POP2*5

過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

『YELLOW MAGIC ORCHESTRA×SUKITA』(TOKYO FM出版)にコメントを寄稿しますた。

Yellow Magic Orchestra×SUKITA (TOKYO FM BOOKS)

Yellow Magic Orchestra×SUKITA (TOKYO FM BOOKS)

 鋤田正義氏が撮影したYMOの写真で構成したヴィジュアルブック『YELLOW MAGIC ORCHESTRA×SUKITA』(TOKYO FM出版)が先日刊行された。おなじみ『ソリッド・ステート・サヴァイヴァー』、『増殖』のジャケット素材写真のほか、79年、80年のワールドツアーの同行記録など、関わりの深かった初期のスチールをメインに、20年を経ての近年のリユニオンの模様までを収めたもの。高額商品でありながら、発売日にamazonで在庫切れになるなど、未だYMO人気が衰えてないことを実感させた。テキストページには関係者のお歴々がコメントを寄せており、ありがたくも小生もその一人に加えていただいた。TOKYO FM出版の知り合いから本書のことを聞かされたのは1年前のこと。コメントを書いたのはずいぶん前だったから、発売も延期に次ぐ延期でヒヤヒヤしていたものの、こうして完成にこぎ着けたのがまずおめでたい。
 もっとも愛着のある初期YMOポートレート中心に編まれた本ゆえ、ページをめくるたびに中学生時代のトキメキを思い出して溜息が出る。結成時は細野さんが30歳なりたてで、教授と幸宏さんが25歳だもの。デヴィッド・ボウイマーク・ボランなどの公式写真で知られる、鋤田氏が収めたメンバー写真はまるで海外アーティストのようで、同地のポストパンク連中と並んでもフレッシュさでは引けを取らない。鋤田氏がオフィシャル的にYMOを記録していたのは、79〜80年とわずか2年のことだが、YMOにとっては激動の時期であった。まだブレイクする前夜で、氏の捉えたYMO像を端的に言い表せばディレッタント的。とにかく気品があるというか、構図の切り取り方もユニークで、アートなYMOの姿を捉えている。翌年、第1回ワールドツアーに同行した鋤田氏に代わって、第2回ツアーのオフィシャル撮影を務めたのが三浦憲治氏。おそらく『写楽』縁からの抜擢だと思うが(後に『OMYAGE』というヴィジュアルブックも刊行された)、篠山紀信の弟子筋である三浦氏の写真はメジャー誌出身らしくアイドル然としており、後の『浮気なぼくら』〜チェッカーズを彷彿とさせるものがあった。リアルタイムでYMOファンが熱心に読んでいた雑誌『ロッキンf』のリポートは、大半がヒロ伊藤氏のもので、こちらはロック・バンドとしてのYMOやオーディエンスの熱狂を伝えていた。記録されるYMOの姿も、カメラマンによって実に多種多様なのだ。また、編集氏のこだわりで、ワールドツアーの楽屋に訪れた海外アーティストとのバックステージショットをふんだんに盛り込んでいるのが楽しい。同業者だから、肖像権クリアなどかかった手間を想像するとゾッとする(笑)。
 後半ページは当時のスタッフやファンからのコメントで構成されており、おそらく肖像権の許諾で連絡を取った際に答えたとおぼしき、珍しい海外アーティストのYMO評も載っている。ユニバーサル・ミュージック会長の石坂敬一氏のコメントが刮目すべきもので、東芝EMI時代にYMOに先駆けて世界マーケットに売り込んだ、クリエイションの苦労時代のエピソードが綴られていたのが興味深い。ヒカシュー担当としてニュー・ウェーヴ界にも関わりが深かった人だから、氏が語るYMO評の続きの話も読んでみたい。実は以前、元徳間ジャパンの三浦光紀氏にもYMOメンバーとの関わりについて話をいろいろ聞いたことがあって(ベルウッドレコード〜矢野顕子ほか、安田成美、伊藤つかさなど、エグゼクティヴ・プロデューサー時代にもYMO参加作品が多いのだ)、当時のライバル会社のプロデューサーから見たYMO評というのが、実に興味深いのだ。一方、YMOの育ての親的存在である元アルファレコード社長、村井邦彦氏の今回のコメントもふるっていて、キッシンジャー博士との当時の交流について触れている。実にハリウッド的というか、ロバート・エヴァンスの伝記みたい(笑)。YMOの世界進出計画が果たせたのも、村井氏の華麗な社交界との交流に連なる、アルファレコードの伝統だからね。
 特殊なパッケージ仕様になっているのは狙いなのだろうが、amazonなどの評価はなかなか手厳しい。普段は版ズレにも細心の注意が払われるような写真家の公式作品集なのに、パルプ雑誌風の造りが取られている。いろいろ想像を巡らせてみたのだが、拙者が以前、YMOのDVDを構成させてもらったときのことをちょっと思い出した。メーカーから「映像版ベスト」という要請があって作られたDVDだったが、YMOは初期、中期、後期とスタイルが激変しており、ライヴ映像はまるで別バンドのよう。それを通常のベスト盤のように映像をつないでいくと、ただ散漫な印象になってしまうため、副音声をDVDのサブトラック入れるなど、そのときはただの寄せ集めでないものを作ってみた。YMOヒストリカルにまとめるには、こうした配慮が求められる。おそらくは初期からリユニオンに至る四半世紀に及ぶ、バラバラのマテリアルをかき集める際に、一つのトーンに統一していくような演出として、こうした仕様が取られたのでは。
 以前、「アルファ商法」と呼ばれる復刻ビジネスに関わっていたおなじみの3人組がいて、彼らによって鋤田氏の写真の多くは何度も書籍化されていた。未発表音源のCDをメンバー無許可で付録に付けたり、YMOの復刻は彼らのやり放題状態で、許諾どころか撮影クレジットもあやしい、こうしたファンブックの刊行が許されている時代があったのだ。その後、98年に東芝EMIに発売元が移ってからは、CDはメンバー監修のスタイルになって今に至るが(拙者はここから参加)、本書もメンバー了承の下で刊行にたどりついたもの。上質コート紙にプリントしたのを自慢げに語っていた前出のゲリラ出版物を、YMOファンは大絶賛していたわけだから、カメラマン公認の本書が非難される構図は複雑な感情を抱かせる。ニュー・ウェーヴ系愛好家の中でもYMOファンは、ビートルズシネクラブ的というか、かなり保守的な層で構成されるからね。AKB48とかのアイドル写真集ぐらいオーソドックスな作りにしたほうが、歓迎されたかも知れないな。