POP2*5

過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

さらばディスク時代。黎明期のCD(CDDA)に思いを馳せる

 今年の初め、週刊誌でハードウエア紹介ページのデスク担当だった私らにとって、W杯と並んで大きな話題だったのが春のソニーのゲーム機「PS3プレイステーション3)」発売の話題だった。私は一切ゲームはやらないし、私のまわりでもゲーム離れはけっこう進んでいる。それでもこのニューハードが待望されたのは、現行のDVDに替わる次世代メディアと言われるBD(ブルーレイ・ディスク)が再生できる機能が付いていたから。かつてDVDの普及時には、いち早くDVD再生機能をオマケに盛り込んだPS2が一役買ったと言われている。PS3は、高価なハードゆえ普及は決してスムースにはいかないまでも、BD専用プレーヤーをわざわざ買うよりはぐっと身近な選択になるだろう。ゲームをやらない人でも、「映画に飽きた時にゲームができるほうがいい」からと、専用プレイヤーよりPS3を選択する可能性もあるだろうし。
 ところが、ご存じの通りモトローラ社に発注した専用CPUの生産体制の問題で、発売が初冬に延期になってしまった。かなりギリギリでの発表だったので各編集部でもそのニュースに驚ろかされた人は多かったが、もっとも困惑したのは、それを当て込んで制作を勧めていた映像ソフト・メーカーだろう。次世代ソフト第一号を謳っていたポニーキャニオンの花火のハイビジョンディスクも、すでに「初のBDソフトリリース」と大きく広告を打っていた。しかし、PS3発売延期のニュースが発表されるやいなや、ツタヤの店頭POPなどが一斉に「初のHD DVDリリース」とコピーを入れ替えていたのを覚えている。てっきりポニキャニはBD一本なのかと思っていたら、宣伝はしていなかったがHD DVDでも制作していたのだ。花火のハイビジョンディスクが、BDソフトとして宣伝されていたのは、すでに初春の段階で「PS3が発売されたら、完全にBD陣営の勝利」と業界筋では思われていたからである。もともと、一方のHD DVDは旧来のDVDとの生産ラインの互換性を重視して作られたメディアだったため、BDより容量が小さく、ハイビジョン映像で2時間以上のソースを入れるのに、二層を使用する必要があるギリギリのスペックだった。その点、後発だったBDは片面一層で2時間のハイビジョン映像をフル収録できることが大きな武器だった。だから、PS3発売延期のニュースを聞いて、突然色めきだったのは、すっかり敗戦処理ムードだったHD DVD陣営。初冬のPS3発売までに、是が非でもHD DVDを普及させようと戦術を進めているらしい。実は、ビデオテープのメディア対決で知られるベータ対VHS戦争も、技術的にはあきらかにベータのほうが優勢であり、直前までそれぞれの陣営が、ベータ:VHS=9:1という状況があったのに関わらず、ギリギリの大逆転でVHSが勝利したということが実際にあったのである。
 ところで、ソニーPS3に期待をかけていたのは、BDだけではない。PS3には、現行のCD(CDDA)に替わる次世代音楽ディスクと言われる、同じく自社開発技術であったSACDスーパーオーディオCD)の再生機能も搭載されているのだ。CDをパソコンでコピーする問題が話題になったころ、業界がCCCDコピーコントロールCD)というディスクを採用していた時期があったのを覚えているだろう。それが音質劣化や再生エラーなども問題を引き起こしたことから、消費者離れが進み、売り上げ低下という由々しき状況にレコード業界を陥れることになったと言われている。結局、先陣を切っていたソニー、エイベックスがいち早くCCCDから撤退したことで、CCCDはすでに過去のメディアになったのだ(EMIグループのみが続行)。
 CDに替わる次世代ディスクと言われていた、SACDやDVD AUDIOという規格がある。DVDと同じマクロ技術によってとりあえずの堅牢性は保たれており、CDのように普通にパソコンへのコピーができないしくみになっているものだ。無論、iPodなどを普及を考えれば、「パソコンへのコピーができないディスク」というもの自体の存在が問われる部分はあるが、CDに無理矢理プロテクト信号を入れたCCCDに比べれば、初期から堅牢性を視野に設計されているSACDやDVD AUDIOを採択すれば、売り上げ減の理由になっているコピー問題は、とりあえず回避できるはずだ。
