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過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

<東京の夏>音楽祭2009「大野松雄〜宇宙の音を創造した男」(イベント)のおしらせ

鉄腕アトム/音の世界

鉄腕アトム/音の世界


第25回<東京の夏>音楽祭2009 日本の声・日本の音
<アトムの音をつくった伝説の音響クリエイター>
大野松雄〜宇宙の音を創造した男


■ 日時 : 7月14日(火)19:00/18:30開場
■ 会場 : 草月ホール
■ チケット : 全席自由:4000円(4月25日土曜日より予約チケット発売開始)

ーーーー 「鉄腕アトム」「惑星大戦争」から、つくばEXPOパビリオンまで、
ーーーー 音の錬金術師、待望のライヴ!
ーーーー「この世ならざる音」が舞い狂う


 「ピョコッ、ピョコッ」というアトムの足音。アニメ黎明期に、非凡なSFサウンドを生み出した希代の音響デザイナー、大野松雄は、78歳になる今日まで、「この世ならざる音」を探求し続けている。Astro Boyサウンドの生みの親として、日本のアニメーションを愛する海外のファンにも親しまれている。また、勅使河原宏松本俊夫真鍋博監督の映画や、舞踏家土方巽大野一雄のための音響も手掛け、つくばEXPO’85、アジア太平洋博覧会福岡(1989)、など大型パビリオンの空間音響システム・デザイナーとしても知られる。
 
 アトムと共に世界に発信されていった日本アニメーションサウンドの原点。アヴァンギャルドな大野サウンドが光るライヴ・エレクトロニック・ショー。音響を手掛けた代表的な映像作品も併せて上映。

 
大野松雄/プロフィール】


 電子音響デザイナー。1930年東京神田生まれ。府立六中(現・都立新宿高校)を経て、旧制富山高等学校中退。文学座、NHK東京放送効果団を経て独立。 63〜66年TVアニメ『鉄腕アトム』の音響デザイン。小杉武久がアシスタントとして参加。『宇宙戦艦ヤマト』『ドラえもん』の音響で知られる柏原満はレコーディング・ミキサーを務め、大野松雄を師と仰ぐ。
音響を手がけた映像作品に、57年勅使河原宏監督「いけばな」、59年松本俊夫監督「安保条約」、60年桜映画社/中外製薬「自然のしくみ―ノミはなぜはねる―」、64年真鍋博製作アニメ「潜水艦カシオペア」、76年暗黒舞踏土方巽出演映画「風の景色」、77年東宝映画「惑星大戦争」等多数。東京・青山の大野のスタジオは60年代から70年代にかけてアヴァンギャルド周辺芸術家が集う梁山泊となっていた。出入りしていた音楽家に、一柳慧武満徹小杉武久坂本龍一などがいる。
68年以来、滋賀県知的障害者施設で演劇活動に協力し、知的障害者と施設の記録映画を制作。つくばEXPO’85、未来の東北博覧会(1987)、アジア太平洋博覧会福岡(1989)、などパビリオンの空間音響システム・デザイナーとしても知られる。93年から01年京都芸術短期大学(現・京都造形芸術大学)講師。アルバムに「大野松雄の音響世界」3タイトル(キングレコード)ほか。09年3月、「東京国際アニメフェア2009 第5回功労賞」受賞。


【プログラム内容】


■上映 大野松雄の電子音響による短編映画傑作選
・科学映画 『血液−止血とそのしくみ』(1962年/カラー/26分) 
 監督:杉山正美、二口信一 デザイン:粟津潔 解説:川久保潔 制作:桜映画社
・アート・アニメーション『潜水艦カシオペア』(1964年/カラー/6分)
 製作:真鍋博 原作:都筑道夫
・アート・アニメーション『追跡』(1966年/カラー/3分)
 製作:真鍋博 原作:星新一
・ドキュメンタリー『土くれ―木内克の芸術―』(1972年/カラー/17分) 
 文部省芸術祭記録映画部門最優秀賞
 脚本・監督:松川八洲雄 プロデューサー・撮影:楠田浩之・喜屋武隆一郎
 音楽:木下忠司 制作:隆映社


■ライヴ 《a point》 《Yuragi ♯8》
大野松雄(ライヴ・エレクトロニクス)
由良泰人(映像)
金森祥之(音響デザイン)
遠藤正章(オペレーター)


