POP2*5

過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

12月8日、9日開催「POP2*0ナイト」にご来場いただき、ありがとうございました!




 先週の土日、12月8日、9日に青海・東京カルチャーカルチャーで開催された拙者企画のイベント「POP2*0ナイト」を無事終えることができた。ご来場いただいた皆様、本当にありがとう。そもそもは、11月に一回こっきりのつもりでやった「音で聴く『電子音楽 in JAPAN』」というイベントがそこそこ反響をいただき、店長さんからの要請もあって、アンコール編として企画されたもの。主旨は過去エントリを参照いただきたいが、拙著『電子音楽 in JAPAN』で綴られた電子音楽の歴史を、なかなか聴く機会がないレアなレコードで音を実際に聴いてもらいながら、音楽ドキュメンタリーや欧米の大学のポピュラー音楽史の授業のように解説を入れていくというスタイルとして発案したものである。15年前の渋谷インクスティックのDJパーティーの時代と違って、大きなレコード袋もプロジェクターも持ち込まずにに、PC1台用意するだけで、映像や音、ジャケットやアルバムタイトルを大画面に映しながら、しかもシームレスに進行できるという文明の利器を得ての、ちょっと未来型のDJ &トーク・イベントのつもりでやってみた。レコードをジャケットから出したりしまったりの無駄なプロセスがないわけで、数秒かけて「はい次」ができるものだから、凝り性の小生は曲を用意しすぎてしまい(笑)、11月のイベントは半分もかけることができずじまい。そこで、残ったマテリアルを再利用できないかと、テーマを立て直してやってみたのが12月分である。2回に分けたのには、諸々の理由がある。ひとつは、11月の回で無理矢理シュトックハウゼンから宍戸留美までと、わざと歴史をミクスチャーしてお届けしたものの、やはり各々好きなジャンルの層は別れていて、それぞれから「もっと可食部分がほしい」という反応をいただいたこと。90年代のイベントはおおむね、山本リンダやらハウスやらマンボやらレゲエやらが混濁してクラブシーンを作っていたので、そういう猥雑さの中で15年前のイベントをやっていた小生は「時代が変わったのだな」と意を改め、もう少し親切に整理して、洋楽と邦楽の2デイズにしてみたのだ。タレントでもない無名人の企画なのに、東京カルチャーカルチャー初の2デイズを用意していただいた店長さんには感謝である。15年前には1回ごとに1000枚のチラシを作り、都内各所に頭下げて配布してまわってなんとか集客していたのだが、ネット時代の今はチラシ一切をまかなくても、ブログ告知だけで11月はお客さんが満杯になってしまった。この喜びは、90年代から苦労しながらクラブイベントをやってきたご同輩の方々ならわかってもらえるだろう。2デイズの大勝負に出たのは、その感動と期待があったから。他では体験できないものをちゃんと企画すれば、皆の好感度アンテナが私の情報を拾ってくれるだろうと。とはいえ、結果的から記せば前回のように満杯にならなかったことで、店長さんには申し訳ない思いでいっぱいである。聞けば12月のオール週末というのは、どこもかしこも目玉イベントが集中する時期。敵はそれで食ってるプロばかりだし、実際、同両日も下のZEPP TOKYOではKEMURIの解散ライブをやっていた。「素人のくせに何調子のってんだお前」と反省しちゃいました(笑)。
