POP2*5

過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

誰でも上達する! POP2*0的「マンガの描き方講座」PART3(キャラ図鑑編)

 今から20年前、私がアニメ雑誌ニュータイプ』の編集をやっていたころ、社員として所属していた編集プロダクションにちょっと面白い常連客がいた。社長の大学のサークルの先輩にあたる人で、当時は某大手音楽出版社Yの社員だったK氏という人物である。ちなみにその編プロは、元々大学の漫研サークルを母体にしてできた会社だったから(在籍時はライター集団のようなもので福利厚生はなく、私が辞めた後に法人化した)、近所にあった早稲田大学のOB連中が、就職後も営業のついでにふらっとよって冷蔵庫のプリンを勝手に食って帰るみたいな自由度があった。映画評論家として有名な『映画秘宝』のM氏もそういうコントリビューターの一人で、『宝島』編集者時代もしょっちゅう来ては、会社の蔵書の資料を見て作業していたのを覚えている。で、K氏というのは大学のサークルでも有名なナンパ師として知られており、確か当時の深夜番組にも出てナンパ術を指南したりしていたほどの玄人の遊び人であった。ホントかどうかは知らないが《女千人斬り》の伝説もある人だったので、とにかくさまざまな性格やタイプ、職種の女性と交遊関係があったらしく、おそらくそんな体験が目を肥えさせたのか、別の肩書きで執筆活動もやっていた。「カオロジスト」と名乗り、女性の骨格や顔つきで、気性や性格を当てるという「カオロジー」という学問の発案者として、実際に何冊か本名で本も出していたのだ。今の言葉でいう「顔相学」のようなもので、実際どっちがオリジナルなのかはわからないが、そういうプロファイラーのはしりだった。
 以前、ここのエントリーで「低い声で生まれた女の子は、そのコンプレックスから内向的になりやすい」という俗説を紹介したことがあると思うが、実は私もある程度、その人の「みてくれ」だけで性格や特徴はある程度見抜けると思っているクチである。「人は見た目が7割」は、ベストセラーになる前から私の金言であった。「人間みな人の数ほど個性があるから、類型化なんてできない」という否定論も聞くけれど、でも人間ってそんなに上等なだけのもんじゃない。特にメディアが発達してからは、ロールモデルや環境によって自己の性格や振る舞いを規定していく人が多いと思うから、ひとつのラクチンな生き方として、ステレオタイプな人生を選ぶ人が実際は多いと思う。今話題の渦中にあるニュース「渋谷区バラバラ遺体事件」の現場がウチの近所なので、このところ連日マスコミが周辺取材で近所をうろついている。イヤでもニュースでは紹介されるので、状況はモロモロ知っているんだが、「あんなに優等生だったのに」という近所の住人の証言が出るたびに、またかよと思ってしまう。最近話題になる猟奇殺人のたぐいは、ぜんぶそんな例えを出してマスコミはドラマをもり立てている感じ。「まったく、人間は外見ではわかりません」などとしたり顔の解説者の話を聞いてると、それすら現代の写し絵になっている、ステレオタイプな犯人像であることに気付いていないのかと思う。性格の悪い私は、渡辺典子が主演していた角川映画『晴れときどき殺人』の公開のときも、あまりにメディアが意外な展開とか複雑な人間模様がとか書き立てるから、「どーせ、一番温厚そうな松任谷正隆が犯人なんでしょ」と観る前から吹聴していたら、実際、それが当たっていたということもあった(ネタバレ……すまない!)。
 K氏が提唱していたような「毛深い女は情が深い」とか、そういう見た目と性格の連動性については関心はないが、顔の造作については常に興味を持ってきた。例えば昔から、美人とブスの境界には、それほど大きな溝があるわけじゃないんじゃないかというのが私の自説である。目を二重にしたり、鼻を高くして性格が明るくなるんなら、整形も大いに結構。アイドル雑誌『momoco』にいたときも、アイドル予備軍のティーンの子たちと毎月取材で定期的に会っていたが、昨日まで絶妙な顔立ちの美少女だったコが、成長期でたった一月で顔が縦に伸びちゃって、見る影もないオバサン顔になってしまったというのを、何度も経験していたのだ(特に10代は顔の変化が激しいと思う)。小学校時代によく女の子の間で、「ブスなコほど将来は美人になる」という俗説をブスの子本人から聞かされたもんだが、これも正解で、その逆を言えば、小学生時代に顔のパーツが絶妙な位置にある大人びた顔の子というは、完成型であるその時期の顔の造作が、残りの人生に向かって崩れていくだけだから。むろん、そのままのバランスで成人する人もいるけれど、その最たる例が安達祐実だったりするわけで、これも身体と顔のバランスという別の問題が潜んでいる。
 昔、彼女と一時期同棲をしていたことがあるんだが、小生はもともと女性の顔にセクシャリティを感じるタイプで、そんとき私は彼女の顔をオモチャにしてよく遊んでいた。基本的に好きな顔は一貫していて、高橋洋子(『雨が好き』のほう)、名取裕子、シンガーの種ともことかモー娘。加護ちゃんみたいな一重(奥二重)のベビーフェイスが好みである(これと、倖田來未みたいなヤンキー系贔屓が、周期的に入れ替わる感じ)。シンプルな顔の人というのは、本当に化粧で顔の印象がガラリと変わるもの。チョークを借りてラインを引いて、一重まぶたを二重まぶたにするだけで「フムム、こんなに変わるものなのか」と、彼女の顔をキャンバスにしてよく遊んでいた。そういうふうに、実践的に顔の造作を研究していたんで、だから襟足の生え方とか、後れ毛とかがどうなってるか、まるでフェチ野郎みたいによく知ってるぞ(笑)。
 かくいう私自身の顔もまた、けっこう特徴がなく、のっぺりしているほうである。昔、アイドル誌の『momoco』にいたときは、momocoクラブの女の子によく「あだち充のマンガに出ている脇役みたいな顔」と例えられていた。もっと痩せているときは、まだネオテニー(ウーパー・ルーパー)みたいな顔をしていたころの、デビュー当時のウッチャンナンチャンの内村に似ているとも言われた。最近はカンニング竹山とかキャイ〜ンの天野みたいだとか、エライ言われようだが、それはムキ卵みたいな特徴のない顔にメガネをかけていて声がデカイからで、そんなに太ってないぞ!(笑)。だけど地味な顔はコンプレックスでもあって、ニコラス・ケイジとかベニチオ・デル・トロみたいな、イタリー系や南米系の濃い顔にはいつも憧れを持っている。
 閑話休題。前回のPART2で予告したみたいに、いまどきのマンガを書くにあたってまず必須なのが、キャラクター作りである。あまりマンガを日常的に読まないこともあって、手塚治虫に憧れていたころで時間が止まっているので、私の絵を例えて「懐かしい画風」とか「タッチが昭和風だね」とよく言われる。だがそのぶん、絵にあまりクセがないこともあって、顔の特徴付けは、実際の人間の顔に化粧を施すのと同じような感じで変化が付けられる。前回、実際にマンガを描くにあたって、作劇法を変えてみようと決意したわけだが、さっそく私は、まずキャラクターの顔をたくさん作るという作業から取りかかってみた。拙宅にはあまりマンガ本はないのだが、何冊か参考になりそうな気に入ったやつを買ってきて、ほか映画関係の写真集、ヘアカタログ本などを参考図書に使ってみた。深夜番組で見た面白い顔のお笑いタレントも大変参考になった。以下、1ヶ月ぐらいとりとめなく書きためたものを整理して載せてみるが、すでにそれぞれが何を参考にして描いたものなのかをすっかり忘れている……(笑)。とにかく、いま並べてみて客観的に思うのは、『のだめカンタービレ』の二ノ宮知子氏のタッチの影響、受けすぎである。私はいったい何になりたいのだと自問自答。そういうわけで、誰かの模写まんまのキャラも入ってるかも知れないが、そんときは許してくだされ。
■主人公タイプ

