POP2*5

過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

POP2*0的「欲しいレコードを必ず手に入れる方法」(精神論編)

 人それぞれ、見ると嬉しい夢というのがあると思う。以前、私がよく見ては喜びにうなされていたタイプの夢に「初めて行ったレコード店で、探していた1枚が見つかった」というのがあった。前後に繋がっているストーリーはなくて、ただレコード店に行ってお目当ての1枚が見つかるだけの、色気も何もない夢。しかし、そういう夢は神様が見させてくれる際限なきサービスのようなものであるから、探していた1枚が見つかったあと、「え!? これも!? これも!?」と言う風に数珠繋ぎにレア盤が登場してくる。「このへんにありそうかも?」と思って、下の荷物置き場に無造作にある段ボール箱をあけてみると、やっぱりという感じで稀少な1枚がそこに鎮座ましましている。ま、あたりまえだよな、夢なんだもの。で、私の見る夢のパターンだと、その後、買い物を一通り終えて安堵してレジに行くと、自分が全裸だったことに気づくという展開が必ずある。コーフンして、私が全裸になっているという、まるで小学生のような飛躍。フロイト的に分析してみると、全裸になるということで、レア盤が見つかった喜びを表現しているのだろうか? そういえば私はよく、臨時収入が入って「さあ、たくさん買っちゃうぞ」といいながら大型書店に行くと、必ずコーフンして下痢するタイプだからなあ。
 先日、私が発行人を務めた『Digi@SPA!』という雑誌でも、特集でネットを使った本やレコード探しのテクニックを集めてみた。「タイトルと“円”“$”などを併記して検索すると、そのまま中古盤サイトに飛ぶ」「タイトル→レコード番号確認→レコード番号で検索と、2ステップにするとヒット率があがる」などの、なるへそな検索アイデアを集めているので、ご興味のある方はぜひチェックしてみていただきたい。今回のカテゴリーではそんな、いわゆるテクニックではない、捜し物をする時の精神論みたいなものをテーマに展開してみたいと思う。
 「なぜ、お前はそこまでしてレコードを集めるのか?」そう聞かれて、私はスマートにその理由を語る自信がない。もはや、ほとんどそれが私の人生の目的と化しているところがある。以前も別エントリーで書いたが、売れないマイナーなレコードなんて、レコード会社も保存してないし。国会図書館だって「国産の8割のレコードがある」ってことは、「残り2割はない」ってことでしょう。現に、『電子音楽 in JAPAN』を執筆していたころ、有名なビクター盤の『日本の電子音楽』は、探したけど国会図書館にはなかったし。レコード会社からジャケットを貸してくれと言われることも増えてきたりして、なかば使命としてそれを保存しているところもある。元々ラジオ少年だから、究極の夢は、自分の家が放送局の資料室みたいになることだったりするし。今でもたまに友人が来て、「そう言えば『ひょうきん族』って、ジングルをEPOがやってたんだよね〜」なんて話題になった時に、そっと『ひょうきん族』のLPを差し出せるような、おもてなしができる家になれば本望だと思っている(あくまで理想)。
 以前は、私の財布の中には「探しているレコードリスト」というワープロ打ちをした小さなメモがずっと入っていた。欲しいレコードのタイトルが、あ行からわ行まで区分けされていて、いきなり新規の中古レコード店に入った時でも、あわてず捜し物ができるようになっていた。ちゃんと「脱音楽」「サントラ」「現代音楽」なんていうカテゴリー分けもしておく、抜かりのなさであった。週刊誌で3年ほど大阪ネタの連載担当をやっていて、二ヶ月に1度在阪することがよくあったので、東京人なのに大阪の中古レコード事情はよく知っている。学陽書房の『レコードマップ』も年度ごとに買って、しっかり赤字で個人的なメモを書き込んだりしていた。