POP2*5

過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

テクノポップとはすなわち、「テクノ歌謡」のことである。イベント告知DEATH!

テクノ歌謡 アルティメット・コレクション1

テクノ歌謡 アルティメット・コレクション1

 先週、古い知人であるミュージシャンの松前公高氏からお誘いを受け、氏が行われている音楽講義に参加するために大阪に行ってきた。大半が松前氏目的のお客さんだっただろうから、小生のことを知っていた人などたかがしれていたが、それでも拙著や当ブログのことをご存じで、足を運ばれた方もおられたことに感謝しておりまする。講義は「電子音楽とゲーム音楽の歴史」というテーマの3回のシリーズで、小生が担当したのはその第1回。ドイツやアメリカで現代音楽における電子音楽が発生してから、プログレテクノポップ・ブームを経由して、80年代初頭にコンシューマーゲームが普及していくまでの、いわゆる“ゲーム音楽前史”を語る役回りである。なにしろ小生は非常に珍しい、ゲームをまったくやらない人間。最初にテーマをいただいたときは正直役不足ではないかと不安だったが、むしろゲーム業界のインサイダーじゃない立場から語ってほしいとの依頼だったので、ゲーム音楽正史に軌道修正するのは第2回のゲストの方にお任せすることにして、好き勝手にしゃべりまくって大阪詣でを楽しませていただいた。ただ、多少役に立ったのではと思うのは、レコード盤に刻まれた作品を俎上に電子音楽史を語られる研究者がほとんどな中で、小生はむしろ放送事情、文化事情、政治などを背景にした、プロダクト・ミュージックへの関心が強いタイプの発言者だったこと。アーティストにとってのいわゆる「作品」ではなく、使用目的の定まった、またクライアントにオファーされて作られた、BGM、番組ジングル、ライブラリーなどのことである。よって小生の今回の講義は、電子音楽の誕生から『スイッチト・オン・バッハ』などのシンセサイザー音楽を経由して、ゲーム音楽に至る30年の歴史の中で、むしろそこからこぼれてきた重要な作品を紹介することに重きをおいてみた。実際、今回紹介した珍しい作品を聴いて、「初めて知った」「衝撃を受けた」と言っていただく方も多かったけれど、60〜70年代のシンセサイザー音楽の黎明期の作品って、レコードになってるウォルター・カーロスの作品などよりも、ラジオIDとか放送局用のパブリック・ドメインのBGM集とかの非売品レコードのほうが圧倒的に面白いんだよね、困ったことに(笑)。
 こうした“商業仕事”好きのファンというのは、実はアーティストにとっては困った存在でもある。テレビ番組のジングルやCM音楽を作るのに、情熱を注ぐってのは本来のアーティスト活動とかどっか相容れないところがあるものだから。しかし小生などはひねくれたもので、自分の得意分野で溜飲を下げている作家より、特定のクライアントのオーダーという制約の中で、どれだけ作家性を発揮してものが作れるかに、そのアーティストの底力を感じてしまうほうだから。ゲーム音楽がピコピコしていたのも、初期のファミコンのカートリッジのメモリ総量が256kbyte(フロッピー1枚分以下)しかないという技術的な制約があったためで、別にテクノ好きだったりピコピコしたくてしていたわけではない(その証拠にメディアがCD-ROM化されてPCMデータが載せられるようになってすぐに、チェコとかのフルオーケストラを起用したハリウッド風スコアによるゲーム音楽なんてのがまたぞろ登場してきた)。しかし、そんな技術的未熟を逆手に取って、ゲーム音楽作家が芸術性を探求してきた古くからの歴史がある。松前氏だって「おしりかじり虫」がヒットする前から、ゲーム音楽の世界でそうしたキャリアを歩んできた作家だ。最初から16ビットのCDクオリティでゲーム音楽の歴史が始まっていたら、そうしたクリエイターの創造力が求められることはなかっただろう。それはプロダクト・ミュージック、ゲーム音楽だけじゃない。小生の好きな「テクノ歌謡」についても同じ。それに私は、本来のYMO作品よりも、YMOの参加した歌謡曲のほうが好きってタイプのファンだから(笑)。
 「テクノ歌謡」と言えば、今年の話題はPerfumeの独占状態であった。小生も遅ればせながら昨年冬に、知人の津田大介氏、ばるぼら氏に教えられてファンになった一人だが、ここまでのブレイクは予想だにできなかった。本業が本業なものだから、いろんな企画にかこつけては裏でアプローチしてみたものの(笑)、あまりの引き合いの多さにメーカー側も嬉しい悲鳴を上げている模様で、後発ファンの業界人のオファーなどけんもほろろ。ああ芸能界……アイドル誌にいたこともある小生なので、若かりし日の古傷のような記憶を思い出して、正直言えばちょっとすねてた時期もあったのだけれど、そんな中で聴いたPerfume待望の初のフル・アルバム『GAME』が期待を裏切る出来のよさで、思わず唸ってしまった。