 ドラマ脚本の取材で、以前青山シナリオセンターで体験受講したことがあって、その時覚えたのが、「なるべく主人公は特徴がないタイプがいい」にという作劇セオリー。ちょっと優柔不断なキャラが、まわりの奇人変人に翻弄されることから、ストーリーが二転三転して面白くなっていくのである。

 上のは、最近描いた中から、主人公っぽいものをランダムに集めてみたもの。前髪を下ろしたりおでこを出したり、髪を立ててみたりはするものの、基本的には眠気まなこで、主張はハッキリしない感じで描いている。鼻の陰影の付け方の正解が、いまだによくわからない私であるが、こんときは二ノ宮知子キャラを多分に意識して、そういうふうに描いている。なんかコントするときのニヤけた教授みたいなのや、インパルスの板倉みたいなのがいるな。

 大友克洋がキャラクターを描いた平井和正の『幻魔大戦』とか、その影響が伺える吉田秋生とか、80年代のニュー・ウェーヴな季節に、突如現れた新趣向の短髪の主人公シリーズを意識してみた編。インパルスの板倉とか言ってたら、こっちのメガネのがおぎやはぎの尾木に見えてきた。

 参考にしたスタイルブックが秋冬編だったらか、ニット帽を被ったカットも描いてみた。期せずして、ちょっと玉木宏入ってるかも。

 可愛い系の主人公キャラ。ていうか、まんま千秋真一じゃんかよ。これをどう改良していくかが課題だ。

 このところ拙宅は金田一耕助ブーム。新作『犬神家の一族』はもったいないのでまだ見ておらず、もっぱら旧作のDVDとサントラ盤がヘヴィーローテで回っている。愛すべき主人公といえば金田一、というわけで、金田一風キャラも模索してみた。一応、古谷一行タイプとへーちゃん(石坂浩二)タイプを載せてみた。

