POP2*5

過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

「音で聴く『電子音楽 in JAPAN』」満員御礼、ありがとうございました。




 先週日曜日(11月4日)、拙者企画のイベント「音で聴く『電子音楽 in JAPAN』」をなんとか終えることができた。来ていただいたお客様、本当に感謝感謝でありまする! 数日前に前売り券が完売したため、当日券を目当てにわざわざ会場まで来ていただいたのに入れなかった方もあったと後から聞いて、本当に心が痛む思いである。なにぶん、しゃべりもイベント主催もド素人。15年前に「史上最大のテクノポップDJパーティー」というイベントを仕掛けていた身分とはいえ、現場に出ると一気に萎縮してしまいますな。というか、自分が表方でやるイベントはこれが初めて。その上に機材セッティングから裏方、物販のアイデア出しやリレーションまで全部一人でやる欲張りぶりだったので、事故が起こらないほうがおかしいっていうぐらい。15年前の「史上最大のテクノポップDJパーティー」のころは、フライヤーブームの先頭を切って、著名デザイナー、イラストレーターに製作をお願いしたチラシを1000枚単位で作って都内に配って宣伝していたのだけれど(ショップの配布部隊は、当時教鞭を執らせてもらったバンタンデザインの学生諸君であった。かたじけない……)、今回はインターネットの力を信じて、チラシ系のPR活動は一切なし。好奇心からあえてそうした、一種の実験のつもりだったが、「それでも客は集まるのか?」という不安は、イベント前日まで拭えなかった。ブログなどで告知していただいた皆様のお力添えもあり、今回のイベントはなんとか満席で幕を開けることができた。口コミ協力いただいた皆様には、心から感謝している。
 98年に『電子音楽 in JAPAN』の最初のヴァージョンを出したときから、何度かイベント出演のお誘いをいただいたことがあった。もともと編集者の分際でイベント仕掛け人をやっていた身分なので、その面白さはわからないではなかったものの、ずっと断り続けていたのだ。だって、小生がパネラーになるイベントなんて地味だし、客なんか集まるわけないもの。それが今回、15年ぶりにイベント企画して表方までやってしまったのは、ひとえにパソコン・ツールの進化やインターネット環境の激変に理由がある。ニフティが運営する、トークライブハウス会場の「東京カルチャーカルチャー」は、ノートPCとパワポさえあれば、常設されたクラフトワークのライブばりの大型プロジェクター4機を使った、本格的な映像イベントも可能な設備。昔、小生がインクスティック渋谷DJバーで、プログラムの色づけとして八谷和彦氏らにVJをお願いしていたころは、新宿アコムまで行って個人カードで、投影機やスクリーンをレンタルして自転車で会場に持ち込んでやっていたわけだから、隔世の感がある。送り出しも、ターンテーブル2台から、CDJと進化して、今回は初体験のPC-DJスタイル。iTunesのブラウザをフル活用して、曲をかけながら、ジャケットや曲名を表示したり、レコード音源と映像をシームレスに連続させたりが、この環境で初めて可能になった。DJイベントやっていたころ、「おっ! これは何?」というレア音源をかける人がいると、ジャケット見たさにDJブースに人垣ができるのをさんざん見てきたから、曲を流しながら同時に曲名、アルバム名が表示できるようになれば、どんなに素敵だろうと思っていたのだ。ジャケット写真にしても、どんな風に表示されると賑やかで楽しいだろうと、あれやこれやとプラグインをテストして決め、日本語表示のためにカスタマイズしたりして、我流のPC-DJシステムを構築してみた。私はてっきり、PC-DJの先駆である萩原健太氏あたりがすでにやってると思っていたが、後から聞いたら、ジャケット写真などをアニメーションで映して曲をかけながらトークするスタイルは、まだかなり珍しいものらしい。……そりゃそうだわな。DJイベントなんだか、学校の講義なんだが、わからないキメラみたいなイベントだったし(笑)。ともあれ、コラムから写真、デザイン、イラストまで一人でやってブログで溜飲を下げているワンマンぶりの私。たった1台のパソコンを持ち込むだけで、音、文字、映像の構成から司会まで、一人でできちゃうという誘惑についつい駆られて、主催してみたのが先日にイベントなのである。



