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過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

片山杜秀『クラシック迷宮図書館』(アルテスパブリッシング)

片山杜秀の本 3 クラシック迷宮図書館

片山杜秀の本 3 クラシック迷宮図書館



 慶応大学法学部の准教授の傍ら、音楽エッセイストとしてもおなじみの片山杜秀氏の新刊『クラシック迷宮図書館』(アルテスパブリッシング)を読んだ。音楽エッセイとしては珍しくベストセラーになった『音盤考現学』、『音盤博物誌』に続く「片山杜秀の本」のシリーズ3冊目にあたり、前2冊と同じ『レコード芸術』の執筆原稿の中から、98年に始まった音楽関連本の書評欄の連載をまとめたもの。著者とは週刊誌編集者時代から面識があり、『電子音楽 in JAPAN』を書評で取り上げていただいたこともある(同書に掲載)。なにしろ拙著に写真を載せているビクターの『日本の電子音楽』、『武満徹の世界』などの貴重なアルバムは、片山氏からジャケットをお借りして撮影したものなのだ。ずいぶんしてからご本人にお会いした際、『レコード芸術』の書評で取り上げてもらった話をうかがったのだが、ときすでに遅し。ずっと読みたくても読めなかった連載だったから、今回の単行本化はありがたい。版元のアルテスパブリッシングは、たびたび話題に取り上げている『証言!日本のロック』、『「at武道館」をつくった男』など音楽書をメインに刊行している新興出版社で、音楽之友社におられた編集者の方々が独立して作られたもの。「音楽ネタの単行本は売れない」とボヤく老舗音楽出版社が、タレント本ばかりで書き手主体の本をまったく出さなくなった一方、ここや白夜書房ブルース・インターアクションズなどの新興、傍流会社から最近、ユニークな音楽書がたくさん刊行されている。片山氏の連載をまとめたこの書籍シリーズが意外なヒットとなり、吉田秀和賞、サントリー学芸賞を受賞したのには、企画者も鼻高々だろう。
 以前、Twitterにも書いたとおり、ワタシは映画を観るのと同じぐらい、映画本を読むのが好きである。DVDを観るときも、本編と同じぐらいメイキングや副音声を楽しみにしている。あくまで本編は本編であって、関連書や特典映像などは添え物に過ぎないのだが、中には本編はつまらないのにドキュメンタリーは面白い、というようなものがあったりするのが侮れない。先に面白い紹介文を読んでしまい、期待して本編を見たらつまらなかったなんて経験も数多くある。いつしか映画本を読むことのほうが、映画本編を観るよりも好きになってしまった(笑)。こういう気持ちは音楽に対しても感じたりするのだが、しかし音楽を題材にした単行本で面白いと思うものに出会う機会はめったにない。というか、絶対数が少ないんだな。あってもほとんどが翻訳書。映画評論家と音楽評論家、需要から言えば人数はどっこいどっこいだと思うけど、どうして音楽評論家は自らが企画して、誰もやらないような画期的な読み物をこしらえてくれないのかな。え? 「音楽本は売れないから」って。そんなもの、売れない書き下ろし単行本ばっかり何冊も出してる、自分のほうが痛いほど知ってるよ。
 さて『クラシック迷宮図書館』であるが、音楽本の書評集といっても『レコード芸術』の連載をまとめたものなので、クラシック関連が主体。当ブログの読者に知られているものとしては、せいぜい拙著『電子音楽 in JAPAN』、最相葉月絶対音感』、小林淳『伊福部昭の映画音楽』、ジョセフ・ランザ『エレベーター・ミュージック』、山下邦彦『楕円とガイコツ』や、チチ松村のエッセイぐらいか。しかし、その他の9割近くをしめるクラシック関連の書評というのがすこぶる面白い。いつもの片山節による魔法のレトリックで綴られている。その体験は、平たく言えば『のだめカンタービレ』のマンガを読んで、クラシックの面白さに気付かされるみたいなもの。なにしろ、ワタシが編集部にいたような庶民向け週刊誌でずっと連載していた方だから。amazonで後から買おうと、いちいち印をつけながら読んでたら付箋だらけになって、いかに多くの本を読まずに通り過ぎていたかと反省してしまった。「面白い音楽書がない」などと文句を言ってる己の無知を恥じてくる(笑)。
