POP2*5

過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

帰ってきたマーク・リボーの巻

Party Intellectuals

Party Intellectuals

 半年のブランクを経て、再び更新を再開した拙ブログである。実はこの半年の間にも、宣伝を載っけようと早めに原稿を書きながら、諸事情でボツになることが何度かあった。10月に入ると、いくつか小生が関わったもののリリースラッシュが続く予定だが、今もなかなか情報がオープンにできないものが多くて歯がゆい思い……。いかにも露悪的にブログやってるように見えるけれど、それはそう思わせてるだけで、実は秘匿義務を守って仕事をしているプロの身分。肝心なところは伏せて書いているのよ〜。そんなこんなで、まだ未決定レベルの本業のことやバイトの音楽ネタなどを取り上げても、結局は肝心の核心部分には触れられなくて(「あれ?」「どうして?」と思うようなことは、だいたい大人の事情で決まっている)不完全燃焼で終わってしまうので、いきおい懐かしネタ、アホなアイドルネタ、ヲタクネタばっかりに暴走している。最近、ブログの存在を知っている方と仕事で会う機会が増えて、恥ずかしい限りなんだが、相手方にしてみると、どんなヲタクな野郎だろうと会うと案外つまらない凡人なので(そりゃそうだ、普通の勤め人だもの)、面食らってしまうらしい。
 音楽に関しても、たまたま電子音楽関連本を続けて出している立場だけれど、別に電子音楽専門ってわけじゃない。ことテクノ分野なんて、知識は普通のロキノン読者以下かもしれない。つーか、そのへんにほとんど興味がないのは、根っからのポップス人間なので。昔から映画好きの小生は映画を観るのと同じぐらい、映画にまつわる本を読むのが大好物なのだが、洋邦問わず充実している映画分野に比べ、音楽ジャーナリズムに関しては、これはと思うような力の入った読み物に出会えることはほとんどない。特に好きなニュー・ウェーヴ関係については、悲しいぐらい皆無である。YMO関連なんてその最たるもので、書き手はニューロマ(演歌みたいなヴィジュアル系の元祖みたいなマイナーメロディーばかりのジャンルで、私は基本的に嫌い)好きがその大半で、テクノロジーのことなどさっぱり興味がない御仁が、そのポジションを死守してずっと変わりようがなかった。あまりの悲惨さに一読者として期待するのは諦めて、あるとき意を決して野党代表のつもりで書き手に回って書いたのが、小生の一連の電子音楽関連の著書であった。いくらかわかりやすい、面白いと言ってもらえるのは、私がメンバーと友達になったりするような業界人タイプではなく、リスナー代表のつもりで臨んで、怒られるかも知れない質問も、物怖じせずに問いかけたりしてるからなんだろう。
 元々鍵盤もギターも弾く楽器好きなので、実を言えば普段聴いている音楽も、打ち込み音楽よりバンド・サウンドのほうがしっくりくる。リスナーとしては近くなかったはずのジャズを身近に感じるようになったのは、私がギターをやっていたことに起因している。こと好きなギタリストに関してはかなりミーハーで、板倉文、フレッド・フリス、窪田晴男、今堀恒夫などなど、歴代のスター・ギタリストがおり、どちらかと言えばライヴが億劫なほうの小生でも、ギタリスト・フィーチャーリング系のライヴだけは足繁く通っている。基本的に拙ブログは私の趣味を開陳するものではないので、そう思われたところでアニメネタやってても全然平気なんだけど、このところ私を魅了しているあるギタリストの新作については、誰も書かないので書いてあげてもいいだろう。元ラウンジ・リザーズのマーク・リボー(あるいはリーボウ)の新バンド、セラミック・ドッグ名義のアルバム『Party Intellectuals』についてだ。まさに「あのマーク・リボーが帰ってきた」と思わせる、ニュー・ウェイヴ精神全開のサウンド。デビュー作『Rootles Cosmopolitans』に衝撃を受けて以降、次回作に期待しつつも毎回はぐらかされ、地味〜なアコースティック・アルバムや現代音楽作品をずっとお義理で買っていた小生ゆえ、やっと溜飲を下げられる気分。ああ、あれからもう18年近く経っているのね……。
 ラウンジ・リザーズは、映画俳優兼サックス奏者のジョン・ルーリーと弟、エヴァン・ルーリーが中心人物のジャズ・グループ。ジョン・ゾーン、ジェイムズ・チャンス&コントーションズらと同じく、CBGBなどのパンク系クラブを主戦場としていたパンク・ジャズの代表格だが、「メンバーの半分がまともにジャズを演奏し、半分がでたらめを弾いている」と評されたようなフリーク性があり、自らは「いかさまジャズ=フェイク・ジャズ」と名乗っていた。初期メンバーはほかに、元フィーリーズのアントン・フィアーと、坂本龍一との交流で知られるアート・リンゼイが在籍。いわゆる名盤カタログのたぐいで紹介されるのは初期メンバーによる第1作『ラウンジ・リザーズ』のみ。セックス・ピストルズのデビュー余韻醒めやらぬころ、ヴァージンのカタログとしてリリースされたもので、どういう縁があったのか、プロデューサーはマイルス・デイヴィスの仕事で著名なジャズ界の帝王、テオ・マセロが手掛けている。本作の衝撃的なリリースは、ブライアン・イーノの『ノー・ニューヨーク』やフランク・ザッパザッパ・イン・ニューヨーク』などと並んで、小生らの世代にとってのジャズのカッコよさの規範となっている。菊池成孔氏らが語るジャズ論というのも、おそらく同時代のジャズ&パンク・ファンに共通する認識のもので、世代限定的にはこの辺からマイルスに遡っていくという、ジャズ入門の王道パターンがある。
