタッフすべてが成功報酬制で富を分配する契約は、確かにモチベーションを維持しながら売り上げ向上をも追求できる究極のやり方ではある。だが、アメリカの「A&R」のひとつのなれの果てとして、売り上げ至上主義がすべてにおいて優位に立つことから、制作者も失敗を恐れ、保守的な商品がはびこることになってしまった現実があったのだ。
 実は「A&R」システムの導入と隣り合わせにあるものとして、同じころ、私が聞いていた話に「再販価格維持制度の撤廃」の話があった。前の輸入盤ビジネスのエントリーでも書いたが、日本人は「レコードを買わない人種」と言われてきた。ところが、80年代後期にドリームズ・カム・トゥルーの『ワンダー3』が300万枚ヒットを生んだことが契機となり、その後の小室哲哉ブームのころには、ミリオンセラー(100万枚)を樹立したヒットアルバムが年間に22枚も出た年があったのだ。最近では年間に出て1、2作品ぐらいであるから、当時は完全にバブルの様相である。そのころから「機は熟した」とばかりに、ソニー東芝EMIなどの大手が中心となって再販撤廃の働きを見せ始め、新聞などでよく記事になっていたものだ。ドリカムのCDが一枚2800円でも300万枚行くわけだから、これが1枚1500円でももっと売れれば十分元は取れる。元々カッティング技術にコストがかかるアナログ盤と違い、レーザー光線でカットするCDは製作工程がシンプルゆえに、CDはアナログに較べ製造コストが1枚=数十円と安く上がるため、自由価格を導入して活性化させれば、市場はもっと膨らむと思われていたのだ。実際、その後に登場したDVDが再販商品にならなかったのは、進行中だった「CD定価の見直し」の運動が背景としてあったからだと思われる。結果、1枚1000円の映画DVDが登場し、浮動票を巻き込んでDVDは短期間に今のような巨大な市場を形成してしまった。サントラ盤が2500円もするのに映画本編のDVDが1500円で買えるなんていう、逆転が起こったときは思わず笑ってしまったものだ。しかし、私のようなマイナーな音楽ファンにとっては、「再販制撤廃」には一抹の不安もあった。「再販制撤廃」を推し進めていたのは、メガセールスを志向する大手だけで、小さなレコード会社はほとんどが反対していた。なぜなら、スタジオ代などの原盤制作費をプレス枚数で割って単価を決めていくから、自由価格にすると、マイナーで売れない作品の単価が相対的に上がってしまうのだ。「値段が高い」→「だから買わない」という悪循環が、安価な大手の商品のセールスを冗長することは容易に想像できる。「A&R」が志向したのと同じ、売り上げ至上主義が、いつかはツケとなって帰ってくるのではないかという不安があった。
 結局、CDの「再販制撤廃」がご破算になったのは、音楽バブルがはじけたからだと思っている。DVD登場の後、「CCCD問題」などが騒がれた後に、CDの次世代メディアとして、堅牢性の高いDVD-AUDIOスーパーオーディオCDなどが登場したが、今度はレコード協会はこのニューメディアを、再び「再販価格維持商品」に指定しちゃったのである。元々、戦後の焼け野原から立ち上がったレコードビジネス保護法だった「再販制」を、今どき採用するのなどアナクロニズムの極致。実際、食品業界、繊維業界、DVDメーカーなどから公正取引委員会などに「音楽業界のみの過保護はいかがなものか?」との意見があったとも聞いている。しかし、今、再販制度の防波堤がなくなったら、日本のレコード会社のいくつかはすぐ倒産してしまうかも知れない。それだけ、現在の状況が厳しいのである。
 「A&R」システムの売り上げ市場主義は、消費者にもっとも近い立場にいる、若手スタッフらに機会を与え、早熟なヒットメーカーを生み出すことに貢献できるだろう。しかし、ここ数年、サンプリングやパクリの問題が再び世間を賑わせることが増えてきた。小室哲哉の時代に、あれだけパクリと言って非難していたジャーナリストも、もっと悲惨な現在の状況については口を閉ざしてる人も多い。私はパクリ、サンプリング否定論者ではないが、あまりにお粗末なものは関心しない。ジャコ・パストリアスのベースをサンプリングした某ラップグループのことなど、実際調べてみたことがあるが、プロデューサーやディレクターの若返りによって、音楽教養のなさやモラルの低下から、チェック機能がきちんと働いていなかったという現状が伺えた。ピチカート・ファイヴフリッパーズ、あるいは小室哲哉氏の時代にもパクリ論争はあったが、彼らには明確なエクスキューズがあった。そういう議論に耐えられるほど、今の音楽業界に諧謔精神があって、それが行われているとは到底思えない。
 夢見がちなプロデューサー、ディレクターが、アーティストとともに一丸となって、消費者の気持ちを組んでヒットを生む。それはもうノスタルジーなのだろうか。思えば、日本で「A&R」システムを立ち上げるという話を最初に聞いた時、それを計画しているのが丸山茂雄氏であると聞いたときは、正直ちょっと驚いたものだ。「丸山さんが? 成果主義って?」 なにしろ、エピック・ソニー時代、我が愛するキリング・タイムが全然売れなかったのにアルバムを出し続けられたのは、丸山氏が彼らをクビにしなかったからだ。エピック時代のエレファントカシマシもそうである。だいたい、岡村靖幸が何年もずっとCDを出していなくても、彼の才能を信じてエピック・ソニーが放り出したりしなかったのは、丸山氏の意向があったからだと聞いている。だから、岡村靖幸ソニーを去ったあの時に、今のレコード業界の構造的不況のがすでに始まっていたのかもしれない。結局、日本の音楽文化を作ってきたのは、システムではなく不退転の人々だったのだ。