POP2*5

過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

「Shi-Shonenが予言した未来。コンピュータは新世紀の歌を歌えるか?」(副音声ヴァージョン)

There She Goes

There She Goes


 このエントリーは『電子音楽 in JAPAN』読者限定のネタでお送りする。表題の最終章の、いわば副音声である。お持ちでない方はぜひ、書店で購入してからお読みいただけると幸いである。
 拙著『電子音楽 in JAPAN』の最終章は、Shi-Shonen〜フェアチャイルド〜ソロ『There She Goes』などで知られるミュージシャン、戸田誠司氏のインタビューで幕を閉じている。このインタビューは、お読みいただけるとわかるが、他の章のようなシンセサイザーの進化を軸にした構成が取られていない。90年代以降に登場し、いまや標準設備となったプロ・トゥールズによるデジタル・レコーディング環境が定着する前の“真空状態”のころ、いち早く実験的レコーディングにトライアルしていた一ミュージシャンの“心の問題”を扱っている。だから、今読むと私から戸田氏への問いかけが、まるで自問自答のようで恥ずかしい。
 そもそも、新版『電子音楽 in JAPAN』の最終章に、戸田氏のインタビューを持ってこようというアイデアは、私自身が提案したものだ。私は、あの80年代末のほんの一時期だけ、「テクノポップ復権」に希望が託せた時代に、ミュージシャン戸田誠司に夢中になっていたファン代表の一人である。その後、『Techii』在籍時には連載を担当させてもらっており、フェアチャイルドがデビューした時は、個人的にお手伝いしている仲でもある。
 しかし、私の戸田氏への思いは常に複雑なものであった……(笑)。コンピュータなど家になかった貧しい家庭で育った私なので(笑)、担当時代に戸田氏から教えてもらった話の半分も理解していなかった。だが、コンポーザーとしての戸田氏の才能を、誰よりも深く理解していたつもりだ。その面においては誰よりも自信があった(私がこの時期に作曲したデモテープは、誰が聴いても戸田誠司の影響受けまくりであった)。だから戸田氏の取材の時、ことあるごとに私は音楽の話を仕掛けていたのだが、常に新型のマシンの話にすり替えられた。まあ、きっとあの80年代末という時代は、コンピュータ業界が今以上に面白い時代だったのだろう。当時の音楽状況が面白かったかと問われれば、ウンという自信がない。まあそんなふうに、我が心の師匠、戸田誠司氏に対しては、常に愛憎半ばするところがあったのだ。実際、『電子音楽 in JAPAN』の取材原稿のチェックのやりとりの時も、ぞんざいなほど赤字を入れてきた。フントにもー。だから、構成にはけっこう苦労した。『地獄の黙示録』のラスト場面で、マーロン・ブランドの扱いに困ったフランシス・コッポラの、ブランドへの愛憎半ばする想いはきっとこんな感じではなかったのかと思った……(なんちて)。
 私が戸田誠司氏、つまりShI-Shonenを知ったきっかけというのはよく覚えていない。たぶん順序で言えば『ザ・ベストテン』の時に毎週流れていたローディのCMで見たのが最初だと思うが、見てすぐに「憧れのヒコーキ時代」をシングルを買ったわけではなかった(ちなみに、CMヴァージョンはレコード化されたものよりもっとアート・オブ・ノイズに近かった)。土曜日の昼にフジテレビの東京ローカル枠でやっていた加藤茶が司会のバラエティがあって、そこに高見知佳がゲストに出た時に流れた、戸田氏がアレンジしていた「怒濤の恋愛」は、面白過ぎたので「なんだこりゃ」と思ってすぐレコードを買いに走ったが……。たぶんアルバムを買うきっかけは、『Techii』の編集長が以前やっていた『Keyple』(自由国民社)というキーボーディスト向けの雑誌で、ノンスタンダードからの再デビュー作『Singing Circuit』のインタビューを読んだからだと思う。そこに書いてあったコピーはこうだった。「テクノポップスの新感覚派の登場だァ!」(彦麻呂風に読んでね)。
 拙者はYMOでニュー・ウェーヴにのめり込んだ世代なのだが、私がYMOに夢中になっていたのは、たぶんメンバーの類い希なコードワークに関心していたことが理由だったと思う。教授の『千のナイフ』もそうだし、「東風」の間奏部の、素人には採譜できない分数コードに応酬にはため息をついていた。細野氏の「マッド・ピエロ」もすごく好きだったし、幸宏氏のフランシス・レイの血統を継ぐ掟破りな転調やコードワークにも魅せられた。だが81年の春にリリースされた、待望の新作だった『BGM』は当初、私を失望させた。なんというシンプルな音楽! なんと私、この時『BGM』をリサイクルショップに一度売り払ったこともあるのだ。後に友人の作曲家・ゲイリー芦屋氏にその話をうっかりしたら、彼にいろいろ詰問されて困ってしまった……(今では好きなのだが)。まあ、それぐらい根っからの“ポップス人間”だったのだ。なにしろゴダイゴ大好きだったし。
 だから、散開ツアーのころのYMOを、リアルタイムで見ていたという記憶がない。私はニュー・ロマンティックという音楽が苦手なのだ。だから、英国のニューロマ・バンドみたいに、ネオナチみたいな格好をしたYMOなんて見たくない気分だった。ニューロマはムード歌謡のような音楽だと思っていた。湯浅学氏に言わせれば、ニックニューサーなんかは日本のニューロマだろう。制服のコスプレにも興味がなかった。実際、コードワークで感心させられるような音楽ではないと今でも思う。
 その一方で、テクノポップ話にはまずほとんど出てこない話題なのだが、同時代に、西海岸の一群に“テクノポップの亜変種”のような動きがあった。TOTOとエアプレイである。ウェザー・リポートの進化型というか、シンセサイザーを初期YMOのように積み上げて、AORフュージョンのあいのこのような音楽をやっていた。私が鍵盤楽器をやっていたことも理由にあるのだろうが、いかにもAOR風のヴォーカルはさておき、エアプレイ『ロマンティック』の複雑なアンサンブルには唸らされた。日本のテクノポップ系バンドでも、ジェイ・グレイドンの「トワイライト・ゾーン」を持ちネタにしていた近田春夫&BEEF(近田と茂木由多加が抜けて、その後ジューシィ・フルーツになる)、デヴィッド・ペイチTOTO一派が参加しているマライア『究極の愛』、編曲家の清水信之の一連の仕事などがあり、「西海岸一派の影響を受けたテクノポップ」というのが確かに一時期存在していたのだ。
 加藤和彦のアルバムで存在を知り、ソロ・アルバム『エニシング・ゴーズ』を発売日に買ったほど、当時好きだった清水信之氏が、YMOの代わって“初期YMO”のようなサウンドを提供してくれる存在だった。この時期に編曲家として、高見知佳EPOなどの化粧品のCM曲に数多く手を貸している清水氏だが、プロフィット5によるオリエンタルなサウンドは、初期YMOの中華路線を一人で継承しているような錯覚を感じることもあったほどだ。
