POP2*5

過去にはてなダイヤリーで連載してた連載コラムのアーカイヴです。

コレクターの人生の幕引きを考える。レンタルorダイ?

 自分の家のレコード棚を放送局の資料室のように充実させたいという、子供のころからの男の夢がある。実際、先日もレコード会社の方からジャケットを借りたいという依頼があったばかり。存在を認められたというありがたいことなのだが、それほど街のアナログ中古店が消えつつあるということなのだろう。しかし、わずか2Kの私の部屋は、すでにレコードや書籍が家の主人と化しており、私などウナギの寝床みたいな隙間に布団を敷いて、体を押し込んで寝ているという始末。今、関東大震災が来たら確実に荷物が崩れて死ぬと断言できるだろう。可処分所得が続く限りは、旧譜なり新譜なり買い続けていくんだろうが、その終点はどこにあるんだろう。それを考えるとブルーになってくる。決して物欲が強いほうではないので、ジャーマンやYMOコレクターみたいに「ジャケ違い」集めに精を出す酔狂さはないけれど、逆に「私はこれが専門」というのがない雑食タイプだから、年々好きなジャンルが増え続けていて、amazonのアカウントも「買う予定」だけが肥大化している状況だ。「結局、なんでも好きになれる」という才能というかミーハーな性格が、最終的に身の破滅を呼ぶんだな。
 さらに、いわゆるDJのたぐいの人と違うのは、私がレコードだけでなく音楽資料も蒐集していることだ。拙著『電子音楽 in JAPAN』の取材時に集めたコピー資料だけで段ボール10箱ぐらいある。ほか、古本屋が開けるぐらいの書籍があって、どれも貴重なものばかり。LPレコードは束にすると重いので、畳が抜けるなんていうコレクター話はよく聞くけど、実は書籍ほどは場所を取らない。だから一番の悩みは、書籍や資料の置き場所のほうである。最近、十何年ぶりにマンガ熱が再燃して、いろいろ読みたい心境に駆られることが多いのだが、ドラマ化される『のだめカンタビーレ』全15巻を今日も買おうかどうかさんざん迷って諦めてしまった。コミックス15巻をいきなり置けるほど、すでに家にはスペースの余白がないのだ(笑)。レコードコレクターなんかより、安価に集められるマンガのコレクターのほうが、よほど占有面積の問題に泣かされてるんじゃなかろうか。ウチにはボーナス時に買った十ウン万円の手塚マンガのDVD-ROMがあって、これには講談社から出ている手塚治虫マンガ全集400冊分のキャプチャデータがDVD8枚に収録されている。最初買った時は、「実際のコミックと変わらないじゃん」と思うほど価格が高いと思ったけれど、置き場所も取らないコンパクトさで実に快適なのだ。それを思えば、いずれ資料もすべて電子化すべきなんだろう。しかし、キャプチャしたいんだけどそんな時間もないし。いっそ、そういうキャプチャを事業化しちゃうってのも手だな。けっこう儲かるかも。
 そんなコレクターの占有面積問題も、たぶん日本の住宅事情が変わらない限り解消はされないだろう。アメリカの中年レコードジャンキーの恋愛事情を扱った映画『ハイ・フィデリティ』なんかを観ると、メンタリティは世界共通だったりするけど、積み上げられた段ボールが置かれただだっ広いガレージがあるという環境がまず日本と違うもの。だいたい、同棲時代にケンカの種になったのは、狭い部屋に於けるお互いのモノの占有面積のことばかりだったし。究極はやはり、すべてをレンタルでまかなうのが日本式なんだろう。そもそも、レンタルレコードというビジネスは日本が発祥なのだ。「再販価格維持制度」というメーカー保護法によってレコードの価格が守られてきた日本は、レコードが高かったことから、代わりの音楽を楽しむ手段としてレコードレンタルという商売を生んだ。その肥大化するスピードを看過できなくなって、最終的にメーカーが存在を認めて使用料を取るという、共存共栄の流れができたのだ。ウォールマートで新譜のCDが十数ドルで買えちゃうアメリカなら、レンタルなんかしなくても買って聴かなきゃポイだろうし。ところが数年前、アメリカのIT業界で突如、「ネットレンタルDVDサービス」ブームが起こったのを覚えている方もいるだろうか。97年にNetflix社が先鞭を付けて、わずか数年で100万人の会員を獲得。その年のITサービスのヒット企画ともてはやされ、20もの競合がひしめき合う人気商売へと急成長した。私はそのニュースを読んで「レンタルが新しい?」「ブロードバンド時代になんでいまさらディスクレンタルなのさ?」と思ったのだが、それには様々な背景があったのだ。
 「ネットレンタルDVD」のしくみは、ざっと紹介するとこんな感じ。ネットでカタログを見て借りたいタイトルを見つけ、貸し出し可ならそこでオーダーすると郵送でディスクが送られてくる。観た後は専用の返信封筒に入れてポスト投函するだけで返却される仕組み。会費はだいたい一ヶ月2000円とか一律になっており、返却期限もない。つまり、観てすぐに返せば、同額で一月何枚も観ることができるのだ。借りたいビデオがあって店まで行ったけどずっと貸し出し中だったという経験がよくあるだろう。ネットで自宅で在庫が確認できるというのは、レンタル派にとって究極だし、返却期限がないというのも福音だ。しかも、店に一度も行かなくて済むという利便性も大きい。