 ところが現在、CCCD撤退から2年が経とうとしているが、レコード業界がリリース続けているのは、古い技術でしかない従来のCD(CDDA)である。CDではコピーを回避できないのはご存じだろう。コピー問題の解決策があるわけでもないのに、なぜ未だにCDで出し続けているのか? その理由は、次世代ディスクであるSACD、DVD AUDIOの技術がすっかり古くなってしまったため。実は、レコード業界がCCCDを採択した時に、すでにSACD、DVD AUDIOの技術は完成していたのだ。しかし、レコード会社が新譜のリリースを、従来のCDから「次世代ディスクのみでリリース」にシフトした場合、かならずハード普及過渡期の問題から月当たりの売り上げが一時的に減少するのは避けられない。従来のコンポと互換性がなく、専用プレーヤーが必要だったSACD、DVD AUDIOが選択されなかったのがそれが最大の理由だ。そこでレコード業界は、普通のCDプレーヤーと互換性があるCCCDという新方式を、選択しちゃったのである。CCCD採択によって、消費者とレコード会社の間でトラブルが起こり、CCCD撤廃という顛末にいたるまでの間に、SACD、DVD AUDIOなどの技術がすっかり古い時代のものになってしまったのだ。
 次世代メディア移行期というのは、「ハードが先か? ソフトが先か?」それが大きな問いかけになる。かつて、PS2登場時には、とりあえずオマケで付いていたDVD再生機能が、レンタルDVDなどの市場を広げることに貢献した。「その夢をもう一度」ということで、ソフトメーカーはPS3発売にチャンスをかけていたのである。だが、PS3が初冬に発売されたとしても、今さらSACDが普及するとはとても思えない。すでに、iTMSのようなネット配信のほうに、レコード産業の未来は大きく寄りかかりつつある。今秋からは、無線LANも転送速度54Mバイトなんて高速通信を実現するらしいし、WiMXという次世代高速無線は、移動体で15Mバイトという高い転送速度を謳っている。すでに、ノンパッケージのほうが、ディスク→プレイヤーのデータ転送速度を超えようとする勢いなのだ。SACD、DVD AUDIOについては、以前別エントリーで書いたように、CDと同じ「再販価格維持商品」で扱われることがすでに決まっている。定価販売ゆえ、従来の16ビット録音のCD(CDDA)との差別化のために、価格帯も少し高く設定してある。いずれも、レコード会社の思惑で決められたことで、そこには消費者の気持ちが投影されているわけではない。しかも、SACD、DVD AUDIOいずれが選択されても、より高容量が求められるスペック進化の問題から、わりとすぐに次次世代ディスクへのシフトが要求されることになるだろう。つまり、いまレコード業界は、次世代ディスクへのシフトについては、まるで希望のない状況に立たされているのである。
 私が発行人を務めた『Digi@SPA!』で、「インターネットTVが地上波に入れ替わる時代」をテーマにした特集を組んだ。ここでも、すでに地上波の大半がそのように作られているハイビジョン映像のソフト化について、BD、HD DVDのどちらが普及するかについて、事情通氏3人の鼎談企画で質問を振ってみたのだ。するといずれの見解も同じで、やはり高速通信時代の到来を目前にして、すでにディスクの時代が終わりつつあるのではないかとの結論に達した。容量の多いBDにしたところで、ハイビジョン映像が片面一層で2時間ギリギリしか入らない。どのディスクを選んでも、すぐに次世代規格に入れ替わる必要が出てくるのであれば、映像配信がもっともリスクが少ないだろうという話だった。便利なYouTubeのFLVの低解像度映像も、すでに始まっているアダルトのハイビジョン放送も、インフラは同じインターネットである。使い勝手のよいiPodのMP3やMMC音源と、一方の24ビットのSACD、DVD AUDIOと、音楽ソフトもローエンド、ハイエンドの二極分化が進んでいるが、いずれどちらかに統一されるのではなく、ノンパッケージ化によってダブルスタンダード時代になっていくというのが3者の見解であった。これには私もすっかり納得させられた。
 ネット配信の概念が話題に上り始めたころ、反対派からよく言われていたのは「人には物欲があるからディスクは消えない」というものだった。確かに、私自身を振り返っても、何かを所有するために対価を払っているという意識は強い。CDもプレスコストは数円に過ぎないわけだから、実際はデータにお金を払っているという解釈が正しいのだが、それでも物質の形をしているから、モノを買うという理屈で動いている。しかし、私の友人にはすでにその利便性に魅了されて、10万円以上の金をiTMSにつぎ込んでいる人が大勢いる。彼らに言わせれば、けっして所有欲がなくなったわけではなく、「物質所有欲」の代わりに、「データ所有欲」のようなもので満たされているのではというのである。いずれにせよ、なんらかの形で所有欲を満たしてさえしまえば、それがディスクだろうがデータだろうがかまわないように人間はできているのだ。