 土曜日の「洋楽ロック編」は、『電子音楽 in JAPAN』の中でもけっこうヴォリュームを割いている、モーグシンセサイザーが誕生した65年以降の、あまり知られていないアメリカのポピュラー界での電子音の実験ををまとめた、11月のイベントの未使用トラックを軸にしたもの。ちょうどこの日(12月8日)が偶然にもジョン・レノンの命日だったこともあり、店長さんから「どこかでジョンの曲をかけたい」と言われ、であればビートルズコーナーも作りましょうと逆提案して、米国〜英国の60〜70年代の電子サウンド導入期の動きをまとめる全体のデザインが決定。これに、やはり告知しながら11月にできなかった、我が愛するトニー・マンスフィールドのプロデュース作品メドレーというのを、電子サウンドの進化の一つの帰結として、後半部分に持ってくるということでなんとかカッコがつくかと考えた。だが、翌日の「邦楽ポップ編」がYMO関連音源や「初音ミク」ネタだから、洋邦で分けるとどうしても集客などの点で、洋楽編のほうは分が悪い。なので、翌日はどう転んでも祭りムードになるだろうから、こっちは徹底して前回同様、マジメな講義スタイルでかっちりやろうと思ってみたのだが……これが甘かった(涙)。土曜日のアウェイぶり、ダダ滑りぶりはすべて私の責任。申し訳ないっす。
 小中高時代、けっして音楽の成績がよかったわけではない小生。ところが、何の因果かポピュラー音楽史の本などを上梓する立場になってしまったわけだが、これすべて、小中高の音楽カリキュラムの問題ではないかと常日頃から主張していた。イベント「音で聴く『電子音楽 in JAPAN』」は、活字本の読者へのサービスの意味もあったが、と同時に、PC-DJ時代の新しい講義スタイルを提案できるのではという、淡い情熱を抱いていたのだ。しかし、ダメでした私。しゃべりがヘタなことを痛感。本人は頭の中で理路整然と語っているつもりでも、記録ビデオを見直したらもうよれよれで全編アウェイ。歳を取るごとに口が回らなくなってきている気もする。悲しい。その惨状をご覧になられた音楽プロデューサーの牧村憲一氏に、「講義スタイルは90分が限界。生徒の集中力は、どんな模範生でも続きませんから」と優しいお言葉で慰めていただいた。さすが大学で実際に教壇に立たれている方の論説には重みがある。それを4時間もやろうと思いついたわけだから、話術以前に企画者として失敗なのだ(涙)。
 「洋楽ロック編」が終わって帰路についた私は、淡い期待を抱えていた講義シリーズの発展に夢破れ、「翌日が来るのが怖いよう……」とディープ・ブルーな気分であったが、途中からそこはもう開き直って、「邦楽ポップス編」はパネラーの津田大介氏、ばるぼら氏の得意分野もあるし、バカっぽいノリでやろうと意識を改めて臨んでみた。しかし結局は、メインのつもりの『イエローマジック歌謡曲』『テクノマジック歌謡曲』落選曲コーナーも、なにやら講義風に落ち着いてしまって、自分の話芸のつたなさに絶望を感じてしまった。あああ。
 さて、日曜日「邦楽ポップス編」は、前回、招待客だったのに飛び入りゲストで壇上に上がってもらい、おいしいところをかっさらってしまった我が敬愛する戸田誠司師匠が全編のゲストに。内容は、私が監修したコンピレーション盤『イエローマジック歌謡曲』『テクノマジック歌謡曲』の落選曲をかけるコーナーやら、やはり11月分の未使用パートだった「日本のアニメ特撮音楽の歴史」、電子音楽ポップスの進化の帰結として、今が旬の「初音ミク」ほかVOCALOID2の特集などを用意していた。実はこの全項目に戸田氏が深く関わっているということで、まさにこのイベントにとって最良のオブザーバーだと思い、無理を承知でお願いして出演していただいたのだ(ネタを明かせば、12月4日発売のリアル・フィッシュ『遊星箱』のプロモーション(笑)。このへんのノリがいかにも雑誌編集者ですな)。若いお客さんの中には往事の戸田氏の活躍をご存じない人もいるかもと思い、冒頭はリアル・フィッシュ、Shi-Shonen、フェアチャイルド、ソロといったオリジナルグループの変遷、『GU-GUガンモ』などのアニソン、「ちゃんちゃらおかP音頭」(爆風スランプの覆面バンド)ほかノベルティ系、正統なアイドル歌謡曲まで、戸田氏が関わった代表曲をメドレーで次々とかけてみたのだが、これは選曲の段階から本当に面白かった。