POP2*5

過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

和田靜香『「プロ患者学」入門』(扶桑社文庫)




 久々の更新で申し訳ありませぬ。今回は明日発売の1冊の本を紹介する。著者は、『ミュージック・マガジン』などで健筆をふるう音楽評論家の和田靜香氏。クラウデット・ハウスR.E.M.をこよなく愛する、拙者と同学年のベテラン音楽ライターだが、本書はそんな<音楽の専門家>が書いた「病院マニュアル本」なのだ。生まれつき体が弱かったことと、家系にマッサージ師などの医療従事者が多かったことから、音楽の素養を育むのと同じように、思春期のころから病気の知識を日常的に身につけてきたという和田氏。なにしろ、「タワーレコードHMVに行ってる時間より、病院にいる時間のほうが長かった」(本書まえがきより)という氏であるからして、彼女を「日本一病院に詳しい音楽評論家」と言っても過言ではあるまい。
 そもそも和田氏は、プレスリーの紹介者として知られる音楽評論家、湯川れい子氏のアシスタントから音楽ライターになった人。内弟子から独立してライターになった最後の世代と言えるかもしれない。「たまたま文章力があって、素人からいきなり音楽ライターになった」なんていうのは、'80年代中盤に台頭した投稿誌『ロッキング・オン』以降の話で、私も含めこの世代で音楽評論家や映画評論家になった人には、大御所ライターの書生さん(鞄持ち)からキャリアを始めた人が少なくない。先輩アシスタントから電話の応対術やスケジューリングの基礎を叩き込まれ、新聞の社会面にも目を通しなさいと一般常識も教育されて、初めていっぱしの音楽アシスタントとして認められる世界でもまれてきたわけで、いわゆる「音楽バカ」という人と違って、音楽以外のジャンルでもユニークな教養を持つ人が多い。関係ないが、私の知人の編集者、『コンポジット』編集長の菅付雅信氏などは、ファッション誌発行人やピチカート・ファイヴのマネジメントなどを手掛けている傍らで、編集者として『結婚しないかもしれない症候群』(谷村志穂)なんていう大衆向けのベストセラーも出していたりする。まったく専門分野外の世界で大ヒットを出してきた、こうした先輩方の功績を振り返ると、私も編集者としてまだまだだなと思うことしきりだ。
 本書は和田氏にとって、実は2冊目の病院本。1冊目の『ワガママな病人VSつかえない医者』は数年前に自費出版で刊行され、ネット書店bk1のブックチャートで1位に。医大生協などで「医療ジャーナリストに書けない、いままでなかった本」と話題を呼んで、今春、文春文庫PLUSで復刊されたばかり。なんでも最近、評判は海を越えて、海外の出版社からも翻訳出版のアプローチまで受けているというから、先の菅付氏の話ではないが、人生わからないものである。長い通院生活で体験した、奇矯な医者との出会い、シュールなやりとりをオモシロ可笑しく綴ったのが『ワガママな病人VSつかえない医者』だったが、この新刊ではいったん患者目線から離れ、神々の視点から医者と患者、それをとりまく医療のあり方について考察している。厚生労働省の遅々として進まない医療改革を、すべてを政府のせいにしてシラケるのではなく、「患者らしい知識や処方術を身につけよ」と説く本は、まったく新機軸かもしれない。世に「医療ジャーナリスト」という人は数多くいるが、彼らも彼らで医者ではない。それどころか、誌面を見るだけで特定の病院、医療メーカーのスポンサーがいるのではないかと思う、疑わしき「病院本」だってたくさんある。いわゆる「医療ジャーナリスト」ではない和田氏が本書を書いたのは、ここに意味がある。先日公開された「先進国で唯一の国民皆保険制度がない」アメリカの医療制度の実情を描いた映画『シッコ』も、監督のマイケル・ムーアにとっては専門外のテーマだった。しかしながら、部外者の目線でそれを題材として取り上げるまで、悲惨なアメリカの実情が諸外国に知らされていなかった事実を思い出してほしい。
