POP2*5

過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

音楽における「物語性」はスコアに宿る。中田ヤスタカを考える(冬休み補修ヴァージョン)その4

Baby cruising Love / マカロニ【初回限定盤】

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 では、音楽ライターにとって、果たして「楽器経験」「スコア知識」は必須なのか? この問題提起に関連して、以前のエントリでノンフィクション作家の武田徹氏が『日経アンドロポス』で連載していた「ロックの経済学」の例を紹介したことがある。日々、新しいスタジオ・テクノロジーが生まれていた80年代中頃。サウンド作りの主導権を、それまでのスタジオの主役だったギタリストから、キーボーディスト、プログラマーに取って代わられる激動期があった。「FM放送で流れたとき、一瞬のスネアの音の響きでその曲の品質が決まる」と、戸田誠司氏も以前語っていたけれど、リヴァーブの深さであるとか、細やかなギターのカッティングのキメなどが、トレードマークとして一流クリエイターの証になっていた時代だ。その風景を新人の音楽誌編集者として目撃した私は、ヒットするサウンドを支えているのはこうした「音楽言語」であり、それまでの演歌、流行歌のような、作詞家が歌詞に込めた怨念やメッセージなど、リスナーがまったく求めていない時代が来ていることを実感していた。そんな時代の“流行音楽”を分析すると謳った、そのノンフィクションでインタビュアーがマイクを向けていたのが、作詞家、ディレクターといった「言葉の世界」の人ばかり。スタジオの主役になりつつあったアレンジャーやキーボーディストの存在を蚊帳の外に追いやって、「現代のヒット曲の条件とは?」などと書いていることの欺瞞を、私はその連載に感じたことがあった。実は、小室哲哉氏や小林武史氏ら、アレンジャー出身者が時代の主役として表舞台に躍り出た90年代の「プロデューサーの時代」になっても、マスコミの論調は基本的に変わっていない。とにかく「言葉」で音楽を理解しようとするマスコミの傲慢さは、未だに無反省に続いている気がする。
 ビギナー向けの作曲マニュアル本を読むと、必ず載っている作曲技術のいろはとして、「緊張と緩和」「混沌と解放」の例がある。「セブンス>トニックへの解決(ドミナント・モーション)」とか、「sus4(ぶらさがり)>長3度への回帰」などが主な例だが、複雑なコードワーク(濁った和音)は、必ずその後にメジャー・コード(澄んだ和音)へと進行していくルールがあり、これによって聴く側が快感を感じるという法則である。テンション・コードはジャズ風に聞こえて刺激的であるが、それだけだと聴いていても気分は落ち着かないままで、シンプルなメジャー・コードへと連結しなければ、聞き手に「開放感」を感じさせることはできない。これはクラシックの時代からある「音楽を聴く快感原則」を支えている、古典的な作曲法である。歌詞の流れにも物語があるように、曲のコード進行にも、小さな「物語性」が宿っているということ。しかし、こうした基礎的な作曲テクニックの話であっても、音楽ジャーナリスト皆が周知の知識というわけではない。「この歌詞のところで空間的な広がりを感じた」とか「暗闇から空へと広がっていくようなサウンド・スペクトル」などともどかしく書かれている分析が、たいていドミナント・モーションという技術の説明で済んでしまうところを、ややもすると神憑りなレトリックで逃げてしまうような文章を何度も見てきたのだ。スコア知識は必須とは思わないが、そうした古典的テクニックがあることを知ることで、いくらか表現的にも謙虚になれるのではという話である。
 これはかなり私的な話になるのでお許しを。当ブログで長文のエントリを書かせてもらっているのは、ある意味私の勝手だと思っているが、「ダラダラと書いていてまとめる技術がないのか?」「あんたそれでプロ?」とアンカーを書かれたことについて、一言申し上げておく。まず、プロの編集者は「商品原稿」をタダでブログでアップするようなバカなことはしない。文章を書いたり、本に値段を付けて売っているプロの人間が、ブログで「無償で読み物を提供する」ということには、実はかなりナイーブな問題が潜んでいる。
