POP2*5

過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

誰でも上達する! POP2*0的「マンガの描き方講座」

 私がブログを始めて、まわりの友人から意外だと指摘されることが多いのは、ヘッダのイラストを自分で描いているということ。『ニュータイプ』や『momoco』時代は、ミニコミの延長上でまわりからヘタウマ画を描かされたりはあったが、なにぶん若いころの話。この13年間の週刊誌編集者時代は、ほとんどそういう酔狂ぶりを発揮することはなかった。私は雑誌編集者としては、まずプロであるべしという自覚の下、割と典型的な文字表現型のシリアスなタイプの編集者だったと思う。だが、こうしてブログを始めてみて、まるでこの13年間がウソのように、高校時代のミニコミのノリを思い出し、好きなように文章を書いたり挿絵を描いたり写真を入れたりして構成することを楽しんでいる。これは、1ヶ月前にブログを始める前には、まったく想像もできなかったことだった。
 絵を描いたりする表現力というのは、個人差がある。マンガが好きなのに、描くのは苦手という人もいるし、私のようにちょろちょろ小器用に描くことはあっても、日常的にほとんどマンガを読まない人間もいる。そもそも私が文章以外に、絵を描いたりするようになった理由については、少々説明がいるかもしれない。
 子供のころから両親が共働きだったこともあり、金がかからない遊びということで、お袋が新聞に挟まっていた裏地が白いチラシをメモ代わりに束ねてくれて、そこによくいたずら書きをしていた。いまだに実家に取ってあるが、今の仕事そのまんまの、何かできそこないの小説みたいに文字が延々綴られたものばかりだ。だが、自分でホッチキスで製本したりする知恵がつき始めると、雑誌などのデザインを真似て、ちょっと寂しいからと自分で挿絵を描いて埋め合わせをするようになった。まあ、このブログの構成はその時のまんまという感じだ。挿絵が入ってからの私のいたずら書きを見ると、絵柄のタッチは手塚治虫の影響を強く受けていたことがわかる。
 私が手塚治虫を初体験したのは、小学生の低学年のころである。学年誌を取っていたのはほんの一時期だけだし、マンガ週刊誌というのを親が買ってくれることもなかった(家が田舎だったので、農協が出していた『こどもの光』という農家向け雑誌に連載していた、藤子不二雄キテレツ大百科』のことを覚えているぐらいか)。マンガらしいマンガを読んだのは、おそらく家族の誰かがもらってきた古本の手塚治虫の『W3』が初めてだったと思う。私はその内容にカルチャーショックを受けた。それをきっかけに、唯一知っているマンガ家ということで、手塚治虫のマンガばかり読むようになるのだ。当時連載していた『ブラックジャック』『三つ目がとおる』に気付いたのはずいぶんしてからで、もっぱら70年代以前に描かれたクラシックな単行本作品に夢中だったと思う。だから私は、未だにコミックスでまとまってからしかマンガを読むことができない。で、手塚からマンガを読み始めた人ならわかってもらえると思うのだが、ほかの作家の描いたマンガがあまりにストーリーが単純すぎて、同時代の他の連載マンガを読むということに関心がいかなくなるのである。
 中学ぐらいのころに遠距離通学になって別の地区の連中とも付き合うようになり、いわゆる反抗期のようにそれまでの優等生的な自分を嫌悪するようになったころ、友達から江口寿史高橋留美子アナーキーギャグマンガの存在を教わった。それで私は生涯で初めて、手塚治虫という個人の作家ではなく、いわゆるマンガ文化というもの全体を意識することになった。たぶん、マンガを一生懸命に読んでいたのは、私の人生でそのころだけだと思う。『ビックリハウス』『宝島』『バラエティ』『ポパイ(初期のみ)』などの雑誌で、新感覚なカルチャーに触れ始めたその延長で、『マンガ少年』という渋い月刊マンガ雑誌を定期購読したりするようになる(きっかけはたぶん、手塚らが描いていた『漫画少年』と勘違いして手に取ったからだと思う)。で、『宝島』の特集で大友克洋の存在を知って、完全に大友信者になってしまうのだ。