 して「患者学」とは何か? 最近、ワイドショーなどで耳にする、患者が医師から不当な行為をされる「ドクハラ(ドクター・ハラスメント)」という言葉があるのはご存じだろう。普段は「先生」「先生」とたてているけれど、じっくり観察してみればその行動には奇矯な部分も多い、医者という生き物。それを患者目線で告発したのが、先の「ドクハラ」なる言葉なのだろうが、その逆もまた真なり。映画『シッコ』を観ればわかるが、かの国アメリカでは医師の人権が優先され、文句ばかりいう“不良患者”に対しては「診察拒否」できる権利を医者は持っている。実は日本の医師には、これが認められていない。「払った分だけ元を取る」と言ってはなかなか帰ろうとしない、パラノイアックなしつこい患者につかまれば、逃れられないだけでなく、たった一人の患者に全生活を台無しにされることもある、気の毒な職種でもあるのだ。一度その「患者と医師」の関係を理解できれば、病院に訪れた際にも、医者が消耗している様に患者が気付くこともできるだろう。そんな時、やさしい言葉を医師に一言でもかけるだけで、関係が良好になったりすることだってある。体験的にそれを知っている和田氏は、そうしたエピソードを披露しながら、「患者こそ意識を変えるべき」と本書で説いている。それが「患者学」のコンセプト。「ドクハラ」がなかなかなくならないのは、実は患者の側にも理由があったのだ。
 本書が音楽ライターによって書かれたことにも、見えない運命の糸がある。最近、外タレが来ても「オールスタンディングばかりで、見終わることにはへとへと……」とぼやく和田氏。なにしろ我々がコンサートに通い始めたころは、オールスタンディングのホールなんて一つもなかったのだ(笑)。若い音楽ファンの女の子にモテタイからと、がんばって新譜をチェックしてロックなマインドだけは維持できても、10代に混じってヘッドバンキングやダイブを決める体力は正直ない。いや、徹夜が続いても精神力にだけは自信のある私にしても、体のほうが悲鳴を上げて動かず、朝起きれないことも増えてきた。中年特有の体の不調は、ある日突然やってくる。「オレはいつまでも永遠の中学生だから」「病気などなんぼのもの」なんて普段からイキがっているヤツほど、突然不調になると勝手にパニックに陥り、「風邪?」「脳の病気?」「神経かな?」などと困ったあげく、町一番の大型総合病院に駆け込んで、ジジババが列をなす待合室で3時間待たされて、3分診療で放り出されるなんていう、みっともない思いをしてしまうのだ。「病気のひとつ、ふたつ持ってるぐらいがロック」と言ったのは、はたして村上龍だっただろうか……いつしかそんな自分の自堕落ぶりを、勝手にロックに置き換えていた私。とにかく、健康なときは強がりばかり言って、「重い病気になったら、それはそれでまた人生」「オレにかまうな」とうそぶいているくせに、病気で入院した途端に親の介護のありがたみに触れ、「やっぱりロックより母ちゃん……ぐすん」と、まるでガキ同然になってしまうのが、中年ロックオヤジの実態だったりするから。本書にも、『だめんずウォーカー』よろしく、和田氏がレポーターになって紹介される「男性ダメ患者」のエピソードがてんこもり。中には読む人が読めばわかってしまう(!)某大物音楽マスコミ人も登場しているらしい。せっかく病気の治療のために入院しているのに、9時の消灯時間の後にこっそりノートパソコンを立ち上げ、入札中の海外のネットオークションの進展が気になってしまう某氏のエピソードを読むと、我がことのように感じ入り恥ずかしくなる(笑)。
