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過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

『イエローマジック歌謡曲』(ソニー・ミュージックダイレクト)

イエローマジック歌謡曲

イエローマジック歌謡曲

 数年前、アルファレコードの販売権が東芝EMIからソニー・ミュージックエンタテインメントに移ったが、以降のYMO関連の復刻で、私は同社からよく声をかけていただき、お仕事させてもらっている。そのディレクターとの関わりから、小生が選曲したコンピレーション盤として商品化されたのが、YMOのメンバー3人が関わった歌謡曲、ニューミュージック曲を集めた、この3枚組『イエローマジック歌謡曲』である。
 元々、YMOソニーは関わりが深い。山口百恵を発掘したことで知られるプロデューサー酒井政利氏がはっぴいえんど時代からの細野ファンだったことから、古くはフォーリーブスから後の松田聖子まで、細野氏をちょくちょく起用していた経緯がある。酒井氏プロデュースのVA『PACIFIC』は、YMO結成直後の3人が「コズミック・サーフィン」を初録音したことでもよく知られている。太田裕美のディレクターだった白川隆三氏は、早くから教授の才能に一目置いており、初期の中原理恵に起用したり、ソロ『サマー・ナーヴス』(カクトウギセッション名義)や鈴木茂バンドで参加したVA『ニューヨーク』などの録音に関わっている。拙著『電子音楽 in JAPAN』でも触れているが、YMOのレコーディング拠点だったアルファレコードの“スタジオA”と同じ、名匠トム・ヒドレーが音響設計した信濃町ソニーというスタジオが当時あって、メンバー3人はここでよくソロ・アルバムやプロデュース作品をレコーディングしていたのだ。その関係もあってか、アルファ所属のサンディ&ザ・サンセッツ、シーナ&ザ・ロケッツに手を貸したのと同じように、松田聖子中原理恵郷ひろみ、ラジ、スーザンなど、ソニーにはYMO関係の作品が数多く、アルファレコード以外でもっともYMO参加作品が多いのがソニーグループなのである。
 数年前、「歌謡テクノ」をテーマにした某社のコンピレーションに少し関わり、忸怩たる思いをさせられた小生だったが、この時のラインナップには、ソニー系列の音源は含まれていなかった。以下、これは私の想像で書くことをお許し願いたいのだが、ソニーは初代社長の大賀典雄氏の時代から、ナベプロらプロダクション専制時代へのカウンターとして、自社原盤にこだわるなどレコード業界の鬼っ子的な存在であり、常に「新人を育てる」ことを主眼として今日を築いた会社である。CD再発ブームの折にもっとも再発に消極的に見えたのも、いわばこの裏返しで、カタログビジネスに対してもかなり冷めたところがあり、「なんでもOK」という他社のようには、音源貸し出しが比較的自由ではなかった。ゆえに、アルファ音源がソニーに移り、私にYMO関連の再発で声をかけていただいたかなり早い段階から、アルファ、ソニー音源を組み合わせた理想の商品として、この歌謡曲のコンピレーション盤をアイデアを持ちかけていたのだ。
 それがいかなる経緯で、どういう選曲基準があって、現行商品に至ったかについては、興味をお持ちの方もおられるだろう。逆に「どうしてこうなの?」という声が聞こえたりと、ご期待に添えられない部分もあり、amazonなどのレビューには手厳しいものが多かったりする。だが、物事には理由はちゃんとある。こうした既成曲のコンピレーション盤の実現には、実際にさまざまなドラマがあるのである。あくまで一般論としてだが、コンピレーション盤というものがいかなるプロセスで商品に至るのかを、私が体験したエピソードからお話するのも悪くないだろう。これを読んでくれた人の中から、未来の優秀な選曲家が一人でも出てくれれば本望である。実際、iTMSのマイミックスなどを見ると、ユニークな選曲技を発揮しているマイミキサーが最近は多い。業界歴だけ長く、ディレクター氏に覚えめでたい人だけが、こうした監修仕事を独占するというのも、いかがなものかと思ったりする私なのだ。
