POP2*5

過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

『銀星倶楽部/テクノポップ』(ペヨトル工房)

 西部グループと同社のジョイントベンチャー雑誌だった『WAVE』の別冊として、マンガ主体の弟分的雑誌として創刊された雑誌『銀星倶楽部』のテクノポップ特集号。私の『TECHII』編集部時代の同僚が、同社の編集者と大学の同期で、当時アイドル誌の『momoco』にいた私に話を振っていただいた。編集長のO氏は大学時代、俳優の佐野史郎嶋田久作とパンクバンドをやっていたという人で、私とは全員同郷であった。当初は78年のYMOデビューからカウントして10年目の88年に、“テクノポップ生誕10周年”を記念して刊行する予定であったが、京浜兄弟社のメンバーら主要執筆陣の遅筆が原因で、時間切れとなって私が編集作業から離れて、再度ライターとして参加することになり、翌年に刊行されたために“テクノポップ生誕11周年”記念本になってしまった。私はニュー・ミュージック、OMDほかいくつかのアーティスト記事と、電子楽器の歴史を担当。ほか、戸田誠司氏へのインタビューの構成などを務めている。
 刊行はペヨトル工房。同社解散後に書かれた、社長だった劇作家の今野裕一氏による回想録『ペヨトル興亡史ーボクが出版をやめたわけ』(冬弓舎)でもエピソードが紹介されているが、この時掲載されたクラフトワークへのインタビューは手紙による往復書簡で行われ、向こうから送られてきたのが、質問の回答をヴォコーダーで答えているというレアなテープであった(余談だが、その昔アニメのチップマンクスの声優がストライキをやったことがあり、その時も声明文がテープ早回し声で送られてきたので、面白かったのでギャラがアップしたという笑い話がある)。一度はそれをフォノシート付録で付けようという計画も上がったが、実現できなかったことが悔やまれる。ちなみに、YENレーベルからリリースされたアポジー&ペリジーのビデオクリップ『月世界旅行』なども、当時は同社からビデオ発売されている。