 そんな“テクノポップス”好きだったから、Shi-Shonen『Singing Circuit』には一発で虜になった。ヴァン・ダイク・パークスのようなラーガ・サウンドや、細野氏譲りの変速コンピュータ・リズム、まるでコンセルヴァトワール風な複雑な弦編曲など、真に博覧強記といった印象のアルバムであった。当時働いていたアニメ雑誌ニュータイプ』の仕事でもらった、「銀河鉄道の夜」のシングル(戸田誠司編曲)も素晴らしいもので、同様に私を魅了した。アルバムを買ってすぐに、秋葉原石丸電気に駆け込んで、ぎりぎり在庫があったコロムビア時代のミニ・アルバムと2枚のシングルもこの時買った。
 実はこのころのShi-Shonenには、中野サンプラザで収録された60分ほどのライヴビデオがある。先日、スペースシャワーの仕事でオファーしたところ、たまたまテイチクで発見され、そこでビデオを見せてもらったのだが、ステージのShi-Shonenもかなり異彩を放っていた。同じころ、レーベルメイトだったピチカート・ファイヴ、アーバン・ダンス、ワールド・スタンダードなどのグループは、レコードの打ち込み曲を演奏するときに、ライヴではテープを使っていた。YMOサウンドを継承するバンドは数多く登場していたが、YMOがやっていたようにコンピュータを実際にステージ上に上げて演奏していたグループは希有で、Shi-Shonenが唯一の存在だった。コンピュータ(PC-88)をステージに上げ、飯尾芳史氏が松武秀樹氏のように背中を向けてステージ上でシコシコとローディングをやっていた。だから、テープを使っていた他のグループと違い、全曲がYMOみたいにライヴではアレンジが違っていた。「シンギング・サーキット」の奇妙なアレンジといったら……(笑)。
 私が『Techii』編集部に呼ばれたのが87年の正月のこと。すぐに戸田誠司氏の連載担当になったのは、単に編集部に人が3人しかいなくて、楽器のことがわかる人が自分だけだったからだ。「キング・オブ・コンピュータ」というタイトルのよろずPC質問所みたいな連載を担当させてもらったのだが、パソコンのことをまだよく知らなかった私は、かなり騙し騙しで毎回やっていた気がする(笑)。読者には未だに申し訳ない気持ちだ。ちなみに連載タイトルは、近田春夫氏のグループ“プレジデントBPM”のライヴに立つ時の、「アフリカ・バンバータ」とかそういうノリで付けられた戸田氏のステージネームから取られたものである。
 あの時期の戸田氏は、まさに多忙な真っ最中であった。いつも取材は、都内のどこかのスタジオだった。連載第一回はビクター青山スタジオだったが、少し待ち時間があったので音を聴いていたら、リアル・フィッシュの録音だと聞いていたのにメンバーは一人もおらず、よくわからないリズムだけの曲が延々流れていて、映画『ウォー・ゲーム』のLDのダイアローグをサンプリングで重ねていた。当時、エヴリシング・プレイ(ワールド・スタンダード)が『ルール・モナムール』で『ミツバチのささやき』のアナの声をサンプリングして使ったり、映画などの台詞を曲間に挿入するのが流行っていたので、そういう演出かと思っていた。この曲は後に、「ジャンク・ビート東京」のタイトルで、なんと桑田佳祐のラップを加えた曲として、リアル・フィッシュ名義でなぜかドロップされた。NASAの司令官の発射のカウントダウンの声が曲のイントロに使われていたが、こういうカットアップというのがヒップホップのお作法だと知らされたのはその時だ(ウブだったのだ……笑)。桑田佳祐がこの曲をいたく気に入り、「俺にくれ」と語ったエピソードは拙著でも紹介しているが、これは桑田氏の慧眼を伺わせるいい話だと思う。今はもう時効だから言っちゃってもいいと思うから書くが、戸田氏はこのころ桑田氏からサザンオールスターズのプロデュースまで依頼されながら、なんと断ったりしてるのだ。
 連載中のスタジオ見学で、いちばん私を興奮させたのは『夢工場』の時だ。フジテレビが主催した企業パビリオンを集めたミニ万博みたいなイベントだったが、この時に戸田氏と坂本龍一氏、藤原ヒロシ氏らが共作した、立体音響によるオリジナル曲というのが作られた。その曲がまた、『Singing Circuit』を上回る博覧強記ぶりというか、藤原ヒロシ氏も加わってのヒップホップ祭りというか(マルコム・マクラレン『俺がマルコムだ!』みたいな音を想像すればよろし)、教授が関わったイベント音楽の一つとしても、かなり出色な完成度を放っていたと思う。教授のベスト『CM/TV』に参加した時もその話をしたのだが、収録されなかったことはつくづく残念だ。
 とにかく、当時の戸田氏はグンバツにイケていたのだ。今の世代から見ると、人脈的に交わるイメージがないかもしれないが、ピチカート・ファイヴ小西康陽氏も早くから戸田氏の才能を讃えていた。初期フリッパーズ・ギターの姉貴的な存在だった音楽ライターの能地祐子氏だって、当時はShi-Shonen一押しだったし。モダンチョキチョキズハセベノヴコ氏など、業界にもたくさんファンがいたというのを覚えている。こうした面々の名前を挙げたのは、実は私にとって戸田氏は、ソフトロックに目覚めさせてもらった先生でもあるからだ。
 これは極めて個人的な話であり、同時代の一般的なロック少年の典型話でもあるが、80年代初頭のニュー・ウェーヴブームをリアルタイムで体験した私などは、その後のスクリッティ・ポリッティ登場ぐらいまで、ほとんど旧譜というものを買ったことがなかった。毎月、最先端の音楽を追っかけるだけで幸せだったのだ。だから、ビートルズビーチ・ボーイズにハマるのには、ずいぶんしてからだ。XTCがずっとフェイヴァリット・バンドだったから、「XTCがあるから、ビートルズいらね」と本気で思っていた。だが、これには当時の商慣習も少し影響している。アナログ盤時代というのは、コストの関係から旧譜の再発というものが今ほど行われていなかった。街のレコード店の月の売り上げのうち、新譜の占める割合が8~9割といわれていたほど、ロックの過去の歴史が軽視されていた時代なのだ。その後、外資系CDショップが台頭する90年代に入って、新譜と旧譜の売り上げの割合が5割:5割になったと言われている。浜崎あゆみらの新譜が300万枚とか平気で売れているわけだから、今はとんでもない数の旧譜が毎月売れているってことになるはずだ。私も、ストーンズとかをまったく聴いてなかったわけじゃなかったが、ウチにあるのは『サタニック・マジェスティーズ』と『アンダー・カヴァー』だけだった(笑)。だから、『宝島』のころに10代のアルバイトのヤツにバカにされ、『ベガーズ・バンケット』や『アフター・マス』がいかに名作かという講釈を延々と聞かされたこともある。まあ、それぐらいロック史に疎かったとも言える。だが、「ガイドブックに載っている殿堂入りのアルバムを聴くのがロックファンとして正しい」とも思っていない天の邪鬼であった。