 日本では近年までしばらく、レコード会社同士の音源の貸し借りは行われていなかった。「ニューミュージック全集」のような高価な通販商品も、パッケージは幹事の会社がトータルでデザインをしているが、よくよく見るとディスクごとにプレス会社も違っており、各ディスクとも自社の原盤曲だけで構成されている。一枚のディスクに別会社の音源を同居させるケースはほとんどなかったのだ。その慣例を破ったのは、萩原健太氏が監修し、ソニーが制作した筒美京平の8枚組ボックス『HITSTORY』だった。そのリリースの報は、業界ビジネス事情に少し通じていた私には、驚愕とも言えるもので、萩原氏やソニーのスタッフの苦労は並大抵ではなかったと思う。無論、海外ではすでにライノレコードなど再発ビジネス専門の会社があり、ワーナーほか大手の音源を使った名コンピレーション盤がいくつもリリースされていた。が、これができるのは、選曲者の力だけではなく、ライノレコードに利益分配のための法務の知識のあるスタッフがいるからである。現在でこそ、渉外担当部署が「ストラテジック部」などと改名され、権利ビジネスのリーダーとして社内の新たな花形になったりしているが、むしろそれまでは、学芸部や特販部は閑職と言われ、前例のないものを認めない頭の固い人が多かったりしたのである。筒美京平のボックスが、高価ながらヒットを記録したこと、商品としての完成度が高く評価されたことが、今日、ミリオンセラーが量産されるほどのコンピレーション市場を生み出す嚆矢となった、その事実に異論を挟む人はないだろう。
 とは言え、例えばソニーの名盤をまるまる東芝が復刻するというようなことは(一部の例外を除いて)ありえない。現在は、すでに音源貸し借りのための「お品書き」があり、例えば歴史のない新興会社が、好き勝手に老舗の音源のみを使ってコンピレーションを制作しても、あまり儲けがでないようになっている。よって、もっぱらコンピレーション企画には「自社音源を何%使うこと」というような不文律があり、一般的に50%前後がこの基準とされている。つまり、そのオムニバス盤が発売される会社が、過去にリリースした“自社原盤”から、半分は埋めなければならないということである。これが難しくもあり、また、いかにその制約を見事なラインナップに着地させるかという、同業の選曲者としのぎを削る場合の、選曲ゲームを面白くする要因となっている。
 『イエローマジック歌謡曲』が最初に企画されたのは、前年の5月。決算期の関係で、当初はもう少し早い時期でのリリースを計画していたため、逆算するとその月末には大まかな選曲を決めなければならないという突貫スケジュールだった。当初は2枚組を想定していたため、第一候補曲と代替曲を併せた、少し多めの選曲リストを作り、締め切りまでにディレクターに提出。これは、必須曲には「○」、予備曲は「△」というように、エクセル・データでリスト化されており、他社原盤の使用許可が降りなかった場合など、「これがダメだった時はこれに差し替える」というような、主だったルール表も作っておいた。例えば、イモ欽トリオなどのノベルティ系、松田聖子などの正統アイドル系、矢野顕子などのニューミュージック系などが、許可の可否から特定のジャンルに偏らないようにするためである。1曲1曲、貸し借りの可否結果が出るごとに、その都度、差し替え曲を相談するというような細かなやりとりはしていない。その駆け引きはディレクターにある程度お任せして、ざっと使用できる曲の大まかなリストが決まってから、足りない曲を補うというようなプロセスで選曲作業をした。
 「貸し出し不可」の音源にはどんな理由があるのかについては、興味のある方もおられるだろう。以下、一般論として書く。原則、他社からの貸し出し依頼はそのまま権利セクションの売り上げに計上できるので、営業的には“濡れ手に粟”なわけではあるが、自由に扱える自社原盤といっても、どんな企画にでもホイホイ貸し出しをしているわけではない。主に倫理的な理由で、アーティスト本人に許諾を取ってから返事をする会社が多く、例えば大物歌手などの場合は、アーティストの意向で貸し出し不可になるものがけっこう多い。巷に多く出ているコンピレーション盤をざっと眺めて、「そういえばこの人の曲ってオムニバス系には入ってないねえ」と気付くアーティスト名というのがあるだろう。『イエローマジック歌謡曲』の場合も、amazonのレビューアーが「なぜこれが入ってないの?」といくつか具体的に名前を挙げている、“これは必須でしょ”と思うアーティストが入っていないのも、ほぼそれが理由と思っていただいてかまわない。これは他社音源ばかりの話ではなく、自社音源の扱いに関しても同様。例えば、90年代のアルファレコードのように、アーティストに無許可でファンが企画して当時のライブ盤を出すような行為は、現在の大手会社では基本的に行なわれていない(きっぱり)。
 その後、『イエローマジック歌謡曲』のほうは、まったく別の社内的な事情でしばらく音沙汰になってしまうのだが、この間にひとつ問題が発生する。あくまで私の個人的な主観の“問題”と解釈していただきたいのだが、松本隆氏の選曲した自作詞による歌謡曲コンピレーション盤が、同じソニーから先行発売されることになり、選曲の一部に重複が発生してしまったのだ。選曲コンセプトは全うしたいものの、お客さんには少ない小遣いをやりくりして買っていただくわけだから、できるだけ重複はさけたい。こういうことはよくある話なので、それにめげる私ではないし、尊敬する松本隆氏の“本家”選曲があるのなら、“別家”選曲のほうで知恵を巡らせるのがファンあがりの選曲家の腕の見せどころであろう。