ミュージシャンという職業は、時代のさまざまな流行をどん欲に食べてははき出す、ギャル曽根の胃袋のようなバイタリティの持ち主なのだな。しかも、そのメドレーの最中、戸田氏が1曲1曲、その誕生にまつわる秘話コメントを語ってくれたことに大感激。「GU-GUガンモ」のレコーディング中、ベースの中原信雄氏がシールドに足をひっかけてMC-4のデータが消滅してしまったこと、高見知佳怒濤の恋愛」(戸川純作詞、矢野顕子作曲)にまつわるディレクターと矢野顕子氏との板挟みの苦労話など、私が知らない話ばっかりでオロロいた。いつもは楽屋でそんな話ふっても、教えてくれないくせに……(笑)。
 『イエローマジック歌謡曲』『テクノマジック歌謡曲』落選曲メドレーも、一応メインパートのつもりだったが、ネタあかしをすると、それぞれ用意してきた楽曲の半分で切り上げている。TBSの『CDカウントダウン』みたいなつもりで、10秒づつぐらい書けてわんこそばのように進行していくつもりだったのだが、その連続を全体的に俯瞰してみると、淡々としててやっぱ盛り上がんないものなのね。なにやら前日の悪夢も蘇り、休憩中にパネラーの津田氏からの提案もあって、早々と切り替えて後半のコーナーに行くことにしたのだ。さすがはイベント慣れしている津田氏、判断も早い。ちなみに、当日割愛した内容に少し触れておくと、70年代、80年代、90年代と切り分けてやる予定だった『テクノマジック歌謡曲』落選曲メドレー改め「シンセサイザー歌謡史」は、最終パートに小西康陽菅野よう子山川恵津子などの曲を配して、次のコーナーPerfumeにつなげるつもりであった(これは、Perfumeのプロデューサーである中田ヤスタカ氏のcapsuleが、ピチカート・ファイヴの影響を受けていたという印象から思いついた浅知恵である)。
 その後半戦は2幕物として、『電子音楽 in JAPAN』のような歴史講義から離れて、前日のトニマン特集同様、拙ブログのバカコラムノリで用意したもの。ひとつめのテーマはPerfumeである。実は私、会場で告白した通り、Perfumeを聞いたのはこのイベントの準備を始めてから。Perfumeをネタに語ろうというアイデアは、実はこれも横山店長の発案である。今ではワンマンのチケットが一瞬でソールドアウトになってしまう人気グループのPerfumeだが、つい数年前まで掟ポルシェ。氏が気にかけてイベントなどに呼んでいた下積み時代があり、横山店長が10年務めてきた旧職場(ロフトプラスワンのことね)には、まだ初々しい高校生時代に、よく出演していたのだ。そんな彼女らがビッググループの階段を上りつつある今、なにかこの枠でやってよという店長さんからの無言のメッセージがあり、そういうのは嫌いじゃない私は、しっかりとキャッチして取り入れてみたのである。他のパネラーの2人、津田大介氏は「チケット取れなかった!」とボヤいていたし、ばるぼら氏は『QJ』で記事も書いているPerfumeシンパであるから、2人に助けてもらおうという甘い考えであった。すでにいくつかのブログでお客さんにレポートを書いていただいている通り(本当にありがとうです。感涙です……)、たまたま来場されていたPerfumeファンの有名人、Q氏を引き込もうと津田氏から提案があり、交渉してもらって彼も特別ゲストとして壇上に。いまどき「平成のスターボー」などと例える小生のオヤジまるだしの素人インタビューに、丁寧に答えていただいたQ氏に本当に感謝である。お客さんにはきっと濃ゆいPerfumeファンもいたと思うのだが、にわかファンの思いつきそうな付け焼き刃な内容になってしまってごめんさい。だが、告白すると私、このコーナーに参加してPerfume熱が一気に高まって、その後一週間うなされるようにPerfumeばかり聴いている。もう、しんぼうたまらん。今回のイベントでやらなければ、私が一生Perfumeを聴くことはなかっただろう。イベント企画者自ら、店長さん、パネラー、お客さんの皆さん、そして運命に感謝である。