 そんな横浜銀蠅みたいにツッパっていた私に、ソフトロックの魅力を教えてくれたのが、ほかならぬ戸田氏だったのだ。当時、初CD盤が出たばかりのビートルズ『ホワイト・アルバム』も戸田氏に教わって買った。あれは数が出ていなくて珍しかったので、今でも感謝している。それと、今でこそ『ペット・サウンズ』は名作とか言われるようになったが、あの時代に周辺でビーチ・ボーイズに注目していたのは、戸田氏と細野晴臣氏ぐらいだったと思う(細野氏は、ビートルズの時代からの、筋金入りのビーチ・ボーイズ派である)。また影響を受けたアルバムとして、シュガー・ベイブ『ソングス』、荒井由実ひこうき雲』を教えてもらった。シュガー・ベイブといえば、山下達郎の事務所だったアワ・ハウスの社長だった牧村憲一氏は、その後、ノンスタンダード・レーベルの立ち上げに関わり、戸田氏をレーベルに招聘した張本人である。ユーミンの「ひこうき雲」はその後、YOUが歌う最後期のShi-Shonenのライヴのレパートリーになった。『Techii』時代の残業仕事の時、毎日メゲて死にそうになっていた私の気持ちを救ってくれたのがピチカート・ファイヴカップルズ』だったのだが、バカラックニール・ヘフティもよく知らなかった私が、このアルバムを聴いてすぐにその真価を理解できたのは、たぶん戸田氏のポップス教育を受けたからだと思っている(石立鉄男の影響もあったのだが、また別の機会に)。あたかもテクノロジーの権化のようであり、実際に会話の内容もサイバーパンクの登場人物みたいだった戸田氏ではあるが、シュガー・ベイブをルーツとし、牧村憲一氏に見いだされてデビューし、牧村氏がポリスター移籍後にフリッパーズ・ギターを手掛けた後、当時のパートナーだったYOSHIE(平ヶ倉良枝)嬢の名曲「テレフォニ」を同社でプロデュースするなど、実は知られざる和製ソフトロック〜渋谷系業界における陰の重要人物なのである。
 私が担当になってからShi-Shonenとして出された作品は『2001年の恋人達』が唯一である。実は私、このアルバムについてはかなり評価が厳しい。なんで『Do Do Do』の続編みたいにならなかったのだろうと、当時は思っていた。『電子音楽 in the(lost)world』のレビューにも書いているが、ソフトロックの極みのようなポップな曲と、アート・オブ・ノイズのようなバッキングの組み合わせは、どう見ても水と油という印象が拭えなかった。当時、リズム・セクションの2人が抜け、まり嬢とペアの作曲家チームになっていたShi-Shonenには、初期のバンド形態の時のような風通しのよい感じが失われていた。だからこそ、この後に塚田嗣人氏、YOU(江原有希子)氏が加わって再び4人組のバンド形態になったShi-Shonenには、「黄金期再び!」と思うほどに入れあげた。実際、六本木インクスティックで行われたデビューライヴも見ているが、女性ヴォーカル曲をYOUが歌う形に一任したことでグループのイメージも統一感が生まれ、いつブレイクが来てもおかしくないと思うほど完成されたグループになっていたのだ。戸田氏がベースに退いてまで入れたかった、塚田氏のテレキャスのプレイは、旧4人編成のイメージに囚われない、理屈を超えたカッコよさがあった。残念ながら4人編成時代のShi-Shonenについては、バッキングを務めた早瀬優香子『ポリエステル』しか残されていない。関西キー局の番組『さんまのまんま』のエンディングに、Shi-Shonen時代の「おまかせピタゴラス」が実際に使われているのだが、これが凄まじくカッコイイ出来だったのにも関わらず、結局は発売されることもなかった(その後、改変期にそのままフェアチャイルドのヴァージョンに差し替えられた)。というか、「おまかせピタゴラス」はどこから出るんだろうとヤキモキしていた。すでにノンスタンダード・レーベルは解散していたからだ。
 その後、私がアイドル誌『momoco』にいたころ、マネジャーだったH氏から連絡があり、再び戸田氏のお手伝いをすることになった。その時、Shi-Shonenの名前がフェアチャイルドに変わったことを初めて聞かされた。おお、ビートルズの有名な真空管コンプの名前じゃん、カッコイイ! 「少年」→「子供」というもじりもお洒落かも。しかもデビュー曲はあの「おまかせピタゴラス」であった。私は興奮の頂点にいた。しかし、塚田氏とまり嬢の脱退の話を聞いて、『2001年の恋人達』の時の記憶がちょっと心に引っかかっていたのは事実だ。
 『2001年の恋人達』の時に、詞をニューミュージック系の女性作詞家陣に一新したことについて、戸田氏は当時「コマーシャリズムへの関心」と語っていた。デビューが遅かった戸田氏は、ノンスタ一派や鈴木慶一氏が主催していた水族館レーベルの他のミュージシャンに比べると、いつもどこかクールだった印象がある。だから、フェアチャイルドは戸田氏にとって、一つの商業的試みのための実験バンドだったのではなかったかと今は思っている。私の友人であるメディア評論家の津田大介氏ほか、フェアチャイルド時代の戸田氏に魅せられた人も多いと思うが、Shi-Shonenの登場時に「テクノポップ復権」の思いを託した私らの世代は、どうしてもあの瑞々しかったころのメンバーに思いを馳せてしまうのだ。
 その後、2001年夏の『電子音楽 in JAPAN』の取材でお世話になった時、私が「デジタル時代の『HOSONO HOUSE』」と呼んでいた(苗場の別荘に、デジタルのレコーダーを入れてホームレコーディングされたのだ)唯一のソロの話でひとしきり盛り上がった時には、こんなに早く次のソロ『There She Goes』が発売されるとは思わなかった。週刊誌の音楽欄を担当していた私は、そのニュースを聞くやいなや、同じ戸田フリークだったライターの津田大介氏を引き連れて取材に伺い、久々に長めにおしゃべりを楽しませていただいた。当時、戸田氏はコンシューマー・ゲームの開発会社を経営しており、PS2用ソフト『グラン・ツーリスモ2』というゲームを爆発的にヒットさせていた。話もどちらかと言えば、新譜については音を聴いてもらうことにしてってことで、ワールドカップ音楽配信と金融経済の話に終始した。その時、あのころ戸田氏が語っていた「コマーシャリズムへの関心」は、別の形で実践されたのだなと私は思った。
 音楽配信の話は、今のクリエイティヴ・コモンズのコンセプトを先駆けていたような話だった。90年にマックを買って以来、すっかりデジタル文化に染まっていた私は、戸田氏と相応にデジタル話ができるようになっていたことを密かに喜んだ。
 そういえば担当時代、戸田氏はシャープから出ていた新製品のパソコン「X-68000」の話にご執心であった。これは当時、「16ビットのホビーパソコン」と呼ばれる、最高級スペックなのにホビー志向という、お金持ちの子供しか買えなかったマシンだ。戸田氏は「X-68000」のユーザーグループのシスオペをやっていたから、まわりにはパソコンヲタのはしりみたいな少年達がたくさんいた。そのころは、高校生ぐらいの「X-68000」ユーザーと話をしている時のほうが、Shi-Shonenのファンと話をしている時より幸せそうに見えた。私はそれに、いたくジェラシーを感じたものだ。プロフィールには「『Hallo;World』が最初のソロ・アルバム」と書かれてはいるが、実はそれ以前にソロ作品が出ているのを私は知っている。富士通FM-TOWNSの専用音源ボードで再生するための、MIDIデータのみで構成された戸田誠司名義のCD-ROMアルバムがあったのだ。戸田誠司のソロ・アルバムを誰よりも楽しみしていながら、パソコンを持っていない私はそのころ、PCショップでそのディスクを眺めながら、臍をかむような思いであった……(笑)。「将来、どうせパソコン全盛時代になるのだから」というような見通しなど、当時の私にはなかった(それより秋葉原からの帰りの電車賃が心配だった)。だから、結局それを買わなかったが、その後に酔狂でCD-ROMなどをコレクションするようになった私は、今は猛烈にその時のことを後悔している。