ちょうど反抗期に重なっていて、アメリカン・ニューシネマなどにのぼせていた時期だったので、ああいういかにも映画的なペシミズムを、マンガで表現していることに驚いた。私の中ではもうひとつ、『気まぐれ天使』で再燃した石立鉄男リバイバルブームがあったので、あの日本テレビ系ドラマのノリを、大友の『ハイウエイ・スター』『さよならにっぽん』で感じることもあった。まるで映画みたいな絵柄を知って、私はそのころから大友の絵柄を真似て、映画のスチールを模写したり、絵コンテのまねごとみたいなことを描いたりするようになるのだ。なんで映画好きが、そのまま「写真を模写する」という流れになるかというのは理由は単純で、映画が撮りたいんだけど、8ミリカメラが買えないからである。このへん、あの物資のない時代(なんちて)を知っている同世代ならわかってもらえるだろうと思う。私は東京生まれのクリエイターのような、恵まれた青春とは恐ろしく遠いところにいたのだ。例えば、音楽についてはかなり早熟だったと自負しているが、楽器をやりたくてもシンセが買えるはずもなく、しばらくは楽器店でもらってきたヤマハやローランドのパンフレットをみて、パネルのつまみをただ模写して満足するような不毛なこともやっていた。写経みたいなもんで、それで買えない欲求不満を解消していたのだ。笑わば笑え、若人よ。だいたい、私が吹き替え映画に一家言持つようになったのも、ビデオデッキがない時代だから好きな映画を保存することもできず、唯一の方法としてラジカセにそれを録音して、なんども聞いていたことから愛着が生まれてきたものだ。当然、音だけしか記録できないから、俳優の生の声ではなく声優の吹き替えになる。このへん、生まれついですでにビデオデッキがあった世代にはわからない感覚かも知れない。
 私の映画好きはクラスでもよく知られていたと思うが、自ら何かを表現することはなかったと思う。好きなバンドのテープをダビングしてあげたりすることはあっても、いっしょに仲間と映画を作ったりというような手段はなかったからだ。それに、どのクラスにも一人ぐらい、「マンガさん」みたいな絵の達者なヤツがいた。休み時間もずっと絵を描いていて、「アレ描いて」「コレ描いて」と盛り上がったりする光景をよく見かけた。すごく上手いなあと関心したが、私の興味はもっと別のところにあった。そういえば、脱線話でもうしわけないが、いまから10年ぐらい前に、代々木ゼミナールで取ったアンケートをまとめた、若者の意識調査の興味深い新聞記事を読んだことがある。予備校生を対象に「過去にコマを割ってマンガを描いたことがあるか」という質問に、なんと70%ぐらいの人がイエスと答えていたのだ。私が手塚治虫に夢中だったころには、マンガの単行本というのが今ほどたくさんあったという記憶がないから(少なくとも、田舎の書店にはコミックスのコーナーはなかったと思う)、それだけマンガ文化がこの数十年で普及したのだなと思った。戦中派のボケジジイの発言のようにも思えるかも知れないが、しかし私らの時代には、クラスにいる「マンガさん」はせいぜい一人で、そのポジションは一番上手いヤツだけが認められる、誰も犯すべからずの聖域だったのよ。
 で、写真模写みたいなことをやっていたんで、なんとなくではあるが繰り返し描いていれば上手くはなるもので、デッサン力っぽいものはだんだん身についてくる感じはあった。それは写実的なタッチに限らなくて、手塚治虫風の絵にディフォルメしたりするのも、最初っから器用にできたと思う。というのも、こうした能力は、多分に観察力にあると思っている。以前、大友克洋が実験的な短編作品として少女マンガを描いたことがあったと思うんだが、あの絵柄でありながら、少女マンガの本質をうまく捉えていた。写真模写から覚えたデッサン力というのは、わりと応用が利くものなんじゃないかと思う。
