POP2*5

過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

我が青春の「ギャグノート」を供養する

 昨夜書いた、トニー・ザンスフィールドの芸名もそうだが、私はだじゃれが大好き。オヤジギャグも大好物だ。深夜寝ていて、唐突に思いついたときの恍惚感ったらない。オヤジギャグの名手の方々も、心から本当に尊敬する。和田勉が昔、NHKを退職して初めて民放のフジテレビに出たとき、心境はと聞かれて、アドリブで「1か8か(いちかばちか)」と言った時など、見事なものだと思った。野口五郎の野球好きのエピソードで、巨人がどれだけ好きかっていう話で、巨人が負けた試合の時は「どっか勝ってるチャンネルはないかいつも探す」という牧歌的なネタも好きである。
 実は私、かれこれ10年ぐらい前から、ギャグノートというのを付けている。ニュース用のネタ帳ももちろんあるが、これとは別である。街中でふと思いついたギャグなどあっても、記憶力が落ちて、後から思い出せないことが多く、忘れないようにとコンビニで買ったメモ帳を持ち歩いて、いつでも書き込めるようにしていた。それで、編集後記などを書く時に、さりげなく新作を披露するのだ。流行っているタレントのギャグも逃さない。昔、『宝島』にいたとき、書き足す用に回覧されてきた編集後記欄に、使おうと思っていた「〜ニョロよ」というギャグ(『夢であえたら』で松本人志がやっていた役、ガララニョロロの口調)を、編集長のS氏が先に使っていて、悔しい思いをした。10歳も年上のオヤジが使っている。だからあんなに若い子にもてるのか。私もあやかりたい、と思ってつけ始めたのだ。
 数年前から本業のネタ帳のほうが、PDAや携帯電話になってしまったので、おのずと紙の手帳だったギャグノートを付けることも、おろそかになってしまっていた。というか、最近は編集後記にギャグを書くなんてこととは、とんとご無沙汰だ。これからもしばらくは使うことはないだろう。たまたま出てきた数年前のものがあったので、ここに公開して供養してやるのはどうかと思い、披露することにした。一応、パブリック・ドメインにしとくので、気に入ったら使ってちょんまげ。


(だじゃれ編)
「腹が減ったら原ヘルス」
「仮眠が好き。カミンスキー
「小津・ノット・小津」
「年増がいっぱい。としまえん
「つぶやきの資料。つぶやきシリョー」
「女にしばかれたい! 爺さんは山へしばかれに」
「不倫説・不倫説(プリンセス・プリンセス)」
「新作高すぎ! 高杉晋作
「なんか、タンタンとやってますね。タンタンの冒険だね」
「カーズ→川津祐介
モーマスモー娘。
……このページは、延々こういう一言ネタが書かれている。ちなみに、「モーマスモー娘。」というのは、掟ポルシェ。氏も思いついたようで(四六時中モー娘。のこと考えてるんだからあたりまえか)、『BUBKA』だったかコンビニ系雑誌で、当時青葉台に住んでいたモーマスに、本当にモー娘。Tシャツを着せて写真を撮っていた。モーマス、仕事選べよ。あと選外としては、ギャグを言った後に言う「なんてな。イザベラ・ナンテナ」なんてのもあった。このへんは、小松政夫のギャグ「ワリーね、ワリーね、ワリーネ・デートリッヒ」「メンゴ、メンゴ、ジェリー・メンゴ」あたりに影響を受けているんだと思う。


(出版用語編)
「あ、4色に誤植が……」
「ゲラが出たぞ、ゲラゲラゲラ」
「再校がやっと出た。サイコー!」
「俺って反逆児なんだよな。原稿用紙反逆児」
「失禁伝票」
「カリ伝票」
……これは日常用語ではない、オフィス用語的なものなので、活躍する場が少ない。ゲラというのは、新聞用語で活版印刷の活字のことで、それから転じて初稿のことを今でもこう呼ぶ。出張校正室で夜通し作業なんかにかかったとき、ペーパーセメントでラリってたりしながらの終わらない作業中は、こういうピンポイントギャグのほうがかなりウケる。


(無意識の記録)
鳥取県羽合町パリ・テキサス
岸部シローのエッセイ集『岸部のアルバム』」
……とりあえず使用目的なき覚え書き。前者は我が故郷の中国地方のネタで、鳥取県の地名だが「はわい町」と読む。本当は「はあい町」だったのだと思うが、響きが似ているので、この町にできる支店はたいてい支店名を「ハワイ町支店」と表記している。一種の詐欺行為なんだが、そこにヴィム・ヴェンダース的な香りを感じて、こうメモったものなんだろう。後者はそのまま、岸部の単行本の書名である。


(ものまね編)
「こんばんわ、モリッシーです」
「あは、あは、あは。田原音彦です」
「こんばんわー、草刈民代です」
……元スミスのモリッシーのは、森進一のものまねをカスタマイズしたもの。だから、「モリッシー」のところは、「森…進…一」っぽくごまかしながら言うのがポイント。後者2つは、田原俊彦草刈正雄の真似をしながら、さりげなく使う。さんざんやられてきたステレオタイプなものまねだから、これぐらいボケててもネタはブレない。田原音彦っていうのは、本当にそういう名前の人がいたのだ。


(人のギャグのメモ)
「♪ジョニーが来たなら伝えてよ〜二次会庄屋だと〜」(爆笑問題
「向かうところ、手品師」(高田文夫
「北は北千住から、南は南千住まで」(田代まさし
(スナイパーのセリフ)「報酬はスイス銀行へ。スイス銀行中野支店へ」(田代まさし
(貧乳を讃えて)「実らない柿は落ちない」(杉作J太郎)
……向学のために、ちゃんと人のネタも気に入ったものはメモっておく。爆笑問題のだと、カレー事件の林真須美のネタで「現場でヒソヒソ話をしていた」というのも面白かった。田代まさしのは、テレビ朝日イカ天みたいな番組『エビス天国』に私が審査員で出演した時に、公開録画で聞いてメモったもの。前説でもちゃんとネタをふってて感心した。惜しい人を亡くしたと本当に悔やまれる。


 昔、取材で鈴木慶一氏に会った時のこと。コンピュータを使い始めて、音楽の作り方がガラッと変わってしまったと語っていた。なにも用意せずに、鍵盤に向かって思うがままを記録し、それを後から巻き戻しして、良さそうなテイクを拾ってデータをちまちまと編集していく。これは、自らの無意識とコンタクトを取る方法で、コンピュータを作曲に使い始めたことの最大の利点だと慶一氏は言う。そこまで高尚ではないが、10年前から自分が付けていたギャグノートを見て、私がこうして編集して皆様に紹介しているというのも、昔の自分の無意識(特にアホな部分)とコンタクトを取っているかのようで、なかなかドラマチックである。ちょっとだけ、映画『オーロラの彼方へ』を思い出した。違ったっけか?


※「羽合町」が島根県ではなく鳥取県あったことをご指摘いただき、訂正させていただきました。ちなみに市町村合併で現在は地名が消失してしまったとのこと。合掌。