実はそのころ、東京ではサバービア・ブームを経過して、かなり珍しいレコードも手に入るようになっていたのだが、セレクトショップ系の店は高価な一点ものが多くて、たいていレアものはT氏とか名のあるDJに売約済みになってたりして(じゃあなんで飾っとくのよ、フントにもー!)、なかなか実際に入手の恩恵に預かれることが少なかったのだ。大阪は東京ほど値をつり上げる店はなかったと思うし、東京に比べると雑多な中古盤店が多かった。やっぱり基本は、ハンターのような良心価格の店で、お目当ての1枚を見つけるというところに醍醐味がある。これは芋掘りとか松茸狩りみたいなもので、手に入れるという目的が最優先条件だが、見つけるプロセスの面白さで、それがレジャーとして成立しているところがあるから。大阪の中古盤店には本当にお世話になった。フォノシートとか、くだらない企画盤なんて、キョービ、東京のレコード店じゃすでに大量に処分済みで、ほとんど手に入らなかったりする。それと、初めて見つけた中古盤店には、どんな小さな店であっても必ず覗くという、私の中で鉄則がある。いわゆるビギナーズ・ラックというものだが、私はこれで意中の盤をかなり手に入れた経験があるのだ。本来なら大阪だけじゃなく、他の小都市も責めたいと思って、地方出張の機会を虎視眈々と狙っていたが、結局は叶わなかった。DJ筋の情報によれば、「大阪はもう終わってる」「仙台がどうも穴場らしい」とか、いろんな地域情報を入手していたから使えなかったのが残念である。
 私の財布の中にあったリストも、そうやって地方出張を利用して盤が発見されるごとに、横線でタイトルが消されていった。これは快感であった。NHKの人形劇じゃないが、8つのお宝の玉を探し歩く『新八犬伝』ならぬ“発見伝”とでも例えたいドラマがあった。だが、本当に見つからないものというのは、字義通り本当に見つからない。その中には、東京の先輩の音楽ライターに聞いても「出ているという噂しか聞いたことがない」というものまであったりした。最終的には、20枚ぐらいの手強い相手がリスト化されていたと思う。で、「この20枚が見つかったら、私は死んでもいい」と心に念じながら、私は機会があればレコード漁りにはせ参じていたのだ。
 で、時代は移ってネット時代になった。『電子音楽 in JAPAN』という苦労してレコード集めて書いた本が、まあまあの売れ行きになって、雀の涙程度だが印税が入った。私はその軍資金で、初めて自宅にインターネットができる設備を構築したのだ。その初期のころに出会った、GEMMの衝撃は忘れられない。「インターネットは凄い」という噂は前々から聞いていたが、私のようなクレイジーな趣味を持っている人こそ、その真価を体験できるんじゃないかと思う。GEMMは、世界各国の中古盤店の商品を、キーワードで串刺し検索できるポータルサイトである。初めてその存在を知り、「ま、試しにやってみるべ」と思って、財布の中のリストのタイトルを一つ一つ入れてみたのだ。すると「なに!!!!!!」、ロンドンの郊外の店や、カナダの店などに、ちゃんとそれらがあったのである。マイナーなネオアコの7inchも、現代音楽のLPも、初期の稀少なCDも、次々ヒットした。私はほとんど信じられないような思いに駆られ、落ち着こうと台所でコーヒーを入れ直して、再びパソコンの前でそれがきちんとバスケットの中に入っていることを確認して、決済のボタンをポチッと押した。まだ半信半疑で、担がれてるんだろうなと思いこむことで、「実はウソでした」という展開になっても落ち込まないようにしていたところがある。しかし、2週間もすると、オーダーしていた荷物が次々と自宅に届き始めた。信じられないが、私が20年近く、青春を捧げて捜し物をしていた幻のレコードが、わずか数分のネット検索で次々と見つかったのである。いま、私の財布の中にその時のリストはない。なぜならば、それは全部見つかったからである。だから本当は、神との契約上は、私は死ななくちゃいけない立場なのだ(ま、もう少し俗世間にいさせてください……笑)