 観察力、もしくは空間認識力というのは、普段の私の仕事でもある音楽ライターにも不可欠なものだ。あるアーティストの新作があったとして、それをテーマに取り上げた文章に、上手いものと下手なものがあったとする。その時、私の中では「それを聞き取る能力」と「文章で表現する能力」というのは、別々の才能だと考えているところがある。「文章で表現する能力」というのは、何度も書き続けていれば誰でも訓練で上手くなるものだと思う。しかし、「それを聞き取る能力」というのには個人差があって、それが一般的に面白い文章とつまらない文章の分岐点になってると思っている。未知の楽曲に初めて触れた時、楽器の知識があれば音だけでバンド編成や使っている楽器の種類がだいたい類推できる。元ネタになっている音楽が読み解ければ、曲が生まれた背景を探ることもできるだろう。このへんの「それを聞き取る能力」というのは、多分に音楽をたくさん聴いたり、楽器をやったり、オタマジャクシが読めたり、あるいは音楽以外の映画やスポーツなどの知識のバックグラウンドがあって、初めて身に付くものではないかと思う。それだけ「気付く」ということは、誤魔化して文章をそれらしく書くことよりも難しいのだ。例えば、私の好きなトニー・マンスフィールドのグループ、ニュー・ミュージック『ワープ』の紹介記事は、某テクノポップ系サイトなどのいくつかをみると、たいてい「ビートルズの『愛こそはすべて』のカヴァーが秀逸」という風にどれも書かれている。私はそれにずっと違和感を感じていた。だから、私に書かせていただいたニュー・ミュージック『ワープ』のライナーノーツでは、「なぜ、『愛こそはすべて』のカヴァーが、これだけ凡作にできているのか」をきちんと考察してみた。文章を書くことよりも、こうしたこと一つ一つに「気付く」ことを、なんとなく皆がおろそかにしてきたんじゃないかと思うことが多いのだ。
 以前、私が在籍していた週刊誌で「スマップと笑い」という特集をやったことがある。その中で、話を聞きに行った近田春夫氏による分析で、「キムタクの松田優作の物真似が天才的に上手いのは、ダンスをやっているから」という発言があった。ダンスというのは、振り付け師が組み立てたフォームを、その場で見て再現しながら習得していくもの。この時、ダンスには音楽におけるスコア(譜面)のような記述手段がないので、見て覚えるしかないのだ。手と足と体がどういう風な動きの組み合わせでひとつの形になるかを、一瞬で捉える能力が必要なのである。「キムタクが松田優作の物真似が上手いのは、その一瞬一瞬の優作の動きを、まるでダンスの複合的な動きのように理解して再現しているから」という近田氏の見事な分析に、私は思わず膝を叩いた。ちょうど『SMAP×SMAP』でキムタクが『探偵物語』のパロディーをやっていたのと同じころ、『みなさまのおかげです』でも石橋貴明が同パロディーをやっていたのだが、こっちは基本がなってないのかさっぱり似ていなかったのだ。
 素人が偉そうに言って申し訳ないが、マンガの上手い下手というのも技術ではなく、対象を視覚的を捉える能力の有無なのではないかと思う。もっぱら、デッサン力という言葉は、描く技量を指すことのように使われることが多いと思うが、私はむしろそれは空間認識力のこととしてと捉えている。3D(立体)でモノを正確に捉えることができれば、それを写実的に表現もできるし、あるいはアニメ的にディフォルメしても描けると思う。
 手塚治虫は晩年、大友克洋に対して強いライバル心を持っていたことが知られている。手塚がきちんとデッサンをやらずにマンガ家になったことが、生涯のコンプレックスだったらしい。しかし、手塚にしても高橋留美子にしても永井豪にしても、いわゆる写実的なタイプではないものの、それぞれの作家独自のデッサン力というものを持っていると思うのだ。だが、最近人気のある「萌えアニメ」系の絵というのは、そういう昭和のマンガの伝統と切れているように感じる。いわゆる、写真模写で得たデッサン能力の応用で描くことができないような、独自の絵のように見えるのだ。私には、目や鼻がどこから生えているかのルールがわからないものが多い。手塚治虫が開拓した大きな目のキャラクターというのは、子供が驚いて大きな眼をした時の一瞬の愛らしさを捉えたものだと思う。これは、顔の表情の仕組みを理解した上で、どう表現すると可愛くなるかを試行錯誤して導き出されたタッチだと思う。しかし、そういった観点から見て、最近の「萌えアニメ」(といっても、何を指すのか自分でもわかってないけど……笑)の絵は、いわゆるデッサン力というものと、恐ろしく遠いところに来ているように思える。私の目にはそれらが、表情が死んだような絵として映る。「昔、手塚治虫の『メルモちゃん』に萌えました」というような、私らの世代がマンガに色気を感じたというニュアンスというのとは、大きく違ってきているように見えてしまうのだ。
