POP2*5

過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

面白辛口コラム「「pi●iv」とアンカーとオタクの話」(すねふぃん、bardiche-assaultを叱る)


けいおん! 1 (初回限定生産) [Blu-ray]

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 今回のテーマは、こないだのエントリで私感をさくっと述べ、わざわざヘッダに曼荼羅みたいな絵で図解までして、発言をフォーカスしたbardiche-assaultのアンカー発言についてである。


にーてんぜろで反応がなかったって言うけど、あれか、読者はいちいち素晴らしいだの同意だのと表明しないとアカンのか? これまでの実績や知識、調査力を評価しているからこそ黙ってROMってたと言うのに。 (bardiche-assault
 過日、知人から「先日のエントリで書かれてたの、どーゆー意味?」って聞かれてしまった。もー、アンタもゆとりかよ!(笑)。というわけで今回は、その話にもうちょっと踏み込んで、小生の日頃の考え方を文章にまとめてみることにした。で、その前にもう一人、gntの書いてるアンカーだけどさ。


その中途半端さがますますキライ。ベックとか平沢とか御大を出しちゃう辺りが。いっそ「ラッドウィンプスが大好きで!」ぐらいやれよ、と。動機付けがひたちなかだか幕張だかを見て、というとこまでいってるのに(gnt
 『けいおん!』1話と2話を観ただけのアニメ素人が感想を書いてるエントリなのに、お前文脈も読めないの? 予知能力者かよ。少しでも書いたものを推敲してから投稿しなよ。あんた一人のせいで、「これだからアニメファンは……」って世間から言われるんだから。


なんかソレ「さいきん親友のA子とケンカしたの。ヒドイのよ! だからワタシ、今はB子のグループと遊んでやるんだ!(でも本当の友だちはA子だけ……気付いて)」的な。(gnt
 ハイハイ(笑)。こいつのはてなHPみたけど、アンカーで社会を斬るってマスコミごっこが空しいね。

