POP2*5

過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

JASRAC DISCOさんのエントリを読んで思ったこと。

先日のエントリで、批判コメントを寄せていたJASRAC DISCOさんのブログを紹介し、
それに反駁するかたちで、当方のブログ運営についての考えを表明させていただいた。
その後、件の批判文はなぜか消去されてしまったが、
それに代わるカタチで、新しいエントリが挙がっていたのを読んだ。
表題はないが、本人も語っていた「萌えの有用性」についての説明だと思えばよいだろう。
ざっと一読しただけだが、やはり彼の自説については、思うところが多々ある。
そこで、本来は他人のエントリにいちいちチャチャを入れるのは、自分の美意識にそぐわないが、
言いがかりを付けられた立場でもあるので、一度だけ思うことを書くことにした。


正直、クラブ文化に置き換えるやり口というのに「またか」と閉口してしまうんだが、
こういう「カッコイイ」に寄っかかるのって、鈴木謙介のラジオ『life』とかに通ずる
たまらない「自己愛臭」に、生理的にどうしても受け付けないものを感じてしまう。
以前のエントリにもちょっと書いたことがあるけれど(なぜアニヲタに、テクノ好きが多いのかという話)、
ワタシの場合、クラブやレイヴ文化の「マジック」を、比喩的に使わないよう自分を律しているので。
全部ジョーカーのカードでポーカーやるみたいな、「なんでもあり」のつまらないさがあるから。
「エンドルフィンの分泌量」でテクノ・ミュージックの価値を語るとか、
最相葉月絶対音感』が、「大脳生理学」の力を借りて音楽の神秘を語ろうとする不遜とか、
こういうのを知性とは呼ばない。似非インテリの「教養コンプレックス」そのものだと思う。
むろん、JASRAC DISCOさんのエントリは、そういうインチキ社会学者のようなペテンではなく、
カウンター的に発生する同好会的な「文化の根」として、クラブ空間を語ってるのはわかるけど、
「萌え」の象徴としてワタシが例に上げている「pixiv」は、すでに会員90万人のマスだからね。


DIY精神」についても、カウンター文化を背負って、メジャーでできないもの、
メジャーがやらないものをやるんなら意義性もわかる。
ワタシも「pixiv」には、頭の硬い漫画編集者って存在が介在しないことが、
自分の美意識にかなった自由な創作ができる最大の魅力だと、過去エントリで書いている。
ところが、「オリジナルの拙さ」が模倣者が群がる理由になっていて、
結果、オリジナルよりちょっとよくできた亜流ばかりが生み出されるっていうんだったら、
それって「オリジナル文化軽視」に向かいやすい、両刃の剣なんじゃないのかな?
一時期よく言われた、歴史軽視と搾取だけで成り立つ、DJ文化の暗黒面みたいな。
「欲望を解放した」という意味では、「萌え」はテクノ文化に近いという説はあるけれど、
結局それって、全部が内向きで、傷口をなめ合うような文化じゃん。
クラブだの12インチだの、美辞麗句を並べれば
音楽に疎いヤツはごまかせちゃうと思ってるだろうけど、本質は違うことに気づいてるでしょ。


「需要があるから存在する意義がある」という説を唱える人の話を聞くたびに、いつもユーウツになる。
これはむしろ、ケータイ小説と同じなんだな。
読者のカタルシスのために、ユーザーの欲望に忠実に
ご都合主義的に主人公の恋人が不治の病で死んじゃうとかいうヤツ。
「需要があるから存在する意義がある」の最たる例は、クラブじゃなくてこれでしょ。
一昨年、書店取次のトーハンの年間ランキングの上位5冊が、全部ケータイ小説だったことがあった。
その因果があってか、出版社の書籍編集部で、まともな企画が通らなくなったと言われる。
今も「pixiv」とタイアップした、「萌え」がらみの似たような本が連続して出ているけれど、
そういう需要が見える「萌え」の企画が通るかわりに、確実に「マンガらしいマンガ」の出版の機会が奪われている。
これは多くのプロマンガ家が共通して思うところで、けっしてワタシだけの意見ではない。
JASRAC DISCOさんの言う通り、趣味のサークル内だけだったらよかったけれど、
「アマチュアの戯れ」が、確実にメインのマンガ文化、アニメ文化を浸食してきている現状がある。
言葉遊びであれ「萌え肯定」なんて言ってる人は、どれぐらいそれに気付いているんだろ。
「自分だけしか見えない」ならば、そんなことまったく気付かないんだろうな。
ゴミの不法投棄も、自分だけだったら地球に甚大な被害もないだろうしって。
それが結局「他人もみなやってるから自分も許される」って構図になっちゃうんだよな、日本人。
こういう「甘えの連鎖」って、今後も断ち消えずに永遠に続くのだろうか?
無教養やキャパシティの狭さというのは、必ず自滅への道を辿る。歴史はこれの繰り返し。
アナーキズム運動としておこちゃまにもわかりやすかった70年代のパンクは、
拙い音楽性ゆえに結局音楽的進化を果たせず、飽きられて短命に終わってしまった。
ファンなんて、次の流行にさっさと乗り換える、身勝手なものだから。
いや、いまどきは進化したいというアーティストの気持ちなどないがしろにされて、
「早くアンコールの『ゴッド・セイヴ・ザ・クィ−ン』やれよ」と言ってるのが、今のパンクの客だからな。