■男性脇役タイプ(友人、近所の奇矯な人々)

 『めぞん一刻』の四谷さんなんかが理想だが、ああいうコミックリリーフがレギュラーにいるとドラマが面白くなる。んで、ここで集めてみたのがパイプレーヤー集。でも、実際描いてみても、キャラの履歴書を事前に用意しちゃうみたいな、決定的な性格付けは難しいな。やっぱりストーリーあってのキャラクターという感じがする。

 まずは旬のメガネキャラ。自分がメガネ野郎ということもあって、メガネで特徴付けるのは得意かも。昆虫みたいな顔のキャラは、たぶん望月峯太郎『万祝』を観て思いついたもの。あれはキャラ図鑑だよね。

 こっちは脇役というより、無意識で描いてみて主人公ぽくないやつを集めてみただけの、いわばノンセクション部門。ほとんど写真を参考にしてたと思う。髪が逆立ってるヤツは、昔のビートたけしだよね、まるで(笑)。

 ダンディな紳士キャラ一覧。これは盗作と言っていいほど『のだめカンタービレ』の影響が色濃い。はやく消去しなくっちゃだわ。長髪にベッコウの丸型サングラスかけてるのは、私には監督の堤幸彦に見える。

■ヒロインタイプ

 主人公の彼女とか、主人公を翻弄するトラブルメーカーとか。私が男性な分、こっちのほうがキャラクター創造は楽しい。昔は、自分の絵のタッチって手塚治虫にスゴク影響を受けていると勝手に思っていたが、こうして見てみるとあんまり似てないね。女性キャラのヒロインって目玉に特徴を持たせるもんだと思うんだが、私にはこれも我流というのがない。黒目がちな日本風がいいと思えば、最近のマンガは日本人なのに外国人みたいなカラーコンタクト風のヒロインも多い。なので、流行を取り入れつつ探り探りで描いてみた。

 これはコミックリリーフタイプ。ヘアピンのショートヘアでまとめてみたりしてるのは、完全に趣味。早朝、母親にたしなめられながら、食パン口にくわえて学校へ猛ダッシュ。交差点で男の子とぶつかって「遅刻するじゃない、モー」とか言いながら学校に着くと、「今日入ってきた転校生を紹介する」と教室に入ってきたのがさっきの男の子で、「あっ、君!」「あっ、あなたこそ!」みたいに再会する王道のラブコメがあるが、まあ、そんなところ。メガネっ子はやっぱりいいよね。かけてるときはブサイクだけど、外すと絶世の美女になるっていうありがちな展開とか。

 これらはたぶん、写真を見ながら描いてるんだと思う。襦袢みたいなのを来てるのは友近のコントを見てるときに描いたもの。黒髪のは、中島美嘉の写真を勝手に望月峯太郎風にデフォルメしたものだと思う。

 こちらは典型的なカワイコチャンタイプ。髪型に全然頭を使っておらず、全部のだめみたいになってるが(笑)。目玉をどう描くといいのだろうと思って、『夏子の酒』みたいな地味顔や、少女マンガ風の大きなお目々など、さまざまなトライの痕跡が伺える。真剣にオリジナリティとかって考え出すと、難しい問題ですね。

 これはカワイコチャンタイプにコミックリリーフ的な味付けを施したもの。まんま『のだめカンタービレ』になっていて、わずか短期間でそれほどの濃い二ノ宮タッチの影響が画風に陰を落としているという事実を知り、私の単純な思考性を知られるみたいでちょっと恥ずかしい。

■その他の老人の方々

 やっぱり、シワを書き込むとマンガのキャラでも生きた感じが出るものである。とくにハリウッド映画の悪役スターを参考にすると、すごく風合いのあるキャラになる。このへんは手塚治虫の時代からのキャラクター・メイキングの伝統である。

白髭の老人は、たぶんさそうあきら氏の『マエストロ』を参考にしたものだが、まんまパクリと言ってもいいだろう(笑)。チベットの胡散臭いオヤジは、深夜のテレビ東京の映画を観ていたときに書き留めたものだったと思う。まだまだマンガ界で未開発な、取り入れられる民族考証ってあるのかもよ。ちなみに、現在作業中のBGMは、昨日買ってきたばかりのロバート・ワイアットの紙ジャケ復刻のアルバム(ユニオン特典の化粧箱入り)。「ジジイはいいよねえ」としんみり。


 ともあれ、このエントリーはここまでで、それが今後、いったいどうなるのかは私にもわかりませぬ。そもそも、こうして開陳しているキャラクター大図鑑に何の意味があるんだろうか……(笑)。いや、ここんとこ、ただ描いていて面白かったので、その喜びを皆様と分かち合いたいという、そういうこととして理解しておくんなまし。


※私の記憶違いで、松任谷正隆が犯人役をやっていた映画は『Wの悲劇』ではなく『晴れときどき殺人』でした。ご指摘をいただき訂正しました。失礼しました……(汗)。