POP2*5

過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

社内引っ越しの準備で13年分の写真整理をするの巻

 先週末に移動の辞令が下り、8月から別部署に異動することになった。それで今日は、一日中延々と荷物の片づけをすることに。週刊誌の編集部には13年もいたが、私のロッカーには13年前からの荷物がそのまま入っているのだ。恐ろしや。特集で使った写真なども、13年分かっちりある。他の編集部員も呆れるだろう。
 実は、ここに来る前にいたアイドル雑誌『momoco』時代の先輩の入れ知恵もあるのだ。その先輩はエロ本から来た人だったのだが、エロ本出身の編集者というのは、独特のノウハウを持っていたりする。例えばその先輩M氏は、なにか埋め草の企画ページを作らなければならなくなったとき、打ち出の小槌のように使う「魔法のファイル」というのを持っていた。見せてもらったら、コクヨのラベルシートが貼ってあって、「フェラ」「足」「顔射」「背中」「うなじ」とか分類項目があって、その中にこれまで撮りためた写真が分類されて入っていた。エロ本のモデルを撮影する時に、本編で使う顔入りのものとは別に、あまり顔が写らない角度で多めにアザーカットを撮って分類しておき、それを読み物ページなどのイメージ写真として使えばムダがないという、伊東家の食卓みたいなアイデアである。おお、バンクシステム! 初期の虫プロみたいだ。
 で、それをマネしてかは知らないが、私も撮った写真を捨てないようになった。結構、事務所からNGが出て急遽ページをイメージ写真で埋めなきゃなんてことは頻繁にあって、これが役にたったものだ。なまじ役にたつもんだから、結局、13年分が保存したままになっていたのだ。
 中腰での作業はオヤジには辛かったが、こういう機会でもないとひっくり返さないので、結構楽しめた。10年以上前に撮った、志村けん氏の写真などは私の宝物だ。まだ、志村氏が深夜帯に行く前で、単独インタビューらしいインタビューも弊誌が初めてだったと思う。出演交渉は相当時間がかかったと記憶している。雑誌に出た前例がほとんどなかったので。『日経エンタテインメント』に出始めたのはもっと後だし、人のバラエティにゲストで出始めたのはこれ以降だから、ある種、きっかけになった取材だったのではと思う。この時は、近くにある某有名ホテルのスウィートを、タイアップということで私が半額に値切り、そこで大好物の芋焼酎紅乙女を呑ませながら話を聞いた。写真も普通に撮っちゃつまんないので、映画『恋する惑星』が流行っていたので、クリストファー・ドイル風にカラープリントで特殊な露光で処理する感じで撮ってもらった。ベッドに写真集『ビートルズ・ヴィジット・イン・USA』やウッディ・アレンの単行本など、私の私物を持ってきて小道具として使ってみたが、結構『エスクワイア』誌のポートレートみたいに小じゃれた雰囲気になった。あとで志村氏のマネジャーがこれを気に入ってくれて、オフィシャルの写真にしたいというのでOKしたから、今でもこれがテレビ番組で使われることがある。
 弊誌初めてのサイバー連載「ハイテク・ヒッピーズ」という連載も、10年以上前に3年ぐらい続いたもの。メインライターは、今をときめく『交響詩篇エウレカセブン』の佐藤大氏だ。とにかく彼の遅筆には泣かされた。タイトルはご存じYMO『テクノドン』の曲名からの引用だが、『ニュータイプ』S編集長からの伝統があったので、「使わせてください」と当時の細野氏のマネジャーにお願いにも行って(C)も入れた。連載は、企画が少々トビ過ぎていて不時着することも多かった。『笑っていいとも』のパソコン通信版として企画した「パソ通ショッキング」というコーナーは、みうらじゅん氏からスタートし、カーツ佐藤氏、次のゲストにという風にリレーしていく予定だったが、現場でみうら氏がタイピングができないことが判明したり(今でもできないはず)、当時の回線が遅くてまともなチャットにならなかったりして一回で終わった。いや、次回をやるつもりで、吉田拓郎とか時任三郎とか加山雄三とか、パソコン通信のヘヴィーユーザーに絨毯爆撃で出演交渉してみたのだが、全部断られたのだ。インターネットと違って、当時はまだパソコン通信やってるっていうと、痛い人と思われたのだ。
 代案として始めたのが、東京で親元で生活する中流家庭の娘さんを紹介していた、昔の弊誌の人気企画だった「東京家付き娘」をもじった「東京パソ付き娘」。まだ、ホビーユース機を持っている女性が少ないころで、マッキントッシュを持っているオリーヴ少女みたいな娘さんを毎回出そうと思って企画した。「誕生日のプレゼントは、ティファニーのブレスレットより50Mのメモリのほうがいいな♡」と狙い通りのコメントをしてくれる子もいて、スタッフは大いにウケた。でも途中で出てくれる人がいなくなって(まだ女性マックユーザーも少なかったのだ)、後半では、バッファロー・ドーターのシュガー吉永氏に無理矢理出てもらったりした。申し訳ない……。
 ここの来客の人に一番ウケるかも知れないネタとしては、「下戸パワー」という特集が面白かった。私が下戸なのでというところから発想したものだが、当時人気があった、ダウンタウン大仁田厚、サッカーの三浦知良なんかが揃って下戸だというので、「時代は下戸が作る!」というコンセプトを打ち立ててやってみた。興味深いので、以下、出てきた資料からリストを一部抜粋してみる。