 Perfumeの何が私を夢中にさせるのか、それについてはまだ多くを語る言葉を持っていない。彼女ら素材の魅力ももちろんだが、よく練られたフォーメーション・ダンス(これはかなり非凡なものがある)、可愛い表情をきちんと捉えたPV、中田ヤスタカ氏の曲の持つ歌謡テイストとフロア向けサウンドの混交などが4味一体となって私を魅了する。思春期は頭でっかちでアイドルなどこれっぽちも興味なかった私(年増の女優ばかりに入れあげていた)。知人の音楽ライター、湯浅学氏、佐々木敦氏らと盛り上がったのが懐かしい、初期モーニング娘。を含めて、歳を行ってからアイドルなるものの社会的必然性やあらがえない魅力を自覚してからは、そういうものに引っかかる自分の感性を全面的に肯定するようにしている。当日も開演前、楽屋でばるぼら氏に笑われてしまったが、すべてが理詰めの私は物事をクールに批評的に捉えがちで、たまにこうした衝動が5年に一度起こると「ああ、俺にも赤い血が流れているんだな」と人間性を実感できるのだ。ええ、笑うがいいさ。テクノなロボットにも熱いハートがあるんだよ。実際に音を聴いたことはないが、初期のPerfumeパッパラー河合氏に曲を依頼していた事実にも心動かされるものがある。私は柄にもなくポケット・ビスケッツが出ていたころの『ウリナリ』が大好きで(VHSで出た上下巻のビデオも持ってるぞ)、ある種の土屋エンターテインメントの極北を感じた口なので、あのど根性物語が、そのままPerfumeの下積み時代に重なってしまい、感動を禁じ得ないのだ。
 そもそもPerfumeを評価するのが遅れたのは理由がある。いつも文章を楽しく読んでいる掟ポルシェ。氏や宇多丸氏が前からプッシュしていたので、悪いはずがないことはわかっていた。だが、サウンドメーカーである中田ヤスタカ氏のグループ、capsuleの音との最初の出合いが悪かったのかも知れない。今こうしてイベントを終え、さまざまなことを考える機会があり、思うところがあってcapsuleの全アルバム10枚を買ってきて、すっかり魅了されている私。あれは5年以上前だろうか、たまたまテレビ東京の深夜番組かなにかのエンディングに使われていたcupsuleのPVが、あまり感心しないピチカート・ファイヴの模倣のようになっていたことから、熱心な小西ファンであった私は、当然のようによくない印象を持っていたのである。Perfumeの魅力を私に解いてくれたパネラーのばるぼら氏は、Perfume単体というよりcupsuleも含む中田ヤスタカ氏のサウンドを高く評価していた。それが気になっていたので、Perfumeのアルバムを聴いていくごとに、いつしか中田氏への興味が募っていき(私のアイドル歌謡偏愛は、対象がいつもシンガーからクリエイターのほうに移っていく)、その衝動に突き動かされて、アルバム大人買いさせるところまで到達しちゃったのだ。というか、ちょっとでも安く買おうと思ってたのに、ヤフオクにもレコファンにもないのだよ、驚くことにcapsuleの中古CDって。これはちゃんと購買者に評価されている証である、揺るぎない事実。それが結局、私に大人買いへと促した最大の要因かも知れない。