企画協力:堀内宏公(日本伝統文化振興財団
<協力>田中雄二


公演情報HP→http://www.arion-edo.org/tsf/2009/program/m03/


【プレイガイド】


※下記のプレイガイドでもお取り扱いがございます。残席状況につきましては、個別にお問い合わせください。


・チケットぴあ/TEL0570-02-9999 (一部携帯電話と全社PHSのご利用不可)/Pコード321-006
HPアドレス→http://t.pia.jp/
・e+(イープラス)
HPアドレス→http://eplus.jp/
ローソンチケット/TEL: 0570-000-407/(全国ローソン店頭ロッピーで直接購入できます)Lコード 34971
HPアドレス→http://www2.lawsonticket.com/

 小生が制作をお手伝いしている、今年の夏に行われるイベントを紹介する。63年にスタートした国産テレビアニメ第一号『鉄腕アトム』で、有名なアトムの「ピョコッ、ピョコッ」という足音のサウンドを作った著名な音響デザイナー、大野松雄氏の生涯初のコンサートを交えたイベントが、7月14日、草月ホールで開催される。主宰は<東京の夏>音楽祭を毎年出がけている、クラシックからワールド・ミュージックまで幅広いコンサートを企画していることで知られる「アリオン音楽財団」。昨年、ソニー系列のCS放送、アニマックスTVでやった開局10周年記念特番「テレビアニメーション55年史」でも、大々的にその足跡が紹介された大野氏だが、横浜トリエンナーレでの小杉武久インスタレーションでも、タージ・マハル旅行団のドキュメンタリー『「旅」について』が、監督の大野氏自らの新編集で特別上映。大野氏の経営していた綜合社が倒産したときジャンクと化した言われていたこの「幻のフィルム」が、その後ディスクユニオンを発売元に、『日本の電子音楽』(愛育社)の川崎弘二氏の尽力の下、DVDリリースまでこぎ着けたことに快哉を叫んだ現代音楽ファンも多いはず。手塚治虫生誕80年記念の今年は、NHK-BSでも連日手塚治虫特番が組まれて盛り上がっているが、数ある今年の『鉄腕アトム』関連の話題の中でも、このイベントは目玉になるものと言っていいだろう。
 拙著『電子音楽 in JAPAN』の取材で、小生が10年前に京都にお伺いしたとき以来ご縁があり、キングレコードから出た『大野松雄の音響世界』(全3巻)のライナーや、先のアニマックスTVへの出演、日外アソシエーツのデータベース本『日本の作曲家』の掲載時にお手伝いしたりと、巨匠のお仕事になにかと関わらせていただいている。現在は閉じられてしまったが、拙著の取材で最初にお邪魔したときはまだ京都のスタジオも現存しており、そこで抱腹絶倒の半生記をうかがいながら、制作中だったレイ・ハラカミレッドカーブの思い出』のリミックスを聴かせてもらったことを、昨日のことのように思い出す。猫堂……じゃなかった、犬堂一心の映画のサウンドトラックでもいい仕事をしている、京都在住のテクノ・クリエイター、レイ・ハラカミは弟子筋にあたり、小生が取材でお会いした直前のころまで、大野氏は京都芸術短期大学で講師として教鞭を執られていた。ここは今をときめく「京都造形芸術大学」の前身だが、在任中は新聞社の後援で、地元の子供達たちを集めて実際にアトムのサウンドの作り方をレクチャーする、「アトムサウンドのワークショップ」なども開催。しかし、単独コンサートは今回が初めてで、小生もどんな内容になるのかワクワクしながら、今から楽しみにしている。
 今ではすっかり有名な逸話になってしまったが、『鉄腕アトム』時代に大野氏のアシスタントをやっていたのが、後にジョン・ケージに見出され、ニューヨークのマース・カニングハム舞踏団の音楽監督に就任した小杉武久。『鉄腕アトム』の音響を制作していた綜合社という大野氏の会社は、万博関連イベント制作やタージ・マハル旅行団の活動支援をするなど、70年代は現代音楽クリエイターの梁山泊として知られていた。アルバム『鉄腕アトム/音の世界』をプロデュースした元めんたんぴんの吉田秀樹もその一人で、制作者として彼は他にも、坂本龍一と土取利行とのデュオ作品『ディスアポイントメント・ハテルマ』の音響操作などを担当している。