『電子音楽 in the (lost)world』(ボーナス・トラック)

 先日、依頼を受けて多くの原稿を書きながら、編者と齟齬があり、私のビブリオグラフィーから消してしまったディスクガイドの話を紹介した。とにかく、集団で本を作るのは難しい。私は普段の本業の仕事で、それを痛いほどわかっているつもりだから、そういう自覚のない編者と仕事をすると、本当に苦労する。不運な事故は必ず起こる。必ず起こることを知ってるから、私はその後をどう処理するかでしか、その人の編集能力というのを評価できない。「不運が理由だから、起こったものはしょうがない」と申し開きされても、「ふ〜ん(不運)」としか答えられないのだ。結果、私としては何ひとつの教訓を得られないまま、ただ本が出ただけで編者との関係は途絶えてしまった。
 拙著『電子音楽 in the (lost)world』は、そんな私を不憫に思って、現在の版元が出版をOKしていただいた企画だ。とにかく、集団でモノを作ることの不毛さを体験したばかりだったので、一人で書きたいというのは、わりと早い時期から固まっていた。『電子音楽 in JAPAN』のインタビューで、東祥孝氏が「五つの赤い風船」を脱退してシンセサイザー作家になった理由として、「大勢で作ると、毎回、いちばんテンションの低い人に併せなければならない」と発言しているのであるが、それは私が感じたあの時の気分そのままである。
 こうしたディスクガイド本を作る時、複数のライターが関わってどうやって自分の持ち分を決めているのか、ライターを志望されている方がおられれば、興味のある話だろう。例えば、私が『ピコ・エンターテイメント』という雑誌でディスクガイドを書かせていただいた時は、私は若輩ライターとしての編集寄りの参加であった。「テクノポップ本」ということで言えば、いつも取り合うのはクラフトワークディーヴォである。本当にみんな大好きなんである。だから、興味のない私は、のびのびとOMDやニュー・ミュージックやテレックスなど、引き取り手がないものを任せていただいた。ソニー・マガジンズの社員だった杉田元一氏はニュー・オーダー研究の第一人者であったし、メイン編集の広瀬充氏は元P-modelのマネジャー出身であるから、浅草ロック系は十八番である。キャラがハッキリと立っている人が参加している時は、ほぼ満場一致でその人に決まる。その判断はたいてい吉と出るものだ。私はライター氏の十八番ネタが毎回少しづつ創意工夫で面白くなっていくのが好きだから、わりと悪ノリしてお願いすることが多い。『ピコ・エンターテイメント』の場合は、YMOディスコグラフィ特集も含め、わりとバランスよくできているのではないかと思う。
 某テクノポップ本も、最初はプロのライターが中心になって参加するだろうと聞いていたので、尊敬する先達ライターの原稿と並んで掲載されることのスリルを楽しみにしていたが、結果としては、S氏や、ベテランバイヤー兼ライターのN氏など、私より上の世代の書かれた「ううん、やはり読ませるな〜」という原稿は一握りであった。途中それについては質問してみたが、いわゆるロック専門の手練れの原稿だと詰まらないから、アマチュアっぽいのは狙いだったそうだ。ふむ……有名な例えで「素人が作ったパソコンマニュアルは読みやすい(※)」というウソがあるんだが、そういう慣用表現はご存じないのか。
 それと、私が毎回悩まされるのは、参加ライターの書けるジャンルの多寡についてである。好きなモノが限定されるキャパの狭いライターと、好奇心旺盛なキャパの広いライターがいっしょにリスト作りに参加すると、中間に立つ編者がバランスを取れない人だと、たいていオイシイものがキャパの狭いライターのほうに渡り、キャパの広いライターが余り物を書かされるという貧乏くじを引くことになる。私は一応、テクノポップ系ライターの末席を汚すものとしては、一通り知って書くというのを信条にしているところがあるので、急場しのぎに依頼された未知のものであっても、その期間に勉強して書くようにしている。だから、この手のリスト決めの時に、心ない選者によっていつも悲しい思いをする。この時も、YMOなど主要アーティストが全部一人のライターに回っており、私はまるで引き立て役のような気分を味わっていた。それが、あまり感心する書き手ではなかったので、意見して競作の形を取らせていただいた。ムーンライダーズやリオなども、別の方が一人で書かれる予定だったのだが、私にも書かせてとお願いして、書きたくないほうのディスクでもいいのでと少し譲ってもらった。原稿のうまいライターとの競作はとても刺激があるので、私もエキサイトするほうなのだが、そうじゃないときは、本が上がった後に思うことはいつも同じで、もっと強く意見しなかった自分に反省する。
 ディスクガイド本である『電子音楽 in the (lost)world』は、実はその時に作られたデータメモが一部流用されている。一応、すべての原稿に手を入れて書き直ししているので、あまりにもモロな流用感はないはずだ。私とてディスクガイド本好きの代表であるから、読者の乙女心はわかっているつもりだ。ただし、タイトル選びもまんまだと大人げないので、一応、流用しないものを決めてオミットしたりはしている。『電子音楽 in the (lost)world』で、「海外のテクノポップ」のカテゴリーをごっそり割愛したのも、発売時期がそれほど離れているわけではないのでという、そういう配慮が実はある。だから、「海外のテクノポップ」についての原稿をサルベージしてあげられなかったのは、生みの親として申し訳ない。もうひとつ、その本では「歌謡テクノ」について一任して書かせてもらっていたが、これを『電子音楽 in the (lost)world』のカテゴリーに入れるべきかどうか最後まで迷っていたものの、ちょうどタイミングよくソニー・ミュージックダイレクトの「歌謡テクノ」企画(その後『イエローマジック歌謡曲』『テクノマジック歌謡曲』となる)が動き出したので、そちらのライナーノーツのほうで思いの丈を発揮して書かせていただいた。実はソニーの2wと、『電子音楽 in the(lost)world』と、まだ日の目を見ていない『OMOYDE』の追加原稿は、締め切りが同じで、拙者はヒーヒーいいながらなんとか入稿を終えるという感じであったのだ。
 その本の中で「日本のテクノポップ」の項目において、私が関わったものはかなりのボリュームがあったのだが、やはり再度掲載ディスクを選ぶにあたって、配慮していくつかのタイトルを差し替えた。結果、「日本のテクノポップ」「歌謡テクノ」「海外のテクノポップ」の3ジャンルともに、やむを得ず『電子音楽 in the (lost)world』に収録できないものが生まれることになった。今回、先日のエントリーを読まれた方から、「その本ってどこで売っていますか?」という問い合わせをいただいたので、現在はすでに流通が一段落付いたのだろう。そこで、せっかくだから『電子音楽 in the (lost)world』や『イエローマジック歌謡曲』『テクノマジック歌謡曲』を買っていただいた方に、ボーナストラックとして残りの原稿を読んでもらえればと思い、ここに再掲載することにした。
 私の原稿が無料開放されたところで、他の書き手の方もいて成り立っている本であるから、甚大な被害があるわけでもないだろう。面白く読んでもらえれば、それがなにより筆者の励みになると思っている。
 
注※……エンジニアなど玄人の原稿は理屈っぽくて読みにくいから、素人の目線で書くと読みやすいマニュアルができるという考え方。しかし、全体像を理解せずに書いたものが多ため、それはエピソード集でしかなく、あらゆる事故を想定していないため論理は穴だらけで、結果マニュアルの体をないしていない。これに対する処し方は「素人が時間をかけてマスターし終わった後、素人のつもりでかく」しかなく、結局は玄人の知識が書き手に要求されるという話。

■日本のテクノポップ

本多俊之『ナイトソングス』(東芝EMI

映像作家・飯村隆彦の同名レーザーディスク用に書き下ろした、デューク・エリントンのカヴァー集。ウェザー・リポートに対抗してと思いきや、内容は過激なジャズ・ダブで、『テクノデリック』や立花ハジメソロに近い、マシーン・ビートによる“現代版ジャズ解釈”を披露している。「A列車で行こう」などは、もろ“レプリカントD.E.”ってな感じ。後藤次利プロデュースの『モダン』から本作までのソロは、KYLYNの同僚、清水靖晃の作品に通じる実験精神が濃厚だ。

糸井重里『ペンギニズム』(エピック・ソニー

TOKIO」の作詞で注目されたコピーライター時代に「近田春夫郷ひろみなら、こっちはジュリーで」とばかりに制作された、唯一のヴォーカル・アルバム。名不条理エッセイとの関連盤だが、南佳孝『摩天楼のヒロイン』のような、こちらはハードボイルド路線。ムーンライダーズをバックにしたA面がニュー・ウェーヴ。ビートルズ風のB面では、珍しい3人組時代のEXの演奏が聴ける。矢野顕子提供曲は本人が後にカヴァー。有頂天「君はガンなのだ」は本作のボツ曲だった。

フォー・ナイン『モア・オブ99.99』(キングレコード

アーバン・ダンスの成田忍、4-D〜P-モデルの横川理彦がプロデビューを飾ったバンドの2nd。元アイン・ソフのKey、服部ませいのユニットだが、プログレではなく高品位なフュージョンで、キングのレーベルもネクサスではなくエレクトリック・バードから。浪速エキスプレスと並ぶ関西フュージョンの気鋭集団だったが、本作でニュー・ウェーヴ化。サヴィヌル風のオリエンタルなシンセ・サウンドがカラフルだが、成田のギターはロバート・フリップ風に変貌している。

ムーンライダーズヌーヴェル・ヴァーグ』(クラウン)

訳すれば“ニューウェーヴ宣言”とも読めるが、ジャケットもサウンドもまるでカフェ・ジャックス。だが、録音の途中に鈴木慶一クラフトワーク体験があり、ぎりぎり1曲間に合った「いとこ同士」で、松武秀樹のMC-8と初のセッションを果たす。『アウトバーン』を参考に書かれた同曲も、まだ未消化でスパークスみたい。YMO結成を前後して、細野が運命的に参加しているのが興味深いが、担当はシンセではなくなぜかスティール・パン。本作から全曲慶一ヴォーカルに。

チーボー『パラダイス・ロスト』(SMS)

後期はインスト主体だったイミテーションに対し、彼女の歌をメインにした解散後の初のソロ。今井裕窪田晴男による東京サイドが半分と、残りはトット・テイラーを起用したロンドン録音。タイトルの「失楽園」のコンセプトやバーバレラ風のアートワークは、本作のキーマンであるリザードのモモヨによる。人造オッパイや妊婦写真などスキャンダラスな印象が強かったゆえ、ミカの再来とも呼ばれたが、それに応え「タイムマシンにおねがい」をカバーしたのが話題に。

マライア『究極の愛』(日本コロムビア)

『愛究』が『究愛』に。『IQ179』収録の「LIZARD」をプロトタイプに発展させたシングル「マージナル・ラブ」で激変。“和製TOTO”と呼ばれたスタジオ集団だったマライアが、清水ソロの路線に導かれ、ジャズ、ハード・プログレと変貌した果てにたどり着いたポストモダンな世界がこれ。金属的なギターや山木秀夫のパフパフ・ドラムなど、小野誠彦の空間処理がロンドン・ニュー・ウェーヴに肉薄するソリッドな音。白い粉にカミソリのアブないジャケットが当時は怖かった。

