POP2*5

過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

『ユリイカ4月臨時増刊号 総特集・坂本龍一』(青土社)

 先日、ここのブログ再開時のご挨拶文でちょっと触れていた、小生が寄稿した『ユリイカ』の坂本龍一特集号の見本誌が届いた。『ユリイカ』編集部から文章を依頼されるのは、前回の『初音ミク』特集号に続いて2度目。小生は、後半の「坂本龍一ディスコグラフィー」のページのうち、「ソロ編」「YMO編」の全原稿を担当している。3段組のちっこい字で、22ページもある大ボリューム。最初は「YMO編」だけってことだったと思うが、2005年の教授のツアーパンフで全アルバム駆け足レビューというのを担当したことあって(編集は『コンポジット』の菅付雅信氏)、それを見た担当者の方から「ソロ編」も書いてほしいと言われてこの量に。小生への依頼は、教授ものの書物では意外と見かけることが少ない、客観的事実によるデータ重視型アルバムレビューだったんだけど、やっぱり「映画音楽編」とか、他の方が書かれた分析モノの原稿はかなり読ませますね。岸野雄一氏の文章はあいかわらず論点が的確で面白い。小生の書いたアルバム各論は、大谷能生氏の書かれた音楽家坂本龍一通史とセットのような関係になってるんだけど、さすがは大谷氏の分析、音楽家らしい含蓄がある。ほか、ネットとDRMについての論考はジャーナリストの津田大介氏、書評はネットワーカーのばるぼら氏、「energy flow」ヒットの考察などをCM音楽研究で知られる速水健朗氏(こないだ『テクノ歌謡ディスクガイド』で初めていっしょに仕事をした)が書いていたりと、小生の友人らもけっこう関わっていて、今の旬の書き手を適材適所に配した構成はなかなかのもの。
 メインの読み物である、佐々木敦氏による教授の最新インタビューも、やはりという感じでずしりと手応えがある。これまでも音楽の様式は常にテクノロジーの要請によって決められてきた、という教授らしい文明論の先に、現在のインターネット環境の話が置かれている。フェネスやカールステン・ニコライらとのコラボは、ファイル交換というインフラが整備された高速回線ネットという新環境によって実現したものだけれど、そういうネットの利点を享受するのと引き替えに、現代の創作者は違法コピーによって生活が脅かされることがあることも引き受けなければならない、と教授はスクエアに語る。しかし一方で、マイスペースなどの草の根的なメディアに、自発的に優れたリソースが集まっている現状を高く評価する教授。これだけ多くのミュージシャンが世の中にいるのに、そのあたりの環境の変遷に対して明確な未来的ヴィジョンを持ってて、なおかつ政治的な発言力のある人って少数派なんだよね。これまでメディアの奴隷のように生きてきた、お金もなけりゃ権威もない、小生にとっての希望の光もそこある。このブログの再開も、一見ふざけているように見えて、実は10年後ぐらい先のメディア状況までを見据えた(一応)、未来の希望を託しているところがあるのだよ。だいたい、まがりなりにも商業誌に文章を書いているプロの末席にいるライターが、アホなマンガを描いてるなんて前代未聞だろうしね。コミックエッセイのほうに進出したくて、いい歳して最近持ち込みしたりしてるんだけど、「なんで文章の人がマンガ?」って全員に確実に言われるもんな(笑)。「野口久光って知らない?」「和田誠だったら知ってるでしょ? ちょっと違うけど」「安西水丸も元マガハの編集者だし」って言っても、若い編集者はだいたい知らないもん。逆に「こうすれば」って忠告は受けることもあるけど、小生なりに矜持があって、『ボク、サラリーマン。』とか、いかにも単行本にまとめてほしいみたいな手つきでやるのだけはやめようと思ってる。この増刊号にも「エレファンティズム」という素敵なマンガを提供している、しりあがり寿氏のインターネット版というのが理想だな。なんだそりゃ(笑)。
 別に会ったこともないのに、とにかく小生が関わる仕事に不快な感情ばかり向ける高橋修が編集長している『ミュージック・マガジン』のうんこみたいな特集号の100万倍充実した内容。ネットでもずいぶん酷評されてたけど、あれは「坂本龍一特集雑誌史」に残るワースト本だったからな。いつまで、四方なにがしだの、田山なにがしだの、調査力も文章力もないくせに出典隠蔽したり偏向記事ばかり書いてるワーストライター使い続けるんだろ、この会社はいったい……。