 私がマンガを読まなくなった理由も、マンガの絵というものが独自の進化(退化?)を経て、そうしたマンガ=キャラクター至上主義になってしまったことに起因している。手塚治虫はいわゆるストーリーの作家と言われる。神の視点で物語を紡ぎ、主人公を容赦ない地獄の運命へと突き落とすストーリーテラーである。手塚マンガに於いては、キャラクターはストーリーを動かすための記号でしかない。しかし、手塚の時代のカウンターとして登場した、梶原一騎らの劇画の作家は、ストーリーよりもまずキャラクター描写に重きを置いてきた。主人公の内面を書き込んでいくことで、キャラクターは作家の作為を離れて、一人歩きしていくという。そういう作家の話を耳にしたことがよくあるだろう。手塚治虫はおそらく、そうした作り方をしないタイプだろう。しかし私は、反手塚的な、キャラクターが中心となったマンガというものにおよそ興味がないのだ。私が物心ついて、マンガに最初に触れたのとほぼ同じころ、石立鉄男鈴木ヒロミツのドラマに夢中になった。彼らの主演作品というのは、まさにキャラクターが物語を紡ぐタイプのドラマである。そこに石立やヒロミツが存在するだけで絵になったし、そのまま脚本がなくても魅力的なストーリーが生まれるような感じがあった。そんな実際の俳優に魅力を感じてきた私には、マンガはしょせんマンガ、描かれたキャラクターなど描いた絵でしかないと思っているところがあるのだ。
 過去に、私の描くイラストのたぐいを気に入ってくれて、そういう仕事を振ってもらったことがあった。編集者生活というのは黒子人生なので、たま〜に別の仕事についてみたいと思うことはある。しかし、私は外を走り回るのが好きな根っからの編集者体質で、家でじっとしてるのが苦痛なので、一日中のデスクワークには向いていないみたいだ。
 先ほど、私はライターもマンガも重要なのは「観察力」だと書いた。しかし、矛盾するようだが、それを生業にするかは本人の意思次第。そもそも、私がこうしてブログを書いたりしているのも、どっかでライターとしてはプロじゃなく素人だと思っているからだ。プロはけっして、タダの原稿を根性入れて書くなんてことはしない。誰の制約もなく、商品性を追求する必要もないから、こうして無責任なことを好き勝手に書いていられるのである。
 昔、アイドル雑誌の『momoco』にいた時、毎年デビューするアイドル予備軍の中で、「なぜか美形な子ほど売れない」というジンクスがあることを以前別エントリーで紹介した。普通に考えれば、ファンにとっては憧れの対象が美人であれば美人であるほどいいはずである。しかし、美形の子ほど芸能界への執着がなかったりするものなのだ。逆に「この子、大丈夫かなあ」と思っていたようなファニーフェイスな子のほうが、後にタレントとして大成したりするのを何度も見てきた。
 私は、文章であれマンガであれ、それを表現するには「観察力」と「表現力」という、別々の才能が合致して初めてできることだと思っている。「観察力」は不可欠なものだが、「表現力」はなくてもなんとかいける。しかし、プロになるかならないかは、もうひとつ「なりたい」という強い意志によるものだと思っているのだ。



手近にある写真を模写してみた、シド・バレットシャーリー・マクレーンの似な絵。

大きく目を見開いた顔の愛らしさが、「大きな目玉のマンガ」の誕生のきっかけになったと思うの説明図。私自身は、好きな女性のタイプが一重の地味目な顔だったりするのだが、それが怒ったり笑ったりするときの変化に魅力が生まれると思っている。笑ってる時と怒っている時が同じ顔だったら、それは表情が死んでいるのといっしょだ。

手塚治虫の『メルモちゃん』と、永井豪のアニメ『キューティーハニー』の似な絵。どこから目や鼻が生えているかには、描いてみるとそれぞれ作家独自のルールがあるのがわかる。基本的に写真模写のデッサン力の応用で描けるようなタイプの絵だと思う。