VA『別天地』(エピック・ソニー

元々はディレクター福岡知彦が新人発掘レーベルとして発想するも、諸事情で1枚のみ残された5人の作家のショウケースがこれ。板倉文小西康陽、重藤功(デイト・オブ・バース)、バナナ、和久井光司が2曲づつ提供しているが、小西やデイト・オブ・バースがブレイクするのはずっと後。MELONの中西俊夫を迎えた小西曲はなんとラップ。バナナの初ソロなど聴き所多しだが、ベスト盤の表題曲にもなったデイト・オブ・バース「キング・オブ・ワルツ」がハイライトか。

F.O.E『FRIEND OR FOE』(テイチク)

前作のO.T.T.路線は、「YMO以来のグループ」=F.O.Eの結成へ。といっても実態はなく、ここでは細野と元インテリアの野中英紀の2人の“運動体”。「味方か? 敵か?」というのは、価値観の共有の可否の意味らしく、野中との結びつきも問題意識からであって、音楽的な礎はない。よって半分の曲が宣言文で、そのためにヒップホップという様式が選ばれたと理解するのが正しい。充実期にあった一方のモナドに対し、こちらはジム・フィータスばりのテロリズム路線に。

ビブラトーンズ『バイブラ・ロック』(日本コロムビア

ファンクバンド人種熱に近田春夫がKeyで加入。「近田メインの商業仕事はビブラ名義で」のルールでスタート。前作はポリス風のシャープなサウンドで『電撃的東京』の続編的サイバー歌謡だったが、キーマン窪田晴男の脱退を契機に、珍しい“野蛮化”の道を行く。歌詞の「はやさ」をアイヤッサーと読み替える土俗祝祭感覚。岡崎京子東京ガールズブラボー』のテーマ曲ともいうべき「区役所」ほか、日常をSF的に捉える近田のディック的視線が見事。大人の不良の音楽。

VA『若いこだま』(トリオ)

坂本龍一『デモテープ1』など、当時の“テクノの末裔”らの音楽性のレベルの高さには驚いたが、インディの流通システムの脆弱だった日本では、UKギターポップの黎明期のような“記録”も少なく、一瞬の煌めきとともに消えたバンドも多い。本作はそんな「時代」を切り取った、久保田真琴監修による新人オムニバス。音はチェリーレッドなど海外のポストパンク世代との共鳴を感じさせるもので、デビュー前のワルスタ、ヤン富田、ケニー井上、カトラ・トゥラーナらが参加。

VA『明るい音楽計画』(ユピテル

スネークマンショーの二番煎じ企画だった前作『家族計画』が好評だったため、同社のMENU、原マスミらが総出演で作られた“音楽編”。コントと音楽は厳密に線引きされておらず、「一人シンセ落語」みたいな友田真吾(Shi-Shonen)のソロなど、ハナモゲラなノリの音楽ギャグ(またはギャグ音楽)で構成される。MENUの星渉のソロ、RAのサンプリングコラージュなども面白いが、白眉はキリング・タイムの変名バンドで、童謡をマサカーが演奏したみたいな変態ワールド。

小林泉美『ココナッツ・ハイ』(キティ)

マライアの前身、フライング・ミミ・バンドでも活動していた実力派。実はプロフェット5の最初期のオーナーで、トーマス・ドルビーらへのシンパシーを公言していた才女。『うる星やつら』で注目された後の待望の初ソロだが、ラテンとテクノの組み合わせは、坂本龍一『サマー・ナーヴス』女性版という感じ。「リン・ドラムを海外で衝動買いした」の逸話に象徴される、インスピレーション先行型の独特なテクノ観が新しい。なんと、後にホルガー・ヒラーと結婚して渡英。

■歌謡テクノ編

つるたろー(片岡鶴太郎)『キスヲ、モットキスヲ』(ディスコメイト)

演奏はイミテーション。全編トーキング・ヘッズ風だが、鶴太郎の歌が上手いんで大沢誉志幸ばりの完成度に。モモヨが参加、赤城忠治がフィルムスの未発表曲「さよならロマンス」ほか3曲を提供。小森和子の物真似も笑える。

藤真利子『狂躁曲』(テイチク)

個性派女優だが『マニア・マニエラ』にも参加するライダーズ一派。白井良明岡田徹が編曲のキーになり、『マニエラ』風のアヴァンギャルド路線に。ジュリー提供の「薔薇」は名曲。辻井喬堤清二)詞参加など'80年代ノリ。

高見知佳「怒濤の恋愛」(日本コロムビア

戸川純作詞だがソロとは同名異曲。矢野顕子の曲を、日本コロムビア時代のShi-Shonenの戸田誠司がアレンジしている。「ド、ド、ド、ド、怒濤の恋愛」というスクラッチサウンドに腰が抜けた。B面は太田裕美の裏名曲のカバー。

安野とも子「LA MUSIQUE EXOTIQUE」(キャニオン)

秋山道男詞・細野晴臣曲のデビュー12inchは、エキゾティカなSEや仏語の詞の印象もあって、初期YMOに通ずるエレガンス。仲條正義ADのため、ほとんどノンスタ作品ノリ。同メンバーによる別シングル「Mysterieux」もある。

杏里『哀しみの孔雀』(フォーライフ

3rdは突如、鈴木慶一Proでムーンライダーズが全面参加した欧州路線。アルバムが出なかった'81年だけに濃厚なライダーズ仕事ぶりで、ほとんど『青空百景』。比賀江隆男曲「セシルカット」は後にヤプーズがカバー。

少女隊『FROM S(SPECIAL)』(ワーナー・パイオニア

西村昌敏(麻聡)がやった「Forever」も凄かったが、本作が決定版。細野晴臣コシミハル、西村起用でほとんどF.O.Eのアルバムと化す。細野曲はなんと「メイキング・オブ・ノンスタンダード」をリサイクル。LPは内容別モノ。

松金よね子「一ツ星家のウルトラ婆さん」(バップ)

同アニメの声優だった松金が歌う主題歌。沢田研二曲、後藤次利編曲で『鞍馬天狗』路線の格好良さ。松武秀樹の濃密な音は「あららこらら」に匹敵。作詞の高平哲郎には、大野方栄「変人よ我に帰れ」なる殺人テクノもある。

ツービート「俺は絶対テクニシャン」(ビクター)

『東京ワッショイ』の遠藤賢司の曲をダディ竹千代と東京おとぼけキャッツが演奏。元ネタは「ラジオスターの悲劇」か? ギターシンセの名手、編曲の浦山秀彦がステージでシンドラムを蹴り鳴らす“テクノの珍解釈”には唸った。

倉田まり子「恋はAmiAmi」(キングレコード

テレックスが手掛けたリオ『美少女』の同名曲を忠実にカバー。康珍化が詞を付け、松武秀樹『デジタル・ムーン』の石田勝範が編曲。編み機のCMに本人が登場し、振り付きで「アミ、アミ、アミ」と歌っていたのも懐かしい。

わらべ「めだかの兄妹」(フォーライフ

番組でかかっていた原曲は童謡風だったが、それを坂本龍一がアカデミックに再編曲。B面「春風の郵便屋さん」も、ドナルド・フェイゲンばりのジャジーな分数コードの応酬が気持ちいい。次作「時計をとめて」は松武秀樹編曲。

小泉今日子「まっ赤な女の子」(ビクター)

聖子のエピゴーネンから脱却するのはこのころから。筒美京平の曲で、ボコーダープラスチックス風のピコピコサウンドは、佐久間正英本人の編曲。Keyで茂木由多加も参加。ほか、細野、近田春夫など、関与した作家は多し。

平山美紀「マンダリン・パレス」(ワーナー・パイオニア

ビブラトーンズと組んだ『鬼ヶ島』の前に出ていたミュンヘンサウンドもの。ディスコを探究していた時期の筒美京平編曲で、ジョルジオ風のシンセを披露しているのは若き日の坂本龍一。ソリーナの音やコード編曲が初期YMO風。

ひょうきんディレクターズ「ひょうきんパラダイス」(キャニオン)

YMOもよく出演していた『オレたちひょうきん族』のスタッフ哀歌。大谷和夫のチープ狙いのサウンドが今聴くと逆に新鮮。SHOGUNでもP-ファンクのシンセワークを研究していた、大谷のテクノ編曲は今一度再評価されるべき。

村越裕子「京都の恋」(テイチク)