 私は同業者の中でブログを立ち上げたのが遅い方なのだが、始める直前までかなり保守的な「アンチブログ」「アンチSNS」派であった。理由は「売文家がタダで原稿を読者に読ませてどうするの?」「それで満足しちゃ本が売れなくなるでしょ?」という、ごくありきたりなもの。それを「いまどき何寝ぼけたこと言ってるの?」と諭してくれたのが、知人のITライター津田大介氏であった。初めて発行人を務めた週刊誌のIT系増刊号の発売前に、宣伝予算がまるっきりない中で、どうしたら告知を広めることができるのかと相談に行って、「金がないならブログやんなさい」と勧めてくれたのが津田氏である。「だってタダ原稿でしょ」「やだよ、そんなの」とゴネる私だったが、「やってみなきゃわかんないじゃん。何いってんの?」と言われて、かなり渋々引き受けたのがこのブログを始めた発端だったのだ。実際に雑誌がやってるブログなんてのは、下請けの業者に書かせているところも多いんだろうけど、こうして編集者自らがブログをやることになって早1年半。自分でやらなければ気付かなかったこと、勉強させていただいたことがたくさんある。その点で津田氏には本当に感謝している。
 コミケなどで最近、プロのマンガ家や、岡田斗司夫氏、唐沢俊一氏といったプロライターが同人誌を出品し、お目当てのファンを集めているという話を聞いたことがあるだろう。白泉社集英社のように、かなり早い時期からお抱え作家によるミニコミ発行に理解を示していた出版社もある。なぜ、日常的にそれでオマンマを食っている人が、わざわざそんな自費出版にまで手を染めるのか、読者には一見理解が及ばないかもしれない。実は世に出ている雑誌で、ライターや編集者が自分の好きなことができている雑誌なんて、いまどきほとんどないのである。とにかく、「これは売れる!」と思って企画したものであっても、デスクから「絶対売れる保証があるわけ?」などと突っ返されるのが、編集者の日常の風景だったりする。それに、プロの出版物の世界には必ず、ページ数や字数の制限がある。そうした制限から解放されて、自分の好きなように書ければ「これ以上の幸せはない」と日々考えてるライターや編集者は多いはずだ。
 津田氏の忠告を受けブログを始めたものの、しばらく迷いの時期があった私だったが、本の宣伝になればと、ありとあらゆる自分のコネを発揮して、アクセス数稼ぎに取り組んでみた。残念ながらその雑誌は短命に終わったが、ブログをいまさら店じまいするわけにいかず、少なからず固定読者も付くようになって、私なりに「ブログを書く意義」も見えてきた。それが、「誰も読んだことのないようなテーマ」「書かれたことのないような過剰さ」「文章家がデザインやイラストまで一人でやってしまうアマチュアイズム」で書く、という当ブログの基本路線である。「いかに商業出版的でないか」というのが、私個人のテーマだ。「要点をまとめて簡潔に」だの「決まった字数で」など、本当にバカバカしい指摘だと思う。
 私はHTML時代からホームページをやっているが(そのとき感じた敗北感が、ブログを遠ざけていた理由でもある)、ブログ時代になって、情報のインデックス化が進み、使う側にとってネットは非常に便利な時代になった。個人のブログで紹介された目撃談などの情報も、通信社が提供しているようなニュースと同等に扱えるようになったことのメリットは大きい。しかし、インデックス化が「情報の均質化」に向かうのは世の常。利便性は生まれたが、ネット黎明期のような型破りでドラマチックなブログとの出会いは少なくなった。先のスコアの話ではいが、ここにも「物語性」の欠落がある。苦痛の先に快楽があるから、読み続けて感動を味わえる。拙ブログだって、ダラダラ書かれた前文を読み進める苦労があるから、その先に用意されたオチ(らしきもの)を楽しめるんだと信じて書いている。だって、手頃な長さで読みやすいんだけど、「結局は何も語ってない」「どこかで書いてあったものの要約に過ぎない」ってブログ、たくさんあるじゃん。実際、たくさん説明しないとわからないものというのは、たくさん説明しないと伝わらないものなのよ。書き手の脳裏に浮かんだアイデアのオリジナルが、商業出版というプロセスの中で、ページ数や字数などの制限のために、万人向けに加工されて世に出ることが多いのは、編集者である私が一番よく知っている。それが「文章の商売人がブログをやる」ということの、一つの解になっていると思うだがどうだろうか?