 ついさっきまで、10枚さかのぼってcapsule漬けになっていたのだが、いや〜好きです。もう告白しちゃう! どうして今まで聴く機会がなかったんだろうと悔やまれる。実はイベントの「Perfumeから各自1曲選ぶ」というコーナーで、私が一番気に入っていたのは「ビタミンドロップ」より「ファウンデーション」という曲のほうで、これは聴かれるとわかるとおり、リズム構成や転調の妙がトニー・マンスフィールドな感じなのである。その話をばるぼら氏に振ったところ、長年のcapsuleファンである氏からやんわりと否定され、氏によればもともとは小室哲哉的な歌謡曲に中田氏のルーツがあるらしい。確かにこの堂々たる好メロディーぶりは歌謡曲のそれだな。それに、私が最初にPVで見たピチカート・ファイヴ期はというのは、すでに次のフェイズに差し掛かっていたころとのこと。実際に買ってきた10枚を時代順に聴いてみると、確かに1枚目『ハイカラ・ガール』の途中までは歌謡ポップスの片鱗を残しており、残り半分から『L.D.K. Loungew Designers Killer』までがもろ「渋谷系」な感じ、『FRUITS CLiPPER』からインスト曲が半数を占めるようになり、音もぐっとダンスフロア向けの実用度の高いものになる。またトニマンと関連づけて語るとこのオヤジーとつっこまれるだろうけど、ニュー・ミュージック『エニウエア』から『ワープ』に至る変貌もちょうどこんな感じだから、作者のモチベーションの変化には信頼できるものを感じる。たぶん、中期のメロディー好きを唸らせる転調多用路線は、そのままもう一つのPerfumeに受け継がれた格好なのかな。
 11月の回の仕込みのために渋谷ソノタ山口優氏(本業はミュージシャン)と深夜延々と打ち合わせしていたときも、山口氏がPerfume仕事を高く評価していたのが当時の私に強い印象を残したし(ジャンル的にかなり意外に映った)、楽屋で「中田氏のサウンドはとてもよくできている」と戸田氏も誉めていた。今日、今回のイベントで知り合いになったミュージシャンのpolymoog氏と雑談していたのだが、ムーンライダーズ岡田徹氏ほか、若手の注目株として中田ヤスタカ氏を高く評価している人は結構多いとか。ところが、これまでの私のようにあまりよくない印象でcapsuleを捉えている人はけっして少なくはなく、中田氏自身そのへんの葛藤を抱えている部分もあるらしい。レコード会社がヤマハというのも、彼らのようなサウンドを売るには決してプラスになる要素ではないかもしれない。ヤマハ音楽振興会ソニーSD事業部のような、特殊な組織に契約しているミュージシャンの苦悩は、音楽誌をやっていた私は誰よりも知っているつもり。このへんのテーマは非常に複雑で不用意に書けないので申し訳ないのだが、いわゆる音楽出版社、レコード会社の「SDセクション」の特殊性については、以前ここにも書いた「A&R」のエントリのように一度どこかでまとめるべきかと思っている。
 実は「初音ミク」のネタ仕込みのために、久々に『DTMマガジン』を買って読んだら、ちょうどcapsuleのニューアルバム『FLASH BACK』が発売されたばかりの中田氏のインタビューが載っていた。どんなツールを使っているのか見てみたら、PCはwinでシーケンサーは「Cubase4」。『電子音楽 in JAPAN』の最終章の取材で、2000年に久々に会った戸田氏が、同じように「今はwinでCubase」と語っていたことを思い出した(これは当時かなり珍しい発言)。どうしてもいわゆる構成主体でスコアを考え、最初に覚えたVisionから抜け出せない小生は、ずっとMac×Digital Perfomerを使い続けてきたけれど、ああいうユニークなグルーヴを持つサウンドは、やっぱりwin×Cubase文化なのかなと思った。同誌には今月、「Cubase」がちょうど4.1にマイナーアップデイトした記事も載っていたが、興味深かったのが、4.1になって初めて同一トラック内で小節ごとにキー・トランスポーズ(転調)ができるようになったというニュース。この記事を見て、ちょうどPerfume熱に駆られていた私は、少しでもそのサウンドに近づきたい一心で、ウチにあった放置状態の「Cubase SX3」を衝動的にアップグレードしてしまった(笑)。