三原順子がプロデュースした新人。ベンチャーズ『カメレオン』への返答か、あの名曲が和風テクノ編曲で蘇った。山田邦子「アンアン小唄」も凄かったアヴァンギャルド矢野誠の編曲は、YMOとは別次元の極みがある。

中森明菜「禁句」(ワーナー・パイオニア

同コンペに提出してボツになったのが、YMO「過激な淑女」という逸話は有名。当時の細野晴臣のマイナー路線は、ウルトラヴォックスの影響によるもので、ほかに藤村美樹「夢◆恋◆人」などがある。共同編曲の萩田光雄も名職人。

沢田研二「晴れのちBLUE BOY」(ポリドール)

TOKIO」はまだカーズ風なので、真打ちはこれ。詞は銀色夏生、ジャングル風の編曲は大村雅朗という、太田裕美組が参加。白井良明編曲「6番目のユウウツ」の「ペールギュント」の引用など、当時のジュリーは過激だった。

ブレッド&バター「特別な気持ちで」(ファンハウス)

スティーヴィー・ワンダー「心の愛」の原曲がこれ。YMO結成時に録音されオクラになった細野編曲が、6年後に発掘され、ヴォーカル再録音でリリース。もろ幸宏+坂本の一発録り風なシンセ・サウンドが今聴くとスリリング。

■海外のテクノポップ

トーチ・ソング『エクジビットA』

マドンナを始め、ブラー、ベックと数々のVIPのお墨付きを戴くグラミー賞プロデューサー、ウィリアム・オービットの下積み時代。本作は1stからの抜粋と未発表曲によるベスト盤。ローリー・メイヤーのヴォーカルの中近東風アクセントが面白く、4AD・ミーツ・ニュー・オーダーという感じ。「パーフェクト・キス」に匹敵するマジカル・チューン「ドント・ルック・ナウ」は不朽の名曲。血の通わぬスティーヴ・ウィンウッドのカヴァーに、都会的なスマートさがある。

ヴァイシャス・ピンク『Vicious Pink』

名盤VA『TOKYO MOBILE MUSIC』のレーベルからデビューした、ジョシー・ウォルデン、ブライアン・モスという長身女短身男2人組。グループ名をこれに改め、トニー・マンスフィールドの薫陶を受けてからは、彼のフェアライトCMIの実験場として、数々のポップ・シングルを共作した。本作はカナダのみ発売のアルバム。トニマン節炸裂で、最新技術グラニュラー・シンセシスなどを駆使した「火の玉ロック」のカヴァーなど、ネイキッド・アイズと並べて評したい面白さ。

スタンプ『A FIERCE PANCAKE』

名盤『C-86』から飛び出した、キャプテン・ビーフハートの末裔バンド。裏XTCと呼ばれた初期のバンド・スタイルから、メジャー移籍の本作でホルガー・ヒラーにプロデュースを依頼。摩訶不思議な変態ポップの至宝を生み出した。まるでオカルト映画なミュージカル・ソーを弾いているのが、ベース&スティック担当のケヴ・ホッパー(exハイラマズ)。サウンドはヘヴィーだが、どこかにやけた味わいは、ネイキッド・シティーに通じるカートゥーン・センスを感じる。

ラー・バンド『Past,Present & Future』

元アップルの音楽監督で、『小さな恋のメロディ』の音楽などで知られるリチャード・A・ヒューソンが、'70年代末期に始めた「英国初のワンマン・プロジェクト」。曲によってはシャカタク風だが、テクノ・ミーツ・フュージョンの良作として、DJに愛され続けている。奥方をヴォーカルに迎えた「Clouds Across The Moon」は、砂原良徳から杉作J太郎まで、数々のフォロアーがカヴァー。本作は初のシングルスで、Ver自体が異なる数多あるベストの中でも屈指の出来。

アンディ・パートリッジ『テイク・アウェイ』

『GO+』の試みに味をしめ、XTCのマルチテープを素材に果敢なダブ処理を施した初のソロ。例えば「がんばれナイジェル」の回転数を半分に落として「ニュー・ブルーム」に改作するといった、原形をとどめない再構成ぶりに驚かされた。本作のヒットで英国産ダブに皆が注目。未来派の引用やポップアートなジャケットなどは、美術学生だったアンディのダダアート趣味の片鱗。ECMジャズ風や偽アフリカなど、のちのホモ・サファリの原型も見られる。

XTC『ホワイト・ミュージック』

ピストルズに続くヴァージン発パンク第2弾」としてデビュー。アルバム名や「ディス・イズ・ポップ」など標語のような曲題は、美術学生らしいアンディのアート趣味。今はギターバンドとして知られるXTCも、初期はキーボードをアクセントにしたひねくれポップで、スクイーズらと並んでテクノポップの変種として紹介されていた。金属的なプロデュースはジョン・レッキー。バリー・アンドリュースのクラスター奏法など、現代音楽への精通も伺わせた。

XTC『GO2』

ツアーで多忙な中で、シングル曲がなく、初めてバリーが書いた曲も出来は凡庸で、アンディ自身も失敗作と認める2nd。とはいえ、ディーヴォに肉薄する「メカニック・ダンシング」の人力テクノ路線など、聴き所は多い。ジャケットはヒプノシスのボツ作品、題名はツトム・ヤマシタのもじりなど、時代遅れのプログレの再利用などはダムドの屈折感にも通ずる。初回1.5万枚には、同素材を改作した『GO+』なるメタリックなダブ・シングル付き。本作を最後にバリーは脱退。

XTC『ドラムス&ワイヤーズ』

バリー脱退後、トーマス・ドルビーも立候補していた話は有名だが、結局G兼Keyのデイヴ・グレゴリーを迎え、ギターバンドとして強化する選択肢を選んだXTC。ロボットリズムは「ヘリコプター」のみで、すでに弦のアンサンブルと空間処理という『セツルメント』に至る文法を確立している。プロデュースは『ブラック・シー』の名匠、スティーヴ・リリーホワイトYMOがゲート・リヴァーブ導入のヒントを得たことを思えば、XTCの変貌はテクノポップの一歩先を行っていた。

ザ・バグルズ『ラジオスターの悲劇(プラスティックの中の未来)』

表題曲はテクノポップ史最大のヒット曲で、MTVの開局1曲目がこれだったのも運命的。トレヴァー・ホーンジェフリー・ダウンズという英国ポップの2大要人のデビュー作だが、2人の出自はプログレで、シングルに比べアルバムはかなりシンフォニックな構成。「思い出のエルストリー」は有名な英国の撮影所のことだが、あの時代にしてビデオというよりフィルム的な質感があった。テクノポップ化は一時の気の迷いとばかりに、2人はこの後、なんとイエスに加入。

トーマス・ドルビー『光と物体』

ウディ・アレン『スリーパー』のような「彼女はサイエンス」がMTVで大ヒット。PVにも出演している考古学者の父に持ち、幼少期はボヘミアンのような生活を送っていたトーマスは、書く曲もアラブ風からジャズ・モードまで、かなり個性的。16歳でシンセを使い始め、自らエンジニアも務める才人だが、ダニエル・ミラーから矢野顕子まで、個性派ゲストをとりまとめるプロデューサー気質はここでも発揮されている。P-ファンクがルーツと語る、リズムの解釈が非凡。

トーマス・ドルビー『地平球』

マシュー・セリグマン、ケヴィン・アームストロングら英国ポップ要人とのトリオを基本形に、ベルギーのテレックスのスタジオで録音された2nd。アデル・ベルティの参加には驚いた。密室的な実験性は薄れたが、フラクタルを凝視するような自然科学への好奇心を感じるサウンドは彼ならでは。マシューのベースはもろジャコパスで、本作のオーガニックな質感は、後のプリファブ・スプラウトのプロデュースで開花する。ダン・ヒックス「私がこわい」のカバーがユニーク。

フライング・リザーズ『ミュージック・ファクトリー』

首謀者は美術学校に通うダダイストの青年、デヴィッド・カニンガム。精肉場にテレコを持ち込み、シンセを通した段ボール箱を叩いて録音した「サマータイム・ブルース」でデビュー。お経のような素人ヴォーカルが恐ろしく、笑いのユーモアがパンクより過激であることを証明した。録音中に起るミスタッチを積極的に採り入れる「エラー・システム」の概念などは、イーノのポーツマス楽団的。わずか6ポンドで制作した「マネー」のカバーが、全英5位のヒットになった。