 『ラウンジ・リザーズ』の代表的な曲は、有名な「ハーレム・ノクターン」のカヴァーだが、それでもテオ・マセロ・プロデュースということもあってか抑制が利いていて、あまりパンクのイメージはない。私見で言えば、初期編成でもっとも内容がいいと思うのは、カセットのみを出していたパンクレーベル、ロアから出たライヴ音源コンピ『Live 79-81』だろう。あと、初期メンバーとしてもう一人、スティーヴ・ピッコロというベーシストがおり、第1期解体後の各メンバーが脱ラウンジ・サウンドに向かっていく中で、唯一初期を思わせるソロを出したりしていて、仲間の間では評価が高かった。デビュー・アルバム『ラウンジ・リザーズ』は、日本でも衝撃を持って迎えられ、立花ハジメ、THE SPOILなどの和製パンク・ジャズグループ結成を促すことになった。ところが、本体はその評判を知って知らずか、デビュー・アルバムを最後にあっけなく解体。アントン・フィアーは自らのグループ、ゴールデン・パロミノスを始動させ、アート・リンゼイはピーター・シェラーと結成したアンヴィシャス・ラヴァーズでの活動を活発化させていった。
 ラウンジ・リザーズは、『ノー・ニューヨーク』系の他のグループ、ジェイムズ・チャンス、リディア・ランチやジョン・ゾーンなどと同時代バンドなのに、文献的には別々に扱われていることが多い。当時すでにジョン・ルーリージム・ジャームッシュの映画で知られたスターだったし、ファーストをテオ・マセロに依頼するぐらいだから、仲間内ではスノビッシュな存在だったのだろう。4ビートを演奏しているメンバーの横でノイズをギャンギャン鳴らしていた、第1期のトレードマーク的な存在だったアート・リンゼイが脱退。その後、ゲスト・ギタリストにアートのようなプレイをさせている時期もあったものの(『Live 79-81』に少し入ってる)、結局アート以上の人材を迎えることができず、以降のラウンジ・リザーズはギターレスのグループとしてしばらく活動していた。エリック・ドルフィー「アウト・トゥ・ランチ」をカヴァーした第2作『Live From The Drunken Boat』、ジャズの名盤路線として伝統的なウィズ・ストリングスものに挑戦した第3作『fusion』(ロンドン・フィルハーモニック・オーケストラとの共演)などを83、84年にリリースしているものの、いささか思考実験が過ぎて楽しめないものになっている。この間、日本でも『ストレンジャー・ザン・パラダイス』が公開されてジム・ジャームッシュ・ブームが起こり、ベルギーのクラムドと契約していた徳間ジャパンから一連のサントラ盤が立て続けに発表された。しかし、ジョン・ルーリー名義のものは、環境音が主体の基本的に思わせぶりなものが多くて辟易したな。
 そんな小生がラウンジ・リザーズに、いやマーク・リボーにゾッコンになってしまったのは、86年の日本公演を収録した『ビッグ・ハート』を聴いてからだ(ある事情があって細野晴臣のレーベル、ノンスタンダードからリリース)。アート時代は、ファズを通して音を歪ませ一種のパーカッションのようなギターを聴かせていたが、クラシック・ギター奏者だったマーク・リボーは自らの楽典的な知識を武器に、技巧的に不協和音を忍ばせて独特のテンションを生んでいた。オーディションで選ばれた譜面バリバリのメンバーで構成された、新生ラウンジによるその見事なタペストリーは、ただの素人ジャズ・パンクだった彼らの印象を一級品のジャズ・バンドへと様変わりさせた。『ビッグ・ハート』のジャケットに映るダボダボのスーツは、20年代アメリカの証券マンのスタイルのものらしく、ジャケット裏のメンバーの精悍なポートレートには、パンク時代の面影は微塵もない。『ビッグ・ハート』は、ラウンジの生涯を通して他に超えるものはないと評価するほどの小生にとって愛聴盤で、特にフレットレス・ベースのエリック・サンコとの対話のような掛け合いは無二のもの。小野誠彦のファットな空間処理も凄い。翌年の来日公演が当時、創美企画からレーザーディスクで出ていたりして、この時期は日本の業界でもラウンジ・リザーズの引き合いは多かったようで、有名なSIONのバックをやった「春夏秋冬」(泉谷しげるのカヴァー)のほか、マーク・リボー・プロデュースでラウンジがバックをやった三上博のアルバム『ORAL』なんて隠れた名盤もあった。
 ノンスタンダード・レーベルがなくなった後は、日本のポニーキャニオンと契約するに至り、デビュー作以来久々のスタジオ作品『ヴォイス・オブ・チャンク』、『ノー・ペイン・ノー・ケイクス』をリリース。この時期には弟のエヴァンが『ちょうちん』、『疵』といった日本映画のサントラを手掛けており(なぜかIMDBに載ってないんだよね)、サントラが出た日本以外の国ではクラムドから出ているエヴァンのソロ・アルバムに一部抜粋収録されている。コラージュ主体だったジョンと異なり、エヴァンのスコアは、後の映画音楽作家としてのキャリアの萌芽を窺わせるもの。『ビッグ・ハート』に入っている、エヴァン作「パンチ・アンド・ジュディ・タンゴ」は、もともとサントラ用に書いた曲の流用なのだ。
