POP2*5

過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

STUDIO VOICE休刊について、twitter風につぶやいてみる。


 噂ではすでに聞いていたが、確証を得るまで書くつもりはなかったけど、すでにニュースサイトで取り上げはじめたみたいなので書いてもよいだろう。サブカル系雑誌の最後の牙城だった『STUDIO VOICE』が今夏で休刊になるという。編集部内にも執筆者にも多くの友人がいたし、ウォーホルの『Interview』誌と提携していた時代からの読者だから、思うことはたくさんある。自分なりに意見をまとめて書こうと思っていたけど、Twitterユーザーの交わしているやりとりを見て書く気が失せてしまった……。
 400号にも届くかという長い歴史の雑誌の休刊(廃刊じゃないよ)のネタが、ひとたびTwitterにかかれば瞬間風速的に消費されていく。その話題もすでに終盤戦ムードのようで、「感傷的になってるアナタが、そもそも買ってあげてれば雑誌は続いていた」という総括的なまとめに入っているタイミングに、こんな興ざめなことを書くのは気が引けるが、たった一人が雑誌を買うことで休刊を救済できるなんてあまりにも陳腐。なんでそこ、誰もツッコまないのかが不思議。当ブログで何度も書いてるけど、広告が入らなくなったというそれだけの理由。ページ広告料がカラーで50万円と仮定して、そのページが埋まらなかった場合に、何冊本誌売り上げの薄利でカバーすればそれが埋まるかを単純に考えればわかるはず。これは単に「広告依存型雑誌の終焉」であって、たかだか70年代末の平凡出版(現・マガジンハウス)あたりから始まった30年ぐらいの歴史の終わりに過ぎない。『STUDIO VOICE』の発行元であるインファスという会社は、タイアップ企画で有名な、その最たる存在でしょうに。サブカルの本尊が、喜んでデジハリなんかの生徒の体験記事載せてたわけじゃないのも、読者には周知のことと思うけど。
 先の30年を「雑誌ブームの時代」と定義するならば、我々が思春期に読んで育ったような雑誌環境の再来はすでに望めない時代になったが、実売収入で存続してきた『暮らしの手帖』のような雑誌は、広告が入らないからと早々戦線離脱する競合誌をよそに、逆に売り上げを伸ばしている。「サブカル誌の終焉」っていわれてもさ、『クイックジャパン』が伝家の宝刀であるドラえもんやテレビネタをやって北尾色を払拭したり、『ユリイカ』が初音ミク坂本龍一をテーマにしたヴィヴィッドな増刊号を次々出して、いずれも増刷されるヒットとなっているような新局面もあるわけで。『STUDIO VOICE』の終焉は、インファスのあからさまな広告主導スタイルに原因があって、それに対する抵抗もあったのか、編集側が歩み寄っての広告とのシナジーを果たせず、むしろ旧態依然とした誌面作りを強行に続けていたというのが休刊の理由でしょ。広告が入らなかったのが決断の直接の理由にせよ、他のサブカル誌のサバイバルぶりに比べればあまりに温室育ちすぎて、時代に順応できない誌面作りが、結局ネット世代の読者に訴求できなかったって部分もあるのかもしれないけど。
 もっと言えば、『STUDIO VOICE』や『流行通信』がなぜ、出演者にギャラや原稿料を払わずにやってこれたかとか(有名な逸話)、そもそもペヨトル工房のようなサブカル系出版社がアルバイト代無報酬なのになぜ人材に事欠かなかったかとか、分析するのにもっとたくさんの、語らなければいけない雑誌文化を成り立たせていた背景がある。「Twitter風に」と書き出したつもりだったが、そんな文量ではとても伝えきれないよ。つか、そんな短文文化で世の中のことがわかったつもりでいる人々に、どうやってそれを伝えればいいんだろうね。
 そういう意味で、Twitterユーザーに対してディスコミニュケーションを感じる今日この頃。政治家や新聞社がTwitterを取り入れ始めたってことの反応も、脳天気で自己肯定的。主婦が台所から政治を変えるみたいな、あまりのミーハーぶりで鼻白む。なんかビッグネーム好きだよね、結局。どこまでこの陳腐さが続くんだろう。「ブログもまともに続けられなかった人々」が、新しいツールを手に入れられたところで、それで頭が賢くなるわけでもないだろうに。目のくらむようなリプレイの応酬に酔っているのは本人だけ。つか、「誰がアナタの近況報告なんか喜ぶと思ってるの?」ってことを肝に銘じて、それをスタート地点にしなけりゃ、こういうツールを使いこなすのは至難の業だよ(※)。「つながりを感じるツール」なんてものを、付和雷同な日本人がケーハクに使い始めるなんて、グロテスクな結末しか見えやしない。そういうことに無自覚なままでやってりゃ、いくら海の向こうで情報革命を起こしたツールであっても、いずれ村八分的なダークサイドが露呈してコミュニティが終焉を迎える、そんな気がする。
 そういう情報消費者の鑑が、歴史ある雑誌を廃刊させた遠因の片棒を担いでいるということに、もっと自覚的になってみてはどうでしょ。おそまつでした。


