POP2*5

過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

異種格闘技戦「文章VSイラスト」もし戦わば!

 普段の編集の仕事で私は、字数制限を守って文章を書いている。少ない文字数でまとまった論旨を書くにはそれなりにコツがあるが、20年の編集者人生のうち13年も週刊誌をやっていたので、頭の中でフローを固める時間が必要なぐらいで、普通に文章を書くのとそう変わらない。一方、ブログは仕事じゃないから、文句言われようが勝手にダラダラと続けているが、最後のオチぐらいしか準備せずに書き進めるのも楽しみのひとつで、酒場で後輩相手に語って聞かせるように、ストレスなく書いている。長文を書くのは苦痛ではない。拙著『電子音楽 in JAPAN』のオリジナルは700ページある本だったが、プロットを固めてから入ったので、執筆期間には2ヶ月しかかからなかった。編集者、ライターの中でいっても、私は書くのが早いほうだと思う。それはひとえに週刊誌で毎週、その時期のニュースをその場の状況判断で活字化する修行を過ごしてきた成果だと思っている。
 そんな私でも、ヘッダ用にイラストを描いたりするほうがもっと「気楽でいいなあ」と思う、今日この頃。まあ写真などを見たまんま、勝手にディフォルメして短時間で模写するだけだからストレスはいらんわな。文章で言うなら、人のプログの文章にアンカーつけて悦にひたるぐらい気楽なもんだろうし(笑)。正月に突然思いついて描いた先日の「Perfumeマンガ」のエントリは、ファミレスで読書してたときに頭に浮かんだのをそのまんま描いたもの。幡ヶ谷のグラッチェで、テーブルに置いてあった「アンパンマンキャンペーン」(すかいらーくグループ)のPOPを見て、その場でアンパンマンの絵を描いてるんだからお気楽なもんだ。ブログ界には、絵や音声ファイルを更新するスタイルの「絵ブログ」「音楽ブログ」などもあるらしいが、そちらはファンに囲まれて楽しそうだ。文章家はこんなに嫌われるのに……イラストレーターやミュージシャンは、基本的に皆さんに愛されているのがうらやますい。
 昔、イラストレーターの南伸坊氏のエッセイ集で、「糸井重里VS南伸坊」の異種格闘技対決というコラムを読んだことがある。いくつかのテーマが出題され、糸井氏がそれを文章で表し、南氏が絵で描いて、「文章」と「絵」のどちらのほうが表現として優位性があるかを戦わせるという企画である。
 この企画成立には背景がある。70年代半ば、横尾忠則湯村輝彦といったイラストレーターが時代の花形だったころがあった。アンディ・ウォーホルのようなポップスターとして君臨しており、みうらじゅん氏や南伸坊氏らはそうした先達に憧れてイラストレーターを志した世代である。実際に儲かったらしいし、イラストレーターというだけでモテた時期もあるらしい。時代が変わって、私が青春を過ごした80年代初頭に、コピーライターという新職業をひっさげて、糸井重里氏が西武グループのCMで颯爽を登場してきた。そのコピー一文で商品が爆発的に売れるという神話が語られ、糸井氏のギャラは「1行=1000万円」なんて言われていたほど。かつてのイラストレーター人気がコピーライターに取って代わられるというほど、文章が力を持っていると思われた時代があったのだ。なにしろ、私が最初にギョーカイに入ったのもコピーライターとしてである(笑)。地〜味に宝石屋のチラシを書いていただけだが。ちなみに、そのころの私はコピーライターの先達、仲畑貴志氏の仕事にゾッコンであった。
 そのコラムの勝敗はというと、これがあっけにとられるほどの南伸坊氏の圧勝で終わっていた。異種格闘技戦史に残る「アリ対猪木戦」ぐらい、お話にならない。ま、これは出来レースみたいなもんで、「絵にも描けない美しさ」という出題に、白紙回答するなんていうジョン・ケージ4分33秒」みたいなとんちもOKだったから、そのへん絵はなんでもありゆえに万能で、文章家代表だった糸井氏はたじたじであった。実際、コピーライター経験もある私に言わせれば、文章が金を産んだ時代があったなんていうのは、ほとんど幻想だから。出版界だって活字本とコミックじゃ、同じ新人でも売り上げ冊数は一桁違うぐらい、ポップカルチャーの世界では「ヴィジュアルの訴求力」のほうが大きいのだ。また、『ガキデカ』の山上たつひこ氏がマンガ家を廃業して活字作家になったとき、あたかも純文学がコミックの上位にあるような言われ方をしたこともあったけれど、後年に江口寿史氏との対談であかしていた発言内容によると、絵が描けなくなって仕方なく文章の仕事についたというのが真相だったらしい。しかし、小説家としての山上たつひこの処女作は、それでも氏のマンガ作品を読んでいるような面白さを持っていたと思う。
 コピーライターが時代の花形だった「文章の時代」に、同じように脚光を浴び始めた存在にエッセイストがいる。現在のような広告依存型の雑誌の刊行形態が生まれたのは、平凡社時代に現・マガジンハウスの木滑氏が『ポパイ』のプロトタイプである『メイド・インUSA』を77年に創刊したのがルーツだと言われているから、いわゆる今日的な雑誌エッセイの歴史はそんなに長くない。コピーライター・ブームが終焉を迎えたときに、いち早くエッセイで頭角を現した林真理子のように、ここから作家として成功した人もいる。そんなエッセイ界で、80年代から今日にかけて、特に注目すべき仕事を手掛けてきたのが、渡辺和博氏、みうらじゅん氏、ナンシー関氏、リリー・フランキー氏ら、いずれも本業がイラストレーターの人ばかり。ここにも、活字専業の人の敗北の構図がある。
 なぜ、イラストレーター出身のエッセイストのほうが面白いと言われるのか? これについては、以前のエントリで小生も描いているように、「文章もイラストもすべて同根で、すべて観察力による」という答えに尽きるのではと思う。自分で絵を描いていると気付くが、まずイラストレーターの表現は、全体像を捉えてから、そこに目や鼻などのパーツを置いて組み立てていく。対象を見て、それを絵に置き換えていくプロセスが、まるで地図を書いて行き先に導くような、構造的説明によって成り立っている。おそらく、こうした認知構造が、本業イラストレーターの文章が「わかりやすくて面白い」と言われる、所以なのではないかと思う。これは音楽の場合でも同じで、音楽について書かれた文章が面白く感じるか否かは、レトリックではなく「音を聞き取る観察力」によるのではないかと思っているところがある。
 <U2の新譜のタイトルは『焔』。『焔』を辞書で調べてみるとこう書いてある……>なんていう書き出しで始まる、80年代に某音楽雑誌でよく見かけた紋切り型の音楽レビューがあった(「またロキノンの悪口言ってる」って言われそう……笑)。実際、私が過去に出会った経験から言っても、いわゆるプロットを組み立てずに、自分の感性だけを信じて、いきなり演繹法で書くという音楽ライターは驚くほどに多い。その結果、導入部の主張が最後に回収せずに論旨がひっくり返ってしまっているものや、書く前に語っていた約束とまったく違う主旨になってしまったものやら……(笑)。ただでさえ、映画ライターや書評家の人より、締め切り守らない人が音楽ライターには多かったから、いつもギリギリであがってくる原稿がそんなのばっかりで本当に困った。脚本ではないから、「箱書き」みたいに厳密なプロットを用意して書けとはいわないけれど、長編小説じゃないんだから、書き手が主人公みたくフラフラと優柔不断に書き進められてもなあ(笑)。
 私が音楽ライターに楽器と戯れることを推奨したり、「ComicStudio」というソフトがあるから絵を描いてみ、とそそのかしたりしているのは、私が絵を描いたり、楽器を触る経験を通して、対象への理解が深まったことを知ってほしいというだけである。別にそれをきっかけに、人生踏み外してミュージシャンやイラストレーターになれと言っているわけではない。「楽器をやる音楽ライターを俺は認めない」の一点張りの人がいるけど、楽器経験のある音楽ライターの絶対数が少ないということを前提にして私は書いているのに、まったく……。そんな「楽器に興味ない音楽ライター」が、そのぶん空いた時間を音楽を聴くことに費やせばいいものを、ミュージシャンと飲んで悦に浸ったりコスプレして鏡見てニンマリしてたりして(笑)。そういうのを、よっぽど不毛だと思ったりする私だからね。