 例えばの話。ここにもアップしている「レスポールネタまんが」なんかを、「pi●iv」に投稿するといつものようにギャラリーから最低点をいただく。もうこれが日常的な風景になりつつある。自分の作品を甘めに評価するような性分じゃないから、注目されないのは努力不足と運の尽き、仕方ないと思っていちいちゴネたりはしないけど、じゃあ他の高得点作品が何かっていうと、「『けいおん!』のメンバー脱がしてみました」だの「平沢、ギターでオナニー覚える」だのくだらないものばかり。それ、『けいおん!』である必要ないじゃん。パロディ以下じゃん。なんでも「愛があれば許される」ってわけじゃないだろ。無論、小生のような『フリテンくん』みたいな非お洒落マンガは、そもそも場にそぐわないって意見はわかってるけどさ。ここは仕事で疲れて帰宅したときに覗く、「大きなお友達の解放区」ってそちらの言い分も、理解してないわけじゃないけども。
 でも、新勢力となったこれらインターネット・サービスが、既存の新聞社、ラジオ局、出版社の勢力図をひっくり返す時代。ユーザー70万人を超えた「pi●iv」は今、ビジュアル系に強い出版社にとって目の離せない存在になってるし、アナクロな手作業の新人マンガ家の持ち込みよりも、パソコンで色塗りできるってだけでスカウトの厚遇を受けられる現状もある。そもそも「pi●iv」の土台を支えている技術が、SNSソーシャル・ネットワーキング・サービス)であることでわかるように、まがりなりにもここはソーシャルな空間。昨日まで誰も知らなかった無名作家の描いたマンガが、旬のクリエイターやパロディ作品の原作者、出版社にもきちんと届いて、刺激することだってあるかも知れない「可能性のある場」なんだから。もう少し、「表現者」の末席にいるって矜持があってもいいんじゃないの。
 そもそも、こういう意見を語る人なんて圧倒的に少数派なのに、それさえ根絶やししたがる全体主義みたいな考え方は、どうみても健全じゃない。他人の掲示板やアンカーをあらしてギャラリーの意見誘導してるヒマがあったら、自分のブログで長文したためるとか、パロディマンガで表現すればいいだろうに。そもそも、自分らみたいなロック好きにとっては、自虐ネタはごちそうみたいなもん。むしろ「そこ笑うトコ」って思ってるぐらいなのに、アニメオタクって、自分が対象として笑われていることがわかると、単純に脊髄反射で発狂してる人が多すぎるよ。“自虐”を笑いとして受けられないから、「精神的に成熟してない」って言われるんじゃん。アンカーに「原作嫁」って批判があったから、こっちも真に受けて立ち読みしたけど、なんだありゃ。これを「一定の水準にあるマンガだと見抜ければ一人前」って話なら、俺は降りるよ、バカらしい。つか、そもそもロック映画や小説の名作の存在もなんも知らずに、マンガとアニメしか知らない世界で言ってるだろ? 力のある制作会社である京アニさんが、「音楽+アニメ描写」のシナジーで、あの原作をどうにかしてくれるだろうことには一票投ずるつもりではいるけどさ。それはちゃんと観てから書くよ。強要なんかされたかない。
 『pi●iv』も今、『けいおん!』ネタの投稿ブームで、「自分は実はロック好きでした! うれしー!」なんて、またぞろ大声上げてる人がいっぱいいる。だけど、4人のキャラがロックの名盤のジャケに出てくるパロディ投稿なんて、何十年前のロック同人誌のセンスだよ、それ。『BECK』でもやってたじゃん。こっちが「ワタシはじゃあ、レスポールの伝記パロディ描いてみたよ」ってああいうの投稿すると、そーゆーんじゃなくてって反応だし(涙)。アニメオタクって、いいわけばっかりで、その実ただダサイだけじゃん。
 「pi●iv」に入ったばっかりのころは、「みんなプロじゃないんだろうけど絵うまいなあ」とか、こういう世界初めてだったからいちいち感心して、いいもの見せてもらった相手に対して、これはと思う作品があるとワタシはバンバン評価点を進呈していた(ただし10点満点のみ。「イマイチ」って思ってもソレは自分で気付かないと意味ないから、マイナスー2で「8点」なんて不遜なことはしない)。ところが、しばらく毎日投稿を続けてても、自分の投稿にさっぱり点数が入らないのなー。「営業活動」と称して投稿時間を変えてみたり、萌えイラストまがいのものも描いてみたけど、反応はさっぱり。結局、ランキングの上位作品を観て一目瞭然なように、「限りなくオリジナルそのままの、まがい物の模写」だけしか住人が認めないことがわかった。それじゃ自分も不憫な気持ちになるし、他人に対して点数入れるのもお義理みたいな気がして醒めてしまった。というか、「pi●iv」に溢れる、パンチラとかアホらしいポルノ紛いの投稿作品のワンパターンに呆れて、ウォッチングそのものをやめちゃったと言ったほうが正しいな。こないだ小生が書いた「pi●iv」批判のエントリを読んだ人から、「オタク界では、自分が知らないものには発言しないのがマナー」とギョーカイ通らしいアドバイスをいただいたことがあったけど、それって典型的日本人のことなかれ主義でしょ。我々が他者を評価するときの基準にしている「未知のモノにこそ投資の価値がある」って考え方とは、ここは真逆なのな。自分と似た考え方とか、できあいのものとかに点数が集まるというメカニズム。だから「観たことがないようなグッとくるアングル」、「オリジナルな表情を切り取って見せる」とかよりも、「塗りの綺麗さ」というように、頭を使わない方向に流れが行く。むろん全否定じゃない。それを何度も言ってもわからない奴がいるからしつこく書くけど、全部がダメっていってるわけじゃない。何度も書かないと伝わらないところがまたチャイルディッシュで凄いんだけどさ。たった一つでもそういう批評がでない空間って、自民党戦後60年体制みたいなヤバイ状況なんじゃないの? 
