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過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

『吹替映画大事典』(とり・みき&吹替愛好会/三一書房)

 これは共著で、マンガ家のとり・みき氏と、今や『天国の本屋』でベストセラー作家として著名な友人の松久淳氏が主幹となり、俳優の加藤賢崇氏、脚本家で友人の新田隆男氏、小生が『ニュータイプ』で編集者生活一年目の時によく姿をお見かけした角川書店のベテラン編集者だった中島紳介氏らが原稿を持ち寄ったムック企画。私は『刑事コロンボ』の吹替台本で著名な脚本家、額田八重子氏のインタビューを担当している。吹替映画映画文化をきちんと検証した初めての本で、あの三谷幸喜が『ダ・ヴィンチ』誌で座右の一冊に上げていたのには感動したもの。
 ここに関わることになったのは、本業の週刊誌のカルチャー欄で私が企画した、広川太一郎氏や額田八重子氏をインタビューした「なぜ、深夜映画から吹き替えが消えたのか?」というトピック記事が発端。それを、当時『スタジオボイス』の編集者だった松久氏が見つけて、コンタクトを取ってきたのだ。
 現在は、深夜映画の大半が字幕版で放送されているが、それは90年代に入ってからのことで、それまではNHK以外、大半の局が深夜映画を吹替で放送していた。NHKの「原語主義」は、まだレンタルビデオがない時代にはオリジナル映画ファンに好評だったが、字幕だと疲れるという層が実際は多く、他局が追随する動きはなかった(NHKの「原語主義」は、最近でも、各国版の吹替放送を要請していた『セサミストリート』との決別にまで発展している。ちなみに『セサミ』は現在、テレビ東京で吹替版が放送中)。ところが、WOWOWが80年代からアカデミー授賞式をリアルタイム放送し始めたことや、80年代後半になって映画のプロモーションでハリウッドの大物俳優が頻繁に来日するようになって、むしろ「俳優の本当の声」のほうに親しみを感じる世代が台頭し始めたことから、字幕版、吹替版のシェアが逆転することとなった。今でもゴールデンタイムのファミリー向けの時間帯は吹替放送を死守しているが、先のような俳優の生の声のほうに馴染みのある視聴者が増えたことや、迫力のある「ステレオ放送」を優先するために、一時は日本テレビ水曜ロードショー枠でも、吹替版中心から字幕版中心への転向が検討されたこともあったほど。
 また、仮に吹替放送であったとしても、事情が変わってきたのが俳優=声優のフィクスのこと。クリント・イーストウッドなら山田康雄アラン・ドロンなら野沢那智というように、昔はハリウッド俳優も「日本語版はこの人」というのがだいたい決まっていた。だから、コロンボピーター・フォークなどは、ダミ声の本人の声よりも小池朝雄の吹替のほうがよほど本人っぽく聞こえたりしたものだ。ライバル局同士が各局のルールで制作していながら「俳優=声優」をある程度フィクスしていた理由というのは、当時のディレクターらの証言によると、他局の優れた仕事に対し互いがエールを送り合うような、極めて紳士協定的なものだったらしい。例えば、先日シュワルツェネッガーの『ターミネーター2』のDVDにやっと初めて玄田哲章版の吹替が収録されたが、厳密に俳優=声優というルールというのはないのである。この点ではNHKがまた独自で、「他局がその声優なら、ウチは別の人で」という唯我独尊ぶりを発揮していたりする。そういえば最近、『さんま御殿』などのバラエティに声優が出演することが増え、それはそれで大いにけっこうなのだが、さんまが山ちゃん(山寺宏一)に「やってやって」とせびってトム・ハンクストム・クルーズをやらせたりしても、「あれ、こんな声だっけ?」と客の反応も鈍いばかりか、本人もやりにくそうにしてたりするするのを観ると寂しくなってくるが……。
 『刑事コロンボ』の大ファンだった小生は、額田氏の存在を文庫『アテレコあれこれ』で知った世代。いわゆる翻訳家ではなく、額田氏は「日本脚本家連盟」に所属している、純然たる“脚本家”である。本書でも触れているが、『刑事コロンボ』でピーター・フォークに「うちのカミさんが……」と言わせているのは、彼女のオリジナルで、こうしたキャラクター造形の領域まで言葉の想像力を働かせるのが「吹替台本作家」の本領。このインタビューでも、例えばカネにうるさいキャラクターに関西弁を使わせたり、「インディアン、ウソつかない」というネイティヴ・アメリカンステレオタイプ描写がどのように誕生したかについて聞いている。私はこういう過剰さを愛する一人なのだが、ちょうどこのころ、ダニエル・カールという東北弁をしゃべる外国人タレントが活躍していて、外国人顔なのにしゃべると訛っている、この吹替洋画の世界が現実に飛び出してきたような感覚にはクラクラしたものだ。残念ながら数年前、額田氏は鬼籍に入られたが、LD時代に途中でシリーズが頓挫していた『刑事コロンボ』の吹替入りソフトが、DVD時代になって完全版として実現したことを、今は誰よりも喜んでいる。
 実はこの本も、左翼系出版社と言われた三一書房の例のロックアウト事件の巻き添えをくらって、早い時期に絶版の憂き目にあっている。だが、担当編集者の復帰と社内騒動の消沈化の後、復刻され、amazonほか一部書店で、現在でも取り扱いがある。