78歳で現役クリエイターとして活動されていることには敬服するばかりだが、なにしろ武満徹のことを「武満クン」と呼べるクリエイターなど、現役では大野氏ぐらいしかいないだろう。NHK開局早々に「効果係」として入局するものの、レコード資料室にあったカールハインツ・シュトックハウゼン「習作II」を聴いて衝撃を受け、この新芸術を自らの歩むべき道と確信して、音響デザイナーとして50年代に活動開始。とはいえ、『鉄腕アトム』で高額のギャラをもらうまでは、自身の専用のテレコ機材も持っておらず、フラっとスタジオに現れては仕事だけして帰るという無頼ぶりが、当時のクリエイターのタフな創造性を感じさせる。
 よくインタビューで「シュトックハウゼンに啓示を受けた」と語っている大野氏だが、図形楽譜などの様式を重んじるドイツの原理主義的な電子音楽作家とは、志向性はむしろ正反対。東京美術学校(のちの東京芸術大学美術学部)に通っていた、勅使河原宏の同窓だったシュルレアリストの一人だった実兄の影響もあって、作風は自由さを謳歌するフランス発祥のテープ音楽芸術、ミュージック・コンクレートの美学に通じるものがある。日本の電子音楽の歴史は、NHK局内にできた電子音楽スタジオから54年にスタートしているが、音楽監督だった諸井誠の指導で厳格なドイツ・ケルンのスタイルに倣い、ここはフランスのコンクレートやアメリカのライヴ・エレクトロニクスの動きなどを、初期は認めなかった。作曲家の宇野誠一郎氏(『悟空の大冒険』『ムーミン』『ふしぎなメルモ』などの虫プロ・手塚作品で有名)と大野氏が、我流の電子音楽作品を作ったとき、テープを持って音楽部にギャラをもらいに行ったら、当時のNHKでは「(図形)楽譜のないものは(電子)音楽とは認めない」と言われて、ギャラは払えないと突っぱねられたこともあったそう。そのとき一計を案じた2人は、でたらめな図形を後から描いたものを「これがスコアです」と言って再度持って行ったら、今度はギャラが出たというから笑える。まるでコントみたいな話だが、NHK音楽部にとっても「電子音楽」という新芸術は、できれば関わらずに済ませたい鬼っ子的なものだったのかもしれない。
 電子音楽作家といっても、東京芸術大学出身のアカデミズムのお歴々とは違って、大野氏は文学座出身らしい演劇人的な酔狂のある方で、音楽的なインスピレーションはクラシックより、当時のフリー・ジャズなどに影響を受けていたらしい。電子音楽家としての足跡だけ見れば、フランスから晩年アメリカに渡った、エドガー・ヴァレーズなんかに近いのかも。ロシアからアメリカに亡命したストラヴィンスキーが、晩年に「私の敬愛する“3B”は、バッハ、ベートー・ヴェン、(ジェームス・)ブラウンだ!」と語ったという笑い話を聞いたことがあるけど、アメリカの音楽アカデミズムの世界は、日本ほどかしこまってないんだよね。あるいは、近年再評価が進んでいるニューヨーク派の傍流電子音楽作家トッド・ドックステイダーが、貧乏時代に『トムとジェリー』の「ヒュー、バタン」の効果音を担当していたという話なんかもスタンスは近いのかも知れない。当時の時代状況や大野氏の痛快な半生記に、ここの読者でもし興味を持たれた方がもしおられましたら、拙著『電子音楽 in JAPAN』や、『大野松雄の音響世界』に寄せた拙稿をお読みいただけると嬉しく思う。
 『鉄腕アトム』は日本で放送が開始した翌64年、「ASTRO BOY」のタイトルでアメリカでもオンエア。今年はハリウッドで制作された実写版リメイクの公開も予定されている『鉄腕アトム』だが、当時から「電気紙芝居」などと揶揄されながら、ディズニーやハンナ=バーベラを生んだ国アメリカで受け入れられたというのは、止まった絵を変幻自在に動いたように錯覚させる、「音のアニメーション」ともいうべき大野氏の音響サウンドがあったればこそ。初期の日本のミュージック・コンクレートというのはそれほど観念的ではなく、黛敏郎の第一作『ミュージック・コンクレートのための作品 XYZ』(53年)みたいに、女性のあえぎ声をコラージュした第二章「Y(卑猥の“猥”のダジャレ)」みたいに、大人の風刺マンガのようなエスプリがあった。『鉄腕アトム』での大野氏の特徴的な仕事として、原作のマンガに出てくる「ギョロギョロ」、「ニュッ!」などのオノマトペを、実際に読み上げた声を電子変調して使う“オーラル・サウンド”がある。