 昔、立花ハジメ氏のアルバムで『テッキー君とキップルちゃん』というコンセプチュアルな作品があった。テッキーくんと言うのは、オタ趣味に理解はあるけど肌は陽に焼けた、「テニスするパソコン少年」の意。実際に同コンセプトで、テニスラケットを持った少年のパソコン生活なんていうCMもまたぞろ作られて、80年代には「オタクの進化」をヴィジュアル化した表現の一つとして、さまざまなメディアでよく観られたものだ(『ブルータス』のパソコン特集とかね)。しかし、「オタクの進化」の“リアルなその後”はどうなったか? バブルが崩壊すると、男ども(当時はオタク≒サブカルで十分通用したと思う)がモテ戦線から離脱。生き方も身の振り方も、『ホットドッグプレス』読んで学んだ女性をくどくテクニックも放っぽり投げて、「オタクがモテをあきらめた」と宣言。そのバブル後の瓦礫の果てに、今のニッポンがある。「モテない上等」と開き直居ったパワーは、確かに一時は経済を推し進めるほどだったけれど、『電車男』ブームも今は昔。某週刊誌に「不況になっても無自覚にモノを買う、オタクすら経済活動できない時代」と総括される時代になってしまった。
 むろん、一方のサブカル状況の衰退ぶりに比べれば、「オタク側はまだマシ」という意見もあろう。しかし、今の一時的な「萌えマンガ」特需で、仮にデビューして経済的に勝ち組になったところで、彼らがヒーローになれるのは「pi●iv」のような大きいお友達の特殊空間だけ。一般に向けたポピュラリティを持つほど、メジャーな存在には至らないよ。それほど、作ってる内容が幼稚でお粗末だと思う。「pi●iv」の底辺であえぐ小生など、その点ではサブカル側の最たるものだと思うが、我々世代の人間なんて、おしゃれなニュー・ウェーヴひとつ語るにも、田舎出身という十字架を背負ってる意識がある。東京生まれのディレッタントとは根本的に違うという、諦めに似た自覚があって、日々“表現者”をやっている。だからこそ、もっと“発言力”を持ちたいと努力もするし、絵を描くならば「デッサン力がないとそもそも表現にならない」と足下を見つめて精進している。そうして力を付けてきたという自負がある。
 70年代末の「パンク・ムーヴメント上陸」は、音楽マスコミ史の分水嶺となったパラダイムであり、例えば音楽評論家の勢力図に一つの亀裂を与え、イーグルスAORなどのアメリカンロックを信奉し続ける者と、ノイズのような未知の音楽にこそ価値があると考える者、大きく2つの流れに分派したといわれる。すでにキャリアもある高齢の音楽評論家がパンクに開眼し、長かった髪を切って、アメリカンロックのレコードを全部捨ててしまったという豪快な生き様は、70年代末期の時代状況を伝える格好のエピソードとして、拙著『電子音楽 in JAPAN』の中にも登場してくる。リアルタイムにそれを知っている小生も同様、趣味の良し悪しということに自覚的にならざるを得ない時代だった。中学校に入学して異性とかモテとかを気にし始めたり、大人への憧れが強まる思春期のあのタイミングで、ワタシを含む多くが、ガキのころ買ったアニメのレコードを一度捨てて「大人」になった。このとき、アニメのレコードを捨てた人と捨てなかった人では、その後の人生は大きく違ってると思う。むろん、今小生がどうなったかというと、一度は処分したくせに海援隊のシングルをいまさらヤフオクで集めたりして(高いんだよな〜、トホホ)。それも一度離れてみたから発見できた魅力ってものがあるわけで、今は「一生の友にするつもり」で、思い出集めに奔走している次第だけども。
 一応念を押しておくけど、これもまた「アニメのレコードを捨てなかった側」を全否定してるわけじゃない。むしろ「アニメのレコードを捨てなかった人」の側から、すごく優秀な音楽評論の書き手が登場することを、ワタシは待望している。それは以前、「POP2*0」時代のエントリで書いた「ロック名盤ガイドを神格化して音楽ライターやってるような人」への批判コラムに、反語的に現れていると思う。「いかにビートルズ『レット・イット・ビー』が名盤か」なんてことを、いまさら20代の音楽ライターに講釈垂れられたってこっちは読みたかない。例えば、「電波ソング系」とか「ポストPerfumeの最右翼は?」なんて新しいテーマで書かれた、唯一無二のオリジナルな最新レポートのほうがよっぽど価値があると思う。そのついでで言えばさ。先の「pi●iv」の「『けいおん!』のキャラを使ったロック名盤ジャケのパロディ」みたいなものが、ワタシには気味悪いと思うのは、「アニメのレコードを捨てなかった側」の人が「ロック名盤ガイドを読んでロックについて語ってる」みたいな、愛のない安直で薄ら寒いものにそれが映るから。自覚ないと思うけど……自覚ないからコワイんだってば。