 話がまたスライドしてしまった。今回のエントリを書いた目的は、皆様に謝罪することだった。すみません、本当に詰め込みすぎで。結局、第一部「電子音楽の歴史」、第二部「ジャンル別珍レコード紹介」、「YMOができるまで」、第三部「牧村憲一氏を迎えて」、第四部「効果音レコード&初音ミク」を3時間弱の時間内で消化するのが精一杯。告知しておきながら「トニー・マンスフィールド特集」、「イエローマジック歌謡曲落選曲メドレー」などのコーナーは割愛せざるを得なかった。早朝までバッチリ準備しておきながら、このていたらく。なにしろ、第一部「電子音楽の歴史」を前日にランスルーしてみたら、トータルで2時間半かかることが発覚(気付くの遅すぎ!)。それを当日、たった1時間でやる必要があるために、ストーリーも解説も曲数もかける時間も、思いっきり短縮せざるを得なくなってしまったのだ。なんて早口の男なのだろうと、皆様も呆れられたことだろう。お恥ずかしい。しかも、津田大介氏、ばるぼら氏、ゲストの牧村憲一氏といった錚々たる語り部を迎えておきながら、活躍の場を与えることができなかったことに、いまだ大反省。ゲストのトークを目的に来ていただいたお客さんには、本当に謝っても謝りきれない。
 とにかく、リクエスト予定通り「初音ミクの歴史」まで遂行して、なおかつゲストのしゃべる時間を確保せねばという思いだけで、第一部「電子音楽の歴史」はまくし立てるように進行するしかなかった。まさにこのパートが、今回のイベント最大の出し物のつもりだったのに……。97年、まだインターネットが完全にいまほど整備される前、国会図書館のレコード室で、1日LP4枚までという制約の中で、『電子音楽 in JAPAN』のストーリーの源泉となる過去の素晴らしい音楽を聴きながら、「こうした音が皆気軽に楽しめるようになったら、今の音楽シーンももっとクリエイティブになるんじゃないかな」と思ったのがすべての発端であった。現行の『電子音楽 in JAPAN』にリニューアルするときに、版元にCDを付けたいと懇願したのも、同じ理由だ。ストーリーが面白くても、やっぱり音が聞けないのでは魅力は半減という、読者の気持ちは誰よりも私がよく知っている。もちろん、本で紹介している曲すべてを付録CDに収録するなんてことは難しい。おまけに、なかなか取材以外の場では聴けない曲のほうが多かったりする。だからこそ、読者の前で本書のストーリーを追いながら、時代を飾った名曲の数々を実際に音で聴いてもらうイベントができたらと、密かに思い続けていたのである。
 実はこの「お勉強もの」、よほどのしゃべりの芸がなければ成立しないことも知っている。特に難解でノイジーな初期の電子音楽の数々を紹介しながら、講義をエンタテイメントにまで昇華するのは並大抵の技術じゃ足りない。それを重々承知していた小生ゆえ、いろいろ硬軟取り混ぜたかっちりしたシナリオを用意していたのだが(BBCラジオフォニック、フィリップス物理研究所など、『電子音楽 in JAPAN』の歴史を意図的に組み替えて、ポピュラー寄りにしてみたのはそれが理由)、ランスルーで3時間近くかかることがわかったときは、ときすでに遅し。結局、ブツ切りでかつ、まくし立てるように早口で講義する最悪のカタチになってしまった(いずれフル・ヴァージョンをどこかで披露できないものか……)。
 『電子音楽 in the (lost)world』の構成に準拠した、ジャンル別の耳で聴くディスクガイドのコーナーも、残念ながら消化できたのは半分のみ。「ジングル&コマーシャル」、「デモンストレーション」、「エキジビジョン(但し半分)」、「スポークン・ワード(これも半分)」などなど、『in the(lost) world』でも紹介できなかった、新入荷のバカバカしい音源を集めて臨んだのであったが……。ABC、CBSBBCなどの放送局のニュース番組のジングルや、モーグ、アープ、オーバーハイム、EMSなどのデモ・レコードが立て続けに流れるというのは壮観であろうと思いつき、海外のコレクターの友人に頼み込んで、ジャケット写真(jpeg)や音(mpeg)を送ってもらうという、相当な手間と労力をかけたので大反響になるかと楽しみにしていたのだが。ムムム。
 とにかく、お客さんに申し訳なかったのは、後半に予定していた「トニー・マンスフィールド特集」、「イエローマジック歌謡曲落選曲メドレー」など、当ブログの与太コラムノリ・コーナーが目的で、足を運んでいた方々がいたこと。それらをバッサリ割愛せざるを得なかったことを、申し訳なく思っている。いくら前売り券の売り上げが心配とはいえ、できない可能性のある約束をウェブで羅列などするものではないなと大反省。結局、イベントとしての統一感の調整や、キラーコーナーを残すことを目的に、客入れ直前に再構成したのが、先日のイベントの内容であった。満腹感を感じていただいた方もいれば、あまりに詰め込み型な講義スタイルに呆れられた方もいたらしい。トホホ。