(下戸リスト)
【タレント】
ダウンタウン北島三郎松山千春、宇崎竜堂、永六輔植木等竹中直人高倉健緒形直人、長瀬正敏、峰竜太大川豊大川興業元総裁)、三波春夫世良正則平沢進泉谷しげる山塚アイボアダムズ)ほか
【政治家】
江本孟紀安部晋三浜田幸一、野末珍平、横山ノック山口敏夫ほか
【文化人】
逸見政孝角川春樹淀川長治小沢昭一水島新司遠藤察男(脚本家)、遠藤実杉作J太郎ほか
【作家】
いとうせいこう、丸山健司、菊池秀行、赤川次郎橋本治荒俣宏生島治郎胡桃沢耕史早坂暁ほか
【スポーツ選手】
江夏豊三浦知良川淵三郎Jリーグ・チェアマン)、佐山サトル大仁田厚藤波辰巳ジャイアント馬場武蔵丸ほか
【歴史の偉人】
ナポレオン、毛沢東織田信長西郷隆盛ほか


 で、この時、下戸代表ということで何人かにご登場いただくページがあって、なんとミュージシャンを代表して平沢進氏が登場。平沢氏がこれまで受けた取材でもっともC調な取材だったかも知れない。だが、三波春夫先生も出ていただけたので、平沢氏的にも格が上がったと思ってもらえたのだと思いたい。
 「下戸の編集者が作って、下戸賛美はいかがなものか」という当然の外野の声もあったので、ヒール役を出そうということになり、誰かいないかなと思って、酒の名前を芸名に付けてるんだからこの人しかいないだろうということで、ホッピー神山氏に出てもらった。面白いぐらい下戸をバカする発言が出て結構ひいた(笑)。神山氏によると、PINK時代に、強靱なファンクサウンドなどを謳いながらも、メンバーに下戸が多かったために、地方公演の打ち上げがケーキと紅茶だったことに我慢できなかったらしい……。PINK解散の遠因になったのもこれだったのか。
 まあ、いろいろ面白い写真などもあったのだが、肖像権やコピーライトの問題があるので、ご興味の形はお近くの図書館で暇な時にでもバックナンバーをご覧いただけると、小生は嬉しい。

写真が使えないので代わりとして、これは昨年末に別冊の袋とじのグラビア用として、青木りんがAVデビュー前に撮った着エロのコンテ。こういうのも週刊誌編集者の仕事なのだ。ぬいぐるみを着させる趣味は、ナスターシャ・キンスキーではなくて、柴田恭兵夫人になったジョジ後藤のキリンレモンのCMのイメージ。「お兄ちゃん。私でキスの練習してもいいよ」は後輩に笑われた。知らんのか、あだち充を。

これはロッカーから出てきた謎のシール。なんだったんだろう。エキセントリック少年ボウイじゃないし……。真ん中のは、今夜夢に出てきそうだ。