 だが、これは業者にとっても様々な目算がある。一度に借りれるのが2枚と制限されていて、それを返さないと次が借りれないシステムになっており、そういう意味では返却しない人は延々その2枚だけ借りて延滞料だけを払い続けることになる。だから、「返却期限なし」といっても元を取るためには返却しなきゃと促する見えない効果があって、実際、日本の某ネットレンタル店も未返却率が1%以下というほど回収効果が絶大なのだ。しかも、借りては即返却を繰り返したところで、配送時の時間ロスもあるから、月に借りれる上限もせいぜい20枚程度。リアル店と違い配送料がかかるのがネックだが、そのへんは宅配業者とグロス契約で単価は抑えているだろうから、実はリアルなレンタルビデオ屋さんとさほど変わらない売り上げが作れる業態らしいなのだ。
 「店員に顔を観られずに済む」というのも意外と大きいらしい。日本の最大手の某ネットレンタルも、売り上げの半分が実はアダルトタイトルによるものである。私など、女性が店員でも平気でエロビデオ借りれちゃう人間なのであまり恩恵は感じないけれど、一般ピープルの人にとっては、やはりアダルトを借りる抵抗は大きいらしい。借りる時はギンギンだからまだしも、終わった後の返却マンドクセという徒労感もあるだろうし。以前、amazonで『萌え単』という本が突如売り上げ1位になったことがあったけど、あれも「リアル店舗で買うのが恥ずかしいから」というのが、唯一のヒットした理由らしい理由だったらしい。
 とは言え、日本でレコードレンタルが始まったのは、レコードが高かったから。1枚1000円で買えるものまであるDVDの場合は、それほど恩恵を預かれる印象はない。ネットレンタルがアメリカでブレイクしたのは、「一番近くにあるレンタル店まで4kmもある」というような、あの国の交通事情が背景にあるから、狭い日本とはケースも違う。実際、私のまわりで映画のセルDVDをよく買う人間も、「つまらなければヤフオクで売る」というぐらいさばけている。ほとんどレンタル感覚である。というか、「レンタルしに行ったらずっと貸し出し中だった」という過去の経験が、なによりセル購買に向かわせる理由になっているんだと思う。最終的に、なんだかんだ言って「行って借りずに帰るロス」を考えた場合、人件費が一番高く付くという話なのだな。
 以前、私はこのニュースを週刊誌で記事化するために、日本の某大手ネットレンタル社に取材をして、以上のようなことをまとめてみた。ところが、ネットレンタルを推し進めているのはレンタル業者だけでなく、ソフトメーカーにもセルよりレンタルを売り上げの柱にしていきたいという思惑があるらしいのだ。以前書いたようにDVDは、「再販価格維持制度」外の自由価格商品であるから、いくらでも安くして売ることができる。おまけにビデオのように、「2時間の映像をコピーするのに2時間(等速)かかる」世界と違い、マスターをプレスするだけで1枚数秒でできてしまう、ディスク形態のメリットもある。それが大量生産を可能にし、1枚1000円程度でソフトが買えてしまうセル時代をもたらした。しかし、そんなディスカウント狂騒が過激化した末に、メーカーにとってセル商品の利ざやは微々たるものになってしまった。単価は安くなったところで、流通、在庫コストは同じ。日本は国土が狭いから、その在庫コストが諸外国に比べてバカにならないほど高い。わずか1000円のDVDの大量在庫のために、倉庫管理費にそれ以上がかかってしまうという構造がある。そんな在庫リスクから解放されるべく、「むしろレンタル主体になってくれたら」と考えるメーカーも多いらしいのだ。
 この「セルからレンタルへ」の流れは、日本に限る話ではないらしく、アメリカはもっと進んでいる。例えばアメリカでは、配送時にディスク破損が起こるなどの問題を考慮して、一部のメーカーではDVD-Rに複製したものをレンタル可にしているところもあるんだとか。著作権者が複製を認めるというのは、かなり過激な考え方である。しかし、DVD-R複製を許可すれば、ネットレンタルでさえ人気作には必ず起こる「貸し出し中」が一切なくなるのだ。来るべきブロードバンド時代には、やりとりされるのはデータであるから、もちろん「貸し出し中」という概念はなくなる。しかし、その実現までは数年はかかるわけで、そこは短期集中的に儲けてセルアウトするのがアメリカのベンチャーの流儀。ブロードバンドが普及するまで、このDVD-Rを許可する「貸し出し中なし」のシステムが、あらゆる意味で究極なのである。YouTubeすら、NBC、MTV2などの著作権者がバックアップするのが、アメリカの著作権慣用のスタイル。このへん、日本じゃとてもかなわないほど発想が柔軟なのだな。
  1枚1000円という映画DVDソフトの登場が、「映画を所有する時代」を初めて実現させた。しかし、占有面積あたりの利益率が安いことから(CDよりでかいのに単価が安い)、一部の大型チェーン店ではすでに廉価版DVDのシリーズを一切置いていない店もある。加えて、一番の問題は買った人間の占有スペースの問題である。普通の所帯持ちの場合、いくら安いとはいえDVDが200枚もあったら個人部屋の棚が埋まってしまうのが日本の一般家庭の姿。私の過去のケースのように、同居人との喧嘩に発展するのは避けられないだろう。
 私のようなヤクザな生き方をしない人たちにとっては、セルからレンタルへという時代の転換は避けられないところに来ているのかもね。