POP2*5

過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

スネークフィンガーにまつわるネーミング論考

Greener Postures / Chewing Hides the Sound

Greener Postures / Chewing Hides the Sound

 ブログを立ち上げた後、知人からの問い合わせで一番多かったのが「なんで名前がsnakefingerなのか?」という疑問であった。ご存じない方に説明しておくと、snakefingerは逝去した有名なギタリストの名前で、本名はフィリップ・リスマンという英国人。巨大な指を持つことからその名が付いたもので、本国で活動したあとアメリカに渡り、レジデンツで有名なラルフレコードからソロアルバムも出している。85年のレジデンツの来日公演で日本にも来たり、クラフトワーク「モデル」のカヴァーもやっている。電気グルーヴのシングル名にもなっているので、若いテクノファンの間でも知られているかもしれない。先の疑問に続いて飛び出すのは、「お前って、snakefinger好きだったっけ?」というものである。
 正直言うと、日本盤も出ている彼の代表作群である、ラルフ時代のはそんなに好きじゃない。後期のVestal Virgensを率いたバンド時代は好きだけど。あー、英国時代にやっていたチリ・ウィリ&レッド・ホット・ペパーズはかなり好きかも(レッチリじゃないよ)。そういえばMのロビン・スコットって、元チリウィリの準メンバーだったな。だからそれつながりで、『Kings Of The Robot Rhythm』でEMSを弾いているデヴィッド・ヴォーハウスが、『オフィシャル・シークレッツ』で電子音を担当しているのかな? ベストに入ってた「Desert Island Song」のアセテート・ディスクのデモって、ニック・ロウがベース弾いてるんだよね……あ、そういう話じゃなくて(笑)。