フライング・リザーズ『フォース・ウォール』

冒頭曲で、J・S・バッハの「朝起き鳥」を引用するセンス。1stのデボラ嬢から、NYのパンクバンド、スナッチのパティ・パラダインにヴォーカルが交代するが、脱力ぶりは変わらず。前作に加え、カニンガムの指導者マイケル・ナイマンやピーター・ゴードン、なんとロバート・フリップが参加してフリッパートロニクスを弾いている。ジャケのアフリカ絵画の印象か、テイストはイーノ『ブッシュ・オブ・ゴースト』に近い。「A-トレイン」などは中期YMOと合わせ鏡のよう。

ゴドレー&クレイム『フリーズ・フレイム』

元10CCの2人が、新楽器ギズモの完成でスピンアウト。中学の美術室で出会った運命から、後にPV監督として大成するが、よって音楽活動も映像追求型。「アイ・ビディ〜」のハーモナイザーによる声のトリックは、まるで音のSFX。'80年代クリムゾンやポリスなど、新世代の影響下にあるのは一目瞭然で、ここには第3のメンバー的存在だった、フィル・マンザネラの尽力がある。シングル化された「ニューヨークのイギリス人」は、ザッパ・ミーツ・ガーシュイン風。

ゴドレー&クレイム『イズミズム』

前作の音の実験路線から、こちらはメッセージ性を打ち出し、タイトルも「主義至上主義」。だが、後のサンシティへの協力や『グッバイ・ブルー・スカイ』の環境破壊反対に至る社会理念が、音楽を犠牲にしてるように思う印象も。モータウン風PVが笑える「ウェディング・ベル」以外は、ギズモの音すらしない、レジデンツみたいなモコモコした音の世界。後に本作はコラージュの名手ルー・ビーチがジャケを改め、ラップ曲「スナック・アタック」を表題にして米リリース。

カジャ・グーグー『君はTOO SHY』

前身アート・ヌーヴォーはジャズもどきのバンドだったそうで、そこにデュラン・デュランニック・ローズの画策で、クリス・ハミル(リマール)を合体させて結成。ベースのニック・ベッグスが弾くのはスティック(!)で、ウェザー・リポートのようなエキゾチックな曲を書くなと思ってたら、現在はECMで弾く本格派に。一時の気の迷いとはいえ本作の出来は素晴らしく、初めて聴いたPPGのシンセワークの面白さには仰け反った。後にリマールが脱退し、ファンク指向に。

OMD『安息の館』

前作の世界的ヒットで成功のキップを入手。メロトロンを導入して、デビュー以前の本来のコラージュ感覚を復活させた本作は、あきらかに10CC『サウンドトラックス』の影響下にある。「アイム・ノット・イン・ラブ」へのオマージュともとれる「愛のスヴェーニア」の、少年唱歌隊のような歌に惹き込まれた。英題とピーター・サヴィルのデザインのマッチングは見事で、クールな表題曲(インスト)のミュージック・コンクレート風な仕上がりは、次作の予告編のよう。

スクリッティ・ポリッティ『ソングス・トゥ・リメンバー』

トーキング・ヘッズ風のリズムにシルクのようなグリーンの声がよくハマる。R&Bやファンクをベースにした初期はテクノポップに非ずだが、カンに心酔していた急進的学生だったグリーン・ガートサイドらしく、「スウィーテスト・ガール」のシングルで、ロバート・ワイアット翁をゲストに招く通人ぶり。ヒューマン・リーグのジョー・カリスが一時在籍するなど、メンバーは初期から流動的で、そこにレーベルメイトだったデヴィッド・ギャムソンが加入して、次作で激変。

スクリッティ・ポリッティ『キューピッド&サイケ』

P-ファンクのジェシカ・クリーヴスなどを手掛けていたギャムソンと共謀し、NYのパワーステーションで録音された「ウッド・ビーズ」は衝撃的だった。ヒップホップの消化ぶりも、ジャケのヨゼフ・ボイスの引用センスと同様にスマート。フェアライトCMIのページRの見本のような「ヒプノタイズ」で、マサカーのフレッド・メイハーが加入。その縁でか、ロバート・クワインマーカス・ミラーなどNY地下人脈が参加している。筆者にとってテクノポップの到達点はここ。

ヴァーナ・リント『シヴァー』

なんと名門リンツ・チョコレートのご令嬢。「スウェーデンの女スパイ」というふれ込みは半分本当で、元々諜報機関で働いており、6カ国語もペラペラ、ブリックス・モノの広告のモデルにも出演する才女だった。盟友トット・テイラーを編曲に招いた本作は、早すぎたスウェーディッシュ・ポップの名盤。ラロ・シフリン風のデビュー曲「アテンション・ストックホルム」では、調書を読み上げるモノローグのアイデアなどが、ピチカート・ファイヴに多大な影響を与えた。

ヴァーナ・リント『プレイ/レコード』

スウェーデンのアバのスタジオで録音された前作から一転、3週間の休暇でロンドン旅行中に、即席で作られた2ndがこれ。ジャケットの印象もあり音は陽性で、B-52's風のツイスト曲「アド・イット・アップ!」のキュートさにノックアウトされた。OLの余暇の趣味としては高級で、イミュレーターの一筆書き的なコラージュにもダダ的なセンスが見られる。人工甘味料的な「ワイルド・ストロベリー」はシングル向き。随所に表れるジャズ・イディオムの引用もデア・プラン風。

テレックス『テクノ革命』

'70年代初期にモーグ盤をヒットさせていたエンジニアのダン、編曲のマルクも仏音楽界で長いキャリアを持つ人で、そこに建築家のミッシェルが加わって結成という流れがYMO的。MC-4にモーグIIIと機材も共通で、マーティン・デニーを電子化した曲もある。“ベルギーのクラフトワーク”的存在だが、「モスコウ・ディスコウ」も『ヨーロッパ特急』のローカル線。1stはクラフトワークと同じ8ch録音で、「パクモヴァスト」で聴けるソロはジャズの香りもあってお洒落。

テレックス『ニューロヴィジョン』

ユーロヴィジョンコンテスト出場で不名誉なワースト4位に。その恨みか、NEU(病的)と付けた皮肉なタイトル。とはいえ初期の傑作ともいえる完成度で、スライ「ダンス・トゥ・ザ・ミュージック」のメンバー紹介のアイデアなどは白眉。アン・スティール「マイ・タイム」ほか同時代曲のカバーを取り上げるのがテレックスの謎だが、各々が本業を持つ彼らにとっては、それも日曜大工的な楽しみか。英・仏語版の2種類があり、仏語版のみ案内嬢としてフランスのリオが登場。

テレックス『SEX』

タイトルはメンバーではなく、全詞を手掛けるスパークスのセンス。リオ『美少女』のカナダ版制作で知り合ったメイル兄弟に、英語圏進出の目論見もあってか、全詞を依頼して作られた英語アルバム。初の24ch録音で、シンクラヴィア導入や専用スタジオの完成で厚みのある音に。英国では4曲のみ重複の『Birds & Bees』としてリリースされるが、その中の「ラムール・トゥジュール」をコシミハルがカバー。その録音で、以前からファンだった細野晴臣との念願の共演を果たす。

リオ『アムール・トゥジュール』

1曲のみ参加でテレックスが離れるが、詞はジャック・デュヴァル、プロデュースはシャンソンの貴公子、アラン・シャンフォーと浅からぬ縁のメンバーが協力。アランは当時、『錻力の太鼓』のようなソロを出しており、おそらく本作も同様、シンセパートはMのウォリー・バダロウによるものと思われる。前作より生バンド風の仕上がりだが、「ジッパ・ドゥー・ワー」のブラスバンドのコラージュや、ノー・ウェーヴ風ギターなど、ここでもフェアライトCMIのプログラミングが活躍。

ジー・メルシエ・デクルー『プレス・カラー』

キッド・クレオールを輩出したNYのZEレコードの歌姫。創設者の一人、ミッシェル・エステバンのパートナー的存在で、女優、詩人、画家の顔を持ち、パティ・スミスと親交を持つ。ノー・ウェーヴ系でもポップ寄りで、ジャズの引用ぶりなどはローラ・ロジックのNY版といったところ。クセになるハイトーンなVoに、当時坪田直子ファンだった筆者は萌えた。なお、日本ではここからラロ・シフリンのカバー「スパイ大作戦」(インスト)がシングルカットされたのが謎だった。