 とは言え、レコード産業を支えてきたのはソフトコンテンツ業者である当のレコード会社だけではなく、日本全土に発売日に商品を届ける、流通業者の力が大きかった。ネット配信普及によって、流通業者の商売が立ちゆかなくなるようにはならないよう、今後もディスクの形での商品リリースを続けていくことになるだろう。それは、流通業者と一蓮托生であるレコード会社自身の思惑でもある。そんな中で、現状でもっとも平和的な解決法として知られているのは、普及しているCDを継続し、コピーによる被害を「心の問題」として消費者に訴えかける、クリエイティヴ・コモンズという概念である。ピーター・ガブリエルはニュー・アルバムで、アルバム中2曲だけを、友人にデータ配布してもよいという制限を設けて、すでに普及しているネット配信時代のルールと協調することを提案している。
 思えば、CCCDを選択したときのレコード会社には、それが「再生エラー率0.04%」(プレーヤー100台につき、4台で再生できない理屈)と発表されたとしても、それで困る消費者のことなど一切頭になかっただろう。あの時に、もっと「心の問題」として消費者に向き合っていれば、たとえ今と同じCDを継続していたとしても、ここまで業界全体の売り上げ減はシビアにはならなかったかも知れない。「心の問題」というのは、「コピーすることによってミュージシャンの収入が奪われる」という社会問題への理解である。ここに立ち返らなければ、どんな堅牢なメディアが今度登場しても、プロテクト外しの輩とのいたちごっこは繰り返されるだけだろう。この辺、学校に子供を預ける親の責任意識に似たところがある。学校で教育できることなどたかが知れており、結局は親が「コピーはよくない」ということを教えていかないといけないのである。
 現状から思うに、しばらくは音楽メディアの中心はCD(CDDA)でリリースされていくだろう。先日の、東芝EMIが社員の4割(200人)をリストラしたというニュースなどを聞くと、現状ではメディア入れ替え時に生じるたった数ヶ月の売り上げ減でさえ、屋台骨にひびが入るほどのダメージになるのかも知れない。しかしだ。そもそも私たちがアナログ・レコードからCDに買い換えたのは、どんなタイミングだったかを思い出して欲しい。私の場合、80年代中頃から「CDのみでリリース」というアルバムを、再生機もないくせにとりあえず買うというところからCDとのつきあいがスタートした。それが10枚ぐらいたまったころだろうか。中古で安いCDプレーヤーを見つけ、初めてそれらのCDを再生できる環境を構築した。それまで3年ぐらいは、そのCDはただ持っているだけの存在だったのだ。「ハードが先か? ソフトが先か?」けっしてハードフェチでもなんでもない、私に置き換えて考えてみると、もしCDから何らかの次世代ディスクに切り替える必要があるのなら、やはりそれは「ディスク優先」でキラーコンテンツを次世代メディアのみで投入し、無理矢理普及させて行くしかないのではと思っている。
 80年代初頭の黎明期に出たCDというのは、現在ちょっと替わった位置づけにある。拙著『電子音楽 in the (lost)world』でも、TPO『TOP1』やアート・オブ・ノイズ『リワークス・オブ・アート・オブ・ノイズ』などのその時期のディスクを数多く紹介しているが、なぜかこのころにいち早くCDで出たものだけは、その後再発されたものが少ないんである。初期のCDはまだ技術的に過渡期にあったといわれることが多い。実は、アナログ・レコード時代のマスターをそのまま流用しているディスクというのも数多くあったのだ。これは技術系のエンジニアに聞いた話だが、アナログ・レコードというのは特性上、10回もトレースするとハイ(高音域)が落ちる傾向があるために、その10回トレース後にバランスのいい音質にするために、多少ハイを上げ気味にしてマスタリングする慣習があったらしい。だから、初期の共通マスターを使っていたCDが、よく「キンキンな音に聞こえる」と言われるのはそのためらしい。
 CD黎明期は各社の力の入れ方も尋常じゃなく、けっこう力を入れているソフトが多いのにもかかわらず、リマスターする機会もないまま、今に至るものが多いのが残念である。そこで今回、私の所有している80年代初頭に出ていた、いまだ復刻する機会を失っているディスクというのを、主だったものだけ紹介することにした。今どき、iPodなどで聞いても音量も小さいし、音が痩せていて、とても長く聞いてられなかったりする。しかし、それらの楽曲を聴いていると、最初にCDプレーヤーでかけた時の「シャリーン」というデジタルの音を初体験した時の感動が、鮮烈に思い出されるのだ。