これも紙のマンガのグルーヴをいかにして映像に置き換えるかという、ナンセンスマンガへの尊敬の念がある。なかでも、ワニが登場したときの鳴き声「ワニ!ワニ!ワニ!」の効果音が爆笑もの。これは60年代当時、ワニの鳴き声の音資料が存在しなかったために、その場で思い付いたという即興ギャグの産物である。さらに余談を付け加えると、虫プロが続けて制作した『ジャングル大帝』のときも、新聞社の資料ライブラリにはモノクロのアフリカの写真しか当時は存在せず、ジャングルの土や原生林の色が実際にどんな色なのかということは、スタッフの誰もわからなかったらしい。『ジャングル大帝』が「カラーテレビアニメ第1号作品」になったのは、スポンサーのサンヨーにカラーテレビを普及させる思惑があったためだから、番組のセールスに関わるジャングルの色彩設定に困ったスタッフは、どうすりゃいいのか板挟みに(笑)。結果、ゴッホ抽象絵画みたいな原色カラーで、一種のファンタジーとしてアフリカ大陸を描いたわけだが、当時のカラーテレビの色のパフォーマンス(再現度)が、技術的な理由で数十%落ちるのが普通だったために、観るのにはちょうどよかったなんていうケガの功名的な話も。つか、そもそもレオの「白いライオン」という設定自体が、苦学生時代にタングステン球の下で原稿を描いていた手塚が、『ジャングル大帝』の予告ページのレオの色づけを、オレンジの照明に惑わされて間違って白で塗ってしまったことから生まれたという、今では誰でも知っている誕生秘話がある。大野氏を始めとする当時のクリエイターが、逆境をバネにして日本流のセンス・オブ・ワンダーを開拓してきた、ながーい歴史があったのだ。
 『鉄腕アトム』がスタートしたのと同年、当時のSFブームを背景にして、ほとんど同時期に『鉄人28号』、『エイトマン』がスタートしているが、こちらのサウンドが『アトム』ほどの強い印象を残せなかったのはいわずもがな。さすがに大野流の“オーラル・サウンド”の奇抜さは、後のテレビアニメに受け継がれることなく『鉄腕アトム』で完結とあいなったが、誰も聴いたことがない「宇宙の音」などを創造する音響デザイナーとしてのスピリッツは、70〜80年代の、東映動画タツノコプロ日本アニメーション作品の大半を「効果」を手掛ける石田サウンドプロ(フィズサウンドクリエイション)の仕事などに受け継がれている。これは人からの受け売り話なので真実かどうかはわからないが、『機動戦士ガンダム』をフィズサウンドクリエイションが担当したとき、独特な戦記考証にこだわった富野由悠季監督は、モビルスーツの衝撃音などにもいちいち口を出して、「その材質ではそんな音はしない」だの「もっと重量感のある感じで」だのと、何度も効果マンに音の作り直しをさせたらしい。おそらくそれまでは、『マジンガーZ』も『タイムボカン』も、基本的に効果音ライブラリーは使い回すのが当たり前で、ロボットだったら制作会社が違っても同じ音がしてたんだと思うんだけど、『機動戦士ガンダム』がエヴァーグリーンな作品になったというのも、そんなこだわりがあったからなのかもしれないね。
 実は大野氏、意外と知られていないが第一シリーズの『ルパン三世』にも「効果」としてクレジットされている(ただし、綜合社のスタジオが使われたものの、実は大野氏は名前を貸しただけという話)。実は『ルパン三世』の原作者、モンキー・パンチは車や銃器などのメカにはまったく無知らしく、ルパンの愛器「ワルサーP38」、愛車「シトロエン」などの設定は、メカにこだわりの深い作画監督大塚康生がテレビアニメ制作の際に決めたものなんだとか。地元の新聞にもよく載っていた我が故郷の有名人だが、氏はアニメーターになる直前まで国家公務員の麻薬Gメンをやってた人で、日本の警察なと比べものにならないほどの銃器犯罪のオーソリティ。音の違いだけでピストルを判別できるほど、銃器には詳しかったらしい。鈴木清順が監修をやってるってこともあるんだろうけど、効果のピストルの音ひとつとってもジョン・ゾーンあたりが大喜びしそうな、『殺しの烙印』とかに通じる日活の無国籍活劇映画を彷彿とさせる気がするのは、当時若い芸術家の梁山泊だった大野氏のスタジオの雰囲気が、いくばくか影響していたのではないかと思うのは小生のうがちすぎだろうか(笑)。