先ほど書いていたトニマン風に感じた転調というのも、おそらくこのキー・トランスポーズに秘密がある。大胆な転調を聴かせるので有名な人に小室哲哉がいるが、彼がそういう作曲術を身につけたのはボサ・ノヴァなどの音楽からの影響ではなく、80年代に一世を風靡したPC用シーケンサー「レコンポーザ」を使っていたことから。一度組んだシーケンスを、後から転調しやすい構造になっており、彼はできあがった曲が平坦な印象に思った時に、ヴァースごとにどんどんキー・トランスポーズさせて複雑化させていたという。この発想は鍵盤奏者というよりギタリスト的なものだ。私はギターも鍵盤も両方弾くのだけれど、フレット移動でコードフォームそのままで転調できる弦楽器と違い、同じコードネームでもキーごとにフォームや運指が変わる鍵盤楽器では、転調作曲するのは私レヴェルの技巧では少々骨が折れるのだ。むろん、これまでの「Cubase」でも同一フレーズをコピペして楽器アサインそのままに、トラックを切り分けて転調できたんだろうけど、「Cubase4.1」に標準搭載されたのを見て往年の「レコンポーザ」時代の作曲法を思い出し、久々にDTM熱が高まってしまった。ばるぼら氏が中田氏のルーツに小室哲哉氏を挙げていたのも、そういう意味では慧眼かも知れない。
 うわ、Perfume関係、長く書きすぎた。そして最後に、9日の後半コーナー2幕もののラストが、「初音ミクの歴史・拡張版」。11月のイベントの最終コーナーだった、50年代にベル研究所のマックス・マシューズ博士が開発したルーツ的テクノロジーから現在の「初音ミク」に至る、人声合成の歴史をレコードで綴る企画の拡大版である。前回は85年のつくば万博の主題歌、TPO「HOSHIMARUアッ!」あたりで終わっていたが、これに90年代以降の戸田氏のソロ『Hallo world:)』やテイ・トウワ砂原良徳ロジック・システムなど、ダフト・パンク路線のダンス・ミュージックと人声合声のコラボ例を増補。実はこれ、「初音ミク」のメーカーであるクリプトン・フューチャー・メディアのご厚意で、VOCALOID2の新作「鏡音リン・レン」のプレビューをさせていただくことになり、もう一度おさらいとしてやってみたもの。20分ほどやって、残りはトークという構成だったが、「初音ミク」に言及している数少ないミュージシャン戸田氏がゲストであるからして、メインディッシュは戸田氏の「初音ミクトークだろうと私も当日を楽しみにしていたのだ。その仕込みをしていた前夜、戸田氏から例の「新曲」が届いた時にはビックリした。人を驚かせるのが好きな戸田氏らしい(笑)。「プロミュージシャンが『初音ミク』を使ってみた一例」として、これは優れたサンプルになっている。まるで「初音ミク」の声がケイト・ブッシュ(『ドリーミング』のころ)のように聞こえる、敬服する完成度であった(映像を使わせていただいたタナカカツキ氏も憧れの人だったので感動……)。ご存じの方もおられると思うが、その映像が昨日からネットの動画サイトに「流出」していたニュースを知って二度ビックリ。これ、私が関与してるんじゃないかと思ってる人がいると思うがさにあらず、私は朝起きてナタリーのニュースで知った口である(トホホホ)。私的なイベントに作品まで作ってきたいただいた戸田氏もあっぱれだが、こうしたゲリラな感じで作品がその中に波及していくことに、私は素直に感動してしまった。みんな本当に面白いなあ。私は全面的にYouTubeニコニコ動画や「初音ミク」やPerfumeブームを支援するし、こうした消費者のパワーが、レコード会社の抱えている諸問題を打ち破ってくれることにとても期待している。