ジー・メルシエ・デクルー『マンボ・ナッソー』

エステバンがZEを離れて設立したITレコードからで、当時話題の地、ナッソーのコンパスポイントで録音された。フェイク・ジャズから一転して、プロのミュージシャンがバッキング。クール&ザ・ギャングのカバー「ファンキー・スタッフ」のキメキメの編曲に舌を巻いた。keyでMのウォリー・バダロウが参加しており、ニーノ・ロータをカバーした小品で、テクノポップ風アレンジを披露。「ビム・バム・ブム」を予告編に、次作はアフリカ録音に至る。以降の作品もすべて傑作。

ネイキッド・アイズ『僕はこんなに』

ニュー・ミュージック解散後、トニー・マンスフィールドがもっとも心血を注ぎ、プロデュースのみならずUSツアーにも同行した、ロブ・フィッシャー(key)とピート・バーン(Vo)の2人組ユニット。バカラックのカバーや「プロミセス・プロミセス」の題名拝借など、'60年代メロディー志向で、そこがビートルズをカバーするトニーと波長が合った理由か。先に米国で成功するが、トニーも本作の成功を足掛かりに、トレバー・ホーンと並ぶ人気プロデューサーとして飛躍。

ノエル『危ないダンシング』

プロデュースはスパークスのロン&ラッセル・メイル兄弟。ジョルジオと組んだ『No1. IN HEAVEN』と同路線の音で、構成も同様にノンストップのメドレー形式。彼女の正体は不明だが、詞もスパークスらしく「アイ・ウォント・ア・マン」と性表現も露骨で、当時はドラッグ・クィーンのはしり的に雑誌で紹介されていた。表題曲とそのインストが並列に収録されているのに水増し感を感じるが、当時はDJが2枚がけでプレイするように、こうしたお遊びのトラックが用意されていた。

フンペ・フンペ『これが人生だ』

パレ・シャンブルグのコーラス嬢、フンペ姉妹のデビュー作で、「ヤマハ、三菱、トヨタ、スズキ」と日本の企業名を並べ“これが人生だ”と歌う表題曲がヒット。欧州一日本人商社マンが多いドイツならではだが、吉祥寺に住んでいたゲストのサイモン・ジェフスの入れ知恵との説も。実はノイエ・ドィッチェ・ヴェレ時代からのベテランで、本作は名匠コニー・プランク、ローマ・ボランの両面プロデュース。MIXのガレス・ジョーンズの硬質な音に、彼女らのファニーな声がマッチ。

VA『ブリュッセルから愛を込めて』

欧州の中心に位置する、文化交流地点ベルギー発、クレプスキュールの作品集。ファクトリーと兄弟関係にあり、後年、NYのアヴァン系作家の出先機関の機能も果たした重要なレーベル。本作も実は英国作家が中心で、ドゥルッティ・コラムの最初期の録音も含むポストパンク時代の息吹きを、ロンドンから離れた地で記録したもの。ジョン・フォックス、トーマス・ドルビーらポップ組と同格で、マイケル・ナイマンら現代音楽作家の室内楽曲が並ぶ構成がお洒落で新しかった。

VA『ヤング・パーソンズ・ガイド・トゥ・コンパクト・オーガニゼーション』

ピンクの箱入りで登場した、トット・テイラー監修のオムニバス第1弾。ゴージャスなサウンドもすべてDX7や小編成コンボの多重録音で、制作費はパンク並みでもメジャーと比肩するプロダクツが作れることを証明した。シェイク/シェイクはエンジニア、シンシア・スコットは彫刻家と、実は皆、正体は本業を持つパートタイマーで、レーベルごっこの楽しさがカタログの充実に結びついた希有なケース。アコースティック曲まですべてに、テクノのDIY精神が息づいている。

アン・スティール『ANN STEEL』

ディーヴォ風のジャンプスーツの衣装で歌う、イタリアのアイドル。宙づりのジャケのトリック写真などもいい味。テレックスがユーロヴィジョン・コンテストで共演し、後にカバーした「マイ・タイム」のオリジナル歌手で、こちらもスパークス風16ビート・シーケンスの楽しい仕上がり。「恋はアミアミ」に激似なカマトトポップもあり、リオ『美少女』のイタリア版といったところ? ジノ・ソッチョらを例に“イタリアテクノ起源説”を語る際に重要な意味を持つ一枚。

X-TEENS『ラヴ・アンド・ポリティクス』

基本はパブロックだが「キーボードとギターがまるでディーヴォ」な、パンク胎動期を真空パックしたようなノースカロライナのバンド。ザッパ、イーノがヒーローというテディ(Key)の飄々としたプレイが白眉。コンピュータ担当の第5のメンバーがいたりとYMO風なのが笑えるが、R.E.M.で知られるドン・ディクソンがプロデュースする音は、どれも素晴らしい。日本でも出た3rdが本作で、アコースティック・ファンク路線は、初期のトーキング・ヘッズを思わせる初々しさ。

キャプテン・センシブル『ウーマン・アンド・キャプテン・ファースト』

ダムドのレイモンド・バーンズのソロで、トニー・マンスフィールドのプロデュース。ここからミュージカル『南太平洋』の挿入歌「ハッピー・トーク」カバーが全英1位に。人懐っこいキャプテンの曲を、『ワープ』の手法でクールにアレンジするトニーの手腕は、人工甘味料ポップとでもいえる絶妙な味わい。「ブレンダ・パート1」の間奏で『アウトバーン』風のアレンジを施したり、「マーサ・ザ・マウス」は電脳フォーク風だったり、アイデアと編曲の溶け合いぶりが見事。

キャプテン・センシブル『POWER OF LOVE』

ハッピー・トーク」の成功もあって、トニーは当時の最先鋭機フェアライトCMIを購入。前作の悪ノリ路線はそのままに、出たとこ勝負な実験精神がビギナーズラックを呼んだか、奇跡のような仕上がりの1枚に。『ワープ』の続編的ファンキーなストローク曲が聴ける、プリンス風のひしゃげたファンク「STOP THE WORLD」など、トニーとの共作曲も増え、まるでダブルキャストのよう。初期ピンク・フロイドのカバーも含む、テクノ・サイケデリアなアルバム構成も見事。

マテリアル『メモリー・サーヴス』

首謀者は無名時代のビル・ラズウェル。ノー・ウェーヴと同世代組だが、P-ファンクの影響をベースにしながら、グループ名をフルクサスから拝借するアート感覚も。ルーツのわからぬフレッド・メイハーの重厚ドラム、ドイツの電子音楽の影響と語るマイケル・バインホーンの奇妙なシンセワークとのトリオが基本形だが、次作以降はアメーバ状に変異していく。悪名高きジョルジオ・ゴメルスキーのクレジットもあって、イタリア系マフィアな臭いがするのもまた魅力。

デイヴ・スチュワート&バーバラ・ガスキン『シングルス』

カンタベリー系の天才鍵盤奏者だが、参加していたブラッフォードがクリムゾン再編のため解体。そんな中、突如モータウンのカバー「恋にしくじったら」をリリースして驚かせた。そこから命名したブロークンレコードから、A面カバー/B面自作曲のシングルシリーズをスタート。パートナーを務めたのが元スパイロ・ジャイラのバーバラ嬢だった。トーマス・ドルビーやXTCを取り上げるセンスが、英国ポップファンの琴線を直撃。アカデミックなコードワークは未だに新鮮だ。

ニュー・オーダー「ブルー・マンデー」

イアン・カーティスの死を知らされた月曜日の憂鬱が主題。ここで聴けるクラフトワークの影響も、故イアンの置きみやげ。「ありえねー」って感じのキック連打から始まる、素人の手探り感まるだしのデジタル・ビートが、世界で100万枚売るヒットに結実。歌詞に漂う“死の匂い”からドアーズとの近似が語られるが、サウンドモリコーネの西部劇のディスコ版で、ある意味マテリアル「夕陽のガンマン」よりそれっぽい。次作ではイタロ・ハウスへの傾倒をより深めていく。

イップ・イップ・コヨーテ「PIONEER GIRL」

IRSからデビューしたロカビリー組を、トニマンが過剰にプロデュース。プリファブ「フェローン・ヤング」風のバンジョーフィドルをサンプルした電脳版C&Wで、牛の鳴き声やジューズ・ハープまで登場。12inch版が絶品。

(了)