 プログラムは、そんなわけで私の脳内でアウェイ気味に進行していたわけだが、会場の雰囲気はというと、ちょっと面白い状況になっていたらしい。久々のイベントだから心細いからと、賑やかしに来ていただいた、古くからの友人が経営している渋谷のモンドなレコード店ソノタ」の出張販売に、ズラリと列ができる光景が異色であった。在りし日の数寄屋橋ハンター主催の、東京ドームレコード市をちょっとだけ思い出した。ネットの検索エンジンで、なんでも串刺しでモノ探しできるようになって、ああいう芋掘りや松茸狩りみたいなレコード探しってしなくなったよね、としみじみ。しかも、山口優氏、常盤響氏らが自ら売り子で参加するなんて、みながまだ無名だった20年前を思い出す、めったに見られない贅沢な光景であった。一方、拙著を出していただいている出版社・アスペクトの物販コーナーも、ありがたいことに盛況だったそうで、早々と『電子音楽 in JAPAN』、『電子音楽 in the (lost)world』とも完売に。特に『電子音楽 in JAPAN』のほうは倉庫に残っていたすべてを処分したもので、あれが初版最後の入手機会となった。おかげで、翌々日に重版をかけられることが決定(買っていただいた皆様、本当にありがとう!)。実は昨日まで、ない時間をやりくりして赤字修正本を作っていたのだ。初版から6年がかりになってしまったため、事実関係の訂正や人名なども可能な限り修正した、より完全なものとして近々二刷がお目見えすることになるはずである。ぜひ、ご一読くだされ。
 それと、途中の牧村憲一氏のコーナーで、ハプニング的にステージに戸田誠司氏がゲスト出演することになったのも、私にとって感無量な出来事であった。お2人は、ノンスタンダードレーベル時代、つまりShi-Shonen黄金期のプロデューサーとアーティストの関係である。師匠・戸田氏は、私がお誘いして遊びにきていただいたのだが、牧村氏からせっかくだからと声をかけていただき、会場のクレイジーな状況を面白がって、急遽壇上に上がってもらうことになったのだ。ここだけ、かなりゲリラな進行になって、我ながら面白かった。この日の最終演目がちょうど「初音ミクの歴史」ネタだったのだが、なにしろ戸田氏は著名ミュージシャンで唯一「初音ミク」に言及している人。当然話もそちらにつながり、示唆に富むコメントを繰り出していたのが印象的であった。くわしくは、当日のイベント内容をまとめていただいているブログがあるので、そちらを参照されたし(勝手にリンク貼ってすいません……)。
 実は戸田氏以外にも、けっこう名前の知れたミュージシャン、評論家、同業者の方々が遊びに来ていたことを後で知り、密かに大感激。以前の「テクノポップDJパーティー」のころも、残った記帳名簿を見て、錚々たる有名人が来ていたことを後から知るのは感激ひとしおであった。当時は、バブルで景気がよかったこともあり、慰労目的もあって、マスコミ関係者の友人をたくさん招待していたのだ。今回のイベントはまだ実験段階であることと、ホールとの共催というスタイルのために、今回ご足労いただいた方々をまたの機会には招待したいと思っても、果たせないのが悲しい。消防法の関係で着席数しか集客できないため、インクスティック渋谷DJバー(公称400人収容)とほぼ同等のスペースでありながら、半分も客が入れられないという台所事情によるものである。本当に申しわけありませぬ。
 ともあれ、なんとか大事故にいたらず、イベントを終えることができてよかった。途中、15年前に私が主宰してやっていた「史上最大のテクノポップDJパーティー」の記録映像を流したのだが、久々にそれを見た私は、自分の半生は思いつきの行動と皆様の理解あってのものだったのだなと、改めて複雑な思いに駆られてしまった。アイドルの宍戸留美ちゃんに初めての生演奏ライブをやってもらったり(電気グルーヴを抜けたばかりの高橋耳夫氏がやっていた、タカハシテクトロニクスが演奏)、当時は福岡在住で引退同様だったスーザンさんを引っ張り出して、永田一直氏のオーガニゼーション(ファンタスティック・エクスプロージョンの前身バンド)に編曲をお願いして、初めてのYMOサウンドによるライヴを実行したり、小西康陽氏にお願いして期間限定ユニット「女性上位時代s」を再演してもらったり……たったそのイベントのためだけに、著名な方々にご理解、ご協力いただけたのは幸運に尽きる。当時のビデオをステージ上で見ながら、走馬燈のように当時の舞台裏の苦労を思い出す私。しかし同時に、私の心の中に15年間くすぶっていた悪魔がささやきだしたのも忘れなかった。「もっとオモロイことしたい!」……イベントが終わるやいなや、ゲストに来ていただいた私の師匠・戸田誠司氏らにさっそく声をかけ、性懲りもなくまたイベントをやることを、ほぼその場で決めたのである。懲りないねえ。というか、今回の雪辱戦のつもりで臨む私だ。
 12月、8日、9日、東京カルチャーカルチャー初の2デイズイベントとして、「耳で聴く『電子音楽 in JAPAN』」改め、「POP2*0ナイト」として続編イベントを開催。今月13日より前売り券が発売されるそうなので、今回もいらしてくださいませ。詳しい中間報告は、後日ここでもお届けする予定。どうか、よろぴく。