 実は『ビッグ・ハート』の冒頭曲「ファット・ハウス」も、ジョンとエヴァンを抜く残りのメンバーで編成された別バンド、ジャズ・パッセンジャーズの曲である。同曲を収録したジャズ・パッセンジャーズのアルバム『Broken Night/Red Light』が後にクレプスキュールから出たときに思ったんだけど、小生が充実期だと思っているラウンジ・リザーズは、ほとんどジャズ・パッセンジャーズのことなんだよね(笑)。ジャズ・パッセンジャーズは偉大な無名人グループでありながら、ニッティング・ファクトリーのレーベル・コンピ、名匠ハル・ウィルナー(元『サタデー・ナイト・ライブ』の音楽監督で、『アマルコルド・ニーノ・ロータ』で有名)のプロジェクト作品には欠かせない存在であった。デボラ・ハリー、パティ・スミスといった女性ヴォーカル作品などに座付き作家集団として関わっており、譜面バリバリのアカデミシャンの面が半分、ニュー・ウェーヴな気分が半分というその存在の仕方は、ある意味YMOのような知的な存在だったと言えるかもしれない。当時、ジャズ・パッセンジャーズのキーマンだったのが、第2期に一足先にラウンジ・リザーズのメンバー入りしていた、ドラマーのダギー・ボーン。実はこの人、チボ・マット結成前の本田ゆかのフィアンセだった人である(関係ないが、本田氏は音楽ライター高橋健太郎氏のアシスタントかなにかをやっていて後に渡米、一時はショーン・レノンの恋人として騒がれた存在。小生の昔のメモによると、彼女が渡米する直前にお会いしたことがあったらしい)。芸能活動が忙しくなったジョン、エヴァンの抜けた余暇活動として、有名なジャズ・メッセンジャーズをもじって結成されたジャズ・パッセンジャーズだったが、トム・ウェイツエルヴィス・コステロのツアーなどで売れっ子になったマーク・リボーが脱退。その後、パッセンジャーズは後任ギタリストを入れず、ダギーの恋人だった素人の本田ゆかをサンプラーとして招くというオモロな変遷を辿ることとなる。日本でも出た『Live at the Knitting Factory』がその編成なのだが、他メンバーがストレート・アヘッドなジャズを演奏している傍らで、彼女がアート・オブ・ノイズみたいなカー・クラッシュのサンプル音を鳴らしている。メンバーの恋人だった素人を入れるあたりが、ニュー・オーダーを彷彿とさせてなかなかのジェントルぶりである。
 マーク・リボー自体は、ラウンジ・リザーズ、ジャズ・パッセンジャーズと並行しながら、90年に初のソロ・アルバム『Rootles Cosmopolitans』をアイランドからリリース(当時、パティ・スミスアレン・ギンズバーグウィリアム・バロウズなど、同社の多くの作品に参加していたのだ)。これが、遅れてきた技巧派ジャズ・パンク・アルバムとして小生を魅了。その彫りの深いビジュアルばえのするルックスと、居合い抜きのようなギター・プレイは、私のようなノー・ニューヨーク後追い世代には、生ける伝説として強い印象を残したものだ。私が所属していた、今は軟派な週刊誌も当時はバリバリのサブカル雑誌だったので、彼が自らのグループ、シュレックで来日したときに、インタビュー記事のために佐々木敦氏といっしょに会いに行ったこともあった。
 世間的にはむしろ、トム・ウエイツ仕事であるとか、エルヴィス・コステロのバック・メンバーとしての来日のほうが知られていたはず。特にコステロ・ツアーでのノイズ・ギターは白眉だったようで、後輩が知識もなく観に行って、「あのやかましいギタリストがマーク・リボーだったのか……」と呆れて帰ってきたというエピソードもあったな。近年はジョン・ゾーンのレーベル、ツァディックの一連の作品で多くの裏方仕事をやっていたけれど、ほとんどが現代音楽だったりフリー・ジャズだったりで、それでも苦行に耐えるがのごとく10ウン枚以上付き合ってきた。企画モノが当たって連作になった“ニセキューバ人たち”名義のアルバムや、ソロ・ギターのDVD、日本のカワイコちゃんシンガーソングライター、こなかりゆなんかも手伝っていて、それなりに楽しめもしたが、遂に今年2008年に新グループ、セラミック・ドッグを率いてあのマーク・リボー・サウンドが帰ってきた、というわけである。
 一時、ボアダムズのアイちゃんらの影響でハードコアづいていた、ジョン・ゾーンの近作『The Dreamers』も、久々に初期ネイキッド・シティを思わせるハッピーな作品だったし、先日は名演のひとつ『News For Lulu』の再編集盤も出たばかり(中でもいちばん好きなのはモリコーネのカヴァー集『The Big Gundown』かな?)。ブルーノートからツァディックに移籍してきた、往年の彼らのような音を出す、メデスキ、マーティン&ウッドら若い世代のポップなサウンドが、ロートル世代に刺激を与えているように見えたりして。実はこのメデスキ、マーティン&ウッドも、ラウンジ・リザーズからスピンアウトしてできたジャム・バンドブライアン・ウィルソンの新作『ラッキー・オールド・サン』での、ワンダー・ミンツら孫世代の連中の健闘ぶりを聴いて、ついついそんなことを感じてしまった小生であった。