 その後、GEMMがロック主体で、サウンドトラック、ブラジル、ニュー・ウェーヴ系はちょっと弱いなどの傾向がつかめてきて、ニュー・ウェーヴならタイトルが少ないがアーティストごとに稀少盤を集めているeilがいいとか、他は海外のオークションのほうが早いし安いとか、知恵が付いてきて、さらに効率よい捜し物ができるようになった。
 無論、インターネットができる前から、こうした海外の店から直接通販で買うというコレクターはたくさんいた。私の友人のデザイナー常盤響氏は、高円寺のマニュアル・オブ・エラーズ開店時の買い付けスタッフであり、それ以前から個人的に海外通販を利用してきたベテランだ。コピーをホチキスで留めた、米粒に書いた文字みたいな小さな字のリストをチェックして、為替で送金したり、自分の持っている稀少盤とトレードしたりして、こつこつと集めてきた尊敬すべき先達の方々の歴史がある。マニュエラは開店時に、当時の店長だった岸野氏に頼まれて、かなりの枚数をご祝儀に委託盤で出したこともある。たしか、船便の積み荷が開店日に間に合わなかったために、友人縁者からかき集めてオープンにこぎ着けたという、そういうアクシデントがあったのを思い出す。で、興味があったので入荷方法はどうやっているのか聞いたら、買い付け担当は常盤氏で、主にサンフランシスコのディーラーを使っていると言っていた。年に数回ある世界の業者を集めた競り(オークション)にもよく参加していたと思う。すでにサバービア・ブームは来ていたが、ああいうシネジャズやモーグ盤やモンド・ミュージックを専門に集めたところはなかったから、マニュエラは老舗として、けっこう独自のルート開拓の苦労があったと思う。一度、『Switch』の別冊で、常盤氏、中原昌也氏、砂原良徳氏、小山田圭吾氏がサンフランシスコのショップを訪ねて歩くルポ記事ってのもあったよね。その後、渋谷にセレクトショップが次々とオープンするようになるんだが、当時は円高がピークだったから、日本人のバイヤーはずいぶん気前がよかったらしい。日本人同士で競ったりするような場面もあって、それまで二束三文だった「真に欲しい人だけの値打ち盤」だったものまで極端に売値が高くなるという、由々しき事態を招いたこともあったという。
 インターネットの登場で、わざわざ海外に行く必要がなくなったことには大きなメリットがある。それともうひとつ、eBayなどのネットオークションによって、それがリーズナブルな値段で買えるようになったことの恩恵も、同じくらい大きい。Yahoo!オークションでもおなじみの、多めの額で入札しておいて、最終的に2位の人の入札額との最低差額だけ上乗せした値段で買えるというシステムは、eBayが発祥である。いまでは普通になっているが、これはネット以前にはなかったものだ。私も一度だけ、いわゆる指し値を決めてファクスで入札するという古いタイプの競売に参加したことはあるけれど、競売の内容は業者にしかわからないわけだから、ちょっと怖いなあと思って、落札できなくてむしろ安心したくらいだった。それまでのレコード・オークションは、いわゆるサザビーズなどと同じ、一番高い値を付けた人が、その値段で買うというシステムだったのである。現在のようなシステムは、CGIによる自動処理ができるようになった、インターネット登場によって初めて構築されたものなのだ。
 そうしたGEMMや海外オークションの恩恵というのは、洋楽オンリーの話。同じように邦楽のレコードもよく聞く私にとっては、では国内をどうするかという問題があった。当初は地方のネット好きの店主の人がやっていた、中古レコード店のインターネット通販なども覗いてはみたが、まだHTMLでリストを更新していた時代だったし、今みたいに検索する方法もなかったから、あまり稀少盤を手に入れたという実績はなかったと思う。結局、本国以上に巨大になってしまった、おなじみのYahoo!オークションを使うのが、邦楽のレコードを探すのにはベターという結論に達した。自分のホームページでリストを公開していたネット通販業者も、かなりヤフオクに参入してきているのが現状だし、eBayのPayPalシステムみたいに、クレジットカードで決済ができるまでに便利になった。ありがたや。
