POP2*5

過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

みんなが聞きたがる「なぜ一体マンガなのか?」のワケ

 ブログ名を「POP2*5」に改め、将来的に内容を大幅リニューアルするための下準備として、期間限定復活した当ブログ。こっそりやってたつもりだが、友人に見つかってしまって必ず聞かれることがある。「なあ、なんでマンガ載せてるの?」という質問。わっはっは。実はここに至るまでが紆余曲折すぎて、どこから説明すればいいのかわからないもので、なんとなく察してくれる人だけついてきてねってことで、毎日謎の更新を重ねている状況なのだ。しかしながら、マジメにブログ運営をやっていた、「POP2*0」のころに支援していただいた方がいたことを思うと心が痛い。なので、少しだけ心の内を明かしておくことにした。
 以前から何度かネタに取り上げていたように、小生が生業にしてきた音楽、サブカルチャー周辺の状況が寂しい昨今。万年ビンボーからエスケープするために、新天地として考えていた一つが「マンガ原作」の仕事だった。これは、『のだめカンタービレ』、『BECK』、『デトロイト・メタル・シティ』など、近年のヒット作に音楽をトリガーにしたものが多いことを鑑みて、これならいくらでもネタ提供できると思い、「原作者(ストーリー作家)」という仕事があることは知っていたので、マンガ関係者(主にマンガ制作を請け負う編集プロダクション)の友人にそっち方面に進出できないものかとアドバイスをもらってたのだ。んで、相談に行ってまず最初に逆質問されるのが「なぜ、お前がマンガなのか?」という話。小生はそれぐらいマンガについて疎い。20年前に創刊早々の『NewType』というアニメ雑誌の編集に付きながら1年で離れたのも、正直言って取り上げる作品が面白いんだか面白くないんだかがさっぱりわからなかったから。幼少期に手塚治虫の多大な影響を受け、いくらかファンタジー&SFの素養を身につけた自覚はあるが、ほとんどのマンガ読書歴を手塚クラシックスに費やしてきたから、同時代に流行ったマンガについても知識は平均以下しかない。なぜかと言われれば、手塚の短編などを読んだときに感じるカタルシスが、巷の少年誌に連載していたマンガにまったく感じられなかったから。中高生時代はラブコメブームの全盛期だから、数ページごとに挿入されるヒロインのパンチラなどが話題になったりしていても、本当にどうでもいいなあと思いながら飛ばし読みしていた。人生の中で唯一、集中的にマンガを読んでいたのが中学時代の数ヶ月で、周りの友人の勧めで江口寿史高橋留美子に開眼。さすがにギャグ分野だけは手塚のセンスに満足できなかった小生は、過激なニュー・ウェーヴコミックの笑いに耽溺した。大友克洋の影響もすごくて、それが絵コンテを描き始めるきっかけになった。その時期にはのわんと、手習いの技術で描いた処女作を投稿して、『少年ビックコミック』(後の『ヤングサンデー』)の新人賞でいきなり佳作入選したこともある。それで満足したこともあってか、それ以来ずーっと描いておらず、マンガは思い出したときに読むぐらいのものだった。続きが気になるので雑誌ではほとんど読まず、もっぱらコミックスのまとめ買い。確か最後に買ったコミックスは吉田秋生『バナナフィッシュ』で、表紙が同じなので何巻まで読んだかが途中でわからなくなり、ある日同じ巻を3冊も買っていた事実に気づいて、発狂して今後一切コミックスを買わないことにした(←勝手すぎ)。社会人になってから続けて読んでたのは柴門ふみぐらいで、『のだめカンタービレ』、『ハチミツとクローバー』が本当に面白いと思って久々に買ったコミックスだった。