 最初に話を戻すけど、「これまでの実績や知識、調査力を評価しているからこそ黙ってROMってた」というのも、それは一見口当たりよく聞こえるけど、bardiche-assaultの勝手な言い草でさ。読者から感謝の意思がまったく伝わってこなけりゃ、こっちだってボランティアじゃないから、とっとと店畳んでで別んとこ行っちゃうの当たり前でしょ、普通。「黙ってるところに尊敬がある」とかいうレトリックは、本当にクセ者だよ。以前、田山なにがしというライターが、自分が監修した『レコード・コレクターズ』の高橋幸宏特集で、「一目置いてるから」ってワタシにコーナーの執筆を依頼してきたくせに、オフィシャルな仕事をこちらが引き受けた途端に、四方なにがしといっしょになってワタシをテクノ村八分(笑)にして、出典隠蔽したりパクッたり酷いことをやり始めてたじゃん。「黙ってるところに尊敬がある」って勝手な言い草と、そういう連中の黙ってパクるような行状と、どこがどう違うのか説明してもらいたいもんだ。それぐらい意識は低レベルにあると思う。
 「pi●iv」に入会当初、好きな作家のモチベーションになるように、なるべくいい作品には評価点をあげていたと書いたけれど、ここには投稿者側の一人でもある自分の嘘いつわざらぬ気持ちがある。誰の制約も受けない場所で、自分を信じて描いてますって強がってても、それが世の中に受け入れられているかどうかについては、常に不安があるもの。もし仮に、アナタに実際に応援している作家やブロガーがいれば、それとなく一言感謝のメッセージを伝えるのが、大人の社会の礼儀ってもんだ。なにが「これまでの実績や知識、調査力を評価しているからこそ黙ってROMってた」だよ、アホ。「黙っててもわかるべき」とかいうのは、いい歳したヒキコモリが、自分のママを叱りつけるときに言うセリフだろ(笑)。
 “情報の共有化”を一つの理想に描いて一人一人がボランティアでリソースを公開し、情報の利用者が送り手に尊敬の念を込めて投げ銭や星印の評価することで、その循環によって「無償」で膨大なデータベースが作られてきたインターネットの歴史があることを、bardiche-assaultは肝に銘じておくべき。「感謝するのが当然」と、言葉で露骨に書いてないところが、かわいげのあるブログだというのに(笑)。強要なんてワタシの美学にも反するし。つーか、そういうことは本人にグズグズ言われる前に、一目置いてるっていうんなら自分の判断で自発的に行うべきでさ。「なんでも情報はタダ」って思ってるのは、社会人経験がないヤツの言い分だよ。無自覚にこんなお粗末なアンカーを書いちゃうぐらい、精神的におこちゃまだから、なんでも言葉にしてイヤミ書いてるわけじゃん。まったくの堂々巡りだよ。
 最後に一言書いておくけど、大人の世界にはルールがあって、いくらそれまで「尊敬していた」とか「一目置いてきた」とか言ったって、あのアホらしいたった一つのアンカーですべてご破算になったと思いねえ。最初は侮辱したくせに、相手が怒った途端に「言いすぎた」なんて反省してるヤツの物言いを、ワタシは信じない。「後から謝ればなんとかなる」、こういう甘い考え方のやつが、必ず言い出しっぺに目立つような暴言を吐く。トラブルメーカーは常に同じ人間。ワタシの半生を振り返ってみても、問題人物は永遠にそのことに気付かずに、いつの時代も身勝手に他者を傷つける。この「甘えの構造」に無自覚なヤツに、性格矯正なんてムリなんだよ。bardiche-assault、お前のことだよ。永遠にネットに自分のログが残るってことを自覚して行動したほうがいいと思うけどね、今後もここを見るつもりがあるんなら。こっちはまったく迷惑千万なんだが。
 一昨年、『人は見た目が7割』という本がベストセラーになったように、「社会性」ということを前提に考えると、まだまだ社会で自分の意思を相手に伝えるためには、うっとおしい「大人のルール」がたくさんある。お洒落でもなんでもない小生ですら、ソーシャルな場ではジャケットを羽織るのが、交渉を円滑に進めるためのマナーだと思うし。昔、設立当初のアルファレコードが、大手のメジャーレコード会社にバカにされないように、営業マンはアルマーニやアルファキュービックを常用させてたって笑い話があるけども、それで交渉が円滑にいくなら安いと思うもの。差別的言い方だと承知して言うけど、ブクマアイコンを「アニメ美少女」にしているような人の言い分が、一般社会で聞き入られて当たり前と思うような奢りは通用しないよ。少しは頭を冷やして、いかに自分の発言が、その「美少女アニメ」アイコンそのものの精神レベルであるか、考えてみなされ。無論、それを貫き通すなら、(ワタシみたいに)フリークスとして生きることを自覚して、日々ブログなどに論考を発表するなどして、少しでも発言に力を持つよう努力するべきだな、ちょろちょろアンカーじゃなくてさ。