 ただ、このブログを見ていただければわかると思うが、私の蒐集しているようなレコードというのは、ロック名盤ガイドのようなすでにあるリストから、お目当てのものを検索して見つけるというようなものばかりではない。中古盤店のエサ箱のコーナーから、独自の嗅覚を発揮して、意外な作家が過去に手掛けていたお宝仕事を見つけてくるという、わりと地味な作業を通して発掘されたものも多い。そういう意味で、ネットがいくら発達しようとも、現実の町の中古盤店には、なるべく足を運ぶようにしていた、そんな私にとってここ近年で一番ショックだったのは、蒲田の「えとせとら」のサウンドトラック店の閉店だった。東京にはサントラで有名な「すみや」という老舗が渋谷にあるが、中古盤をずっと扱っていなかった(ごく僅かの委託盤のみ)。大阪には有名な「レア」という心斎橋の店があって、そこが日本で唯一の、中古のサウンドトラック盤の専門に扱っていた店だった。後発だった蒲田の店は「えとせとら」が拡大して分裂していく過程でできた、東京で最初の中古サウンドトラック専門店で、映画、アニメ、カセット、お笑いなどをノンジャンルに扱っていた。映画音楽好きの私にとっては「ふらっと行けば何かが見つかる」夢のような店だったのだ。実質的には国内版中心なので、バカラックニール・ヘフティなど、当時日本盤が出ていなかったものが見つかることはなかったが、アニメのサントラのたぐいはそこでほとんど買っている。日常的にアニメを見るような人間ではないので、好きな作家がやっている仕事をその店で盤のライナーを読んで初めて知り、内容も知らないのに買ったものというのも多かった。あれはレコード協会の廃盤セールのルート(後述)から入ったものだったのだろうか。見たこともないアニメのサントラの未開封のものがズラリと並んでいて、平沢進、野見祐二、上野耕路らの未見のアニメ音楽を、どどどっと数万円ぐらい買って帰ったこともあった。サントラ店はレーザーディスクや黎明期のDVDもけっこうあったから、本当に重宝したのになあ。
 サウンドトラック盤など、いわゆるロック系ではないレコードになると、一般の中古盤店の扱いは、本当にぞんざいなのだ。一度「3枚1000円」のコーナーに入ってしまうと、ABC順で探すこともできなくなるし、売れ残りは地方店をたらい回しにされた結果、廃棄されてしまう運命がまっている。壁に掛けてあるウン万円の店長自慢のレア盤なんかより、よっぽど一期一会な世界がそこにあるのだ。
 モンド・ミュージックの執筆者の一人である常盤氏も、その筋のカルト盤のコレクターとして有名である。一度どうやって珍しい盤を捕獲しているのと聞いたら、そのころは全国の質屋を回って仕入れていると語っていた。質屋の奥に段ボールに入ったものをチェックして、ざっと見て「センチいくら」で買っていくんだという。量り売りって、プロみたい……(笑)。その中にデヴィッド・ボウイRCAの日本盤帯付きなんかが、2、3枚でもあれば、それを転売すれば軽く元が取れるという、いかにも仕手筋みたいな話を聞いて痺れてしまった。実際、私も質屋をふらっと覗いて、たまたま立花ハジメの「バリケードのテーマ」(FM東京の同名番組の試供品)を見つけて買って帰ったことがある。話によると質屋に入ってくる品筋というのは、それなりに趣味を謳歌していたような人が、やんごとなき理由で手放したような、お宝系のものが多いらしい。よく有名な書評家の人が亡くなると、新聞で訃報を読んだコレクターが葬儀に集まって、未亡人に「生前にご主人から譲り受けると約束していた」なんてウソを言って、稀少な蔵書をもらっていくというエピソードを聞いたことがあるだろう。まさにそういう筋モノが、持ち主の死後に本人の伺い知らぬところで、骨董などの他の処分品といっしょに質屋に流れていくという話であった。タモリの数万枚という稀少なジャズのコレクションも、確か演芸評論家の色川武大がなくなる直前に、本人から譲り受けたものだったよね。