ComicStudio」で書いてみましたシリーズより、Perfumeファンの人に怒られてしまった、あ〜ちゃん似てね絵。歯茎がガーッと出てたりする顔がチャーミングとか言ってるのは、私がドイツ映画に出てくる女優みたいなのが好きだからなんだろうな。『24 Tewnty Four』のエリシャ・カスバートとか、ハリセンボンの箕輪ちゃんとか。そういう萌え絵って、確かにあんまり見ないし。



写真を目の前に置きながら、ブルース・リー師匠に倣って「見るな、感じろ」の精神で描いてみたPerfumeの3人(上からあ〜ちゃんかしゆか、のっち)。好きになる前にウケ狙いで描いていた酷い絵よりは、少しはマシなのではないかと思うが。ハリウッド映画女優とかいわゆるフォトジェニックなタイプと違って、Perfumeの3人の可愛らしさというのは、動く映像に負うところが大きいんだろうなと痛感した。

おなじみ倖田來未似てね絵。シングル・ジャケットの模写のつもりだが、この人のジャケット写真を見ると、現代写真テクノロジーの奇跡を感じる(笑)。いや、すごく好きなんだけど……。ちなみにこれは、テレビ朝日の『検索ちゃん』年末特番の、友近の「來未先生」のコントを観ながら描いたもの。

正月から少しづつ観始めて、やっと今日観終わったよ、『メイキング・オブ・ブレードランナー』。いろいろ書きたいことはあるが、とりあえずネクサス6型プリスちゃんことダリル・ハンナ嬢を描いてみた。ヤッターマン2号じゃないよ。