POP2*5

過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

すねふぃんの極私的「萌えマンガ」史

 連日、手を替え品を替え「pi●iv」辛口批判を書いている「POP2*5」である。4ヶ月間ブログ未更新だったため、再開早々はほとんどページビューのカウントが伸びなかったものの、やっぱりという感じで罵倒系ネタを書き始めたらグングン回復してきた。フントニもー。ずっと13年も週刊誌編集部にいて、いわゆる週刊誌の流儀として世間の良識派の方々を怒らせて部数を伸ばしてきたこともあり、そのへんのやり口は心得ているつもりだが、改めて「あんたも好きねー」とカトチャンの台詞が口をついて出てしまうほど、反応を見て読者の方々のスキモノぶりに圧倒されるばかり(笑)。「POP2*0」時代から当ブログの内容をご存じの読者なら、音楽業界を舞台にしたテクノポップ周辺の酷いパクリ記事や偏向報道に釘を刺してきたのを知ってるだろうから「あいかわらず、またか」って感じだろうけど、今回は小生にとって門外漢なアニメとかの「萌え絵」に対する批評だから、「典型的なオタク嫌いのサブカル好きの言い分」だのと、改めて新鮮な苦言をいただいたりしている。もともと価値相対主義者で、その権化みたいな週刊誌で働いていた身分なので、感情的な抑制はトレーニングされてるほう。「萌えオタク」本人を断罪する以前に、彼らを生んだ業界構造の問題について論考するなど、それなりの逡巡があって辿り着いたコメントだってのに、「典型的な」だなんて、なんとうすっぺらな(笑)。いかにも「オタクは打たれ弱い」という典型のように見えたりして、脊髄反射にもほどがある。なにしろ、4カ月もその世界に馴染もう馴染もうと、さまざまにトライし、罵倒に耐えて、ついに「こりゃあかん」と思ってあえて本音を晒しているわけだから、それなりに思慮深い行動だと思ってくだされ。自分なりに本田透氏の著書などに共感したり興味深く読ませてもらったりしたほうだから、批評眼なき天然な萌えアニメ支持者よりはずっと、“萌えアニメ”の有用性についてわかっているつもり。
 かくいう小生も、「pi●iv」に投稿始めたごく初期に、当初の「音楽版ホイチョイプロダクション」の企画が出鼻を挫かれて途方に暮れてたころ、「猫マンガ」に辿り着くまでの1カ月の間、実際に我流の「萌えマンガ」を描いてみたりしていたのだよ。なにもやらずにブーブー文句言ってるわけじゃない。4カ月も前の下手くそな模索絵だから、いまさら人前にさらすのも恥ずかしいのだが、まあ読んで見てくだされ。「萌えマンガ=魔女っ子もの」という短略的発想がいかにもロートルだが、そもそも小生みたいなアニメ、マンガをほとんど読まない一般ピープルなら、世間が思ってる「萌えマンガ」なんてこんな感じだと思うケド。


■現代魔女・平泉成子(第一話)

※文中の「鼻をほじる設定」というのは、先に投稿していた「鼻をほじくる少女たち」(↓)という一枚もののイラストに反響があったので、それにあやかったもの。



■現代魔女・平泉成子(第二話)



■番外編・赤い髪の女「巡音ルカ」(第三話)