 ミニコミの『3ちゃんロック』に載っていた、知人の岸野雄一氏が語っていたエピソードも面白い。いわゆる一般の民家を上がっていくと、そこにうずたかく段ボール入りのレコードが積まれてるという店が、昔あったんだそうな。地図を頼って目的の店に行くとそこはただの民家で、呼び鈴を押すと年配のご婦人が現れて、「あがんなせ」と言われて二階に上がり、お茶を一杯よばれると「じゃあ、探しますか」と言って段ボールをひとつひとつあけていくと、探していたレア盤帯付きがザクザクでてきたという夢のような話。『3ちゃんロック』自体が、昔「自宅喫茶」で話題になって『フライデー』にまで載った、ライターの安田謙一氏が発行していたミニコミだから、そのへん真実かどうか怪しいところだが、私はこのエピソードを読んで心が躍ったのを覚えている。
 先ほど書いた、レコード協会の廃盤セールは、私も存在を知りながら一度も行ったことがない。たしか、音楽ライターに渡った試聴用のサンプル盤(モノは商品と同じだが、通し番号が付いていて転売すると人が特定できるようになっている)を、使用後に一斉に引き上げる着払いシステムというのが業界にはあって、最終的にレコード協会に集まった未開封の廃盤のディスクを、年に一度だけ一般客に開放して買ってもらうというイベントだったと聞いている。現在は、確か11月ごろにリストがネットに掲載され、普通のネット通販のように買えるようになっているはず。この「廃盤」というのが曲者で、それまで二束三文だったCDが、買いそびれると廃盤になったとたんに値段が跳ね上がってしまうのだ。例えば、レギュラー盤だったものが発売から時間がたって、「Q盤」などで価格を改定して出し直すケースがある。「再販価格維持商品」のシステム上の問題だと思うのだが、在庫が残って同一商品が二種類の値段で売られていて消費者を混乱させることがないよう、一度廃盤にしてから半年間は、新価格での復刻ができないシステムになっている。この半年の間は、とにかく新品としてそれを入手する方法がないから、「え? 廃盤なの? 買い忘れてた!」という人が、ちょっと高い値段でもその主の業者から買わされてしまうのだ。廃盤情報は、「今月はこれが廃盤になりますので、売れ残りを回収します」という風に、問屋ルートから店に情報が通達されるシステムである。だから一時、高田馬場の某CD店など、ワゴンに「今月の廃盤CD」と書かれたコーナーがあったりして、けっこう重宝していたものだ(後に問屋の指導があって、このコーナーはなくなった)。問屋筋から聞いた廃盤情報を、毎月ネットで紹介していた通販サイトというのもあった。「次に買おう」と思って買うのを忘れていた消費者にとっては、これは便利なサービスだったが、やはり同様の理由でウェブから削除された(たぶん、廃盤目的買いのセミプロの転売ヤーを排除するのが理由だったのだろう)。ところが、amazonマーケットプレイスに出品している人の中には、この廃盤情報を巧みに利用して商売している人もいるらしい。マーケットプレイスYahoo!オークションと違って、一度出品した商品の値段を後から付け替えることができる。だから、ずっとループで商品を出している人が、廃盤になる月を見計らって、入手困難になった瞬間に2、3倍の値段に付け替えるのである。実際、「その値段でもいいや」って買っちゃったりする人が多いというのが、amazonマーケットプレイスのマジックと言われているところ。なにしろ、出所の怪しいヤフオクと違って、オフィシャルな商品写真もあるし、レコメンドのコメントもそのまま使えて、クレジット決済までamazonのシステムを使ってできちゃうわけで。その筋の人に聞いた話だと、ヤフオクより2、3割高い値段でも、amazonマーケットプレイスでなら売れるという心理効果があるそうな。