 もう一つ、ネット界に提供されている情報の流れについても説明しておく。インデックス化された、簡潔でシンプルな情報というのは、たいてい通信社が発信し、それをポータルが買い上げて提供されている。ポータルは会員数をバックボーンにバナー広告料をせしめ、それで情報を買って、ユーザーに無償提供するという「経済のメカニズム」がある。一方、GyaOのようなユーザーと直接関係を結ぶサービスは、プライバシーを提供してもらったり、事前に長々と広告を見てもらって、本編のサービスを無償で提供できている。ネット上に存在するあらゆるサービスが、一様にある目的によって作られ、ちゃんとした理由があって提供を受けているのだ。そんなの、いまどき小学生でもわかる理屈。個人のブログに訪れて、長い文章という見たまんまを特徴を捉えて、「情報は簡潔に」「ダラダラせずに」などと陳情上げてるなんて、首から「私は世の中の仕組みもしらないバカです」というプラカードかけてるのといっしょ。「想像力の欠如」というか、これも「ゆとり教育」の被害者なのか?(笑)。無償サービスのスキームや、「350円の週刊誌を内容が面白くないので返品させろというクレーマー」について以前に書いたエントリがあるから、その御仁は、自分のケースに当てはめて読んでみてほしいと思う。
 ネットに限らず、無償で情報が提供されているということでは、R社のフリーペーパーなど、現実の出版界でも大きな地殻変動が起こっている。ただでさえタダなのに(笑)、新興のR社と違って、雑協に入っている我々普通の出版社の人間は、「雑誌にクーポンを付けられない」「無料誌を発行できない」など、がんじがらめの制限がある。そんな中で雑誌運営をしていくのは本当につらい。一足先に、タワー・レコード発行の『Bounce』というフリーペーパーの登場で、同じように市場を壊滅させられたのが音楽雑誌業界だろう。フリーペーパーな上に、私の知人でもある橋本徹氏(アプレ・ミディ)が編集長だった時代なんて、普通の商業誌でもできないような冒険的な特集をやっていたこともある。iTSやamazonで手っ取り早く曲が試聴できてしまう現代になると、むしろユーザーが求めているのも評論なんかより、『Bounce』のようなほとんど広告に近い情報だったりするのかも知れない。実際、ショップとレコード会社の関係は、「顧客」と「メーカー」であり、立場はショップのほうが上。レコード会社の広告で細々と発行させてもらっている音楽雑誌のほうが、よほどスポンサーを意識して原稿を書かねばならない歪な図式がある(この広告依存モデルの最たるものが『ロッキング・オン』である)。よく聞かれる「どの雑誌も表紙も内容がいっしょ」という批判も、その月のリリース作品が内容を決定づけてしまうという広告上の理由がある。
 だが、私などはギリギリ音楽雑誌で育った世代。尊敬するライター、編集者もたくさんいる。「音楽雑誌必要論」というテーマについては、また書いてみたいと思うが、先のエントリでやや批判的に書いた「Perfume対談」のように、内向きではなく経済や産業論も含んだ広い視座を持った、新しいタイプの音楽カルチャー誌が登場してくれることを待望している。また、音楽誌の編集者みなが「編集長が出世の終点」なんてつまらない。キャメロン・クロウみたく、音楽雑誌のライター出身者がハリウッドの映画監督になってエンタテイメントを提供しちゃうような、新しい時代の“音楽評論スタイル”を見せつけて、私らをコーフンさせて欲しいと思う。
 さて、話を前回の「史上最大のテクノポップDJパーティー」の話に戻してみたい。まだデジタル楽器が高かった時代、楽器マニアが月々のローン支払いの苦しみ、音楽を聴くことがままならなかったことを、一つの不幸なエピソードとして紹介した。私がやっていた「テクノDJパーティー」だけでなく、テクノポップ・フォロアーと呼ばれる人々にとって、かなり逆風な時代だったと思う。もうひとつその時代の象徴的なエピソードとして、当時テレビで人気を博していた『イカ天』の話を紹介しよう。あまり知られていないと思うが、あの番組の出場条件の中に「打ち込みNG」という項目があったのだ。YMOが使っていた高価なコンピュータMC-8(値段は120万円)の時代から10年がたち、やっとポータブルで安価なシーケンサーが登場したころだったが、おそらく「打ち込みを使うと、純粋に演奏力が審査できない」という『イカ天』運営スタッフの判断から、そういう措置が執られたのであろう。しかしイギリスでは、シーケンサーサウンドとロック・バンドが同居するマッドチェスターなるムーヴメントも起こっていたし、スチャダラパーのような和製デラ・ソウルみたいな、新世代のトラックメーカーはすでに活動を始めていた。こうした90年代に開花する新しい動きを、ただ「打ち込みNG」というだけで、『イカ天』は一切を篩にかけて落としてきた歴史があるのだ。今の視点なら「シーケンサーを使う」ということは一つのサウンド・コンセプトに過ぎないとすぐわかるが、当時は下手な人が演奏力をごまかすためのツールという考え方がまかり通っていたのである。