せっかくだから、ラウンジ・リザーズ関連のちょっと珍しい作品を紹介。アート・リンゼイ、アントン・フィアーが抜けてギターレス編成になった後、インディーのヨーロッパ・レコードに移籍。写真はダギー・ボーンが加入したばかりのセカンド『Live From The Drunken Boat』。バウハウスの影響を受けたジャケットがカッコイイよね。

これもブルーノートのデザインを模した、ロンドン・フィルハーモニック・オーケストラとの共演盤であるサード『fusion』。ゲストとしてNY在住の日本人ギタリスト、川崎燎が弾いている。全曲テオ・マセロのオリジナルで、テオのソロ同様のアヴァンギャルドな前衛作品ばかり。

脱退した第1期メンバーだった、ベースのスティーヴ・ピッコロのソロ第1作『Domestic Exile』。以降、イタリアのレーベルから作品を発表していくのだが、『ラウンジ・リザーズ』とデザインを揃えていて商魂たくましい。エヴァン・ルーリーとG・リンダールというシンセストとのトリオ作品で、かなり実験音楽的でチープな内容。

ティーヴ・ピッコロの第2作は、ドメスティック・エグザイル名義の『adaptation』。こちらはピアノ・トリオの編成で、ぐっと初期ラウンジ・リザーズ近い音になっていて、なかなか聴かせる。