 さて、このエントリには後日談がある。もともと今回の一連のイベントは、『電子音楽 in JAPAN』で扱っているような歴史を題材にして、NHKの『プロジェクトX』のようなエンタテインメントができるのではないかという考えから、やってみたものであった。さすがに3回やって、拙者の講義スタイルでは続けられないと正直思ったのだが、一方で9日の後半のPerfumeや「初音ミク」のパートの予期せぬ面白さに、心動かされるところがあったのだ。過去の歴史も重要ではあるけれど、やはり現在進行形でダイナミックに動いている「歴史」の面白さにはかなわない。とはいえ、私は過去の歴史の紹介者でしかない立場だから、Perfumeや「初音ミク」などの現代史については門外漢。いくつかメールで「またやって欲しい」とリクエストをいただいたりしたのだが、これを楽しい青春の思い出のとどめて、有終の美を飾りたいと思っていたのだ。基本的に私、「生まれてすいません」の自己愛レス人間なので。
 そんな話を先日、定例打ち合わせでお会いしている牧村憲一氏にしていたら、氏から「続けるべき」との訓辞をいただいてしまった。すべてがネットで用が足せると思われる時代に、だからこそ局所的なイベントだからできるハプニングもある。今回の戸田氏の「新曲発表」も事件に立ち会った瞬間だと思ったし、クリプトンさんに「鏡音リン・レン」のプレビューをお許しいただいたのも、企業が介在しない限定的なイベント会場だったから。「紅白の意外なキャスティング」などすべてが実は予定通りに動いているレコード産業の構造をよく知っている牧村氏から見たら、素人で至らなくともこういう無謀でアホなことを思いつく人間がいたほうが見ていて面白いらしい。実はちょうどここ最近、氏から90年代初頭のフリッパーズ・ギターのデビュー〜『カメラ・トーク』あたりの激動期(外資系CDショップが日本に上陸したばかりのころ)の話を集中して伺っており、そのすべてのエピソードがまさに「ハプニングの連続」と言っていいほど驚くべきことばかり(詳しくは来春刊行予定の牧村氏の著書で読んでくだされ)。そんな話を聞いていると、「いえいえ、私ごとき、めっそうもない」なんて謙虚できることが罪悪のように思えてくる。現にPerfumeは売れなくても、がんばって続けてワンマンをソールドアウトにするブレイクを築いたのではあるまいか。『Perume〜Complete Best〜』の発売日の新曲発表の会場で、メンバーが歌いながら大泣きしていたのは、そのころ彼女らの契約が切られるかもしれなかったから、と先日のイベントでQ氏は語っていた。とにかく失敗することを恐れてカッコつけるより、続けることの重要性を、ひしひしと感じる昨今である。なに勝手にあらかじめ傷ついてるんだよ、と。「でも、やるんだよ」。
 というわけで、どういうカタチになるかはわからないが、今後も同様のイベントのカタチで、なにか「ハプニング」を提供できたらと、意を新たにすることにした。もはや『電子音楽 in JAPAN』の広報活動ではない。iTSがDRMを外して「心のセキュリティ」をユーザーに問いかけ、YouTubeニコニコ動画が地上波テレビ以上に観られている、パラダイム・シフト時代に見合った何かができないものかがテーマだ。拙者、しゃべりはダメと自覚したものの、黒子としてはなかなか器用で便利な人間だと思うので、ぜひなにかアイデアやリクエストを思いついた方がいれば、その実現に奔走したく思っているので、気兼ねなくメールをいただければ幸いである。さしあたって、今回の8日、9日の入場用にビデオを流すために、ウチのベータ・ビデオ倉庫を観てみたら、けっこう笑えるアホな映像が残っていたので、ニコニコやYouTubeにはないものものをかき集めての「YujiTube」ってのはどうだろうとか……(ダジャレかよ。却下)。『笑っていいとも』のテレホンショッキングが、タモリ吉永小百合に合うためにスタートしたことを思い出し、Perfumeトーク・ゲストに出てくれるまでがんばってやり続けようと思った私であった。