POP2*5

過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

大野松雄ネタで始まって『崖の上のポニョ』で終わる、結局は宣伝コラム(笑)




 今年秋にリニューアル創刊されたばかりの雑誌『ストレンジ・デイズ』から依頼を受けて、その創刊2号目の特集のために「大野松雄論」という文章を書いた。大野松雄氏とは、拙著『電子音楽 in JAPAN』でその半生を取材させていただいたこともある、TVアニメ『鉄腕アトム』を手掛けたことで有名な音響デザイナー。小生も以前、一風堂のインタビュー記事などでお世話になったことがある、音楽雑誌『ストレンジ・デイズ』が出ていた出版元から出る同名の総合文化誌だそうで、その2号目の特集が「鉄腕アトムと音楽」。実はこのところ、『電子音楽 in JAPAN』の取材でお世話になった後も、キングレコードから出た『大野松雄の音響世界』(全3巻)の監修や、ソニー系列のペイテレビ「アニマックスTV」の「TVアニメ45年史」への大野氏出演のお手伝い、日外アソシエーツ日本の作曲家』用の取り上ろしアンケートなどで、大野松雄氏とはちょこちょこといっしょにお仕事をさせていただいていたのだ。その特集には別枠で、編集長による大野松雄氏のインタビューも掲載されるらしい。私はそれとは別の「大野松雄の時代論」というのと、関連ディスク30枚レビューを担当している。編集長は、拙著『電子音楽 in JAPAN』を読んで声をかけて来ていただいたというから、ありがたや〜。そういえば報告が遅れたが、副読本『電子音楽 in the (lost)world』もやっと初版が完売し、今年の初春に無事第2版を出すことができた。これも、お買い求めいただいたお客様のおかげ。写真間違いも差し替えて、誤植、誤認もかなり訂正しているので、ぜひ初版はお友達にプレゼントして、改めて重版分をお買い求めくだされ(笑)。
 1968年に放送が開始した国産TVアニメ第1号『鉄腕アトム』に、音響効果で大野松雄氏が関わっていたことから、日本のSFアニメ音響のスタンダードを築いた作品とも言われている。しかし、実は大野氏がTVアニメに関わっているのはこれぐらい。『ルパン三世』(第1シリーズ)にもクレジットがあるし、音もよく聞いてみると『鉄腕アトム』そっくりだったりするけれど、氏によるとダビング作業はご自身が経営していた綜合社で行われたものの、万博パビリオンなどの環境音楽に創作の場を移したころで、大野氏はほとんど現場はタッチしてないんだそう。その後に登場してくる、東映動画日本サンライズなどのSFものを一手に手掛ける石田サウンド(後のフィズサウンド・クリエーション)などに比べると、実際、大野氏が手掛けた『鉄腕アトム』のサウンドはかなりストレンジである。なにしろ、マンガ特有の表現であるオノマトペ(擬態語)を表現すべく、「ギョッ」、「ウギャ」などの自分の声を変調して使ってるんだから、ケチャの先取りというか、芸能山城組も真っ青だ。
 今年の夏に刊行予定で進んでいたが、とある事情で発売延期になった本があって、その取材時に小生は、60年代末の虫プロの音楽使用状況を調べる機会があった。『ジャングル大帝』、『リボンの騎士』でおなじみ、のちにシンセストとして国内外にその名を轟かす冨田勲のみならず、『W3』、『悟空の大冒険』、『ふしぎなメルモ』(これのみ手塚プロ)の宇野誠一郎もまた、1970年に冨田より先にシンセサイザーを購入しているという先進性の持ち主である。また、劇場作品に目を移せば、『千夜一夜物語』はチャーリー・コーセイが在籍したヘルプフル・ソウル、『クレオパトラ』は小室等六文銭が主題歌を担当。虫プロ商事からスピンアウトしてできたアニメーション・スタッフルームの『海のトリトン』では、のわんと須藤リカとかぐや姫(『ウィークエンダー』のレポーターやってた須藤和美。覚えてる?)が主題歌を歌っていて、南こうせつらが実際にフィルムに登場して、トリトンと共演していたりする悪ノリぶり。このフォーキーというかゲバゲバな展開は、当時の虫プロスタッフが、いかに先鋭志向だったかの現れだろう。虫プロ出身のアニメーターのその後を見てみても、りんたろう(林重之)は虫プロ時代からEL&Pのファンで、『幻魔大戦』ではあのキース・エマーソンを使ってるし、杉井ギサブローは『銀河鉄道の夜』で細野晴臣を起用して、劇音楽作家としての才能を開花させている。杉井氏に至っては、後期虫プロにおいて“脱手塚治虫”路線の急先鋒となり、原作の『ぼくのそんごくう』をハチャメチャな『悟空の大冒険』に改訂するにあたって、当時の前衛音楽の代表だった国産電子音楽第1号「7のヴァリエーション」を手掛けていた諸井誠を、パイロット版の音楽に起用したほどである。起用したメンツの名前を並べるだけで、「反抗の60年代」を即連想してしまうほどラディカルであった。