 正統派のクラシックから、現代音楽、映画音楽、ミューザック、フェニミズム関連、ナチズム関連と、本人はそれほど意図したわけではないだろうが、取り上げる音楽傾向は『レコード芸術』という連載誌から考えると、かなりレンジが広い。書式もシリアスなものや落語風と一見バラバラなのだが、どれも均等に面白く仕上げているところが、「片山杜秀の本」シリーズ全体を通して感じる片山マジックなんだよな。多くの音楽書を取り上げて、そこに著者が読み解くのは、音楽家の思想、人間性。先日、2月に出る別冊文藝の「加藤和彦」の特集号に長い論文を書いたばかりなのだが、人物と作品の関わりについて、その執筆時期に集中して考えることがあったから、ワタシは片山氏が音楽分析をするときの、作曲者への優しい眼差しに心打たれる。運悪く駄作が生まれるときというのは、芸術家なら誰しもあって、そういうときの作者の心理状態をきちんと分析してくれる。その博識はやはり、歴史あるクラシックを語るときに見事に表れるんだけど、そんなレトリックがポピュラー評論においても十二分に発揮されるのが、片山杜秀ワールド。『ミュージック・マガジン』のような日本のロック雑誌が、いかに語彙に恵まれてないかをひしひしと感じるよ。クラシック畑の知識人がポピュラー音楽を語るときの愉悦は、『月刊カドカワ』の坂本龍一特集に寄せた、浅田彰の全アルバム評にも感じたことがあるな。
 拙著を書評いただいたことをリアルタイムで知らなかったのは、『電子音楽 in JAPAN』が出たとき、とにかく『ミュージック・マガジン』などの雑誌でさんざん虐められたから。いくらご本人と仕事したことがあると言っても、相手は現代音楽の専門家。片山氏に書評欄で取り上げていただいたのを後から聞いたときは、心が救われたものだ。いまでこそ少しは誉めてくれるギョーカイ人も増えてはきたけど、休職して本を出したばかりのころ、『電子音楽 in JAPAN』を同業者で誉めてくれたのは、片山氏と湯浅学氏、『サウンド&レコーディング・マガジン』書評担当の横川理彦氏の3人ぐらいだから。ホントに。ずいぶんしてからたまたま手にして、「意外に面白かった」と声をかけていただいた音楽関係の知人には、「『ミュージック・マガジン』で悪評書かれてたからスルーした」という人が2人もいて、唖然としたものだ。フントニモー。
 『クラシック迷宮図書館』に掲載された拙評では、「書き手が専門家ではなく在野の人間であること」「アカデミズムとポップスを同列に語ることの意義」を誉めていただいた。こういう通史を一人で書くのには人には言えない苦労が伴うもので、そういった視点から拙著に込められた意義をきちんと評価してくれた方は数少ないのだ。『ミュージック・マガジン』の書評ではまったくそのへん返りみらずに、ただ「誤植が多い」「MOOGは公式にはモーグであってムーグではない」(←これは否)「だから絶版必至」だの、枝葉ばかりを論拠にした不買運動めかした反則記事が綴られていてホントに頭に来た。後にも先にも書いたのはこれっきりというライターをわざわざ連れてきてまで酷評させるというのは、どういうつもりなのだろうね、高橋修は……。ハッキリ言ってやってること滅茶苦茶。人を見下したり、足の引っ張り合いばかりのロック・ジャーナリズムには本当にウンザリなのだが、悪魔がいれば天使もいるもので、誤植や貧困なレトリックなどの欠点には目をつむり、『電子音楽 in JAPAN』の執筆に込めた思いを正しく評価いただけたのは、ひとえに片山氏が書籍の向こうにいる書き手に対して注ぐ、優しい眼差しゆえだと思う。
 といいながらも、シビアなところも片山美学。書評のために読んだ本が、アテが外れたときの困ったエピソードを告白しているあとがきにも、人柄が見えてオカシイ。ワタシの勝手な思いこみだろうけど、ベストセラーになったトンデモ本最相葉月絶対音感』を取り上げて書評しない姿勢とか……(笑)。とにかく、拙著やこのブログを読んで面白いと思った方なら、きっと期待を裏切らない本だと思うのでぜひ。