POP2*5

過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

『日本大衆音楽発達史講座』(スペースシャワーTV/VMC)

 これは『電子音楽 in JAPAN』を読んだ同局の担当者の方から依頼いただいたもので、日本のロックの歴史を残された映像素材で辿るという企画。CS衛星放送のスペースシャワーTVのサブチャンネル、VMCでオンエアされた。「ロック編」「歌謡曲編」「渋谷系」「ヒップホップ編」など、週替わりの5つのカテゴリーで構成されており、小生はその「エレクトロ・ミュージック(電子音楽)編」を担当した。番組は各カテゴリーとも2時間枠で、放送はノンストップのPVのみで構成されており、選者の紹介記事はウェブに掲載された。現在でも同社のアーカイヴとして、原稿は読めるようになっている。

http://www.spaceshowertv.com/vmc/program/vmc_selection/nihon9.html

 実際の選曲は、けっこう苦労した。例えば、YMOといえば活動期にプロモーション目的で作られたPVやライヴ映像が潤沢にあり、解散後に初商品化された数多くのビデオタイトルがあるが、これは80年代初頭に活動していたグループとしてはかなり珍しいケース。マルチカメラを仕込むには、当時は音楽制作の数倍も予算がかかったのだ(例えば、ニュー・オーダーで有名なファクトリーも、中野サンプラザ公演を収録した『パンプド・フル・オブ・ドラッグス/ライヴ・イン・トーキョウ1985』などは、メジャーの日本コロムビアとのジョイントベンチャー商品である)。商品化を前提に予算を確保するケースならまだしも、純粋なプロモーションだけのためにマルチカメラのスタッフを配置していたというのが、アルファレコード社長、村井邦彦の先見の明というか、型破りなところであった。実際、アルファレコードは80年代初頭に大型レコード店店頭にビデオモニターを設置させ、YMOのワールドツアーなどのアーティストビデオを流すという当時は珍しかったプロモーション方法で、都市部での自社アーティストの知名度上げることに成功した会社なのだ。
 だが、同時代の他のグループの映像環境は、YMOほど恵まれてはいなかった。クラウス・ノミの出てくるプラスチックス「Good」や、P-modelの初PVとなった「フル・ヘッ・ヘッ・ヘッ」、ムーンライダーズの『カメラ=万年筆』のプロモーション・フィルムなども、大半が予算は事務所持ちである。例外的にPVが多く作られたヒカシューは、東芝EMIの洋楽部に所属していたのが理由だが、ウルトラヴォックス『ヴィエナ』やクラフトワーク『人間解体』などのPVと並べてよくレコード店で流されていたものの、チープな内容を観ればわかるように、予算はYMOとは雲泥の差があった。
 しかし、「電子音楽編」の大枠が番組から与えられた時、PVが大量に作られた90年代のグループで構成するのではなく、それでも80年代のグループを数多くフィーチャーしたのは、ステージングや衣装、手作りPVなどが、たとえチープであっても、それをアイデアで一点突破するというような当時のグループのバイタリティを、今の世代にも見てもらいたかったから。タイミングよく、TVKテレビ神奈川)から『ファイティング80』の素材が商品化されたりもあって、ヴァージンVSジューシィ・フルーツをフィーチャーできたのは幸運だった。
 テクノポップのPVとして、メルクマール的存在として知られているものに、一風堂「MAGIC VOX」がある。これは当時、イギリスのBBC放送でパワープレイされ、年間ビデオチャートの5位に入る栄誉に授かることとなり、一風堂のイギリスデビュー〜土屋昌巳のジャパン加入のきっかけとなったものだ。今回、これは欠かせないだろうと当時のレコード会社に調査を依頼したが、ビデオは残念ながら残されていなかった。そもそも、商品化されていないPVなどは、固定資産税の対象となるためか、レコード会社も倒産やレーベル買収、アーティストの契約終了やディレクターとの交渉決裂などのタイミングで、すべてを消却してしまうという慣例があったりすると聞く。
 DVDでカジュアルに映像を楽しむ、映像時代が到来する未来のことなど考えられないほど、当時のテクノポップ・ブームというのは、実際は自転車操業だったのである。