 前にも書いた通り、映画が好きだからストーリーや絵コンテを描いたりするのはわりと得意。コピーライター学校時代のコンペでも絵コンテ、ラジオCMだけは成績がよかったし。だけど小説家になれるかと言えば才能はゼロ。第一、ビンボーしてまで純文学に身を費やし、自らをさらけ出す勇気はない。それで、人様の画力にあやかってストーリー部分だけやらせてほしいと思い付いて、いきなりそっち分野の開拓を始めたわけである。『ナニワ金融道』の青木雄二の40代デビューの逸話の励みになりました。タモさんやピチカートの小西さんみたいに、遅咲きデビューは長持ちするというジンクスもある。亡くなっちゃったナベゾこと渡辺和博は『金魂巻』がヒットする37歳まで、実家から仕送り受けてたらしいし……(って、これは関係ないか)。
 で、「原作者への道」を模索し始めた最初のレベルで、これはかなり険しい道であることを実感。叶うならば、これからそっちの世界でお世話になりたいので、内幕的なことはとても書けないが、自分で絵も描くマンガ家よりも狭き門であるのは確実だろう。定例コンテストに原作者部門がある雑誌もあるらしいが、そこで受賞してもほとんどワンショットで終わり、継続している作家は皆無だという。劇画村塾にでも受講して大物原作者の鞄持ちや書生さんから始めるしかつてはないかもしれぬ、と忠告する事情通氏もいる。近年のヒット原作者として知られる大場つぐみのケースなども、元々はマンガ家出身で、絵はさておいても話作りは上手いということで、編集者の慧眼で転身を勧められたのがきっかけらしい。出版不況は、活字雑誌ほどではないにせよマンガ界も同様で、すでに活躍しているレギュラー作家のフォローで手一杯という実情もあるよう。つまり「本当にこの世界の住人にならねば原作仕事などもらえぬ」、「仕事が欲しければ自分で絵を描け」ということであった。これはあまりよく背景を知らないのだが、浦沢直樹の過去作で絶版になってる『ミスター・キートン』の原作権の所在を巡って、出版社・作画家サイドと、「マンガ原作者」の地位向上を訴える大物原作者による代理戦争が繰り広げられたことがあるそうで、それ以来「原作志望者」が疎まれる傾向があると語る人もいた。小生もこれは酷いなあと思ったのは、『キャンディ・キャンディ』裁判の判決だ。原作者と作画家のどっちが真実の作品所有者であるかを巡るものだったが、「原作者が描いた文章がオリジナルであり、それを元にマンガ化されたものは二次創作物である」というアホな判決。今後の同様の裁判に、この判例が効力を持つとしたらゾッとする。作画家の肩を持つわけじゃないが、あの作品は作画家と編集者がキャラクター、設定を作り上げた後に、ストーリー作家として原作者が呼ばれて参加したらしいから、判決は妥当とは言い切れないものがある。まあ、かのように「マンガ原作者」の所在が、かなり特殊であることを聞いて、ビビってしまった小生なのだ。最近、『あしたのジョー』が『週刊現代』で再スタートして話題になっているが、あれにしてもかなりの部分の設定、エピソードを作画担当のちばてつやが発案していたことがわかってきたらしいし。
 で、まあ下手なりに味があると言われたこともあるので、最近は絵まで自分で描いてる久住昌之に倣って、“記号マンガ家”みたいなものにギアチェンジしたのが、我が「まんが道」第二章。“記号マンガ”と開き直れば、無責任にスイスイと描けるもので、もともと頼まれなくても絵コンテはたくさん描いた経験があるから、やってみるべと思って某SNSに昨年末に登録。一日1本のペースでコママンガを描き始めたというわけである。実は中学時代に『少年ビッグコミック』の佳作入選したときも、「絵はアレだが構図がオモロイ」と誉められたことがあって、このへんはマンガというよりドラマや映画で培われた映像体験によるものだろう。「マンガを読んでなくてもマンガは描ける」と開き直れば、マンガ描くのも怖くない。某SNSに入ったとき、全部左向きの女の子のバストアップだけで描かれた漫才みたいなコママンガが異常に多くて、「これはマンガを見てマンガを描いてる人だな」と思うことも多かったし。
 しかし、現在はちょっと考えを改めている。なぜなら、投稿した作品がまったくウケなかったから(笑)。映像的記憶だけでマンガは描けないってことを証明するために、まあ初期の作品を見てくださいよ。