 でもせっかくだから写真は珍しいものを入れておこう。Snakefinger's History Of The Bluesのライヴ盤『Live In Europe』である。不幸にして彼のプレイを私は見ていないが、その蛇のような指が幸いしてなのか、堂に入ったボトルネック奏法で、ブルースの神髄に迫っている。ずいぶん前、音楽の勉強のためにロバート・ジョンソンのコンプリート・ボックスも借りたけれど、渋すぎてよくわからないまま返却してしまった、ブルースには疎い私。だが数年前、テリー・ツワイゴフ監督の映画『ゴーストワールド』を観て、映画に使われた、古くしわがれたデルタ・ブルースの味にはちょっと反応した。主人公のレコードコレクターの中年役の俳優、スティーヴ・ブシェーミに自分を重ねてしまった。ああ、私も10代の彼女がほしい……。いまどき、最悪に不謹慎な話題を書いてしまった(笑)。
 実を言えば、ブログを立ち上げる時にはてなで検索をかけたら、ほとんどのIDがすでに取られていて、あれもダメ、これもダメ、と入力していく中で、唯一空きがあったのが「snakefinger」だったのだ。回顧ネタをやろうと思っていたので「techii」ってのも入れてみたけど、取られてた。造語なのに〜。「snakefinger」というのは、レコード棚の取りやすい位置にたまたまあったっていうだけなのである。ブログの原稿はわりと力を入れて書いてはみたが、いざアップする段階になってマニュアル片手にあーだこーだと手探りで作業していたので、IDなんてどうでもいいという感じであった。内容に対して労力は0.5%ぐらいの配分だったのだ。ただ唯一、岸野雄一氏には申し訳ないってのは、ちょっと思ったかもしれない(Manual Of Errorsという店名の由来は、snakefingerのアルバム名からである)。いつも私は、それぐらいネーミングというものに頓着しない。拙著の『電子音楽 in JAPAN』という書名も、当時の編集部が付けたてくれたもの。最初にそれを聞いた時は「なんか武満徹が新宿コマでリサイタルやってるみたいだなあ……」と正直思ったのだが、「出版していただくだけで結構でゲス」と揉み手で了解したぐらいだ。
 ここでネーミングというものについて、少々書いてみたい。私は本名が地味ということもあって、ミニコミ時代やアルバイト原稿などで、たまに筆名を使ったりする。高校時代は「江崎利一」という名前で、地元のミニコミで原稿を書いていた。江崎グリコの創業者の名前である。三遊亭円丈創作落語が好きだったので、彼の「グリコ少年」という演目から拝借したのだ。結構、まわりの大人には名前をこれで覚えてもらった。当時人気があった、ふくやまけいこさんという女流マンガ家の方から、江崎利一宛にファンレター(?)をもらったこともある。後に、コアマガジンのアングラ雑誌『BURST』が創刊したばかりのころ、「ヘルスエンンジェルス映画の劇伴について」という謎の依頼を受けて原稿を書いたのだが、その時はこの名前を使っている。まあ、それぐらいイージーなのだ。
 もっとふざけたものもある。上京してしばらくのころ、一時デモテープを作っていた時は、作曲者名に「トニー・ザンスフィールド」というのを使っていた。ご存じ、ニュー・ミュージックのトニー・マンスフィールドと、トニー谷のギャグとのミックスである。これは当時、ワールド・スタンダードの鈴木惣一郎氏に面白いと褒められた。その後、ニュー・ミュージックのライナーノーツの依頼があった時、せっかくだからとその話を披露して供養してあげた。本業の週刊誌で、カルト系音楽の原稿を書く時に使っていたのが「モンド中村」。藤田まことの役名をひっくりかえしただけである。あとそうだ、西新宿の海賊版業界の取材をしたことがあって、その時、ブートレグ屋の店長をやっていた後輩にけっこうディープな話を聞いてまとめたのだが、名前が出せないから適当に付けてくれというので、海賊版評論家「ブートたけし」にしておいた。そうしたら雑誌が出た後、夕方の某局のニュース番組から「ブートさんに取材を申し込みたいんですが」という電話が本当に来てビックリした。結局、本人の希望もあって断ったが、西新宿の常連だった荒川強啓かなんかの入れ知恵だったんだろうか……。
 だじゃれのネーミングというものだけは、ひとかたならぬ関心があったので、その分野では有名な松沢呉一氏に取材したこともある。ご存じの方もおられると思うが、「松沢呉一」という名前は芸名で、けっこう過激な命名理由がついている。私は原マスミのマネジャー時代に名刺をもらっていて、有名な作詞家と同じ本名のほうで彼をよく知っていた。15年ぐらい前に「悪魔くん騒動」というのがあって(親が魔よけの意味で、息子に“悪魔”の名前を付けて区役所に届けたというニュース。その後、親父が覚醒剤で捕まって、確か改名したはず)、それに引っかけて話を聞きにいったのである。その時のテーマは「最近の珍名さんランキング」というもの。お笑いタレントのでんでんの弟子の「第二でんでん」とか、オスマン・サンコンの弟で俳優をやっていた「ヨンコン」などが上がっていた。編集部に帰った後、「第二でんでん」の写真を借りたいからとでんでんの事務所に電話したら、そんな人は実在しないと言われた。あれはネタだったのね(笑)。「ヨンコン」のほうはすでにギニアに帰国していた。ちなみに「ヨンコン」の本名も、オスマン・サンコンって言うんだそうだ。紛らわし〜。