※字面だけ捉えて「Twitterのことわかってない」って、絶対書かれるんだろうけどね。一応、含みのある発言のつもり。


(追記)


>82828


何言ってんの?誰も買わないから販売部数が小さくなって、「こんな部数じゃ広告の価値なくね?」って思われるから広告が売れなくなるわけで。買う読者がいるから広告も売れるんですよ。
この頭の悪さって一体? 休刊の決定条件になるのは、「部数減」じゃなく「広告減」という、因果関係もわかっちゃいない、稚拙な意見。


>uldagap

後半で『クイックジャパン』や『ユリイカ』は時代に阿っててダメだ、と言ってちゃぶ台返しているようにも読めるのだけれども
 うは。あまりにも誤読がヒドイのでpickup。ディスコミュニケーション深まるばかり……。あと、平凡出版の件、修正しました。失礼しました。
  こうして書いた物を後から客観的に読み直してみて、正直に言うと、あまりに時代錯誤的と自分自身で思う部分もある。例えばワタシの場合、企画会議などにアイデアを提出する際に、世の中には天才型のアイデアマンというのが本当にいるので、自分のような才能のない人間は、他人の倍時間をかけてアイデアを考えることを肝に銘じている。時間をかけて熟考する努力で、天才についていけると信じて日々を送っている。また、天才型の人はひらめきが働く分、考えずに済んでいるから不調時に対応できず、仕事内容に出来不出来が生まれるようなムラっ気があったりするもの。だから才能がなくたって努力クセがついていれば、突出はしなくても平均アベレージをキープできる。そういう才能というのも社会的には必要とされていて、そういう人をワタシは「プロ」と呼んでいる。「プロ」は締め切りを守る。守れないのは「優秀な素人」って、それだけ。
 素人の思いつきのつぶやきに、まったく情報価値がないと断罪してしまうのには、そういうワタシなりの考え方が根底にある。だって日本人の美徳は、「よそ行きの格好」とか「ハレとケの使い分け」とかの文化に支えられてきたわけでしょう。スポーツのように情報を即時的にレスポンスするなんて、柄じゃないというか。Twitterの有り様を全否定するつもりはないけれど、勢い政治的な発言まで飛び出してご満悦なのはいかがなものかと。無反省に脊髄反射ばかりしてないで、「もっとじっくり考えて発言しなよ」と言ってるのはそういうこと。「自分の近況報告にだって、読んでくれる読者がいるから」って言い分もわかるけど、それって結局、情報発信ごっこしたがってる自分を承認してほしくて、お互いを受け入れている“自己肯定”でしょ。それが日本人が「ムラ」を作りたがる理由。この21世紀に、今さらなにやってんのと思ってしまうのは、ひょっとしてワタシだけなのかしらん(悲)。