関めぐみシリーズ第3話「ツインテール関めぐみロボ」



(前回までのあらすじ)初音ミクが巨大化した怪獣ツインテールが東京を舞台に大暴れ。そこに現れたのは、地球外生物から人類を守るために作られた、ガスパッチョの東京ガスCMで人気の関めぐみロボだった。



 面白がってるのは作者だけで、どうも読者がノリ切れないよう。多視点が過ぎて読んでて疲れるなんて意見もあった。まあ、ただ色を付けた絵コンテそのものだもんな。「読ませる技術」というのは確かにあって、その未熟さは小生のマンガ読書体験の薄さに起因しているようだ。実際、研究のために買ってきたマンガ雑誌を見ても、プロの人でさえ顔のアップだけで会話する漫才みたいなマンガ描いてるし。それが読む側の安心材料として担保されるのであれば、見習わねばならぬと意を新たにして、次フェイズとして取り組んでみたのが、以下のような我流やおい風マンガである。


■「猫と部屋デート」





 やおいの定義は厳密には知らないが、小津安二郎山田太一のような世界観に置き換えて考えてみたら、意外とスラスラ描けた。現在の「猫シリーズ」はここから始まったもので、最初はファミリーものを描いていたら添え物の猫が面白いと誉められたので、赤塚不二夫のニャロメみたいにスピンアウトさせて今に至る。しかし小生、生まれて一度も猫を飼ったことがないので、すでにネタ切れ気味。某SNSでは猫を二本足で立たせて普通にしゃべらせる萌えマンガも多いけど、あれは絶対禁じ手だと思うしなあ。
 実際、某SNSに登録して3カ月更新しているあいだも、けっこう長めの未発表コンテも描いてみたり(結構オモロイよ)、いい歳のオッサンのくせに実際に電話して編集部に持ち込みしたこともある。詳しくは書けないけど、やっぱ思ったのは、「音楽にちょっと詳しい」じゃウリとして弱いみたいね。「その世界の住人になってもらわないと」とここでも念を押された。マンガ編集界って、活字編集界よりちょっと保守的かなという印象まで持ってしまった。
 そんな日々の中で、話題になっていて読んでなかった『きょうの猫村さん』を改めて読み、「猫マンガ」としてよくできてるなあと関心。しかし、鉛筆画という新手法はきっと、保守的なマンガ本流の世界ではなかなか受け入れがたいものがきっとあって、マガジンハウスから単行本化されたのが正解だったんだろう。ジブリの鈴木プロデューサーの自伝読んだとき、『ナウシカ』の連載を鉛筆画でできないかと印刷会社に要請して、何度も版下作り直して「鉛筆画を印刷する画期的技術を発明した」なんて書いてあったぐらいだし。まあ、コピーの精度がよくなったのなんて最近だもんね。自分の高校時代は、田舎だったからミニコミガリ版だったし。乾式印刷(今のトナー式コピー)は単価が高かったので、授業ではもっぱらベショベショの青焼きで刷って乾かしてたのを思い出しましたわ。ついでに言えば、学校のパソコンの授業のOSは何世代も前のフォートラン。ベーシックすら買えなかった貧乏な田舎の学校であった。
 して、やっぱ正調マンガ界にいまさら入門するのもなんだしなあと思い、今流行のケータイコミックなんかを視野に入れて、いっそここで音楽業界マンガをウェブコミックとして書き下ろし連載するほうが近道なんじゃないかと思い直して、「POP2*0」を「POP2*5」に大幅リニューアルすることを決意した次第。「POP2*0」時代の読者はどっと離れていくだろうことは覚悟してますが、まあ活字は書けるけどやってて不毛に感じる部分が多くてなあ。元々評論家タイプじゃないし、「エンターテインメントの鉄則は説明しないこと」を肝に銘じて最近は生きてるもんですから。