POP2*5

過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

レスポールの伝説

 引き続き『けいおん!』の狂ったパロディマンガ。タイトルは某ドキュメンタリー映画から拝借しますた。映画のほうの出来はいまいちだったけどね。去年のアーメット・アーティガンのやつ(『アトランティック・レコードー60年の軌跡ー』)もかなり凡作だったし(ま、これは地雷が多すぎてちゃんと作れないのかも……)。ちょうどその前に観た『いとしのレイラをミックスした男』ってトム・ダウドの伝記映画は、タイトルは松竹映画みたいでアレだったけど内容は素晴らしかった。あのレヴェルの音楽ドキュメンタリーをもっと作ってくれないものだろうか。結局、ドキュメンタリーに於ける「音楽の魔法」は、オールマイティってわけじゃないってことですな。
 マイケル・ウィンターボトム監督が80年代へのラブレターとして撮った『24アワー・パーティー・ピープル』(これのみ劇映画)はかなりワタシ好みの傑作音楽映画だったけど、これを<ウラ編=トニー・ウィルソン・サイド>として、<オモテ編=ロブ・グレットン・サイド>を題材に扱ったものとして作られた証言映画『シャドウプレイヤーズーファクトリー・レコードとマンチェスターのポスト・パンク 1978〜81』なんて、音楽予算がなくてセクション25(笑)とか4曲しか使ってない。なのに、120分という長尺の感動的な作品になってたからね。それに、ジョイ・ディヴィジョンのパートで「ファクトリー・ベネルクス」のアノ人も出てて腰を抜かしたけど、やっぱ信頼筋が作るとひと味違うなあと。ま、何度も言うけどクセ玉の最高峰は、ポール・モーリィが構成を担当した『ニュー・オーダー・ストーリー』かと。神話解体の見事な手さばきは、小生が「pi●iv」のユーザーからかってるのさえ子供のケンカに見えるもん。あのタイミングでトニー・ウィルソンを本編に出すとか、マッコイ斉藤演出かよと(笑)。一見トムとジェリーみたいに仲良くケンカしてたけど、それがポールの差し金によるメンバー了解なしのドッキリ的演出だったことは、『シャドウプレイヤーズ』のフッキー(吹石一恵じゃないよ)のチンピラのようなトニーへの怒りを観れば容易に想像できまする。
 ともあれ、『24アワー・パーティー・ピープル』を観たとき、さすがウィンターボトムと思ったのは、みんながいちばん聴きたがってるはずの「ブルー・マンデー」を、あえてアコースティック・ヴァージョンに差し替えて、本チャンのCDヴァージョンを使わなかったこと。あの麻薬みたいな曲を使うと「ニュー・オーダーの映画」になっちゃうから。音楽のカタルシスはときに映画の設計さえ侵してしまう危険なものだということを、ウィンターボトムは察知して、あの曲だけ差し替えたと小生なんかは勘ぐったりしたんだけど、皆さんの意見はどうでしょう?