デイヴ・スチュワート&バーバラ・ガスキン『Up From The Dark』(Ryko)

私が生まれて初めて買ったCDがこれ。ナショナル・ヘルスにいた鍵盤奏者、デイヴ・スチュワートユーリズミックスじゃないほう)が、自らのレーベル“ブロークン”から出していた佳作シングルを初めてアルバム化したもの。初めて聞いたのは、たぶんFM東京の『トランスミッションバリケード』だったと思う。ここに入っている「ディファレント・ワールド」のことを知っていたことが、『Techii』編集長に気に入られて編集部に招かれた決め手だった。

デイヴ・スチュワート&バーバラ・ガスキン「ディファレント・ワールド+ライプチッヒ」(ミディ)
日本でのみCD化された、スチュワート&ガスキンの12インチ2枚のカップリング。これが出た時の感動ったらなかった。前者は12インチ・ヴァージョンこそが完成品。後者はアンディ・パートリッジがプロデュースしたトーマス・ドルビーのデビュー・シングルのカヴァー。同社の「12×2シリーズ」には、ほか坂本龍一「フィールド・ワーク+ステッピン・イントゥ・エイジア」「オネアミスの翼イメージ・スケッチ」などがある。


ムーンライダーズ『マニア・マニエラ』(ジャパンレコード)
スチュワート&ガスキンに続いて中古で買った2枚目のCDがこれ。当時は国内版CDは3500円と値段が高かった。内容は現行版と同じだが、ジャケットのみ異なる。ほか、当時買ったCDには、パール兄弟の12インチを集めた編集盤『パール&スノウ』などがあった。

『URGH! A Music War』(A&M
日本でも劇場公開された、ニュー・ウェーヴ・バンドのライヴ映像を集めたオムニバス映画のサウンドトラック。ポリス、OMDXTCオインゴ・ボインゴクラウス・ノミディーヴォ、エコー&ザ・バニーメン、ペル・ウブ、マガジン、ゲイリー・ニューマン、ジョーン・ジェットなどを収録。どのヴァージョンもこれでしか聞けない。VHSソフトも持っているが、当時は来日自体が珍しかったので、これらのニュー・ウェーヴ組の動く映像は貴重であった。2枚組のアナログ盤より曲数は少ないのだが、当時は矢野顕子『ごはんができたよ』、YMO『アフター・サービス』など、2枚組のアナログを1枚もののCDにする際に、曲数を削るというケースがけっこうあったのだ。これはスタジオ・アルタの上階にあったシスコで購入。当時、CDを一番積極的に入れていたのがシスコで、後にCD専門店のほうがフリスコという名前に替わった。まだ珍しかったムタンチスのCDをごっそり手に入れたり、シスコには大変お世話になった。音楽ライターの除川哲郎氏が店員をやってたんだよな。

コールドカット『What's That Noise?』(Tommy Boy)
デビュー作にして名作。アルバムにプラス、初回盤に付いていたボーナス・ディスク分を加えてCD化された。これがCD化されていたことを知らない人もけっこう多い。復刻されないのはサンプリングの問題と言われているのだが本当だろうか。『ダウンタウンガキの使いやあらへんで』のジングル、登場曲はすべて本作から使われている。

ヴォイシャス・ピンク「8:15 To Nowhere/The Spaceship Is over There」(LD Records)
ヴォーカル・グループなのに、なぜこのインスト2曲だけがオフィシャルにCD化されたのがは謎。トニー・マンスフィールドのプロデュース組で、フェアライトCMIによる過剰なオケはすべてトニー単独仕事。よってトニマンのソロ・シングルみたいなものと言ってよし。

ビル・ネルソン『Duplex』(Cocteau)
ビル・ネルソンが主宰するフランスのレーベルからの、初のベスト盤。「Vocal CD」「Instrumental CD」の2枚で構成されており、シングルのみだったScala名義の曲も入っている。フランス盤で出た、高橋幸宏の「Strange Thing Happen」の12インチのB面に入っていた「Metaphisical Jearks」もなぜか入っており、CDで聞けるのは本作のみ。この前後にビル・ネルソン作品は、ヴォーカル作のみだけでなく膨大なインスト・アルバムもまとめてCD化されている。