 その時、一番の私の悩みとしてあったのは「ハイスクールララバイ」の扱いについてだった。松本隆作詞集にとっても重要な曲であるし、『イエローマジック歌謡曲』にとってもコンセプトを代弁しているような代表曲である。そこでこの時、フォーライフから年末に発売されると聞いていたイモ欽トリオのベストCDに、細野曲で未CD化だった「ティアドロップ探偵団」「ティーンエイジイーグルス」が収録されるかどうかをディレクター氏に確認を依頼。「収録はなし」と聞いて神の采配に感謝し、この2曲を優先的に入れることとした。『イエローマジック歌謡曲』で果たすべきもう一つの私のテーマが、未CD化曲をいかに多く収録できるかだったからだ。
 だが、「ハイスクールララバイ」が入っていない「歌謡テクノ」のコンピレーションが商品として成り立つのだろうか? 自問自答した結果、もう一つの外伝として、他のテクノ系アーティストが楽曲提供をしたコンピレーション盤を作るのはどうだろうと提案してみた。『テクノマジック歌謡曲』の原型のアイデアである。当時、「歌謡テクノ」に関わっていたアーティストはYMOだけではない。むしろ、YMOほどの知名度がないために、歴史に埋もれている名曲も数多く存在する。そこで、この外伝には、当時のテクノポップ系アーティストが書いた歌謡曲を一同に介し、YMOが関わっている「ハイスクールララバイ」などのメジャー曲をこちらに入れることで、松本隆作詞集、『テクノマジック歌謡曲』のいずれかを買っていただいた方が、『イエローマジック歌謡曲』を併せて買ってもらっても、できるだけ重複を少なくすませられるのではないかと考えたのだ。ソニーにはCBSソニー時代に出した「歌謡テクノ」の金字塔として、矢野誠が書いたアパッチ「宇宙人ワナワナ」という曲もあったし、榊原郁恵「ロボット」、高見知佳「くちびるヌード」など、従来の同種のコンピレーション盤には収録されたことがない曲もまだたくさんあった。ある意味では、こちらに「ハイスクールララバイ」が入ることで、『イエローマジック歌謡曲』のライバルとも言える強力盤ができるかもしれない。そんな思いをディレクター氏に伝え、途中から同時発売の別企画として立ち上がったのが『テクノマジック歌謡曲』だった。
 最終的には、「YMOとそれ以外を分けたほうがお客さんには親切」というディレクターの判断もあり、「ハイスクールララバイ」は『イエローマジック歌謡曲』に収録されることに落ち着くのだが、代案として重複感をできるだけ薄めるために、2枚組を3枚組にしてはどうかとディレクターから提案があった。これは思わぬ快哉! 名曲でありながら知名度から「代替曲」に甘んじていた予備リストから、再びエントリー曲を拾い出し、最終的には3枚組という大ボリュームのコンピレーションに結実したのが、商品化された『イエローマジック歌謡曲』である。
 3枚組で4200円と、価格設定もかなりリーズナブル。高価でもよいから、未CD化曲だけに絞ってそれを集めるというリリース形態もあるにはあるのだが、本作がそういった商品ではないことは価格からわかるはず。YMOファンだけではなく、歌謡曲ファンすべてに買ってもらいたいというディレクターの思いが込めらた流血価格である。ゆえに入手困難曲や初CD化曲を優先しつつも、それのみにに偏らず、ヒット曲もきちんと収録している。「作曲、編曲をごっちゃにしているのはいかがなもの」というご指摘もいただいたが、坂本作品などは初期は作曲より編曲作品に比重が高く、細野作品は80年代後半になると他の作家が編曲を手掛けているものが多いなど偏りがあり、「作曲集」「編曲集」と縛りのルールをタイトにすると、どちらも少し地味なラインナップになる。初心者が聴いても楽しめるようにというトータル的なバランスを考えて、「テクノ・サウンド」の聴感を最優先するということで、作曲作・編曲作をとりまぜ、サンプリング・サウンドなどを駆使した面白作品が量産される80年代後期までと、時代も幅を持たせている。
 本作は、2005年2月23日に無事リリース。同じくYMOが関わった、スーザン真鍋ちえみ郷ひろみなどの歌謡曲系の復刻盤と併せて紹介された。単独復刻作品から2曲づつ選ばれているのは、その他の同時発売作品のプロモーションの兼ねたもの。アーティストの全アルバム復刻などの場合に、よくシリーズのダイジェスト的の意味を持つベスト盤を同時発売するのと同じ理由で、初心者にはまずリーズナブルなこれを最初に買ってもらって、気に入ったら他の作品も買ってほしいと願ってのことである。
 タイトルおよびジャケットは、ディレクター氏のアイデア。当初の言葉の説明では今ひとつ理解できなかった私だったが、上がってきたジャケットを最初に見た時には正直驚いた。見事! こういう諧謔精神というのも、テクノポップ時代のムードを醸し出すのに一役買ってくれていると思う。