アルバム、4曲目ぐらいまで聞いて思わず止めちゃいました……好きすぎる。聴くのがもったいない。ああ、狂ってしまいそう。とりあえず今は、彼女らが出ている雑誌やらシングルやらを買うだけ買って、テレビ出演も忘れないレベルでエアチェックして、でありながらも仕事が忙しくてまだ観れてないという状況である。ブログをまったく更新できなかった上半期も、ウチではPerfumeがパワープレイされ続けた半年間であった。しかし、今でもCDプレイヤーのトレイに置いてあるのは『Comprete Best』のほう(笑)。そもそも数ヶ月前に知ったばかりのにわかPerfumeファンなので、全然飽きないので旧作をスルメみたいに味わっている。「ビタミンドロップ」「ファンデーション」を、未だに昨日発売されたシングルみたいなフレッシュな気分で聴いておりまする。先日、某音楽ライター氏と電話で話をしていたときも、「『ポリリズム』ってさあ、形式的にはポリリズムじゃないのになんでポリリズムなの?」などと、とうに忘れられた1年以上前のシングルの話題を、あたかも最近の話題のノリで問うてみたりして(笑)。もちろん『Comprete Best』に飽きたら、次に待っている『GAME』を聴くのが楽しみ。いやホント、前のエントリで描いたマンガの主人公みたいな浦島太郎状態なのだよ。
 Perfumeにお熱をあげることになったいきさつには、小生の個人的なある体験も作用している。昨年12月、東京カルチャーカルチャーでイベントをやることになり、急遽、20年前に小生が所属していた音楽雑誌『Techii』で担当を務めていた、師匠である戸田誠司氏にゲスト参加してもらったのだが、その楽屋で戸田氏が、モニターに映っていたPerfumeのPVの映像を観ていた姿を目撃して、深い感慨というか、体に電気が走るような感覚を覚えたのだ。ご存じの方も多いと思うが、戸田氏が当時率いていたShi-Shonen、フェアチャイルドが所属していた事務所はアミューズの系列で、サザンオールスターズ富田靖子THE東南西北などに曲提供をしていた間柄。言うなればPerfumeは、戸田氏の歳の離れた後輩にあたる。また、アミューズ林立夫近田春夫らを核として事務所が立ち上がり、マナ、ヒカシュージューシィ・フルーツ、SETなどテクノポップゆかりのアーティストを多く抱えてきたことが、実は今日のPerfumeと浅からぬ縁でつながっていることを知っているクリエイターでもある。Perfumeが徳間ジャパン所属というのも泣ける話。いろいろ事情があって書けないのだが、設立当初のジャパンレコード時代から同社への思い入れが強く、昨年、創業者の方にお会いすることもできた小生にとっては、「テクノ歌謡」の進化形であるPerfumeが同社からメジャー・デビューしたのは、テクノポップ史に置いてある意味必然だから。
 さて、東京カルチャーカルチャーの楽屋のモニターで、戸田氏がPerfumeの「コンピューターシティ」のPVを眺めていたときに、その光景を見ていた小生の脳裏に浮かんだのは、Shi-ShonenのメンバーにYOUが加入したころのことだった。ちょうど『Techii』を辞めようと思っていた、私が20代前半のこと。『2001年の恋人達』で一度2人組になったShi-Shonenが、2人のメンバーを加えた新生4人組になって再始動するころに、非常に濃いお付き合いをさせていただいたことがあったのだ。リハも何度も立ち会わせてもらい、六本木インクスティックの業界お披露目ライブも目撃し、フェアチャイルドになってすぐのころもプロモーションのお手伝いをさせてもらった。過去に歌手デビューのキャリアはあったけれど、オーディションで加入したYOUもまだ20代(たぶん小生と同い年)で可愛かったし、それまでのShi-ShonenのナンバーをYOUが歌う形にフォーメーションが変更になって、サウンドがいっそう素晴らしくなったことに当時の小生は興奮を禁じ得なかった。「アイドルをグループに入れるバンド形態」「アイドル・ヴォーカルと本格的テクノサウンドの融合」という、戸田氏の思考実験が生み出したのが後期Shi-Shonen、そしてフェアチャイルドだった。当時すでに、「テクノポップとはテクノ歌謡のことである」みたいなことを主張していた、元来ポップス好きだったから、小生にとって新生Shi-Shonenはパーフェクトな存在であった。3カ月しか使われなかったけれど、『さんまのまんま』の主題歌がShi-Shonenの「おまかせピタゴラス」だった時代のビデオもいまだにとってある。ヴァージョンも全然違って、すごく素晴らしいのよ〜。さまざまな事情があってShi-Shonenはフェアチャイルドに生まれ変わることになるのだが、今でも当時を思い出し、後期Shi-Shonenがそのまま継続していたらどんなに素晴らしかっただろうと思うことがある。以前も当ブログで、Perfumeの「ファンデーション」という曲がトニー・マンスフィールドに似ていると書いたことがあるけれど、キャプテン・センシブル「ハッピー・トーク」やペイル・ファウンテンズのカヴァーなんかをライヴで取り上げていた、後期Shi-Shonenのアイドル・ヴォーカル×テクノポップサウンドの濃密な感じは、『Comprete Best』で聴けるPerfumeサウンドに直結する印象があるのだ。