スカーラ「Secret Ceremony」(Cocteau)
ビル・ネルソンのユニットで、イギリスのチャンネル4の番組のためのサウンドトラック。私が生まれて初めて外盤で買った8cmシングルがこれ。12インチ盤とジャケットが異なる。

『A Tribute To Thelonious Monk』(キャニオン)
NYダウンタウン系の著名プロデューサー、ハル・ウィルナーが名作『アマルコルド・ニーノ・ロータ』の次に制作したセロニアス・モンクのカヴァー集。ブルース・ファーラー、NRBQドナルド・フェイゲン、マーク・ビンガム、ワズ(ノット・ワズ)、ジョー・ジャクソントッド・ラングレンなど蒼々たるメンツが参加。これもアナログ2枚分のうち、主要曲だけ抜粋でCD化された。当時は日本だけでCD化され、ハル・ウィルナー作品の中でもっとも稀少なCDと言われてきたが、最近海外で復刻されたらしい(こちらも曲順が違うだけで、曲数は過去のCDと同じ)。

佐久間正英『Lisa』(Pan East)
プラスチックス佐久間正英の初のソロ・アルバム。小野誠彦のプロデュースで、彼のソロ、橋本一子ソロ、細野晴臣選曲のエリック・サティ・ピアノ作品集などとまとめてCDで出ていたものだが、私が所有しているのがビクター盤ではなく、イギリス盤。

パレ・シャンブルグ『Parlez-Vous Schaumburg?』(mercury)
最近、1、2枚目がCD復刻されたが、これのみオリジナル時以降復刻されていない第3作。ホルガー・ヒラーが抜け、トーマス・フェルマンがメインの時代なので世間的には評価が低いが、プロデュースがデペッシュ・モードを手掛けたガレス・ジョーンズで、フェアライト主体のポストモダンな音響構成は本作のみの魅力。共同プロデューサーはインガ・フンペで、彼女のダバダバ・コーラスとインダストリアルな音の組み合わせの違和感がキッチュなり。ジャケットは、アナログ初回盤、通常盤とすべて異なる。ホッピー神山氏、小西康陽氏など、ジャーマン系ヲタ以外では「パレシャンといえば3枚目」という評価をする人も多い。

フンペ・フンペ『Careless love』(Warner)
パレシャンのコーラス嬢である、インガ・フンペ、アネテ・フンペ姉妹の2枚のアルバムをまとめたベスト盤。現在は両方ともCD化されたのでこれのみの音源はない。フンペ姉妹のソロやシングルもけっこう当時CD化されていて(私の手元にもCDが6〜7種類ある)、ドイツのCD普及は早かったようだ。

『ボロブドゥール』(キング)
ご存じ、フリッパーズ・ギターを英国でデビューさせたインディーレーベル、ラディダのコンピレーションが日本でのみCD化。ヘヴンリー、ヒット・パレード、ジョン・カニンガムらが参加するオムニバスだが、所属レコード会社との契約問題で、アナログに入っていたフリッパーズ「フレンズ・アゲイン」(ロング・ヴァージョン)はCD化に際し、残念ながら割愛された。マイク・オールウェイのエルのコンピレーション『amen』も、国内版がCD化された時、ビデオから起こしたフリッパーズのエレキ・インストが割愛されていたんだよな。とは言え、本作の聞き所はヒット・パレード「I Get So Sentimental」のキャス・キャロルが歌うヴァージョン。ビニール・ジャパンから出た最初のアルバムに入っている打ち込みヴァージョンの100倍いいっす。

クリス・イエーツ『ア・デイ・イン・ベッツ』(ビクター)
クレプスキュールから出たプレジャー・グラウンドの3枚のシングルは、ビーチ・ボーイズのフェイクとしてルイ・フィリップ以上の完成度を感じさせる、私の宝物だった。その正体はクリス・イエーツのソロで、本名に改めて日本でのみアルバムがリリース。後に別ジャケットでイギリスでもアナログで出た。プレジャー・グラウンド時代の「ウエイト」など数曲は、そのままのヴァージョンで再録。シングル以外のアルバム用録り下ろしはけっこう凡庸な出来でガッカリだった。