(執筆後記)


 ああ、また「見えない敵と戦ってる」って書かれるんだろうな(笑)。「反対意見を根絶やししてるの自分じゃん」とも。まったくもって発言責任所在なしというか、摩擦回避タイプというか、そっちからケンカ売ってたクセにこっちが反駁すると「オラしらね」「大人げない」だもん。たぶんこういう輩は、自分の息子や娘が目の前で虐められることがあっても、いつの間にか姿を消して、物陰から「見えない敵と戦ってる」とチャチャ入れられる精神の持ち主なんだろ。我が子や仲間を守るために相手を糾弾しても、こいつらはしたり顔で「大人げない」というのだろうか。ああ、世紀末(始まったばかり)。


(追記)


 仕事に出る前にちらっとアンカーを観た感想を一言。個人が個人の体験を元に、多くの文量を費やさないとニュアンスが伝わりにくいことをそれなりの文量で書いたエントリを、無理矢理自分の話題に引き寄せて、ニュアンスをそぎ落として「一般論」に翻訳したり、短いアンカーでしたり顔で「セカイ」を語るのなんて、行動としてまったく意味ないんじゃないの? 俺が読みたいのはトラックバックで書かれたものだけだよ。共有財産となるリソースも提供できない、ネットの肥やしでしかないアンカー芸人は引っ込んでろよ。
 こっちはプロレス興行のつもりで提供してる部分もあるのに、会場に来て「プロレスの無意味性」について語るのなんて、フェアじゃないというかアホのすること。意味わかる?