 たまたま20年前に雑誌編集者になり、創刊されたばかりの角川書店アニメ雑誌ニュータイプ』編集部に入って、最初のインタビューを任されたのが、ビクターの新人だった新居昭乃というシンガーであった(彼女も同い年)。いわゆるアニメ主題歌のタイアップ取材だったのだが、そのプロデュースを加藤和彦がやっていたことが話の発端となり、敬愛する清水信之のシングル『リズム・ボクサー』のB面「デジ・ヴー」のヴォーカル・クレジットに載っているMikan Changの正体が、新居昭乃その人であることがインタビュー中に発覚。新居氏はその後も、これまた私がいろいろお世話になった種ともこ氏のサポートで浅からぬ縁を持つこととなった。最初にサンプル盤をもらったのもやはり『ニュータイプ』時代で、ジブリアニメ第1作『天空の城ラピュタ』のイメージソングとして作られた、小幡洋子「もしも空が飛べたら」のシングル。鷺巣詩郎のアレンジで、まんまデヴィッド・フォスターがやった尾崎亜美Air Kiss』のサウンドになっていて狂喜乱舞した、今でも愛聴盤である。彼女も魔女っ子アニメ『魔法のスターマジカルエミ』の声優兼主題歌歌手としてデビューした人だが、前番組の『クリーミーマミ』でデビューした太田貴子と同じビーイングに所属。清水信之笹路正徳鷺巣詩郎BOOWYがいた時代のビーイングにいたわけだから、芸能界よりも裏方クリエイターの影響を強く受けていて、いわゆるアイドルとは違う志向性を持っていた。デビューアルバムのプロデュースが伊藤銀次。取材で行った日本青年館では、サポートでギターを弾いていたのが布袋寅泰という贅沢な布陣だった。その後、さまざまな変転があって『momoco』というアイドル雑誌に籍を置くことになった小生なのだが(これも別にアイドル好きだったからではなく、『Techii』の校正者の方が無職の小生に版元の学研を紹介してくれたのだ)、そこでも当時おニャン子のいたゆうゆのライヴを観に行って、バックがビブラトーンズ(岡田陽介+沖山優司+高木利夫+矢野ヨネだったかな? おそらくゆうゆがナベプロ所属だったのが縁かと)だったのを発見して興奮したりと、あの時代、アイドルシーンとテクノポップ・シーンが密接な関係を持っていたのである。10代はもっぱらニュー・ウェーヴに夢中で、アイドルにはさっぱり興味がなかった小生が、いっぱしの研究家みたいにアイドル・コンピを選曲させていただく身分になったのは、すべて80年代後期のさまざまな幸せな出会いのおかげである。そして、80年代後期に起こったアイドル・シーンとニュー・ウェーヴ人脈の劇的な接近を捉えて、小生はそこに「テクノポップの再生」の夢を託していたのだ。
 Perfumeが『GAME』でオリコン1位になって、「YMO以来30年ぶりのテクノポップ系アーティストの初登場1位」という話題で盛り上がっていたころ、20年来の友人と会う機会があると、かならずどちらともなくPerfumeの話題が出るのがお約束だった。『GAME』1位の話題もしょっちゅうテレビの情報番組で取り上げられていたけれど、むしろ紹介されるのはルーツであるYMOのビデオのほうだったりして、おそらく同世代であるテレビの送り手たちも青春期に親しんだテクノポップサウンドに懐かしみを感じているのだろう。ま、今はムカつく後輩とかにエバられて形見の狭い思いをしている同輩たちも、自分らがいちばん元気だった時代の音楽のリバイバル現象とあらば、元気も出るってものよ。そんな思いに駆られた今年の夏、ひそかに小生はあるプロジェクトを立ち上げることを決意。それが、この11月から怒濤の如くリリースが続く、「テクノ歌謡」リリースプロジェクトである。現在鋭意進行中のため、詳細は後日ここでお伝えする予定だが、第1弾としてすでにamazonで予約が開始しているオムニバスCD『テクノ歌謡アルティメイト・コレクション1』が、ソニー・ミュージックダイレクトから11月26日にリリース。続く同月30日には扶桑社から、400枚以上の名盤紹介とインタビュー、コラムを満載した『テクノ歌謡ディスクガイド』という単行本が刊行される(シリーズは、翌12月、来年にかけてまだまだ続く予定)。11月ってところが、完全に武道館公演で盛り上がっているPerfumeブームに便乗していたりするわけだが(笑)、各社から出ると思っていた同類の動きもないみたいだし、ならば自分で立ち上げちゃえと思った次第。で、出版不況の折ゆえ、プロモーション費もなかなか捻出できないこともあって、ちょうど1年前にやって味をしめたイベントを、11月30日の本の発売日にやることになった。