 どこが「萌えマンガ」なんだという批判は、あえて寄せないでいただきたい(笑)。ちなみに、第一話の3コマ目の女の子の入れ墨にある“狂兄”というのは、その筋で通称「京アニ」と呼ばれる、平成萌えアニメ界の信頼のブランド、京都アニメーションのこと。『涼宮ハルヒの憂鬱』などを制作している、京都に拠点を置く制作会社で、ここも実を言うと70年代の創業時、虫プロダクションの下請け会社から歴史が始まったというから、“萌えアニメ史”的にもその存在は極めて興味深い。今や「サブカルなき東京」から遠く離れた、古都・京都が発信基地というのが、キョウセラや『マーダーズケースブック』の光琳社や工作舎人脈の京都造形芸術大学みたいでオシャレだし。
 ちなみに、小生のマンガを見た人から、かならず「この奇妙なタッチはどこから来たのか?」と聞かれることが多いので解説をば。小学校高学年までは手塚治虫藤子不二雄しか知らない、ウブなマンガ好きで、そのころチラシの裏に遊びで書いていた創作物語や落書き絵が、すべてのベースとなっている。『悟空の大冒険』と『メルモちゃん』と『ドラえもん』『パーマン』あたりは、いまでもそらで描ける自信がある。よく「フリテンくんみたい」と言われる現在の4コマの主人公も、実は手塚治虫が『漫画サンデー』とかで大人マンガを描くときに使い分けていたタッチの模倣である。その後、中学時代の短期間だけ友人の影響で、文化の薫り高きサブカルマンガ誌『マンガ奇想天外』、『JUNE』、『マンガ少年』や、関西のプレイガイドジャーナルが出していた『漫金超』(いしいひさいちの『バイトくん』が有名)を熟読し、当時のサブカルマンガ界の新星だった大友克洋に耽溺。ちょうどアメリカンニューシネマとかに影響を受け始めたころだから、その当時の落書きや絵コンテまがいのメモは、ほとんど100%大友克洋タッチであった。以前のエントリで描いた、中学時代に唯一『少年ビッグコミック』(後の『ヤングサンデー』)に投稿して佳作入選し、雑誌に名前が載ったというのがこのころで、男キャラは大友克洋、女キャラは高橋留美子のタッチをパクったものであった。当時、柴門ふみ石坂啓もかなり好きで(石坂啓がDJやってた『パックインミュージック』なんかも聞いてた)、つまりそういう独特な絵柄の女流作家の影響を受けていたので、「女の子キャラの絵がキタナイ」というのはそのころから。ちなみに、似顔絵が多少なりとも描けると思うのは、『ガロ』の編集長だった南伸坊のイラストや、ペーター佐藤のドローイングとかを参考にしながら、よくハリウッド俳優のスチールとかを模写していたからだと思う。
 その大友かぶれ時代に、創刊されたばかりだったマンガ情報誌『COMIC BOX』に投稿ハガキが載り、それに載っていた住所を見た隣県の大学生から手紙をもらったことから、当時、5、6歳は歳の離れた大人のミニコミ作っている人たちとの交流が始まる。元々、筒井康隆ファンクラブ>高橋留美子ファンクラブへと発展してできた、そのミニコミからのお誘いを受け、我が生涯で数少ないミニコミ参加というのも経験。半分はイラストと、半分は文章を投稿しており、確か「高橋留美子と音楽」みたいなコラムを書かせてもらった気がする。その人たちにはよく遊んでもらってて、大都市・福岡のコミケかなんかに出店するというので車で連れていってもらったこともあった。しかし、多感な中学高校生だった小生は、マンガよりも当時のサブカルチャー全般に興味があり、福岡に行ったときもコミケとかそっちのけで、生まれて初めてみた大型書店に感動する始末。なぜか、荷物になるってのに、あのときは東京ボードヴィルショーの戯曲集(岩松了作品)をいくつか買って帰ったなあ。まあ、そんなコミケ文化と関わりを持ちながら(「DAICONアニメ」とかが盛り上がる第二次アニメブームと同時代の話)、なんでそっからマンガの世界に行かなかったかというと理由は単純で、もういっぽうで影響を受けていた、当時のパンク/ニュー・ウェーヴ、サブカル雑誌ブームのせい。「あの激動のアーリー80sを、ダサいマンガなんかに青春捧げるなんて信じらんない」と本気で思っていたのだ……割とつい最近までですが(笑)。高校時代は恥ずかしいバンド活動を人並みに経験し、ジャックスカードのCMのガラス越しにトランペットを眺める黒人少年みたいに、高くて買えないシンセに夢を馳せ、一方で『ビックリハウス』に投稿して採用されて舞い上がったりして。その後、宣伝会議のコピーライター養成講座の一般コースに行ったらけっこう誉められて、わりとすぐにコピーライターとして社会人デビュー。すぐに挫折して雑誌編集者に転職し、23年間をその世界で過ごしてきたというわけである。
 いかんいかん、本題から外れた。で、萌えマンガについてであるが、例えば「高橋留美子が好きなのでラムちゃんが憧れの人」とかそんな感情は毛頭なく、『うる星やつら』にしても、最近の『のだめカンタービレ』を最初に知ったときみたいに、「女性にしては絵がキタナイなあ」と思ったぐらいで。実はそのミニコミに関わっていたのと同じころ、やはりミニコミ出身でデビューしたばかりのふくやまけいこさん(当時は福山慶子と表記)という新人マンガ家がおられて、彼女が『COMIC BOX』に描いていた『何がジェーンに起ったか?』という描き下ろしを読んで感動しまして。タイトルはベティ・デイヴィスの同名映画の引用だったけど、内容はクリストファー・リーヴジェーン・シーモア主演の『ある日とこかで』みたいな良質のタイムリープもので、あまりに感激して手紙を出したらお礼の葉書が届き、同封していたミニコミのカットを「絵柄が好き」と誉めていただいて、ウブな少年だったから舞い上がってしまいましたよ。そっから、男キャラは全員大友克洋で、女キャラは全員ふくやまさんの影響を受けた、ちぐはぐなハイブリッド路線になるんだが(笑)、音楽にのめり込み過ぎてミニコミの人たちとも意識的に疎遠になってからは、すぐにイラスト、絵のたぐいは一切描かなくなってしまった。当時のマンガ文化のことをそれなりに知ってる人にこの話をすると、「ふくやまけいこさんの影響」というのはある程度通じるらしい。復刊した『コミック・リュウ』でも描かれている現役作家の方だが、当時は今みたいな洗練されたペンタッチじゃなくて、小生みたいなマジックなぐり描きのかなりラフなタッチだったんで。『ふくやまジックブック』という、当時かなり売れた個人誌というのを、いただいたハガキといっしょに今でも持ってる。実は小生は、下手な我流のピアノの弾き過ぎによる書痙というビョーキ持ちで、筆圧が高いのと、呑まなくても手が震えるので、今でも描き上げるたびに「絵がキタナイなあ」という自覚がありつつ、恥ずかしげもなくしかたなく作品を発表しているという次第でして。というか、そういう負い目があったんで、40代までほとんどマンガなんて描いたことなかったと言えるかもしれないな。



ふくやまけいこさんの『何がジェーンに起ったか?』の甘酸っぱい記憶を思い出すと、当時聴いていたこの曲を思い出す。ニュー・ウェーヴだパンクだとか言ったって、映画音楽好きだったりして、かなりおセンチな性格でもあったもんで。我が青春のサウンドトラックなり。