 虫プロ手塚プロの音楽状況に関しては私など足下に及ばないほどくわしい、私の友人である音楽評論家H氏によれば、実際には、虫プロの奇抜な音楽路線は、同社の音響監督だった田代敦巳氏の個人的趣味だったらしい(現在はグループ・タック代表)。とはいえ、週刊新潮で昔連載していた山本瑛一『虫プロ興亡記』などを読むと、手塚治虫のポケットマネー(というか税金対策?)で運営していた虫プロの社員は、他社のアニメーターの5倍近くの高給をもらっていたそうで、ディスコに遊びに行ったり、男の三種の神器だった高価なオーディオでジャズを聴いたりと、モダンな芸術意識をみなが共有していたらしい。そういえば、東映動画からヘッドハントされて虫プロに移った、作画監督の中村和子(=穴見和子。『リボンの騎士』など)が移籍早々に高級外車を購入して、それをカーキチの元同僚、大塚康生が試運転していたら事故って大破。お返しに『W3』のオープニングを大塚がノークレジット、ノーギャラで描いたという裏話を読んだことがあったりしたな(……少々脱線)。
 実際のところ、性格の大人しいアニメーター諸君は、当時からむしろ世間の若者文化に目もくれず、前衛芸術などには無関心な人が大半だったというのが、当時の状況にくわしい友人H氏の話。現在、『崖の下のポニョ』がヒット中の宮崎駿の一連の作品の音楽の使い方を見ていると、この人などは音楽に関心のないアニメーターの代表というところだろう。なにしろ第1作『風の谷のナウシカ』から、和製クインシー・ジョーンズを標榜していた佐藤勝の弟子、久石譲にほとんどおまかせっぱなし(『天空の城ラピュタ』などは、フィリップ・グラス的なミニマル曲を書いていて、大学時代に前衛音楽を研究していた久石のルーツを窺わせていて興味深いけど)。『猫の恩返し』で主題歌につじあやのを起用したときは、同社の若いアニメーターが彼女の大ファンで、その歌を聞かせてもらって見初めたらしく、その純情無垢っぷりがいかにもジブリらしすぎて、気恥ずかしいほど。時代が違えば、イルカとか、谷山浩子あたりになるんだろーか。相棒の高畑勲が、東大卒の教養の持ち主でクラシック音楽に精通しているのとは正反対。改めて、本当に宮崎駿は純粋な絵描き職人って気がするな。
 上條恒彦のコンサートをプロデュースするなど、東映動画労組時代からの左翼思想によるつながりがあるらしく、音楽性とは乖離した、あまりの身内びいきにいぶかしく思ったりするのだが、『崖の上のポニョ』の主題歌で、コーラスに藤岡藤巻を起用したのには、さすがにすげえなとオロロいた。しかも、初登場オリコン2位だよ。藤岡藤巻はご存じの人も多い、元まりちゃんズ藤岡孝章藤巻直哉のユニットなんだけど、だって藤巻氏は今でも某代理店勤務のジブリ担当者だから(笑)。一方の藤岡氏は、シブガキ隊「スシ食いねェ!」などで知られる元CBSソニーの名物ディレクターで、私が青春期にお世話になった宍戸留美の担当者だった人でもある。パパイヤ・パラノイアの石嶋と福田裕彦をコラボさせるという、宍戸留美のタレント活動を決定づけたキャスティングは、ノベルティ音楽の真理を見抜いた見事なものであった。
 で、そんな藤岡氏のCBSソニーのディレクター時代の仕事のひとつで、小生らに強い影響力を及ぼしているのが、「金太の大冒険」のヒットで知られる、現在はCBCラジオ『聞けば聞くほど』のパーソナリティーつボイノリオ。実は現在、小生は氏の単行本を制作中なのだ。それと、これまた偶然の巡り合わせで、藤岡氏の名仕事である宍戸留美を筆頭とする、80年代から00年代までの「テクノ歌謡」の名作群にスポットを当てた、CD、書籍企画、イベントを準備中。Perfumeが初の武道館公演を成功させて世間が賑わう、11月ごろをめがけて、さまざまなプロジェクトが進行している真っ最中である。いずれも『崖の上のポニョ』並みの大ヒットにあやかりたいもの(笑)。
 なんだ、また宣伝じゃねえかよと怒られそう……いや、背水の陣なのよ〜。今後、このブログでいち早く情報を発信していくつもりなので、ぜひチェックしてやってくだされ。


※情報解禁になったので、以前アップした文章のうち、雑誌名など一部修正しました。