POP2*5

過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

Perfumeの話はどこへいった? (冬休み補修ヴァージョン)その続き

 前回、「Cubase」という代表的なPC用シーケンサーの存在を取り上げ、これがライター業を営む私の音楽理解のための一助となっていること、そうした音楽環境の激変や楽曲そのもの(スコア)についてジャーナリストがあまりに無関心すぎるということ、「Cubase」らPC用シーケンサーDSPネイティヴに進化した時代の象徴として、中田ヤスタカという新しいクリエイターが颯爽と登場したという私的な印象について書いてみた。いつもの長ったらしい文章で読者には申し訳ないが、これらは独立した話ではなく、コラムの文章そのもののように微妙に入り組んだ形で、現在の音楽周辺文化全体を形作っている。
 「Cubase」のような新しい音楽ツールの登場が、作業効率の向上や利便性をもたらすだけではなく、作り手の芸術性にまでフィードバックを与えるというテーマは、昔から私好みのものである。YMOが結成されたばかりのころ、名プレーヤーとして名をはせていた3人があえて自らのテクニック(肉体性)を封じ、すべてをMC-8というコンピュータに演奏させるという「機械との対話」を通して、まだプレーヤーの企業秘密だった“グルーヴ”を、数値などで理論的に理解しようとした態度は、音楽表現の新しい地平に立とうという強い意志を感じさせるものだ。実際、コンピュータで演奏された音は、人間がなんちゃってロボット風に演奏してみたもの以上に、正確ゆえに「機械的」に聞こえる。こうしたコンピュータを使って音楽を作るプロセスは、人間の耳の認識速度をも変えてしまうことがあると坂本龍一氏も答えているほど(『イエロー・マジック・オーケストラ』)。日々のトレーニングによって耳の筋肉や大脳皮質が変わっていくことを、教授は「動態聴力」の進化と呼んでいた。
 これまでも「音楽の構造」をめぐる話にもっとも関心を寄せてきた私だが、そうした話題は驚くほどに、「テクノポップ」に関する研究書で触れられてこなかった。前回の『ロッキング・オン』編集者とスコアの関連話以上に(ロキノン関係者の方、言い過ぎてすみませぬ……)、自称YMO系ライターという人々の「鈍感さ」には目を覆いたくなる。テクノポップという「機械の音楽好き」を自任している音楽ジャーナリストの、楽器、制作環境への興味なさぶりは無責任を通り越して異常とも思える。高価だった楽器やMTRがPC上で安価でヴァーチャルに再現できる今の時代だから、そういう意味で若い音楽ジャーナリストには、積極的に「Cubase」などのツールを音楽理解に役立てて欲しいと思う。たいして考古学的な視座も持てずに、ジャケ違い集めに奔走し一喜一憂している先輩ライターなんか、ハッキリとバカにしてもいいと思うよ、私は。
 音楽にさほど興味のない読者もいるだろうから、少し別の話題についても書いてみる。新しいツールの登場が、新世代のクリエイターの芸術意識に大きな影響を及ぼすというニュアンスは、音楽のジャンルに限らない。例えば、今ではデザイナーにとって必須となったDTPソフトで説明してみよう。デザイナーが組み立てた鉛筆書きの割り付けを、実際のデザインそのままにディスプレイ上に再現するもので、同一ソフト上でシームレスに、最終工程の組み版や製版まで行えるようになっている。この登場によって、それまでの活字を拾って組み立てる活版プロセスも不要となり、職人が手掛けていた製版技術などもデザイナーの意のままになった。主にコスト的な部分で出版業界はこの発明に多大な恩恵を受けることとなったが、当のデザイナーにとってもっとも大きな飛躍となったのは、その即応性だ。従来はカラー・パターンを参考に脳内で組み立て、一度入稿してから色刷りを確認しなければわからなったような、配色テストの工程のムダがなくなったこと。だいたい印刷所に預けて引き上げるのに所要期間が中一日ぐらいかかっていたものが、DTPソフトだと画面上で瞬時にわかってしまうのである。DTPの作業工程において、その試行錯誤にたっぷりの時間がかけられるようになったことの意味は大きい。これによって私は、平均的なデザイナーの質的向上に大きなメリットがもたらされたのではと思っている。
 私自身、今年に入ってからある目的があって、マンガ作成ソフトとして有名な「Comic Studio」というソフトとペンタブレットのセットを購入し、ブログのヘッダの部分のイラストなどをそれで書いている。昔、CM学校受講生時代に絵コンテをさんざん描いてきたとは言え、全部自分でやる快感に突き動かされてやっているオナニー的行為に過ぎないのだが、このツールが人間工学的によくできていて、感心させられるところが多い。多分に秘密主義的で代替のきかないマエストロな職業と思われがちなマンガ家の作画作業も、座標軸上での、罫線とヴァーチャル定規、スクリーン・トーン(模様)の掛け合わせに因数分解して理解すると、それぞれのオーソドックスなテクニックの集積体に過ぎないことが理論的によくわかる。もともと大して絵がうまいほうではないが、手書きで描いていたころに比べれば、過去40年間と「Comic Studio」導入後の今年1年では、見違えるほどマシなものになっている。最初はタブレットが使い慣れなくて、正しい○を描くこともできなかったが、今ではもうタブレットなしでは絵など描けないと思うほど。
 先日、デザイナーに依頼されて、「お前の字は変体少女文字みたいだから」と妙な褒め方をされて、CD一枚分の曲の歌詞を全部タブレットで写経するという作業をした。その作業後、タブレットを使い始めて半年ぐらいは感じなかった、ペンが指に吸い付くような感触を初めて感じることがあったのだ。以前私は「絵を描くという行為と、文章を書くという行為は同根で、すべて観察力にある」「デッザン力とは、とどのつまり空間認識力である」などと偉そうに書いていたが、このペンと指の一体感というのは、私の理性とは別のところにある。このところ、恥ずかしげもなくPerfumeのメンバーの似な絵をアップしていたが、ここ数日は突然、自分でも驚くぐらいペンが思ったとおりの軌跡を描いてくれる感じがする。ま、実際それは、Perfumeを好きになる以前と以降の思い入れの違いでしかないのかも知れないが……(笑)。
 「Comic Studio」はとてもいいソフトだとつくづく思う。マンガをほとんど読まない私なんかより、読者としての蓄積がありながら絵心がないと謙遜している方が「Comic Studio」を一度使ってみたら、新しい表現の地平が見えてくるかも知れないよ。私は「Cubase」や「Ableton Live」の登場で、DJ、編集者から多くの音楽クリエイターが実際に登場してきたように、「Comic Studio」の普及の後に、ポスト青木雄二的なクリエイターが突然変異的に表れたり、夏目房ノ介ばりの分析力を持つ次世代のマンガ評論家などが出てくるのではと、とても期待している。

(……ここまででプロットの半分。長すぎるので後は次回に。この続きは、恐ろしいほどに怒りまくります!)





「Comic Studio」で描いてみたPerfume似な絵。同一ディスプレイ上で写真を見て描けるので便利(でもトレースじゃないよ)。原画はなんか外人みたい。基本的に私が描く絵のデフォルトはハリウッド俳優系なので、骨格に特徴がない日本人を描くのは実はけっこう難しい。