今、帰宅しますた。最後にもう一言。


 今帰宅して続きのアンカー見たけど、『POP2*0』時代からここのエントリはほとんど自虐ネタだよ。とっておきの文言が「読者のブログ主に対する印象がまるで告発内容と同じ」って、それそのままじゃん。そもそも、オリジナルのブログ主の論考を拡張するために存在するもんじゃないの、アンカーって。「意見A」に対して、「意見A'」、「意見A''」、「意見B」と分かれていくみたいに。それがなんで、いいとかわるいとか小学生の感想文みたいな二分論になっちゃうのわけよ。こっちは話題を提供してるのに過ぎないし、各人の意見をフィードしてもらってこちらも学習したいのに、トラックバックするヤツはいないし(アホすぎて長文書けませんってか?)、なんで自らリソースをなにも提供しない、くだらないアンカー職人しかいないのかさっぱり。ミンナ日本人ナンデスネ。
 「面白辛口コラム」なんて言ってるわけだから、小生が激高して書いてるわけじゃないのに、何度説明すればいいのやら、まったく。粗っぽいエントリを書いてるのは客寄せ興行だし、事前に調べて、誰もが書いてないような内容だから書いてるってだけなのに。気に入らないからってブログ主の罪悪感かきたててリソース潰ししてたら、いつかはそっちが自滅するでしょ。リソースがなきゃアンカー存在し得ないんだから。ロジックの欠陥なりをトラックバックで応酬するのがネットのインタラクティブ性だと思うんだけど、誰一人ブログで応戦しない理由がわかりませぬ。言いたいことはそれだけ。アンカー人生空しくないのかな? だって少なくともオレは見ないよ、そんな激つまんないニュースクリップ集(笑)。
 また、アンカーの豆粒みたいなプライドを傷つけてみたけど。今度はどんな反応あるんだろう? また堂々巡りなんだろうか……。オレ、不当な世論誘導許さないから、いつまでもやるよ。


 無視してんじゃねーぞ、bardiche-assaultgnt。この卑怯者が。



 確かに、これだけはアンカー陣が指摘している通りかもしれない……。




悲しき独りプロレス。発信が生産者でなく「消費者のもの」な「CGM」では『「表現者」の末席にいるって矜持』なんてあるわけないし、そこで目指されてるのも“情報の共有化”じゃなく「馴れ合い」だし(kadotanimitsuru
 あちゃー。SNSの運営者がそれ聞いて「はい、そうです」とでも言うと思うのか(笑)。「ゆとり」もいい加減にしろや。そんなこと十分分かった上で、次フェイズに飛翔するためにやってる論考だろーが。


他人の言葉を借りずに、自分の言葉で説明してみなさい。「甘えるな!」はこっちのセリフだよ>Erlkonig
つーか、いい加減勘違いにバカバカしてくなってきた。個人サイトで、個人がきちんとした体験を元に、世間でジョーシキとされるようなことにけっして屈せず、思考のワンノブゼムとして別視点を提示するってことが、なぜ「強要」なのか? 多くの人がブログを使って、意見A、意見A'、意見B……と拡散させれば、意見Aのインパクトも薄らぐだろうに。それすら誰もせず、人のブログにのこのことやってきて、個人の体験どころか他人のロジック借りて、何らかのエフェクトを期待するほうがよっぽど「強要」だよ。甘えるな!
 何に対して、こちらが挑戦を仕掛けてるのかわからないの? あくまでワンノブゼムとして書かれた数十億分の一のブログに、勝手に乗り込んできて言い返せないトラバコメであることをいいことに一方的なセリフを吐き捨てる「言葉の暴力」に対して、正々堂々と処してるだけじゃん。ここのブログが多少攻撃的とはいえ、それは別エントリで書いてる通りエンタテインメントの範疇で書かれたもので、けっして生半可なロジックで書かれたものではなく、それは十分熟考されて書かれたものだからかんたんに揺らぐはずはなく、作者が責任をもって誤解があれば解き、言葉が足りなければ別視点でこう説明すれば伝わるでしょうとやっていることに対して、最初に罵声を浴びせかけた人間は、言葉を聞き入れて歩み寄ることもなくなぜか「全員」雲隠れしてる。「全員」だぜ。「言葉の責任」も果たせず、なにが正論だよ。ただの卑怯者だろ。