POP2*5

過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

うんこ女、究極の選択(たぶん最終回)




 昨晩上げたエントリで、“リブログ”にまつわる所感をまとめてみた。早速、津田大介氏のtumblrでとりあげてもらったようで、そこから来たとおぼしき読者から、久々にブクマや星マークをいただいてちょっとだけホクホク。ホント、ここの読者の人ってまったくリアクションがないというか、気配を消して読んでるみたいで。他人の揚げ足取りのブクマコメントには、星印がたくさんついてるってのに、どういうバランス感覚なんだろ。やっぱり「情報発信者の労をねぎらう」なんて大人な発想、日本のネットユーザーには希薄なんだろうな。こんなこと書いてると、「チヤホヤされなくて文句言ってる」って、また文意の読めない輩が書くんだろうけどね。
 今回も案の定、津田氏が引用したフレーズのみが、パンデミックのごとく、各人の“リブログ”へと孫引きされて、ツリー状に伸びている。中にはヒドイことに「これってTwitterのことですね、わかります」というような、本文読めば一目瞭然なことをしたり顔で指摘している、ピントのズレたコメントが付いてるものもあったりする。せっかく紹介してもらっても、リンク辿って本文を読まずに、わかった気になられてもな。いや、津田氏の見事なカットアップが、映画の「予告編」のように「本編」以上のオモシロサを伝えてるってハナシなんだろうけど。「予告編」はしょせん「予告編」。テレビと映画も別物だし。こっちは、巷で流行の“リブログ”では伝えきれないような、ビミョーなニュアンスを伝えたくて、わざわざ「本編」として長文で書いてるんだからさ。
 「コンテクストから、フレーズを抜き出すだけじゃ、何の理解にもたどり着けない」。そう苦言を呈した先から、この有様だよ。ホント、大丈夫なんだろうか? 本来その人の持つ情報処理能力を超えたファイリング力を、“リブログ”は授けてくれるかもしれないけど、アナタの頭の処理能力がアップしたわけじゃない。そんなの「読んだ気分」「理解したつもり」になってるだけじゃん。差別者の誹りを受けることを覚悟して書くけど、結局思うのは、ブログすら続けられない「敗者の吹きだまり」が、悲しいかなサービスの中心に居座って、規範となるべきリーディング・ユーザーになるどころか、本来のリブログの持つ可能性を「日本風」にねじ曲げてるように見えてしまうってこと。なのに“リブログ”のエンジンに集めてもらったソースを、あたかも自分の手柄のように勘違いして、「高見からものを言う」配慮に欠いたコメントが、無反省に垂れ流されている。この「敗者復活戦」から、一昨年の「M-1」のサンドイッチマンみたいな、綺羅星のごとき書き手が本当に現れてくれるといいんだけどね。
 これ読んだ“リブログ”のユーザーが、「自己満足でやってんだから、他人にとやかくいわれたくない」と言うのはわかってる。萌え文化への批評についても、「好きでやってんだからほっといて」だったし。何度も言うけど、それ自体を批判してるんじゃない。そういう安直さや「楽ちん」への迎合が、日本ではマジョリティになりやすく、いずれ本流の文化を浸食することにもなるということに、「自覚的であれ」と言ってるだけだ。こちらが説くのはそこまでで、そっから先は自分で考えればいい。「pi●iv」を会員90万人のマンモスSNSに成長させた“萌え特需”は、どうみても「浜崎あゆみ的な大衆化」だと思うのに、それをクラブ文化へのスライドさせて、新しい文化の根だと語ってしまう「自己肯定」なんてちょっとやりすぎ。そんなに「モラトリアム期間」を延長して、その先の人生どうするつもりなの? 鈴木謙介がやってる、TBSラジオ『life』みたいなものが人気を集めてしまうってのも、なんでも「言い得て妙」がまかり通ってしまう、“リブログ”的なキャッチーなコピーライト文化に「やられやすい」、リスナーや利用者の軽薄さを表してるだけだと思うし。「雑誌文化」の回の“マスコミごっこ”たるやヒドイもの。全員シロートの編集者が集まって、ミニコミと商業誌をいっしょくたに語ってることに、誰一人気付く気配もない。それで賢人会議だなんて、呆れるばかりだよ。
 フェアユースの概念が、いま話題になってるけど、あれだって相当な両刃の剣であること、わかってる人どれくらいいるんだろう。最近のディズニーの日本への強権的な態度も、米国内での「フェアユース裁判敗訴」が口火を切って、閉め出された圧力の矛先を国外に求めてのことだし。テレビ中継もされずスポーツニュース局でも取り上げない、米国内では不人気な「WBC」が継続してるのも、放送権のサブライセンスが高く売れる、日本人やアジア人をカモにするため。これ自体を取り上げて、フェアユース問題を逡巡するのは筋違いかも知れないが、「ユーザーの理想」の建前を推し進めていくと、代わりになる代償(収入源含む)を巡って、誰かにババを引かせなきゃいけない。カリスマブロガーとしてワタシも一目置いていたばるぼら氏が、一切ネットに文章を発表しなくなった理由として、「不届きな引用がまかり通るようになったから」と私感を表明している。「どうしてこうも日本人は、自分の過去の反省もなく、皆が流行に一斉に飛びつくんだろ」と、加速する“リブログ”ブームを見て、半分呆れながら思う。「ブログブームはどうしちゃたの? 誰一人まともに続けられなかったじゃん」。もうそれしか言いたいことは浮かばない。
 誰かが言わなきゃいけないんだろうから、自分が書いてみた。ワタシもそろそろ、「POP2*5」を店じまいする準備をしなきゃいけないね。その先があるかどうかは、自分でもわかんない。





(執筆後記)
 前回、今回ともだけど「引用」にまつわる記述は、“リブログ”全般というより、tumblrを指したものですな。なんか自分で書いててもしっくりこないなと思ってて、少々混同してた(笑)。と言っても、使ってるユーザーの素性という部分では、大きく変わらないと思うけどね。書き終えて改めて感じたのは、例えばtumblrにしても、「引用でしか表現に参加できない人たち」を自己肯定するためのツールのようになってるということ。「pi●iv」が、マンガと言いながら女の子のポーズ絵やハダカばかり描いてる絵師に市民権を与えてしまったみたいに。「引用」や「萌え絵」にまつわる、これまで抱いていた後ろめたさが、「他のみんなもやってるから」で一気に払拭されてしまったような。
 tumblrの平和利用(笑)の一形態である「エロスクラップ」にしても、おそらくみうらさんなど先導者がいたことがエクスキューズになってると思うんだけど、でも、みうらさんの学生時代にtumblrがあったら、みうらさんは「エロスクラップ」なんてやってなかったと思う。「誰もがやらないバカバカしいことだからこそ、本気でやる」それが真の表現者を駆り立ててきたわけだからさ。
 “リブログ”はしばらくブームとして続くだろうから、それまで宣伝などの必要のない限りブログはお休みします。理由は各自でお考えください。ブームはいずれ終わると思うので、そのころまたお会いしましょう。アディオス!