 いや、ダメ患者すべて=音楽の人と言い切るのは可哀想。そもそも、日本人は諸外国に比べ、これまで医療制度が充実していたからこそ、国民は病気に無知でいても平気だった。「お医者様は神様」と、中元やお歳暮を贈っていれば、難しいことは考えなくても済んだ。しかし、「インフォームド・コンセント」という概念がアメリカから海を渡り、日本でもガン治療の現場などに導入されるようになった。「本人へのガン告知をどうするか?」「どういう治療法を選ぶか?」を、医師と患者の家族で相談して決める“開かれたシステム”だが、これすなわち、病気が治らなかった場合の責任を、医師と患者家族と半々にするというリスクヘッジの概念でもある。つまり、医師と互角にやりあうには、患者側にもそれ相応の病気の深い知識がないと成立しないのだ。昨今話題の「裁判員制度」じゃないけれど、日本人って付和雷同な生き物だから、いざ、自分の考えを言えと言われても、答えられないオトナコドモが多いのが実情。例えば近年、医療負担の軽減のため、「はしか」「インフルエンザ」の予防接種を受けるのが義務から任意に変わったが、さっそく今春には「はしか」が大ブームになってどこも休校騒ぎ。言われなきゃ誰も予防接種を受けてなかったというんだから、先が思いやられる。
 そういえば数年前、突然おしりがこそばゆくなってギョウ虫がいるのかと疑わしき症状に陥った時のこと(汚い話題ですまぬ)。小学校時代を思い出してギョウ虫の治療薬を薬局に買いに行ったら、「処方箋に切り替わったので、去年から市販薬は売ってないんです」と言われたことがあった。かのように、医療制度というのは毎年かなりドラスティックに変わっているものらしい。本書にも最新の医療制度の実情が紹介されているが、例えば、薬局でもらう処方箋(薬)も、これまではまとめてもらえるのが最長2週間だったのが、最近では1ヶ月(条件付き)まで延ばせるようになったらしい。「歯の治療をまとめてする場合、上の歯と下の歯を別々の日に分けなくてはいけない」という話も、私などそう勝手に思いこんでいたのだが、実はガセだったことなども初めて知った。こうした情報の一つ一つが、和田氏が通院生活を過ごしながら、医師とケンカしながら獲得してきた一種の戦利品なのである。
 また、最近は一部保険が利くようになったらしい「漢方薬」についても、最前線の動きがリポートされている。実は今、海外の治療現場でも「漢方薬」はトレンド。西洋医学ではお手上げだったガンなどの治療に、漢方薬が導入されて成果を発揮するケースも多いんだとか。そもそも、西洋医学は症状の認められる患部の痛みやかゆみを、「痛み止め」「かゆみ止め」などの薬剤で抑えるもの。しかし最近、アトピーや神経系の病気のように、原因と症状の因果関係を特定するのが難しい病気も増えている。循環器系の病気などの場合、最初に表れた手の症状を薬で直しても、すぐに脚などの部位に別の症状が出るなんていうこともあったりする。漢方薬の考え方は、薬で体質自体を変えるというもの。症状の出ている特定部位に注目するのではなく、血流などのメカニズムを視野に入れながら、その病巣の元を時間をかけて治癒していくのだ。風邪薬にしても、「熱を冷ます」だけの西洋の薬剤と違い、漢方薬では体質に合わせて何十種類もの風邪薬が存在するらしい。花粉症の治療薬も、その人の体質によって処方される薬のタイプはさまざまだという。またケミカルな科学製剤と違い、漢方薬は自然生薬が原料だから、特にアレルギーや副作用の心配が少ないメリットもあるんだとか。
 実は拙者、今年の3月に母親を亡くしたばかり。その時期、集中的に医療関係の資料を調べたりしていた身分なので、こういう本が出るのを誰よりも待っていた一人でもある。ネタばらしをすれば、本書はそんな体験から、私が編集を担当させていただいたものである。門外漢でありながらも、マイケル・ムーアのつもりで、運命に導かれるように病気について真剣に考えたものがこの一冊になった。また、和田氏の前著を気に入っていただいたことから、表紙のカバーイラストを、マンガ家のしりあがり寿氏に書き下ろしていただいた。ロックに一家言あるライターとロック好きの編集者が作り、日本一のロックなマンガ家が表紙を飾るという、日本一ファンキーな「病院マニュアル本」ができたと自負している。ぜひ、「病気なんて興味ないね」というロック=自堕落な貴方にこそ、読んでいただきたい。


 扶桑社文庫、和田靜香『「プロ患者学」入門』は、明日9月29日、580円で全国書店で発売。