 先日、自ら発行人になる雑誌を出すにあたって、書名をいろいろ考えていた時に思い出したが、雑誌名というのにも悲喜こもごもの理由がある。私がいた音楽雑誌『TECHII(テッチーと読む)』の誌名は、「HI-TOUCH」+「HI-TECH」の合成語で、音楽情報と楽器情報を半々で構成するという雑誌のコンセプトから付けられたもの。それともうひとつ、編集長がそれ以前に自由国民社時代にやってた音楽雑誌に『KEYPLE(キープルと読む)』というのがあって、これをつなげると「テッチー&キープル」になるので、立花ハジメのアルバムみたいだろうとよく自慢していた。また90年代中頃、ソニーマガジンズで仕事をしていた友人の編集者、広瀬充氏が新しくテクノポップ系の雑誌を創刊するというんで、声をかけてもらったことがあるのだが、それが『パチパチ』の別冊扱いだったので、当初は『ピコピコ』という名前だった。ところが申請したらすでに「ゲーム雑誌ほか」で登録済み。「ひょっとしてG社?」と聞いてみたら、やっぱりそうだった。以前、現ウルトラ・ヴァイブの高護氏がやっていた『オン・ステージ』(少年出版社)という音楽雑誌で聞いたことがあるのだが、この雑誌も創刊前、別の名前が第一候補だったのだが、調べてみたらすでに取られていて、それがG社だったという。G社とは、日本最大手の出版社で、初任給が一番高いことで有名だったあの会社である。噂で聞いたのだが、なんでもG社は新入社員が入ると、まず最初に雑誌名を5つぐらい考えさせて、それを毎年登録するというのが慣例になっているんだそう。だから、申請するとG社に取られていたという話はよく聞く。この時は結局、“ピコピコ”が使えないので『ピコ・エンターテイメント』という誌名になった。
 小生とネーミングということで、関係者に一番関心があるかもと思われるのは、シンセサイザーブランド名である「MOOG」のことであろう。98年に最初の『電子音楽 in JAPAN』が刊行された時に、『ミュージック・マガジン』の書評欄で、あるライターにケチョンケチョンに酷評されたのだ。誤植が多いウンヌンはまあ頷けるとして(普通の単行本の3倍のページ量もあるので、その分誤植も3倍。恐縮です……)、一番に噛みつかれたのが「モーグのことをムーグと誤記するな」というもの。今はきちんとあとがきで釈明して、すべて誌面は「モーグ」で統一しているが、当初のヴァージョンはヤマハが代理店をやっていたときの「ムーグ」で表記していたのだ。以前、発明者のロバート・モーグ博士が来日した時に、多くの人が彼の名前を“ムーグ”と発音していることに異論を唱え、『ミュージック・マガジン』誌にも登場して「私の名前はモーグである」というコラムも発表している。自らはオランダ系アメリカ人であり、発音は蘭語発音で“モーグ”と表記すべきであると。だが、少々ややこしいのは、MOOG社は創業後に一時クーデター騒動があって、創業者のモーグ博士を放逐して、長らくアメリカ人経営者が運営していた時期があるのだ。ヤマハがパンフレットなどに「ムーグ」と表記していたのは、当のMOOG社の意向があったのかもしれない。そのころは、モーグ博士にとってMOOG社経営陣は敵だったわけで、人名はモーグであっても、メーカー名をモーグであると主張できる立場にはいなかった、という説だ。取材時にも、楽器業界誌『ミュージック・トレード』に会社表記を確認しているが、MOOGについてはヤマハが代理店契約を終了した後、継続的な契約先がなく、商標なども残っているのは「ムーグ」と書かれたもののみ。そのため、最初のヴァージョンでは「ムーグ」を用いていたのだ。
 ライター氏は、モーグ博士の個人代理人のような立場にある人物で、私はその後本人とも会ってもおり、ここで書けないような問題なども実際はいろいろあったのだが、一応すべてのことは「示談」で済んでいる。『ミュージック・マガジン』がなぜ拙著の書評を、モーグ博士に近しいライター氏に依頼したのかは理由はわからない。ただ、「モーグという表記が正しい」と書かれた原稿を受け取った時、編集部は特許庁に確認はしていないはずである。
 実は、登録商標というのは、日本では原則、日本語(漢字、カタカナ、ひらがな)でしか申請できない。だから、MOOG蘭語発音で登録するのなら、「モーグ」と銘記する。だが、例えばソニーなら「ソニィ」「ソニ」「ゾニー」など、類似商品などが出回らないよう、似た表記すべてをあらかじめ登録するという慣例があって、「モーグ」ならば、MOOGという表記が使われないようにするためには、「ムーグ」「モーグー」なども登録するのだ。この登録商標上は、どれが正しくどれが似せたものであるという主従関係はない。つまり、日本の登録商標のシステム上、「こう発音表記するのが正しい」という理屈はなりたたないのである。
 特許庁で商標リストを確認すると、シンセサイザー機材そのものではなく、「moog」ロゴ入りTシャツなどのグッズ類の登録商標として「ムーグ」のみが登録されている。ライター氏に会った時に聞いた話では、モーグ博士の意向を伝え、正しい発音表記である「モーグ」に訂正したいと以前から働きかけているのだが、特許庁のお役所仕事のために、なかなか事態が進展しないのだという。私は彼の行動は100%支持したいと思っている。だが、『ミュージック・マガジン』の書評を読んで、『電子音楽 in JAPAN』を読まずに断罪している人というのも実際にいたのだ。無論、読んだ上で批判されるのであれば、謙虚に受け止めるつもりの私だ。
 ネーミングの話がテーマだったが、話が大幅に脱線してしまった。しかしそれほど、ネーミングの問題というのは、因果なものなのである。