 『イカ天』に端を発したバンドブームは、ネオアコ・リヴァイヴァル〜「渋谷系」の時代へと不思議なつながり方で、「ストリートの流行音楽」として、私が当時所属していた雑誌『宝島』などの誌面で交代劇を繰り広げてきた。その間もずっと、なぜかテクノポップの末裔たちは、辛酸をなめ続けてきた歴史がある。だからこそ、打ち込みシーンから、あたかもピチカート・ファイヴコーネリアスへの返答のように、中田ヤスカタ氏が颯爽と登場してきたことに大きなインパクトを感じてしまうのだ。
 Perfumecapsule、MEGなどのプロデュース作品を一様に聴いてみると、基本的に中田プロデュース・サウンドは一貫して同じ。『マーキー』ほか雑誌のインタビューで、「Perfumecapsuleの違い」について聴かれ「前者は、基本的にリクエストを受けた仕事。後者は自らのモチーフで作る仕事」と線引きをしていたが、私が聴く範囲では、それほど大きな違いはないと思う(もっと極端に、商業仕事とソロで音が激変するアーティストはたくさんいる)。それほど、中田氏にとって中心にあるcapsuleが不動の存在であり、プロデュース作品はcapsuleのプロモーションとしてそれを取り巻いているものと理解したほうが、いっそ潔いところがある。このあたり、やはり彼が職業作家ではなく、「限りなく職業作家的に対応もできる」アーティスト主義の人であると思わせる。このへんが実は、本業で何度か仕事ぶりを拝見させていただいたこともある、小室哲哉氏のスタイルに似ていると思わせるところなのだ(この人も、まったく芸能色に染まらず、基本的にTMネットワークが中心にあるという考え方を持っていた)。
 さきほど、capsuleもプロデュース作品も一様に似ていると書いたが、よくよく聴くとPerfumeのB面曲のようにコード進行から発想したような曲もあれば、MEG『BEAM』収録曲のように、おそらくメロディー先行で後からコード付けしたと思わせるような曲もある。こうした傾向は作品ごとに偏らず、どのアルバムにも均質にちりばめられ、一つのアルバム・デザインとなっている。スタイリング、ジャケット・アートもすべて自ら手掛けている中田氏のトータル・プロデュースの姿勢が、こんなところにも見て取れる気がする。それほど、どの中田作品も、流行ポップスとして、あるいはクラブ・ミュージックとしても、ドッシリとした手応えを感じるものに仕上がっている。無理矢理、小室哲哉に当てはめるのも酷だと思うけど、「ポスト小西」というより「ポスト小室的」なスケールで、次世代のJポップ界を面白くしてくれるのではないかと期待する所以である。Perfumeにしても、サブカル族のスターにしておくのはもったいない。小学生の女のコならみながマネしたくなるようなフォーメーション・ダンスだし、案外、小学校低学年あたりから火が付いて、「00年代のピンク・レディー」みたいなブレイクの仕方をするんじゃないかという気もする。
 ともあれ、中田氏の作品を一通り聴いてみて「どれもが同じ」「オーヴァー・プロデュースだからいい」などという妙な褒め方をしているのは、私が相当変人だからだろう(笑)。過去の業界経験を通して、アーティストがプロデューサーにがんじがらめにされている時期というのが、当人にとって一番幸せな時期なのだと常に主張している私。アルバムが売れて、アーティストの自意識が生まれ、それがセルフ・プロデュースなどの形で実践されたときに、かならず失敗が待っている運命の繰り返しがある。「どれを聴いても基本的にいっしょ」「オーヴァー・プロデュースの象徴」とも言えるトニマンに入れ込んでいる私だから、点数が甘いんだよと言われれば返す言葉もないが、オーヴァー・プロデュース気味の作品というのは、「プロデュースという行為の批評」として、実に興味深いものなのよ。それと、重要なのは質だけでなく量も「過剰であること」。00年代のヒットメーカーの鉄則は、とにかく数を作ることにあると思う。これは私の日頃の仕事から編み出されたものでもあるし、映画『パッチギ』のプロデューサー、李鳳宇氏が「ヒットの秘訣は?」と聴かれ「ムダ玉をどれだけ打てるか」と答えていたことにも共通している。つんくが精彩を欠いた今、これだけ過剰なプロデュースを実践しているプロデューサーなんて、他にはいないんじゃないの?


(これで終わり。長文乱筆失礼しました。最後に編集後記)


 しかし、ここんとこ毒舌続きだったな。多分にそれは、年末をずっとプロモーションのためにいっしょに過ごしていたエガちゃん(江頭2:50氏)の影響があると思う。普段はとてもやさしくて、ベッドに子猫が寝ているときは、起こさずソファーで寝て風邪を引いちゃうぐらいの小心な男なのだが……。
 冗談はさておき、改めて思ったのは、「文章を書く行為」は人を高揚させ、「絵を描く行為」は人を落ち着かせるんだなということ。拙ブログで、文章だけでなく挿絵まで描いているのは、バランスを取る上で精神的にいいみたい。文章を書いている時は週刊誌時代と同じく辛辣な気分になるが、絵を描いている時だけは「皆に愛されたい」という博愛心が高まるもんな。生前、ナンシー関氏と何度か仕事をしたことがあるのだが、コラム発注の時にはシリアスなナンシー氏だったけど、似顔絵ハンコをお願いしたときには凄く優しく接してくれたってことを、ちょっと思い出してしまった。