POP2*5

過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

新ネタ「日本テレビ女子アナ考」と似顔絵の話




 今日アップしたもの。一部の方に「似顔絵マンガ」を誉めていただいたので、身近なテーマでなんかないかと思って描いてみた。ちなみに以前、似顔絵投稿を「写真の輪郭を線でトレースしてるんでしょ?」と言われたことがあるから答えておくが、答えはノー。元になる写真はあるものの、重ねてみればそのままの絵じゃないことがわかるはず。というか、写真の輪郭をトレースした経験がある人ならわかると思うけど、それじゃあ似顔絵どころか、のっぺりしたデザインのアタリラフにしかならないんだよね。小生の場合だと、似せるためにある程度写真が必要になるんだけど、それは顔のパーツのバランスを見るためで、例えば横向き、前向き、俯きなどの写真が数点あれば、そこからディテール情報をいただき、過去のデッサン経験で得た基本の人型に加えるようなカタチで、上下右左どんなアングルでもある程度は描くことはできる。怒った顔、泣いた顔などもステレオタイプな記号的表現法があるから(焦ったときは、頬に一筋汗を垂らすとか……)、その人が泣いた顔を実際に見たことがなくても、想像だけで「泣き顔らしいもの」を描くこともできる。表情は単なる筋肉の動作でしかないし、顔のパーツの位置は誰もが共通なので、よほどの宇宙人でもなければ無問題(人間→猫への応用だってOK)。「pi●iv」には、その種の絵描きのためのチュートリアルを投稿する人がけっこういて、小生も以前、下のような「似顔絵入門」的なものを描いたことがある。





 見てもらうとわかるけど、似顔絵を書く行為は単なるモンタージュだから、マンガを描いたりする能力とかと違って、コツさえ覚えれば誰でもうまくなる。ちなみに小生の場合は、グラデーションの色塗りとか質感とか光源のテカリとか、あまりリアルな写生の方向に興味ないもんで、「写真ベース+マンガ表現」程度の描写にとどめておく。例えば、雑誌の編集の仕事などでアイドルのグラビア撮影のときに、ちょっと地味な顔の造作の女の子なんかの場合だと、シャッターを切る瞬間だけ目を大きく見開いてもらって、その開いた黒目に星がいくつか映るように別ライトを射して、目がキラキラする少女マンガみたいな顔に補正するなんてやり方があるんだけど、それに近い。
 例えば、普段カワイイと思っている女の子でも、写真に撮るとかわいく写らないという経験は誰しもあると思う。これは、肉眼で見ているときには「大きすぎる鼻」とか「離れた両目」など、パーツのウィークポイントを無意識に補正して、かわいく解釈して記憶するようなプロセスが働いているから、写真にそのまま映ったリアルなバランスに対して、「なんか違う」という印象を抱いてしまうのだ。先の「写真の輪郭トレースでは似顔絵にならない」という話も同じで。実際の似顔絵描きの作業は、元の写真を参考にしながらも、マンガチックな方向にまとめるときの「正解のバランス」というのがあるので、目の大きさなどはビミョーに補正しながら、そこに落とし込んで完成させる。むろん人それぞれだろうけど、小生の場合はそんな描き方をしている。
 プロのイラストレーターでもないくせに、なにを偉そうなこと言ってんだろうと思うだろうけど、実は対象を観察するという行為の重要性は、普段の音楽ライターなどの仕事に求められる能力と、基本的に変わらないんじゃないのかな。よく「デッサン力」という言葉が使われるが、似顔絵などを描く場合、重要なのは絵を描く「表現力」(=アウトプット)ではなく、対象を捉える「観察眼」(=インプット)のほうだと思う。小生のように、書痙というビョーキ持ちで人ほどうまく線が引けない人間だって、頭の中にあるインプットが正確に対象を捉えていれば、こうやって似顔絵らしきものを描くことができるわけだから。
 編集者をずっとやってきて、ライターの持ち込み原稿などを見て、お付き合いするかどうかを判断する基準というのも、実はこの「観察力」の部分なんだよね。「うまそうに見える文章」というのは、リズムとか巧妙なレトリックとか、展開方法にある程度ルールがあって、場数さえ踏めば誰だって書いてりゃうまくなる。でも、心にズシンと響くような「面白い文章」というのは、書くテクニックじゃない。たくさんの語彙を知ってても、それは調味料にしかならなくて、むしろ重要なのは「何に気付くか?」ということのほうなのだ。以前「POP2*0」時代のエントリで、音楽ライターに必要な「読解力」についてしつこく書いているので、ここではそれを繰り替えさないけど、やはり「面白い文章」を書くためには、音を聴いた瞬間にさまざまな情報をそこから読み取れる能力が重要だと思うし、歌詞を解読するための文学的知識だとか、スコアが読めたり、楽器をやってて運指が見えたりすることが、「うまい文章を書く」ための大いなる助けになると思う。こればっかりは、名人と呼ばれる音楽ライターの文章を、表面だけなぞって写経したところで、永遠にゴールに辿り着かないはず。けっこう重要かつ、実は当たり前の話なんだけど、長年ライターやってても全然うまくならない人ってけっこういるから。このような考え方について触れたライター入門の本なんかも、実はあまりないんだよね。
 大物マンガ家の江口寿史氏には、過去に本業やCDのプロデュース仕事などで何度もお世話になってるんだけど、実は小生、江口氏をかなりの名文書きと睨んでいるところがありまして。双葉社から最初に復刻されたときの『ストップ!ひばりくん』のあとがきなんて、ジワーっとくるいい文章なんだよね。これは江口氏のマンガにも共通するけど、話運びとか言葉のリズムには天才的なものを感じる。以前、ご本人に「小説書いてみませんか?」と尋ねたこともあって、そのときは「いやあ、マンガ家ですので」とやんわり断られてしまったけれど(笑)。ライターとかマンガ家とかミュージシャンという仕事は、それぞれが専門職として一見両立しない別々の才能のように思いがちだけど、ワタシには「何かに気付く」ということが重要な鍵になるという意味において、共通する似たような仕事だと思うところがある。親しくさせてもらっている先輩ライターでも「うまい文章が書ける」タイプの人は、料理の名人だったり、楽器の演奏力がプロ並みだったり、小生以上にマンガがうまい人ってのが実際にいたりするから。多芸の人は本当に多芸、無芸の人はまったく無芸っていうのは、そういう理屈があるからだと思うんだけど……。



さっきブログを更新したあと、テレビを観てたら『あらびき団』に栗まりが出てた(初登場)。観るのは初めてだったけど、これって「朗ドル」の営業ネタなのかな? お笑いとして考えればアレだけど……男の芸人がどれもこれもアイドル人気みたいなもんに色気を出してる中で、投げやりというかパンキッシュな女芸人がたくさんいるのは心強い。栗まりが別名で最近出ている『エンタの神様』は前にMint姉妹も出てたけど、あの時間帯に彼女らの活躍できるステージを作ってあげてるってことだけは評価してあげたいな。