 ともあれ、世界の名盤や国内の稀少盤がネットで簡単に手に入ってしまうようになると、コレクター志望者はとても財布が持たないと悲鳴も上げたいところだろう。私などは、20年近くこつこつと集めてきた口だから、とりあえず残りの人生は、ゆっくりと未見のレコードを細々と集めさせていただいているという感じで、すっかりリタイアモードである。そんなジジイだが、それなりにコレクター生活を送ってきて身に付いた、哲学というか知恵というのもある。
 私の知人の音楽ライターW氏は、「1枚のレコードに3000円以上は使わない」をポリシーにしている。サバービア・ブームの拝金主義が横行していたころ、お金持ちのコレクターが大金叩いてレア盤を根こそぎ買っていく狂騒劇を見てきた私だから、そのストイックさは信条としたい。しかし一方で、例えば8000円というちょっと高めの値段で売られていた時に、「どうしよう」と思って一度は諦め、でもやっぱり欲しいと思って翌日に再び店を訪れたら、もう売れていたなんてこともよくあったのだ。しくじった時の気分は、「いまなら2万円出しても欲しい」という感じになっていて、その後の日常生活までブルーな気持ちになってしまう。たかが金をケチっただけで、一日がブルーになるなんてかなわない。だから、店が高めに売っているものがあった場合、私はその時期の財政と照らし合わせて、買える時は買っておこうというルールで、レア盤と接するようにしている。イラストレーターの湯村輝彦氏は、古いマンガのコレクターとして有名だが、「一冊2万円の本を買っても、その喜びを糧にして2万円稼げばいい」という名言を残している。その先達の心意気を私も継承して、チマチマとライナーノーツ仕事をやらせていただいいているところがある。
 私が努めている出版社が、一時期バブルだったころがあり、よく臨時の大入り袋が配給されたことがあった。突発的な数万円のお小遣いができると、だいたい同僚は高級ソープとか風俗に使っていたと思う。だいたい、人生における「働く目的」は、それでどれだけ幸せを享受できるかにあるわけだから、風俗体験を至上のものとしている連中にとっては、臨時収入はそういう目的のために使ってこそ華という部分があるんだろう。一方、セコイ私は、そういう臨時収入が入ると、マンション型の中古レコード店の壁に飾ってある、店長の自慢の逸品を、エイヤッと買ってその日に使ってしまうことを喜びにしていた。高級ソープで使い切るのも華だが、同じエクスタシーを得るのが目的ならば、普段買えない高いレコードを買って、その分100回オナニーして元を取るというのが私の美学なのだ。高いレコードを買う時には、確かに罪悪感がつきまとう。このへん、私も人生のベテランであるからして、一枚2万円ぐらいするどうしても欲しいレコードが合った時は、手持ちがあればとりあえずまず思い切って買ってしまう。その足でディスクユニオンの「3枚1000円」のコーナーに立ち寄り、持ってなかったそこそこ好きなレコード(デュラン・デュランとかヒューマン・リーグとか、仕事で使うかもしれないような)をザザザッとまとめ買いをし、さっきの2万円のレコードと足してレコードの頭数で割っていって、「1枚2500円ぐらいになれば新品で買ったのと理屈は同じ」と自分を納得させて、罪悪感と付き合うそういう知恵もあったりする(笑)。
 最後に一言。これは私の実人生で感じたことだが、貴方がもし今、探しているレコードがあったりする場合、本当に欲しいと思い続ければ、必ずそれは見つかるように人生はできているので安心してほしい。さっきのビギナーズラックの話ではないけれど、神様も求道者に対しては、それなりの配慮を示してくれるみたいだから。「そのレコードを絶対手に入れてやる」という信念さえあれば、そのレコードは運命的に、貴方の手元に届くはずなのだ。