テクノ歌謡」30周年アニバーサリーイベント

イモ欽トリオPerfumeテクノ歌謡復活祭」


1978年に結成されたYMOも今年で30周年。ということは、「テクノ歌謡」30周年でもある。
80年代初頭、沢田研二TOKIO」、イモ欽トリオハイスクールララバイ」のミリオンヒットで幕を開け、派手なコスチューム、未来的なシンセサウンドで80年代を煌びやかに飾った名曲たち。
最初はノベルティだった「テクノ歌謡」も、松田聖子というスターを輩出するほど後世に影響を与えた。
松田聖子をリスペクトする中川翔子、「平成のスターボー」と呼ばれるPerfumeがともに大ブレイク!
初の武道館、紅白出場(か?)と賑やかな話題のPerfumeに便乗して送る「テクノ歌謡復活イベント」。


【場所】
ロフトプラスワン
新宿区歌舞伎町1-14-7林ビルB2
TEL 03-3205-6864


【日程】
2008年11月30日(日曜日)
OPEN18:30/START19:30
前売¥2000/当日¥2300(ともに飲食別)
チケットはロフトプラスワンhttp://www.loft-prj.co.jp/PLUSONE/)店頭にて発売中!


【パネラー】
常盤響(フォトグラファー)
安田理央(アダルト系ライター)
津田大介(ジャーナリスト)
【司会】
田中雄二(扶桑社)……『テクノ歌謡ディスクガイド』担当編集

 パネラーの常盤響氏は、『Techii』時代からの20年来の知人で、ロック、テクノポップ関連に造詣が深いばかりか、宝島から出ていたサブカルアイドル誌『Boom』編集部に籍を置いていたこともあって、「テクノ歌謡」をリアルタイムで体験していた一人。安田理央氏はアダルト系ライターとして知名度が高いが、元々ナゴム周辺で活動していたミュージシャンでテクノポップ事情にもくわしい。日ごろ、「細野さんの曲の魅力は官能性にある」などと思っている私には、エロスと音楽を知り尽くした安田氏の分析がとっても勉強になってたりする。津田大介氏は、昨年のイベントに引き続き続投してもらうことになったが、なにしろ小生をPerfume道に導いてくれた一人。「思春期にいちばん影響を受けたミュージシャンが戸田誠司」という、戸田ファンとしては小生と兄弟のような関係にある。プログラム内容はまた後日お伝えするが、取り急ぎ会場の歌舞伎町ロフトプラスワンで前売り券の取り扱いが始まったので、もし興味がある方、11月30日は空いてるよという方がおられたら、ぜひ足を運んでいただければと思う。
 以降、続報を待て。



南海キャンディーズしずちゃんじゃないよ。