「pixiv」だって、サービスを始めた本人はアニメ絵師の人だったらしいけど、
だからってアニメ絵ばかりに偏重することを望んでいたわけじゃないと思うんだけどね。
「需要があるから」って、心ない出版社から、ラノベの挿絵などの引き合いがあるから、
事業資金を回すために、「萌えに強い」というのをセールストークにしているだけで。
本当はもっと多様性があって、クリエイター各々が尊敬しあうような場になるというのが理想だと、
さすがの「pixiv」運営だって、考えてないわけはないと思う。
「こんな文化支援的なサービスやってる」って、両親や親戚に胸張って言えるような。
ワタシのノンケの知り合いに「pixiv」を見せると、まずトップページでどん引きするから。


「pixiv」に始まる一連のお絵かきSNSから、「文化」を奪った最大の要因は、
何人かのブロガーも指摘しているとおり、ランキング・システムを導入したことだろう。
しかし、この「絵の勝ち負けを決める」というのが、過去のお絵かきブログポータルを超えて
「pixiv」がブレイクした最大の要因にもなってる。
個人の価値観、美意識を持たない日本人は、結局「どっちが勝ってるの?」にしか興味がないから。
その結果、脊髄反射で数秒で数千点が入ってしまう。「思考停止ぶり」はいっそうエスカレートしてる。
特定のカリスマ絵師なら、題材が人気版権ならば、出来不出来に関わらず、
無条件で点数を入れてるっていうのも、結局「プチ宗教」なんだろうし。
その都度頭を使って考えることを嫌う、付和雷同な日本人の行動、そのものだと思う。


「萌え」もクラブみたいに、本当に知識階級の先端サークル文化だったらいいけれど、
ミニマルというより、聴いてる音楽は浜崎あゆみとかで、アシッドな世界の珍味どころか
味覚が子供の「甘口カレー祭り」みたいなものでしょ。浜崎ファンには悪いけど。
むしろ本質は、浜崎やケータイ小説や「エンタの神様」の客みたいなものだと思う。
会員数90万人もいるマンモスSNSの「捻れた価値観」を、
クラブ文化に置き換えて肯定することには、やはりムリがあると思う。


JASRAC DISCOさんは、きっとワタシの声に応えて書いてくれたんだろうけど、
あえて苦言を呈するならば、ワンアイデアでつっぱしってしまう傾向があるみたい。
「萌えをクラブ文化に置き換える」って発想に満足してしまって、
あとは矛盾があっても枝葉をそぎ落としてしまうから、論理にムリが生じる。
前回もそれでカチンときたわけだけど、こういう論旨展開のクセが付いてしまうと修正するの難しいと思うよ。
自分のロジックに甘くなってしまって、相手の発言内容や事実が軽んじられてしまい、
他者の気持ちがないがしろになりやすくなるから。余計なお世話だけどね。


これを第三者が読めば、「だったらpixivなんか辞めちゃえば」って思うだろうけど、
日本で創作活動やっていくには、日本流の「戦い方」をしなければイケナイわけで。
なんであれ、エラソウな志だけで、足引っ張りあってるマイナーSNSで、
自己愛抱えてダッチロールするより、90万人という「pixiv」の会員数はやっぱり魅力だもの。
数は少ないだろうけど、価値観を共有できる人々との「出会いの偶然」の機会だってなくはないと思うし。
ウンザリするブクマコメを設定で非表示にしたって、ブクマコメがなくなるわけじゃないのと同じで、
そういう“萌えマンセー”文化という、自分にとっての仮想的があることを意識した上で「戦う」しかないわけよ。
「戦う」ったって、それはあくまで比喩だから、そこんとこよろしく。


(後記)


>boostedさん


“知識階級の先端サークル文化”ではないだろう。そういうところもあるだろうけど。
多くのクラブが深夜営業であったり、入場にIDが必要だったり、そもそもの情報も(ある程度は)能動的じゃないと手に入らない等でリスクorコストが掛かるっていううのが最大の違いなのでは?

御意見はごもっともだと思う。
“知識階級の先端サークル文化”というのは、クラブ文化をスノビッシュに語る特定の輩に対しての例えで、
JASRAC DISCO氏のいわんとしてる「クラブの効能」とは違うわな。失敬。
「会員90万人のSNSの萌えブームを、フロア(クラブ)に例えて説明する」
という先方のかなり奇妙なロジックに対して、この文章も
かなり足下がおぼつかない感じで書いてるところがある。
だから、このワンセンテンスだけを抜き出して、取り違えや語法について言及されてしまうのはちょっと不本意だし、
また揚げ足取りで話があらぬ方向に行ってしまうので、
文章全体の流れを捉えた上で、ぜひboostedさんの意見というのを聞きたいな。
結局、この短いリブログの指摘文だけでは、じゃあこれは2つの対立軸の
どこに身を置いている人の意見なのか、まったくわからないから。